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白い倍音の魔法使い

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白い倍音@ そうだったんですね ごちゃまぜアイスさんへ  ブログ閉鎖さ…

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November , 2025
October 13, 2010
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カテゴリ: 死別
 今日、母の遺品のブレスレットを直しに行った。
そこは、商業施設なのでいろいろなお店がテナントで入っている。
母ともよく行った。

 歩いていて、母と同年代の人、母と雰囲気がよく似ている人を見かけると不思議な気持ちになる。

 どうして母はいないんだろう・・

 また繰り返し、どうしても思ってしまう。

 私はここにいるのに、
母と歩いたこの場所もそのままここにあるのに、風景も何も変わっていないのに

ここにいないだけじゃなくて、もうどんなにどこを探しても、母の姿を見つけることは出来ない。

 今にも、この風景の中に当たり前のように存在して、私の名前をあのお茶目な笑顔で呼んでくれるような気がするのに、
気がするだけじゃなくて、それが当たり前にように感じるのに

 そんな未来は永遠に失われてしまった、その事実。

 その不思議。

 私だけとり残されてしまったような
まるで、自分の一部がそぎ落とされてしまったような
あるべきものがない、と思っている。

 まだ心は納得していない。

 そして、そこからどうしても私は問いかけてしまう。

 生きてる不思議、死とは何か


母だけいないのだろう
 どうしても、どうしても湧いてくる疑問

 母のブレスレットをストーンショップで直してもらう。
石を通す、ワイヤーが切れてしまったから。
 このお店で買ったものではないのに、お店の人は笑顔で対応してくれる。

 それがとてもうれしい。

 ブレスレットのワイヤーを付け直してくれる店員さんの手元を眺めながら
私は変わったと思う。
 昔の私ならこんな風に直したりしない。
あっ、壊れた。ですぐ捨てていた。

 母のものだと思うと、なかなか捨てれない、丁寧に使いたいと思う。
鞄も直した、靴も直した、服も直した、着物のリフォームした。
 以前の私なら、全部しなかったこと。

 でも、もう一つ理由がある。
ものが良いからだ。
 母の私物は丁寧に大切に使われているのがよく分かる。
 私は、母は贅沢だと思ってた。
持ってるものは高価なものが多かった。
 でも、こうして母の遺品を自分で使っていると、母は贅沢をしていたわけではないと分かる。
 私が使用しているエプロンは、多分母が何十年も前に使っていたものだ。
服もそういう感じのものも多い。
 そういうものが丁寧に大切にしまわれていた。
私が「お母さんって贅沢だね」と言うと
母は「いいものは、何十年も使えるから、贅沢ではないんだよ」
とよく言っていた。
 その言葉の意味が今はよく分かる。
母が何十年か先、私たちが使うことを考えて物を買っていたかは分からない。
 でも、母ならきっとそうしただろう。

 お店の人が「トルマリンとヘマタイトのブレスレットですね。
健康の石です。トルマリンは高価なので、結構高かったと思いますよ」
と教えてくれた。
 それまで何の石かも知らなかった。
ブレスが切れたとき、石を必死で探してよかったと思った。

 もし、またブレスレットが切れたら、きっとまた直しに来ると思う。

 靴も擦り切れても、可能な限り直すと思う。

 捨てる行為が必要な場合もあると思う。

 私はすぐに捨てる方だった。

 でも母からは、物を丁寧に長く使う大切さを教わった。









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Last updated  October 14, 2010 09:46:20 AM
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