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78歳の姉と、76歳の平良良子、そして、年ごとに若くなる私の三人で元旦祭を行い、それから那覇の教会へ初詣に行った。女教会長様が神殿の前で、おとそ、を注いでくださいました。鹿児島から贈られた地酒であります、と説明してくださいました。 酒を止めて2ヶ月、あまりの美味しさに目眩を覚えました。お陰で元旦は酒飲みの1日となった。しかし、今日、2日からはまた金酒、否、禁酒を致します。要するに、お目出度い時は、成り行きに任せて禁酒を棚上げいたします。 初参拝の帰り、波の上神宮をも遥拝し、写真をパチリ、ご紹介いたします。
2014年01月02日
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女房と畳みは新しい方が良い、という諺が日本にありますが、仏には、女とワインは古い方がいい、というのがあります。日本の殿方は鮮度、仏は熟成度に重きを置く為に、そういう違が出て来たと思います。また、恋人は一瓶の葡萄酒であり、女房は葡萄酒の瓶である、と昔の仏の詩人、シャルル・ボートレールは書いている。恋人としての妻が、葡萄酒になる為には、女房という献身的な瓶が必要である、と私は勝手に解釈している。私事ですが、6年前に旅立った妻は、ニガイ青汁であった。しかし、今は発酵して上質の葡萄酒になっている。きっと、女房という献身的な瓶が、古くなって来たからだと思います。 旅立つ前、妻が言った。 「あなた、私が逝ったら、新しい人探しなさい」 私は答えた。 「私には、古畳しかない」 妻は暫くして答えた。 「ありがとう!」 11月22日になると、その言葉がいつも聞こえる。
2013年12月11日
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母の曾祖母は、百歳近くまで生きていた。背が高くて面長で働き者、野良仕事によく出かけた。しかし、世間の風は冷たく、子供や孫たちが死ぬ度に、彼女がその命を吸い取っている、と陰口を言われたそうです。 それで、彼女は自分の長寿を嘆き、プーッチ、スナバーユー(早く死ねばいいのに)と、当時7,8歳の母に口癖のように漏らしていたという。彼女の時代の平均寿命は短く、40を過ぎると、ほとんどがあの世へ旅立ち、60過ぎの人はあまりいなかったそうです。短命の原因は、納税の為の過酷な労働にもあったと思われる。人頭税とは17世紀から20世紀初頭にかけて、宮古、八重山の農民にかけられた税の事で、15歳から50歳までの男女がその納付義務者となっていた。 宮古島では粟約2石、7俵前後が1人当たりに割り与えられていた。しかし、それだけではなく、他に48種目に及ぶ物産(なまこ、貝柱、ジュゴン、猪皮、松脂、煙草、船具、など)、半布(30cm×50m)などを納めねばならなかった。さらに、公共工事に無償で従事する義務も負わされていた。当時の農民は朝4時に起きて畑仕事に就き、夜は月や星の明かりを頼りに懸命に働いた。 滞納者には脛やま、鋏棒、革鞭などによる恐ろしい拷問が科せられた。そういう時代に、母の曾祖母が、百歳近くまで生きていたという事は驚きであり、深い感動を覚える。彼女は 「アカミー・ウマ」 と呼ばれていた。
2013年12月06日
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小学3年生の時、今から60年ほど前、宮古島全校バレーボール大会があった。それが終って、中学生の姉とその友人達と私は、揃って帰途についた。その間、姉たちの会話は弾み、笑い声や奇声が飛び交った。 道半ばまで来た時、突然強い風が吹いた。驚いて上空を見上げると、いつの間にか、不気味な黒雲が渦巻いて、空全体を覆っていた。次の瞬間、叩きつけるような強烈な衝撃が轟音と共に炸裂、全員砂利道の路面に叩きつけられた。同時に視界を遮る横殴りの豪雨となり、渦巻く風が、怪獣の咆哮ような音を出して吹き荒れた。私たちは姉の導くままに、這いずりながら、道下の岩の窪みにたどり着き、中に入って身を寄せ合った。 近くでドカーンという音がし。真っ黒い、巨大な何かが、まるで何物かに引き上げられるかのように吹き上がってくのが見えた。見上げるとデイゴの巨樹が根こそぎ引き抜かれ、上空高くで枝葉を撒き散らしながら回転していた。他にカヤ葺きの屋根や、山羊、馬らしき家畜も上空でぐるぐる回っているのが見えた。岩石が猛スピードで飛交い、目の前を折れた木が、ボロ切れのように吹飛ばされていく。あまりの恐ろしさに、私は泣叫んだ。 爆風は1時間ほどで止んだ。この時の風速は80メートルまで観測出来たが、気象台が吹き飛ばされてそれ以上は観測不可能となった。気象台の人の話だと、最大瞬間風速百メートルを越したのは確かだという。
2013年12月05日
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縁側に座ってお茶を飲んでおりますと、庭端の草むらから、蟻の列が現れた。蟻はそれぞれ、三歩進んで二歩戻る動きを慌しく繰り返しながら、左方1メートル程離れたブロック塀下の巣穴へと進んでいる。 興味深く見ていると、蝶の幼虫を運ぶ行列が現れた。虫の前部に噛み付いて、後ろ歩きで引張リ進む蟻、横に噛み付いて横歩きの蟻、後部に噛み付いて押し歩く蟻、じつに見事な連係プレーに私は暫く見惚れた。さらに、その後続が現れ、これは先頭蟻とは逆の動きで、3歩戻って4歩進む動きを忙しく繰り返しながら進んでいた。その中の一匹が動きを止めて、口を上に向けた。それから、暫くじっとした後、急に動き出して列へ戻った。 欠伸をする蟻がいる、とある昆虫本で読んだことがあるが、その蟻はその事を立証したように思える。やがて、巣穴に辿り着いた先頭蟻群は、左右に分かれて、幼虫を運ぶ蟻群の前後左右を目まぐるしく歩き回った。運搬蟻群は巣穴の入口に辿り着き、その入口より大きい幼虫を、強引に中に引き摺り込んで巣穴に消えた。そして、先頭の蟻群と最後方の蟻群は巣穴の周りを入乱れて走り回った後、穴の中に消えて行った。 いろいろ調べて見ますと、蟻は蜂の仲間で、女王蟻、雄蟻、働き蟻の三つの階級に分かれ、さらに働き蟻は、敵攻撃蟻、防衛蟻、運搬蟻に分かれるらしい。先頭の蟻は敵攻撃蟻、そして、運搬蟻、防衛蟻であったと思う。
2013年11月23日
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2ヶ月ぶりの日記でございます。72歳にもなりますと、する事、成す事が全て面倒臭くなってしまい、日記を書くのも億劫になってくる。しかし、ひまわりさんや、さるすべり9722さんの日記、その他は、よくそのプログにお邪魔して拝読させて頂いております。皆さんは文才があって素晴らしく、頼もしい限りでございます。 それはさて置き、沖縄は連日猛暑が続いております。昨日は観測史上最高を記録、36・5℃でありました。しかし、36・5℃と申しましても、それは観測地点によるもので、実際は40℃を軽く越えております。 その証拠にトタン屋根は凄まじい太陽光線の熱戦で焼け焦げ、今にも焼けて溶けんばかりで、そこにサラダ油をひきますと、かるくトーフチャンプルーが出来上がります。沖縄へ来られましたら、ぜひ、こちらをお訪ねください。 トタン屋根で料理したトーフチャンプルーと、ゴーヤーチャンプルーをご馳走します。
2013年08月08日
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私は毎朝4時半に起きる。何故、4時半かというと、ご先祖様を祭っているお社がありますので、その神床を掃除し、ちょっとしたお供えものをし、それからお祈りをしなければならないからであります。 私はこの家の長男でございますので、根源的ご先祖を引き継いでいる、というしだいであります。そのお勤めのお祈りが終わって、お茶を一人で飲んでおりますと、なんと、家の周りの木々の合間から蝉の鳴き声が聞こえてまいりました。今年初めての蝉の声であります。 「しずけさや、いわにしみいりせみのこえ」 これは誰の俳句か無学文盲の私には分りませんが、いいですね~~~! この蝉はミンミン蝉でしょうね。 英語では clear-toned cicada というそうです。 cicada =シケイダ=蝉 このことから、蝉を捕ると死刑だ、となるのでしょうか? 訳の分らない日記で申し訳ありません。では、今日はこの辺で失礼いたします。
2013年06月13日
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仏壇に生けてあった菊の花が萎みましたので、花瓶から取って、その木を鉢に挿しておきましたら、根を張って、青々と茂りました。そして、純白の花を咲かせました。その間、一年の月日が経ちました。 見れば見るほど綺麗ですね。 その菊、英語でなんと言うのか調べますと「chrysanthemum」というそうです。発音は「クリセンスマン」です。 フランス語では「chrysantheme」発音はシーソンセーマらしい。 ドイツ語では「Chrysantheme」 発音は 「クリザンティーマ」 だそうです。では、その菊の花を紹介いたします。一週間前の菊ですついでに隣の鉢に生えている松もご紹介しますこれが今日咲いている菊でございます
2013年04月12日
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宮古島の従弟から昨年、マンゴが送られてきた。たまたま、家に遊びに来ていた孫や、また従弟がそれを取り囲んで動かない。 そこで、それを一個づづ皆に上げますと、歓声を上げて喰らいついた。 宮古島のマンゴは高級品で値段が高い。一個で千円もする。私には彼らが食べ残した皮と種だけが残された。仕方がないので、樽に土を入れて、その種を埋めて、皮は肥料としてばら撒いた。 それから一ヶ月、なんと種が発芽したのです。そして現在、30センチほどの高さになっている。 大事に育てて、大木となし、そして、その実が収穫出来る日を楽しみにする。これがマンゴの木です ついでに傍の白菊も見てください
2013年04月02日
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4,5日前の沖縄タイムスに、家が突然揺れ、障子や食器棚、箪笥などが音を立てる怪現象が各地で起こっている、という記事があった。原因は不明で、地震でもなくオスプレイの飛行でも、突風でもない。何の原因もなく揺れる、との事である。 実は私の家も一回、そのような揺れがあった。障子がガタガタと揺れ、食器棚の食器類がガチャガチャと音を出したのです。私は地震だと思った。恐らく震度3はあっただろう、と推測した。だが、テレビではどのチャンネルも地震速報の字幕は出なかった。 その怪現象は、沖縄本島の北から南の果てまで頻繁に起こっている、との事です。これは何かの前触れでしょうか? 沖縄本島沈没か、何かしら恐いですね! きょうは近くの国道沿いにある拝所へ行って、火の神、水の神、風の神に沖縄本島の安全を祈願する事にいたします。 拝所入口の洞窟洞窟内部の拝所
2013年03月25日
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ひなちゃんは3月3日で5歳になりました。つまり、ひな祭りに生まれたので「ひな」という名前をつけたそうです。5年前、そのひなちゃんが生まれる時、お母さんを病院まで運んだのはこの私です。 お母さんとは面識はなかったのですが、門の前で陣痛が起きてしゃがみ込んでいましたので、急いで車を出したのです。そして、縁というのは不思議なもので、半年ほど前から私のボロ家に、お母さんと6歳のお姉さん、76歳のおじいさんの4人が住むようになっています。 台風で家を壊されて、行く所がなくなり、私を頼ってきたという次第です。そういうわけで、家が見つかるまで、という事で一緒に住むようになりました。 このひなちゃんは、72歳の私を 「なかまさん」 と呼ぶ。大変可愛くて、まるで私の孫のようです。そして、6歳のお姉ちゃんも私になつき、2人は私の行く所、何処へでも付いてまわる。ひなちゃんは、寝る時は私と一緒でなければ寝ません。 そのひなちゃんが尋ねた。 「なかまさんは、あと、どれくらい生きているの?」 私は、しばらく考えたあと答えた。 「なかまさんは、死なないよ。いつまでもこの若さで生きているのだ」 ひなちゃんの顔が輝いた。「それじゃー、私、絶対に、なかまさんと結婚する」 私は吃驚、側に居たお母さんと、おじいさんが大声で笑った。72歳の私は、4歳のひなちゃんを妻にするのか・・・。
2013年03月07日
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17日 日曜日に健児の搭で不法投棄ゴミ処理の奉仕活動に参加した。坂下の洞窟に投棄された空缶とか空瓶、あるいはくず鉄など、それらを撤去する作業である。 名目上は糸満市役所主催の一般、宗教団体の参加、となっていたが、実際は市役所職人と、その委託業者、そして、金光教と天理教だけの奉仕活動であったと思う。天理教では奉仕活動を「ひのきしん」という。 そのひのきしんには約150名ほどの人々が参加した。その人たちが坂下から坂上の約150メートルにずらいと並び、手渡しでビニール袋に入った空缶、空瓶、木屑などを坂上のゴミ運搬車まで運ぶ。作業は9時半から12時まで続いた。 2時間半の作業で、私の両足の変形性膝関節症は悪化し、激しい痛みとなった。 きょう、丸勝中央クリニックのかかりつけの病院に行き、ヒヤロンサン注射を打ってもらった。お陰で楽になりました。私は72歳の老人に値する男ですが、まだ、まだ、男なるものが健在である。その証拠に美人看護婦の手を握った。 ・・・結果は、その看護婦も笑顔で強く握り返した。握られた手が痛かった。 私って、愚かですね~~~~~。
2013年02月20日
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朝、4時に目覚めて庭に出てみると東南の空に、雲間から顔を出した月が見えた。何んと申しましょうか、神秘的、霊妙的という表現が当てはまるような気がする。 私は太古において原始人だった。洞窟の前で火を焚き、石斧でたたき殺したイノシシの丸焼きをしている。火の回りには私に似た子供たちが、骨付き肉を喰らいながら、はしゃぎまわっている。そして、腰に毛皮を巻いただけの女たちが、私に時々、視線を注ぎながら獣の肉を引き裂き、骨を叩き砕いて料理している。 みんな俺の女だ。そして、子供達もみんな俺の子供だ。一夫多妻の原始時代なのだ。闇の空に炎が上がり、頭上の月を燻す。あの時の月が、今現在、私の頭上に現れている。 では、その月をご紹介します。
2013年02月02日
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自転車でいつも通る道端にタンポポの花が咲いておりました。 前にアップしたタンポポは綿毛の花でしたが、今回のは、綿毛になる前の花です。綿毛の花は、花ではなくて、種子という言い方がいいと思います。 歩道の端に咲くタンポポ、生きて花を咲かす、素晴しい事です。 では、それをご紹介します。
2013年01月30日
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今朝、スーパー、サンエーへ買物に出かけた。9時オープンである。私は9時16分に着いた。自転車置場に自転車を置いて、店内に入ろうとしてふと道路の方へ視線を向けると、何んとまあ、花園につつじの花が咲いているではないか。 私は感激してデジカメにそれを収めた。いいものには何でも感激するのが、私の悪い癖であります。確か本土の方では4月~5月に咲く花であるはずだ。それが、沖縄では1月、最低気温が10℃前後のせいかもしれませんね。3月ごろには北部の東村でツツジ祭りがありますが、ここ浦添市では1月に咲いております。 沖縄に咲くつつじの種類はいろいろありますが、クメジマツツジ、ケラマツツジ、サキシマツツジ、セイシカ、シロリュウキュウ、などがメインですね。 では、サンエースーパーのツツジをご紹介します。これはオオムラサキという名前だそうですリュウキュウツツジです(これはサンエーではなくて、東村の公園です)
2013年01月29日
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血液検査の結果が出ました。肝臓、腎臓、心臓、異常なし。しかし、肥り過ぎ、という事です。つまり、中性脂肪30~149mg/dLと言う正常値をはるかに超えて256mg/dlあるのです。 さらに、総コレステロールの正常値128mg/dL~219mg/dLを越えて、249mg/dLありました。 医者は中性脂肪を下げる薬を出した。1週間分7粒であった。しかし、この血液検査は抜き打ち的にやったものですので、ちょっと異論があります。 つまり、血液検査は空腹の状態でやるべきであって、食後の後は正確な数値は出ない。つまり、中性脂肪は食事に影響される。 あの時、私は朝食に、肉のたっぷり入った豆腐チャンプルーを腹いっぱい食べた。中性脂肪の数値が上がるのは当然である。逆に食後14時間以上経ちますと、空腹過ぎて中性脂肪の値が上がります。それは、空腹のため体の機能が、脂肪を糖質に変えていくからです。 問題は、悪玉コレステロール、LDLです。この値は116mg/dLなので正常値です。善玉コレステロールHDLは82mg/dLで、これも正常でした。 次は空腹の時に血液検査をやって貰います。ちなみに骨密度は100%、つまり、20代若さの骨であります。 ところで、今朝4時半に眼が覚めて、あまりの寒さに戸外の壁に付けた温度計を見ますと、何と10.5℃もありました。今年最高の最低温度でした。沖縄ではめったにない気温です。
2013年01月28日
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私は自転車で買物へ行きます。 だいたい、朝9時前後。 国道58号線の歩道を自転車を走らせて1キロ程はなれたスーパーへ行きます。5段切り替えギヤーの自転車ですので、坂道は一段に切り替えて平気です。 歩道を自転車で走行するのは道路交通法違反ですが、車道が混んでいて危険な場合は許されると聞いている。それで、歩道を走らせます。 歩道の両側にはいろいろな草花が咲いています。スミレ、タンポポ、ハルジオン、ネコジャラシ、キツネノボタン、その他いろいろです。それを見ながら自転車を走らせていると、心が和みます。 では、そのタンポポをご紹介します。路傍のタンポポ
2013年01月22日
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ひなちゃんは4歳です。3月3日になると5歳になります。つまり、ひな祭りに生まれたので「ひな」という名前をつけたそうです。4年前、そのひなちゃんが生まれる時、お母さんを病院まで運んだのはこの私です。 お母さんとは面識はなかったのですが、門の前で陣痛が起きてしゃがみ込んでいましたので、急いで車に乗せて那覇市立病院へ運びました。途中、出て来た! と叫びましたので、いま出ては大変だから、中へ押し込んでおきなさい、と言って車のスピードを上げた。 病院に着くと、看護婦達が移動式ベットを準備して待っていた。そのベットに移したときに、ひなちゃんは生まれたのです。 そして、縁というのは不思議なもので、半年ほど前から私のトタン葺のボロ家に、お母さんと6歳のお姉さん、76歳のおじいさんの4人が住むようになっています。台風で家を壊されて、行く所がなくなり、私を頼ってきたという次第です。そういうわけで、家が見つかるまで、という事で一緒に住むようになりました。 このひなちゃんは、72歳の私を 「なかまさん」 と呼ぶ。大変かわいくて、まるで私の孫のようです。そして、お姉ちゃんも私になつき、2人は私の行く所、何処へでも付いてまわる。ひなちゃんは、寝る時は私と一緒でなければ寝ません。 そのひなちゃんが尋ねた。「なかまさんは、あと、どれくらい生きているの?」 私は、しばらく考えたあと答えた。 「なかまさんは、死なないよ。いつまでもこの若さで生きているのだ」 ひなちゃんの顔が輝いた。 「それじゃー、私、絶対に、なかまさんと結婚する」 私は吃驚、側に居たお母さんと、おじいさんが大声で笑った。72歳の私は、4歳のひなちゃんを妻にするのか・・・。 ひなちゃんです
2013年01月18日
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沖縄の桜は緋寒桜ですが、雨とか風、などの異常気象のせいで開花が少し遅れています。おそらく今週末から、名護の桜祭りが開かれると思います。 わたしは東京に20年余り住んでいましたので、桜といえばソメイヨシノでなければならない。 それでも、桜、緋寒桜には緋寒桜の特性、美しさがあります。緋寒桜を見て悲観はしません。 では、沖縄の緋寒桜をご紹介します。 今帰仁城跡公園の悲観桜 これらは八重岳の悲観桜です
2013年01月17日
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今年は巳年ですね。ミ、というと響きはいいのですが、ヘビ、とか、ハブなどと言うと響きは良くありません。 沖縄にはいろいろなヘビがいますが、その代表はブラーミニメクラヘビ(ミミズヘビ)、アマミタカチホ、リュウキュウアオヘビ、タイワンスジオ(移入種)、アカマタ、ガラスヒバァ、ハイ、ヒメハブ、サキシマハブ(移入種)、ハブ(ホンハブ)でしょうね。 ヘビは動物だけではありません。植物にもあります。 その代表が、藤蛇でしょうね。その藤蛇が、ケヤキの大木を絞め殺している、のを目撃した事があります。 では、そのデジカメをご紹介します。 おまけついでに、リュウキュウアオヘビも紹介します。
2013年01月15日
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ハイビスカスの原産地はアフリカ、主産国はハワイ、インド、南アジアです。 その種類は5000種以上あるそうです。 沖縄の宮古島に幼少時代を過ごしましたが、その頃のハイビスカスは今のと、だいぶ変わっていました。 どちらかと言えば、その頃のハイビスカスが私は好きですね。しかし、最近はそれが見られなくなり、代わりに派手で、どちらかといえば、毒々しいハイビスカスが多くなったような気がします。 このハイビスカスの葉っぱをどろどろにして、その頃の女性は髪を洗っていました。つまり、シャンプー代わりだったのです。そのハイビスカスを公園で発見しましたので、紹介いたします。 ついでに毒々しい今のハイビスカスも・・・。
2013年01月09日
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ひなちゃんは4歳です。3月3日になると5歳になります。つまり、ひな祭りに生まれたので「ひな」という名前をつけたそうです。この子のお母さんは、何んと申しましょうか、お金を持つと全部使ってしまいますので、いつも貧乏であります。 このひなちゃんがお腹の中にいた時、お母さんは日がけの借金取りに負われて、真夜中に、面識のない私の家の庭に逃げ込んできた。 スーツ姿の借金取りは、彼女を追い詰めて激しく罵倒した。週に6000円ずつ返済しなければならない借金は、残り5万円であるという。彼女は返す言葉もなく、ただ恐怖に震えるのみであった。 そこで私の全財産である5万円を借金取りに差し出して、これで勘弁してください、と言うと、彼は表情をがらりと変えて笑顔となり、それを受け取って立ち去った。 彼女は何度も頭を下げてお礼を言った。そして、突然、苦しみ出した。陣痛が始まったのだ。私は吃驚してうろたえた。しかし、何とかしなければならない。そこで、軽のボロ車に彼女を乗せて那覇市立病院へ急いだ。途中で 「頭が出始めた」と彼女が呻きながら叫んだ。 「いま出たら困る、病院に着くまで中に押し込んでおきなさい」私はそう言って、ハザードランプを点滅させてスピードを上げた。 病院には看護婦達が、移動式ベットを準備して待機していた。前もって緊急連絡をしておいたのです。そして、彼女は産室に入る前にベットの上で赤ちゃんを産んだ。 その日は3月3日の早朝であった。その赤ちゃんが 「ひな」であります。このひなちゃんには3人の姉さんがいますが、いずれもお父さんが違いまして、何処の誰かも分りません。 いま、このお母さんは45歳で、76歳の男と一緒になっております。ところが家賃を4ヶ月も滞納したため、家を追い出されまして、一人住まいの私の家に親子4人転がり込んできた。そして、半年が過ぎて、正月を迎えたというわけです。 ひなちゃん4歳、そしてそのお姉さん優季が6歳の幼稚園生であります。76歳の男は病弱で寝てばかりいます。 幸い、彼女の母の家が空くとのことで、今月、末ごろにはそこへ行くことになりました。その二人の子供はすっかり私になついておりまして、特にひなちゃんは、私と絶対に結婚する、と申しております。 マホメットは50歳の時に、九歳の女、アーシャイを10人目の妻に迎えております。私は、72歳で4歳の妻を迎える事になるのでしょうか。マホメットの記録を破る事になります。
2013年01月07日
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私はまだ20代だと思っておりました。はっと、我に返ってみますと、何んと72歳であります。歳月人を待たず、厳しい現実すね。 だが、しかし、私は永遠のチャレンジャー、72さいはまだ、3歳だと思っております。 これは負け惜しみではありません。実際にそうなるのであります。人間の生殖細胞は老化しません。環境が良れば永遠に生きるのでございます。一方、悪い方面では、癌細胞も老化しません。しかし、われわれは、人間です。真実、誠、をもってすれば永遠の生命が得られます。 これは慰めなんかではあありません。本当のことです。癌のような悪しきを払って、正しい心を持って人生を歩めば、不老不死の陽気暮らしの世界が待っているのであります。1月5日の琉球新報に私の拙い投稿が載りましたので、それを紹介いたします。 この世は、生老病死の苦の世界、それ故に、人間は生まれると同時に、泣くのでしょうか。日本人の平均寿命は、男七九・四四才、女八五・九才で世界一ですが、それは苦の世界により長く留まるという事にもなる。 全国の市区町村別平均寿命を見てみますと、女性の部では沖縄の北中城村が八九・三才でダントツであります。この事は、この世が苦の世界であっても、目出度いという事になる。生まれて泣声を上げるのは人間だけらしい。他の動物は産声を上げない。ゴリラの赤ちゃんなどは、生まれてから一年間位は、一声も発しないそうです。逆にヒヨコ等は、殻を自分で破って出てくるのですが、その時の鳴声は、誕生を喜んでいるようにも聴こえる。 目出度い誕生を泣いて迎える人間、それは、その人の人生が、苦の世界の絶望に投げ込まれるからではありません。肉体機能が健全であり、正常な神経が働いて苦しかったからであります。逆に笑って出てくるとなると異常、精神構造や身体のどこかに欠陥があるとみなさなければなりません。人間、泣いて生まれたのですから、あとの人生は笑って過ごす事が大切だと思います。しかし、世の中には笑えない人間がいっぱいおります。 だが、笑える日を待っておりますと笑える日は永遠に来ない。世界三大微笑みはモナリザ、スフィンクス、弥勒(みろく)観音(かんのん)菩薩(ぼさつ)半跏思(はんかし)惟像(いぞう)、となっておりますが、笑う門には福が来る、我々も彼らに負けずに微笑みましょう!
2013年01月06日
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家の東側と北側、つまり、家の裏と横に細長い3次元がある。横の庭らしき3次元に月下美人とか、薬草のアンデルコン、ドラゴンフルーツの木、トラの尾(サンセベリア)、名も知らぬ雑草が生えております。その仲間入りとしてゴーヤーの苗を一本植えました。 2ヵ月後には屋根まで這い広がって繁茂し、無数の実をつけると思います。裏側には茄子とパパイヤ、スイカの苗を植えました。これもまた2ヵ月後には繁茂し、素晴しい実を必ずつけると思います。ではそれぞれをご紹介します。横の3次元ですこれはゴーヤーの苗です次にパパイヤと鶏小屋の鶏夫婦をご紹介します">
2012年02月29日
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一週間ほど前、金秀スーパーに買い物に行きました。動くのが奇蹟となる軽のオンボロ車に乗って、2キロほど離れたそこへ行きました。ちなみに、この軽のオンボロは25年になります。人間の年齢に換算しますと、115歳となるはずです。 それでも動いているのは、私の管理と手入れが優れているからです。これは自慢ではありません。そういうわけで、轟音の悲鳴を上げる車を走らせてそこへ行ったのです。 沖縄は今、野菜が高い、貧乏人の私には辛い人生であります。大根一本200円、キャベツ一個290円、レタス300円、トマト一個で180円、その他いろいろで高嶺の野菜、手が出ません。 ところが大根2本で100円がありました。私は無条件でそれを買いました。ところが、買って吃驚、何んと凄い格好の大根であります。そこで、皆様方にお裾分けの意味でご紹介します。自然の芸術、全く素晴しく、卓越しております。 だん根夫婦 ミス大根足
2012年02月28日
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人間の細胞の大きさは100分の1ミリだそうです。例外もありまして卵子は10分の一ミリ、坐骨神経細胞の長さは1メートルにもなるとの事です。 全細胞の数は60兆個、・・・凄いですね。 しかし、さらに驚かされる事は、その細胞が1日に15兆個死に、その数だけ再生される事です。つまり、1秒間に約1億7千万個の細胞が死に、その数だけ再生されているという事です。肺胞の数は左右で3億、広げると畳50枚、25坪にもなります。骨の数は206本、その細胞の全てが数ヶ月でまったく別の細胞に生まれ変わってしまう。 全血管の総延長=10万キロ 地球を2週半、1日の心臓の鼓動=10万回、脳は全身の酸素の40%と栄養素も20%を必要とし、脳神経細胞の数は1000億個。 それらの細胞の全てがたがい助け合って働き、機能する人体、これはまさに宇宙の縮小、奇蹟ですね。 しかし、助け合っているのは細胞どうしだけではありません。胃腸にはいろいろな細菌がいて、これらも人体細胞と助け合って、人間の生命維持に貢献しております。その数はなんと、100兆個にもなるそうです。 もちろんその中には悪玉もおりまして、病原性大腸菌、ペロリン菌などがその代表ですね。これは赤血球の顕微鏡写真です
2011年02月03日
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小学2年の時、学校から帰ると、家には食べ物が何もなかった。空腹に耐えかねて、少し離れた本家の鶏小屋まで行き、卵を2個盗んで食べてしまった。それを祖父に見つかってしまい、庭まで引きずられて、そこで何度もムチで打たれた。 祖母や叔父、隣人達も集まって来て、荒縄で縛られた私を口々に罵った。 「大泥棒の恐ろしい子供だ。将来はきっとろくな人間にはならん」 夕方、行商を終えた母が帰ってきた。母は祖父に何度も頭を下げて謝り、私を連れて帰った。無言の母の後ろを、私は惨めな思いで歩いた。家に入ると、母は戦死した父の遺影に長時間手を合わせた後、何も言わずに外へ出て行ってしまった。 その晩、私の目の前に、蒸かし芋とお皿いっぱいの玉子焼きが出された。母が隣村から、なけなしの金をはたいて買ってきたのであった。戸惑う私に母は言った。 「ごめんよー、あんたは少しも悪くないんだよ。働きの悪い母さんがみんな悪いんだよ。許しておくれ」 私はその時、母が泣くのを初めて見た。強いはずの母、その母が泣く、私にとってこんな恐ろしい事はなかった。そして、もう2度と、絶対に悪いことはしない、と心に誓った。 その母も今では93歳、足腰は弱ったものの、カチャーシーを踊り、カラオケを唄うのが好きな元気な毎日である。昔から現在までの母です
2011年02月01日
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如何に男が強いと言われても、女が存在しているゆえの存在に過ぎません。 その逆に、男が存在しなかったら、女は存在できない、という屁理屈を唱える男の負け惜しみもあると思いますが、男がいなくなっても、女は子供を産むことが可能であります。その事は自然界のいろいろな動物が証明しております。 と申しますと、世界中の男から凄まじい非難を浴び、宇宙規模的数の殺し屋を差し向けられると思いますので、そうではございません、と訂正いたします。 男というのは、女が子供を守り育て、進化させるために、女によって作られた道具に過ぎない、とも言えます。 ・・・あれ? また、なんという恐ろしい事を・・・、 私という男はだめですね! 世界中の男達さま、大変失礼致しました。 でも、お互い、女には気をつけて生きていきましょう!
2011年01月30日
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権力者、智者、聖人達を陰で操り、闇の歴史を築き上げて来た恐るべき知性体、それは女。無意識の奥で燃え盛る青白い”パッション”という炎の中に、あらゆる種類の男達を投げ込み、尻に敷く恐るべき存在、それが闇の中で妖しく踊り狂う女達・・・? 神を誘惑して骨抜きにし、悪魔を呪い殺してその血をすすり、濃紫の闇に怪しく笑いながら浮かび上がる妖艶の魔物、それが究極の魔性を持つ女。男たちは魂を抜かれて、使い捨て玩具のように弄ばれるのみ・・・。 私はべつに女を悪く言っているのではありません。女のパワーと叡智、膨大な功績に敬意を表する事に対して、こういう表現しか出来ないのでございます。つまり、女が母に豹変した時の凄まじさを申し上げているのでございます。 これまで私が最も恐れ、尊敬し、史上最強、と思い続けて来た女はただ1人、それは母。少女の頃から、鞍なしの荒馬を乗り回し、干ばつ時にはひび割れの畑を耕し、ある時は海に潜ってサメを絞め殺して現金化した。 戦場では、砲煙弾雨の中を嵐のように駆け回って、食料を敵陣から盗み、餓死寸前の幼い姉と私に与えた母・・・。さらに、艦砲射撃の集中砲火を浴び、洞窟内に何日も閉じ込められた時など、窪みに潜んでいた巨大ハブを素手で掴んで引きずり出し、その首を噛み切って殺して刺身にし、二人に与えた母。 父は戦死、女の細腕一つでは、3人の子供と2人の若い叔母を守り育てていく事は非常に難しい。 しかし、母は母の使命を果たすために、ある時は女になったりした。 したがって、私の前に新しいお父さんが次々と現れて消えていった。打ち寄せる荒波が繰り返し巨岩にぶち当たり、割れて砕けて裂けて散っていくかのように、新しいたお父さん達は、次々と渦巻く泡のように現れて、儚く消滅していったのであります。 それは、子を守るためなら、十寒十熱の地獄のマグマの中へ飛ぶ込む事を、全く躊躇わない母にしか出来ない事である。 そんな恐ろしい母を、私は命の恩人として崇めております。その母も今は94才、物忘れがひどくなっていますが、元気いっぱい、カチャーシやクイチャーを踊り、社交ダンスに興じる毎日であります。昭和20年4月21日 那覇上空に飛来した特攻機への米艦隊の一斉射撃
2011年01月30日
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沖縄の3大桜名所は「八重岳、今帰仁城跡、名護中央公園(名護城)」 という人もおられる。 いろいろあるでしょうが、私もそう思います。 特に今帰仁城跡の桜は光彩陸離を背景に素晴しいと思います。昔、14世紀の頃ですが、沖縄は南山、中山、北山に別れて対立しておりました。今帰仁城には北山王が君臨し、浦添城には中山王、高嶺大里には南山王がおりました。 その今帰仁城の北山王は1416年に中山王の尚巴志に攻め滅ぼされしまいました。去った大戦で今帰仁城はめちゃめちゃに破壊されましたが、現在復旧作業が行なわれておりまして、観光地としても有名になっております。 では、沖縄3大桜名所の桜をご紹介します。 今帰仁城と名護城城跡の桜
2011年01月24日
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体罰と言うとあまり良い感じは致しませんね。5年ほど前の北九州市立青葉小学校で担任教諭の暴力的体罰の直後に児童が自殺した事件とか、教諭4人が特定の肢体不自由生徒に対し、給食に一味唐辛子をふりかけたり、ペンチを見せて歯に当てながら、「これで乳首を挟んだら痛いやろうな」などと声をかけ、下半身を触るなどの虐待行為を繰り返した事件、その他いろいろありますが、恐ろしい体罰がいろいろあります。 ところが、私のオンボロトタン家に、毎週金曜日の午後に来てお泊りし、日曜日の夜に帰っていく中学生の子供建ちの話から、授業時間での破天荒な、それでいて思いやりのある体罰をする英語の先生の話を聞かされた。 この先生、神森中学校の一年生の英語の先生で、名は上地愛子、なかなかいい名前であります。私の祖父は下地藍豪なんですけど、下地ですから上地よりは下ですね。 まあ、そんなことはどうでもいいことですが、この上地愛子先生、40歳は、授業時間中に悪さをした生徒とか、宿題をやってこなかった生徒に対して、変わった体罰をするのだそうです。 それは、暴力ではなくて、抱き締めてほっぺや額にチュウの嵐を連発するそうです。自分よりも大きな生徒ですと、同じ英語の屈強な男の先生に来てもらい、その丸太のような豪腕に抱き締めてもらってチュチュチュチュ~~~の機関銃を連発するそうです。 それで、生徒たちは恐怖に慄き宿題を忘れず、真面目に授業を受けるようになっているそうです。・・・そんな先生いいですね~~~! 私も上地愛子先生の生徒になって、宿題を忘れたいで~~~ス!
2011年01月17日
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沖縄は最近寒い日が続いております。最低気温11℃とか10℃、最高気温は19℃になったりしますが、それでも寒いのは寒いのであります。 -15℃とか-13℃の気温が連続する北海道の方に言わせますと、そんなの寒さのうちに入らない、と仰るかもしれませんが、沖縄は海風が強く体感温度( Sensible temperature =和英辞典で調べました)が他のどの都道府県よりも強いのであります。 したがって沖縄の11℃は北海道の-15℃に匹敵するのでございます。そんなことはどうでもいいことですが、要するに私は何が言いたいのかと申しますと、そんな寒さの中で、沖縄の八重岳で、日本で一番さきに桜が咲いたのでございます。 花っていいですね~~~! この老体も青春の花を咲かした時代があったのです。今咲くのは枯れ木に咲く花、・・・とんでもござーません。永遠の不老不死、つまり、永遠の青春の深紅の花を咲かし続けていく老体、いや、万年青年であります。 では、沖縄の緋寒桜 ご紹介します。
2011年01月16日
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戸籍上、私の誕生日は12月29日ですが、ほんとは31日の大晦日なのであります。何故そうなったのかと申しますと、父が、一年の最後の日に生まれた、という最後というのはあまり良くない、ということで、福にちなんで29日(フク)にした、という事であります。 そういう事が原因しているのかもしれませんが、私はこの年になるまで誕生日を祝ってもらった事が一度もない。大きくなって髭の生えた男の子供が3人、嫁いで旦那を尻に敷く娘が3人おり、孫が11人もおるのでありますが、誰一人として私の誕生日を知っている動物はいない。 ・・・ま、そんな事どうでもいいのでありますが、ようするに何が言いたくて不満なのかと申しますと、この私が年を取れば取るほど若くなっていく、という事なのです。 実は、ここだけの話ですけど、私の事をほとんどの人が45歳、と視ているのです。ほんとは00歳なんですが、・・・鏡を見ますとそう思われても不思議ではない。 ここで私は宣言したい。人間は(外の動物は関係ない)心一つ、持ち方一つ、使い方一つで、不老不死となるか、不治とされる病で苦しみながら老いて死んでいくかが決定される、ということです。 つまり、私はこのわが身を通して、心の持ち方一つによって、人間は永遠の生命と不老化が100%可能である、という事を証明していきたい、という事なのであります。夜光茸です
2011年01月03日
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ニューギニア島の中央には3、4千メートル級の山脈が連なっており、そこに石器文化を持つ多数の部族が今なお生活している。ほとんどが一夫多妻制を維持しており、一人の夫を共有する奥様方は仲良しで、1人か2人、多くて3人の子供しか産まないとの事です。 彼女達は子供を徹底的に可愛がる。なにしろ上半身は裸で、下半身は腰ミノを巻きつけただけの解放体ですので、子供は好きなだけ母親の胸と戯れることが許される。そして、嫌というほど母親の愛を満喫したあと、6才未満になったある日、突然、精神的に安定した大人の顔となる。人格と精神構造が、存分に与えられた母の愛で健全に形成されたからです。 近年、青少年の犯罪が凶悪化し、増加の傾向にありますが、これらは全て幼少の頃に受けた心の傷、精神的不安、恐怖などに起因していると思います。つまり、本物の愛がなかったゆえの悲劇、という事になります。 犯罪を引き起こす怒り、憎しみ、妬み、強欲、傲慢、それらは感情ではなく、愛されなかった「悲しみ」という感情が生み出す絶望の変形に過ぎない。 「アマノエ」とは石器文化人、モニ族の「ありがとう」という挨拶用語ですが、直訳は「私の乳房を吸いなさい」という意味になる。子供を無条件に可愛がり愛してきた母親たちの歴史のドラマ、その中から生まれてきた言葉だと思います。 愛に満たされた子供たちは決して犯罪を犯さず、子供を虐待するような大人にはならない。
2010年12月25日
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考えると、「豊かさ」というのはある意味では、人類最大の敵かもしれません。あらゆる不幸の原因は豊かさであり、栄光であり、野望の果てに聳える巨万の富みである。つまり、順境は悪魔が与えるものであり、逆境は神が与えるものである、と言えるかも知れません。 常識を湾曲して申し上げますと、悪魔は、豊かさが人間を堕落させて狂わせ、挙句の果てに奈落の底に陥れるものである事を知っており、その悪魔の毒牙から人間を守るのは、逆境によって培われる強靭な意志の力しかない、ということを神は知っているからだ、という事です。 地獄への転落は、豊かさの頂点に達した時の傲慢と油断、他を省みない野望の追求が招くものであり、極楽への道は逆境の壁を打破できる強い意志の力が導くものである。 ようするに、豊かさの中でも驕り高ぶらず、愛と正義と思いやりを持って、謙虚に人生を歩める方は、本当の意味での強いお方である。そういう方は地獄のどん底においても、強靭な精神力で愛と正義を守り通す事が出来ると思う。 「順境に耐えられる人一人に対し、逆境には百人が耐えられる」 これは十八世紀のイギリスの歴史家、トマス・カーライルの著書の一節ですが、豊かさに耐えて、人間らしく生きていくということ、それが如何に難しいか、ということを強調していると思います。ハイビスカス これは沖縄固有種です。最近、見られなくなりました
2010年12月24日
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「この世の地と天とは実の親。それより出来た人間である」・・・確かにそうでございます。 太陽も月も、そして、この宇宙がなければ我々人間は存在していない。存在したくても存在できないのであります。つまり、我々が当たり前と思っている現実の一切が、実は奇蹟なのであり、当たり前ではないのであります。 体がある。それが生きている。何故生きているのか? それはこの世界があり、その世界の中に空気があり、水があり、温みがあり、風があるからだ。 しかし、空気でもちゃんと計算されて構成されているために我々は生きられる。 窒素78.1%、酸素21%、アルゴン1%、CO2=0.03%, その他、水蒸気、ヘリウム、メタン、クリプトン、水素、ネオン、一酸化炭素、オゾンなど、我々の生命維持に絶対的必要条件の成分組成の容積比で成り立っているのが我々を取り巻く大気なのです。その容積比が狂いますと、我々は生きてはおられません。 大気の層も対流圏 成層圏 中間圏 熱圏 外気圏 となっておりまして、対流圏が地表から11キロ、成層圏が11キロから50キロまで、中間圏が50キロから80キロ、熱圏が80キロから500キロ、外気圏が500キロから無限の果てまでとなります。ちなみに対流圏の温度は15℃から-50℃、成層圏は-50℃から0℃、中間圏は0℃から-80℃、そして熱圏が-80℃から1200℃までとなります。 外気圏の温度は宇宙空間になりますので計れませんね。絶対温度K1, -273.15℃に近くなります。 人間が一日に吸う空気の量は12キロリットル、2リットルのペットボトルで6000本分にもなります。心臓は一日に10万回の鼓動をし、4リットル余りの血液は一分間で全身を一巡する。血管の全てを繋ぎ合わせた長さは10万キロ、円周4万キロの地球を2周半してしまいます。赤血球は1ccの中に5億個あるそうです。60キロの体重の人なら23兆個の赤血球を持っていることになる。この赤血球の寿命は120日ですので、体の機能はそれを補うために大変な働きをします。なんと、一秒間に200万個を骨髄で製造いたしておるのでございます。 人間は細胞から出来ている。その数は60兆個。脳細胞は2000億個です。 その脳細胞は20歳を過ぎますと、一日に10万個ずつ死滅していく。酒を飲みすぎて二日酔いになりますと、100万個が破壊されます。 しかし、脳神経細胞は2000億個ありますですので、一年で3020万個が死滅しても1000年生きて300億個だけしか破壊されません。ご安心ください。 しかし、アルチュウ、薬物チュウはその破壊数が天文学的になりますので、痴呆症、アルツハイマーになる確率は高くなります。 毎日約15兆個の細胞が死んで、これを補うために毎秒約5000万個の細胞が新しく生まれ変わってくる。 ・・・全く奇蹟ですね! この世の存在、事象物象、絶対に当たり前ではありません。 我々は謙虚に冷静に一切を見つめ、全てが奇蹟の結晶という事に気がつかねばならないと思います。
2010年12月14日
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昭和60年の夏、盆踊りの練習を終えて庭のベンチで夕涼みをしていたとき、50メートルほど離れた左方の崖下から突然青白い火の玉がゆっくりと舞い上がった。大きさはバレーボール大で透きとおるような鮮やかな輝きであった。泡盛を飲んでいた十数人の隣近所の旦那達は騒然となり悲鳴を上げる者もいた。 火の玉は弧を描いて前方上空を飛び、沖縄電力の構内へ吸い込まれるように消えた。翌日、その構内の工事現場からおびただしい数の遺骨が出てきた。一帯は海を埋め立てた所で、戦時中、日本軍が海から奇襲攻撃をかけて米軍の反撃にあい、大勢が死んだ一帯である。場所は浦添市牧港941番地、沖電の高い煙突が立っている所です。遺骨は浦添市役所が葬ったと聞かされている。あの火の玉は一体何だったのか、今でも不思議でたまらない。
2010年10月25日
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昭和二〇年四月二十一日十七時 「隊長、生き残っているのは我々だけです。味方の砲撃が全て沈黙いたしました」 「いま、この洞窟にいるのは何名か?」 「女子救護班三名、女子協力隊一名、そして彼女が背負っている赤ちゃん、一人であります。 負傷兵十五名のうち八名は、夜襲攻撃を敢行して全員死亡」 隊長は下腹部からはみ出た小腸を中に押し込み、サラシで固く巻いた。 「知念上等兵、きさまに命令する。この会計隊の重要書類を死守し、泳いで本島にたどり着き、国頭支隊長、宇土大佐に届けるのだ、わかったか!」 知念上等兵は敬礼してその命令を復唱した。隊長はそれから三名の女子救護隊と、女子協力隊、つまり、一般主婦と乳飲み子の母に向かって叫んだ。 「貴様ら女は最後の最後まで生き抜け。死ぬのは男だけでいい、分かったかー」 隊長はそう叫んだあと、生き残りの負傷兵を率いて軍刀を振りかざし、轟音炸裂する洞窟の外へ飛び出して行った。髪を切り落とした軍服姿の女達は、急造爆雷を背負いその後を追った。赤子を背負った若い母親も竹槍を持ってその後に続いた。 伊江島での最後の突撃を敢行した負傷兵の中に私の父もいた。その事を母に知らせてくれたのは、本島へ泳いで辿り着いた知念上等兵で、戦後四年目の夏であった。
2010年07月21日
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65年前、父が4歳の私に尋ねた。 「大きくなったら何になるか」 「お父さんのような立派な軍人になる」 と私は答えた。父は笑みを浮かべ、私の頭を撫でた。それが記憶に残る父の最後の姿であった。 25歳の時、自衛隊に入隊した。父への供養になると思ったからだ。起床ラッパで、朝6時起床、急いで戦闘服を着け、半長靴を履いて5分内にグランドに集合する。そして、点呼が始まり、区隊長や中隊長の訓示が行なわれる。それから朝食のあと、9時から厳しい、いろいろな訓練が始る。 3ヵ月後、前期教育の終了時、区隊対抗の射撃大会が行われた。私は所属する区隊の代表に選ばれた。標的は照準孔からは小さく見える。 私は精神を集中し、伏射の姿勢でゆっくりと引き金を引いた。轟音と同時に肩に銃床の強い反動が炸裂する。一発目、ど真ん中に命中し、10点を射止めた。傍の担任教官が歓声を上げた。続いて、残りの4発を連続して撃った。だが、その弾痕が標的のどこにもない、応援の同僚や教官のため息が聞こえた。私は惨めな思いだった。そして、審判団が標的を一つ一つ調べ上げたあと、成績を発表した。 「最高点は50点満点で、仲間二士、5発とも全て同じ一つの穴を貫通している。これは奇蹟、歴史に残る最高得点である」 大歓声が爆発し、私は同僚からもみくちゃにされた。私にはあの時、父の御霊が乗移った、としか思えてならない。
2010年06月13日
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沖縄は今、普天間基地の県外、国外移設をめぐって大騒ぎしておりますが、何かが狂っているようの思えてならない。 たとえば、ある病気があって、それを取り除く手術をしようとした時、身体を切り、切開するメスを、凶器と見なしてその使用を反対するような事に匹敵する。メスは鋭く肉体のいろいろな箇所を切っていく。それは、生命を脅かす病巣を取り除くためであって、凶器と見なす事は狂気の沙汰である。 沖縄の軍事基地はそのメスのようなものである。人類は今、まだまだ完璧な人間の範囲までは進化していない。まだ、獣性が残っており、魔性を強烈に保有している。つまり、全ての人間を兄弟姉妹として見つめ、互いに思いやりをもって助け合う、という精神文化はまだ低次元に在る。 したがって、沖縄の県民が今目指すのは、世界の心の完成であり、愛と、思いやり、正義を発揮するという精神文化の完成への動きではないのか、 第一、今やっている反対運動、私にはその反対派の一人ひとりの人相が正義のために戦争し、人を殺すという執念に猛り狂っているように見える。 もっと冷静になって、世界各国に互い助け合っていきましょう、愛と正しい正義で持って、豊な精神文化を築いていきましょう、全人類は兄弟姉妹、仲良くしていきましょう、と沖縄県民、日本国民は叫ぶべきだと思います。 もし今、沖縄から軍事基地の一切を取り除き、アメリカが捻くれて日本を見捨てた時、恐ろしい悲劇が日本に怒涛のように打ち寄せ、中国、ロシア、北朝鮮、その他の野望国家に支配されてめちゃくちゃになる。 軍事基地を無くすためにはまず、全ての人間の心が清く、美しく、正しくなり、崇高な精神で、互いに助け合う、愛と思いやりの人間の輪を完成させることである。飢えた野獣の群れの中で、裸のままで、平和だ、軍事基地反対だ~~、と叫ぶ愚かな連中、それが今の沖縄県民の一部である。 世界の心の完成、そのための実践、努力、働き、それが今の人類にとって大切な事である。
2010年05月24日
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第82回選抜高校野球大会第9日目、第3試合は本日、3月31日13時44分、興南先行でその熱戦の火蓋を切った。帝京の投手は鈴木昇太、横への変化球を武器にする豪腕である。 一回表、興南の先頭打者は国吉昇太は第一球を勢いよく叩き、ピッチャーへの強い当たりとなってアウト。続く二番バッターは慶田城開は6球目を空振り、振り逃げを試みたがアウトとなった。 続いて注目の我如古盛次、連続9打席ヒットの新記録を打ち立てることが出来るか、・・・しかし、2球目を強打したがセカンドゴロ、ア~~というため息が観客席全体に広がった。しかし、セーフとなった。内野手からの返球が大きく逸れてのエラーが記録されたのだ。 続いてホームランを打っている強打者、前榮平大輝が3遊間への強烈なヒット、だが、次の打者がアウトとなって、一回表攻撃終了となった。 ・・・大変疲れましたので、この続きは明日にします。ごめんなさい、おやすみなさい!
2010年03月31日
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智弁和歌山高といえば野球の名門、過去春夏あわせて3回、甲子園で優勝している。その智弁和歌山と興南は3月29日、第3試合でベスト8をかけて戦ったのだ。 前評判は智弁和歌山断然有利で、興南が勝てば電信柱に花が咲き、死んだ魚が泳ぎ出し、豆腐が石より固くなる、と唄われたりした。 しかし、結果は興南が7対2で勝っちゃたのであります。おかげで沖縄の電信柱にバラの花が咲き、魚屋の死んだ魚が一斉に飛び跳ねて空中で泳ぎ出し、豆腐屋の豆腐が石のように固くなったのでございます。興南はツイている~~~、と智弁和歌山応援の大観衆は悔しさを爆発させて叫んだ。 しかし、ツキというのは何であろうか? ツキと言うのは偶然が生み出すものではなくて、厳しい試練が生み出すものだと思う。智弁和歌山戦における島袋投手の、ストレート、カーブ、スライダーなど、風邪の影響を抱えながらの巧みな頭脳を駆使した投球は、見る人を思わず唸らせてしまう。10安打されても要所、要所を締めて14奪三振、無4球、2失点という成績は見事であった。さらに、打者の1人1人も素晴しいと思う。犠打、スクイズ、ヒットエンドランなど、我喜屋優監督の指示を忠実に、確実に実行に移していく各選手の技術は絶妙としか言いようがない。山川大輔の犠牲フライ、伊禮伸也のスクイズ、そして、8回裏、真榮平大輝の2点本塁打など、そこにツキがあるとするなら、それは日頃の厳しい、過酷な練習、鍛錬が生み出したものであって、決していい加減な偶然的なツキではない。 次は準決勝、決勝へ進んでいくと思う。興南高のさらなる活躍を期待します。
2010年03月30日
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今日は3月18日木曜日であります。現在、沖縄のわが家の空は曇り、周囲の木々で小鳥が囀っております。静かな朝の小鳥のさえずり、自然界は穏やかであります。 本日の宇宙の天気はアンドロメダが晴れ、ペルシウスが曇り、149億光年離れた銀河、ツカシヨはトゲのまったくないバラが咲き乱れております。 しかし、花の咲かない棘だらけの薔薇が、沖縄には茂っておりますね。暴力を暴力で排除する、県外国外に基地を移転せよとのトゲ、何とか平和的に、友好的に、そして、品性を高くして話し合えないものでしょうか? それでも、人類よ、愛と正義を守り、清く正しく、美しく生きていきましょう!
2010年03月18日
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一昨日まで沖縄は寒い日が続いておりました。室外の壁にかけた温度計は、最低気温12℃を毎朝表示していた。渡嘉敷島では、7・9度を記録したというニュースがありました。 真冬の温度が2、3℃はざらである本土からすれば、この12℃というのはなんでもないように思われますが、沖縄では大変な寒さとなります。海風が強く、それに当たりますと、体中の温みが根こそぎ奪われていくような感じがします。 ちなみに、沖縄の平均気温は26.2℃です。真冬の平均気温は16℃、過去の最低気温は1963年1月20日に久米島で記録した2・9℃です。沖縄本島ですと1978年1月23日に名護で記録された3.6℃となっております。しかし、この温度は沖縄では滅多にないことです。明治時代初期に久米島南部で降雪があったという言い伝えがありますが、これもほとんど有り得ない事です。 では、最高気温は、と申しますと、2001年08月09日に那覇で観測された35.6℃です。埼玉県の熊谷と岐阜県の多治見で平成20年に観測された過去最高記録40.9℃に比べますと意外に思われますが、フェーン現象のない沖縄では35℃を超える気温はめったにないのであります。 しかし、それでいて、直射日光と紫外線が強烈ですので、その暑さと来たら肌を焼き焦がすすような感じとなります。沖縄の人に色黒が多いのはそのためです。 いずれに致しましても、昨日からここ沖縄はようやく春らしき温かい気温となりました。床下に閉じ篭ったきりの猫たちも元気に外に出てじゃれあっています。お隣の庭に咲いたカンナの花が美しく咲き乱れ、春風に揺れております。では、今日も1日、ファイト・イッパーツ、頑張っていきましょう!
2010年03月15日
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3年前、1匹の白いメスの野良猫が家の床下に住みついてしまった。そして、現在その子孫の3代目、4代目、5代目の計6匹が、猫の額ほどの小さな庭で元気に遊びまわっている。3代目が白地に黒模様の母猫、4代目が白の雌、5代目が雌1匹、雄3匹です。 去った土曜日、3代目の母猫がしきりに鳴いていた。庭に出てみると、何と、長い釣糸の付いた大きな釣針が、右下唇を貫いてぶら下がっていたのです。糸が石に巻き付き、それから逃れようと、もがきながら鳴いていた。庭の片隅を見るとビニール袋と魚の頭があった。釣針はその魚の口に刺さっていたと思われる。鋏で釣針の根元から糸を切ってあげると、母猫は床下へ飛込んで行った。 病院に電話してみると、全身麻酔をしてから手術をする。費用は6千円掛かる、との事です。痛い出費となりますが、仕方なく明日は犬猫病院へ連れて行く事にします。 それにしても、釣針の付いた魚をゴミ袋に入れて捨てるとは、あまりにも無神経すぎると思います。金属片とか、ガラスの割れ物等の危険物はちゃんと分別して出しましょう。
2010年03月02日
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沖縄タイムスの2月22日の一面に地下鉄サリン事件に関する記事が載っていた。平成7年3月20日午前8時過ぎ、営団地下鉄(現→東京メトロ)の日比谷線・千代田線・丸の内線の3路線を走る5本の電車にサリンが撒かれ、通勤客、駅員など12人が死亡、約6千人の重軽傷が出た悲惨な事件である。 その頃、私は2級ボイラー技術士資格の修得を目指して、港区新橋のJBAビル2階にある日本ボイラー協会の講堂で連日講習を受けていた。早朝、家を出て池袋駅から丸の内線、銀座線と乗換えて8時30分前後に新橋駅で降り、そこから徒歩で講習場まで行く日課であった。 講習は9時から始まる。したがって事件当日に講習場へ向かっておれば、確実にその丸の内線の電車に乗っていたことになる。 その日の朝、いつものように身支度を整えて玄関に降りた時、突然、激しい腹痛に見舞われた。私は這いずりながら部屋に戻り、そのまま4転8倒の苦しみとなって休講を余儀なくされたのであった。その腹痛のおかげで私はサリン事件の犠牲者の一人にならずにすんだ。その事を知った妻が青ざめて言った。 「あなた、どんな事があっても先に死なないでね。先に死ぬのは絶対にこの私だよ」 その妻は3年前に他界した。そして、今頃、妻のあの時の言葉の意味が実感的に分かった。先立たれるという事が如何に辛く、絶望的であるかを思い知らされたのです。 妻は時々、幽界から幻覚を通して語りかけてくる。 「あなた、私の分まで長生きしないと、タックル・サリーンドー」タックル・サリーンド=沖縄方言で「叩きのめサレールよ」の意
2010年02月25日
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東京の息子に、サーターアンダギー、黒砂糖、足テビチ、軟骨ソーキなどの沖縄特産食品を郵パックで送った。送料は1300円であった。一個のインスタントラーメンを三等分にして、明日の糧にしている私にとっては大変痛い出費であった。 しかし、これも1人で頑張っている息子のため、と思いながら、私は郵便局を後にした。歩道に出てしばらく歩いた時、背後から私を呼び止める声がした。振り返ると、掌に数枚のコインを乗せた女性職員が駆けて来るところであった 「忘れ物ですよ、カウンターの端っこに置いてありました」 彼女はそう言いながらコインを差し出した。500円玉が一枚、100円玉が4枚ほどあった。ありがたい、これは天の与えだ。明日の糧が3等分ラーメンから、ステーキに変わった。天の神様、ありがとう、私は心の中でそう叫び、無意識でそれを受け取ろうとした。次の瞬間、頭の中で何者かが怒鳴った。 「ばか者―、それは人様の金だ。きさま、それでも日本男児か、恥を知れ!」 私は、はっとして我に返った。そして、己の心を恥ながら、彼女にそれが自分のものでない事を伝え、一礼して帰途に着いた。たとえ些細な事であろうとも、日本男児、何処までも正義と、曇りなき魂の輝きを守り通せ、私は己に強く言い聞かせがら、冬空の彼方に飛んでいく羽の生えたステーキを見た。
2010年02月19日
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人工臓器に詳しいある優秀な医者が計算した。人工心臓6億円、人工心肺2億円、人工腎臓、人工肝臓、人工膵臓、人工脾臓、その他いろいろの合計が・・・・男は50億円、女は100億円、となった。 凄いですね? 健康な人間なら男は50億円、女は100億円の資産がある、ということになる。それが流動資産となるか、固定資産となるかはよく分かりませんが、減価償却がつくかどうかは、老化するかしないかにかかると思います。 いずれにしても凄いですね? 人間は健康であればたとえ借金だらだらであっても大金持ち、ということになります。しかし、人工臓器が行動を著しく束縛し、多大な不自由を与えるものであるのに対し、本物の臓器は何の手入れも、管理もなしに勝手に機能してくださる。高性能にして重要な機能を発揮し、人間の行動をまったく束縛しない。・・・となりますと、これは人工臓器の値段よりもはるかに高価な値段がつく、ということになります。 50億とか、100億どころの騒ぎではありません。50兆、100兆の単位となってしまいます。しかも、それをただでわれわれ人間は使っている。つまり、そんなのは当たり前、当然である、という認識しかなく、ありがたい、という感謝は沸きあがってこない。2億円が宝くじで当たって、飛んだり跳ねたりの大喜びをする以上に、健康であるというのは超過激に大喜びすべき奇跡なのです。 しかし、われわれ人間にはそれが分からない。生きているのではなくて生かされているのだ、そして、この世で自分の所有物というのは全くないのだ、という事実にも気がついていない。われわれのこの体、家屋敷、貯金、有価証券、その他いろいろは、死んでしまえば自分のものではなくなる。すべてをこの天地大自然にお返しして死んでいくのであります。 では、この世で自分の所有物はないのか、・・・それがたった一つだけありました。それは、己の心一つであります。心は自由自在に動き回る。事象物象を認識、判断し、それに対する反応の方程式を一瞬にして作り上げる。そして、清く正しく、美しく進化していくのであります。中には醜く歪んで退化していくのもありますが、それは運が悪すぎる、としか言いようがありません。 要するに何が言いたいのかと申しますと、肉体というのは宇宙の奇跡、天地大自然からの借り物である、ということです。その証拠に、生き物は最後はすべて、天地大自然に体をお返しなければならないのです。 地球があり、月があり、太陽があり、そして、宇宙がある、それゆえの人間である事を思えば、人間の命、身体は借り物である、という厳然たる事実がはっきり致します。
2010年02月15日
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沖縄八重岳の桜祭りは終わり、ここ数日の雨で大分散ってしまい、峠を越えております。それでも、所々に元気いっぱいの花が咲いていたりしますが、それも、いずれ散ってしまう運命ですね。 「散る桜、残る桜も散る桜」 これは動物にも言えますね。 「死んだ魚、泳いでいる魚も死ぬ魚」 こんなの、あまり言い感じしませんね。 そう言えば、私の通った小学校は平二小学校といいました。宮古島で最初の小学校であります。それ以前は尋常小学校と言ったそうです。 その最初の小学校がなぜ、平二なのか、・・・それがですね、この最初の小学校は貧乏人の子供たちがほとんどでした。二番目に出来た小学校は大金持ちや公務員、政治家、有名人の子供たちが多かったのです。 というわけで、2番目の小学校が平一となり、一番目に出来た小学校が平二となったのであります。なぜ、平なのかというと、平良市立の学校ですので、その平をとったのであります。 ですから、両校の対抗意識は凄まじいものでした。バレーボールや野球、ありとあらゆるスポーツ大会では先生同士、生徒同士の乱闘騒ぎまで出る始末でありました。勝っても負けても血と涙と汚れた汗のドラマが展開されたのです。 その平二小学校の応援歌の一つに、上述の死んだ魚が出てきたのです。それを紹介します。なにしろ、七十年以上の前の応援歌ですので、貴重な資料になると思います。卒論の参考資料にデモしてください。 ♪♪・・・平一が平二に勝ったなら、電信柱に花が咲く、死んだ魚が泳ぎ出し、赤いカラスが空を飛ぶ・・・♪♪ とまあー、こういう事情で話のつじつまが合ったと思います。・・・沖縄北部の桜は散りましたが、なんとまあ、沖縄南部の私の家の近くの公園には一本の桜木が満開であります。赤の色彩が周りの空間に撒き散らされ、真っ赤な影をその根元の落としております。では、その満開の桜木をご紹介いたします。
2010年02月14日
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私の母の次の次の妹、つまり、叔母様は現在84歳の寅年生れの年女であります。 彼女は常人を超越したある意味では偉大なお方です。なぜかと申しますと、いろいろな神様とコンタクトが出来て、会話が出来るのです。 バス停でバスを待っておりますと、バス停の神様が語りかけてきます。バス停の神様は「真白き富士の根」という唱歌が大好きですので、おば様はその歌を歌って聴かせます。 人がいない土、日、祝祭日には声に出して唄い、それ以外の人がいる週日は心の中で歌うのです。 ある時は乃木大将、ある時は広瀬中佐、そして、又ある時は古代マヤ都市国家の王様、その他いろいろな神様が彼女を訪ねてきてお話をする。 叔母様のお父さん、つまり、私のおじいさんの名は、マヤと言います。沖縄の宮古島の昔の人々の名は、こういうマヤとか、タル、イヌシー、マツガ二、ナビガニ、ンマツマー、フスグドゥン、ウプグシン、サミチビルン、などと複雑怪奇な名前が多かったのでございます。 たまたまおじいさんの名がマヤで、マヤシューと呼ばれていたので、マヤ文明を築いたマヤ都市国家王の末裔が自分である、とおば様は信じきっております。 私は、そのあまりにも奇想天外な偉大で恐れ多い瞑想と幻想の結晶の素晴しさに言葉をなくして、素直に聞き入れております。 そのマヤ王の生まれ変わりが5代前のご先祖さまで、池間島から宮古島本島に渡ってきて、下崎という部落に住み着いて子作りに励んで子孫を継続させた、ということでございます。 そして、その5代前のご先祖様、マヤシュウが叔母様の所へ、5000万円持ってきて渡すとの事です。そのうちの3000万は、ありがたいことにこの私の上げるそうです。それを基にして、大きな家を建てて、天の神様を祭って、世界救済に私は全力を尽くさねばならないのです。 3000万、凄いですね? そのためなら、悪い事意外はなんでもやります。ただし、可能性と能力の範囲内の事だけです。出来ない事は逆立ちしても出来ませんので・・・。 そう言えば、私の幼少期の別名は、「マヤ」でした。という事は、この私が叔母様に5000万円持って行って上げねばならない、という事になる。・・・困りましたね、アスのパン切れにも事欠いているこの私に、5000万円という大金は夢のまた夢、どうにもなりません。・・・私はどうしたらいいのでしょうか、ああ、叔母様、助けて~~~!(下の画像は夜光茸です)
2010年02月13日
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