40日の旅

40日の旅

母子家庭1 



でも、またしても苦難が待ち受けていた。
私の離婚騒動で、陰に隠れていた問題が、即、目前に現れた。
父と母の問題である。
ぐちゃぐちゃでした・・・
(事情はここでは伏せさせて下さい)

結局、私の離婚届けが出た4ケ月後、母は家を出て行きました。
とうとう両親まで離婚してしまった・・・

これで家の中が静まるのか?そうではありませんでした・・・

父は精神的に荒れ、夜お酒が入ると毎晩私に八つ当たり・・・
私の料理が気に入らないと、作った夕飯が並んだ横で買ってきたお弁当を
食べる。
私に電話が入ると 側で盗み聞き・・・(ストーカーだ!)
休みの日は朝からお酒を飲み、「頭が痛いから起こすな」と書き置き。
挙句の果て、胃潰瘍を患う・・・(投薬だけで完治しましたが)

気付いた事、父はこの様な事を母に日常的にしていたのだ。
ただ、ターゲットが私に変わっただけで。
それが、離婚の原因の一つでもあったかもしれないが、母にも問題があったのは確か。(父だけが悪いのではないと言いたい)

毎晩、こんな調子では仕事にも身が入らないし、子どもにとっても環境が良くない。
でも、あの頃は若く体力・気力があったし、「頑張らなくちゃ!」って気負いで毎日を過ごして行けた。
頑張って仕事していればいつか救われる・・・当時はそう思っていた。

この頃、子どもの喘息がひどく、仕事の後病院に駆け込む事も度々。
子どもを保育園に出せる体調でない時・・・
今は街中に病児保育してくれる病院が増えたが、当時は黒野の奥のF医院さんだけで・・・
体調が悪い子どもを朝6時半に車に乗せ、F医院さんまで預けて仕事をした。
(今の私には出来ない業である。しかも今考えると何て無謀!そこまで幼い子どもに無理させて仕事するか~?)

ある一例・・・はしかに掛かった息子を例のごとく、F医院さんに預け・・・
仕事を終え迎えに言ったら、先生が「川崎病の疑いがあるので、明日又症状を見次第、症状が変わらなければウチでは検査の機材がないのでD学病院に行って下さい」と。

翌朝、連れて行ったら先生は往診でお留守、「後で電話する」と。
子どもを預け職場に向かう。
職場に連絡が入り「やはりD学病院に行って欲しいけど先生の都合で、夜8時に予約が取れました。お母さんどうしますか?」
「一緒に居ても何も出来ないので、仕事を終えたら迎えに行きます」と。
上司は「帰ってお子さんの側に居てあげなさい」と言ってくれましたが、
あまりの忙しさに答えは「NO」 でも集中出来ませんでしたが・・・

はしかの症状=川崎病の症状と似ているそうで・・・
イチゴ舌、目の充血、高熱等、あまりに強い症状だったそうで・・・
(アレルギーの子は強く出てしまうそうな・・・)

結局、川崎病の疑いは晴れましたが「入院」を勧められ・・・
でも!拒否!
翌日は金曜で一日休めば、土・日と3日休めるので仕事を休みました。
(休むのもかなりの思い切り!)
夜10時から朝8時まで寝て、ジュースを飲んで又すぐ寝て夜8時まで眠った息子・・・「無理させてたな~」と痛感。

こんなバタバタな毎日のほんの一例です。


さて、でもこんな中、父は変わらず執拗で・・・
耐え切れず、子どもとの二人暮しを踏み切ったのです。


経済的にはギリギリだったけど、離れてから父は私を大事にしてくれる様になり、
時々、煮物を差し入れすると「美味しい~(涙)」と喜んでくれたり。

おっと!その前に、話しが前後しましたが・・・
義父母は毎週末、孫を向かえに来て一日遊んでくれる・・・
一年程、そんなパターンが続いたある日、元夫から「話しがある」と。

のこのこ行ってみると、「経済的に大変なので養育費が払えない、だから子どもに逢うのも辞める」と。義父母が迎えに来ても、子どもの話しを聞いて、パパは逢ってない、と解っていたが。
「経済的な事、解ったよ。けど父親と逢うとかは子供の権利であって養育費が払えないから逢わないってのは問題が違うのでは?」
「養育費も払えないのに、逢うなんて絶対出来ない」
「???じゃあ、500円でも1000円でもいいから子供に逢ってやってくれない?お父さんに会えないのは可愛そうだから・・・」
「何~?500円だと?バカにしとんのか~?!!!(怒)」
してないってば~~~!
と説明しても、彼は全く理解してくれない。

やはり「お金」が一番大事な彼には、どれだけ説明しても意図が伝わらないのでした。

無念の思いでしたが「あなたが以降、どれだけ会いたいと思っても一切の権利はない。ただし、Rが『逢いたい』と言った時、あなたがどんな状況であっても必ず逢う事。Rが大人になった時にあなたの重荷を背負わせる事は絶対に許さない。責任から逃げた父親に何の権利もない」と何度も約束して。

父に報告したら、怒っていましたが「あんた~責任持てよ」の一言。
又、乗り込んでいくかと思ってましたが、その一言でおしまい。
重い一言でした。そう、これから私は一人でこの子を育てて行くのだ!と。

その思いに間違いがある、と知ったのは何年も後の事でしたが・・・












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