椿荘日記

椿荘日記

ショパンのパリ、椿姫のパリ③


夏のノアン滞在、冬のパリと、特に社会主義者と親密な輪の中心にいたサンドの,自由な空気に溢れた集まりは、マジョリカ島逃避行以前の、貴族やブルジョア達に囲まれた時代とは違いますが、贅沢で洗練された趣味のショパンは、相変わらず親しい貴族(チャルトリスキ侯爵夫人、ロスチャイルド男爵夫人、ド・キュステイヌ侯爵)の催す夜会に、ジェスランで求めた白い鹿皮の手袋をはめ、お気に入りのデュポン店で誂えた帽子を被り、最高の仕立て屋ドートルモンで誂えた衣装に身を包み馬車で訪ずれます。
香水、アクセサリーを愛し、名高い食料品店シヴェのガチョウのパテやカフェ・ド・パリやカフェ・トルトニでしたためる、オペラ鑑賞が引けての夜食など、優雅で贅沢なパリでの社交を中心とした生活は変りません。
同じく「貴婦人」に姿を変えたアルフォンシ―ヌも、ド・ギッシュにエスコートされ、このブルヴァール・デジタリアン(イタリア通り)に面した、優雅なカフェにやってきます。
ショパンと同じくジョスランの手袋をその美しい手に嵌め、スエッスで求めたばら色のタフタのドレスで劇場に姿を見せ、音楽を愛し、自らも弾くようになったピアノの演奏会なども、愛人にねだって、行ったことでしょう。
ショパンが41、42年と演奏会を開いた時、既に富と「名声」を手にしたこの高級娼婦が、高額で入手が難しいとされた切符を手にすることは造作もなかったことでしょうし、その椿の花束を熱狂する本物の貴婦人と共に投げ入れていたとしても不思議ではありません。ただ、その時のエスコートする青年は、既にギッシュではなかったのです。

最初は、心から愛し、親身になってくれるのも愛情からだと信じ、彼に報いたい、ふさわしい女性になりたいと一心に思いつめていたノルマンデイーの田舎娘が、恋人ギッシュの本心が「虚栄心」だと気が付いた時、彼女の心の中で、何かが壊れ、何かが生まれたのでしょう。
ギッシュとの別離の後、「マリ・デュプレシ」と名乗る、美貌と気品と才知を併せ持ったクルテイザンヌが誕生したのは、偶然ではありませんでした。
その後、何人かのパトロンの中でも有数の、銀行家の相続人、若き富豪のペレゴ―伯爵と会い、モン・タルボー街から、ついにブルジョアの成功の証、ショパンが以前住んでいたショセ・ダンタンに住居を移します。「椿姫」がアルフレード(アルマン)と出会う豪華なマンションがここにありました。
内装に絹を何十メートルも用い、ヴェネチアングラスのシャンデリアが煌く豪奢なサロンで、アルフレード、実際は原作者アレクサンドル・デュマ(小デュマ)がマリ・デュプレシと初めて親密に会話を交わしたのです。

この時期、ショパンはスクアール・ドルレアンにピガール街から移っていました。
サンドとの暮しの為、互いの家が隣り合わせという立地が気に入ったのと、この街には親しくしていた友人達、画家のドラクロア、ジェリコー、作家は大デュマ、テオフル・ゴーテイエ、ハイネ、ゴンクール兄弟、音楽家はカルクブレンナー、ベルリオーズなど、多くの芸術家が住んでいました。
貴族(フォーブル・サンジェルマン)、ブルジョア(ショセ・ダンタン)とも離れた、独立した芸術家の住む街がスクアール・ドルレアンだったのです。そして行動に政治色を強めていったサンドとの関係に少しづつ隙間が出来始めたのもこの頃からでした。

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