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坂本野原そういうが変わらないから自民党なのかもしれぬ保守かもしれぬ急ぎ足ですべて変わってゆくけれど変わらないもの バラードの歌詞コロナ禍の鬱屈したる国民に提供プレゼンツ&存在感プレゼンスなり新婚ハネムーン気分のまんま総選挙に突入できる菅のシナリオ安倍ちゃんの圧勝だった 高市と岸田の票を分けつまとめつ次の次 総理就任おめでとう初の女性の高市早苗派閥ってなくなるわけがないだろう君の会社はどうなんですか分派セクト無き大組織とは完全な独裁政治 むしろおぞまし
2021年09月30日
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坂本野原秋場所とともに深まりゆく秋の海、山、富士の四股名さやけし序二段ゆ復活したる照ノ富士あの顔さえもいとしかるかな伊之助が千秋楽を告ぐる時ここにも秋があると思いぬ自民党場所の行方は二横綱一大関に一前頭意外にも高市山が善戦し次期横綱の呼び声高し続々とカミングアウト、サナエラー隠れ高市山の告白原稿を書いてる暇があるのならテレビに出ろと安倍ちゃん言いきプレバトの俳句のレベル高き夜は酒もうまいしよく眠れるよドローンでスズメバチの巣掃討す殺人兵器ふと連想す
2021年09月26日
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100sHoneycom. wareはにかむ我。
2021年09月26日
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10ccI'm Not In Love使われている英単語は中学英語並みなのに、大人の恋愛心理の機微を歌って、なかなか難解な歌詞である。十代で初めて聴いた時、一発でこのサウンドに魅せられ、英語の勉強を兼ねて翻訳しようと試みたが、田舎の純朴な少年にはどういう状況設定なのか見当も付かず、全く歯が立たなかった。「お前の写真をまだ持ってはいるが、壁の汚いしみを隠すために貼ってあるだけだ」のくだりは、今聴くとディテールの描写として秀逸だし、当時も一応の意味は取れたが、心優しい少年には思いも至らない捨てぜりふだった。ほぼ実体験に基づいていると推察される。しばらく付き合った彼女に振られて相当な心のダメージを受けているのに、それをおくびにも出さない一見強気な若い男(売れてないミュージシャン?=自画像か)が、「そもそも愛してなんかいないんだ(お前の方から寄って来たんだろう、もともとなんとも思っていなかったんだ)」みたいに、強引に強がっている恨み節のような歌詞だと思う。イギリス男はプライドが高いと言われるが、全体的に強烈な上から目線であり、苦笑させられる。そんな(一歩踏み間違えればコミカルにもなりかねない)歌詞にもかかわらず、見事なメロディと歌唱、アレンジで未練たらたら・寂寞恋々であることをいかんなく裏切り示し(betray)ロック・バラードの名曲となった。西洋の男って、内心の核心はこういった感じなのかなとも思う。・・・それにしても、よほどの美女・イケメン、お嬢様・御曹司でもなければ、人類のほとんど誰もが経験する失恋という悲しい現象は、古今東西どの世でも詩歌の泉ないし発条(ばね)であると再確認できる。
2021年09月26日
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山下達郎希望という名の光ライヴ version* リンク先のユーチューブ動画は非公式だが、山下は自らのラジオ番組で公開を容認した上で「広く聴いてほしい」と明言しており、いわば「公認動画」である。タイトルは、名作戯曲『欲望という名の電車』を換骨奪胎したものと思われる。
2021年09月26日
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The CarsDrive
2021年09月26日
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西行(さいぎょう)ともすれば月すむ空にあくがるる 心のはてを知るよしもがな家集『山家集』ともすれば月の澄んでいる空に彷徨い出てゆく心の行きつく果てを知るすべがあればなあ。註あくがる:魂や心が、本来の場所(体、当時の認識としては「心臓」?)から「かる(離る・離れ出る)」こと。現代語「憧れる」の語源だが、今でいう「幽体離脱」のようなニュアンスが強い。「あく」は、「こと」「もの」「ところ」などを漠然と示す上古語の形式名詞という。「曰く=言ふ+あく」(言うことは、言うことには)、「思惑(思ふ+あく、思惑は当て字)」の造語成分として現代語にも残る。「見らく」「語らく」などの語もあった。
2021年09月25日
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赤染衛門(あかぞめえもん)やすらはで寝なましものを 小夜さよ更けてかたぶくまでの月を見しかな後拾遺ごしゅうい和歌集 680 / 小倉百人一首 59 (あなたがお見えにならないと分かっていれば)ためらわずに寝てしまえばよかったものを(来ないあなたを待ちわびながら とうとう)夜が更けて西に傾くまでの月を見てしまったのよ。註やすらふ:ためらう。躊躇する。ぐずぐずする。で:打消しの接続助詞。~しないで。寝なまし:寝てしまえばよかった。古語動詞「寝(ぬ)」の連用形「寝(ね)」+完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」+仮想・適当(~すればよかった)の助動詞「まし」の連体形。ものを:形式名詞「もの」に、接続助詞とも終助詞とも解し得る「を」がついた連語で、活用語の連体形に接続し、上の句を体言化して、悔恨、愛惜、不満などの気持ちを表わす。このまま現代語でも用いる。cf.)「あの時、ああしておけば良かったものを」。
2021年09月24日
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よみ人知らず木この間まより洩もりくる月のかげ見れば 心づくしの秋は来にけり古今和歌集 184木々の隙間から洩れてくる月の光を見れば物思いを尽くす秋が来たのだなあ。註心づくし:思いを尽くすこと。物思い、憂愁、メランコリー。現代語「心尽くし」とニュアンスはかなり違う。かげ(影):光。後世、「光が作り出す形」などのニュアンスを経て、現行の「陰、蔭」の意味が生じた。
2021年09月23日
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左京大夫顕輔(さきょうのだいぶあきすけ、藤原顕輔)秋風にたなびく雲のたえ間より もれいづる月のかげのさやけさ新古今和歌集 413 / 小倉百人一首 79秋風にたなびく雲の切れ間から洩れ出た月の光の澄みきったあざやかさ。註秋風に:「に」は原因・理由を表わす格助詞。秋風によって。秋風に吹かれて。たなびく:横に長く引いているさま。棚+引く。たえ間:絶えた間。切れ間。かげ:古語としては、ほとんど「光」の意味。さやけさ:形容詞「さやけし」(明るくくっきりしている)の語幹に接尾語「さ」がついて名詞化したもの。
2021年09月23日
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法然(ほうねん)月かげのいたらぬ里はなけれども 眺むる人の心にぞすむ浄土宗宗歌月光が届かない里はないけれどもまことの光はしみじみと見つめる人の心にこそ澄みわたっている。〔尊い阿弥陀如来の慈悲は全ての人に平等に注がれているけれどもそれを虚心に受け入れて見つめる人の心にこそ住んでおられるのだ。〕註浄土宗宗祖・法然上人の一首。道歌(どうか、思想・宗教観念などを表現した和歌)の類いだが、一個の作品として見ても、象徴主義的な隠喩を用いた秀歌であると思う。眺む(る):じっと見つめて物思いに耽ること。現代語「眺める」の語源だが、ニュアンスは異なる。「すむ」は「澄む」かと思うが、「住む」が掛けてあるとも思われる。■ 浄土宗ウェブサイト■ 木版画「法然上人 月かげ」
2021年09月23日
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坂本野原月を見て特に思いはなけれどもただ明るくてまろしと思う十五夜の丑三つ時に月見ればわが身ひとつのこの世であった衛星にすぎない月がこれほどの意味を持つとは脳の不可思議秋の夜にお月さまだと大はしゃぎしていた娘いまもほがらか北野さきに心酔したるわが妻は娘三人リケジョにしたり理系なら食いっぱぐれはないのよと文系われは一言もなし
2021年09月22日
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小林一茶(こばやし・いっさ)あの月を取つてくれろと泣く子かな『七番日記』(文化・文政時代、1810年代)註人口に膾炙した、一茶のほのぼの・しみじみとした代表作のひとつ。内容は明らかにユーモラスであり、やや川柳寄りかとも思うが、それほどカテゴリーにこだわる必要もないであろう。なお、初句を「名月を」とする別案も残されているので、この月が中秋の名月であることは疑いない。幼児は、しばしば些細なことで駄々をこねる。それをどこまで許すか。日本人はこれをかなりの程度まで許容し、むしろ微笑ましい・可愛らしいものとさえ感じる。この感性は、世界的に見て意外に珍しいことなのだという指摘がある。そういう意味では、この名句は、日本人の国民性の一端の機微を表現していると言えるかもしれない。ちなみに、今宵は「中秋の名月(十五夜)」だが、天文学上の望(ぼう、満月=太陽・地球・月がおおむね一直線上に並んだ状態)と、暦の上のいわゆる十五夜が一致することは、意外と稀なのだという。
2021年09月21日
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炭坑節月が出た出た 月が出た ヨイヨイ三池炭坑の上に出たあんまり煙突が高いのでさぞやお月さん 煙たかろサノヨイヨイ一山 二山 三山越え奥に咲いたる 八重つばきなんぼ色よく咲いたとてサマチャンが通わにゃ 徒あだの花あなたがその気で いうのなら思い切ります 別れますもとの娘の十八に返してくれたら 別れます晴れて添う日が来るまでは心一つ 身は二つ離れ離れの切なさに夢でサマチャンと 語りたい香春岳かわらだけから 見下ろせば伊田の竪坑たてこうが 真正面十二時下がりの サマチャンがゲージにもたれて 思案顔格子窓から 月がさすサマチャンの寝顔の 愛らしさ外した枕をすけさしょか思案なかばに 明けの鐘お札を枕に寝るよりも月が差し込む あばら家で主ぬしの腕かいなにほんのりとわたしゃ抱かれて 眠りたいたて杭ぐい 千尺二千尺下くだりゃ サマチャンのツルの音ままになるなら あの側で私も掘りたや 黒ダイヤ伯爵夫人となるよりも月の差し込むあばら家で主さんお庭で藁仕事わたしゃお側で 針仕事巻いた巻いた三十五函そこで選炭婦が苦労する棹取りゃ桟橋で花踊りウロウロするのは お役人ダイヤモンドがほしいなら一度来て見れ この鉱山へ男盛りのサマチャンが粋で掘り出す 黒ダイヤわたしのサマチャンとロを押す ヨイヨイわたしゃ選炭場でボタを選える見上げて見下ろす顔と顔にっこり笑うて 知らぬ顔サノヨイヨイ作詞者不詳 福岡県民謡
2021年09月21日
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野口雨情(のぐち・うじょう)証城寺の狸囃子証 証 証城寺証城寺の庭はツ ツ 月夜だ皆出て来い来い来い己等おいらの友達ア ぽんぽこぽんのぽん負けるな 負けるな和尚さんに負けるな来い 来い 来い 来い 来い 来皆出て 来い来い来い証 証 証城寺証城寺の萩はツ ツ 月夜に花盛り己等は浮かれて ぽんぽこぽんのぽん作曲:中山晋平『金の星』大正13年(1924)12月号* 初出の翌年1月に、作曲者の中山晋平が「証 証」「ツ ツ」「来い 来い」の繰り返しの部分を、外遊中だった作詞者・野口雨情に無断で増補改作して発表。帰国した野口は、笑って事後承諾したという。○ 「證誠寺(しょうじょうじ)」(千葉・木更津市)ウェブサイト萩の花
2021年09月21日
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野口雨情(のぐち・うじょう)十五夜お月さん十五夜お月さん 御機嫌さん 婆やは お暇いとま とりました十五夜お月さん 妹は 田舎へ 貰もられて ゆきました十五夜お月さん 母さんに も一度 あたしは 逢ひたいな作曲:本居長世児童雑誌『金の船』大正9年(1920)9月号 月見ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2021年09月21日
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阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)天あまの原ふりさけ見れば 春日かすがなる三笠の山に出いでし月かも古今和歌集 406 / 小倉百人一首 7天穹を遥か仰ぎ見れば故郷の春日の三笠の山に出ていた(のと同じ)月だなあ。註苗字の表記は「安倍」とも。遣唐使として唐に長らく滞在していた仲麻呂が、仲秋の名月を眺めながら望郷の念に堪えず詠んだ名歌。ふりさけ(振り放け)見る:はるかにふり仰ぎ見る。「振り」は「振り向く、振り返る」などのそれと同じ。「さく(放く・離く)」は「間を離す、遠くを見やる」などの意味の古語動詞。 月ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2021年09月21日
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大江千里(おおえのちさと)月見れば千々ちぢにものこそかなしけれ わが身ひとつの秋にはあらねど古今和歌集 193 / 小倉百人一首 23あの名月を見ていると限りなくもの思いが溢れてきて切ないなあ。私ひとりのために来た秋ではないけれどね。註平安朝の知識人・学者だった大江千里の、やや理屈っぽくて洗練された持ち味がよく出ている。月を見て物思いに耽っている自分のセンチメンタルな主観を、もう一人の冷静で客観的な自分が批評して(・・・茶化して、 あるいは照れて)いるような歌。・・・ひとりボケとツッコミみたいな(?)また、言外に「わが身ひとつの秋である」と言っているも同然とも解される。一種の恍惚・多幸感・エクスタシーである。こういった、明らかに読み取れる(頭の中の)観念性は、日本の伝統的な詩歌では概して好まれず、けなす人はボロクソにけなす。明治期の巨人・正岡子規はその筆頭である。なにしろ、ひと言で言えば「和歌」を「短歌」にした人である。その影響は深く現代に及んでおり、不詳わたくしもその主張を基本的には正しいと思っている一人である。・・・が、今の目で見ると、この一首の軽やかな観念性は全体としてそれほど嫌味ではなく、むしろ近代的な感性の秀歌と評していいであろう。「こそ・・・けれ」は、強調の係り結び。
2021年09月21日
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)児等こら病めば昼はえ喰はず 小夜さよ更けてひそかには喰ふこの梨の実をこほろぎのしとどに鳴ける真夜中に 喰ふ梨の実のつゆは垂りつつ歌集『くろ土』(大正10年・1921)子供たちが病やまいで臥せっている手前昼は食べられず清らかな夜が更けてからはひそかに食う。この梨の実を。秋の虫がはなはだしく鳴いている真夜中に食う梨の実のつゆは垂れつつあって。註こほろぎ:今でいうコオロギ類だけではなく、広く鳴く虫全般を指した古来の意味で用いていると見て間違いないだろう。しとどに:はなはだしく。したたかに。ひどく。やや被害的な感情を含意する。ここでは、秋の虫が「うるさいぐらいに」鳴いていて、その合唱と夜陰にまぎれて、といった意味合いか。垂り(つつ):現代語の動詞「垂れる」ではもちろんなく、中近世以降の「垂る」(下二段活用)でもなく、鎌倉時代頃までの、とりわけ(おそらく作者の意識としては)万葉時代(奈良時代)の上古語としての「垂る」(四段活用)の連用形なので、この形になる。一種の古拙(アルカイック)な素朴さと格調を醸し出している。私の印象では、牧水はこういった文法的な技巧に凝るのが好きで、かつ得意だったと思う。言葉に対して、今でいうマニアックな気質があったのだろう。詩歌人としては、なかなか幸福な資質である。
2021年09月19日
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久石譲Summer同 サウンドトラックヴァージョン映画『菊次郎の夏』予告編
2021年09月18日
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山上憶良(やまのうえのおくら)長歌瓜食はめば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲しぬはゆ いづくより 来たりしものそ 眼交まなかひに もとな掛かりて 安眠やすいし寝なさぬ反歌銀しろかねも金くがねも玉も何せむにまされる宝子にしかめやも万葉集 802-803(遠い赴任先で)瓜を食べれば、子供が思い出される。栗を食べれば、まして偲ばれる。いずこからやって来たものだろうか、面影がしきりに目の前にちらついて、熟睡できぬ。銀も金も珠玉もいったい何になるのだろうそれより遥かに勝っている宝の子供に及ぶだろうか(・・・いや、及ぶはずがない)。註万葉集、ひいては和歌史上屈指の名歌。「子宝」という語とともに永遠に銘記される。食(は)む:「食う」「食べる」の意味の上古語だが、短歌では現代でも用いる。(鳥が嘴で)「啄(ついば)む」(「突き・食む」の音便)、「蝕(むしば)む」(「虫・食む」)など動詞の造語成分として残存。眼交(まなかい):目と目の間。目の前。目(ま)のあたり。もとな:しきりに。やたらに。わけもなく。「根拠(もと)無く」の意。しかめやも:反語的疑問形。強い否定と詠嘆のニュアンス。「若(し)く(及ぶ)」+推量の「む」(だろう)+疑問の「や」+詠嘆の「も」。【原文(万葉仮名)】宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯弖斯農波由 伊豆久欲利 枳多利斯物能曽 麻奈迦比爾 母等奈可可利提 夜周伊斯奈佐農 銀母 金母玉母 奈爾世武爾 麻佐禮留多可良 古爾斯迦米夜母 マクワウリ アジウリ クリウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2021年09月15日
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坂本野原梨食はめば近所の寺の鐘が鳴る祖先帰ると告ぐることぶれ果物は多しといえど照り映える望月のごと まんまるな梨半年の光合成を経て実る甘きくだもの ありがたきかな梨の実はうまいが梨のジュースだとうまくないのはなぜなんだろう弥生人、米と一緒に持ち来たる梨は最も古き果物宇都宮わがふるさとは有数の梨の産地とひそかに誇る
2021年09月15日
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坂本野原新妻と生中継で見し恐怖2001年9月凶日主義主張あるとするならその主義は間違っている 頭おかしいアフガンに介入せしはやむを得ぬ撤退するも正しかるらむアメリカは7000人の若者を犠牲にしたりアフガニスタンアフガンは悲惨なれどもこれをしも民族自決というか処置なし強面こわもての茂木敏充外相に任せるほかに方法はなし
2021年09月12日
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坂本野原楽しきも悲しきことも多すぎてこの世の中は目まぐるしかりシナリオを書いた人とはほかならぬ総理ならずや黒幕として一粒の麦うずもれてたわわなる実りとなると救世主メシアは言えり自民党明治維新は菅さんの贈り物なるルネサンスなりけむに巻く話術も含めしゃべれるぞなかなかやるぞ高市早苗第五次の安倍内閣へつなぎでもあるが本格政権である安倍ちゃんの体調戻り笑う日がきっと来るはず復帰を望む徳島の「いのたに」というラーメン屋 安倍氏の「美味」というサインあり野田さんはなんで出るのともっともな疑問なりけり松本人志糟糠の妻を捨てたといわれても男の宿痾 鬼龍院翔カーリング美しすぎて楽しんで見ているうちに 下半身のばか
2021年09月12日
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坂本野原『青天を衝け』がいよいよ面白く先進が保守、保守は先進近代と資本主義とをもたらした渋沢翁の青春よ愛はし維新とはブルジョア革命なりという左翼の定義 それでいいです明治期は文明開化、令和期は女性開花の日本にっぽんである世界への発信となる立候補すでに意義あり高市早苗安倍ちゃんの名代みょうだいとして今回は顔見世でいい高市早苗ほかならぬ早苗氏だからいいんだよ 母の笑顔の人懐っこさ岸田氏に結局決まりそうだけど神輿みこし揉み合い祭りだわっしょいいけるんじゃないか かなりのところまで 爪痕残す戦い望む菅さんはいい人だった 大将としてはいい人すぎたけれどね社員スタッフに美人が多い日テレの菅原薫解説委員
2021年09月11日
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坂本野原ギリシャ語のアルファベットのおさらいかアルファ、ベータ、ガンマ、デルタ秋桜コスモスの育つがごとく接種率ぐんぐん伸びてやがて花咲くワクチンを打ちたくないという人もそれぞれなれど集団免疫遠からずインフルエンザ感覚になるのだという科学を信ず昔から注射が好きで大騒ぎしたり泣いたりみんなおかしき
2021年09月10日
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作者未詳少女をとめらにゆきあひの早稲わせを 刈る時になりにけらしも萩はぎの花咲く万葉集 2117乙女たちに行き会うように夏と秋が行き合う早稲を刈る時になったらしいなあ。萩の花が可憐に咲いた。註少女をとめらに:「ゆきあひ」にかかる枕詞(まくらことば)。「乙女たちに行き会う」というイメージを含意する。行ゆきあひ:隣り合う二つの季節が行き合うような季節の変わり目。特に夏から秋についていう。短歌表現では現代でもよく使われる。この歌にエロティックなニュアンスがあるのかと問われれば、否定できないように思う。ふと、萩の花から『赤いスイートピー』(松田聖子)を連想してしまった。どちらも同じマメ科植物で、花も酷似しているし。作詞者・松本隆氏は明言していないが、「心の岸辺に咲いた赤いスイートピー」とは、ほぼ間違いなく、心身ともに結ばれた「初夜」の象徴的表現であろう。平均寿命がせいぜい30歳だったといわれる万葉時代(奈良時代)、男女とも今から見れば早熟で、皆いわば生き急いでいた。
2021年09月10日
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よみ人知らずきのふこそ早苗とりしか いつのまに稲葉そよぎて秋風の吹く古今和歌集 172ついきのう早苗を取って植えたのだったが稲葉をそよがせて秋風が吹いているのはいつからだろう。註「こそ・・・しか」は強調の係り結び。「しか」は過去の助動詞「き」の已然形(すでに終った動作を示す活用形)で、疑問形ではない。逆に下(しも)の句は「か」や「や」が省略されているが、「いつ」があるので疑問の意味。 田ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2021年09月10日
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作者未詳影草かげくさの生おひたる屋外やどの夕陰に 鳴く蟋蟀こほろぎは聞けど飽かぬかも万葉集 2159影草の生えている庭先の夕陰に鳴く虫の音はいくら聞いても聞き飽きないなあ。註作者未詳:初の勅撰和歌集である古今和歌集以降では、「よみ人知らず」(古今集撰者・紀貫之らの造語か)と言うようになったが、万葉集では一般にこう呼ぶ。蟋蟀こほろぎ:中世以前には、セミなども含む鳴く昆虫の総称だったという。今でいうコオロギは、古語では「きりぎりす」と言った。今でいうキリギリスは、古語では「機織(はたをり)」。江戸時代前期の松尾芭蕉の名句「あはれやな甲かぶとの下のきりぎりす」も、コオロギのこと。 鳥居清広 浮世絵(作品名不詳) 江戸時代ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2021年09月10日
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坂本野原チャルメラに卵を入れて茹でて食う良くも悪くも昔は良かった膝当てのパッチ消えてもおじさんは屋台を曳いてチャルメラを吹く人呼んですずねこという黒猫はもうこの世にはいないだろうな口に合わぬサッポロ一番 隠し味深き味わい複雑すぎる醤油、味噌、塩すらだめで人生で一度たりとも納得せざりわが舌が馬鹿なのだろう袋麺分野で首位のサッポロごめんトーストに挟むマルシンハンバーグ ケチャップかけて昭和空腹あまたある高級レトルトハンバーグあえて無視してマルシンを買う揚夫人マダムヤン今はもうないライバルの中華三昧今もあるなり昔あり今はないもの広島のナガイのアポロなるパン 有吉深更の生のラジオでリスナーと探る森永カリンチョ 設楽
2021年09月06日
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伊丹十三監督『タンポポ』挿話(通称)「最後のチャーハン」井川比佐志 三田和代同 英語字幕入り「タンポポで最も悲しいシーン」映画全体の本筋とは別の、わずか4分間のシーンだが、深く心に残る。世界映画史に残るといっていいのではないか。井川比佐志、三田和代の鬼気迫るほどの入神の演技に加え、せりふのない子役の動きまで、ほぼ完璧である。涙止めえず。唯一、臨終を告げる医者役の演技が上手くないと思っていたのだが、医者も人間である。手立ては尽くした。精一杯やった。礼も尽くした。もう帰りたいよという気分を表現していて、これはこれでいいのだと思い直した。映画好きであれば直ちに気づくことだが、このシーンは巨匠・小津安二郎監督の代表作で、日本映画屈指の名作『東京物語』で母親が亡くなるシーンへのオマージュと挑戦が入っているのだろう。そこで大声を立てて泣くのは、大女優・杉村春子だったが、(・・・これがまた、書けば若干長くなるのだが、書いてしまおうか。当時のこととて、割と優しいけれどもやはり威張っている父親に忍従気味の古いタイプの母親に反発して、手に職をつけて自立して、今は天下の大東京で美容院の経営者として成功している長女・杉村は映画の初めから母親にクールでドライで冷笑的な言動を繰り返す。見事な脚本と演出を得て、歴史的演技派大女優の面目躍如の独壇場である。母親の危篤に際しても、ますますそのドライな怜悧さは冴えわたる。女って、女に対してこうだよなと、いちいち思い当たって男は苦笑する。ところがそれが、長大な伏線であったと気づくのが、くだんの母親の臨終シーンであり、この瞬時、魂の叫びのように杉村春子が泣き崩れる。「ああっ」という声だったか。そしてすべての伏線が回収されたのである。脚本・監督のたくらみであり、ドラマツルギー・作劇の見本であると思う)この長女役の子役の泣き声は、それに勝るとも劣らないと思う。長男役の子役もいい。母の死を目前にして茫然としつつ父の命に従い、その最期のチャーハンを黙々と食う。かなしみは、やがてじわじわと後から襲ってくるだろう。かなしい。
2021年09月05日
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ヨハン・セバスティアン・バッハピアノ(チェンバロ/ハープシコード)協奏曲第1番 二短調BWV1052 第3楽章 アレグロJ.S.BACHHarpsichord Concerto in D MinorBWV1052 III. Allegroハーウォン・チャン(ピアノ)ロベルト・スタンコフスキー指揮カメラータ・カッソヴィア
2021年09月05日
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坂本野原さすがに菅氏すがすがし秋の野の花よりもなお菅はまた夏のなごりをいかにとかせむ自民党、衆院選で勝てる目が出いでて奇跡のどんでん返しタイミングさすがに菅氏すがすがし敵を欺くには味方から悪あがき、往生際と言われつつ辞める着地は金メダリスト切腹の前はぐずぐずするものだ昔の偉い武将でさえも日本のいちばん長い日の夜の阿南惟幾陸軍大臣引導は小泉環境大臣が泣いて渡して 出来すぎである澎湃と同情論も巻き起こる 誰がやっても大変でした安倍ちゃんが凄すぎるからどうしてもこうなっちゃうねお気の毒さま後継は三羽烏の三国志 それにつけても高市早苗頼むから花を持たせてやってくれ俺は惚れてる高市早苗自由民主党総裁選挙党員党友投票用紙(平成21年・2009)
2021年09月04日
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Earth, Wind & FireSeptember
2021年09月03日
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慈円(じえん)夏衣なつごろもかたへ涼しくなりぬなり 夜や更けぬらむゆきあひの空新古今和歌集 282ふと気づいてみると夏衣のかたわらは涼しくなっていた。もう夜も更けたのだろうか。夏と秋が行き交かっている空の気配。註かたへ:この場合は「かたわら、そば、周り」の意味か。文脈によっては「片方、一方、一部分」の意味になることもある。ゆきあひ:行き交い、すれ違うこと。短歌では現代でもしばしば使われる語。季節の変わり目、とりわけ夏から秋についていう。現在の知見では、季節の変化は気圧や前線の移動(北上・南下等)などで説明・理解されるが、前近代の認識では、空に大いなる「風の道」のようなものがあって、行く季節と来る季節が行き合う(すれ違う)というイメージで捉えられていた。これはこれで、ファンタスティックで「いとをかし(すてき)」な感性かもしれない。 着物 浴衣ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2021年09月02日
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Minnie RipertonLes Fleursデビューアルバム『カム・トゥ・マイ・ガーデン』の劈頭を飾った佳品で、天真爛漫なイノセンス(純真無垢さ)とともに、独特のアンニュイ(気だるさ、個人的にはアートの重要感覚と思う)を感じさせる才気と歌唱力があるが、全体的になんとなくリズム感(キレ)が悪く、明らかにまだ粗削りである。このアルバム自体は全く売れなかったというが、巨人スティーヴィー・ワンダーがその天賦の才を認め、彼女はのちに大輪の花を咲かせることになる。なお、タイトルのフランス語「Les Fleurs(レ・フルール)」は、英語でいえば「The Flowers(花々)」。
2021年09月02日
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Salyuコルテオ~行列~地上に舞い降りた天女が歌う神曲。・・・ただ、曲名がやや意識高杉君でなんだかわけが分からないところがしいて言えば唯一の難点か
2021年09月02日
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坂本野原池袋暴走事故よ 老醜のかくも無残に飯塚被告分からない分かりたくない頑なな死にぞこないの胸中なんて哲学者カントは言えり論理とは普遍的ならざるべからず論理性、頭の良さの使い道たがえひたすら自己正当化アクセルとブレーキ系の混線はあり得ませんとトヨタ自動車悪は悪の顔ではなくてちょっと見は知的な顔の紳士に潜む鉄格子冷たき冬の刑務所に独り死すべし としか言えない遺された松永さんの澄んだ目に諦念あきらめ浮かび涙止めえず
2021年09月01日
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