UC愛唱歌『信仰の翼』

UC愛唱歌『信仰の翼』

2009.06.11
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「愛は誰でも手が届くところになっている果物である」.jpg



愛はマザー・テレサのこの言葉のように誰にも手が届くところになっている果物であるということを少しずつでも感じ取れる人生になれたらと心から感じるこのごろです。

そしてそのようになって行けることが何よりも神様が願われる私達の本当の天国を作ることなのではと最近よく感じることがあります。

その尊い愛が身近にあり、湧き水にように・・・あるいは空気のように・・・毎日毎日一部始終与えれているにも関らず、気が付かなかったのが私の人生であり生き方であったのでしょう・・・

今まで空気のように何不自由なく与えて下さり私を生かして下さる神様・・・そして私の周りの多くの人たち、協力者、兄弟姉妹にその溢れんばかりの愛があまりにも身に染みてきてこの熱い思いを抑える術をすべて失ってしまった私なのです。

そしてあまりにも大きな深い果てしない愛に気が付き、愛にぶつかり、その衝撃の大きさにいくら感謝しても感謝しても到底届かないあるか彼方の大きな愛に・・・あまりにも申し訳なく、お詫びをしながらの毎日なのです。

このことに気が付いた衝撃の大きさに、今までの人生のへの不満がなんと愚かなものであったか・・・

今まで私の心の中にいて悪臭を放っていた不満が激しく音を立てて蒸発して消え去って行くのを身に染みる思いで感じて行く、これからの私の人生であり、もうそのように行くしか私の見える道はないのです。

その不満そのものに・・・その正体のわからないものに踊らされ操られて来てしまいました。



あまりにもの大きな過ちにどのように本当にお詫びと謝罪を持って迎えていったら良いのか・・・

その解決の道を訓読書を頼りに道しるべを探すための繰り返しの毎日なのです。

こんなにも溢れんばかりの愛が、本当に2本当に!本当に!・・・手の届くところにあったのです。

この悟りでもう今までの人生・・・そしてこれからの人生を染めきってしまいたいという私の心のエンジンが全開で止まらないのです。

気が付けばこの膨大な愛に一つ一つに感謝を込めて行っても、感謝する私がまだあまりにも未熟なので足りないくらいです。

しかし、時間と人生はあまりにも短かく待っていてはくれません。

時間を本当に有効に使う為にも神様は私が求めれば語り・・・さらに災いを通しても教えられようとされています。

災いがあれば不満と恨みを持ってしまった私が何と器が足りなかったのでしょうか・・・

すべてに感謝して感謝しても追いつかない大きな神様からの愛なのに・・・必死な感謝だけで人生が終わってしまうほど時間がないのに、不満なんてどこに入り込むことがありえましょうか・・・

どんな環境、人間関係の中にあっても『愛は一年中が旬で、誰でも手が届くところになっている果物である』という心の目を持ちながら、トトロの『歩こう!』を唄いながら真っ直ぐに歩んで行こうと思います。

マザー・テレサにはどのような環境化にあっても変わらない心の目があったと感じます。



為に生きる(実質は私は教えられ、救われるしかない)からこそ・・・

もう感謝でしかマザー・テレサの道にはなかったのでしょう。






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最終更新日  2009.06.11 13:12:30


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