太っ腹母ちゃんのボコボコ日記

太っ腹母ちゃんのボコボコ日記

遠い海・3

 次の日の朝、先生は教室に入って、思わず息をのんだ。
 三人の少年が、アンを取り囲んでいる。
「あなたたち、何をしているの」
 先生の声に二人は、自分の席にかけ戻った。しかし、体の大きいボブは、まだアンの前に立っていた。
 アンは青い顔をして、唇をかんでいる。
「ボブ。どういう事なの」
「先生」
 ボブは、先生を見上げて得意そうな顔をした。そしてアンを指さして言った。
「こいつ、今日の朝、海の方に行ってたんだ。おれ、見たんだ。先生の言いつけ、守らなかったんだ」
 アンはうつむいて、体をふるわせている。先生は、ちらっとアンを見てから、生徒達に言った。
「わかりました。そのことは、後でアンに聞きます。席に着きなさい。授業を始めますよ」

 遠巻きに見ていた子ども達がパラパラと席に着いた。
 赤い顔をして、鼻をふくらませていたボブも、フン、と鼻を鳴らして自分の席に戻った。
 アンだけが、今にも倒れそうになりながら立っている。
 先生はアンの肩に手を置いて、
「さ、あなたも席に着くのよ」
と言った。
 アンは小さくうなずくと、自分の椅子に座った。
 一日の授業がすんでしまうまで、アンはうつむいて、黙っていた。


「アン」
 二人きりになった教室で、先生は口を開いた。
「ボブの言っていた事は、本当なの?」
 アンはうつむいたままだった。
 先生はため息をついて、アンの握りしめた両手を見つめた。
 静まりかえった時間が過ぎていく。
 二人とも気が遠くなりそうだと感じた時、おずおずとアンが話し始めた。
「先生。あたし、今朝、海岸の近くまで行きました」
 先生の両まゆがきゅっ、と寄り、目も細くなった。
 アンは、顔をあげて先生を見ると、細いかすれた声で言った。
「でも、先生の言いつけを破るつもりじゃなかったの。約束してたの」
 先生は、一度深呼吸をした。
 すると、眉の間が少し開いた。
「誰と約束してたの」
 アンは先生の顔を見つめた。そして、口を開きかけて、また結んだ。

「アン、話してちょうだい。誰にも言わないわ。約束するから」
 そう言って、先生はアンの両手を自分の両手で包み込んだ。
 アンは、その両手にしばらく目を落としていた。そして、ゆっくりと顔をあげて、先生の目を見つめた。
「あたしの言うこと、信じてくれる?」
「ええ」
 先生の手に力がこもる。
 アンは、ほっ、と一つ息をつくと話を続けた。
「あたし、人魚に会ったの」
 ごくり、とのどの鳴る音がした。
 先生はだまっている。

「毎朝、海の方から声が聞こえるの。ずっとなんだろうって思ってたの。
この間、学校を休んだ日。
ボブにいじめられて、落ち込んでた時、いつもよりはっきり声が聞こえたの。
アンって、呼ばれたと思った。だから、海に行ったの。
そしたら、人魚がいたの」
 話しているうちに、アンの頬はだんだんと赤くなってきた。
 伏せがちだった目は、大きく見開かれて生き生きとしている。
「あたし、人魚と約束したの。毎日会いに来るって」
 先生はアンの両手をしっかりと包んだまま、じっとアンの顔を見つめていた。先生にはもアンが嘘をついているようには見えなかった。

―― では、人魚は本当にいるのかしら。夢を見たのじゃないかしら。

と、先生は思った。
「それで、今朝、人魚に会えたの?」
 アンはかぶりを振った。
「途中でボブに見つかったから……」
「アン、もしよかったら、私も人魚に合わせてくれないかしら」
 アンは、パッと顔をあげた。両目は真ん丸になっている。
「先生、本当にあたしのこと信じてくれたのね? きっとね、先生なら、人魚も会ってくれるよ。だって、人魚はきっと優しい人がわかるんだから」
 先生は、困ったような顔でアンを見つめた。
 アンは首をかしげて、
「どうしたの、先生」
と、聞いた。
「ううん、何でもないのよ」
 アンは、それを聞くとうれしそうにほほ笑んで、
「じゃあ、先生、今から行きましょう」
と言った。


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