音楽三昧+α

音楽三昧+α

2016.04.09
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カテゴリ: J-ポップ
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4月9日は黒沢明(歌手(ロス・プリモス))(74歳)の命日(2009年)
 黒沢明(くろさわ あきら、1934年5月30日 - 2009年4月9日)は、ロス・プリモスの初代リーダー。1980年に病気のため活動を休止し、入院中は作詞に専念していた。映画監督の黒澤明とは別人。

魅惑のムード歌謡ベスト・ヒット〜ラブユー東京
 昭和の時代から語り継がれてきたムード歌謡ベスト・ヒット集
 東京ロマンチカを中心とする「ムード歌謡集」が出た時、筆者は「ムード歌謡は隠花植物だ」と述べた。華やかではないが、長い問したたかに生きる花という意味だ。顕花植物は一瞬のきらめきを楽しめるが「花の命は短くて」である。一方ムード歌謡は、それをリアル・タイムで聴いたものにとっては、いつまでも心の隅っこに淀んでいる。それが折に触れ鼻歌になって流れ出る。このアルバムは昭和40年代に日本クラウンが生んだムード歌謡の傑作が収録されている。昭和39年、日本コロムビアに反旗を翻した伊藤正憲たちが設立した日本クラウンは、優秀な制作者が伊藤を慕って移籍したために、歌謡曲の分野で抜群の力を持っていたコロムビアのカラーが移植された。しかし同じものを作れるか、という新興会社としての気負いがあったに違いない。またその頃、外国ポップスが次第に大衆音楽の中に浸透し始めていた。歌謡曲に安住してはいられないという危機感も制作者にはあったろう。ここで伊藤正憲が創業に際して語った名言が生きてくる。「ウチはゲタ屋。だから靴は売らない。ただしサンダルは別だ」。「よし、サンダルを作ろう!」という意気込みがムード歌謡の名作を次々と生んだ要因ではないか。歌謡曲とポップスの混血から新しい歌を作り出したら新しい何かが生まれるのではないか・・・。タレント選びもその線に添った。青春歌謡のホープとして期待されながら目が出ない美川憲一に与えた「柳ヶ瀬ブルース」は無論ポップスではない。「歌謡曲なんか歌えるか」と美川が憤然としたというエピソードが残っている。「ムード歌謡コーラス」の道を開いた黒沢明とロス・プリモスにしても、昭和30年代後半に銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」のステージで丸山明宏(現在の美輪明宏)と並んで演奏していたラテン・コーラスだったのである。このグループの特色は、クール・ファイブが前川清のアクの強い個性を表面に出していたのとは正反対。リード・ヴォーカルの音色はあくまでも甘く、聴き手はそれが醸し出すムードでつつんだ“泣かせる"歌詩に酔うことが出来た。斉条史朗の夜の銀狐だって「ソウル・デ・ラ・ノーチェ」という洒落た言い回しをうまく生かして夜のムード歌謡に作り上げた。まさに上等の「サンダル」の誕生ではないか!因に緑川アコの「夢は夜ひらく」は「怨歌」の代表作ともてはやされる藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」より4年も先にリリースされている。こちらはムード歌謡に徹したために目立たなかっただけなのである。(伊奈一男)
 ラブユー東京(黒沢明とロス・プリモス)
 雨の銀座(黒沢明とロス・プリモス)
 柳ヶ瀬ブルース(美川憲一)
 釧路の夜(美川憲一)
 ふりむいてもくれない(朝丘雪路)
 夜の銀狐(斉条史朗)
 夢は夜ひらく(緑川アコ)
 生命のブルース(黒沢明とロス・プリモス)
 たそがれの銀座(黒沢明とロス・プリモス)
 さようならは五つのひらがな(黒沢明とロス・プリモス)
 宗右衛門町ブルース(平和勝次とダークホース)
 長崎の夜はむらさき(瀬川瑛子)
 意気地なし(森雄二とサザンクロス)
 足手まとい(森雄二とサザンクロス)
 新潟ブルース(美川憲一)
 さそり座の女(美川憲一)
 CROWN(日本クラウン) FRCL-40068
 購入年月日:1998年12月10日(CDクラブ)





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Last updated  2016.04.09 05:34:07 コメントを書く


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