さくらの小部屋~ひだまり~

さくらの小部屋~ひだまり~

誕生~学生時代



昭和ン年(内緒)の春、3人姉妹の次女として生を受ける。
3300gの大きな赤ん坊だったがへその緒が絡まった状態でチアノーゼ。
医師の処置によりようやくため息のような産声をあげる。
出のよすぎる母乳にむせて飲みたがらず、ほとんど人口乳で成長。


幼稚園年中より入園。
好き嫌いが激しく、鶏肉は好きだったがその他の肉魚は大嫌い。
加工したもの(ハンバーグなど)ならOKでしたが・・・
そのくせ図体はかなり大きい方で背の順に並ぶと一番後ろでした。
独活の大木…と言う言葉をよく言われました。
しょっちゅう熱を出して園をお休みばかりしてて、
2年間で半分も通えなかったそうです。

年長の頃、姉の自転車の後ろから落ちて右鎖骨骨折。
泣きながら自宅に戻ったが「さくらはいつも大げさに泣くから」と
母に放置された・・・( ̄▽ ̄;)!!ガーン
確かにこの頃妹が生まれ、気を引きたくていつも泣いてばかりいたっけ。
翌日の夕方にようやく病院に連れて行ってもらう。
骨折してから24時間以上経過してた・・・


小学校に上がった頃、膝の関節を中心に痛みがあり
母が町医者に連れて行ってくれた。
膝以外にも手首・ひじ・肩など、出現箇所はまちまちでした。
「骨と筋肉の成長がかみ合わずに痛みがある。成長とともに改善する」
との診断だった。


小学5年生の冬、右下腹に痛み。
母に痛みを訴えるも「様子を見なさい」と放置(^^ゞ
しかし夜中に耐えられずうずくまるほどになり冷や汗が…
盲腸でした。
でも病院に連れて行ってもらったのは翌日。
夜中にも「明日まで様子を見なさい」と言われた私(;´д`)とほほ

すぐ受診をしなかったけれど、さほどひどい状態ではなく
担当医師より「女の子だから手術せず散らしましょう」と言われました。
一週間ほど入院してその半分は絶食でした。
辛くたいくつな思いをして、完治したと思っていましたが
この「不要な臓物」が今でも時折私を困らせます・・・


中学生の頃、原因不明の熱が1ヶ月以上続いた。
思い起こしてみると大して辛い症状ではなかった。(熱慣れしてる為)
でも学校が面白くなかったから行きたくなくて親に申告した気がする。
近所の内科医にて投薬・レントゲンなど色々やってみたが原因はわからなかった。
その後何度も同じような発熱があったけれど、どうにもならないと学習したので
ほとんど病院には行かなかった。


さて、慢性の関節痛ですが・・・
小学校6年で160cmになり、中学で成長がとまってからも痛みは続き
高校に入ってから特に膝に痛みが走るようになりました。
そして今もお世話になっているT医院へ。

しばらく電気や牽引などの治療をしたが効果が見られず
「膝内障(しつないしょう)」との診断が出て
別の大きな病院を紹介された。でも「手術する」と言われた私は
怖くなってトンズラ(。・w・。 ) ププッ

いや、正確には手術してもその後遺症で痛みがある人を多く知っている。
別の理由だけど、高校時代の友人で今も仲良くさせてもらってるC子も
バレーの試合中に膝のお皿を損傷。手術しているが、季節の変わり目や寒い時に痛むそう。
今まで10年ほど我慢できていたんだから、今急いで手術しなくても…
と言うのが私の意見で母も同意してくれた。

あとから調べたら「膝内障」というのは便宜上の病名で、実際はないそうです。
原因不明のひざの病気を総称してそう呼ぶとか・・・
紹介状を捨てて放置してしまった負い目もあり、その後痛みは我慢してた私。


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