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原発事故、放射能汚染のことをまだまだ書きたいのですが、いつもそればっかりなので今日は小休止です。たまには忘れることも必要ですからね(;^ω^)。でも、多分忘れないけど・・・。奈良県御所市の秋津遺跡で、縄文時代晩期後半(2800~2500年前)の遺構面からノコギリクワガタがほぼ完全な状態で見つかったそうです。大アゴから脚までそろった出土例は珍しく、「当時の環境復元に役立つ貴重な発見、DNA解析ができれば現生種との比較も可能」と期待しています。ノコギリクワガタは体長約6センチのオスで、川跡沿いのアカガシの木の根元に付着した泥の中から発見されました。大雨で流れた土砂に埋まるなどして、空気に触れない状態で保存されたとみられます。特徴のある大アゴや鋭い爪先などの外形は現生種と同じで、一部に体毛も残っていたそうです。私は歴史が苦手ですが、こんな昔からノコギリクワガタが生存していたんですね。形も今のノコギリクワガタと遜色無いので驚いています。今日も暑いですが、もう少しするとムシの季節がやってきますね。私も以前はネイチャーレッドなんてものに変身して、昆虫採集に出かけたものです。でも、一生懸命採ってきても子供達が相手してくれなくなったので、一昨年あたりで引退しました。木の蜜を吸うカブトムシやクワガタムシを見つけると、心がワクワクするんですけどね・・・。日本では昆虫飼育やブリードを行う人がたくさんいますが、実は、アメリカでは恐ろしくマイナーな行為だそうです。「夏休みに子供が虫捕り網とカゴ持って野山を駆け回る」なんて光景、アメリカではまず見ません。当然、ペットショップに昆虫などいないし、珍しいカブトやクワガタが高値で取引されるなんて話も聞かないそうです。 昆虫を観察することで、子供は命の大切さや自然の不思議を学べると思うのですが、それをアメリカ人に言っても「ペットなら犬やネコを飼えよ」「虫? 瞬時につぶす対象でしかないね」と言われるだけのようです。どうやら「昆虫飼育」がこれほど浸透してる日本のほうが、世界からみると“変わり種”のようですね。ドイツ気象台の明日26日の放射能拡散予測ですが、放射性物質は東東北地方を中心に関東南部まで広がる見込みです。※予測は一定量の放射性物質が福島第1原発から放出されたと仮定し、濃度の違いを色の濃さで相対的に示したもの。現実の放射性物質の濃度を示すものではないです。さて続きです。まだまだ書き足りないことはたくさんあるのですが、震災から1ヶ月経ち、緊迫した震度6強の余震の状況も書きましたので、みっちゃん震災記録は今回で最終回とさせて頂きます。震災録が終わったらブログを閉める話は実行する気持ちに変わりは無いですが、原発問題がこの状況ですので、どうしようか悩んでいます。【4月12日(震災から32日後)】昨日は、東日本大震災発生から1カ月経った日でしたが、夕方ぐらいに福島を震源とする震度6の余震・・・夜には茨城県で震度5の余震、今日は朝から長野県、千葉県で震度5と立て続けに大きめの余震が来ています。まだまだ続くぞと言わんばかりの地震ですね・・・。昨日、今日と立て続けに大きい余震が起こったので、本日12日再開予定のJRがどうなるか分かりません。朝方の地震で起きたので、JRの運行状況を確認すると、午前4時ごろの発表では、本日運休との記載がありました。しかし、5時過ぎに確認すると、私の最寄り駅を含む区間の運行を行うと変わっていました。おそらくJR内でも、大きい余震が頻発に起きているので安全を重視して運休にした方が良いとする案と、学校なども始まってきているので、社会への影響を考えると運行した方が良いという案がぶつかり合っていたため、朝まで結論が出なかったんだと思います。公表どおり電車が動いていることを信じて最寄駅に行きました。この駅に来るのは本当1ヶ月ぶりです。またひとつ普通の生活に戻ったような気がして気分が良いですね。電車が動いていることを知らない人が多いのか、人はかなり少なかったです。ホームに立つと、遠くに電車が見えました。ついに、この路線に電車が走る日が来たかと思うと嬉しかったです。あの死にそうになって通勤していた光景が走馬灯のようによみがえります(笑)。走っている電車を携帯で撮ろうとホームで待ち構えていると、あの聞き慣れた携帯の緊急地震速報の音がホームのいたるところで鳴り始めました。軽いめまいがする感じの地震でしたが、電車の来る方向を振り返ると、案の定、電車は駅まで来ずに遠くでで立ち往生しています。まさか、今日も電車に乗らず終まいかと思いましたが、5分ほどして電車はやっと動き始めました。車内は節電で、社内の明かり、空調は止まっていましたが、再度地震で止まることは無く無事仙台に到着しました。やはり電車は便利だし楽ですね。この日は、午後にまた福島で震度6の余震がありましたが、帰りの電車は遅れているものの動いていて、なんとか帰ることができました。4月12日以降は、時折震度1から5ぐらいの余震は起こっているものの、復興作業にダメージを与えるような余震は起きていないため、インフラはかなり復旧しました。私は原発問題のことを考えなければ、電車が臨時ダイヤで少ない以外は、震災前の状態にほとんど戻っています。このまま大きな余震も無く、原発問題も収束して、避難所生活をされている方、放射能汚染から避難されている方など、全ての方が震災前の生活に戻れることを祈ります。最後になりますが、今回の震災で犠牲になった方々にご冥福をお祈り致します。------------------------【追記】55回にわたって書いた震災録ですが、いかがだったでしょうか。震災直後は、緊迫した内容も結構ありましたが、それ以降は私の行動ばかり紹介して、あまり役に立つ内容ではありませんでした。それでも社会が日に日に復旧していく様は表現できていたのではと思います。皆さんご存知のように、今回の震災は地震というよりは津波の被害が甚大で、多くの方が犠牲になりました。私の場合、沿岸部の町に住みながらも、津波によって家や家族を失うことも無く、今は震災前とほとんど変わらない生活を送れています。もしかしたら、私のような者が震災録なんてものを書く自体間違っているのかもしれませんが、アウトドアも知らないおやち”が、震災に遭って、どのような行動、工夫をしたか、どんなものが必要と感じたかなど、震災を経験していない方には、少しは参考になったかもしれませんね。それでも、いまだに10万人以上の方が避難所生活をしている事実があります。家や家族を無くし、職まで失った方も多いことでしょう。津波の被害を受けた町は、お世辞にも復興開始と言える状況まで達していません。がれきの撤去だけでも1年以上はかかるのではないでしょうか。がれき撤去後、国、県、市町村が一体となり、区画整理を行って、ライフライン、インフラを整備することにより、初めて街作りが行えます。それを行えるようになるには、早くても3~5年ぐらいはかかるかもしれませんね。そもそも、また人が住めるように整備したとしても、現在避難されている方々が本当に自分の住んでいた町に戻ってくるのかも分かりません。津波で、あれだけ恐ろしい思いをして、また同じ場所に住もうと思っている方はどれぐらいいるのでしょうか。震災に拍車をかけるように原発問題がいまだ続いており、放射能汚染が確実に広まりつつあります。国が全く動かない今、私はどう行動してよいのか正直分かりません。あの震災から生き残った命を、今度は被曝という災いが襲ってきています。そんな中、今私のできることは何だろうと自問自答する日々が続いています・・・。すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年05月25日
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今週末に楽天の本拠地Kスタで阪神戦があるため、日本シリーズの前哨戦?として見に行こうかと思いましたが、最近のあまりに不甲斐ない負けっぷりと天候があまり良く無さそうなので止めることにしました。屋外で雨が降っての野球観戦は、放射能汚染が気になりますからね・・・。そんなことを世間で言うと変わり者扱いされるのでしょうが、私は子供達の安全を最優先にしていますから・・・。本当は、最近屋外で思いっきり遊ばせていないので、子供達の気分転換に見に行きたいのが本音なんですけどね。早く原発問題が収束してくれれば、こんなことを考える必要も無いのですが、まだまだこの状況は続きそうです。週刊現代のスクープ記事とやらで、東京電力の幹部が「社内討議用」として作成した一通の文書が紹介されています。以下、一部抜粋です。 文書のタイトルは、「福島第一原子力発電所安定化に向けた被ばく管理について」とされ、【重要】と付記されている。〈福島第一原子力発電所安定化に向けた工程を遂行するために、当社では保全・土建関係の要員を中心にした300人規模の復旧班を編成し、対応体制を構築。・これまでの被ばく量に加え、これらの要員が高被ばく線量となる見込み。・このうち保全要員については、他の事業所からの要員を交替・補充し、全社要員の2/3にあたる600人体制で実施した場合には2012年1月に、全社要員(950人)を総動員した場合には2012年11月に、それぞれ平均100ミリシーベルトを超えると予測〉 東京電力は4月17日に「福島第一原発・事故の収束に向けた道筋」(通称・工程表)を発表し、6~9ヵ月後に各原子炉を冷温停止状態に持っていく、としていた。 内部文書によると、現在その作業にあたっている「復旧班」の保全・土建関係社員が近々、累積の被曝量がかなり高く危険な状態に至ると懸念している。 問題は交替要員だが、その数にも限りがある。とくに問題なのは保全を担当する社員で、ほかの発電所で同様の作業に従事する社員をかき集め、全社の3分の2にあたる600人を福島に送り込んでも、'12年1月、つまり来年早々にはその全員が累積被曝量100ミリシーベルトを超える。 仮にほかの発電所の保全を無視して、社内の要員のすべて=950人を福島第一に送り込んでも、来年末にはやはり全員が高被曝者となる。 それならば、あらたに保全要員を養成すればよいのでは、と考えるが、そう簡単にいかないと文書は指摘している。〈現場作業に精通した熟練社員は平均値以上の被ばく線量となる見込み。(これらの熟練社員は最短でも10年の育成期間が必要)〉 熟練社員の養成には、10年もの時間が必要だというのである! 作業に精通した社員ほど、前線で働く機会がどうしても多くなり、その分、被曝量も増える。その先のシナリオはどうなるか?文書の暗示するところは、背筋の寒くなるような事態だ。〈600人、950人いずれの体制でも被ばく線量に関わる緊急時の扱い(250ミリシーベルト)は遵守できるが、柏崎刈羽原子力発電所などを維持する為の要員は通常時の扱い(100ミリシーベルト/5年)に抵触するため、その後放射線管理下の業務に全く従事できなくなり、発電所の安定運転が確保できなくなる〉 厚労省は原発で働く作業員に許容される被曝量を、福島第一の事故復旧作業に限り、250ミリシーベルトに引き上げたが、他の原発ではいまも100ミリシーベルトが上限許容値である。仮に社内の全保全要員を福島に投入すると、早晩他の原発の「安全運転」が不可能になる。それを避けようとすると、今度は福島の復旧作業に割く要員がいなくなる。 実はいま、東電社内でもっとも懸念されているのが、この人員確保の問題なのである。つまり、今年か来年明けには熟練した作業員が安全とされる被曝量を超えるため、福島の復旧作業どころか他の原発の作業にも従事できなくなるという問題が発生します。熟練の作業員を育成するためには最低10年必要で、人がいれば良いという問題ではありません。当然、社員だけでなく、協力会社の状況も同じです。協力会社の方の検査をまともにしていないのは、こういう理由なのかもしれませんね。原発事故の復旧が長引き、復旧作業を行う人がいなくなったら・・・とてつもなく恐ろしいことです。海外からの協力も要請するとは思いますが、それにしても、いつかは限りが来ます。そのためには短期間で事態を収束させる必要がありますが、今のところ、工程表のように9月で落ち着くとは正直私は思えません・・・。人がいなくなって、また想定外と言わないことを祈るばかりです。ドイツ気象台の明日25日の放射能拡散予測ですが、放射性物質は東北から関東、関西、九州まで広がる見込みです。※予測は一定量の放射性物質が福島第1原発から放出されたと仮定し、濃度の違いを色の濃さで相対的に示したもの。現実の放射性物質の濃度を示すものではないです。さて続きです。【4月11日(震災から31日後)】今日は3月11日の東日本大震災から、ちょうど1ヶ月が経ちました。各地で犠牲者に対し、14時46分に黙祷が行われるようです。予想通り今日も電車は動いていません。やはり震度6強の余震の影響は大きかったんだと思います。でも、明日からかなりの路線で運転再開すると発表されましたので、2回目の復旧作業は早いなと感じました。それに釣られて?か、なんとうちの最寄り駅までも電車が復旧することになりました。これでやっと普通の通勤生活に戻れそうです。でも臨時ダイヤで、電車の本数は1時間から2時間に1本という少なさです。学校が始まるまでには、なんとか普通に戻ってほしいと思います。しかし、今日は電車が動いていないので、なんとか会社に行かなければなりません。どうしようか悩んだ挙句、結局先週の金曜同様、車で会社に行くことにしました。当然のように車で会社に向かう方が大勢おり道路は朝から大渋滞です。裏道に入っても同じような状況だったため、今回の津波で防波堤代わりになった沿岸部を走る高速道路を使うことにしました。この高速道路は、高架橋ではなく、高く土を盛ったところに道路を作っているので津波のダメージはほとんどありませんでした。津波を避けるために、車を捨て、この高速道路に逃げこんだ人が多かったようですね。高速道路は開通しているものの、うねりと段差がひどく、間違っても100km以上で走れるような状況ではありません。それでも一般道路よりはかなり空いていました。ちょっと走ると、津波に飲まれた被災地が見えてきました。道路をはさんで沿岸部はテレビで見たがれきの山がいまだそのままになっています。沿岸部から数キロあると思いますが、船が何隻も転がっているのが見えました。田んぼには、いまだにたくさんの車が転がっています。さえぎるものが無くなった分、遠くに海が見えます。幹線道路のがれき除去は完了しているようで、沿岸部の道路は車が走っていました(道路脇にがれきを移動しただけですけど・・・)。しかし1ヶ月経っても、この状況ですから、がれきを除去するだけでも1年以上かかるでしょうね。道路をはさんで内陸側を見ると、多少のがれきはあるものの普段見慣れた景色です。やはり、この高速道路が堤防代わりになったのは本当みたいです。この高速道路が無かったら、津波の被害はさらに大きかったと思うと恐ろしくなりました。私が震災後に、自転車で走っていた国道は、この高速道路から近いところで1kmぐらいしか離れていませんでした。そう考えると、私も津波に飲まれていた可能性があったわけです。高速道路様様ですね。高速道路を使った分、早く着けたので、近くの駐車場もまだ空きがありました。それでもトータル2時間はかかったかな。無事、仕事を終えて帰ろうと思いましたが、すでに道路は大渋滞・・・市内を抜けるのに約2時間、それでも渋滞は途切れず、そこから1時間以上かけて、やっと家に帰ることができました。こんな思いも今日で終わりです。明日からは電車1本で通勤できますから。【みっちゃん震災録(宮城)その55につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年05月24日
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震災直後、原発の海水注入を止めろと言った言わないなんて、くだらない水かけ論をやってますね。そんなことは、原発問題が落ち着いてからにしてもらいたいものです。誰が言ったと明確になれば、放射能汚染は無くなるんですか?今は、大量の放射性物質が日本に降り注ぎ続けていて、大気、土壌、海を汚染している状況をどうするか真剣に考えるのが先ではありませんか。むろん、国民の安全も最優先にお考え下さいね。そんなことをしている間に、福島第1原発事故で、高濃度の汚染水を移送している「集中廃棄物処理施設」が、計画収容量いっぱいに近づいてきています。収容できるのは、あと数日とみられています。同施設が計画量満水になれば、汚染水を浄化する水処理施設が稼働する6月半ばまで移送を中断する方針のようです。仮設のタンクも準備していますが、設置は7月上旬になりそうです。原子炉への注水の漏れや、これからの梅雨による雨などで汚染水はますます増加する見込みで、行き場を失った水が今後、作業の支障、外部汚染につながる可能性があります。1~4号機周辺には浄化の必要な汚染水がほかにも8万トン余りあり、東電は浄化して塩分を取り除いた後、1~3号機の原子炉の冷却に再利用する方針のようですが、格納容器が破損していると言われている状況で、本当に再利用できるのでしょうか・・・。そんな放射能汚染水の処理を、日本政府はフランスの一企業「アレバ社」に依頼していますが、その処理費用が、尋常ではありません。なんと1トン2億円だそうです。現在確認されている処理対象となる汚染水だけでも、福島第一原発全体で 約8万5000トン とみられていますから、2億円/t × 85,000t = 170,000億円 = 17兆円となります。当然のことながら、さらに汚染水が増えれば、それに伴って金額もさらに増えていきます。原子力に詳しくないので相場は分かりませんが、なんだか火事場泥棒みたいな感じがしますね。汚染水をそのまま冷却水に使うことはできないのかしら?やはり、キレイにしないと放射線が邪魔をして作業できないのかしら?そもそも、そんなお金を東電が払えるとも思えないし、また国が支援するの?それだけのお金を避難している被災者のために使えば、福島のもっと広い範囲で避難させることもできるでしょうに・・・なんだかもったいないな~。なんとか国内で対応できないのかと調べてみると、金沢大学の太田富久教授らは、放射性物質を含む汚染水を効率よく浄化する粉末を開発したそうです。まだ研究段階の成果ですが、実用化すれば1時間に1000トンの水を処理でき、アレバ社の処理能力の20倍に相当するそうです。太田教授らはすでに大規模な処理システムを設計済みで、政府や東電に設置を提案していく予定です。やはり日本の技術は捨てたものではありませんね。火事場泥棒にお金を払う余裕があるのであれば、早急に処理システムを構築し、完成し次第入れ替えるような検討をお願いします。その方が1トン2億円より、よっぽど安いでしょ・・・。ドイツ気象台の明日23日の放射能拡散予測ですが、放射性物質は東北地方を中心に関東から中部、関西、四国・九州の一部まで広がる見込みです。4号機が時折煙を出しており、3号機も落ち着いていない状況ですから、本州で雨のところの方は、出歩かない方が良さそうです。※予測は一定量の放射性物質が福島第1原発から放出されたと仮定し、濃度の違いを色の濃さで相対的に示したもの。現実の放射性物質の濃度を示すものではないです。さて続きです。【4月10日(震災から30日後)】昨日は、しばらく電車が動かないのを想定して、自転車を購入しました。お兄ちゃんの自転車と比べれば、かなり見劣りしますが、盗まれた自転車も同じようなものでしたので違和感はありません。震災後、私が自転車通勤をしている時に、かっこいい新品のロードタイプの自転車を走らせる同世代ぐらいの方がいましたが、私のママチャリの方が早かったですよ(笑)。やはり、最後は自分の脚力が全てです・・・と自分を慰めてみる・・・。木曜深夜の余震から電車は一切動いておらず、せっかく電車が復旧した時点で廃止された臨時バスが皮肉にも1週間ぶりに復活しています。電車より、あの途中駅からのメチャ混みのバスの方が自転車より嫌いだったんだよな。月曜日になっても電車復旧の目処が立たない場合は、またあの通勤が始まります・・・。今日は、初めて在宅避難者用に救援物資の配布がありました。配布されたのは、食パン1斤とレトルトハンバーグorミードボール、マスクなどでしたが、震災から1ヶ月経った今になって配布するのは遅いですよね。雰囲気的には賞味期限が近いものが大半なので、一部の食品の救援物資が徐々に余ってきているんでしょう。せっかく善意の気持ちで送って頂いた救援物資ですから、倉庫で腐らせるよりも、町民の皆さんに配布した方が良いとは思いますね。でも、もらった食パンにカビが生えていたなんて話も聞いたな~。うちでは十分な食料の備蓄もあり、車で遠出すれば食品などの買い物に苦労しませんでしたが、震災直後に備蓄も無い方、特にお年寄りの方は大変だったと思います。給水車が来ているなどの情報もなかなか伝わらなかったため、水と食料も取れないまま、倒れていたお年寄りが多かったとか・・・。こういう時に、昔ながらの近所付き合いが残っていれば良かったなと思いました。今は自宅を購入しても、隣は誰が住んでいるか分からないなんてことも普通にありますからね。知っていれば、あそこは一人暮らししだから様子を見に行った方が良いなど、自然に気が付くものです。電気を使った便利な生活、助け合いの必要が無い豊かな生活・・・今回の震災で、これらは何の役にも立ちませんでした。むしろ弊害になったかもしれません。便利な電化製品を使う生活が当たり前になり、それ以外の生活ができない方々、近所付き合いをしていない分、困っているのに助けを求められない方々が本当に多かったと思います。経験した者にしか分からないと思いますが、昔くさいと見向きもされなかった物が、今回の震災で、どんなに役立ったことか分かりません。また、あるもので知恵を絞って少しでも生活を改善しようとする努力が実った時の嬉しさは忘れられません。子供たちからも尊敬の眼差し?で見てくれたしね(笑)。さて、明日から電車は復旧するんでしょうか・・・。【みっちゃん震災録(宮城)その54につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年05月23日
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東京電力の連結決算報告で清水社長の辞任を発表しましたね。新たに西沢俊夫常務が新社長に就任するそうですが、この状況で辞任するのは逃げ以外の何ものでもないです。事故直後も体調不良とやらで入院するわ、事態を収束させるまで責任を真っ当する気もない清水社長・・・今の日本の腐った社会の象徴みたいな存在ですが、いざとなったら国を仕切る政治家たちも国民を置いて、一斉に国外に逃げ出すかもしれませんね。日本民族が世界に誇れる「武士道」は、どこに行ってしまったのかしら・・・。私がここで言っているのは新渡戸稲造の「武士道」であり「卑劣な行為を忌む義」「敢為堅忍としての勇」「惻隠の情たる仁」「礼儀作法」「信実としての誠」「名を惜しむ」「忠義」「克己」です。さて、東京電力福島第1原発の事故後、福島県外で働く同県出身の原発作業員から、通常ならめったにない内部被ばくが見つかるケースが相次いでいるという記事を見つけ、やはりこれが現実かと落胆しています。内部被ばくが判明した大半の方は事故後に福島県に立ち寄っており、水素爆発で飛散した放射性物質を吸い込むなどしたとみられます。当然、周辺住民も同様に内部被ばくした可能性もあり、福島県内の一部自治体は独自に検査を検討しています。内部被ばくが判明した方は、福島第1原発近くに自宅があり、事故後に家族の避難などのために帰宅したり、福島第1、第2両原発から他原発に移った人たちですから、ずっと住んでいる方は・・・。30km圏外へ避難した方も含めて、早急に検査することをお願いしたいです。内部被ばくは、体外からの外部被ばくに比べ継続的で危険が高いそうです。体表から10万cpmを超す線量を検出すれば放射性物質を洗い落とす「除染」が必要とされますが、東電は内部被ばくの恐れがあるとする目安を、ホールボディーカウンター(体内からの放射線を測定できる機器)で1500cpm超の場合としています。福島第1原発の現場作業員たちは、現場の放射線量が高いのもあり、ホールボディーカウンターでの測定は困難だとか・・・。しかも実際に検査を受けたのは2割程度の1400人、長期化が予想される原発事故だからこそ、検査は徹底して欲しいと思います。こちらの方は独自に福島ならびに近県の放射線量マップ、福島県内4,400箇所測定データによる年間(2011/3/11-2012/3/11)積算被曝量推定マップを入手したデータからまとめてらっしゃいます。 本来であれば、国や県が行って、公表すべきものだと思います。個人の情報に頼る今の日本の情報隠ぺいは絶対おかしいです。ドイツ気象台の放射能拡散予測ですが、本日21日は、放射性物質が東北沿岸から太平洋沖にかけて広がる見込みです。※予測は一定量の放射性物質が福島第1原発から放出されたと仮定し、濃度の違いを色の濃さで相対的に示したもの。現実の放射性物質の濃度を示すものではないです。さて久々ですが続きです。【4月9日(震災から29日後)】震災後通勤を始めて2回目の週末が来ました。1週目は、自転車での遠距離通勤、会社での宿泊、2週目はJR復旧時のアクシデント、自転車盗難、震度6強の余震と、お世辞にも仕事ができるような状態ではありませんでしたが、仕事に行く行為で私自身も日常生活を取り戻したような気持ちになり、安心感を得られたと思います。しかし、大震災の最大余震のおかげで、JRの復旧計画が白紙に戻り、来週から最寄り駅まで来るはずだった予定もどうなるか分かりません。そう考えると、私の移動手段である相棒、自転車を調達しなければなりませんね。盗まれなければ、想定外の出費で頭を抱える必要も無かったのですが・・・。学校は、3月31日に終業式、卒業式は行ったものの、いまだに休みが続いています。それでも、お兄ちゃんは中学になると自転車通学しなければならないため、私の自転車と一緒に買うよう見に行きました。ホームセンターを数件回りましたが、どこも値段が高い自転車や小さい自転車しか置いてなく、安くて手ごろなものが見つかりません。物流はずいぶん復活してきたのですが、被災地では自転車の需要が高いため、品薄なのかもしれませんね。ちょっと遠出して、内陸部のホームセンターに行くと自転車をたくさん置いてあるところを見つけました。お兄ちゃんの自転車は、ギアがどうとかライトが自動点灯、アルミボディ、タイヤがパンクしにくい?とか神さんが真剣に品定めしていますが、私の自転車は、一番安いやつ・・・以上でした(T^T)。結局、お兄ちゃんの自転車は、私の倍以上の値段でした。一応私が稼ぎ頭なはずですが・・・。【みっちゃん震災録(宮城)その53につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年05月21日
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今年のオールスター戦が、楽天の本拠地・Kスタ宮城で開催する可能性が出てきました。まだ、案レベルではありますが、球界一体で取り組む東日本大震災の復興支援策の一環としてだそうです。Kスタでオールスターが開催されれば、被災地は盛り上がるでしょう。すでに、第1戦ナゴヤドーム、第2戦東京ドーム、第3戦QVCマリンスタジアムと開催場所が発表されていますから、今から変更するのは大変でしょうね。しかもKスタは、収容人数が少ないですから、収益を減らしてまで動いてくれるか・・・。でも開催して欲しいなぁ~。次から次へと福島原発の情報隠蔽の事実が明るみになってきており、やはり諸外国が言っていたことが現実だったんだと落胆しております。あの笑顔で「大丈夫」と言っていた人たちは嘘つきだったんですね・・・。文部科学省原子力安全課原子力防災ネットワーク「環境防災 Nネット」のサイトにあるように、文科省はダイナミックな三宅島噴火のシミュレーションを作れるSPEEDI-MPというものを持っています。しかし福島事故については公表していませんでした。この画像は3月16日に計算されていたそうですが、放射性ヨウ素131による乳児の臓器被ばくの程度の予測で、3月15日15時時点での積算値かと思います。文科省が他に公表しているSPEEDIの被ばく線量予測は、3月12日6:00からになっているので、これもその時点からの積算値ではないかと想像されます。3月14日から15日早朝にかけては福島第一で悲惨な事故が相次ぎました。14日昼前、3号機は爆発しました。これは白煙で覆われた12日の1号機水素爆発とは違い、黒煙が高く上がった爆発で1号機の爆発とは質の違うものだと言われています。あの3号機建屋の破壊的な状況を見れば一目瞭然ですね。2号機は14日夕方燃料棒全体露出に続き15日早朝、圧力抑制室で爆発がありました。4号機も15日早朝に爆発しました。これだけ大事故が続いた直後の乳児の被ばく予想というのは重要かと思いますが、結局パニックになるとやらの理由で非公開となりました。こちらに詳しい資料がアップされています。この情報をすぐに公開していれば、多くの人たちが被曝せずに済んだかと思います。それどころか、現在も自分の住んでいる地域が高濃度汚染エリアだとは知らずに、マスクもせずに生活している人たちも多いのですから、政府はこの情報と放射能対策を合わせてリアルタイムに公表すべきでしょう。今も3号機の温度が上昇しており、不穏な動きを見せていますから、もしもの場合は、今回のような情報隠蔽は絶対にしないで下さい。お願いします。我々にも知る権利はあるはずです。5月15日(日)午後10時から放送したNHK教育テレビ「ETV特集」の「ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から2か月~」では、厚生労働省の研究所に勤めていた研究員が、上からの命令で福島県の汚染度の測定を止められたため、研究所に辞表を提出して独自に調査を行なった様子を追ったドキュメンタリーが流れていました。この放送の中で、研究員が乗った計測車が福島市のとある地区に差し掛かると、測定器の数値が急に高くなりました。研究員が車を降りて中学校の校庭の前を計測すると、研究員いわく「今のチェルノブイリの3キロ地点と同じ線量」とのことでした。この中学校では、校庭は使わせないようにしているそうですが、子供たちは普通に通学しています。チェルノブイリでは、事故から25年経った現在も、30キロ圏内は立ち入り禁止なのに、日本では「今のチェルノブイリの3キロ地点と同じ線量」の中学校に子供たちが通っているのです。悲しい現実ですね・・・。アメリカでは昨日、福島第1原発から半径80キロ圏内に出している避難勧告を一部変更しました。4月29日に全線で運転を再開した東北新幹線や東北自動車道を利用して、80キロ圏内を通過することは「安全」だとする渡航情報を発表したそうです。しかし、原発の状況は依然として厳しく「十分に警戒すべきだ」として、80キロ圏内にいる米国人への避難勧告自体は維持しています。そんな中、福島第1原発の敷地内にたまった放射性物質を含む汚染水を貯蔵するため、東京電力が静岡市から譲り受けた人口の浮島「メガフロート」が本日、福島県いわき市の小名浜港に到着しました。最終的な点検と調整を行い、順調なら5月下旬には第1原発の岸壁に接岸される予定です。メガフロートは全長約136メートル、幅約46メートル、高さ3メートルの鋼鉄製で、内部の空洞に約1万トンの水の貯蔵が可能です。東電は比較的低レベルの汚染水を除染剤などで浄化した上で保管する方針です。1号機の格納容器が破損しており、そちらにも大量の汚染水が確認されていますから、ぜひとも有効活用して欲しいものです。それでも大量の汚染水の格納にはまだまだ不足なんですけどね・・・。ドイツ気象台の放射能拡散予測ですが、明日18日は、放射性物質は東北から関東沿岸、太平洋沖にかけて広がる見込みです。※予測は一定量の放射性物質が福島第1原発から放出されたと仮定し、濃度の違いを色の濃さで相対的に示したもの。現実の放射性物質の濃度を示すものではないです。さて続きです。【4月8日(震災から28日後)】昨日は、本当に余震か?と思われる震度6強の地震があり、津波を心配して寝付けなかったので、かなり寝不足です。今回の余震で、東日本大震災の影響で痛んでいた家屋、ブロック塀などが崩れたり、倒れたりしたところが多かったです。やはり目に見えないところで痛んでいたんでしょうね。私の住んでいるところでは、電気が一時停電したものの、ライフラインは問題ありませんでした。しかし、県内を見ると、せっかく復旧した電気、水道がまたストップしてしまったところも多かったです。都市ガスも安全のため、復旧したところも供給がストップしてしまいました。せっかく半分ぐらい復旧した東北管内のほとんどの電車、新幹線がまた運休状態に戻りました。来週から復旧予定だった最寄り駅までの電車も、再開が未定となってしまいました。もう少しで元通りの生活に戻れると思っていたところで、振り出しに戻されたショックは大きかったです。現場で復旧作業をされている電気、水道、ガス、鉄道などの作業員の方はなおさらかと思います。こんな状態で電車が動くわけないと思い、早々にあきらめ、車で会社に行くことにしました。当然私と同じ考えの人が多く、車で道路は大渋滞です。さらに、やっと行列が無くなったガソリンスタンドにも、前回の地震と同じになるのでは?と不安に思う方々が給油に訪れているので、渋滞をさらに悪化させていました。それでもなんとか裏道を回り、渋滞を避けながら会社に行くことができました。しかし、今度は駐車場がどこも満車状態で、結局はるか彼方の駐車場に止めました。大きな余震も無く、仕事も無事終わりました。帰り道に念のため給油しましたが、朝の勘違い給油列もなくなっており、普通に給油することができました。さすがに前回のような状態にはならなかったようですね。震災後、あまりに余震が多いので、もしかしたら皆さん大きめの地震でも、体が慣れちゃっているのかもしれませんね。しかし私的には、電車が復旧前の状態に戻ったことが一番の心配です。あの地獄の通勤は二度としたくありませんから(;^ω^)。そもそも自転車盗まれて無いし(爆)。来週から通勤どうしよう・・・。【みっちゃん震災録(宮城)その52につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年05月17日
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昨日は久々に楽天の連打を見ました(笑)。ラズナーがまさかの負傷で、ほとんど準備していないのが目に見える小山が頑張ってくれました。昼飯に牛丼食べて、ブルペンで5球ぐらいしか投げていなかったみたいですね(;^ω^)。ラズナーは復帰まで、ちょっとかかるみたいですから、また先発不足が続きます・・・。試合は4点差なのに、いつひっくり返されるかドキドキしながら最終回まで見ていました。どうも10点差ぐらい無いと、最近安心できないみたいです(汗)。でも、なんとかそのまま終わってくれましたね。コーチ陣も総入れ替えしたみたいですし、これを機に得点を上げられるチームになって欲しいです。明日から、いよいよ交流戦。昨年は上位をパリーグのチームが占め、勝っても順位が変わらないという変な事象になりましたが、今年はどうなんでしょうね。ちなみにマー君はいつものように打つ気満々です(笑)。先日、メルトダウンが起こっていると発表した福島第一原発の1号機ですが、実は地震発生から16時間後の3月12日朝には大部分の燃料が原子炉圧力容器の底に溶け落ちていたと発表しました。東京電力や原子力安全保安院は、希望的観測ばかり説明していましたが、避難指示がすぐに拡大されていった経緯を考えると、炉心が完全に溶融していることは当時から分かっていたのではないかと専門家は見ています。 東電は「圧力容器の損傷は大規模ではない」と説明していますが、専門家は「圧力容器は完全に破損し、溶けた燃料が格納容器の底に穴を開け、原子炉建屋の地下に大量の汚染水が漏れ出す原因になっている」と推定しいています。現在の状態を見れば、そちらの方が正しいと思いますよね・・・。京都大の名誉教授も「溶融した燃料の一部は格納容器に落ちているだろう」と指摘し、東電の解析に否定的な見解を示しました。さらに「燃料は格納容器のクラック(損傷部)から水と一緒に漏れている可能性もある」と述べ、地震の揺れや炉心溶融、水素爆発などさまざまな原因で格納容器が損傷している可能性を指摘しました。工程表への影響については「初めに描いた絵と状況が異なり、収束までの時期は確実に延びるだろう。むき出しの燃料の回収は相当困難な作業になる。廃炉の工程にたどり着くのも難航するだろう」と厳しい見通しを示しました。3号機にホウ酸を入れたのは、「核爆発」の可能性があるということですね。3月に水素爆発を連発していた時期に、専門家がこぞって「ホウ酸投入」が行われたら「危険」と語っていたので、きっと危険な状態なのでしょう。1号機がメルトダウンしていて、冷却されているのが不思議なぐらいですからね・・・。東京都も宮城県と同様で、空中放射線量の公表のみ行っていますが、朝日新聞の記事によると都内の土壌のセシウム(1kgあたり)、千代田区二重橋横 1904ベクレル、千代田区皇居東御苑天守閣跡 1311ベクレル、中央区築地 1147ベクレル、江東区亀戸 3201ベクレルと、どこもかなり高濃度の放射性物質で汚染されているのが分かります。関東の方々、福島がどうだとか差別している場合ではありませんよ。もう、どこにいても被曝する数値になっていますから・・・。汚染が進んでいる日本に、これからも住み続けるため、何を食べて何を飲めば良いのか、どう対応すれば最低限の被爆で済むのか、国が公表すべき時期に来ているかと思います。さて続きです。【4月7~8日(震災から27~28日後)】先週の通勤と違って、バスと電車で通勤できたこともあり、今週は疲れませんね。そのお陰かあと1日で今週も終わりです(haine919さん、この内容は4月7日時点ですからね(;^ω^))。今日は震災後初めて楽天選手が宮城県入りしました。情熱大陸やZEROの特番を見る限り、震災時遠く離れた地におり、家族を残してきている選手も多かったので、かなり心配していたでしょう。それでも帰りたい気持ちを抑えて開幕までの過密なスケジュールをこなしていました。選手の元気が無くなっている実情もあり、星野監督も悩みに悩んだ強行スケジュールでした。到着後、早速星野監督は避難所に向かい、「遅くなり申し訳ありません」と頭を下げていたのは印象的でした。そんなニュースを見て、いざ寝ようと思った23時32分・・・東日本大震災の最大余震がやってきました。揺れの時間は東日本大震災より短かったものの、揺れの大きさは前回より大きかったと思うぐらいでした。すでに寝ていた子供達も、さすがに起きてきましたよ。3月11日は会社にいたので家族の安否が気になりましたが、今日は自宅にいたので気分的には楽でした。それでも、前回以上に家具やテレビは動いており、揺れの大きさを物語っていました。やっとライフラインがつながって、交通機関も復旧してきており、食料、ガソリンなども並ばなくても手に入り始めホッとした矢先の地震でした・・・。今回の余震は時間的に寝ている人が多かったので、揺れでびっくりして飛び起き、逃げようとして怪我をした方が多かったようです。地震の数分後、お約束で停電になりました。こちらは沿岸部の町であるため、震災時と同様に防災無線のサイレンがけたたましく鳴り、津波警報が発令されたため沿岸部の方は高台に避難するよう放送していました。また、あの震災後の電気、水の無い生活が始まると落胆したのを今でも覚えています。今回は幸いにも津波の影響はありませんでしたが、沿岸部の方は一斉に避難し、高台への道路は大渋滞になったそうです。あの津波を体験した直後に、津波は来ないから大丈夫だと思い、逃げない方はさすがにいませんよね。あの大震災を経験した分、明かりを確保してラジオを付け、風呂に水を貯めたり、空きペットボトルに水を確保したりと、かなり的確な行動を自然に行っていました。やはり実際に経験するのと訓練では、雲泥の差があるかもしれません。まあ、経験しないのが一番ですけどね・・・。津波と余震が心配で寝るに眠れず、結局朝方まで起きていましたが、4時ごろ電気が復旧したので安心して1時間ほど眠りに落ちました。一番心配だった福島原発は、なんとか持ちこたえたようです。他の原発も停電の影響はあるようですが、非常用電源などで対応できたようで安心しました。当然のようにJRは始発から運休・・・。震災時に中断した会議を今日に延期したので、これ以上延期するわけにもいかず、電車を諦めて車で会社に行くことにしました。しかし、楽天の皆さんは、戻ってくるなり、この地震・・・災難でしたね。それでも翌日の被災地回りを予定通り行ったのは素晴らしいと思います。【みっちゃん震災録(宮城)その51につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年05月16日
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福島県で、淡水魚から国の規定値を超える放射性セシウムが検出されたそうです。検出されたのは、北塩原村産のワカサギと、いわき市産のアユですが、禁漁期間中ですので、市場には流通していません。気になるのは、川の水を飲んでいる人間ですから、これから汚染が進めば、人も同じような状態になるのではと懸念しています。川が汚染されれば、その水を使って育成させる農作物、家畜にも影響が出るでしょう。宮城県には、県内にある全浄水場の水質チェックを早急に行ってくれるようお願いしたいです。あとは、放射性物質が蓄積され始めていますから、土壌汚染のチェックも行って下さい。はるか北の岩手県の滝沢村で採取した牧草から、国が定めた基準値を超える放射性セシウムが検出されています。宮城県を通り越して岩手県で検出されるのを見れば、宮城県のチェックがいかにずさんか分かると思います。と書いている間に、また地震・・・いわきで震度4だそうです。こちらでも結構長く揺れましたね。この余震も原発の作業の妨げになっているんですよね。これ以上事態を悪化させないよう、なまずさんには大人しくしてもらいたいのですが・・・。夏の電力不足が懸念されていますが、中部電力の浜岡原発4号機が昨日停止しました。5号機についても今日には停止する予定のようです。しかし停止したとはいえ、福島原発と同様に電源を失えば制御不能におちいる可能性があります。そのため一概に停止したから安全だとは言えないのが実情です。福島第一原発の情報をまとめてらしゃる方がいます。かなり詳しく書いているので、気になる方はこちらをご覧下さい。こちらは一概には比較できませんが、チェルノブイリ原発の被害状況を福島原発に当てはめた図です。原発問題が長期化して、汚染が進めば同じような状況になるかもしれませんね。さて続きです。【4月5~7日(震災から25~27日後)】前日に自転車を盗まれましたが、そのお陰で通勤に使えそうな臨時バスを見つけ、今日から自転車を使わずに通勤です。今まで乗ってきたバスのように混んでいるのかと思い、早めにバス停に行くと、あれっ?バスはスタンバイしているものの、人は並んでいるどころか、ほとんどいない??このバスで良いんだよなと思い聞いてみましたが間違いないとのこと・・・。バス会社の人の話では、私の最寄り駅から通勤、通学をしている人は2千人ぐらいいると試算しており、本当は1台では足りないと思っていたそうです。昨日の私のように、バスの存在を知らない人がいるのと、自宅待機、休職している人が多いのではと語っていました。臨時バスは、座る位置が高い観光バスでしたが、全席埋まることもなく20人ほど乗車して出発です。いや~これぐらい空いていると、同じバスでも気分が良いですね。このままどこかに旅行に連れてってもらいたいぐらいです(笑)。しかし15分ほどで目的地の駅まで到着してしまいました。バスで15分、電車で20分ですから、今までの通勤から比べれば、かなり楽になりました。来週には最寄り駅まで電車が復旧すると公表していますので、電車1本で行けると、もっと楽になります。着実に交通アクセスが改善されてきていますが、そのお陰で被災地への“見物人”、”野次馬”が増え始め、その車が邪魔で、がれきの撤去、捜索活動に支障をきたすようになりました。その対策として、こちらの町でも通行許可証を発行するようになりました。多くの被災者がいる中で、面白半分に見に来て、ピースしながら写真を撮るさまは怒りを覚えました。この状態は、被災地でしばらく続いたと記憶しています。花見を自粛すべきかという議論があったのも、この頃でしたね。最終的には、社会活性化のために自粛すべきではないという結論に達しましたが、私も同様の考えです。やはり、下ばかり向いていては何も変わりませんからね。こんな感じで、日常が戻りつつあると誰もが感じている時に、また、あれがやってきました・・・。【みっちゃん震災録(宮城)その50につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年05月14日
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朝一で、タレントの上原美優さんが24歳という若さで亡くなったというニュースを見て驚きました。自宅で首をつっているので自殺の可能性が高いそうです。貧乏タレントで、バラエティーの1ヶ月1万円生活などでよく見ていたので、かなりショックですね。黒い噂も結構聞きますが、母親が3月に亡くなりいろいろ悩みも多かったのでしょう。上原さんのご冥福をお祈り致します。昨日は久々に楽天が勝利してくれました。永井の頑張りと鉄平のホームランで勝てたようなものです。しかし、4連敗を含めた5試合で、得点はホームラン2本の2点だけ・・・。どんなに投手が頑張っても勝てるわけありませんよね。岩村は昨日の試合は外されたので、なんとか奮起して欲しいと思います。岩隈の肩の違和感も大事に至らなかったようで、最悪でも1回登板を飛ばすくらいで復帰できそうです。こちらでは雨で中止の可能性もありますが、今日は前回ルーキーらしからぬ登板を行った塩見が先発、なんとか連勝して借金生活から早く脱して欲しい・・・。坂本龍一さんが、ツイッターで「被ばくした小学生が病院で死亡した」というデマをRT(リツイート)し、非難されています。5月5日に、「本当なら由々しき事態」として、「福島から避難した静岡の病院で小学5年生が亡くなりました」というブログ記事へのリンクを投稿しました。そのブログは「脱原発の日々」という名前のブログで、福島県の小学校5年生の子どもが、福島第1原発の水素爆発で被爆し、「鼻出血など放射線障害の急性期症状」で静岡県の病院で死亡したという内容でした。当然、放射線被ばくが原因で子どもが死亡したという報道はなく、全くのデマかと思います。多くのフォローワーを抱える芸能人の方は、影響力も大きいと思いますので、もう少し冷静沈着に対応して欲しいと思います。台湾の予言者を名乗る自称「王先生」という男性が「東日本大震災から2カ月の11日に震度14の大地震が起き、高さ170メートルの津波が台湾を襲う。100万人以上が死亡する」などと予言していました。この予言は4月下旬からインターネットで広まり、この話を信じる一般市民ら数十人がコンテナ約200個でシェルターを作る騒ぎとなりました。台湾気象局は「『震度14』は存在せず、予言に科学的根拠はない」として惑わされないよう呼び掛けましたが、シェルターには飲料水や米、燃料などの物資が大量に運び込まれたそうです。予言した地震発生時刻の午前10時42分37秒が近づくにつれ、見物人や台湾メディアでシェルター周辺はごった返しましたが、結局何も起こりませんでしたとさ(笑)。ドイツ気象局が発表している明日13日の放射性物質の拡散濃度予測です。放射性物質は太平洋と北東北地方から北海道道南、道央地域に広がる見込みです。※予測は一定量の放射性物質が福島第1原発から放出されたと仮定し、濃度の違いを色の濃さで相対的に示したもので、現実の放射性物質の濃度を示すものではありません。さて続きです。【4月4日(震災から24日後)】今までの通勤が嘘と感じるぐらい楽な電車で、自転車のある駅に到着しました。ここからは、自転車で40分ほどです。普通に考えれば遠く感じますが、2時間以上自転車で通っていた私には痛くもかゆくもありません。自転車置き場に行き、朝自転車を置いた場所を見ると・・・あれっ?自転車が無い?もしかしたら整理するために移動でもしたのかしらと思い、自転車置き場を一周するも見つけられませんでした。カギをかけ忘れたかな?と、ポケットに手を入れると、確かにカギはありました。やっぱりロックしたみたいですね。ということは、カギが壊されて持っていかれちゃったかな?一応、駐輪場を管理している人に聞いてみると、「あ~最近多いね」と冷たく言われ、「2重ロックが基本ですから」と逆に指導されてしまいました。駐輪場は、駐車場と同じで、何かあっても自己責任ですからね(;^ω^)。最寄り駅では、カギを壊されたことは一度も無く、カギをかけ忘れた時でも普通にありましたから、こちらでは治安が悪いのかもしれません。でも、この駅も普段はそんなに乗降客が多くないと思いますが、今はこの駅が一時的に終点となっているので、乗降客が多いからしょうがないかもしれませんね。とほほ・・・と肩をなでおろしながら、歩いて帰ることにしました。自転車で40分のところを帰るのは大変そうですが、途中で嫌になったら迎えに来てもらえばいいやと駅から出ました。すると、「○○行き」と書いた手書きのボードを持っている方がいました。うちの近くの方面なので聞いてみると、私の近所にも停まるそうです。これは不幸中の幸いです。早速乗って帰りました。後から調べると、隣駅まで電車が復旧した時点で、臨時バスが出ていたようです。本数の制限はありますが、これなら自転車を使わなくても、バス、電車で通勤できます。こんなことなら、ちゃんと調べて、バスで来れば良かった・・・。【みっちゃん震災録(宮城)その49につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年05月12日
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辻元清美首相補佐官(災害ボランティア活動担当)が東日本大震災の発生以降、岩手、宮城、福島の被災地3県を訪れたのは計6日間であり、現地調査にかかわる出張旅費などが約114万1千円かかったそうです。1日あたりに換算すると19万円・・・。会社では出張経費が削られているこのご時勢に、どうやったらそれぐらいの費用がかかるんでしょうね。被災地をただ見に来るので、これぐらいかかるのであれば、来てもらわずに被災者にそのお金を回して欲しいものです。ただでさえ、国、県の手続きが追いつかず、義捐金などの支給が遅れており、被災者は生活するのに苦慮しています。市町村によっては前払いという形で被災者に支払っているところもあるそうです。被災地に趣き、人気取りを行うのも政治家として大事なことかもしれませんが、このような状況を早く解消するようお願いしたいです。どうも国や東電の動きを見ていると、被災者のことを真剣に考えているようには見えません。中部大学の武田邦彦さんという方が、こんな文書を書いています。個人的にはかなり感銘を受けましたが、皆さんはどうでしょうか?以下、引用です。タイトル「東電に電話してください。ご遠慮は要りません.」各地で放射性物質で汚れた土の除去作業や道路の洗浄作業が始まっています。ある市では校庭の表土を取ったら、放射線量が約半分になったと言われています.素晴らしいことです.綺麗な福島への第一歩です!・・・・・・・・・今回の福島原発の事故で、まだ放射線の高いところがありますが、私は1年1ミリシーベルト以下にするように政府と東電は全力を注ぐべきと思っていますが、作業は遅く、地元や個人で放射線を減らす努力が行われています.しかし、「汚れた土を除く」ということは「汚れた土が発生する」ことを意味しています.この場合は、東電に電話すれば良いと考えられます.・・・・・・・・・人間には過ちもあります。ある家が誤って「汚いものをご近所にまき散らした」とします.まず、その家の人はご近所に謝りに行き、自分で持って行けるものは持って行くでしょう.お隣が、その汚いものが付いた土や紙を拾えば、お隣に電話して取りに来てもらうか、自分でお隣に持って行くでしょう.今回の東電の誤りは許されないことかも知れません。でも、人間は誤りはあるのですが、それを起こした後の態度の方がもっと大切です.校庭の表面の土を取り除いて、まずその土を校庭の脇に積んでおき、次に東電に電話します.おそらくは東電は「菓子折」ぐらいは持ってきて、頭をさげ、すぐその土を持っていくと思います.・・・・・・・・・東電の役員は今年も一人2000万円の年俸をもらうと言うことです。まだまだ東電には余裕があります。これまですでに平均年間4000万円の報酬を受け取っていたのですから、貯金もかなりあるでしょう.今年はゼロかマイナスと思っていました。でも一人2000万円はあるのですから、菓子折やトラック代は出るはずです.東電役員だけではありません。部長クラス以上は裕福な生活をしていて、20%カットに止まっています。「被害を受けた人が、なけなしのお金から旅費を出して逃げ、被害を出した人が年俸2000万円!?」そんな社会があるのでしょうか?私は普段、あまり人の収入などはいわないようにしていますが、これだけ福島の人が苦しんでいるのに、計画停電で困っているのに、2000万円はありません。でも彼らはまだ自分たちがしたことが判っていないのです.・・・・・・・・・東電は土地を持っています.しかもこのような時に「敷地境界は年間50マイクロシーベルトにする」という規定もあります。また、技術的には原発を廃炉に出来、かつ法律的にもクリアランス・レベルというのがあるのですから、汚染された土、瓦礫、水などを集めて、原発の廃炉と同じ技術で処理をすれば良いのです。技術も法律も、土地も、なにもかもあります。後は東電が「日本人がもっている美徳・・・過ちをしたら謝って自分の責任で処理をする」という行動を取るかどうかにかかっています.(平成23年5月4日 午後1時 執筆)どうでしょうか?ごもっともな話ですよね。どうやったらこの状況下で、東電の役員が平均2000万円もらえる話になるのでしょうか?原発問題で、家を離れなければならない、仕事を失った方々のことを真剣に考えれば、武田さんが仰るように役員報酬なんてゼロかマイナスでしょう。それが企業であり、役員の責任だからです。それで補償費用が足りないと国にすがりつき、さらには電気料金の値上げ?・・・こいつら頭おかしいのかと思ってしまいます。それだけ庶民とはかけ離れた生活、金銭感覚をしているんでしょうね。電気業界もこの機会に再編すべきかと思います。ドイツ気象局が発表している明日11日の放射性物質の拡散濃度予測です。放射性物質は東北沿岸から関東全域、太平洋沖にかけて広がる見込みです。※予測は一定量の放射性物質が福島第1原発から放出されたと仮定し、濃度の違いを色の濃さで相対的に示したもので、現実の放射性物質の濃度を示すものではありません。さて続きです。【4月4日(震災から24日後)】今日から、また先週と同じ長い通勤が始まるかと思いきや、昼夜問わずの作業で、沿線にある建物のダクトの撤去は日曜日に終わり、隣駅まで電車が走ることになりました。JR、建物の所有者の方々、本当にありがとうございました。それでも都会の隣駅ならば自転車で5分、10分ぐらいでしょうが、田舎の隣駅は遠いんですよね(笑)。タクシーでも3000円近くかかる距離です。そのため、今日も気合を入れてチャリをこぎますよ~。天候は晴れだったものの、風が強く、40分ぐらいで隣駅まで到着しました。メタボリックエネルギーをかなり消費しましたが、先週のことを考えれば楽なものです。自転車を駐輪場に止めて、電車に乗りました。このころは、この駅が仙台駅への始発駅だったので、多くのバスが駅に押し寄せていました。そのため始発駅にもかかわらず、凄い人です。それでも、自宅待機を命じられている方や再開見込みが立っていない会社も多かったので、普段に比べれば少ないのだと思います。車内はそれなりに混みましたが、自転車よりはかなり楽です。20分ほど電車に乗って仙台駅に到着です。いや~電車って本当に素晴らしい乗り物ですね(笑)。これだったら、毎日通勤しても大丈夫そうです。その分、仕事にパワーを使ったかどうかは定かではありませんが(笑)、かなり楽なことは間違いありません。市内のコンビニの品不足は相変わらずですが、おにぎり、お弁当、お菓子、飲料、カップ麺などが1~2種類ずつ入荷しており、選ぶことを諦めれば買い物ができます。でも閉まっている店舗は4月に入っても結構ありました。やはり都市ガスの供給が安全性を考え、市内が一番最後だったというのが影響しているんでしょうね。この頃の市内は、まだガスが供給されていないところが大半でしたから・・・。久しぶりに時間を気にせず、定時まで仕事をすることができました。その後、電車に乗り、自転車のある駅まで行きました。アクシデントが待ち受けているとは知らずに・・・。【みっちゃん震災録(宮城)その48につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年05月10日
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昨日の仙台市内は、観光客などでかなり賑わっていました。今では市内の店舗も、ほぼ震災前と同じぐらい開いているので、この人ごみを見ていると震災があったのを忘れてしまうぐらいでした。現在稼動中の4,5号機を安全確保ができるまで停止するよう菅総理が要請しました。いつものように会見の直前でひとりで決めたみたいですけどね・・・。危険を意識するのであれば、震災直後に要請すれば納得するのですが、また行き当たりばったりの人気取りが始まったと思わざるを得ません。そうは言っても、中部電力側でも要請を受け入れる見通しで、防波堤などの津波対策を行うのに2~3年かかるようです。その間は、原発無しで電力を賄わなければならないため、東京電力エリア同様の節電対策が必要とされます。中部電力は、すでに余剰電力を60Hzから50Hzに変換し、東京電力に電力を融通していますが、中部電力が原発を停止することにより、この電力支援も止めることになりそうです。それどころか、夏には電力が不足し、関西電力から電力を融通してもらわないといけないかもしれません。原発の安全を確保することは必要なことですが、事前準備をしっかりして、国民の混乱を招くようなことは無いようにお願いしたいです。アルカイダの指導者、ビンラディン氏が、アメリカ海軍特殊部隊に殺害されたことで、世界中で報復テロの危険が高まっています。アメリカはすでに警戒レベルを引き上げているそうですが、日本などの同盟国も狙われる可能性があります。その日本の最大のターゲットは、なんと東京電力福島第1原発だそうです。現在、原発事故で世界から注目が集まっており、テロリストがプラスチック爆弾などを使って核汚染テロを実行すれば、最も効果的に世界中をパニックにおとしいれることができると専門家は見ているそうです。大変恐ろしいことですが、理にかなってはいますね。震災後の対応が後手後手となっている政府が、そのようなテロの対策を事前に行うとは到底思えません。早急にアメリカ軍やオーストラリア軍などと協力して対策を考えるべきだと思います。なんせ、自衛隊の半数は現在、被災地で復興作業にあたっていますから・・・。さて続きです。【4月3日(震災から23日後)】お兄ちゃんの卒業式で1日休みましたが、通勤が大変だった分、長い一週間と感じました。震災後、初めて会社に行ったり、飲みに行ったりして、少しずつですが震災前の日常が戻りつつあります。昨日から走り始めた電車も復興の第一歩ですね。でも線路に落ちかけているダクトはいまだ取り除かれておらず、電車はその手前の駅までしか動いていないようです。月曜日までには、なんとか復旧させようとJRも協力して昼夜問わずの作業が続いています。自転車の走る距離に影響するので頑張ってほしいなぁ~。ガソリンは、この頃になってやっと並ばずに給油できるスタンドが増えてきました。宮城県は、他の県に比べて、圧倒的に開いているスタンドが少なかった上に、開いていても緊急車両専用だったりと、一般車両での給油は大変でした。さらに、県内のガソリン供給元である仙台製油所が被災にあい出荷停止状態でしたので、物理的にも不足していました。そのため、全国の製油所からタンカーなどを使い、県内に供給を続け、やっと落ち着き始めたようです。その分、道路を走る一般車両が増え、渋滞が戻ってきましたけどね・・・。仙台市内や被災地ではまだまだだと思いますが、近所のスーパーに行くと食料品は、カップめんなど一部の商品を除いては、かなり流通するようになりました。全国的に品不足と言われている電池や水なども、今では十分供給されています。まあ、震災が終わったと見向きもしなくなる方も多いのと、1人何個までと限定されていたので、その分在庫が豊富にあるように見えるのかもしれません。ただ、震災後の余震などで、またライフライン無しの生活が始まる可能性があるため、うちではせっせと水や保存食などを見かける度に買いました。あの苦労は経験した人しか分かりませんからね・・・。【みっちゃん震災録(宮城)その47につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年05月07日
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昨日は楽天ルーキー塩見が十分すぎるほどの投球を行ってくれて、久しぶりに勝ってくれました。プロ初となる塩見のウィニングボールは、サンチェスが客席に投げ込んでしまうアクシデントもありましたが、選手がアピールしてなんとか本人の手元に確保されたようです。これで先発陣の仲間入りしてくれれば、楽天もかなりローテーションが楽になると思います。岩隈、永井で負け、カード3連敗を覚悟していましたが、期待を裏切りやってくれました(笑)。でも、ソフトバンクは内川の欠場で、打線に力が無くなったように感じたのは私だけでしょうか?今日からホームで西武戦です。移動で疲れも溜まっているとは思いますが、被災地のために熱くなるプレーを期待します。さて、私も応援ユニフォーム出さないと(爆)。今日は会社ですが、昨日までにいろいろ地元のイベントに行きましたが、結構人出は多かったような気がします。当初はほとんどのイベントが開催中止と発表していましたが、復興のために自粛は止めようと、小規模ながらも開催するところが多かったです。それでも、通常のGWと比べれば、かなり少ないようですけどね。宮城県内を訪れた枝野官房長官は、東日本大震災復興をめぐり東北、常磐自動車道以外の東北地方にある有料道路も無料化できるか検討する考えを表明しました。確かに無料化になれば、東北を訪れる方も増えるかと思いますが、逆に大規模な無料化は渋滞などを巻き起こし、流通など社会に影響を及ぼすと感じます。個人的には、東北や茨城、千葉などの被災地を中心に、夏に廃止されるというETC上限1000円を存続するのが良いと思います。さすがに無料化は、高速道路がバイパス化するだけですから、混雑を避けることは難しいでしょうね。ただ、政府が復興のために、何かを行おうとしていることは評価したいと思います。東電の原発に対する賠償額が決まっていないうちに、電気料金値上げで国民に負担させようとする考えよりは100倍良いと思います。東京電力が発表した「役員報酬50%削減」を実行したとしても、半減した役員報酬の平均は2千万円超ですから国民が納得するわけはありませんよね。そもそもいまだに東電は「想定外の津波」とし、損害賠償の上限を設け、それ以上は国つまり国民に負担してもらおうとしていますし、国は国で認められないと突っぱねていますが、いつになったら結論が出るんでしょうか・・・。ドイツ気象台が発表している明日7日の放射能拡散予報です。明日はお出かけの予定でしたが、さて、どうしようかな・・・。さて続きです。【4月2日(震災から22日後)】昨日はすっかり飲みすぎて会社で爆睡していましたが、土曜日ということもあり家で用事があるので早めに出発です。今日からJRが復旧し、最寄り駅の隣駅まで開通するので、来週から通勤はかなり楽になります。そのため久しぶりの仙台駅に向かいましたが、駅の外側は足場が組まれており、かなりの被害が出ているのが分かります。駅の中は思ったよりキレイでしたが、壁のいたるところにヒビ割れを確認できました。さっそくみどりの窓口で、震災後使えなかった定期券の払い戻しを行いました。3月7日から1ヶ月の定期でしたので、ほとんど1ヶ月使えなかったことになります。震災の対応として日割りで計算してくれたので、4日分を差し引いた金額が返ってきました。バスや地下鉄など、JRの代替交通機関でお金がかかっていたので、それはそれで嬉しかったです。ひとつ手前の駅まで電車・・・と行きたいところですが、途中の駅に自転車を置いているため、その駅までの切符を買いました。しかし、改札に行くと、なぜか人混みが??放送を聞くと、沿線の建物が倒壊する可能性があるため、途中の駅までしか行けないそうです。あらら復旧初日から大丈夫かしら・・・。途中駅が自転車を置いている駅だったら何も問題無いのですが、残念ながら、その1つ前の駅までしか行かないようです。帰るためには1駅分徒歩?と思いましたが、そこから代行バスが出ているため、なんとか行けるようです。約1ヶ月ぶりの電車に乗りましたが、電力を使わないようにと空調設備と照明は付いていませんでした。ところどころ徐行するものの、なんとか代替バスのある駅まで到着しました。土曜日だったので、代行バスも混んでおらずスムーズに移動・・・と思ったら、今回も給油渋滞に巻き込まれ、電車だと数分の移動が30分ぐらいかかりました。自転車に乗り換え、移動を開始しましたが、倒壊のおそれのある建物はおそらくあそこだろうと目星がついていたので、そこを経由してみました。その建物は3階部分の壁が崩れており、確かに危険だなと思っていました。案の定、そのビルが原因だったようで、すでに大型クレーン車が数台来て、作業を行っていました。後から話を聞くと、建物ではなく線路側に付いている排気口が落ちそうになっていたそうです。確かにテレビで見ると大型のダクトで、あれが落ちて電車とぶつかったら危なそうでした。その後は慣れた道を自転車で帰りましたが、二日酔いと自転車の疲れでか、帰ってから調子が悪くなりました。なんとか月曜日までにダクトを撤去して、ひとつ手前の駅まで電車が走ってくれれば良いのですが・・・・。【みっちゃん震災録(宮城)その46につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年05月06日
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ユッケ食中毒問題で4人目の犠牲者が出ましたね。食肉販売業者、店舗の安全管理が懸念されていますが、そもそもそれを規制する法律が無いというのには驚かされました。基準はあっても罰則が無いので、事実上無いに等しいですよね。それを知らずに我々は今まで生肉を食べてきたかと思うと恐ろしささえ感じます。まあ、私の場合、あまり生肉を好まないということで、ユッケなんてものは数えるぐらいしか食べたことがないので、食べたい気持ちは分かりませんが・・・。これだけの犠牲者が出ている状況であれば、国も動かざるを得ないでしょうね。我々国民の安全のためにも、早急に対応して欲しいと思います。東日本大震災で被災地に派遣され、被災者から感謝されている自衛隊ですが、遺体の捜索・収容作業に当たっている自衛隊員や海上保安官、警察官の「心のケア」が課題となり始めているそうです。これまでに1万人近い遺体を収容して頂いたそうですが、悲惨な現場で受けた精神的ショックから心的外傷後ストレス障害(PTSD)のような症状を訴えたりして、奇行に走るケースも出ているようです。 確かに自衛隊の方々も人間ですから当然といえば当然でしょう。震災直後から被災地入り、テント暮らしはまもなく2カ月を迎えます。さらに、最近は日中の気温が上昇し、日を追うごとに発見される遺体の損傷は進んでいるそうです。お国のため、国民のためとはいえ、このような作業は要員交代や休息が必要かと思います。感謝するばかりでなく、彼らの心の安らぎを考えてあげる時期に来ているのかもしれません。さて続きです。【4月1日(震災から21日後)】とも父さん、だきさんが何を期待しているのか分かりませんが(笑)、仕事も早々に切り上げ、仙台では有名な国分町に行きました。でも、飲みに行く=帰れない=会社に泊まり決定なんですよね・・・。正直、震災を経験し、飲みに行くような気分になれないというのもありました。震災後、初めて行った国分町は・・・驚くほど人がいません。やはり、私と同じ気持ちの方が多いんでしょうね。開いているお店はあるものの、半分ぐらいは閉まっていました。まだまだ震災前に戻るには時間がかかるんでしょうね。お客さんが勧めるお店に行きましたが、刺身などを普通に出しているのには驚きました。冷凍物ですか?と聞いてみると、一応市場は仮復旧しており、県外から海産物などは普通に入ってきているようです。そのため、刺身の盛り合わせを頼みましたが、本当に新鮮で美味しかったです。当然、震災後、刺身を食べたのは初めてです。物凄く美味しかったです。都市ガスはまだ復旧していないそうで、こちらのお店では炭火を使って調理しているそうです。焼き物も頼みましたが、炭火焼のためか、こちらもかなり美味しく感じました。すっかりお腹も満たされ、ほろ酔い気分になったので、とも父さん、だきさんお待ちかね?の次のお店に移動です。お店の外に出ると、さらに人の数が減っていました。これでは開けていても商売にならないかも・・・。会社のボトルが入っているお店を数店回るも、どこも閉まっていました。どうやら夜の蝶?たちは、地震で仙台から飛び去ったようです。しかたがないので、またお客さん行きつけのお店に行ってみましたが、そちらは開いていました。偶然にも今日から営業再開したようです。お店の中に入ると、ボトルが並べてあると思われる棚には何もありません。出てきたボトルもラベルが傷だらけでした。昔、蝶だったと思われる(笑)ママさんに震災後の状況を聞いてみると、予想通りボトルは全て床に落ち、ほとんどが割れてしまったそうです。何度も掃除したそうですが、それでもお酒の臭いはしばらく取れなかったようですね。ボトルキープしてた人が来たらどうするのと聞いてみましたが、「割れちゃった」で済ませるようですね(笑)。でも、あの震災ですから、それで責めるお客さんはいないでしょう。とも父さん、だきさん同様?楽しみが無い状態だったので、酒が進み、飲みすぎました(爆)。フラフラになりながら、会社に戻り寝ました・・・。GW前の状況は、この時より随分人が戻ってきたようです。メインは復興のために訪れている土木作業員の方みたいですね。それでも震災で1ヶ月お店を開けられなかったため、地元チェーン店、高級店などはことごとく倒産、閉店しました。夜の蝶さんたちは、専業でされている人は仙台を離れた方が多いようですね。人が戻ったといっても、飯がてら1次会で終わりという方が多いようですので、完全に震災前に戻るには、あと数ヶ月かかりそうです。私も電車が復旧したとはいえ、臨時ダイヤで最終は10時半ですので、その後一度も国分町には訪れていません。とも父さん、だきさん本当ですよ(笑)。【みっちゃん震災録(宮城)その45につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年05月05日
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休みもそろそろ中盤を過ぎました。ダラダラしていると本当に早いですね。皆さんは連休楽しんでますか?昨日の楽天はソフトバンクの対戦でしたが、岩隈が序盤につかまり先制され、味方の援護も無く4連勝できませんでした。楽天打線は和田に3安打、三塁も踏めず今季初の無得点負けとなります。星野監督も「和田が良過ぎた」と言うしかないようでした。すっかり和田にやられた感じですが、野球は打たなければ勝てないですからね・・・。そろそろ打線が奮起してくれないと、投手も厳しいでしょうね。これで4位・・・ん~。しかし、それを補う?ようにホーム2戦目となるサッカーベガルタ仙台は、アビスパ福岡を1対0で破り、3連勝でついに首位に立ちました。先制点から6分後の後半39分、パクがこの試合2枚目の警告を受けて退場しましたが、残り10人でカバーして無失点で逃げ切りました。ベガルタが首位に立ったのは、実は首位だった柏を、山形が倒してくれたからなんですよね。ベガルタ手倉森監督は「山形が東北のために勝ち点3を取ってくれた。きょう両チームが勝ったのは素晴らしいこと」と感謝し「東北のために勝つことはもちろん、首位に居続けることが大事」宣言しました。昨日も余震が結構ありましたが、震災後、私が買った防災グッズを紹介しておきますね。ホームセンターなどで、見かける度にいろいろ買っているので、これ以上買っていると思いますが、おとしごろのせいか思い出せません(笑)。・水用ポリタンク20L×2・非常食(乾麺、カップラーメン、レトルト食品など)・紙皿、紙コップ・手回し充電ライト・ラジオ・電池・電池カバー?(単3を単1,2として使えるようにするカバー)・水2L×24本・DC/ACインバーター・ソーラー充電器(内蔵バッテリー搭載汎用タイプ)・ソーラー充電ライト・センサー付LEDライト(部屋の中用)・ガソリン携帯缶・ウェットティッシュ・カセットコンロ、カセット・サランラップ(業務用)東北電力でも計画停電が予想されますが、電気に関しては父が2500Wの発電機を買ったので何とかなるでしょう(笑)。燃料の灯油も常に備蓄しているので、最悪の場合、いろいろお世話になろうかしら。そうそう、以前むしおやち”さんが紹介していたポポポポ~ンのキャラが変身するパロディ映像をまとめたようなものがありましたので、紹介しますね。マンボウは力入れ過ぎ(爆)。さて続きです。【4月1日(震災から21日後)】昨日は年度の終わりにギリギリで卒業式を行うことができました。やはり人生の切れ目の行事は行って頂き、良かったと思います。しかし入学式は20日以降と、まだ未定のようです。やはり避難している方々がどうなるのか分からないので、学校独断では決められないようです。今日は4月1日、早いもので震災後、月が替わってしまいましたね。いつもはエイプリルフールと言いつつ、おやち”ギャグを炸裂するのですが、さすがにこの状況では、そんな元気はありません。まあ、言ったとしても失笑されるだけですから、あまり意味はありませんが(笑)。昨日アルコールを十分補充したので、自転車も軽やかに・・・とは行きませんが、足の疲れもすっかり取れ、快調です。バスや地下鉄は日に日に混んで来ています。少しずつですが、日常を取り戻してきている方も多いのでしょう。混むのは嫌いですが、そう考えると嬉しいことなのかもしれませんね。なんだかんだと自転車通勤を決行しましたが、明日2日から隣の駅まで電車が復旧することが決定しました。これで、一気に自転車の移動距離は減少します。それでも田舎の隣駅なので、自転車で40分ぐらいはかかるんですけどね(笑)。会社に着いて、休憩がてらタバコを吸っていると、携帯電話のアンテナ設置を行っている会社の方と会話をしました。今は沿岸部周辺のアンテナ修理を行っているようですが、現地に行くと今も震災当時と変わらぬ光景で心が痛むそうです。ついでに、震災後、電話がつながらなくなる話を聞いてみましたが、震災になると一斉に通話の回線を閉じて、メールの回線に置き換えるため、電話してもバッテリーの無駄だということでした。なるほど、だからメールは震災後も生きていたんですね。また、停電になって非常用電源でアンテナはどれぐらい持つのかと聞いてみたら、長くて数時間で、通常はその間に電気が復旧するから大丈夫とのことでした。今回の震災では携帯も長い間、圏外になっていましたからね。圏外といえば、圏外のまま電源を入れておくと、携帯電話がアンテナを探すため、電波を出しっぱなしになるのでバッテリーの消耗が激しいそうです。そのため、圏外になったら、なるべく電源を切っておいた方が良いとのことでした。ワンセグ付き携帯電話についても、ワンセグを見ている時にアンテナを探しに行くので同じく消耗が激しくなるそうです。今の機種で、携帯電話機能を止めて、ワンセグオンリーに設定することはできないそうなので、気をつけて下さい。なるほどと思いながら仕事をしましたが、今日は金曜日。普通に考えたら通勤往復8時間コースですが、震災を心配してお客さんが来社するので、夜はお付き合いしなければならなくなりました。ということで、とも父さん、だきさん期待(笑)の夜のお店に出陣です・・・今はどうなっているんだろう・・・。【みっちゃん震災録(宮城)その44につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年05月04日
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昨日は暴風のお陰?で休みになったため、7連休が確定しました。ダラダラモードにさらに拍車がかかりましたね(笑)。今日は、買い物を兼ねてどこかにお出かけしたいと思います。今は消費・・・しないとね。急遽休みになったので、録画しておいた情熱大陸を見ました。震災から50日間の楽天を追ったドキュメンタリーでしたが、震災に直面した選手達の揺れる思いが伝わってきて泣けました。震災後、すぐに被災地に行けなかった思い、こんな時に野球なんかしていて良いんだろうかという思いなど、彼らも辛かったと思います。開幕前、やっと被災地に訪れることができた時も、どんな顔で行けばよいのだろう?来るのが遅いんじゃないの?と言われるのではと心配していましたが、避難している方々から逆に「頑張って」と励まされ、選手達も感慨深げに「こっちが言う立場なのに・・・」と語っていました。情熱大陸とGoing!を見て、あのホーム開幕での勝利、嶋の感動したあいさつの言葉が必然だったと理解できました。これほど楽天のファンでいて本当に良かったと思ったことはありません。優勝目指して頑張って下さい。多くの地元ファンが応援してますよ。今日から楽天はソフトバンク3連戦、ベガルタもアビスパ福岡との対戦です。むしおやち”さん、お手柔らかにお願いしますね(笑)。昨日は地震速報以外で珍しく緊急ニュースがテロップで流れ、何だろうと思ったらアルカイダのリーダービンラディンを殺害したとアメリカ政府が発表したとのことでした。あのアメリカ同時多発テロが起きた2001年9月11日から10年近く経っているので、名前を聞いても、若い世代の方は知らない人がいるかもしれませんね。アメリカ同時多発テロは、ツインタワーで有名だった世界貿易センタービルや国防総省にハイジャックされたジェット旅客機が、民間人を乗せたまま突っ込むという現実では想像できない事件でした。その後、アメリカはアフガニスタン紛争、イラク戦争を行うことになりますが、アルカイダのリーダーとされるビンラディンは現在まで捕まえることはできませんでした。今回の件で、アメリカではお祭り騒ぎになっていますが、アメリカ政府は報復テロを行う可能性が非常に高いと警戒を呼びかけています。何も起こらなければ良いのですが・・・。宮城県南三陸町で、津波到達の直前まで防災放送で町民に高台への避難を呼び掛け続け、自らは行方不明となっていた女性職員の遺体が確認されました。女性職員は、津波で全て水没した3階建ての防災対策庁舎の2階で「6メートルの津波が来ます。避難してください」などと防災放送で何度も呼び掛けていました。先月、町の沖合で見つかり、昨年7月に結婚した夫がプレゼントしたミサンガが左足首に巻かれ、右肩のあざなどの特徴が遺族によって確認されたため、本人と断定されました。今年9月に結婚式を挙げる予定だったそうです。今回の震災では、自分の身を犠牲にしてたくさんの命を救った方が数えられないほどいらっしゃいます。あの津波ですから、周りを気遣う余裕など無かったと思いますが、我先に逃げた方々が生き残ったのも事実です。当然、我先にと逃げた皆さんも、逃げ遅れている方を見て、心の葛藤はあったと思います。私もその場になって、どう行動するか正直自信が持てません。ただ、自分の身を犠牲にしてたくさんの命を救った方がいたことを決して忘れないで下さい。さて続きです。【3月31日(震災から20日後)】今日は半月ほど遅れたお兄ちゃんの卒業式です。震災直後は、子供たちが通う学校にも1000人以上の方が避難していたため、このような日が訪れるとは夢にも思いませんでした。卒業式当日も、500人近い方が避難されていたため、式は教室より若干広い視聴覚室で行われました。避難されている方を気遣い、父兄は質素な服で来て下さいとのことでした。確かに、お洒落して来るような状況ではないですからね・・・。同じ日に時間差で、津波の被害にあった沿岸部の小学校の卒業式も同じ視聴覚室で行われるようでした。学校に入ると、他の教室にはたくさんの方が避難されており、廊下も荷物でいっぱいの状態でした。そんな状況下で本当に卒業式を行って良いのかとも思いましたが、震災後久しぶりに集まった子供たちの笑顔を見ると、開催して頂き良かったと思いました。うちだけだと思ったら、結構スーツ姿の子が多いんですね(笑)。会場に入ると、先生方が一生懸命作ったと思われる手作りの飾りがたくさんあり、それだけでも有りがたいことだと思いました。式の前に6年の担任の先生方が父兄の前に来て、このような形でしか送り出せなくて申し訳ありませんと頭を下げられましたが、今の状況で卒業式を開催してもらえるだけでも親として有りがたいと、みなさん拍手で先生方に感謝の気持ちを伝えました。卒業式は、状況が状況なので、泣けるような雰囲気ではなかったですが、卒業証書をもらう自分の子の姿を見て、本当に開催してもらって良かったと思いました。お兄ちゃんにとっても忘れられない卒業式になったことでしょう。式が終わると、調達できた食材を使い、ささやかながら家でお祝いをしました。当然、無駄に買い置きしている酒を、おやち”は、たらふく飲んだとさ(笑)。【みっちゃん震災録(宮城)その43につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年05月03日
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週末になると、小刻みに余震が発生してると思うのは私だけでしょうか?震度3、4レベルの余震ですが、宮城、福島、茨城と震源地はバラバラです。先月に起きた大きな余震はもうコリゴリですので、なんとか収束に向かってほしいと思います。昨日は楽天が大敗してしまいました。先発の戸村は2回連続のKOです。今の楽天は岩村の不調などもあり、得点力が弱いので、先発投手に依存せざるをえない状況なんですよね。この課題は今年も続きそうです・・・。今日は会社に行く予定でしたが、夜中から風が強く、朝起きたら県内は暴風警報が発令され、電車は運休状態です。8時過ぎに一部動き出したという情報を入手しましたが、それだったら休んでしまえと早々にあきらめてしまいました(笑)。でも、仕事があるので、6日は出ようと思います。こんなことなら書類関係持ち帰ってくれば良かった・・・。ソフトバンクの孫社長が、「東日本ソーラーベルト構想」をうたっていますが、宮城県でも各界の有識者らを集めて行う予定の「震災復興会議」で、被災者が将来入る公営の復興住宅や自ら建てる住宅などの全戸に、太陽光パネルを設ける構想を打ち出しています。設置費用の融資は国に求め、太陽光発電で余った電力を電力会社が買い取る制度を使って返す仕組みです。宮城県内では住宅5万5千戸が全壊、1万2千戸が半壊しており、国が大幅な設置費用の補助を行えば、現実味を増しそうな感じはします。でも、太陽光パネルで発電し、余った電力を買い取ってもらうのは1年で10万円にも満たない金額ですので、支払いが100万円を超えると厳しいかと思います。20年で完済して、それ以降は利益と言われても、はたして太陽光パネルがどれぐらい持つものなのか・・・。国の思い切った政策を期待します。さて続きです。【3月30日(震災から19日後)】前日は、久しぶりの居酒屋ということで、思わずたらふくお酒を飲んでしまいました(笑)。でも、震災後はほとんど酒を飲むという行為をしていなかったので、気分転換に、たまには良いかなと思いました。一人酒はつまらないけど・・・。会社に泊まって通勤が楽な分、仕事も十分できました。さて、帰りの4時間通勤の時間です(笑)。1日空いたので、かなり足も楽になりました。いつものように地下鉄に乗って、バス乗り場まで向かいました。バス乗り場の近くにミスドが開いているのを見つけたので行ってみました。仙台市内のミスドも開いていましたが、1種類のドーナツしか売っておらず、しかも1人4個まででしたので買う気になれませんでした。お店に入ると、思ったより種類があり、しかも個数限定が無いとのことで並ぶことにしました。ドーナツなんて震災後食べたことがなかったので家族も喜ぶと思います。しかし、ドーナツを買っている間にバスが来てしまい、乗り遅れました・・・。ドーナツは買うことができましたが、1本乗り遅れた分、通常の通勤時間になってきたこともありバスはギューギュー状態でした。ドーナツ買わなきゃよかった(涙)。それでもバスで、なんとか自転車の置いてある駅まで行くことができました。自転車に乗り込み、出発です。おっと、今日はウソのように足が軽いです。これだったら1時間半で着けるかしら?途中、震災当日に寄ったコンビニが開いていたので、入ってみました。やはり、こちらも商品はほとんど無い状態です。後から話を聞いたら、コンビニの配送センターは沿岸部にあり、津波でほとんどやられたみたいですね。そのため、県外の配送センターから、なんとか物資を仕入れているようです。よく、コンビニの店頭でカラ揚げや焼き鳥を売っていますが、それの焼き鳥パック(5本入り)が未調理?のまま売っていたので、焼き鳥も久しぶりだと思い買いました。明日3月31日は、延期となったお兄ちゃんの卒業式が行われることが決定しました。焼き鳥は、子供たちも好きなので、その時に食べようかな。ということで、明日はお休みです。【みっちゃん震災録(宮城)その42につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年05月02日
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昨日は宮城いや東北を拠点とする楽天と、ベガルタ仙台が揃ってホーム初戦に勝利したため、暗い気分の被災地では久々の嬉しいニュースでした。私もかなりテンションが高くなりました。絶対連休中に楽天の応援に行きたいと思います。昨日も少し紹介しましたが、嶋選手会長が試合後のセレモニーで語った全文を紹介します。本日は、このような状況の中、Kスタ宮城に足を運んで頂き、またテレビ、ラジオを通じてごらん頂き、誠にありがとうございます。地震が起こったとき、僕たちは兵庫県にいました。家族ともなかなか連絡が取れず、不安な気持ちを抱きながら全国各地を転戦していました。被害状況が明らかになっていくにつれて、僕たちもどんどん暗くなっていきました。その時のことを考えると、今日、ここKスタ宮城で試合を開催できたことが信じられません。震災後、選手みんなで「自分たちに何ができるか?」「自分たちは何をすべきか?」を議論し、考え、開幕5日前、初めて仙台に戻ってきました。「遅れて申し訳ない」という気持ちで避難所を訪問したところ、皆さんから「おかえりなさい」「私たちも負けないから頑張って」と声をかけて頂き、涙を流しました。その時、何のために僕たちは闘うのか、はっきりしました。それは、「誰かのために闘う人間は強い」ということです。東北の皆さん、絶対に乗り越えましょう。今、この時を。絶対に勝ち抜きましょう、この時を。この時を乗り越えた向こう側には、強くなった自分と明るい未来が待っているはずです。絶対に見せましょう、東北の底力を!本日はありがとうございました。この時、買い物で出かけていたため、ラジオで聴いていましたが、録画してあった映像を改めて見ると、思わず涙してしまいました。観客の皆さんも目頭をおさえながら共感の拍手をいつまでも送っていました。この感動を、私は一生忘れません。さて続きです。【3月29日(震災から18日後)】1日8時間の通勤を避けるため、会社に泊まる決断をしましたが、仙台市内は、まだまだ物資が流通しておらず、晩飯と晩酌セット?の確保に、かなり苦労しました。それでも、この筋肉痛の足を考えるとベストの選択かもしれません。会社の皆さんは、定時になると足早に帰り始めました。この頃は自粛というよりは、交通機関も少なく、大きな余震があると帰れないという意識もあって、早めに帰るという習慣が身についていました。会社で一人になって寂しくなりましたが、会議室にテレビもあるので、夕飯を食べながらくつろいでいました(とも父さん、だきさん、現実は厳しいです(笑))。すると、ちょっと大き目の余震があり、一瞬あの震災の時のことが頭を過ぎります。家での余震と、ビルの余震では、感覚がまったく違いますね(汗)。余震はすぐに治まり、落ち着いたものの、なんかモヤモヤ感が取れないため、気分転換に外に出ました。いつもより暗い町並みですが、それでも居酒屋は営業しているようです。というよりは、居酒屋しか開いていないです(笑)。そのため、仙台市内に滞在している人は、夕食がてら居酒屋を利用する人が多いようです。夕食は済んでいましたが、私も明かりに引き寄せられて軽く一杯・・・2杯・・・3杯・・・(笑)。余震のこともすっかり忘れ、良い感じになったので、会社に戻りバタンキュー!!気が付けば、朝になっていました(爆)。【みっちゃん震災録(宮城)その41につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年04月30日
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昨日は楽天対西武の試合が雨天で中止になったため、幸か不幸か、星野監督の明言した貯金を持ってホームに帰れることになります。楽天のホームKスタの初戦チケットは完売状態のようですね。震災後にも関わらず、多くの方が来てくれるのはうれしい事です。先発は予定ではマー君ですから、なんとか勝ってほしいです。東日本大震災から今日で49日目に当たるため、被災した各地では四十九日の法要が営まれています。現在も行方不明のままですが、家族の希望で、遺体が確認されないまま供養された人もいるそうです。遺体が見つかる可能性は、どんどん下がっていいますが、家族としては遺体だけでも回収できればと思っているはずです。東京電力の女性社員が基準被曝量を超えたことにより、個人の被曝量の管理がずさんだったことが分かりました。福島第1原発事故の対策拠点で作業員が寝泊まりもしている「免震重要棟」という建物に滞在中に浴びた放射線量について、個人の線量を毎日は記録していなかったそうです。そんな管理しかしていないのに、厚生労働省は、通常時は年間50ミリシーベルトと定めている原発作業員の被ばく線量の上限を当面の間、撤廃する方針を固めました。5年間で100ミリシーベルトの基準は維持するそうですが、全国で7万人余りしかいない原発作業員ですから、作業員不足になるのを懸念してのことでしょう。今後の作業員の健康面が心配です。ノーベル賞も受賞した国際的な医師は、文部科学省が子供の1年間の許容被ばく線量の目安を「20ミリシーベルト」に設定したことに疑問を感じていると語りました。「子供の場合、がんになるリスクが成人よりも2倍から3倍高くなる」と指摘して、許容される被ばく線量の基準を引き下げるよう求めました。アメリカでは、原子力関連施設で働く人の1年間の許容量の平均的な上限が年間20ミリシーベルトとされています。基準値を上げて大丈夫という政府の対応に私も疑問を感じます。コロコロ数値が変わるのであれば、基準値と言わないでしょ、普通・・・。どこまで大丈夫なのか、さっぱり分かりません。ドイツ気象台の4月29日放射能拡散予報です。明日は、太平洋側に流れているので、日本本土は大丈夫そうですね。さて続きです。そろそろ震災録じゃなくなってきているような気はしますが(;^ω^)【3月29日(震災から18日後)】昨日のチャリでの筋肉痛?もしくはボランティアでの筋肉痛?で、夜中に足が何度もつりそうになりました。当然、朝もスタートダッシュできるわけもなく、マイペースでスタートです。それでも、それを想定して30分早く家を出ました。晴れている時は、マイペースで自転車を走させると気分が良いですね。昨日は気合を入れてこいでいたので、分かりませんでしたが、道端には草が茂ってきており、もう少しで春が来るんだなと実感できました。それでも寒いので、手袋をして自転車に乗っていますけどね。結局、昨日の帰りと同様で、駅まで2時間ぐらいかかりました。その後、いつものようにバス、地下鉄を乗り継ぎ、会社に到着です。今日は昨日より荷物が多いので疲れましたが、その荷物はお泊まりセットです(笑)。2日目にして、8時間の通勤より会社に泊まった方が良いと判断したへタレです(爆)。1泊2日にすれば、通勤時間は1日4時間で済みますからね。本当は、ホテルを考えたのですが、仙台市内は都市ガスが復旧していないので休業しているホテルが大半でした。開いていたとしても、お湯が出なかったり、震災がらみの作業をする方で埋まっているようでした。お風呂に入れないのは震災のお陰で慣れっこになっていますから、全然苦痛ではありません。そのため、社長にお願いして会社に泊まることにしました。同僚が会社に置いてある折りたたみの簡易ベットもあるので、意外と快適かもしれません。でも、夜になると、ただでさえ少ない開いているお店も閉まってしまうので、昼に食料を調達しに出かけました。コンビニが開いていたので入ると、ほぼ空の状態でしたが、ビールが売っていたのでとりあえずゲット(笑)。次に100円ショップに行きましたが、食料は皆無・・・。でも、おつまみになりそうな豆菓子が売っていたので買いました。次に薬局に行きましたが、薬以外はこちらも何も無い状態です。とりあえずお茶のペットボトルが売っていたので買いました。後は飲食店の前で、お弁当を売っていたので夕飯用に買いました。人並みはずいぶん多いですが、まだまだ普通に買い物ができるまでは時間がかかりそうです。食べ物屋さん以外の服屋さん、靴屋さんなどは在庫があるので、普通に開いていました。今の状態だと、仙台に寝泊りするのは大変そうですね。【みっちゃん震災録(宮城)その40につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年04月28日
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昨日は岩隈が頑張ってくれたお陰で楽天が勝ちました。9回以外は、本当に気持ちよく投げていましたね。奪三振13は自己最多記録タイだそうです。必死さが伝わる嶋、鉄平のヘッドスライディングによる連続内野安打もしびれました。これで、今日の試合で引き分けか勝利すれば、星野監督の明言したホームに貯金を持ち帰ることができます。今日の予告先発はラズナーですが、今回の西武とのカードは2連戦のため、次の登板予定だった青山も待機することになります。昨日は西武の涌井に打線も封じ込まれ気味だった楽天ですが、今日は帆足相手になんとか頑張って欲しい!!地震学者らが参加する地震予知連絡会の発表によりますと、3月11日の東日本大震災発生時に宮城県沖地震も起きていたそうです。宮城県沖地震は今後30年以内に99%の高い確率で発生すると想定されていましたので、ひとつ不安が減ったことになります。ただ、余震には引き続き警戒は必要としていますので、まだまだ安心はできませんね。ただし不安視ばかりして、自粛ばかりしていては何も変わりません。津波の被害が甚大だった石巻では、今年の川開き(花火大会)を開催すると発表しました。宮城の代表的な祭りである「仙台七夕まつり」も開催が正式に決まったようです。こんな時だからこそ、気分を盛り上げる意味も含めて、催し物を行うのは賛成です。文部科学省が、福島第一原発による「線量測定マップ」と「積算線量推定マップ」を公開しました。「線量測定マップ」は4月24日までに計測された実際の数値を可視化したものです。また「積算線量推定マップ」は事故発生から1年経過した時点での積算(合計)被曝量の推定値を地図上に可視化してあります。1年間の積算線量推定マップはすでにフランスやアメリカからも発表されていますので、対応が遅いような気はしますが、まあ、今の政府の対応ではこんなものでしょう。ドイツ気象台が公表した今日4月27日の放射能拡散予報です。今日は東北全域に拡散するようですから、あまり外に出ないようにした方が良さそうです。さて続きです。【3月28日(震災から17日後)】震災後、初めて会社に行きましたが、想像していたような悲惨な状況ではなく、何事も無かったようにキレイです。先週は社員が午前、午後に当番制で出勤してくれていたので、天井から落ちた粉などはキレイに掃除してくれたみたいです。それでも、この場所にいると震災時の記憶が蘇ります(;^ω^)。震災から17日目にして、同僚と久しぶりの再会をしたため、お互いの近況などを語り合い、この日は全く仕事になりませんでした(笑)。本人、ご家族の話が中心でしたが、特に震災で被害にあった話も出なかったため、一安心です。それでも、親族まで話が広がると、実家が浸水したとか、まだ実家がどうなっているのか確認できていないなど、少なからず被害が出ているようです。宮城県だけでも行方不明者を入れると1万人以上の方が犠牲になった大災害ですから、当然といえば当然ですね・・・。仙台市内は電気、水道が復旧するのは早かったものの、安全性を確認するのに時間を要している都市ガスは復旧していないところが多かったようです。そのため、いまだに体を洗うのに、お湯を沸かしているという話も聞きました。市内ではその影響もあってか、お店があまり開いておらず、開いているコンビニも時間を短縮して営業していました。自販機も売り切れになっているため、飲み物を買うのも大変な状況です。こちらに来れば、たばこなど、地元で買えないものが買えると思った私が馬鹿だったそうです・・・。でもお弁当と飲み物持参してきて良かった(汗)。バスの時間と帰りの通勤時間を考慮して、ちょっと早めに仕事を切り上げ、会社を後にしました。仙台市地下鉄の復旧は意外と早かったですが、途中から陸上に上がっているため、その辺りの高架橋は被害にあって、その区間は運休になっています。一応、その区間はバス代行を行っているようですが、バスを待つ人の列は数千人単位で2時間待ちは当り前の状態のようです。確かに5分間隔ぐらいで走っている地下鉄ですから、それぐらい需要はあるんでしょうね。地下鉄を降り、自転車の待つ駅までのバスも早い時間なのに結構人が並んでいました。これだと17時以降は結構厳しいかもしれません。なんとかバスに乗り込み、意外と早く駅に到着しました。さ~て、ここからが本番です。ママチャリに乗って走りましたが、どうも足が重い(笑)。スタートダッシュは無理そうなので、だらだらこいで帰りましたが、朝より時間がかかりました。きっと明日は筋肉痛で、もっと大変かもしれません。大丈夫か俺(爆)?【みっちゃん震災録(宮城)その39につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年04月27日
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昨日、1ヶ月半ぶりにやっと仙台まで新幹線が復旧しました。これで仙台-東京間が運転再開しましたので、かなり利便性が高まります・・・と思ったら、午後から停電になり、4時間ほど運転を見合わせたそうで、散々な初日でしたね。それでも今月中には、新青森までの東北新幹線全線が開通するそうですので、余震さんは大人しくしていて下さいね。先日、福島にある電波時計の送信所が運転を再開したことを紹介しましたが、昨日、落雷のため再び送信を停止したそうです。動かすには、送信所に入る必要があるそうですが、送信所は福島第1原発から約17キロの距離にあるため警戒区域に設定されています。そのため、復旧の見込みは立っていないそうです。やっぱり別な場所に移設しないと駄目ですかね・・・。また、1か月後までをめどに避難を求められている福島県飯舘村などの計画的避難区域で、住民が引っ越しの依頼を業者に断られるケースが相次いでいるそうです。引っ越し業者側は「社員の安全を考えると作業させられない」などとしており、6000人以上とされる計画的避難区域住民の移動に支障が出そうです。これも政府の曖昧な情報から来るものでしょうね。スタートダッシュの貯金が無くなった楽天ですが、川岸投手、井野捕手、草野、銀次両内野手の出場選手登録を抹消したそうです。ほとんどが試合で結果を残せなかった選手ですが、なかなか手厳しいですね。ただ、勝つためには、このようなメリハリも必要かと思います。 そんな中一人奮起しているのが、山崎。先日の試合でも祐ちゃん相手に頑張ってましたね。出塁した山崎が、盗塁?を試みアウト。本人的には「高須が空振りすることはまずないと判断して走ったんだけど…。サイン? おれに盗塁のサインが出るわけないじゃん」と自分自身の判断だったようです。23日の試合でも、2塁打を打ち、止まるのかな?と思ったら3塁を狙ってアウト。これには星野監督も「おれはてっきり二塁で止まるものと思って、代走を送ろうと腰を浮かしたところだったのに、三塁に走っとった。隣でヨシ(佐藤義則投手コーチ)も『(三塁へ)行くな、行くなっ』と叫んどったのに。武司のやつ、甲子園でセーフになったからといって、自分の足を過信しとる」と苦笑いだったそうです。今年43歳になる山崎が、星野監督の率先する「機動力」を自ら実践してくれるのは有りがたいことですが、あまり張り切りすぎて故障でもしないか心配です。ただでさえ今年も攻撃力が弱いと言われている楽天ですから、彼に戦線離脱されると厳しいです。もう少し若手が頑張ってくれれば良いのですが・・・。ドイツ気象台が公表した今日4月26日の放射能拡散予報です。東北沿岸から太平洋、北海道東部沿岸に広がっていますね。さて続きです。【3月27日(震災から16日後)】週末にボランティアもどきのお手伝いに行きましたが、相手が嬉しく思ってくれたので、こちらも手伝いに来て良かったと嬉しくなりました。これが本来の助け合いから来る気持ちなんですよね。もし、やってあげているという気持ちで行動していたら、手伝って良かったなんて思わなかったかもしれません。たったこれだけのことなのですが、差別、偏見する方には分からないんでしょうね。さて、今日はいよいよ月曜日、会社が本格的に始まる日です。まだJRが復旧していないため、代替手段で会社のある仙台を目指さなければなりません。最寄り駅から順に各駅の臨時バスの運行状況を確認すると、通勤に使えるぐらい本数があるのは、最寄り駅から3つ先の駅でした。距離にして、軽く15km以上・・・。そこまで車での移動も考えましたが、やはりガソリン不足の現状を考えると厳しい状況です。そのため、メタボリックアーマーのエネルギーを利用して自転車で行ってみることにしました。とは言っても、最近皆さんが乗っているようなロードタイプの自転車などあるはずもなくママチャリです。いろいろ調べると、自転車で1時間に15~20kmぐらいは進めるとのことでしたので、気楽に考えていましたが、現実はそんなに甘くありませんでした(笑)。おそらく私がそのペースを保てるのは30分ぐらいが限界で、しかも風や雨が降るとかなり速度に影響します。その日は特に雨風もありませんでしたが、1時間こいでも到着することはできませんでした。その割に体からは汗が出まくっています。まだまだ若いと思っていましたが、やはり運動不足のようですね。結局、最後はヨレヨレになりながらも1時間半ぐらいで、やっと駅に到着しました。駐輪場に自転車を止め、ちょっと休憩です(笑)。足がカクカクして、階段の上り下りが怖かったのは内緒です(笑)。クールダウンも終わり、臨時バスの出ているバス停に行ってみましたが、調べた通り、バスを待つ人が大勢いらっしゃいました。それでも朝は10分間隔ぐらいでバスが来るので、数本待って、なんとか乗ることができました。通常であれば30分もかからず地下鉄の駅まで行ってくれるのですが、ガソリンスタンドの行列が車線を1本ふさいでいるので、結構渋滞していました。そのため、到着するまで1時間ぐらいかかったでしょうか。これで家を出てすでに3時間が経過しています。そこから地下鉄に乗り換え、10分ほどで久しぶりとなる仙台の駅前に到着しました。ここに来るのは震災の時に歩いて移動した以来です。道路に落ちたがれきは撤去されていたものの、ビルの壁が壊れた部分はビニールシートやネットで覆われているだけで、手付かずの状態のようです。コンビニも開いておらず、自販機も品切れ状態・・・もしかしたら市内のほうが物資が不足しているのかもしれません。そして徒歩15分ぐらいで、やっと会社に到着しました。トータルで片道4時間近くかかったことになります。こんなのを朝晩繰り返して本当に体が持つのかしら?自分に自信が持てない(笑)。【みっちゃん震災録(宮城)その38につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年04月26日
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昨日の楽天の試合もストレスがたまる試合でしたね。先発青山がソフトバンクの重量打線、特に内川には面白いように打たれました。これでは、現在非力の楽天打線では勝てるはずないですよね。これで楽天は首位から一気に3位タイまで順位を下げ、星野監督も「まぁ立て直すわ」とある意味、開き直った感じですが、鉄平や岩村、ルイーズの主力打線の復活が無ければ、勝つことは難しいでしょうね。マー君にはなんとか頑張ってほしい・・・。そういえば震災後から、電波時計の時刻が修正されなくなったのをご存知でしょうか?うちの置時計も、少し遅れ始めていました。よくよく調べると、電波時計の時刻を自動的に修正する電波を送っている施設は、福島第一原発から20km圏内の福島県内田村市にあり、全員が避難したため震災後停止していたそうです。しかし、昨日、特別の許可を得て一時的に職員らを派遣し電波の送信を再開させました。しかし職員が常駐しないため、送信所に落雷や停電が起これば電波送信が再び途絶える可能性があるようです。電波時計の電波送信所は、福島県と福岡・佐賀県境の2カ所にあり、福島県の送信所の停止で電波が入らなくなった東北・北海道では時刻を自動修正できず、関東地方は電波が入ったり入らなかったりする状態でした。今後の方針は決まっていませんが、別の場所に移設される可能性もあります。今回の震災は広い範囲で地震が起こったため「東日本大震災」という呼び方が、一般的になってきていますが、被災地では、ほとんどの人が津波で犠牲になったのに、名前に津波という言葉が入らなければ、これから生まれてくる世代にそれが伝わらないと懸念しているそうです。確かに今回の津波の原因は地震ですが、最大震度7を記録した宮城県北の町では、家屋の損壊はあったものの、死者・行方不明者0と、それほど被害は出ていません。今回の津波の影響で3万人近い死者・行方不明者が出たため、津波という言葉を教訓として残したいというのは理解できます。私も名称をどうするかは別にして、「○○の大津波」という名前は残した方が良いと思います。今回の津波は、被害があまりに甚大ですから・・・。さて続きです。【3月27日(震災から16日後)】昨日は、津波の影響を受けた家に片付けの手伝いに行きましたが、家が水に浸かるということは、どんなに大変なものが自分の目で見て感じました。うちの家も同じように床上浸水すれば、きっと住めなくなるんでしょうね・・・。昨日は水が無くて、泥を除去するのに苦労したので、今日はKトラックに農業用の200Lのタンクを積み、そのタンクに水を入れて、ホース、洗車ブラシなどを持って出発しました。まずは昨日、外に出した家具をタンクにホースを入れて水を出し、洗い流す作業をしました。200Lといえどもすぐに無くなってしまう量なので、水で濡らした状態にして洗車ブラシでこすって、最後に水ですすぎ洗いという感じで綺麗にしていきました。でも、家具の中まで泥が入り込んでいるので、水があっても結構大変な作業でした。中に入っている洋服などは、別の場所に置きましたが、おそらく洗っても着れるような状態ではないですね。畳は洗い流すというわけにもいかないので、床から剥がして外に出しました。しかし、その下にも泥が・・・いったいどれだけ泥があるんでしょうか・・・。きっと基礎部分にも、かなり泥が入り込んでいるのでしょう。その家の方は、お年寄りのため震災当日家にいたそうですが、沿岸部から逃げてくる車の多さに気付き、金目のものと位牌だけを持ってサンダル履きのまま車で逃げたそうです。今は、親戚の家の息子が履いていたかっこいいスニーカーを履いていました。震災時は、若い人たちは仕事をしている時間だったので、家にはお年寄だけの家が多かったようですね。そのため、仕事を切り上げ、家に家族を迎えに行った方が大勢犠牲になったと聞いています。自然災害とはいえ本当に悲しい出来事ですね・・・。1階部分にたまった泥を捨て、家具と同じように床を水で濡らしてブラシでこすり、ぞうきんで何度も拭いて、多少見れるような状態になりました。それでもお世辞にも住めるような状況ではないです。最後は外に出した家具で使えそうなものを元の位置に戻し作業終了です。ご自宅の方に何度も頭を下げられ、こちらが恐縮してしまいましたが、今もこのような状況のまま、家を放置されている方はたくさんいらっしゃいます。特に沿岸部の小さな集落では、お年寄りだけの家庭が多いと思いますので、自分の手だけでは到底片付けはできないでしょうね。そのような家庭に今は全国からボランティアの皆さんが駆けつけ、対応して下さっているそうです。ボランティアの皆様には、本当に感謝致します。さて、明日から私も会社です。チャリで頑張って通勤するぞ(T^T)【みっちゃん震災録(宮城)その37につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年04月22日
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昨日は、楽天が久しぶりに悪い流れの試合をしてくれました。先発が崩れ、それに対し火に油を注ぐように中継ぎ陣が集中砲火を浴び、攻撃陣は沈黙、守備も凡ミスと良いところはほとんど無かったです。まあ、ソフトバンクが強いからしょうがないのかもしれませんが・・・。しかし、小山打たれ過ぎ!!抑えない○○は、ただの○○とか言われちゃいますよ(;^ω^)。中継ぎ陣がしっかり抑えてくれれば、4-3で負けたとしても次の試合につながったんですけどね。嫌な雰囲気を今日の試合に引きずらず、3カード勝ち越し目指して頑張りましょう!!昨日時点で、震災における行方不明者の把握ができていなかった仙台市が、行方不明者の数値を公表したため、全ての市町村の状況が確認できました。これで東日本大震災による死者は1万4000人を超え、1万4013人となりました。最も多いのは宮城県で8505人、次いで岩手県の4033人、福島県の1412人などとなります。行方不明者は、宮城県で7934人、岩手県で3822人、福島県で2044人など、計1万3804人となっています。死者と行方不明者の数は計2万7817人となり、震災の被害の大きさに目を覆いたくなります。 また、今現在も13万5906人の方が避難所での生活を続けているそうです。震災の被害だけでなく、今も原発問題で自宅に戻れない方、風評被害で仕事が成り立たない農家、漁業の皆さんは、本当に大変かと思います。さらに明日22日からは福島第一原発の20km圏内が原則立ち入り禁止になります。警戒区域の設定に合わせ、区域内の住民に一時的な帰宅を認めることも発表していますが、原発問題が長引いている状況で本当に自宅に戻る日が来るのでしょうか?そんな中、福島県の農家と全国の消費者がインターネットを通じ福島産の農産物を直接購入する動きが広がっているそうです。JA福島のネット販売は、米や野菜、農産物加工品など約20品目すべてが例年以上の注文を受け、中には品切れになった商品もあるそうです。このような支援消費は、被災地にとって本当にありがたいことです。風評被害で市場や仲卸業者から出荷を断られ、世間の冷たさを垣間見ましたが、風評被害に負けるなという心の温かい方々がいることに安心しました。激励するメールや手紙も多数寄せられているそうです。皆さんも被災地支援のために、応援よろしくお願いします。さて続きです。【3月26日(震災から15日後)】震災から3回目の週末が来ました。早いもので気が付けば、来週には4月になるんですね。電気の無い生活が長かったためか、すっかり曜日感覚が麻痺しています。電気が復旧しても、早寝早起きは変わらないので、このままの生活を続けたいと思います。今日は、知り合いから被災地の片付けを手伝わないかと言われたので、暇人の私もボランティア感覚で片付けに行きました。そのお宅は沿岸部近辺では無いですが、それでも1階部分は浸水したそうです。道路もずいぶん綺麗になり、がれきも少しずつ片付けられているため、パッと見、この辺りは津波の被害にあったようには見えませんが、やはり家の壁には、ここまで水が来たと分かる線が見えました。それでも、外観はしっかりしているので、中はそれほどでもないのかなと思ったら・・・・それほどでした・・・。家の中は泥と水で流された家具が重なっており、どこから手をつければ良いのか分からない状況でした。とりあえず、大き目の家具から外に出し、家に入り込んだゴミや泥をスコップを使って外に出しました。これだけの量の泥を運んでくる津波は、やはり人間には太刀打ちできないでしょうね。すっかり運動不足だった私は30分ぐらいで大汗をかきましたが、1~2時間やっても終わるものではありません。水があれば、外に出した家具も泥を落とせるのですが、こちらはまだ、水道が復旧していないため、それもできません。当然、電気も復旧していないそうです。ご自宅の方に、家を修復して住むんですか?と聞いてみましたが、海水をかぶった家は傷みが激しいらしく、修復する金額も結構行くようですので、悩んでらっしゃいました。窓ガラスも津波により割れているので、使えそうなものは全て持って、今は親戚の家に住んでいるそうです。この頃は、避難所生活をしている方の家に結構泥棒が入ったという話をよく聞きました。2階が無事な家が多い場所では、2階に使えそうなものを整理して置いていたら、それが全て盗まれたそうです。被災者に対し、泥棒行為をする輩の気持ちは私にはさっぱり分かりません。本当にひどい話です。夕方まで片付けを行いましたが、結局終わらず、暗くなってきたので明日また来ることにしました。家の方から、缶ジュースを手渡されましたが丁重にお断りし、家を後にしました。【みっちゃん震災録(宮城)その36につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年04月21日
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昨日は楽天の試合を見て、テンションが上がっていたためか、なかなか寝付けず、この時期に不謹慎?かと思いましたが、以前録画していたリメイク版の映画「日本沈没」を見ました。草なぎ君と柴咲コウさんが出てる方です。前作より人間ドラマ的な内容になっているため、前作を知っている方には不評なようでしたが、私は結構好きです。やはり窮地におちいった時こそ、人と人とのつながり、思いやり、助け合いが必要と、今回の震災で感じたことも影響しています。そのため、もしかしたらこの機会に見てみるのは良いことかもしれません。映画の内容は、今回の震災の原因であるプレートが跳ね返った事象とは逆で、日本が浮かぶプレートが、なんちゃら細菌によって活性化し、速度を上げてもぐりこむというものでした。つまり、日本もプレートに引きづられて1年以内に沈んでしまうという話です。その影響で、各断層では地震7の地震が頻繁に起き、活火山も噴火しました。原子力発電所の話はありませんでしたが、逃げ惑う人々、それに対処する自衛隊、柴咲コウさんが所属するオレンジのつなぎでお馴染みのハイパーレスキュー隊も救助を行っており、今回の震災の経験とかなりかぶりました。政府は海外に打診し、国民の受け入れ先を確保しようとしましたが、アメリカが、円・日本国債の投売を始めたり、世界各国があまりにも多く押し寄せていた日本人の受け入れに難色を示すなど全国民を避難させるのは難しい状況でした。風評被害や、原発から逃れてきた人が受け入れられない今の国内の状況と似ていますね。政府高官も「難民受入交渉」と称して我先に海外逃亡する輩や、日本の国宝を手土産に自分の立場を維持させようとする輩がいたりと、こちらも今の腐った日本政治に通じるものがありました。火山弾によって総理大臣が乗った飛行機が墜落し、早々に死亡。それに変わって国の陣頭指揮をとったのが、文部科学兼危機管理担当大臣役の大地真央さんでした。彼女は最後まで日本に留まり、全国民の受け入れ先を探したり、日本を救う手立てをあきらめず模索していました。今回も、このような方がいらっしゃれば状況も変わったかもしれませんね。ラストでは、日本を海中に引きずるプレートに、草なぎ君が「しんかい2000」を使ってN2爆薬を放り込み、その爆発によって日本全土が水没するのを防いだ形になります。それで草なぎ君は犠牲になってしまいました・・・。という感じの映画です。震災を経験する前と後では、かなり映画から受けるものが違っていました。当然のことながら、映画の方が被害は大きいですが、現実から受ける衝撃には勝りません。こんな状況で見たくないと思う方もいらっしゃるとは思いますが、興味のある方はご覧になってみて下さい。さて続きです。【3月25日(震災から14日後)】私の震災日記は、震災でライフラインが途絶えたぐらいなので、あまり深刻な状況が伝わってこないと思いますが、こちらのブログの方は、家が津波によって浸水し、家族が犠牲になった状況を書きつづっていらっしゃいます。もし、よろしければご覧下さい。昨日、震災後初めて知事がこちらに来たそうですが、それまでは報道でクローズアップされている市町村しか避難者名簿や被害状況が県庁に伝わっていなかったようです。確かに県庁のHPを見ても、震災後しばらくは、こちらの被害状況は何も書かれていなかったです。つまり、情報では陸の孤島になっていました。そのため、こちらの町の避難者名簿は、自分も被災者であるボランティアの方が自ら県庁に届けたそうです。今でも行方不明者を探す方が、ネットの掲示板などを利用して情報を呼びかけています。震災直後は、避難所の入り口に貼ってある避難者名簿を携帯電話で撮り、それを画像掲示板にアップして紹介するサイトがありました。しかし、あくまで画像のため、探している人は自分の目で画像に写る手書きの名前を確認するしかありません。そのため、全国の有志の方々が手分けして、数千、数万人にも及ぶ避難者の名前を画像から読み取り、分かる範囲でワープロ化して下さいました。そのお陰で、ある程度、ネットの検索機能が使えるようになったのです。それを見て、遠くからバックアップして下さっている方々がいると知り、目頭が熱くなったのを今でも覚えています。本当にたくさんのご支援ありがとうございました。ネットで必要な商品を買おうとしても被災地は配達区域外、宅急便も震災後は同じような状況でしたが、この頃になると配送センター止めなら対応してくれるところが出てきました。宅急便のHPには、配送センター止めと書いていましたが、こちらからかなり離れた佐川の配送センターでは、ちゃんと家まで届けに来て下さいました。ガソリン不足なので、かなり助かりました。こちらの町にあるクロネコヤマト配送センターの脇を通ると、かなりの量の荷物が置いてありました。きっと、ほとんどが個人から個人、町に宛てた救援物資かと思います。町では救援物資の受入準備が整っていないこともあり、最初はバタバタしていましたが、物資を送って下さるのは本当にありがたいことです。近くのスーパーでもやっと肉や魚などの生鮮品を見かけるようになりました。今日は震災後初めて納豆を食べましたよ。久々のためか、かなり美味しかったです。商品の流通は間違いなく動き出していますね。【みっちゃん震災録(宮城)その35につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年04月20日
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今日は朝から大荒れの天候で、こちらでは強風、雨、山沿いでは雪が降っているそうです。気温も10度まで行かないようですね。せっかく咲いた桜が雨と風で散ってしまわないか心配です。今の状況で、こちらでは心和ますものが少ないので、桜の花を見て、少しでも気分を紛らわしてほしいのですが・・・。茨城県のとある市で、福島原発の事故から避難してきた福島県の人たちに、放射能汚染の有無を確認する検査を受けた証明書の提示を求めていたそうです。このことを避難してきた住民が茨城県に訴えたことから問題が発覚しました。市側は「市民に無用な不安を与えない目的だった」としていますが、転入者からの抗議を受け、検査を求めないことにしました。以前、子供が差別するような発言をして問題になっている話を書きましたが、自治体がこのような対応を行うのでは、呆れてものも言えません。あんたら指導するほうの立場でしょうが・・・。もし、30km圏外に住んでいる住民が移転する場合、本当に放射能汚染の検査が必要なのであれば、今現在住んでいては危険ということですよね。政府が明確な回答を行っていないのも理由のひとつでしょうが、認識不足による差別的な態度は絶対にやめて下さい。お願いします。日曜日に放送されている「ザ! 鉄腕! DASH!!」の目玉コーナー「DASH村」ですが、福島第一原発から半径30キロ圏内に入っている福島県浪江町にあり、ネットでも大丈夫なのか?昭雄さんは?動物たちは?と心配する声が多く寄せられていました。先日の放送では、一瞬だけ元気に走る動物の姿を映しつつ「DASH村の動物たちは今日も元気です」というナレーションが流れました。震災後、村人や動物たちは群馬県などへ避難したそうで、今後は愛知県の扶桑町を拠点に新たなDASH村が始まりそうですね。あのDASH村は二度と見れないのかな・・・。政府は、無い袖は振れぬということで、復興財源確保のため、消費税を現在の5%から8%に税率を3年程度引き上げる検討に入ったそうです。状況が状況だけに、しょうがないことなのかもしれませんが、震災から復興しようとする方々の負担にならなければ良いなとは思います。家や車などの高額な買い物での3%増はかなり大きいですからね(;^ω^)。さて続きです。【3月24日(震災から13日後)】昨日は、震災直後とは思えぬ豪勢な料理で、チビッコの誕生日を祝うことができました。無理してでも強行して本当に良かったと思います。試験給水していた水も昨日から飲料水として使用して良いと通達が来ました。これでガスを利用しないオール電化の私の家は、13日目にしてライフラインが完全に復旧したことになります。しかし町全体を見た場合、被害の大きい沿岸部は、電気、水道とも、まだ復旧の目処が立っていないようです。お兄ちゃんの卒業式も遅ればせながら3月31日に行うことがやっと決まりました。先日受け取りに行ったスーツは、おやち”のボロボロスーツから見ると、当然立派に見えますから、卒業式をしてもらわないと着る機会が無くなるので困ります(笑)。一応、ネクタイの結び方をレクチャーし、スーツを試着させました。孫にも衣装?と思えるぐらい大人に見えましたよ(驚)。すでに160cmを超えているので、遠目から見ると大学生の入学式に出る人?という感じもしました(爆)。こうして少しずつですが、被災地でも時が流れ始めています。県内のJRは、いまだ全線復旧しておらず(とも父さん、3月24日時点ですよ(笑))、地元のバス会社が各駅から仙台近辺の地下鉄の駅まで臨時バスを出していますが、本数が少ないのと、最終時間がかなり早いので通勤には使えなそうです。とりあえず臨時バスが出ている一番近い駅に朝見に行ってみましたが、バス発車時刻の30分前にもかかわらず、物凄い列ができていました。結局、全員が乗れるはずもなく、家に引き返していく方もいらっしゃいました。別の駅を利用している人に話を聞きましたが状況は同じで、毎日1台ずつバスが増加され、今はひとつの時間帯にバス5台ぐらい並んでいるそうです。それでも乗れない方がいるみたいです。また、ガソリンスタンド渋滞も続いているので、バスでの移動は結構時間がかかるようでした。そうは言っても、来週から会社は通常勤務に戻ると言われていますので、私もなんとか足を確保しなければなりません。一番手っ取り早いのは車ですが、ガソリン不足の状況では、ちょっと気が引けます。原発問題もあるので、家族に逃げる手段を用意してあげなければならないというのもありますし・・・。中古の原付を買えば、最悪車からガソリンを抜いて使えば、しばらく持つかな?とも考えましたが、バイクには町が発行するナンバーが必要です。うちの町でも避難所で生活している方が5000人を超えている状況で、町がそんな対応してくれるはずがないですよね・・・。やっぱり震災の時同様、最後は自分の足か・・・。【みっちゃん震災録(宮城)その34につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年04月19日
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昨日、震災後初めて髪を切ってきました。久しぶりに短かくすると気持ち良いですね。切っている途中、小さい余震があり、頼むから中途半端な状態で逃げないでねとお店の人に冗談を言いました(笑)。すると、3月11日の震災時にもお客さんがいて、その方は途中のまま居なくなったそうです。結構お店の方は待っていたそうですが、その方は二度と現れなかったとか・・・結局どうしたんだろう・・・。東京電力から今後に対する工程表が提示されましたね。それによると今回の事態が収束(原子力が制御できる)するのに、早くても半年から9ヶ月かかるそうです。当然、アクシデントがあれば、それはどんどん遅れていくことでしょうから、自分の町を離れて避難している方々には長い道のりになりそうです。昨日、テレビの特番でチェリノブイリ原発事故のことを特集していましたが、ただの火災として消火活動にあたった30人の方は全て被曝で死亡し、3日間だけと言われて避難した近隣の住民は、二度とこの地に戻ることはなかったそうです。しかも残った家屋は汚染されているとして、全てが破壊され地中深くに埋められたそうです。事故から25年経った今でも、その区域は立ち入り禁止になっています。今回の原発事故も事態が収束したとしても、放射能との戦いは長く続くでしょう。現在、立ち入り禁止区域となっている場所に戻って、原発事故前の生活に戻れる日は来るのでしょうか・・・。先日、ガス供給が震災の影響によりストップした仙台市ガス局の復旧作業がほぼ完了したそうです。震災から1ヶ月以上経っての復旧は、あの状況を考えれば、かなり早かったと思います。そのガスの復旧を支えてくれたのが、全国から支援に駆け付けたガス事業者職員で結成した「復旧隊」だったそうです。この1カ月間で、全国51事業者の職員ら延べ約8万人が応援に入り、ガス供給再開に力を尽くしてくれたそうです。本当にありがとうございました。ガスの復旧は、安全を考え郊外から徐々に市街地に移動する形で進められたため、仙台市内の飲食店などでは今月に入ってもガスが通っていない状況でした。それでも営業再開したお店に聞くと、カセットコンロや炭などで煮炊きをしていたようで、この元気さには頭の下がる思いです。市街地のガスが復旧したことにより、ホテルの再開も期待しています。今までは営業していて宿泊できたとしても風呂に入れなかったりと、かなり厳しい状況でした。今月中に在来線が岩手の盛岡、新幹線も仙台まで復旧するそうなので、今まで通りの生活が戻りつつありますね。さて続きです。【3月23日(震災から12日後)】チビッコの誕生会ができないかと、食材探しにイオンまで来ました。大型複合ショッピングセンターで、1階の食料品店のみの営業でしたが、かなりの人でごった返していましたね。食料品コーナーに潜入すると、やはり空っぽの棚が目に付きますが、それでもかなりの食材が揃っていました。それを見ただけでも、かなりテンションが上がりましたよ(笑)。一番嬉しかったのが、食パンと牛乳です。売っていたという情報は聞くものの、午前中にすぐ売り切れるようで、実際に見たのは震災後初めてでした。食パンは1人1斤、牛乳は1人2本という制限はありましたが、宝物を見つけた感じでした。また、詳しくは知りませんがケーキの材料や、とんかつの肉やエビ、野菜なども調達できたようで、かなりの収穫でした。これでなんとか神さんがいつも腕をふるって作っている誕生会の食材も大丈夫そうです。勢い余って買い過ぎた感はありますが、買い物カゴ2個分の食材を調達し、お店を後にしました。帰り道で見るガソリンスタンドは、いまだに長蛇の列になり、そのお陰で渋滞していました。でも渋滞するぐらい車が走るようになったかと思うと、ちょっと嬉しくなりました。4月に落ち着いたら誕生会をしようねと言って納得していたチビッコですが、誕生会でケーキのろうそくを消す時は満面の笑みでしたね。やはり事情が分かっているので、子供なりに我慢していたんでしょう。やっぱり無理してでも誕生会をして良かったです。当然、おやち”は不要に備蓄してあるお酒を久しぶりに飲んで大満足でしたとさ(笑)。その後、前日に電気温水器に給水したお湯で久しぶりに自宅でお風呂に入り、至福の時を過ごしました。栄養失調気味だったおやち”の体重も、この日ばかりは2kgほど増えましたが・・・。【みっちゃん震災録(宮城)その33につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年04月18日
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週後半からの暖かさ(暑さ?)で、こちらでも桜が満開になりました。被災地の人間は正直3月から時が止まっている感じなので、桜が咲いているのがとても不思議に感じます。いつもと変わらぬ時の流れに、違和感なく過ごせるようになりたいです。昨日も楽天が勝ってくれましたね。昨年の開幕4連敗を考えると信じられない結果です。これで4勝1敗。まだ5試合ですが「がんばろう東北」のステッカーにあるように、選手達の気迫のあるプレーに感銘を受けます。このまま勝ち続けて、真のホームに戻ってきてほしいと思います。菅降ろしで民主党内でもゴタゴタしている状況ですが、子ども手当ては廃止を一転し、1万円に減額して継続を模索しているようです。しかし野党の反発は収まらないでしょうから、継続は難しいかなと思います。高速道路の「休日上限1千円」についても、復興財源確保のため、夏にも廃止される見通しのようです。今年のGWは、このような状況ですから自粛しようと思っていましたが、最後の遠出してみようかな? でも、そのためには財源が(笑)。さて続きです。【3月23日(震災から12日後)】今日で震災12日目です。昨日はチビッコの誕生日でしたが、食材が揃わない状況ですから誕生会を行いませんでした。いつものように料理を作って祝ってあげることができませんからね。まあ、こんな時だからしょうがない、落ち着いたらちゃんとやればいいさ・・・と自分に言い聞かせていましたが、やはり親として誕生会をしてあげられないのは辛いです。プレゼントは震災前に買っていたので、それは昨日渡しましたが、ツイッターを見るとイオンで普段と変わらないぐらい食材を置いているというのを聞きつけました。しかも入場制限が無いそうなので、駄目元で行ってみることにしました。そのイオンに行く理由はもうひとつあって、実は震災の翌週にお兄ちゃんの卒業式を予定していたので、その時にお兄ちゃんが着るスーツ(子供用が入らないので、大人用スーツ(笑))を震災前に買っていたんですよね。そのため、すそ上げをお願いしていましたが、卒業式が延期になり、このような状況も重なり取りに行けなかったんです。途中の道路は震災後に比べれば、かなり車の量が増えていました。イオンの駐車場でも結構車が止まっていましたので、ガソリンの供給がもう少しで落ち着くのかもしれませんね。でも、空いてる時の方が嬉しかった(笑)。大型複合ショッピングセンターのイオンですが、1階の食料品店のみの営業でした。2階のスーツ売り場には入れませんでしたが、お店の人に聞いたら持ってきてくれることになりました。ここもかなり地震の被害を受けたようで、全館開業するまでは、かなり時間がかかるのではということでした。スーツを待つ間、1階に作られた特設会場の衣類などを見ていましたが、あるものを発見しました。それは大量に積まれたホワイトデーの商品です。そういえば11日に震災があったので、何も無ければ週末にこれらが売れるはずだったんですよね・・・。普通であればホワイトデー後は安く売っているものですが、こんな状況だからか普通の値段で売っていました。それでも買っていく人が結構いました。日本人って本当律儀ですね。私は事前にお返しは買っていたので、震災後ながら普通に渡していました。結局、子供たちのおやつになってしまいましたけどね(笑)。その後、無事スーツを受け取り、いよいよ食料品コーナーに潜入?です。【みっちゃん震災録(宮城)その32につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年04月17日
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楽天がホームの甲子園?で勝利しました。まだ4試合ですが単独首位に躍り出ました。この躍進には実は意外なものが影響しているそうです。それは1月中旬にNHKが放送したスポーツ大陸「オリックス 大震災からの奇跡」を録画したDVDでした。1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災で本拠地の神戸が壊滅的被害を受けたオリックスが、「がんばろうKOBE」を合言葉に奮起しリーグ優勝に輝くまでを追ったドキュメンタリー番組です。楽天の選手たちは3月11日の東日本大震災発生後、野球をやっている場合なのか、被災者の方々のためにいったい何をしたらいいのかと、悩み落ち込んでいましたが、移動中のバスでこのDVDを流したところ、「よし、おれたちも」と奮起したそうです。昨日の対戦相手であるオリックスに勇気をもらっての勝利ですから、感慨深いものがありますね。昨日の日記は本音で書いたため、かなり厳しい内容になってしまいましたが、原発事故が長引けば、さらにいろいろな問題が発生してくると思います。日本人は、どうしてもこのような話題を見て見ぬ振りをしがちですので、あえてクローズアップさせてもらいました。本当の理由かどうかは定かではありませんが、福島県出身の女性が婚約者男性の母親から「放射能の影響で元気な子供が生まれなかったらどうするの?」と言われ、結婚が破談になったという話も聞きました。そんなことは本来あってはならないことですが、本当に好きだったら婚約者男性が擁護すると思いますので、今回の件は女性にとって、もしかしたら良いことだったかもしれません。でも、そんな理由で人の人生が変わるのは許せませんね。政府による避難所の実態調査によると、5.0%に当たる16カ所の避難所で震災発生から約1カ月間、全く入浴できていないことが分かったそうです。ただ、沿岸部の被害の大きい市町村では回答がないため、状況はもっと悪いだろうと語っています。食事については、温かい物を毎日食べられる所が約6割だったのに対し、おにぎりやパンなどはあるものの、温かい食事がまったく提供されない避難所もまだまだあるそうです。替えの下着についても、全くないか、あっても洗濯できていない所がかなりあるようです。いまだ電気、水道が復旧していない避難所もかなりあり、早急に自治体の対応が必要と感じています。テレビで紹介されている避難所は、取材の関係もあり、比較的交通の便が良いところが多いです。そのため物資もかなり供給されていると思います。ただ、取材に行けない避難所にこそ、一番困窮されている方たちが生活されているのです。すみません、結局昨日の続きみたいになっちゃいましたね{><}。さて続きです。【3月22日(震災から11日後)】震災後2度の給油が無事完了しましたが、ぼったくり価格でちょっとガッカリです。被災地に近いスタンドでしたが、海岸から数キロ離れているにも関わらず、道路の脇にはがれきの山がたくさんありました。この先には、皆さんがテレビで見ているような無残な光景が広がっているとは思いますが、被災者、被害者の方のことを考えると、さすがに行く気にはなりません・・・。震災直後は、湖のような状態だった水田も震災から10日以上経っているため、かなり水が引きました。それでも道路は泥が残っておりベチャベチャ、水田には海水、がれきが残っているため、かなり磯臭かったです。このような状態では今年、塩害の影響で稲作ができないでしょうね。仙台平野も壊滅的なダメージを受けたので、沿岸部の水田はどこも駄目でしょう。専業農家の方は、本当に大変だと思います。最近の農林水産省の発表ですと、宮城、福島では、各県に割り当てられている米の生産数量目標を断念したそうです。不足分は他県がまかなうそうですが、海水をかぶった水田は稲作を行えるまで数年を要すると言われていますので、来年も難しいかもしれませんね・・・。 私の町では、塩害区域以外も含め、ほぼ全域で今年は稲作を行わないと発表しました。排水施設が壊滅的なダメージを受けているため、塩害区域以外の稲作も自粛せざるを得ないそうです。また、排水が下流である被災地に流れ込むため、捜索活動、復旧作業に支障をきたす可能性があるのも理由のひとつです。こちらでは沿岸部に仙台イチゴとして出荷されるイチゴのハウスもたくさんありましたが、しばらくそれも食べれないんでしょうね。水道はいまだ試験給水中で飲料水として使用できませんが、体のかゆさ?に耐えられず、止めていた電気温水器の栓を開けてしまいました。強制給水はしなかったので、夜間電力を使いお湯が沸くため、明日の夜にはお風呂に入れます。【みっちゃん震災録(宮城)その31につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年04月16日
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昨日も楽天が勝利しましたね。山崎選手がダメ押しで前日の嶋選手に続いて3ラン。これで開幕2連勝、なんだか強いチームみたいだぞ(笑)。これには星野監督も「期待していない奴が打った」とご満悦の様子。今日も勝って3連勝と行きたいところです。日課の緊急地震速報がさきほど鳴りました・・・。緊急地震速報が鳴らなくても、頻繁に小さい余震は今も頻繁に来ていますね。そろそろナマズさんには、お引取り願いたいのですが・・・。こうした状況を受け、米地質調査所(USGS)の研究者の話として、日本の余震が終息するまでに10年かかる可能性があると報じています。地震によって断層の一部が沈み込むなどして、震源周辺の広い部分にひずみがたまっており、震源の北や南側で大きな余震が起きる可能性があるそうです。特に東京では長期間の監視が必要と警告していますので、注意が必要です。品不足が続いておりますが、防災グッズは準備しておきましょうね。今回、東京電力の電力ために作られた福島原発の影響で、大きな被害を受けている福島県ですが、非公式ながら落ち着くまで10年、20年かかると言われており、今後どうなるんだろうと予測もできない状態です。ビートたけしさんは皮肉もこめてでしょうが「福島原発の電力を首都圏が利用しているのに、原発のリスクを地方の県や人に押しつけるのはおかしい。東京湾に作って、東京の人がそれで生活したら、何も文句は出ないはず。都心は地盤が悪いとか言うけど、地震が来ればどこも同じだよ」と語っています。また、「1300万人もいる東京に原発を作るとなると、どんな地震が来ても、津波が来ても、完璧に絶対に大丈夫な原発を作るはずだもの。そうすっと、東京都は地方にカネをやんなくてもいいわけだし」と東京に原発を作るメリットも説明しています。今回の福島原発の事故で、今後どんなにお金を出しても新たに原発を誘致してくれる地方は皆無でしょう。しかし、化石燃料を使用している火力発電所やガス発電所は、化石燃料の枯渇が懸念されていますから、新たに増やすのも難しいかと思います。日本もそうですが、世界レベルで原子力に変わる新たなエネルギー源を見つけない限り、危険を伴う原子力に頼る図式は変わらないと思います。今回の事態は収束していませんが、早急にそのような対応をしない限り、弟2の福島原発が世界のどこかで発生する可能性はありますから・・・。さて続きです。【3月22日(震災から11日後)】震災直後から停電が長期間続いたため、早寝早起きの生活が身に付き、電気が復旧してもそれは変わりません。昔は深夜番組なんてものも無かったので、皆さん早めに寝ていたんでしょうね。だからこそ、私の親の世代は兄弟がたくさんいるんだと妙に納得してしまいました(;^ω^)。そのため今日も6時前には起き、朝ごはんを食べ準備万端で、昨日ツイッターで見たガソリンスタンドに行ってみることにしました。昨日のつぶやきでは、午後に行ったら1時間ほどで給油できたと聞いていたので、それほど並んでいないと思ったら・・・物凄い行列です:(;゙゚'ω゚'):。行列の最後を見つけようと懸命に走りますが、なかなか行列が終わりません。やっと見つけた時はスタンドから3~4kmぐらい走ったでしょうか。1台3000円までという制限はあるものの、ここに並んで本当に給油できるのかしら?と思いながらも、自宅待機の暇人ですから並ぶことにしました。今回も暇つぶしグッズは持ってきていたので特に並ぶのが苦ではありません。パソコンも持ってきたので、こちらに日記を書き込んだりもしてました(笑)。しかし、少しずつ進んではいるものの、なかなかスタンドは見えてきません。7時ぐらいから並び始めて、かれこれ4時間・・・。やっとスタンドが見えてきました。ここまで並んでごめんなさいと言わないでと祈りながら並んでいましたが、タンクローリーがスタンドに入っていくのが見えたため、ちょっと安心しました。それから1時間後、やっと私の順番が回ってきました。情報どおり、1人3000円までと言われ、20Lぐらい入るのかな?と思ったら17.5Lぐらいで給油がストップ。明細を見ると、なんとレギュラー1L169円:(;゙゚'ω゚'):。前回並んで入れたところは、税込みで1L150円でしたから、かなり高いですね。それでも、こんな時はしょうがないと自分に言い聞かせ帰りました。このスタンドは2度と来ることは無いでしょうけど・・・。震災後2度の給油で、やっと燃料計の針が3/4ぐらいまで上がりました。これぐらいだったら、もしもの時に少しは遠くに避難できそうです(;^ω^)。でも1L8kmも走らないボロ車ですから、あっという間に無くなってしまうんでしょうけど・・・。【みっちゃん震災録(宮城)その30につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年04月14日
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昨日、東日本大震災発生から1カ月経った日に震度6の余震・・・。しかも昨日の夜に茨城県で震度5、今日は朝から長野県、千葉県で震度5と立て続けに大きめの余震が来ています。被災地の皆様、特に避難所に避難されている方々が心休まるよう、早く収束してほしいと思います。今日からプロ野球セ・パ両リーグが開幕しました。楽天の皆さんは、金曜日に仙台入りし、その日の夜にあの大余震を経験したので大変だったかと思います。その翌日には沿岸部の被災地を中心に慰問し、被災者を励ましてくれました。仙台入りもかなり強行スケジュールだったので、選手の疲労が気になりますが、被災地東北のチームとして頑張ってほしいと思います。サッカーベガルタ仙台の方は、得点力増強につながると思われていたFWのマルキーニョスが本人の大震災による精神的な打撃が大きいということで退団してしまいました。マルキーニョスが入って、多彩な攻撃が可能となっていただけに、残念です・・・。私は余震が続いていたのもありますが、JRが運転再開するのか気になって熟睡できませんでした。JRの運行状況を起きるたびに確認すると、午前4時ごろの発表では、本日運休との記載がありました。しかし、5時過ぎに確認すると、キタ――(゚∀゚)――!!該当区間の運行すると変わっていました。おそらくJR内でも、安全を重視して運休にした方が良いとする案と、学校なども始まってきているので、社会への影響を考えると運行した方が良いという案がぶつかり合っていたため、朝まで結論が出なかったんだと思います。ツイッターで朝早くの電車に乗った方がつぶやいているのを見て、本当に運行しているのを確認できました。そのため動かなかったら休もうと思っていたグータラおやち”は急いで出勤の準備です(笑)。最寄駅に自転車で来るのは1ヶ月ぶりです。なんか、またひとつ普通の生活に戻ったような気がして気分が良いですね。張り切って家を早く出すぎ、駅で時間を潰すのが大変でしたが(笑)。ホームに立つと、遠くに電車が見えました。この線路に電車が走る時がついに来たと思うと嬉しかったですね。あの死にそうになって通勤していた光景が走馬灯のようによみがえりました(爆)。電車щ(゚д゚щ)カモーンと思ったその瞬間、あの聞き慣れた緊急地震速報の音がホームのいたるところで鳴り始めました。まさか・・・と思い電車の来る方向を振り返ると、案の定、電車は駅まで来ずに遠くでで立ち往生(T^T)。おいおい、今日も結局電車に乗れずに終わってしまうのかと思いましたが、千葉県が震源だったため、こちらでは大きな揺れは感じず、5分ほどして電車はトロトロ動き始めました。そして再度地震で止まることは無く無事仙台まで着くことができました。やっぱり電車は便利だし楽だわ(;^ω^)。と、日記を書いている途中にも14時7分ごろ福島を震源とする震度6の余震?が発生しました。また、福島原発の近くが震源です。今日、原発事故のレベルをチェリノブイリと同等である最高レベルの7にまで上げた福島原発ですから心配です。でも、電源は確保できており、特に異常は見られなかったようですね。さて、今日中に無事帰れるか心配です・・・。さて続きです。【3月21日(震災から10日後)】スーパーにずいぶん食料が置かれるようになり、無事、食料を調達することができました。この頃は水道が試験給水中ということで、飲料水としては使用できないと言われていましたが、食器の洗い物や洗濯には利用していました。試験給水が10時から17時ぐらいまでなので、洗い物をするために、16時ぐらいには夕食を食べてましたかね。そのため22時過ぎぐらいになると、お腹がグーグー鳴ってました(笑)。そうそう、前日に精米を行いましたが、非常用の米として確保する場合は、無洗米がお勧めです。今まで普通に精米していましたが、無洗米にするよう精米したら、かなり水を節約できました。普通のお米をとぐのにも結構水が必要なので、災害時は重宝すると思います。スーパーなどで無洗米として売っているものもありますし、精米機で無洗米と指定できるところもありますので確認してみて下さい。玄米を多く削る分、量の目減りはしますが・・・。非常用に備蓄する米は水の消費を抑える無洗米にしよう!!夜くつろいでいると、突然固定電話が鳴りました。特に重要な電話ではありませんでしたが、かかってきて初めて電話が復旧していることに気が付きました。普段もあまり使わない固定電話ですから、いつ復旧したのか分からなかったです。電話回線とネット回線は、同じ口から入ってきていますが、別物と考えた方が良いです。うちはイーモバイルにしたのでプロバイダー契約を止めていました。そのため電話回線が復旧して電話が使えるようになりましたが、ネット回線を使用するIP電話や光電話は、まだつながらないようでした。電話回線が復旧してもネット回線が復旧しなければIP電話、光電話は使えない!!なぜか私のPHSもアンテナは立つようになりましたが、それでも使えない状態が続いています。もう、基本料金返して・・・。そうこうしているうちに、ツイッターでまたタンクローリーが来ているスタンドがあり、車がすでに並んでいるとの情報が入りました。でも、まだ給油の疲れが取れてないし、今日は家で寝ることにしました。明日、朝早く駄目元で並んでみるか・・・。【みっちゃん震災録(宮城)その29につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年04月12日
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東日本大震災発生から今日で1カ月を迎えました。津波の被害を受けた福島第1原発は、いまだ危機的状況が続いています。また、死者・行方不明者は2万7493人で、行方不明者を把握できていない市町村がまだあるので、これからさらに増える見通しです。住むところを無くし、避難所に避難されている方は今も15万人近くいらっしゃいます。大震災の犠牲者の方々に追悼の意を表して、本日14時46分に黙祷して頂ければと思います。今日も県内のJRは、先日の大余震?の影響で全て運休です。でも、明日から一気に運転再開するところが多いみたいですね。なんと、うちの最寄り駅でも、それに合わせて再開することになりました。やっと普通の通勤生活に戻れそうです。そのため、今日だけなんとかしなければと思い、悩んだ挙句、結局車で会社に行くことにしました。しかし、当然のように車で会社に向かう方が多く、道路は朝から大渋滞・・・。あまりの渋滞に嫌気が差し、津波の防波堤代わりになった沿岸部を走る高速道路を使いました。この高速道路は、高架橋ではなく、高く土を盛ったところに道路を作っているので津波のダメージも少なかったようです。津波が起こった時は、津波を避けるために、この高速道路に逃げこんだ人が多かったようですね。ちょっと走ると、津波に飲まれた被災地が見えてきました。道路をはさんで沿岸部はテレビで見るようながれきの山がいまだそのままになっています。沿岸部から数キロあると思いますが、船が何隻も見えました。田んぼには、いまだにたくさんの車が転がっています。幹線道路のがれき除去は完了しているようですが、1ヶ月経っても、震災後と変わらぬこの状態ですから、がれきを除去するだけでも数ヶ月、下手したら1年以上かかるかもしれません。しかし、道路をはさんで内陸側を見ると、多少のがれきはあるものの、普段見慣れた景色が多かったです。やはり、この道路が堤防代わりになったのは本当みたいですね。この高速道路が無かったら、津波の被害はさらに大きかったと思うと恐ろしくなります。私が震災後に、自宅に帰るため、借りた自転車で走っていた国道は、この高速道路から近いところで1kmぐらいしか離れていません。そう考えると、もしかしたら本当に自転車ごと流されていたかもしれません。生きてて良かった・・・。そんな中、宮城県では震災復興基本方針を固め、基本理念を「壊滅的被害から復興モデルを構築する」と宣言しました。大津波でも被害に遭わないまちづくりを目指して、住宅や公共施設は高所への移転を誘導するそうです。復興は2020年度までのおおむね10年間で達成する予定です。13年度までの3年間は「復旧期」、17年度までの4年間は「再生期」、最後の3年間は「発展期」と位置付けました。再生期までに、震災前の姿に戻したい考えです。道路については、先ほど説明した高盛り土の高速道路が大津波を止めた効果を踏まえ、沿岸部の幹線道路のうち可能な区間について高盛り土構造の防災道路に転換できるかどうか検討するそうです。長い道のりになりそうですが、復興目指して頑張って行きましょう。さて続きです。【3月21日(震災から10日後)】一晩かけて、ガソリンの給油が完了しましたが、車で寝たためか体はいたるところが痛い状態です。そのため帰ってから仮眠を少し取りました。やっぱり布団で寝るのは気持ち良いですね。食料が不足してきたそうなので、午後から給油して余裕のできた(とは言っても目盛りは半分以下・・・)車で買出しに行きました。この状況ですから国道などの幹線道路でも、車はまばらです。とりあえず、いつも行きつけのスーパーに行ったら、震災後は店頭販売でしたが、普通にお店に入れるようになっていました。品薄の商品が多かったですが、それでもカートを押して買い物ができるのは嬉しいものです。肉は外国産の豚肉がブロックで1種類だけ売っていました。魚は近海で獲れたと思われるものが数種類、そのままの形で売っていました。しかし、どれも値段は若干高めです。それでも買っていく方が多かったです。干物など魚の加工品は結構置いてありました。実家が内陸部の田舎だったこともあり、これらの日持ちする加工品は小さいころによく食べた記憶があります。今は流通が3~40年前に戻った感じなんでしょうね。私も肉を見て「おっ」とは思いましたが、久しく食べていなかったからか、以前より興味が無くなっており買いませんでした。それより食べたいと思ったのが豆腐です。こちらは通常と同じ値段だったので迷わず買いました。種類は少ないですが、お惣菜やお弁当も売っていたのには驚きました。野菜は、こちらでは田舎ということもあり、かなり豊富にありますが、仙台市内の方では大根が1本800円、キャベツ1個600円など、ありえない価格で売っていたそうです。街中の方が人口が多い分、品薄になっているんですかね。ガソリンも1L200円で売っているところもあったとか・・・。こんな時に商売っ気出したら、普通に戻った時に見向きもされなくなると思わないのかしら?こんな時だからこそ、商売を度外視し、奉仕の気持ちで売ってくれたところに今後も行きたいと誰もが思いますよね。残念ながら、牛乳やパン、納豆などは入荷後、すぐに売り切れてしまったそうです。とは言っても震災後とは思えぬ品揃えで満足して帰ってきました。今日は久しぶりに、まともなご飯が食べれるぞ(笑)。【みっちゃん震災録(宮城)その28につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年04月11日
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東京都知事選で石原都知事が再選しましたね。震災であれだけの行動、発言を見せつけられては、どんな人が出ても現役に勝てる人はいなかったでしょう。東京でも地震の被害が出ていますし、原発問題、電力不足、70%以上の確率でやってくると言われている関東の直下型地震など、多くの問題を抱えています。こんな状況の時は、自分のビジョンを明確に持った石原都知事に託す方が多いんでしょうね。昨日は、震災からちょど1ヶ月です。町の広報でも言っていましたが、今回の震災の犠牲者のために14時46分に黙とうをするそうです。私もいろいろ感慨深いものがありますので、会社から黙とうしたいと思います。でも、果たして会社に行けるのかしら??救援物資を在宅者に配布しているので、どれぐらい救援物資があるのかと思い、保管している体育館の脇から見てみましたが、本当にびっくりするぐらい段ボール箱が積みあがっていました。これぐらい物資があれば、長期保存のきく食料品以外は不要のような感じがします。個人の受付をする自治体が少なくなりましたが、個人で救援物資を送る際は送付先の自治体に何が不足しているか確認してから送るようにして下さい。阪神大震災の時も、救援物資の保管場所に苦慮した話を聞いています。善意で送ってもらった食品を食べずに腐らせてしまうのは申し訳ないですからね・・・。今日は久しぶりに本屋に行ったら、週刊誌のバックナンバー(震災以降の雑誌)が入荷しているようでした。ジャンプやマガジンはネットで読んだので買う必要はありませんでしたが、まだ最新号との間に空きがあるので、そこの号が欲しいかな・・・。出版社に電話注文すると、バックナンバーは送料無料で届けてくれるみたいですが、そこまでして読みたいかと言われると微妙ですので、間は想像で埋めようかな(笑)。そうそう、自転車も買ってきましたよ。昨日、下見した時は5台ぐらいあったのが、午後に買いに行ったら1台しかありませんでした。焦って選ぶ暇も無く買いましたが、手続きしている間にも買いに来た人がいたので危なかったです。被災地近辺は、まだ自転車が移動手段として重宝されているようですね。でも、また数時間の自転車生活は嫌ですけど・・・。さて続きです。【3月20日(震災から9日後)】ツイッターで、明日近所のスタンドが開店するという情報を聞きつけ確認しにいくと、あらら、すでに物凄い行列です。焦って一度戻り、長居できるようにパソコンやテレビ、防寒具などを車に持ち込み、再出発です。行列の後ろに並びましたが、すぐに私の後ろにも続々と車が並び始めました。前日の夜で、すでに数キロの行列です。立ち話をしている人たちがいたので、いろいろ話を聞いていると、どうやら1人2000円分しか入れられないようです。こんなに並んでも、1L150円だとして13~4Lしか入れられないのですね・・・。隣町などからも来ていたようですが、ガソリンをかけて来て、これぐらいの給油量であれば、正直並ばない方が良いのではと思いました。ほとんどの方が車を停めると帰っていきました。私の並んでいるところは農道で家も無いため別に帰っても良いかと思いましたが、行列の放置自動車が結構問題になっていたので、今回は車で寝ることにしました。毛布を持ってきてましたが、エンジンをかけない車の中は外かと思うぐらい寒いです。寒さ対策で持ってきたお酒を飲んで早々に寝ました。エンジンもかけていないし、運転もしていないので、違法ではないですよね(汗)。【3月21日(震災から10日後)】朝方のあまりの寒さで、5時ぐらいには起きてしまいました。結局、行列が動き始めたのは7時過ぎでしたね。結構前の方かと思いましたが、それでも給油するのに1時間以上かかりました。前日から並んでいるのを考えると12時間以上です。それで13Lしか給油できないのは厳しすぎますよね(笑)。自分の分の給油があっという間に終わり、目盛りは半分よりちょっと下まで上がりました。これでも心細い感じです。また、並ばないと駄目かしら・・・。【みっちゃん震災録(宮城)その27につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年04月10日
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昨日は、前日の巨大余震?で2時間ほどしか寝ていなかったので、爆睡してしまいました。震度3ぐらいの余震の余震はあったようですが、全く気が付きませんでした。今回の余震で、東日本大震災の影響で痛んでいた家屋、ブロック塀などが崩れたり、倒れたりしたところが多かったそうです。いまだ電気、水道が復旧していないところもあるようですが、私の住んでいるところでは、朝方に電気も復旧し、水道も止まらなかったので助かりました。慣れているとはいえ、あの生活は・・・。昨日は東北圏のほとんどのJR、新幹線が運休でした。今日もその状態が続いているそうです。そのため会社に行けない状態でしたが、重要な会議があったため、車で行くことにしました。毎月行っている会議ですが、先月は11日に東日本大震災により中止となったので、今回も中止というわけにはいかないんですよね。どうも、この会議は地震に呪われているようです(汗)。当然、公共の交通機関が使えないため、車で道路は大渋滞・・・。さらに、やっと行列が無くなったガソリンスタンドにも、前回の地震と同じになるのでは?と思う方々が給油に訪れているので、渋滞をさらに悪化させていました。それでも、地元民の知識で裏道を巡り、渋滞を避けて会社まで行くことができましたが、今度は駐車場がどこも満杯です。結局1時間ぐらい会社の周りをグルグルしていましたが見つからないので、はるか彼方の駐車場に止めました。しかも立体駐車場・・・。東日本大震災で、立体駐車場に止めた車が電気がストップして出すことができない、または機械が故障して動かないなんてことが結構あったので、本当は平地に停めたかったんですけどね・・・。でも、会議も無事終わり、車で無事帰る事ができました。帰るぐらいになると、慌てて給油する車もいなくなり、普通に給油することができました。前回のように状況にならなくて本当に良かったです。さて続きです。【3月20日(震災から9日後)】今日で震災から9日目です。直後のような大きな余震は少なくなり、夜もゆっくり眠れるようになりました。米と野菜を中心にした食生活が続いていたので、そろそろ米が底をついてきました。とは言っても精米していない玄米は買い置きがあるので、車で精米所に行きました。電気が復旧した直後は、精米所も結構並んでいましたが、それほど頻繁に行うものではないので、今は誰も並んでいません。そのため、すぐに精米することができました。精米が終わるのを待っていると、自転車のカゴに小分けした玄米を持ってきたり、一輪車で玄米を運んできたりする方が来ました。もしかして、車で精米に来るのは贅沢ですかね??それもそのはず、こちらでは震災から一週間経っても県内の一割ほどしかスタンドは営業していませんでした。しかもその大半は緊急車両用になっており、一般車が給油できるような状態ではなかったのです。ガソリンの流通も止まっているので、開店したとしても一斉に車が集まり、すぐに在庫が尽きて、また長期閉店という図式でした。私の車もすでに1メモリを切っています。なんとかしなければと思いつつも、遠出して探せないというもどかしさもありました。精米が終わり家に戻ると、防災無線で嬉しい連絡がありました。飲料水としてはまだ使用できないようですが、水道の給水試験をするとのことで、昼の間は水が出るそうです。蛇口をひねると水が出るのは嬉しいですね。これで、最初に行ったのが洗濯です。さすがに貴重な水を洗濯にまわす余裕は無かったので、震災後一度も行っていませんでした。そのため、なるべく数日同じものを着るようにしていましたが、それでも大量の洗濯物がありました。洗濯もできて、食器も洗えるし、あとは電気温水器に水を入れれば、夜も水が使えるし、お風呂にも入れます。ただ、飲料水として使用しないで下さいと言われているので、温水器にその水を入れるのは止めておきました。ここまで来ると、あと2~3日待つのは苦ではありませんから(笑)。夕方になって、ツイッターの情報で近所のスタンドにタンクローリーが来ており、明日開店するのでは?という情報を見つけました。そのため、ダッシュでスタンドに向かいました。【みっちゃん震災録(宮城)その26につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年04月09日
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石原都知事が花見を自粛という話をしていましたが、それは行き過ぎではという声があがっています。こうした自粛ムードは行き過ぎかどうかというアンケートをしたところ、77.9%が「行き過ぎと思う」と答え、「そう思わない」は12.2%でした。確かに私自身も花見という意識は全く無かったですが、震災後も季節はいつも通りに移り変わっているんですね。あれだけの死者、行方不明者が出た震災後ですから、自粛という気持ちも理解できますが、日本に活力を与えるためにも私は自粛すべきではないと思います。こんな時だからこそ、各人が消費を行い経済を活性化させることが、復興の足がかりになると思っています。もし、被災地のことを考えて自粛しようと思っているのでしたら、東北地方のコメ、おいしい地酒、食材を購入し花見をして頂ければ、支援にもつながりますので、よろしくお願いします。そもそも自粛するしないは個人の自由で、強要されるものではありません。「被災地のことを考えればとても騒ぐ気にはなれない」と思って下さる方は、それはそれでありがたいですし、「消費は義援金と同様に価値ある行為」と思う方は、東北地方や風評被害にあっている食材を利用して花見を行って頂ければ助かります。この動画は「ハナサケ!ニッポン!」と題し、東日本大震災で甚大な被害を受けた東北地方の産品を買って・飲んで・食べることによって、日常生活の一部として長期的に被災地を支援して欲しいという被災地からのメッセージです。岩手だけでなく、東北にはたくさんの美味しい地酒があります。花見でそれを飲んで、東北の食材で作った料理を堪能して下されば、被災地として、これ以上嬉しいことはありません。こちらでは内定取消しや、工場が被害に合い存続できないなどの理由で、雇用問題が発生しています。国も雇用助成金などで支援を始めていますが、職安ではものすごい数の人が仕事を求めて押し寄せています。しかし雇用問題は被災地だけの話ではないようですね。被災地以外でも計画停電や節電を理由とした操業停止や物流の停滞による減産を理由に、一方的に無期限自宅待機や契約更新を拒否される事例が関東を中心に相次いでいるそうです。今回の東京電力の計画停電に関して、厚生労働省は「停電による休業について事業主は使用者に給料も手当ても払わなくてよい」とする見解を発表しています。しかし、労働問題は基本的に協議で処理すべき課題であり、震災をリストラの理由にすべきではないと思います。経営者側も、会社存続をかけたギリギリの判断で、雇用に手を付けざるを得ない状況に追い込まれているところもあるでしょうから、一概に否定はできませんが・・・。さて続きです。【3月19日(震災から8日後)】ベーコンと移動販売者のパンを求めて、自転車を走らせましたが、パンは一瞬で売り切れてしまっていました。ベーコンは値段が高めだったので、まだ残っていましたが、普段だったら絶対買わないと思います(T^T)。そのお店は生産者の野菜なども置いているので、野菜がかなり豊富でした。値段もかなり安かったです。これだったら昨日、無理して野菜買わなくても良かったかな(;^ω^)。残り少なかったですが、ブナシメジも置いてあったので買いました。キノコを売っているのは震災後初めて見たかな?そうそう言い忘れていましたが、災害の時は現金が重要です。電気が復旧していない状態や、今回のような場合はカード、電子マネーが使えません。今どき携帯電話の電子マネー機能を利用して、現金を持ち歩く人は少なくなったと聞きますが、やはり現金が一番重宝します。防災グッズの中に少なくてもお金は入れて置くようにしましょう。震災時は現金でしか物が買えないので注意!!私は現金を持ち歩かないというよりは、現金を持っていないのですが、たまたま震災時に会社のお金を数万円持っていたので、それでいろいろ買うことができました。当然、後で会社に返しましたけどね(笑)。知り合いの方が親戚の安否が確認できたとのことで、テレビによく出る宮城県北の沿岸部に食料などの物資を持っていったそうです。この時は、まだ高速道路が一般車両に開放されていなかったのと、主要道路も交通規制があり、行くまで結構大変だったようです。道路は波打っているところが多く、沿岸部近くになると道路の両脇に車が重なり、今でも浸水しているところもあり、かなり恐怖を覚えたみたいです。現地に着くと、やはりテレビで報道している通り、沿岸部の救援物資は不足している状態のようでした。そのためか治安も悪くなり、コンビニや食料品店、倉庫などは荒らされ、商品どころか現金まで根こそぎ持っていかれたところが多かったそうです。非常事態とはいえ、この行為はあまり受け入れられるものではありませんね。ただ、火事場泥棒する輩は別にして、生きるためにそれだけ追い詰められていた方がいたのも事実です。そう考えると私の住んでいる場所は沿岸部に近いとはいえ、ずいぶんと恵まれている方なのかもしれませんね。現在の被災地は、救援物資が行き届いているとはいえ、すでに需要が無くなった物資が大量に残っていたり、本当に必要な物資が無かったりという状態におちいっているそうです。また、壊滅的な被害を受けた沿岸部は、まだ電気が復旧していないところが多いそうです。当然、水道も同じような状況です。以前より、ボランティアを受け入れる用意ができた市町村が増え、ボランティアの方には自宅のドロ掃除やがれきの撤去作業などを行って頂いているようです。ただ、先ほど書いたように、沿岸部ではいまだライフラインが復旧していない地域が多いです。現在はボランティアの方はご自身で移動(ガソリン含む)、宿泊、食事ができる方のみ受け入れているそうですから、県や市町村に確認の上、被災地に向かうようお願いします。ボランティア活動の際は、かならず事前に県や市町村に確認すること!!【みっちゃん震災録(宮城)その25につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年04月07日
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昨日辺りから暖かいというか、日中は暑いぐらい?ですね。仙台では6月並の気温だとか言ってました。それに伴い花粉が舞いちり、鼻水、クシャミが止まりません(笑)。目先のことだけ考えると放射能より花粉の方が厳しいです。外ではマスクしてるんですけどね・・・。しかし暖かくなると、当然強い南風が吹きます。福島原発から北に位置する宮城では・・・と思いましたが、県内の放射線測定値を見ると、0.1~0.3μSv/hと、それほど影響は見られないようです。あの水素爆発してた頃の方が数値は高かったですかね。この画像は、ドイツ気象庁が公開している放射性物質の拡散予測図(日本時間7日午後9時時点)です。日本でも国際原子力機関(IAEA)からの要請を受け、気象庁が放射性物質の拡散予測を行っていましたが「仮定の数値のため、予測精度が低い」として昨日5日まで非公表でした。この問題を突っ込まれ、枝野幸男官房長官がこの予測を公表するよう気象庁に指示していましたが、公開されたのかしら??しかし予測図を見ると、やはり南風の影響で、こちらに高濃度の放射性物質が流れてきているようです。この予測図を信頼すると、多かれ少なかれ北海道以外は、なんらかの放射能物質が降り注いでいることになりますから、あまり外を出歩かないのが一番かもしれません。中国のメディアでは、放射能汚染の危機が、福島県や宮城県などの被災地をはじめ、首都圏を含む多くの人々の生命や健康を脅かしているにもかかわらず、日本では他府県や国外などへの大規模な「逃避現象」が起こっていない、などとして、「なぜそんなに冷静でいられるのか」などと驚きを示しているそうです。現在の対応について、「放射能汚染の恐ろしさを認識していない」、「政府が発するデータを誤読している」、「被災地の現状を理解できていない」などとして、「絶望の中に希望を見いだそうとする冷静な」日本人に、「矛盾した心理、変な粘り強さ」を感じると指摘しています。まあ、危険は誰もが感じていると思いますが、日本人の島国根性が海外に避難という行為に否定的なんでしょうね。それだけ日本を愛し、日本に住み続けたいと思う日本人の心は、大陸で隣国とつながっている国には理解できないでしょう。さて続きです。【3月19日(震災から8日後)】この震災日記は、よく細かく覚えているもんだなと思うかもしれませんが、実は震災にあった時から、この体験が少しでも役に立てればと、紙に手書きで何をしたか書いていたんですよね。そうでなければ、あの状態でしたから、混乱して何をしていたか覚えてないと思います。会社にまるまる1週間行っていないのと、テレビ番組が震災関係のものばかりなので、曜日感覚がすっかりマヒしています。今日は土曜日なんですね・・・。前日に温泉で1週間分の体の垢を落としたせいか、すっかり風邪が悪化しましたけど(笑)。震災時は自分を振り返る意味もこめて日記を書こう!!会社からメールがあり、まずは復興の意味もこめて来週から会社を再開しようという話になりました。ただ、状況的には落ち着いていませんので、午前と午後に分け、ローテーションで誰かが出るような形です。私も参加したかったのですが、会社へ行くにはかなりの距離がありますし、JRは復旧の兆し無し、ガソリンも底をついているので断念しました。社内のネット掲示板を使い、あそこで何が売っていたなどの情報や、不足しているものを書いて、それを見かけた方が買ってきてくれるなんてこともしていました。ある意味、コミュニティーツール的な使い方です。これにも本当は参加したかったんだけどなぁ~。震災になると、遠くに出歩かない分、テレビやラジオで入手できないローカルな生活情報が貴重なんですよね。例えば、あのお店が開いていたとか、何が売っていたとか、どれぐらい並んでいるとか、出歩かなければ分からない情報をタイムリーに入手することが大切です。私が情報源として一番活用していたのがツイッターです。今まで、そのような使い方をしたことがなかったのですが、地元の地名で検索をすると、いろいろな情報が入手できました。しかも、つぶやきなのでタイムリーなのが嬉しいですね。タイムリーさには欠けますが、地域向けの掲示板も頻繁に見ていました。ローカルな生活情報は、ツイッターや地域向けの掲示板を利用しよう!!ツイッターを確認すると、あるお店でベーコンが売っているとの情報を入手しました。また、そのお店の店頭に移動販売車が来ていてパンを売っているとのことでした。この頃は、肉、魚、パン、牛乳を震災後ほとんど口にしていなかったので、ベーコンでも食べたかったです。そのため、今は無き自転車(涙)を走らせ、そのお店に急ぎました。【みっちゃん震災録(宮城)その24につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年04月06日
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昨日、復旧したJRに乗り、途中駅まで帰ったらアクシデント・・・。なんと駐輪場に置いていた私の自転車が無い(T^T)。手元にはカギがあるのでロックしたはずだし、カギ壊されちゃったかな?駐輪場を管理している人に聞いてみると、「あ~最近多いね~」と驚く様子もなく、「2重ロックが基本ですから」とかるく指導されちゃいました・・・。まあ、駐輪場は何かあっても自己責任と言われているけど、「あんたらお金もらって商売しているんだから、見回りぐらいしろよな!」と捨てセリフを残して諦めました。しかし、ずいぶんと治安が悪くなりましたね・・・。普段はそんなに乗降客がそれほど多くない駅ですが、今はここが終点駅ですから多くの方が、この駅を利用しています。そのため、帰路を盗んだ自転車でなんて考える輩がいるんでしょう(><)。でも、よく考えたら自転車で40分のところを帰らなければならないんですね。徒歩で帰ったら間違いなく2時間コースです。途方に暮れて駅の周りを歩いていると、手書きのボードを持っている方がいました。文字を見ると、私の方の地名が書いてあるじゃないですか!!これはもしかしてと思い、私の近所に停まるか聞いたら答えはYES!!これはかなり助かりました。後から調べると、昨日から臨時バスが出ていたようで、本数の制限はありますが、この駅まで行き来できるようです。そのため今日は朝バスで駅まで来ました。昨日分かってたら、自転車で来なかったのにな。また、無駄な出費が・・・。昨日は東京電力が、放射能汚染水を海に流す話を聞いて驚きました。どうやら高濃度の汚染水の貯蔵場所を確保するため、苦渋の決断で低濃度の汚染水を海に流したそうです。言い分は分かりますが、汚染水は汚染水です。環境汚染を考えて、かなり物議をかもしだしていましたね。福島県漁連がかなり抗議しいていましたが、昨日の夜に海への排水は行われました。こんな状況で本当に漁業が復活できるのでしょうか?それとは別に今も高濃度の汚染水も垂れ流しで海に流れていますし・・・。今日は水ガラス?や海中に鉄板の囲いを設け、少しでも拡散するのを遅れさせようとしています。タンカーや浮島?に汚染水を格納しようという話も準備が遅れており、早くても今月半ばになるそうです。それでも新たな水を必要としない循環冷却機能を確立しない限りは、いずれそれも一杯になるでしょう。現場は本当に大変でしょうけど、恒久的な対策も視野に入れて検討して欲しいと思います。ただでさえ福島県は、野菜などが風評被害にあっており厳しい状況です。実際には福島県だけでなく、基準値以上の放射能汚染の野菜が見つかった茨城県などでも、風評被害は起きています。30km圏外の福島県浪江町でも屋内退避の基準値を超えたそうなので、ますます放射能汚染、風評被害は広まっていくと思います。海外でも安全と言われ続けた日本の食品を輸入禁止にするところも増えました。原発が存在している福島県では、30km圏外の温泉旅館やホテルなどにもキャンセルの連絡が後を絶たず、今後の経済活動にも影響が出そうです。国内どころか海外からの旅行客は一気に減り、都内のホテルなどでも休業するところが増えてきたそうですね。また、東京に本社を置く海外の企業などは、大阪など関西に本社を移す動きも見えているそうです。あれだけの原発事故を目の当たりにしても冷静さを保っているのは、我々日本人だけなのでしょうか・・・。さて続きです。【3月18日(震災から7日後)】温泉に入り、体も気分もすっきりしました。帰る途中、店頭に野菜や果物が並んでいるお店を見つけました。思わずUターンして寄ってみましたよ(笑)。パッケージや箱を見ると地元のものや、山形などの隣県のものですが、仕入れて営業しているようでした。お店の中は、半分ほどのスペースしか入れませんでしたが、それでも卵や小麦粉、乾麺など、震災後あまり見かけなくなったものが結構ありました。お店の人に聞いてみると、卵、野菜、果物以外は、やはり震災後入荷していないそうです。どこもそうですが、野菜は地元産のものが結構あるので流通は早かったです。その代わり、肉や魚は遅かったですかね。本来であれば、魚は流通が早いはずなのですが、漁港は津波で壊滅的な被害を受けましたから、市場も開くわけがありません。肉は畜産も多い場所なので流通しそうですが、肉を切ったり加工するためには水や電気が必要です。この時点では、仙台近辺以外、どこも水が復旧していなかったので加工して販売することができなかったんですよね。帰り際、近くに住宅地が無い郊外型のホームセンターが営業しているのを見つけ行ってみると、意外と人が少ないです。おそらく震災直後に閉店して今まで開いていなかったのか、かなり商品が充実していますので、人がいない方が不思議です。電池、水、トイレットペーパー、ティッシュなんて山積みでありました。店長さんが入り口で目を光らせている以外は、特に入場制限も無く、1人10点まででしたが好きなものは買えました。人がいなかったのは、おそらくガソリン不足で車で出かける人が少ないため、郊外のお店に来る人がいなかったからでしょう。私ももっぱら自転車三昧でしたから。お店がいつ開くなんて情報も、この頃はありませんでしたからね。お風呂に入ってリフレッシュし、食料、生活用品を買い込み、今日は大漁です(笑)。【みっちゃん震災録(宮城)その23につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年04月04日
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JRが途中駅まで復旧し、今日は自転車の距離が一気に減って、40分ぐらいでした。それでも風が結構強く、しんどかったです。しかし電車は早いですね。バスや地下鉄で乗り継いで1時間以上かかっていたのが20分ぐらいで着きました。早く最寄り駅まで復旧してもらいたいものです。福島原発の放射能汚染水の海への流出が止まりませんね。冷やすことは続けなければならないので、流出元を止めるわけにもいかず、今も毎秒3Lぐらいの水が出続けています。昨日は紙おむつなどに使われている吸水ポリマーを水に入れていましたが、効果は全く無かったそうです。今日は汚染水を着色し、他の流出元を特定する作業が行われるようです。汚染水の流出が続けば、当然、海洋生物への影響も懸念されますから、早く止めてくれることを祈ります。海水の汚染が広がれば、漁業を立て直そうとしている三陸沿岸の方々を窮地におとしいれることになりますから・・・。さて続きです。【3月18日(震災から7日後)】今日で震災から1週間が経ちました。自宅待機で仕事にも行けず家にいましたが、生活のためになにかと忙しく、あっという間の一週間でした。いまだ電気以外はライフラインが復旧していないため、お風呂にも入っていません。携帯電話は電気が復旧して回復しましたが、いまだにかかりにくい状況は続いています。私のPHSはいまだに圏外ですが・・・。ガソリンが貴重な状況も続いておりますが、日帰り入浴の情報がテレビで流れていましたので、子供達の気分転換も兼ねて、近くの温泉に行くことにしました。お湯を沸かして体を洗うぐらいはしていましたが、すでに1週間。やっぱりお風呂に入りたいですからね。温泉に行く途中、薬局が開いていたので風邪薬を買いに寄ってみました。お店の中に入れたのは、震災以来初めてです。陳列棚は、かなり整理したようですが、床に液体が飛び散ったのか、今でもベタベタしています。水が復旧していないので、これ以上清掃は無理なんでしょうね。こちらは早くから開いていたのか、トイレットペーパー、ティッシュ、飲料、食料系はほとんど在庫がありませんでした。天井が崩れそうなところもあったので、そこの下は立ち入り禁止になっていましたね。でも、久しぶりに聞くピッというレジの音が、妙に心地よかったです。街並みを走っていると、意外と営業しているお店がありました。内陸部は津波の影響も無かったので、いつもと変わらぬ光景で、ちょっと安心できます。これだったら開店しても不思議ではありません。温泉に到着すると、あらら結構な車が止まっています。やはり皆さん、考えることは一緒ですね(笑)。旅館の方に聞くと、営業再開して数日だそうですが、午前中の方が凄い人数だったそうです。それでも食料を調達できないため、宿泊は中止しているようでした。仙台の方でも、都市ガスがまだ復旧していないため、源泉がある日帰り温泉施設は、ガソリンの行列並みに車が並んでいるそうでした。なにやら温泉に入るのに整理券が必要だとか・・・。それに比べれば、まだこちらは空いている方ですね。早々にお風呂に向かい、湯船に飛び込みたいのを我慢して、1週間分の垢を洗い流しました。気持ち良すぎて、頭と体を2回ずつ洗っちゃいましたよ(笑)。天然温泉は、ガスが止まっていてもお風呂に入れる!!さて、お待ちかねの湯船です。久しぶりに見る、たっぷりのお湯に感動しながら足を入れると、熱い・・・けど気持ち良い(笑)。そのまま一気に体をお湯に滑り込ませると、あまりの気持ち良さに「う~」とか声をあげてしまいました(爆)。お風呂に入って声をあげるのは、年寄り臭いとか思っていましたが、本当に気持ちが良いと声をあげてしまうんですね。このままお風呂で暮らしたと思いましたよ。結局、湯あたりする寸前まで浸かって、体の芯から温まることができました。被災地で自衛隊が作ったお風呂が、被災者にかなり評判が良いのもうなずけます。お風呂で気持ちが良くなると、元気も自然に沸いてきますからね。お風呂から出て、フロントあたりをウロウロしていると、おっと私的には嬉しいものを見つけました。それは、たばこの自販機です(笑)。電気が復旧した直後、たばこを求めて近くの自販機を回りましたが、考えることは一緒で、あっという間に売り切れになってしまいました。しょうがないので、売り切れていない外国たばことか買いあさったなぁ~。しかし、ここの自販機は、国産たばこもほとんど売り切れていません。そのため思わず、たばこレンコ?開始です(笑)。しかし、このレンコは1回410円ですから湯水のようにお金が無くなっていきます。5回ほどレンコした時点で神さんに見つかり、久しぶりに「絶望の眼差し」攻撃を受けてしまいましたが、それでもレンコ続行(笑)。12レンコほどで、カード切れいやたばこ切れになってしまいました。レアたばこは出ませんでしたよ(爆)。おかわりしようと、お店の人を呼びましたが、この自販機に入っているので在庫は終わりだったそうです。残念(><)。それでも、また10日以上、生き延び?られます。これを機会に止めろとか言われるのですが、逆にストレスの多いときは吸いたくなるのが心情なんですよね。今も4月からの発売中止に向けて、遠くの方にいろいろお願いしています(ねっかっぱさん(笑))。私にとって、たばこは救援物資なのですが、普通に考えると、なかなかお願いできる代物ではないですからね(爆)。温泉のお土産コーナーに乾麺や漬物が売っていたので、お土産用ではなく、食料用に買いました。ちょっと値段は高いですが、今の時期、並ばず買えるのは嬉しいです。泊まれるのであれば、湯上りのビールといきたいところですが、後ろ髪引かれる思いで温泉を後にしました。【みっちゃん震災録(宮城)その22につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年04月03日
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食料品は、カップめんなど一部の商品を除いて、かなり流通するようになりました。品不足と言われる電池や水なども、十分供給されています。ガソリンは、場所によって並んでいるところもありますが、以前に比べれば行列も少なくなりました。沿岸部の地域は、まだまだ品不足が続いておりますが、そちらももう少しで普通に流通しそうですね。しかし、雑誌などはいまだ流通していないようです。コンビニやスーパーなどの雑誌コーナーに本を見つけると、全てが震災前に発売された雑誌です。震災から、このコーナーは止まっているんでしょう。先日、週刊少年ジャンプに続いて、講談社でも週刊少年マガジンやヤングマガジンの無料配信を始めました。久しぶりにマンガを読みふけりましたよ(笑)。今回の福島原発問題の影響で、30km圏内に入っているダッシュ村では、スタッフ含め無事に避難が完了したそうです。今回、震災のお陰でライフラインが停止し、それを乗り越えようと、いろいろ学ぶことがありました。TOKIOが主体となって自給自足の生活を送るダッシュ村も、今の生活では学べない情報を放映してくれるので、結構好きだったんですよね。地震の被害は無さそうですが、立ち入りが制限されている地域ですし、おそらくこのコーナーは無くなってしまうと思います・・・。あきおさん、動物たちは、大丈夫かしら。さて続きです。【3月17日(震災から6日後)】この頃でも余震は頻繁に起こっていましたが、電気が復旧し、夜でも明るいところに居られるということで恐怖心もかなり和らいでいます。真っ暗な夜の地震は、本当に怖かったです。テレビで余震の情報も得られるので、普段の生活に戻ってきた感じがします。そのため、震災を振り返る余裕も出てきました。今までもいろいろ書いてきましたが、書き忘れたものを羅列しますね。LEDのライトは、どうしても拡散しないので暗く感じることが多いですが、コンビニ袋に空気を入れ、ふくらんだまま、ライトにくるんであげると、光が拡散し、蛍光灯代わりになります。LEDライトは結局、電気が復旧するまで電池を交換せずに持ちました。また、電気が止まっている状態では、ラジオが不可欠ですが、CDなどが付いた多機能なものではなく、シンプルなラジオがお勧めです。やはり多機能なものは電池の消費が激しいので避けたいものです。手回しで充電するタイプのラジオも良いですね。防災用のラジオは電池の消費を抑えるためシンプルで携帯的なものを!!それでも買い置きの電池が無くなって困る場面がありましたが、そんな時のワンポイントアドバイス(笑)。実はお子様のいる家庭では、あるところに電池が豊富にあるんですよ。それは、おもちゃ箱!!いろいろ光や電子音を奏でるおもちゃがあると思いますが、それを使い切っているケースは少ないと思います。おもちゃ箱から使えそうな電池を取り出したら、結構な量の電池が確保できました。おもちゃが無ければ、テレビなどのリモコンの電池を使うのも手でしょう。リモコンは消費電力が少ないので、結構中身が残っている可能性があります。家の中には、たくさんの電池が眠っている!!食料については、電気が止まると冷蔵庫が機能しなくなるので、生もの、要冷蔵のものから消費して行きましょう。でも、あまり無理して食あたりになる可能性もありますので、捨てるものは捨てましょう。冷凍庫に冷凍食品などがあれば、それが保冷剤代わりになりますので、要冷蔵のものは、冷凍庫に移動するのも手です。冷凍庫の状態にもよりますが数日間はある程度冷えてますよ。夏場だったら無理かな・・・。それの消費が終わったら、次は冷凍食品です。こちらは一度溶けてしまうと使えませんので、その前に食べてしまいましょう。自宅で冷凍したお肉、ご飯なども同様です。ただ、こちらも調理方法が限られているでしょうから、あまり無理して食べないことです。それらが無くなったら、乾麺やカップラーメン、レトルト食品などの保存食に手をつけましょう。うちは、この辺りで食材が入ってくるようになったので、なんとかなりました。そちらも無くなり、長期保管の缶詰などにまで手をつけたら、きっとご飯とみその生活でしたが・・・。災害のサバイバル生活?に、正解はありません。その時の場所、持っている物が違っていれば、おのずと正解は変わるからです。ただ、人の経験談はヒントにはなります。それを組み合わせて、自分の考えを導き出し、生き抜きましょう。【みっちゃん震災録(宮城)その21につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年04月02日
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今週は、かなり体を酷使して通勤していましたが、今日から自転車で30分ぐらいの駅まで電車が開通するとのことで、来週から通勤が楽になると思っていたら・・・。昨日は、うちの会社を心配したお客さんが会社にいらっしゃいました。立場上、放置して帰ることはできないので、久しぶりに食事がてら飲みに行きました。当然、その後に帰る事はできず、ホテルはまだ開いていないので会社に泊まり決定です・・・。いつもは賑わっている繁華街ですが、やはり交通の便が悪いのと、こんな時期に飲みに行ってる場合じゃないと自粛されている方が多いのか、かなり閑散としていました。それでも、お店は結構開いていましたけどね。私もこんな時期に飲むのは不謹慎だとは思いましたが、久しぶりに食べる刺身や肉などは、かなり美味しくて生きていることに感謝しました。でも、こんな新鮮な食材も流通するようになったんですね。でも会社のボトルが自信の影響で消失?してしまったそうです。棚に置いてあるボトルは、ほとんど落ちて割れてしまったようです。さすがにこのような状態では、ボトル代返せとは言えませんでした(笑)。飲みに行くのは久しぶりだったので、すっかり飲みすぎました。そのお陰で会社でもぐっすり眠れましたよ(笑)。それで話を戻すと、今日からJRが途中駅まで開通するので、いつもは地下鉄、バスで乗り継いでた区間を電車で移動しようと駅に向かいました。今まで立ち入り禁止だった仙台駅は、外壁の修理を行うのか足組みがされていて、通れないところが多かったです。それでも中に入ると、さほどダメージは見られず、ちょっと安心しました。しかし、駅の放送を聞いてガックリ・・・。線路の沿線にある建物が地震の影響で半壊していて、崩れて線路に倒れる可能性があるため、その手前までしか電車が行かないそうです。じゃあ帰れないじゃん、また歩き?と思ったら、その間はバス代行してくれるようです。良かった良かった。電車に乗ると、照明、暖房は節電のため付いていませんでした。関東の方でも、空調設備を止めている電車が結構あるみたいですね。まあ、この状態ですから節電は当然です。代行バスの中から、その半壊したビルを見ましたが、3階の壁は崩れて内部がむき出しになっており、確かに危なそうです。話によると徐々に建物が線路側に傾いているとのこと。一応クレーン車が来て、何か作業をしているようですが、これじゃ月曜日になっても開通しないんじゃないかな?来週もチャリで2時間かも・・・。さて続きです。【3月16日(震災から5日後)】スーパーに買出しに行って調達した、魚肉ソーセージと卵で目玉焼きを作って夕食で食べたら、なんて豪華な食事なんだろうと感動しました(笑)。体がタンバク質不足で欲していたのかもしれませんね。子供たちも美味しそうに食べてたな~。子供たちに食料無いんだから食べるなと言っても、食い盛りですから無理なんですよね。いつも足りなそうな顔をするので、私の分をあげていたら、すっかり痩せてしまいました(笑)。でも、もしかしたら体に良いことかもしれませんけど・・・。【3月17日(震災から6日後)】今まで暖房、食料、水の使用を減らすために、2家族1部屋で生活していました。しかし、電気が復旧したため、共同生活は終了となりました。ただ、5日間一緒に生活してみると、団体生活も良いなと思いました。プライベートが無いという面もありますが、避難所生活も共同生活で、いろいろ話をしたり、助け合いをしたりしていると、家でひとりでいるより気分が和らぐと語るお年寄りの方も多いです。とある市役所に避難していた方に対して、退去指示が出ているようです。これから学校が始まれば、退去指示が出る避難所も多くなるでしょう。仮設住宅などへの移動は、しょうがないことなのかもしれませんが、団体生活から一人の生活に変わり、将来を絶望ししたりして心の病になる方もいらっしゃるでしょう。この辺りを考慮して対応して欲しいと思います。震災後の心の苦しみは1ヵ月後にやってくる。心のケアを忘れずに!!暖房は電気が復旧したので使えるのですが、最低の温度設定にしました。東北電力の原子力発電所も現在止まっており、電力不足は関東と同じですから電気の使用を極力控えるようにするためです。室内でも厚着すれば、全然寒くありませんよ・・・と言いながら、すっかり風邪を引いてしまいました(笑)。前日に体を洗いたかったので、鍋でお湯を沸かして、水で薄めて体を洗いました。しかし、石けんを付けすぎたのか、想定量のお湯で洗い流すことができず、最後は水で流したんですよね。頭は洗いませんでしたが、最後は鳥肌が立っていましたよ・・・。そうそう防災グッズとして、水を使わないシャンプーを準備してみるのも良いかもしれません。ドライシャンプーと呼ばれるもので、髪にスプレーで吹きかけ、タオルでふき取るというものです。私は使ったことはありませんが、結構すっきりするみたいですよ。もし水が豊富にあるのであれば、ホームセンターなどで売っている投げ込みヒーターなどが使えるかもしれません。熱帯魚などの水を温める機械の大型版と言えば通じますでしょうか?水にその機械を入れておけば、温まる仕組みです。鍋でお湯を何回も沸かすよりは効率的かもしれません。早く水が復旧して、お風呂に入りたい・・・。【みっちゃん震災録(宮城)その20につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年04月01日
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福島原発は、フランスの全面協力を得られると日本との共同声明で発表していましたが、放射能汚染も含めて長期化しそうですね。そのため、1年の被曝量が決められている作業員の確保が必要となっています。東京電力では協力会社にの要請を行い、各地にいる作業員たちを呼び寄せようとしているそうです。中には法外な高給で、日当20~40万ぐらいの金額を提示されているそうです。誰かがなんとかしなければならない状況ですが、この高給の裏には、かなりの危険が伴うことでしょう。当然、作業員にも家族がおり、危険を伴う仕事に対し断る方も多いようです。50代以上の人は高給につられて原発に戻っている方もいらっしゃるようですが、まだ子供が小さかったりすると、躊躇しますよね。断ったら、恐らく会社にはいられないと判断し、自分の気持ちを抑えて、現場に向かう方も多いようです。家が被災し、家族を養わなければならない状況で仕事を失うことは、辛いことですからね・・・。こんな方々が死に物狂いで対応してくれていますので、我々も出来る限りの節電、風評に流されない姿勢で協力していきましょう。私も含めて東北の方は知らないですが、福島原発の事故後、東京電力では「おわびCM」を行っているそうです。しかし、肝心の福島県内では、そのCMは一切流されていないようです。これには理由があり、福島県内の民放テレビ4社、ラジオ2社にCMを放送してくれるように依頼したそうですが、各放送局から放映を断られ、4月以降もめどが立っていないそうです。こんな状況では、お詫びよりも一刻も早く事態を収束することが先決と誰もが思いますよね・・・。さて続きです。【3月16日(震災から5日後)】昨日は震災から4日ぶりに電気が復旧し、部屋の明かりだけでも嬉しく思いました。久しぶりのテレビを、夜中まで延々と見ていましたが、4日経ってもテレビは震災の放送のみで、いかに大きな震災だったかが分かります。この頃はまだ、福島原発の被害も軽視しており、まあなんとかなるだろうと安全神話を信じている専門家も多かったですね。まさか、私も、まさかこんな事態になるとは思いもよりませんでした。張本人の東京電力、国も同じことを考えていたんでしょうね。地震の耐震対策、津波の防波対策も、今回の大地震では役に立たなかったものが多かったです。過去を事例にし、自然に対して基準を設けても、今回は意味が無かったですね。地震、津波などの自然災害は、人間の想像をはるかに超えるもの!!水道が復旧していないので相変わらずお風呂には入れませんが、電気が復旧して、ちょっと安心したのか、久しぶりに寝坊しました(笑)。それぐらい電気の復旧は嬉しかったです。ガソリンは、相変わらず厳しい状況で、道路を走っているのは被災地支援にかけつけて頂いた県外の救急車、消防車、自衛隊の車ばかりです。車の変わりにずいぶん自転車の数が増えました。私も、水汲みのような重い物を運ぶ以外は、もっぱら自転車を使っています。以前途絶えた防災無線も電気が復旧したお陰で復活しました。朝から放送していたので、聞いてみると、やっとこちらの地区に自衛隊の車両を使用して給水活動が行われるようです。1人6Lという制限はありますが、近所であれば気兼ねなく水を取りにいくことができるので、かなり便利になりました。近所の一人暮らしの方は、飲むものも食べるものも無くなり、道端で気持ち悪くしゃがんでいるのを見つけられ、避難所に連れて行かれたそうです。この時期は、避難所も物資が不足し、自宅避難されている方には一切目を向けられていませんでしたからね。さっそく近所の給水所に行ってみましたが、最初はかなりの人が並んでいましたね。それだけこちらの皆さんは、水に困っていたんでしょうね。うちも車が無ければ、どうしていたか・・・。絶体絶命になれば、ペットボトルのお茶でご飯を炊いたりしたかもしれませんね。自衛隊の車を見ると、愛知と三重から来て下さったようでした。水を給水してもらっている間に「仕事とはいえ、遠くから本当にありがとうございました。」と自衛隊の方に声をかけると、ニコッと笑い「当然のことですから」と言われて、かっこいい~と思ってしまいました(笑)。でも、本当に感謝感謝です。今までは井戸水、湧き水を飲料水、料理に使っていたので、久しぶりに給水車の塩素臭い水を飲んで、懐かしささえ覚えました(笑)。煮沸消毒しなくても飲める水って、本当ありがたいですね。井戸水、湧き水を使用する場合は、念のため煮沸消毒をして使用すること!!そろそろ食料が乏しくなったので、車でスーパーに買出しに行ってみました。まだ店内には入れないようで、店頭に商品を並べて売っていました。まだ流通は止まっているようですが、地元の野菜やタマゴが売っており、いろいろ調達することができましたよ。この時点で震災後、まだ肉、魚は口にしていませんので、かなり痩せましたよ(笑)。【みっちゃん震災録(宮城)その19につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年03月31日
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前回の日記は、妙に内容が中途半端でごめんなさいでした。ただでさえ電車の代替バスの時間に制限されて、会社にいる時間が短いのに、昨日は大忙しでした。帰る時間になったので、逃げるように帰ってきましたが、帰る途中も携帯には電話の嵐・・・。結局、家に帰った後、パソコン開いて仕事してました。早く普通の通勤に戻りたいです。テレビでも紹介していましたが、海外のホテル、航空会社の支援によって、格安の海外旅行パックが人気のようです。被災地の方限定のようですが、その中身には驚きました。旅行会社H.I.S.が企画する海外の長期滞在プラン(被災者支援プラン)は本当に安いと思います。特に安いと思うのが、世界遺産で有名なカッパドキアとイスタンブールのパックで、飛行機代金、30日の宿泊費、朝夕の食事が付いて、なんと5万円ポッキリだそうです。これだったら、多少のお金と時間に余裕がある人だったら、避難所にいて食事や水、原発の心配をするよりは、思い切って海外に1ヶ月行った方が、心も安らぐかもしれませんね。私も時間に余裕があれば、行ってみたかった・・・。カッパドキア以外にも、ソウル、香港、台北、ホーチミン、上海などがありますが、こちらは食事が朝だけだったり、付かないものもあります。それでも15~30日間で3万5千円ぐらいからあるようですから、心を癒したい被災者の皆さんは行ってみて下さい。こんな時だからこそ、気分転換が必要ですよ。確か締め切りは、4月頭ぐらいまでだったと思いますので、予約はお早めに!!さて続きです。【3月15日(震災から4日後)】震災4日目にして、ネットの動画サイトにアップされている震災当日の映像を見ることができ、やっと被災地以外の方と同じ情報を得ることができました。やはり情報がラジオの言葉だけだと、あそこまで悲惨な状況は想像できませんね。そもそも、あんな光景を見るのは生まれて初めてですから、想像できるわけがありません。電気がすぐ近くまで復旧しているので、本当にそろそろこちらでも復旧するかもしれません。水に関しては、震災翌日に町が用意した給水所で対応していました。しかし、3万人がまばらに住んでいるだだっ広い町で、4日後も役場でしか給水していないのは厳しいです。うちからだと役場は、徒歩、自転車ではちょっと遠い距離なので、どうしても車を使わざるを得ないんですよね。1人6Lという制限もあるため、それだったら近くの湧き水の方に汲みに行ってしまうんです。そうそう電気ほど危険ではありませんが、水も復旧した時のために、蛇口を閉めておきましょう。以前、断水の時に、水が出ないと蛇口を開けたまま泊まりに出かけた人がいて、その方が次の日帰ってきたら水が出っ放しで、かなりの水道料金を取られたと聞きました。財布が危険ということで、注意しましょう(笑)。断水時は、必ず水道の蛇口を閉めておくこと!!また、長い間、断水していると水道管内に汚れた水が残っているケースが多いので、温水器を使っている家庭では、水道が温水器に入る口を閉めておくことをお勧めします。そうすることにより、温水器内のタンクに汚い水が流れ込むのを防ぐことができます。一度タンクに水が入ってしまうと、温水器は水を継ぎ足し継ぎ足しでタンクに入れるため、いつ綺麗になるか分からないんですよね。栓を閉め忘れ、タンクの水が明らかに汚いと感じた場合は、タンクの水を全て排出するのも手かもしれません。でも、タンクにはかなりの量の水が入っていますので、そのまま捨てるのはもったいないですけどね・・・。そういえば、震災後から風呂に入っていなかったので、体にかゆみ?が出始めました(;^ω^)。最初は気持ち悪くても、3日を過ぎると慣れちゃいますけど(笑)。今は濡れタオルで体を拭くぐらいしかできませんが、こんな時こそ清潔にしておきたいものです。後は洗顔、お風呂とセットものの歯磨きも毎日キチンと磨きましょう。いつもの生活リズムが崩れると、うっかり忘れちゃうんですよね。歯磨きは、口の中を清潔に保つことで、口の中で細菌が繁殖して感染症を引き起こすのを防ぐことができます。歯磨き粉が無ければブラッシングのみでも構わないそうです。歯磨きは感染症予防にもなるので、かならず行うこと!!震災当日に聞こえなくなった地元ラジオ放送局が、4日目でやっと聞こえるようになりました。こちらも復旧が完了したようですね。夕食を終え、ラジオを聞いていると、突然、ガガガという、ものすごい雑音が入りました。何事だと思い外を見てみると、街灯が点いているではないですか(;^ω^)。ここまで来れば間違いないだろうと、家のブレーカーを上げると、パッと明かりが点きました。それを見て、全員で一斉に拍手喝采(笑)。震災4日後の夜、ついに電気が復旧しました。これで家の照明、暖房、調理器具は使えるようになります。何よりテレビをゆっくり自宅で見れるのが嬉しいですね。【みっちゃん震災録(宮城)その18につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年03月30日
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海外の暖かい支援の話が連日報道され、嬉しく思います。だきさんも書いていましたが、海外から支援の手を差し延べられているのに、対応が追いつかず?か拒否している日本政府には、かなり疑問を感じます。原発問題も、地球規模の話ですから、最初から支援要請していれば、もしかしたらこのような状況にならなかったかもしれませんね。フランスから専門の技術者がすでに東京電力側と調整に入ったそうです。アメリカからも福島原発の敷地内の瓦礫除去用に遠隔操作できるロボットを提供するそうです。タイからは、無償でガスタービン発電設備2機などを貸し出してくれるそうで、およそ24万世帯分の電力を賄うことができるそうです。国と国も困ったときは助け合いですね。海外からの義捐金もかなりの額になっているそうです。汚染された水の除去など、まだまだ問題は山済みの原発問題ですが、世界が力を合わせて協力し合えば事態は収束する・・・そう信じたいです。さて続きです。【3月15日(震災から4日後)】そろそろ原始生活、余震にも慣れ、変な余裕が出てきました。それでも海に近い避難所から、こちらの避難所に人が移動してきたとのことで、うちの子供が通う学校は避難者が1300人にまで増えたそうです。支援物資が少ない状況で、電気、水が無い状態では、避難している方も、かなり生活が厳しそうです。私も何かできることがあればしてあげたいのですが、衣類、米ぐらいしか今は提供できないので、少し心苦しいです。隣町の親戚に用事があったので、きっとあそこは電気が来ただろうと思い、パソコンと携帯テレビを持って行ってみると、やはり電気が来ていました。どうやら昨日の夜に復旧したみたいですね。そのため、充電をお願いして待っている間、久しぶりにゆっくりテレビを見ることができました。震災から4日目ということもあり、被災地以外の方が見た津波の映像は、あまり流れておらず、被災地からの中継がほとんどでした。それでも瓦礫と化した街並みは、自分が想像していたものより凄まじい光景でした。ラジオで町が無くなったというのは嘘ではなかったんですね。これでは死者、行方不明者がかなりの人数になっているのは理解できます。充電が完了し、家に戻ってからYOUTUBEで、震災直後の津波の映像をみんなで見ました。沿岸部の町が一瞬で津波に飲まれ、仙台平野を生きているかのように進む津波は、この世のものとは思えないもので、かなり恐怖を覚えました。【みっちゃん震災録(宮城)その17につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年03月29日
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通勤自転車の筋肉痛で足がバキバキ状態のみっちゃんです(涙)。それでも人々が変わらず仕事に向かう様は、前向きな感じで、見ていて気持ち良いですね。昨日、散歩がてら昼休みに市内を見てきましたが、街を歩く人並みは、普段通りと思うぐらいたくさんいました。飲食店は、開いているところは少なく、店頭で弁当を売っているお店がほとんどでした。それでもランチだけ営業しているお店もありました。コーヒーショップもコーヒーだけの販売でしたが、開いているところがありましたよ。薬局はほとんど開いていましたが、薬以外のドリンクや食品類のほとんどが売り切れていました。100円ショップの食品関係も同様です。コンビニが開いていたので入ってみると、閉店セール後のお店のような感じで、ほとんどの棚は空で、ドリンク系はビールなどのお酒が少々あるぐらいでした。ダイエーなどの大手スーパー、デパート以外は、物流はまだ滞っているようですね。これだったら郊外の方が、まだ流通しているかもしれません。それでも、弁当売りの声を聞いていると、街の活気を感じます。戦後の闇市もこんな感じで活気があったんでしょうね。さて続きです。【3月14日(震災から3日後)】津波の被害を受けた街並みと、ほとんど変わらぬ仙台市内の街並みを同じ日に見て、かなりのギャップを感じました。まさに天国と地獄ですね。しかし、仙台でも沿岸沿いや、地震の影響で崖崩れになった場所では、今でも避難所生活をしている方はたくさんいらっしゃいます。ただ、阪神大震災の時も思いましたが、被害の酷いところだけクローズアップして報道するので、県域全てがそのような状況と勘違いされている方もいるかと思います。それはそれで被害の状況を知らせるためには、大事なことなのですが、どうしても偏った報道になってしまうんですよね。沿岸部以外では物資不足はあるものの、地震の影響はほとんど無い方が多いのも事実です。今回の震災は地震だけだったら、耐震強度の高い家が多い東北では、それほど被害、死者も出なかったと思います。あの津波さえ無ければ・・・。うちの町も、沿岸部はかなりの被害を受けましたが、ほとんど報道されず、援助物資が届くのが、かなり遅かったと聞いています。報道の偏りは、救援物資にも影響するとは思いもしませんでした。この辺りは県が主導となり、きちんと対応して欲しいものです。話によるとAKB48の大島さんがブログ?で、ツイッターから流れた、こちらの悲惨な状況を報告して下さったため、やっと注目されるようになったと聞いています。それでもチェーンメールのようにツイッターでもデマがかなり横行していましたけどね。家に戻る途中、隣町で部分的に信号が動いていることに気が付きました。その辺りのお店を見ると、電気が点いているところがあります。被害の少なかった内陸部から、徐々に電気が復旧しているようです。うちの方にも2、3日中には来るかもしれません。これだけ急ピッチで復旧しているのも、電力会社の方が不眠不休で頑張って頂いているお陰だと思います。家に戻り、もしかしてと思いブレーカーを上げましたが、やはり電気はまだ来ていませんでした。そうそう、震災後の停電は、電気が復旧しショートして火災になる可能性があるため、コンセントは全て外し、ブレーカーを落としておくことをお勧めします。・電気の復旧に備え、コンセントは全て外し、ブレーカーを落とすこと!!電気が来たことを確認したら、まずはブレーカーを上げ、煙、異臭などが無いことを確認し、それが問題なければ、ひとつずつ電化製品のコンセントを入れていく方法が一番良いです。二次災害の火災を防ぐためにも、ぜひ行って下さい。近くまで電気が来ているので、イーモバイルの基地局も復活したのではと思い、バッテリーが少ないパソコンを立ち上げるとビンゴ!!圏外だったアンテナが立っています。そして、震災後2回目の無事である報告と近況報告をしました。ここでも、パソコンの電源が厳しかったので、皆さんのコメントを読むことはできませんでした。夕食を取り、ゆっくりしようかと思いましたが、震災翌日にもらってきた水が底をついたとのこと・・・。2Lのペットボトルで10本以上ありましたが、結構水は使うものですね。そのため、夜にも関わらず、以前諦めた湧き水が出る場所に行ってみました。昼間ほどではないですが、それでも結構な方が並んでいます。皆さん、ガソリンを気にしてかアイドリングしている方は少なく、ちょっと進むたびにエンジンをかけ、止まるとエンジンを止めるようにしています。・ガソリン節約のために、アイドリングストップを行うこと(ただしセルモーター、バッテリーに負担がかかるので注意)!!当然、私の車も燃料が少なかったのでラジオだけつけて同じようにしていました。暗闇は苦にならないのですが、やはりエンジンをかけて暖房をつけないと、外にいるのとあまり変わらない状況なので、かなり寒かったです。避難所が一杯で中に入れず、車で寝泊りをしている方は同じような状況なのかと思うと、大変さが身に染みました。おしっこを我慢しつつ(笑)、3時間ぐらい待って、やっと湧き水の近くまで来ました。近くなって分かったのですが、どうやら近所の方が暗くても水が汲めるように灯油?のランプを点けてくれて、汲むのもボランティアで手伝ってくれているようです。私もいろいろ手伝ってもらい、無事水を汲むことができました。大変な時なのに、このような助け合いの光景は、心が暖まりますね。そして長い震災3日目が終わりました。【みっちゃん震災録(宮城)その16につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年03月28日
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今日2回目の更新です。今も余震が続いているため、会社にいると震災時の体験がフラッシュバックしてしまい、なかなか落ち着きません。今日は自分の机の周辺整理で終わりそうです。でも社員の皆さんと元気に顔を合わせられて良かったです。巷では水道水の放射能汚染を懸念してか、ペットボトルの水が品薄状態のようですね。こちらでは、被災地ということで物流が復旧し始めた頃は結構普通に見かけましたが、震災後水道が復旧した地域ということもあり、見向きもされていない感じでした。ところが原発問題で水道水が汚染されているという話を聞いてか、水のペットボトルは一気に無くなりました。うちも次の震災用?の防災グッズとして1箱買い置きしていますが、それを料理にのみ使っています。イオンなど大手スーパーでは1家族2本までという感じで、まだ売っているので、必要な方は行ってみて下さい。水メーカーでも注文が普段の10~20倍ぐらい来ているそうで、増産しているものの生産が追いついていない状態のようです。こちらも原発問題が終息しないと、買い求める客が後を絶たないでしょうね。さて続きです。【3月14日(震災から3日後)】あまりに変わり果てた沿岸部の街並みを目の当たりにし、現実として受け入れられない自分がいました。知り合いの消防団の方が、捜索に駆り出されていたそうですが、最初の頃は遺体がたくさん転がっており、目をそむけたくなったそうです。津波の犠牲になった方のご冥福をお祈り致します。ただ、残念なことに、コンビニ後は物がほとんど持ち出され、銀行のキャッシュディスペンサーもこじ開けられた跡があったとか・・・。津波で流された車のガソリンも、かなり抜き取られていたそうです。最近は、1階が浸水し、避難所に非難している方の自宅が荒らされているそうです。このような時に、こんな行為をする輩の気持ちが私には分かりません。帰り道、スーパーを散策するも開いているところは無く戻りましたが、軽油が知り合いの買い置きから手に入ったそうで、仕事用のワゴン車に燃料が補給できました。そのため、早く返そうと思っていた自転車を積み、久しぶりに仙台に向かいました。今は自転車が一番機動力高いですからね。国道でも信号はほとんど点いておらず、脇道から出てくる車を気にしつつもノンストップなのと、車がほとんど走っていないので、かなり早いです。途中、壁が落ちている家屋があったり、津波の影響があった辺りから出てくる消防車や自衛隊の車がドロだらけなのを除けば、震災の影響を全く感じません。自宅まで自転車で4時間ぐらいかかった同僚の家まで、あっという間に到着しました。仙台近辺になると電気も復旧しているようで、信号もほとんど点いていました。でも、青になっている側に車が走っていないので、田舎でひたすら青信号に変わるのを待っている気分でした。電気は復旧しているもののエレベーターが危険ということで使えない状態でした。そのため階段をひたすら昇り、同僚の自宅まで来ました。その頃にはヘロヘロでしゃべることすら出来ませんでしたが(笑)。同僚の家族も無事だったようで、本当安心しました。再会を喜び、いろいろ話をしましたが、携帯メールで社員の安否を確認しあっていたようで、私だけ安否が確認できていなかったそうです。この時点で、私の住んでいる場所では、まだ携帯電話が復旧していなかったため連絡手段が無かったんですよね。携帯を確認するとアンテナが立っていたので、メールを受信すると100通を超えるメールが届いていました。その中には、震災当日安否を心配した知り合いや同僚、親戚からのメールなどがありました。本当は全員にメールを打ちたかったのですが、時間が無いためブログを知っている人は省いて(笑)、短めに無事であることを返信しました。同僚の自宅では、電気も水道も普通に使えるようですが、給湯器が壊れてしまったようで、お湯が使えないそうです。それでも電気も水も無い生活を3日間してきた私には夢のような生活です。私の自宅で電気、水道が復旧するのは、もっと先の話です。ただ、仙台市内もほとんどのお店が閉まっており、開いていたとしても店頭販売で長蛇の列になっていました。野菜持ってきてあげればよかったと思いながらも帰路につきました。【みっちゃん震災録(宮城)その15につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年03月27日
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今日も朝から大き目の余震があり、ちょっとヒヤリとしました。今日から会社も通常営業だったので、自転車で通勤の途中でしたが、走るのを止めて揺れが治まるまでじっとしていました。地震に慣れたといっても、やはり多少の恐怖心は消えませんね。自転車、バス、地下鉄を乗り継いで、4時間の通勤時間でしたが、久しぶりに仙台市内に来たら、結構普通の町並みに戻っており、ちょっと安心しました。それでも開いているお店は少なく、コンビニも営業時間を短めにして営業しているようです。最悪ホテルにでも泊まろうと思いましたが、まだまだ営業しているところは少なく、やっていたとしても市内にガスが来ていないので、お風呂に入れないそうです。それだったら会社に泊まった方が良いかもしれません。毎日4時間の通勤には耐えられないので、明日は着替え持って来ようかしら・・・。さて続きです。【3月14日(震災から3日後)】残り少ないガソリンですが、DC/ACインバーターで携帯電話の充電がてら、被害のあった沿岸部付近を見に行きました。家からほんの5分ほど行ったところは、田んぼに海水がたまり、海のようになっていました。塩に浸かった田んぼは数年は稲作ができないそうです。ここだけでなく、仙台平野と呼ばれる一体は、ほとんどが同じような状況ですから、今年の宮城のお米はかなり出荷量が下がりそうです。田んぼの被害の無かった農家の方に話を聞きましたが、地震で苗を作るどころではなく、おそらく例年の1ヶ月遅れとなる6月ぐらいに田植えを行うところが多いのではと語っていました。しかし現在も原発問題の影響により、福島県、茨城県産の野菜などは出荷規制が行われており、出荷規制が行われていない野菜も売れないとか・・・。テレビでやっていましたが、出荷規制の無い福島県産の「みずな」が通常1箱2500円ぐらいで取引きされているのが、1円だったそうです。これだったら出荷しない方が良さそうですね・・・。昨日、スーパーで福島県産のいちごが売っていましたが、1箱4パックで500円ですよ。うちは安いと思い買いましたが、今の時期に、この値段はあり得ないです。皆さん、放射能の影響を心配されるのは分かりますが、出荷規制されていない被災地の食材は、被災者の支援と思い、買っていただけると助かります。本当、こんな状態では復興しようと思っても、できませんよ・・・。水びたしの田んぼを少し走ると、道路は磯臭いドロと木屑のようなもので路面が見えなくなりました。道路の周りには流されたと思われる車がたくさん転がっており、船が突き刺さっている家もありました。家が流されなかったところでも1階はほとんど浸水したそうです。ここでもまだ通行止めの場所にはなっていませんが、道路の周りに瓦礫が多くなり、これ以上進むのが怖くなり、引き返してきました。後からネットの空中写真を見ましたが、ここから先は、家が原形を留めておらず、この時点では浸水している状態だったようです。夏には海水浴、温泉施設もあり、結構利用していましたが、津波に流され今は何も無い状態です。当初5000人以上が避難所となっている学校に避難してきていたのが理解できます。ここに住んでいた方々は、多くの方が犠牲になりました。あの綺麗な海に戻るまで、何年かかるんでしょう。また、住んでいた方々は、あの津波を経験し、もう一度ここに住もうと思うのでしょうか・・。すみません。今回は被災地のあまりに酷い状況を目の当たりにしたのを思い出して、防災グッズ等の紹介ができずに申し訳ありません。それぐらい現実からかけ離れた光景だったのです。こんな甚大な被害をもたらした災害は二度と起きてほしくないと思います。【みっちゃん震災録(宮城)その14につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年03月26日
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震災の影響を考慮して集英社が「週刊少年ジャンプ」の14日発売号をネットで無料配信していますが、講談社でも緊急措置として、「週刊少年マガジン」など漫画6誌をネット上で無料配信するそうですよ。無料配信するのは「週刊少年マガジン」「ヤングマガジン」「モーニング」「イブニング」「ビーラブ」「キス」の6誌です。広告を除いた漫画作品部分が対象で、来週中に対象号や配信期間などを決めるそうなので、楽しみに待ちたいと思います。被災地では、雑誌などの流通がストップしており、マンガ週刊誌やコロコロコミックなどの月刊誌も出回っていません。仙台市内のとある店舗では、雑誌の最新号を求める客が来るたび、「ないんです。入荷も未定です」と謝り続けているそうです。特に「読みたい」と訪ねてくる人が多いのが、人気マンガ「ワンピース」などが連載されている週刊少年ジャンプです。震災後、どうしても読みたいと山形県まで買いに出かけた男性客が、読み終えた1冊をその店舗に譲ってくれたそうです。 そのお店では「少年ジャンプ3/19発売16号 読めます!! 一冊だけあります」と店頭に張り紙をすると、口コミで情報が広がり多くの子供たちが集まってきています。時には順番待ちになることもあり、読み終えた子供たちは皆笑顔で帰って行くそうです。どんな時でも、子供たちの笑顔を見ると、疲れが一気に吹き飛び、我々も元気をもらえますよね。子供たちの笑顔が絶えないよう私も全力で復興を目指したいと思います。さて続きです。【3月13日(震災から2日後)】震災から2回目の夜が訪れました。真っ暗になってもヘリコプターの音は絶えません。ラジオでも多くの場所で屋上に取り残されていると語っているので、おそらく救援活動を行っているんだと思います。いまだに震災翌日から聞こえなくなったローカル放送局は復活していません。携帯電話はメールぐらいは使えたのですが、今日あたりから圏外になってしまいました。おそらく基地局の予備電源が切れたんでしょう。防災無線も遠くでは鳴っているようですが、近所のスピーカーからは一切音が聞こえなくなりました。気晴らしに外に出ると、いつもは町の明かりに邪魔されていた星空が一面に広がり、とても綺麗です。一緒に出た子供たちに星座を教えたりしました。ヘリコプターがいなくなると、無音状態になり、逆に落ち着きませんね。携帯電話や携帯テレビは2日目にして、そろそろバッテリーがやばい状況です。携帯電話は使う時以外電源を入れないようにしていましたが、震災当日に電話をかけまくったので一気にバッテリーが無くなりました。結局誰とも話しできませんでしたけど・・・。・震災時には携帯電話の電源は情報、連絡の命綱!!この日も2時間置きぐらいに大き目の余震があり、その度に起きてしまうので、長い時間寝たようでも全然疲れが取れませんでした。でも、朝日と共に目覚め、暗くなったら寝る生活は体には良いことかもしれませんよ。【3月14日(震災から3日後)】今日で震災から3日目です。最初はバタバタしていた電気、水の無い生活ですが、女性陣も要領が良くなってきたので、私が口を出さなくても大丈夫そうです(笑)。ちょっと近所の家に用があったので行ってみると、なんとテレビが映っているではないですか?不思議に思い聞いてみると、その家では屋根にソーラーパネルを設置しており、昼間であれば特定のコンセントだけが生きるそうです。残念ながらバッテリー機能は無いようで、夜には使えなくなるそうです。でも昼だけでも電気が使えればいろいろ便利ですよね。すかさず携帯電話の充電をお願いしようとしましたが、すでにそのコンセントはタコ足状態で、これ以上つなぐのは忍びなかったので諦めました。・ソーラーシステムがあれば停電時でも昼間電気が使える!!すると、これを使ってと「DC/ACインバーター」を貸してもらいました。これに関しては、こちらとリンクして頂いている「みどりの大地」で、だいちパパさんが詳しく書いていますので、そちらをご覧下さいね。簡単に言うと、「DC/ACインバーター」は車のシガーソケットからAC電源を取れるものです。つまり、携帯電話やパソコンの充電ができるのです。パソコンを持ち歩くことが多いので、私もいつか買おうと思っていましたが、良いものは値段も張るので躊躇して買わなかったんですよね。買っとけばよかった・・・。・DC/ACインバーターは非常時だけでなく旅行でも重宝する!!コンセント口が2つあったので、携帯電話と携帯テレビの充電器を接続しました。当然、エンジンをかけないと、今度は車のバッテリーが無くなるので、情報収集を兼ねて被害のあった沿岸部付近を探索に行きました。【みっちゃん震災録(宮城)その13につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年03月25日
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東京電力の方が被爆し、地下で高濃度の汚染された水たまりが見つかりましたね。3号機以外でも水たまりが見られ、1号機でも高濃度の汚染された水たまりが見つかりました。普通に考えれば、原子炉から、何らかの放射能物質が漏れているんでしょう。電源を確保して、ちょっと安心していましたが、最終的な「閉じ込める」にいくためには、まだまだ時間がかかりそうですね。作業されている人のほとんどは地元の方が多く、我々と同じ被災者です。家を流され、家族、知り合いが亡くなったり、行方不明になっている方もいらっしゃるでしょう。その中での作業は大変かとは思いますが、危険な場所ですので、基本的なルールはしっかり守って、自分の身を犠牲にしないようにして下さい。すでに放射能の影響で、野菜、水の汚染が確認されていますが、今のレベルで人間には問題無いとしても、今後汚染が続けば食物連鎖で、家畜などの肉、魚、米などにも影響が出そうですね。国内はすでに検査、規制が入っていますが、国外でも日本産の食材に対し、輸入規制が入り始めているそうです。これから復興に頑張ろうとしている農業、漁業の皆さんは、今以上に売ることもできず、どうしていいのか分からない状態におちいるでしょうから、なんとか終息に向かって欲しいと思います。私の町の沿岸部で実際に津波を体験した手記を紹介しているところがあります。死と隣りあわせで、かなり壮絶な内容ですが、被災状況を見ると、これが今回の津波で起こった事実だと分かります。読んでみたい方は、こちらをご覧下さい。さて続きです。【3月13日(震災から2日後)】震災から2回目の朝がやってきました。まだ余震が2時間置きぐらいにはありましたが、震災の疲れからか昨日はぐっすり眠れました。寒い夜が続いていますが、昨日は湯たんぽを使ったので暖かくて熟睡したのかもしれませんね。うちではエコ?で今でも普通に使っているのですが、お湯を入れだけの湯たんぽは、停電でも使えるので便利です。こたつがあれば、湯たんぽを2個ぐらい入れておくと、かなり暖かくなりますよ。湯たんぽが無い場合は、ペットボトルでも十分代替可能です。しかし、電気が無くなって分かりますが、昔の人は理にかなった生活をしていたんだなと、しみじみ思います。昔の人のほうが頭使って生活していたんでしょうね。・湯たんぽは、電気入らず!ペットボトルでも代用可!昨日残ったおかずを、手作り蒸し器で温めて朝食です。朝からヘリコプターの音がうるさく感じますが、それもそのはず、私の町でも半分が津波に飲み込まれ、大変な状況になっており、学校の屋上などに取り残された人が多数いるそうです。津波から2日経った今でも水が引いていないため、ヘリコプターでの救出しか行えないようですね。沿岸部から非難してきた方も大勢おり、うちの子供たちが通う小学校にも1000人以上が避難してきました。全校生徒600人弱の学校に倍以上の人が入っているわけですから尋常ではありませんね。他の避難所である小、中学校を入れると、当初は8000人ぐらいの方が避難生活を送っていました。朝食後、時間はあるので情報収集がてら自転車に乗り、避難所の様子を見に行きました。校庭には多くの車が止まっており、大半の方が着の身着のまま逃げてきた方が多く、お金、食べ物、毛布なども無い状態のようです。この時点では救援物資も届いておらず、地元の方からの支援物資が全てでした。一度戻り、うちでもしまっておいた古着、毛布、スリッパ、買い置きした新品の下着、靴下、お米を持って避難所に置いてきました。今は、こんな支援しかできませんが、家があり、家族が全員無事だったとこが、どんなに幸せなことか実感しました。・大変な時こそ助け合いの精神で!!3月25日時点でも、避難所の食生活はまだまだのようで、ボランティアの炊き出しが無い時は、朝晩の2食で、おにぎり1個+アルファぐらいの食事です。お金がある方は、近くのスーパーで買い込んでくる人もいるようですが、お金が無い、身分を証明するものが無い方は銀行からお金を引き落とすこともできないため、支給される食事が全てなんですよね。お子様のいる家族もいらっしゃいますので、少なくても1日3食の食事ができることを望みます。・銀行カードが無い場合は、身分証明書があれば10万円まで引き落とせる!!避難所に行く際に、発電機で地下水を汲み上げて配っているところを見つけました。こちらは飲料水として使えないようですが、トイレや洗い物などには重宝しそうです(沸かせば飲むのも大丈夫そうですが・・・)。しかし、飲料水同様、いれものがありません・・・。こちらは飲料水より量が必要になりますから、大きめの容器が良いんですよね。とはいっても何も無いので、代替のものを探すと、まず目に入ったのがクーラーボックス。大き目のものだったので軽く30L以上入ります。私は使いませんでしたが、衣類の収納ケースの引き出しなんかも、結構入ると思いますよ。水を入れるときは直接ではなく、ゴミ袋などの大き目の袋をかぶせると便利です。未使用のものは意外と清潔ですし、水を入れた後に口をしばれば、水がこぼれるを防ぐことができます。残り少なくなったら、袋を取り出して使用することもできます。最後の方は観葉植物の大きめの植木鉢なんかも使ってましたね。・ゴミ袋を利用すれば何でもポリタンク代わりになる!!という感じで2日目も、あっという間に日が暮れてきました。【みっちゃん震災録(宮城)その12につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年03月24日
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プロ野球は4月12日セ・パ同時開幕に落ち着きましたね。選手会の意向が政府の意見と一致し、コミッショナーが全面的に受け入れた形になりました。そもそもこうなったのは読売のナベツネが、「延期することはない。パは延期をやりたきゃやりぁいいんだよ、あとは勝手にやれ」と毒づいたことから始まりました。その一声でセリーグは予定通り3/25開催を決めました。その後、国からとがめられ、渋々4日だけ延ばして3/29開幕となりました。そもそも4日だけ延ばして、何か意味があると思っているんでしょうかね?被災地の人間から言わせると怒りすら覚えます。なんだか相撲業界が古臭いとか言っていますが、プロ野球業界も同じようなものですね。早く次世代のまともな人達が業界を導いて欲しいものです。まあ、過程は別にして、セ・パ同時スタートが切れるわけですから良かったです。後は楽天が早くKスタに戻ってきてくれることを祈ります。そうそう、集英社が被災地を考慮して嬉しい対応をしてくれましたね。今回の東北地方太平洋沖地震の発生以降発送に支障が出ている「週刊少年ジャンプ」第15号(3月14日発売)について、電子書籍での配信を開始しました。配信期間は4月27日(水)までで、購読は無料です。無料の電子書籍化について週刊少年ジャンプ編集部では「漫画家さんたちの渾身の作品を、一人でも多くのみなさんにお届けできれば」とコメントしています。なお、3月28日(月)に発売を予定していた「週刊少年ジャンプ」第17号は、発売日が4月4日(月)に延期されています。マンガどころではない方も多いでしょうが、時には気分転換で読んでみてはいかがでしょうか?さて続きです。【3月12日(震災から1日後)】食料調達が男の役目と言いながらも、調理にも口を出し、おそらくかなりウザがられていたと思いますが、限られたアイテムで、いかに効率的にできるか工夫するのが、生き残る術かと思います。マニュアル通りでは生き残れませんよ(笑)。なんだかんだと食事も無事に済ませ、また暗闇が訪れました。今日は昨日と違って1日がかなり短かった感じましたね。昼も頻繁に余震が起こっていましたが、まだ明るい時間だと気分的には楽です。しかも余震と言いながら震度4~5ぐらいの地震が頻繁に起こっているので、体がだんだん慣れてきたのか、恐怖心は最初の頃より少なくなりました。今回の地震では「地震酔い」をする方が多かったと聞いています。これは船酔いと一緒で、最初は揺れに三半規管が付いていけず、頭痛やめまいを引き起こすものです。揺れていないのに、揺れている感覚になるのも、「地震酔い」の症状のひとつですね。また「余震がまた来るかも知れない」という不安感が、症状を強めている面もあるそうです。対応としては、ゆっくりと深呼吸をしたり、温かいお茶などを少しずつ飲んだりして、リラックスすることが大切です。それでも辛い時は、以前書いたように立ったり、歩いたりしていると揺れも感じず、気分が和らぎますよ。 ・地震酔いはリラックスすることが大切!!昼間、庭に置いてあるソーラー充電式の防犯ライトが照明に使えないかと、持ってきてみましたが、かなり明るくてグッドです。本来であれば、前方に動くものが無くなると自動的に消えるのですが、誰かしらいつも動いているので消えないんですよね。しかもソーラー充電式ですから、いちいち電池を取り替える必要もありません。明るい状態が2時間ほど続くので、夕食の時間に合わせて点け、それが消えたら通常のLEDライトに切り替えるようにしました。でも曇りや雨の日は、やはり明るさが半減します。かなり重宝したので、これを機にソーラー充電式の電化製品があれば、買っておこうという気になりました。もう1台、防犯ライト買っておこうかしら・・・。・ソーラー充電式の電化製品は充電いらず(当り前ですが)!!こんな感じで、毎日、生活を少しでも快適にするために、今あるもので創意工夫することが続きました。何不自由無い便利な世の中に浸っていると、こんなことは考えもしないかと思います。もしかしたら生きるために、本当は必要なことなのかもしれませんね。【みっちゃん震災録(宮城)その11につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年03月23日
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福島原発の影響が各地で出始めていますね。まだまだ人体に影響があるようなレベルではないので、皆さん冷静な対応をお願いします。関東では逐一放射能の濃度などを測定し、報告していますが、宮城県は隣県なのに、全くと言っていいほど報告が無いんですよね。被災者の対応で、そのようなことをする余裕が無いのは分かりますが、こちらも人体に影響のあるものですから、なんとか対応して欲しいものです。とも父さん始め、皆様から必要な物資を送るよと暖かいお声がけ頂いております。こちらとしては、感謝の気持ちで一杯なのですが、被災直後に比べれば随分普通の生活に戻りましたので大丈夫ですよ。震災録が地震直後の話をしているため、心配されている方もいるかと思いますので、現在の状況を説明しますね。電気、水道のライフラインは完全復旧しました(オール電化のためガスは未使用)。そのため、調理設備、お風呂、暖房は普通に使えます。また、数日前には電話も通じるようになりました。食材も地物が中心ですが、かなり流通してきました。ペットボトルの水、カセットコンロ、トイレットペーパー、ティッシュ、電池などのグッズも最近は見かけるようになりました。この手のものは復旧すると、誰も見向きしなくなるんですよね(笑)。うちは、次の震災?に備え、また買い置き分を購入しました。燃料系は、灯油についてはスタンドで普通に売っているところもありますし、町でも1人10Lですが、毎日売っています。ガソリンについては、毎日開いてるスタンドも現れ始めているので、流通していると思いますが、まだまだ行列が激しく、給油するのに数時間かかることが多いです。昨日は3時間半並んで給油しましたが、1L169円でしたよ(;^ω^)。いろいろな手間賃がかかっているとは思いますが、ちょっと高すぎますね。でも2回並んで給油したので、限りなく満タンに近づきました。これで流通が普通に戻るまで給油せずに持ちそうです。JRに関しては、仙台を中心に少しずつ復旧しています。3月末までには仙台近郊、4月上旬には郊外の主要駅まで通じるようになります。沿岸部を走る路線に関しては、線路が流され無くなった状態ですので、復旧には数年かかるのではと言われています。東北新幹線は、盛岡まで開通するのは数ヶ月かかる見通しのようです。高速道路も緊急車両限定の規制が無くなりつつありますので、もう少しで一般車両も普通に通れるようになるかと思います。このような感じで、少しずつではありますが、皆様の支援もありまして、復旧は進んでいます。私も下を向くのではなく、上を向いて復興に少しでも手助けできるよう頑張ります(そのためには会社に行かなければならないのですが・・・)。さて続きです。【3月12日(震災から1日後)】男の役目?である水、食料の調達も無事完了しました。水に関してですが、どうしても調達できない場合は、温水器がある家庭ではなんとかなるかもしれません。うちは電気温水器ですが、通常400Lぐらいの水(お湯)が蓄えられています。説明書を読むと、手動ではありますが、その水を取り出せるような仕組みがあります。それを利用すれば飲料水としても使用できます。うちは最悪の場合を考え、最後まで使用しませんでしたが、この水は元々水道の水ですから便利ですよ。・温水器に蓄えられた水は、飲料水として使用できる!!食事は、毎日あり合わせのものでしたが、冷凍ご飯などがあると便利ですね。さすがにレンジでチンというわけにはいきませんが、自然解凍させたり、汁物に入れて雑炊感覚で食べることもできるので、非常食になります。多めに作っておくのも手かもしれません。鍋でしか物を温めることができませんので、冷凍のものを解凍したり、固形のものを温めたりするために蒸し器があると重宝するかもしれません。鍋の底に穴の開いたフタがついており、その下に水を入れて蒸気で温めるものです。うちでは、蒸し器自体が無かったので、針金のハンガーを2つ組み合わせて、鍋の底に敷けるようにして蒸し器代わりにしていました。これだと前日に残ったおにぎりなどもラップで包んで入れておけば、熱々で食べれます。水も少なくて済むので、レトルト食品などを温めるのにも、かなり有効的です。・災害時、少ない水で調理できる蒸し器は重宝する!!食器などの洗い物は、驚くほど水を消費するので、極力洗わないようにする工夫が必要です。最初は無くなるまで、割り箸、紙コップ、紙皿など使い捨てのものを使っていました。それが無くなると、ご存知の人も多いかと思いますが、食器にラップをまいて使用し、食事が終わったらラップを捨てるということをしていました。これだと洗わなくてもいいんですよね。ラップなどが無く、どうしても洗わなければならない場合は、食器洗剤は極力使わないようにして下さい。泡をすすぐのに、かなり水を使うからです。油汚れなどで使いたい場合は、洗剤は1滴ぐらいで十分洗えます。こうすると、洗うのと、軽くすすぐためにボール1杯、最終仕上げ用にボール1杯ぐらいの水で済ますことができます。・震災時は水を大量に使う洗い物は極力減らすこと!!このように、震災時は、自分でいろいろ考えたり、知っている知識を活用する人と、いつもと同じようなことをしようとする(同じことしかできない)人に二分されます。前者は男性が多く、後者は女性が多いような気がします。キャンプなどに行くと、調理なども男性主導で行っているケースが多いですよね。一生懸命汲んできた水を、洗い物などで無駄にジャバジャバ使われては、たまったものではありませんから、男性の皆さんは生活の全てにおいても指揮するようにして下さい。いつものように寝そべってご飯を待ってるようでは駄目ですよ(笑)。【みっちゃん震災録(宮城)その10につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年03月22日
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JR在来線が再開の見込みが立たないということで、地元のバス会社で仙台との直通バスを運行し始めました。うちの近くの駅からも出ているようですが、1日4往復、午後4時までということもあり、通勤に使うのは難しいようです。昨日も乗客が殺到し、7時半出発のバスが満員のため、前倒しで15分前には出発しました。乗るだけでも大変そうです。しかも片道1000円とかなり高いです。下手な高速バスより高いんですよ・・・。JRでは5日以上不通の場合、定期券を日割りで払い戻ししてくれるようですから、該当する方は駅に問い合わせてみて下さい。こちらに関しては運休しているのが明確になっているため、事後でも問題無いそうです。私も、ほとんど1ヶ月分が無駄になっています。定期の期間内に復旧する見込みも無いし、払い戻しに行ってみよう。こうなると会社に行くには、やはり車になるのですが、どこもそうですが燃料確保が厳しそうです。今日も駄目もとで並んでいますが、数キロの行列で入れられるかどうか分かりません。おそらく駄目だとお思います・・・。やっぱり最後は自転車かな(;´Д`)。さて続きです。【3月12日(震災から1日後)】情報も無いため、車で情報収集を兼ねて、水と食料調達に出かけました。まずは、水を調達するため、近くに湧き水で有名な場所があるので、そちらに行って見ましたが、すでに車が長蛇の列・・・。考えることは一緒ですね(;^ω^)・みんな考えることは一緒!早め早めの行動を!後から聞いたら、この列に並んだ人は水を汲むまで7時間ぐらいかかったそうです。水汲みが1日仕事とは・・・。私は早々に諦め、別の方法にすることにしました。実は知り合いに湧き水を汲み上げて生活用水に使っている方がいるのを思い出したからです。ちょっと山間の方ですが、あの行列に並ぶよりは効率的です。行って見ると、こちらも同じことを考えている方が数人(笑)。さすがにここは知り合いしか来ないので、すぐに入れられました。そちらのご自宅には沿岸部から避難されてきた親戚がたくさん来ていました。話しを聞くと、サンダル履きで着の身着のまま津波から逃げてきたそうです。家は流され、安否の分からない親戚がたくさんいるそうで、津波の恐ろしさが伝わってきました。・津波は時間との勝負!必要な物を集めるよりも命が大事!仙台に働きに出ている旦那さんも、まだ帰ってきていないそうです。私が自転車で仙台から帰ってきたことを伝えたら、あり得ないという顔で笑っていました。でも徒歩で7時間以上かけて帰ってきた人も多かったようです。集めた2Lのペットボトル10本に水を入れましたが、18Lの綺麗なポリタンクがあれば、2つもあれば十分なんですけどね。最近まで、このペットボトルで水汲みをしていましたが、口が小さいのもあってかなり効率が悪いです。・水、燃料の持ち運びに使えるポリタンクは新品を防災グッズとして用意すること!!水が確保できたので、あとは食料です。自宅近くのスーパーを回るも、ほとんど閉まっており、お金があっても買うことができません。自販機も停電のため、飲み物も買うことができないんですよね(たばこも・・・)。やっと人の行列があるスーパーを見つけ、何が売っているのか分からないまま並びました。お店の中には入れず、店頭販売をしているようです。商品も選べないようで、1袋1000円、3袋までという、かなりアバウトな販売です(;^ω^)最初はカップ麺が中心だったようですが、それも途中で無くなり、袋麺に切り替わりました。うちはストーブやカセットコンロで調理ができるので、袋麺の方が好都合でした。やっと順番が来て、言われるがままに3000円を支払い3袋買いました。車に戻り、中を見てみると、袋麺5個のパックが2つ、要冷蔵のハム(太目の魚肉ソーセージ?)、ソーセージが各1つ、そして小さい缶ジュースなどの飲み物が5本ほど入っていました。まあ、計算すれば価格相応だとは思いますが、贅沢を言わせてもらえば選びたかったです。まあ、売ってくれるだけでもあり難かったですけどね。これが3袋ありますから、食料としては一安心です。・救援物資が来るまでは、地元の在庫のみが食料の全て!!水と食料を調達できたので、勇んで?家に帰りました。なんだか原始時代に戻り、男は食料を調達し、女は家を守る図式が自然に成り立ってきました(笑)。【みっちゃん震災録(宮城)その9につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年03月21日
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津波の被害が大きい沿岸部の町では、土葬も容認する方向のようです。火葬場が無くなったり、火葬する燃料が調達できないためのようですが、火葬し見送ってあげられないのを考えると、心が痛みます・・・。昨日、前日から並んで、やっと2千円分(14Lぐらい?)のガソリンを入れられ、久しぶりに遠出の買い物に行ってみました。3店のスーパーをはしごしましたが、以前行った時は、店頭販売や入場制限があったお店も、結構中に入って普通に買い物ができるようになりました。電池は相変わらず皆無ですが、ティッシュやトイレットペーパー、紙おむつ、カセットコンロ、ガスボンベなどは見かけるようになりました。食料品は、やはり乾物が中心ですが、米、野菜は通常と思うぐらい結構売っています。ほとんどが地元産だとは思いますが・・・。でも肉や魚類は、まだまだ不足している感じですね。肉は売っているには売っていましたが、水が出ないのでスライスできないそうで、大きなかたまりが4~5千円ぐらいでした。さすがに食べたくても、これだけの量は食べれません(笑)。魚も基本は冷凍物で、鮮魚や刺身は、まだまだこれからだと思います。こちらも冷凍物だとは思いますが、マグロの刺身が売っていました。とても食べたかったのですが、値段はいつもの倍ぐらいしましたので断念しました。こちらでは田舎ということもあり、野菜は特に高いと思いませんが、仙台市内では大根1本800円、キャベツ1個600円など、ありえない価格になっているそうです。ガソリンなども山形からの輸送費なども上乗せして、1L200円ぐらいで売っているところもあるそうです。いやはや早く普通の流通に戻って欲しいものです。さて続きです。【3月12日0時】ラジオの民放放送局が、深夜過ぎに聞こえなくなったのは、後から調べたら送信所が津波の被害を受けた影響で、予備放送に切り換え、聞こえるエリアが狭くなったようです。しかたがないので、NHKに切り替え聞いていました。かなり疲れているはずですが、余震が頻繁にあるのと、その度に地元の防災無線のサイレンが流れ、「津波の可能性があるため沿岸部の方は高台に避難して下さい」と放送されるため、いつでも逃げれるよう待機していました。それでも朝方、徐々に明るくなってきたので、安心してウトウト寝てしまいました。【3月12日6時】寝たのもつかの間、6時ぐらいの大きな余震で目覚めました。石油ストーブは点けたままにしているものの、大きめの余震が来るたびに点けたり消したりしているので、部屋の中がくさくなります。その度に窓を開けて換気をするので、なかなか部屋が暖まりません。発電機も屋内で使用すると、一酸化炭素中毒になる可能性がありますので、注意して下さい。・石油ストーブは一酸化炭素中毒になるので、こまめに換気をすること!!それでもお湯を沸かせるので重宝しています。仕事で使う大型ボイラー用の石油タンクがあるので、燃料には事欠かないですが、一般家庭では石油ストーブはあったとしても、灯油が無いと利用するのは難しいでしょうね。この点はかなりラッキーでした。災害用に準備していたペットボトルの水が1ケースありますが、鍋で料理を作ると、軽く1本以上使用してしまいます(作る量にもよりますが・・・)。食べ物も、買い置きのラーメンやレトルトカレーなどがありますが、この人数では数日で無くなってしまいます。カセットコンロもカセットが6本ありますが、大事に使わなければなりません。トイレ用の水は、地震直後に水道が使えたので、お風呂に貯めておきました。飲料水用に新品のポリタンクを用意しておいたほうが良いかもしれません。今回は捨てようと思っていた大量のペットボトルがあったので、それを使いました。・災害時のために、最低限の水、食料は準備しておきましょう!!今回は、誰が見ても長期戦になりそうなので、食料、水の不足が懸念されます。そのため、さらに確保が必要です。情報が欲しいのですが、震災翌日には携帯電話は圏外、イーモバイルも使えなくなりました。停電になっても携帯電話が使えるのは、基地局がバッテリーなどの予備電源を装備し、数時間~十数時間持つようになっているからです。通常は、その間に移動電源車を派遣するなどして復旧することになっておりますが、今回の場合、あまりに広いエリアのため電話会社の対応が間に合わず、予備電源も切れてしまいました。町の防災無線も同様で、翌日には放送されなくなりました。こうなったらある意味、陸の孤島です。情報は外から入ってきません。自分の足で情報収集しなければならないのです。そのため、お店が開きそうな時間まで待ち、一応ペットボトルも積み出発しました。・生活のための情報収集は自分の足で行うこと!!【みっちゃん震災録(宮城)その8につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年03月20日
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昨日は、宮城県石巻市で、倒壊した民家のがれきから男女2人が発見されました。震災発生から10日目の生存者救出はかなり異例ですが、死体安置場所が足りなくなってきたなど、震災の悲しい話が多い中、この話は嬉しい限りです。その石巻市の話を知人から聞くと、救援物資の遅れがあったせいか、かなり治安が悪くなっているそうです。食料品販売店やコンビニなどは、窓ガラスが割られ、ほとんどの食料品が持ち去られたとか・・・。ただし、それに便乗してか、飲食店以外の被害も多く、レジや金庫のお金、商品などもかなり被害にあっており、警察では警戒を強めています。また、避難している方々の自宅も被害にあっているようですね。この手の火事場泥棒的な犯罪は、人として絶対許せません。孤立した避難所で、暖に困って流された車のガソリンを抜いたり、壊れた自販機をこじ開け、飲料を取り出し、避難所で配ったりしている行為もあるようですが、やっていることは悪いことと分かりつつも、こちらはいたしかたないという気持ちになります。まあ、犯罪であることに間違いはないですが・・・。さて続きです。【3月11日21時】朝の出勤で別れたばかりの家族ですが、かなり長い時間離れていた気持ちになり、子供達を見た瞬間、涙が止まりませんでした。心の底からみんな無事で本当に良かったと感謝しました。私の携帯は相変わらず使えない状態ですが、神さんの携帯に、うちの実家から無事であることのメールも届きました。こちらも連絡が付いて安心しました。イーモバイルが、また使えるようになったので、こちらのブログを見ると心配頂いているコメントが多数寄せられていたため、短めの日記で無事であることを書きました。・どんな手段でも家族、知人に安否の報告を早めにすること(当り前ですが)!!家の方もコップが1個と時計のガラスが落ちて割れたぐらいの被害だったようです。地震になると扉をロックする機能が付いていたので食器は全て無事でした。でも食器は全て扉の方へ追いやられていましたから、ロック機能が付いていなければ全滅だったかもしれません。小さめの本棚やテレビなどは、倒れはしていないものの20cmほど移動していました。こちらでも、ものすごい横揺れだったことが分かります。大きい液晶テレビや家具は固定していましたが、小さめの液晶テレビ2台は固定していなかったため、最悪倒れて液晶画面が壊れて駄目かと思いましたが、意外と安定しているものですね。・家具、家電の地震対策は買った時になるべく行うこと!震災での故障は保証が効きません!家も被害が無いと安心したら一気に疲れと空腹が襲ってきました(笑)。オール電化の我が家は停電になると、ただの箱になります。暖房は駄目、調理も駄目、エコとやらは本当に何もできません。皆さん知ってらっしゃると思いますが、灯油があっても電気が無いと石油ファンヒーターは機能しません。また今どきの電話機も電話回線が生きていても電気が無いと使えません。昔のシンプルな電話機であれば、電話回線さえつながっていれば使えますが、そんな電話機を使っている方はほとんどいないですよね。・停電の時は、石油ファンヒーター、電話機は使えない。石油ストーブやシンプルな電話機は使える!!神さんの実家も同じような状況だったので、なるべく節約しようと、ひとつの部屋に2家族が集まり、保管してあった石油ストーブを持ち込んで暖を取りました。買い置きのカップ麺があったので、石油ストーブで温めたお湯をかけ食べました。体が冷えきっていたのもありますが、カップ麺がこんなに美味しいものだったとは思いませんでしたね~。・電気が無くても石油ストーブは暖房、調理機としても使える!!【3月11日22時】部屋の明かりは数本のLEDライト(部屋の中に置いていたセンサーでライトが付くもの)で取り、結構明るかったです。また、情報はラジオを聴いていました。NHKも震災情報を流していましたが、全国放送でしたから、地元の民放放送の方が地域よりの情報でした。ラジオから流れる情報は、私の想像を超えるものばかりでした。時間が経つにつれて、津波で町が消失したとか、火災で町が火の一面だとか、死体が2~300体あるなどの情報が流れてきました。おそらく、被災地以外の方はテレビであの津波の映像などを見ていたでしょうが、被災地ではほとんど情報が無いんですよね。時々私の携帯テレビや車のテレビで見ることはありましたが、バッテリーやガソリンを気にして見ていたので全貌を知ることはできませんでした。携帯電話や携帯テレビなど電池交換、充電しておけばよかったと思ったり、車も満タンにしておけばよかったと思いました。・電化製品の充電、電池交換、車のガソリンなどの燃料補充は、可能な限り事前に行おう!!【3月11日23時】この時間になっても震度5ぐらいの大き目の余震が頻繁に起こっていました。民放の放送局は仙台にあるので、リアルタイムで揺れを共有できます。例えば放送局の方が揺れが早い場合は岩手沖が震源地、こちらの方が早く揺れる場合は福島、茨城沖が震源地と分かります。同じ場合は宮城県沖ですね。特に放送局の方が早いと、事前にかまえることができるので、緊急地震速報みたいな感じに利用できます。しかし、この民放放送局は、深夜過ぎに突然聞こえなくなりました。さらに不安が広がります。【みっちゃん震災録(宮城)その7につづく】すみません。クリック協力お願いしますm(_ _)m
2011年03月19日
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