New York 生活 雑談日記

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骨髄異型性症候群と戦った、父の闘病生活


2008年の2月ごろ、突然の激しい倦怠感と仙骨の激痛のため、
病院に受診した所、
ものすごい貧血がみられるため、緊急入院、精密検査。
約1ヵ月後に、「骨髄異型性症候群」と診断されました。

この病気は予後のよくない病気で、
白血病に似た病気で、「くすぶり型白血病」とも言われているみたいです。

父と私の関係は、
いつも長い間一緒にいるとすぐ喧嘩になってしまう、
なかなか性格的に合わない感じですが、お互い心配しあう、
あってもなかなか照れくさくて思ったことをお互い口に出せない
といった感じの2人でした。

そんな父が病気になったとNew Yorkに、ある日突然母から電話がありました。
母は、私が心配するからと話そうかどうか迷ったあげく、
もしものことがあったら・・・と思い切って電話してきました。
その時の父の状態は、いつ大出血などで何があってもおかしくない状態でしたが、
輸血を定期的にしながら、外泊で家に帰ってきていました。

2007年に私が出産して、孫の誕生を、
誰よりも、誰よりも、大喜びして早く逢いたいと首を長くし楽しみにしていた矢先のニュースに、
ただただ戸惑うばかりでした。

そのころの私は、学生ビザから、
ちょうどグリーンカードに切り替えなければならないときで、
弁護士を使ってグリーンカードを申請するところで、
国外に出るに出られない状況にあったのです。
これが数ヶ月違っていたら早くても学生ビザがあったし、
遅くてもグリーンカードの申請後の許可がおりていただろうし、
スムースに帰国できただろうと思います。

父は、孫にあうまでは・・・
という思いがとても強かったみたいです。
母は、一人父の闘病生活の支えを、
つらいながら一人で一生懸命がんばっていました。

このとき、海外で暮らすことを選んだ自分は、
本当にこれでよかったんだろうか・・・?と思いました。
疑問におもったところで、今の自分の手にした家族は、
日本に帰っていたらなかった・・・と思うと、
今まで「自分のしたことに後悔しなくていいように」と行動してきた私ですが、いろいろと考えました。

答えは、すでにこの道を選んでしまったのだから、
その今の自分をまずは受け入れ、今できることを後悔しないようにするようにしよう。と思いました。

こちらで暮らすと決めるまでに、
「親の死」ということをまったく考えなかったことはありません。
でもやっぱりそんなことは真剣に考えたくない・・・
ありえない・・・と現実逃避していた自分がいました。

でもこんなに急にその悲劇がくるなんてまったく予想もできなかったことです。

海外で、家族を持ち、生活していくということは、
独身で身軽にいつ何が日本であっても、いつでも帰国できる状態とはまったく違うことをこのとき強く認識しました。


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