失語と肋骨










まだまだその後も山ほどの仕事が残っていた。
私は父の家に娘と二人でしばらく暮らした。

ある日、私は目を覚ます。娘に朝食を作る。食べさせる。
そのとき、胸に突然激痛が走る。呼吸をするのも気を付けないと出来ない様な状態。
ごまかしながら数日が経過する。そして数週間と過ぎて行く。
この時、私は病院には行けなかった。

娘が自分のお父さんと思い、慕っていた父の告別式が終わってから
何もしゃべれなくなった。
口をただパクパクさせるだけ。音がない。声が出ない。
このとき私は娘を連れ病院に通っていた。
忙しさと私の心配は頂点に達していた。
娘のショックの大きさもこの事で伺えた。

娘が父の死を認識するまで声は出ないと診断された。
家で静かにしているしかなかった。


しかし、よく考えてみると私も告別式の直ぐ後から、咳が止まらない。
一つ咳が出て落ち着いてはまた次の咳が出る。
一日中咳をしている状態。それが毎日毎日続いた。
父の死亡、そして咳が原因でかなり体力的にも疲れているんだな、、、。
少し時間が経てば治るだろう。
そう思っていた。
そしてそれを特に誰にも言わなかった。

母が勤め先から戻る。その時は毎日父の家に来ていた。
母は私の異変に早くから気付いていた。
母 「早く病院に行きなさい」
私 「うん」
そんな会話がずっと何週間も続いた。

私は病院に行ってみる事にした。
レントゲンを撮る。その写真を主治医と見る。
「肋骨が全部砕けています。」
この言葉にはびっくりした。
「こんな状態でどうやって暮らしてたんですか?我慢にも程がありますッ!!」
と、一発言われた。

原因は極度のストレスと言われた。
ストレスで咳。その代償に身体の肋骨の骨が砕けていた。

娘は時間が経つにつれ声が元に戻った。






















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