三河の住人の庵

三河の住人の庵

松平出世街道を歩く




徳川家康の生誕地「岡崎」
この地を領有するまでに 八代かかっています。

07年03月松平出世街道.JPG

関東から三河大浜 称名寺へと 流れてきた徳阿弥という男が、酒井郷を経て松平の里で 土地の氏の入り婿となりました。

徳阿弥は 松平太朗左衛門親氏と名を改めます。
家康まで 8代続く松平家初代です。

2代泰親は 親氏の子というのと 弟だという2説があります。

親氏、泰親そして信光の3代かけて 松平の郷から 岡崎の岩津まで進出しました。

3代 「岩津城主」信光は 大給城を手に入れ、続いて安祥城を攻略し、岡崎城(明大寺城)も入手します。

信光は48人の子女をもつ精力家で 子供たちを入手した要地に分立、配置し領土を広げました。
いわゆる 十四松平家のうち6家が信光の子を始祖としています。

十四松平= 
竹谷・形原・大草(岡崎)・五井・能見・長沢・大給・深溝・滝脇・福釜・桜井・東条(青野)・藤井・三木

85歳という長寿を全うした信光は 神仏への信仰心もあつく 岩津城近くの信光明寺はじめ多くの社寺を創建しています。

4代 安城城主 親忠のとき 松平の実権が宗家から移っています。

7代 清康は 山中城を攻略し 岡崎城に入りました。
清康は三河を平定し尾張への進出を図りますが 守山攻めのとき
家来に刺殺されてしまいます。(守山崩れ)

8代 広忠は幼くして家督を継ぎますが 一時は城を追われ 今川氏の助けでようやく戻ります。

9代 家康は 幼少のころは人質生活を送りますが 桶狭間の合戦で 今川義元が戦死したことにより ようやく岡崎に戻ることが出来たのです。














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