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1.迷惑
1st Section. 迷惑
何でこんな事になってしまったのだろう。
走りながら、内心で溜息を吐いた。
大体、私が何をしたと言うのだ。
私はただ単に、正直な意思表示を返してやっただけだ。自分の身を守る為に反撃しただけだ。正当防衛だ。
なのに、今背後で口汚く喚き散らしながら突進してくる、見るからに精神年齢の低そうな無法者共は、責任追求する為に私を捕らえようとしている。
何で私が悪いんだろう。自分に非があるとは欠片も思っていないのか。
………きっとそうだ。全部こっちが悪いと思っているのだ。
馬鹿だと思った。どうしようもない、愚か者だ。
というか、愚かでなければわざわざあんな愚行を犯す事自体が有り得ないのだ。
自分は単に、夜の歩道橋の上から車の走る交通道路を何気なく眺めていただけだ。
そうしたらいきなり、あの連中が声を掛けてきた。その中の1人、つんつんに尖ったハリネズミ頭の不良らしい奴が、こちらの表情を覗き込んだ。
というか、他の奴らも髪型こそ違うものの見るからに“不良”であったが。
「ねーカノジョぉ、そんな浮かない顔してないで、おれ達と楽しくやんなーい?」
下心見え見えの発言だね。もう少し手の込んだ誘い方をしろよ、単細胞馬鹿が。
そんな本音が喉まで出かかったが、いつもと同じように理性で無理矢理押さえ込み、それとは別になるべく穏便な言い回しで誘いを断った。
「私なんかより数十億倍も魅力的で思考の浅い馬鹿娘はそこら辺に大勢いるでしょ?こんなつまんない奴と歩いてたって、骨折り損のくたびれ儲けするだけだと思うよ」
足元に置いていた重いバッグを拾い上げながら言い捨てて、その場を離れようとすると、そいつが腕を掴んで引き止めた。
そして、にたにたと見ているだけで吐き気のしそうな気色の悪い笑みを向けてくる。
相手はしつこかった。予想してはいたが。
「そんな事言うなよぉ、カノジョもそれなりに結構イケると思うぜー?」
あのさ、ずっと前から思うんだけど。何であんた達みたいな馬鹿共は揃ってそうやって語尾を無駄に伸ばしながら喋るわけ?聞いてるこっちが鬱陶しいんだよね。大体『それなりに』って何?結局は私の意見認めてるじゃん。
というのは私の内心だけでの嫌味である。
「悪いけど急いでるんだ。放してくれない?大声出すよ」
静かに、だが辛辣にした口調で告げた。すう、と細めた目で相手を睨み付ける。
すると腕を掴んでいるそいつの口調も突然変わった。
「おい、さっさとやっちまおうぜ」
背後の方にいた他の連中に言った。
まずい、と思った。こんな奴らと無駄話してないで、さっさとトンズラしてれば良かったのだ。
命令を請け負った他の品の悪い連中が、じりじりと近寄ってくる。
それを視界に捉えた瞬間、持っていたバッグを腕を掴んでいるそいつに向けて振りかぶった。
そいつは驚いて身を退き、その隙を突いて左の足首を思いっきり蹴り飛ばして足を払った。
ハリネズミ頭の愚か者が「ぎゃあ!」情けない悲鳴を上げてその場に転がると、一目散に走り出す。
歩道橋を一直線に駆け抜け、階段を2段飛ばしで急いで降りて行った。
「この野郎、待ちやがれ!」
あー、やっぱ追いかけて来るか。蹴り飛ばすなら“急所”の方が良かったか。
今更考えてもどうしようもない事を心中で呟きながら、とりあえず走る。
走りながら、やっぱり制服は面倒だ…と感じる。元々スカートを履くようなタイプじゃないのだ、私は。
スカートだと動きにくいし、私は一般的な普通の女の子みたいに格好をいちいち気にするようなタチをしてはいない。むしろそういう事に関しては鈍感と言うか無頓着と言うか、まあそういう奴なのだった。
だから家で私服になる時は、いつもズボンとかスパッツを身に付けるようにしていた。というか、私服でスカートは持っていなかったような気がする。
………どうでも良いか、そんな事は。
とりあえず、逃げるしかないのだ。
でも圧倒的に不利だと思った。男の方が体力がもつに決まってる。
やだな、と息切れしながら小さく口にした。
何でこんな事になってしまったのだろう。
まずい、足がもう駄目かも。
一体どれくらい経ったのか。私の脚力はそろそろ限界になりつつあった。
連中はまだ追いかけてくる。ちらちらと振り向いてその姿を見ながら、ここまで必死になるって事は相当な一途馬鹿なんだな、あいつら…と呆れ返った。
と言っても、必死なのは私が足を蹴り飛ばしたあのリーダー格らしいハリネズミ頭だけで、他の奴らは遠目にもうんざりとした顔でいやいや走っているというのがはっきりと分かる。
「なあ…もう良いじゃねえかよ、あんな奴ほっといて他のにしようぜ」
誰かそう言ってくれないか、と思った。でもほぼ8割方有り得ないと思った。
言ったらそいつがハリネズミ頭に後でボコされるだろう。それを恐れて黙っている可能性がある。
仮に言ったとしても、あの単細胞なハリネズミ頭は聞き入れやしない。うん、絶対そうだ。
向こうの方が少し年上だ。たかが高校1年生のメスガキに易々蹴りを入れられそのまま取り逃がしたら、自分なりのプライドに傷が付くと思っているんだろう。
────プライド。
頭に浮かんだその単語に、暫し思いを馳せる。
私にもそれなりのプライドがある。だがあのハリネズミ頭が秘めているそれと比べたら、私のプライドなどひどく形の歪んだ、醜い物に違いない。
思考力などで言えば、自分はあいつらに劣りなどしないと確信している。
だがその根本にある物だけを取り出して言えば、明らかに自分の方が荒み、濁っている。
一言で言うなら、狂っていた。
誰も気付いていないだろう。“私”という人格はあまりにも精巧で、あまりにも完璧で、
それ故に、異常である事を。
「待てクソアマ!」
不意に投げかけられた罵声にハッと思考を中断する。見ると、ハリネズミ頭との距離が縮まっていた。
取り留めのない感傷に浸り、その所為で気付かぬ内に速度が緩んでしまったのだ。くそ、と舌打ちする。
どうにかならないか、と思索を練る。
相手を捲くという手もあるが、こんな直行しただだっ広い大通りでは捲こうにも捲けない。せめてもっと路地の入り組んだ……例えば京都にあるような細かい碁盤目状の道路なら、あちこちを左右へ滅茶苦茶に曲がって相手から逃げ切る事が出来たかも知れない。
だがそんな事をこの東京の街中で愚痴ってもどうにもならない。
結局、走るしかないのだった。
大都市の昼と夜の顔には、想像出来ないくらいに巨大なギャップが存在する。
この場所も当然のごとく、それを保持していた。
日中は人で溢れ返り、“賑やか”と形容するにも少し失礼なくらいの喧騒に包まれるこの大通りも、深夜を過ぎた時刻となれば、しん…と静まり返る。
こうして歩道を駆け抜ける自分や連中達の足音までもが、その冷たい夜の静謐を媒体として両側にある建物の群れの間で響き渡り、しっかりと耳に届いていた。
騒々しくて、何もかもが鬱陶しい昼の街は嫌いだ。
だが、あまりにも深すぎる沈黙に支配された夜の街も、嫌いだ。
だからこの街に自分の居場所は何処にもなかった。
それでもいっこうに構わないと思い、その居場所を探し求めようともしなかった。
そうして、有り金と荷物を持って1人放浪する今の自分が構成されたのだ。
…………またしょうもない感傷に浸ってしまった。駄目だこれは。どうにかならないのか。
ぐるぐると悪循環の続く自分の脳味噌に心底呆れた。自身に対する苛立ちは膨れる一方だった。
そんな時だった。進行方向に、1つの明りが見えたのは。
…深夜であるにも関わらず、電気の点いた一件の建物。
一瞬、助かった!と思った。
直後に、馬鹿か私は、と思った。
普通は正当な行為として取られるだろうが、人に助けを求めるなど私にとっては愚行以外の何でもなかった。
自分だけが犠牲になる事を避けるが為に、他人を無闇に巻き添えにする。
それは私にとって、最も忌むべき事象であった。
いくら自分がどんなに危ない目に遭っていようと、それだけは変わらない。
他人は自分と別世界の人間だ。
だから余計な関わりは要らない。
建物は料理屋のようだった。中国風の装飾で彩られた横長の看板が、光の漏れる窓ガラスで覆われた出入口の上に堂々と据えられている。
──── 張 々 湖 飯 店 ────
金色の草書体で、そう書かれていた。
何と読むのだろう…ちょうちょうこはんてん?いや、あれは中国語か。
一瞬、そんな馬鹿な思考にふけった自分を猛烈に恥じた。
所詮用事はどこにも持ち合わせていない。
そう割り切って、完全無視して通り過ぎようと思った───その瞬間だった。
丁度その店の前に差し掛かった時、燕脂色をした扉がいきなり開き、中から人が現れたのだった。
「なっ────!」
予想もしない事態に、私は咄嗟に反応出来なかった。
長時間走り続けた体は慣性の法則による影響もあって結局止まれず、現れたその人間と正面衝突した。
「!」
鈍い音と共に、強烈な衝撃が伝わる。
去年の理科で習った「運動エネルギー」の単語が脳裏に浮かんだ。
運動エネルギ─はその物体の質量に比例し、速さには数値の2乗に比例する。
走っていた事により“私”という名の物体は速度を増加し、それにより運動エネルギ─…つまりぶつかったときの衝撃も倍増された。
…………後で思うと、素晴らしくどうでもいい話なのだが。
とにかく、私は店の中から出てきた誰かと思いっきりぶつかった。
その反動で後ろへ倒れそうになった。手で庇う余裕などない、頭を打つかも知れないと、刹那の間に思った。
……ほぼ同時に、2つの掌が私の体の両脇に伸び、支えた。
「………え」
驚いて、体を支える手を見た。それは常人にしては明らかに大きく、日本人にしては妙に浅黒い肌で覆われた、どこか無骨な手であった。
「大丈夫か」
低い声に、慌てて視線を動かす。
目の前にいたのは、掌と同じ浅黒い肌を持った1人の大男だった。
背は高く、軽く2mは越していそうだった。ウェスタン風のデザインに彩られたベージュ色のジャケットとズボンを身に着けている。
その普通では考えられないような巨大な体躯だけでなく、大男の容貌はあまりにも特徴的で極端であった。
頭に生えた黒い髪が剃られ、残されたそれらはいわゆる“モヒカンヘアー”を形作っている。その時点でもう十分すぎるほどに目立つのに、更には白く細い線で描かれた刺青がその後頭部から上下の目蓋を通り、顎の辺りまで続いていた。
日本という国の大都市では全くもって場違いな容姿だった。まごう事なく、外国人。
そこまで認識した瞬間、口汚い罵りが再び背後から投げ付けられる。
「さんざん馬鹿にしやがって!たっぷり反省させてやらぁ、このアマが!!」
ぎくりとして、自分を支える異国の大男から視線を剥がす。
額に青筋と脂汗を浮かせた例の連中は、私が思わぬハプニングで立ち止まざるを得なくなったのをいい事にドタドタと一気に駆けてくる。しまった、と自分の失念をなじった。
「すいませんごめんなさい私急いでるんです!」
目前の大男の顔を見上げながら私は自分を支えていた手を引き剥がし、早口で言った。
ろくな礼も出来ていないが、今はそれどころじゃなかった。
「おい、待て」と止められた気がしたが無視して、慌てて身を翻し、大男のすぐ脇を駆け出す。
それから数m走った辺りだった。
「逃がすかよっ!」
ぐん、と頭を後ろに引っ張られた。痛みに顔を顰め、否応なく走行を止めさせられる。
血走った目のハリネズミ頭に追い付かれ、更には髪の毛を掴まれ引っ張り上げられた私は、不格好にもその場へ盛大に尻餅を付いてしまった。
「かはっ…!」
拍子に背中を石畳の敷かれた固い地面へしたたかにぶつけ、刹那の間だけ呼吸が詰まった。
バッグが力の抜けた手から離れ、無造作に歩道の上へと転がる。
もうだめだ、と悟った。
仰向けに倒れ込んだまま目蓋を薄く開くと、すぐ近くにこちらを見下ろす一対の目があった。
獰猛な悪意に満ち溢れ、ぎらぎらと嫌な光を反射する無法者の目。
その下には歓喜で弓なりに歪めらた唇が、溜まった歯垢で薄茶色くなった不潔な歯を見え隠れさせている。
後から追ってきた他の連中も、私を取り囲むようにして視線を落とした。
「捕まえたぜ。さーてどんな風に料理してやろーか、カぁノジョぉ?」
ねとつくような気分の悪い言い様に、吐き気のするようなむかつきが沸き上がる。粘度の高い言葉は更に続いた。
「助けて欲しかったら、有り金全部こっちに寄越しなー。そーしたら許してやるよぉ」
それを聞いた時、私の口は反射的に言い放っていた。
「……調子に乗るな。ナイフの正しい使い方も覚えられない単細胞が“料理”なんて言葉を偉そうに使うな。取調室でカツ丼食わされる前に、大人しく家に帰ってリンゴの皮剥きの練習でもしてろ、イカれたハリネズミ頭が」
こんな屑同然の馬鹿共に「見逃して下さい」と泣いて金を差し出し、土下座しながら屈するなどもってのほかだった。ついでに口元へ意地悪く笑みを浮かべてみせる。
数瞬後、連中の表情から余裕が消え去り、煮えたぎるような怒気がそこを塗り潰した。
「……この野郎ッ…!」
自分のプライドを完全に傷つけられたハリネズミ頭が、無駄に多いシルバーアクセサリーが光る片手で拳を固め、私の顔面向けて真直ぐに振り下ろしてきた。
終わった…と諦めに近い確信が脳裏に浮かぶ。そして────
「うおわぁッ!?」
拳が目前に迫った途端、不意にそいつの体が後ろへ投げ出された。
突然の事態にそいつは受け身も取れず、歩道の上へ容赦なく叩き付けられる。同時に残っていた他の連中が「ひいっ!」と情けない声を上げて、その場に次々とへたり込んだ。
私は倒れたまま、怯えたようなそいつらの視線の先にいる人物の姿をしっかりと捉えた。
先刻までハリネズミ頭のいた位置に、1つの大きな人影があった。道端の街灯による逆光で最初はよく分からなかったが、すぐにそれがあの中華飯店から出てきた異国の大男だと悟る。
彼は構えるでもなくその場に悠然と立ち、呆気に取られたこちらを静かに見下ろしている。
連中はそれだけで十分に怖いらしい、口々に「あ、あ、…」と呻きながら歩道の上で後ずさりしていた。
「邪魔すんじゃねえっ、すっ込んでろ!」
突如、投げ出されていたハリネズミ頭は肉食獣が獲物に飛びかかるかのような俊敏さと勢いで、大男の腰の辺りにしがみ付いた。
だが体格を比べただけでも明らかに不利と思える相手に立ち向かうという行為は、決して果敢なのではなく無謀なのであった。
大男はまるで服に虫がくっついているのに気付いたような、ごく自然な動作でそいつの事を一瞥した。
「ぬわぁッ!」
途端に、がっちりと密着していたそいつの体が大男の腕の一振りで無造作に引き剥がされ、再び固い地面に放り出される。
今度こそ効果有りだった。
大男の前に於いての自分の身の程を実力を以て知らされたハリネズミ頭は、他の連中と同じように顔を畏怖で引き攣らせる。
そこへ、低く厳かな声。
「退け」
と、ただ一言、大男は言い放った。
それだけで、連中の恐怖を煽るには十分だった。
「うわああああ───────!」
肝の小さい無法者達は一斉に叫んで、脱兎の如くその場から立ち去った。
あまりにもあっけない収拾のつき様だった。
「……………………」
私は未だ呆然として、冷たい石畳の上で仰向けのままになっていた。
深夜の闇の向こうへ消える連中の後ろ姿を眺めていた大男は、おもむろに私の方へと視線を固定させる。
街灯に照らし出され、複雑な明暗を作った彫りの深い顔。その中に据えられたどこか鋭さのある双眸に、投げ出された私の体は思わず硬直した。
数秒の空白。
不意に、大男が片手を無言でこちらへ差し出した。
「……立てるか?」
静かに、言葉をかけられる。
一瞬性にも合わずその場で惚けて、すぐにハッとした。慌てて体を起こし、一回り面積の広い掌を借りて立ち上がる。
「あ…ありがとう…」
礼を述べながらスカートの裾やブレザーにこびり着いた土埃を手早く払い落とし、傍で放りっぱなしにしていたバックを手に取った。
引っ張られた所為で少し乱れた髪の毛を軽く押さえながら、
「本当にありがとうございました」
と再度言い直し、身長差の大きいその体躯をそろりと見上げる。
全く、呆れる程の巨漢であった。一体どういう環境に生まれればこんな体格を形成できるのだろう、と口に出さずとも心底疑問に感じる。こんな人が、何故日本へ滞在しになど来ているのだろう、とも。
大男は口を閉ざしたまま、私が今まで見てきた中ではこれ以上ない程の無表情をしており、思考を殆ど読み取る事が出来ない。
先刻の連中達のように、その強面を目にすると怯えを覚える事には納得出来なくもないが、よく見てみるとそれよりも物静かな印象の方が際立つ事に気が付いた。
悪い人間ではないのだ。
だが、これは何なのだろう。
妙な感じがした。
うまくは言えないが、どこか違うのだ。
─────違和感。
そう、違和感があった。
初対面の人間に対して持つにはそぐわない何かが、私の中にあった。
考えても分からなかった。
沈黙していると、大男の方から口を開いた。
「………何をしているんだ?」
え?と、顔を上げる。
「こんな夜中に、何をしているんだ?」
予想もしない言葉に、私は驚愕した。いきなり何を言い出すのだ。
「まだ、学生なんだろう。こんな所に居ていいのか」
茶色のブレザーにモノクロカラーを基調としたチェック柄のスカート。一目で身分が分かる制服姿の私を指差しながら、彼は続けた。
その台詞で私は悟った。お説教だ、と。
「早く帰った方がいい。戻りにくいなら、一緒に行こう」
私は口を噤んだ。何もかも知っているような言い方をされたのがひどく燗に障る。
そして、一番言われたくない言葉を大男は口にした。
「親が…心配しているだろう」
瞬時に、かっと頭へ血が昇った。思わず私は怒鳴っていた。
「───────赤の他人のくせに、余計なお世話だ。偉そうな事を言うなっ………!」
突然の怒声に、大男は怯んだようだった。
無表情を貼り付けていたその強面が僅かに崩れ、私はその顔をぎりっと睨み付ける。
何か言われる前に踵を返して、その場から走り去った。大男は、追って来なかった。
腹が立った。
胸の奥がむしゃくしゃして、何か物が詰められたように息苦しかった。
「親が心配している」だと?
ふざけるな。そんな単純な事を忘れる程の馬鹿に、私は見えると言うのか。
悔しかった。所詮どいつもこいつも同じだ。
いくら危ない所を助けてくれたからと言って、別世界に住む他人に僅かでも心を許してしまった自分が、無性に情けないと思った。
結局、私の居場所は何処にもないのだ。
様々な葛藤が頭の中で渦を巻く。その間にも、私はひたすら走り続けた。
そんな事をしても何の意味もないと知りながら。
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