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4.遭遇
4th Section. 遭遇
いきなり、車が急ブレーキをかけた。
「どわッ!」
ごちん。
慣性の法則で体が前に倒れ、助手席に座っていた002=ジェット・リンクは目の前のフロントガラスに頭を衝突させた。それも思いっきり。
「…………っ…」
予想以上に強烈な鈍痛に顔を歪め、右隣に座る運転手を切れ長の目で睨み付け、
「……おい…車止めるならもっと丁寧に止めろ!何してんだ、お前!」
周囲の人間から注目されそうなくらいの大声で怒鳴った。
時刻は昼間であったが、幸い今日は雨で人通りが殆どないのでまだいい。
とにかく、容赦のない怒声を浴びせられた茶髪の若い運転手…009=島村ジョーは、少々おどおどしたように表情を固めた。
「え……あ、いや、えっと、…ごめん」
「ごめんで済んだら警察は要らねえ!ったく人に迷惑かけたの分かってんのか!?」
「落ち着けよ、ジェット」
後部座席にいた黒人青年、008=ピュンマが車内でただ1人事も無げに普通の口調で諌めてくる。
「まあ予告もなしにいきなり急ブレーキかけたジョーにも多少責任はあるだろうけどね、君だって面倒くさがらずにちゃんとシートベルトさえしていれば、そんな事にはならなかっただろ」
ぶつけた頭を痛そうにさするジェットに向けられたこの忠告もやはり普通の口調にしてはいるが、さり気なく辛辣な言い方である。
本人は驚いた以外に特に被害があった訳ではないはずだが、実はこれでも結構怒っているらしい。
事実、現在の彼は感情に欠けた無表情をしている。目に見えて怒ってはいないが、笑ってもいない。
怒りを通り越して冷静になった傍観者が見せる顔だ。
その内に秘められた不可視の怒りを悟ったジョーは引き攣った苦笑を浮かべ、その怒りの矛先の巻き添えとなったジェットは口をへの字に歪めた。
「……で…一体どうしたんだい、ジョー?」
一瞬緊迫で張り詰めた重苦しい沈黙を、先刻とは裏腹に爽やかな語調で尋ねるピュンマの質問が破る。
いきなり聞かれた本人は、思考を切り替えるのに戸惑った。
「あ、えっと……いや。大した事じゃないんだけど」
口籠りながら、あさっての方向を指差す。
「?」
訝ったジェットとピュンマは、つい、とそのまま示された方へと視線を動かす。
そこには、雨に濡れて鏡面のように空の光景を反射する歩道があって、虚無的に真っ白い現在営業停止のコンビニの建物があった。
「………だから、何だよ」
ジェットが即座に突っ込む。「何も無えじゃねえか」というニュアンスをたっぷりに込めて。
彼の感覚だと、ジョーの性格はどうにも焦れったいと言うか何と言うか…まあとにかく付き合っていると「言いたい事があるならはっきりしろよ」と胸倉を掴み上げて少々ドスを利かせてやりたくなる、そういう部分がある。
本人の単語能力・理論思考能力は割に低い物なのでうまく言い得ていないが、要は『物事を主張する能力がなっていない』という事だ。
だがこの際それはどうでもいいのだ。
問題は、何故ジョーがいきなりブレーキを踏んだかという理由の追及である。
すると、後部座席からピュンマが肩を軽く叩いてきた。
あん?と怪訝そうに振り向くと、彼もジョーと同じ方向を指差しながら、
「よく見てみなよ、ほら」
と、再確認を促してくる。
胡乱げに眉を顰めて、仕方なくまた首を巡らす。
視界に入るのは、やはり先刻とは全く変わりのない光景。無機質な歩道と、無機質な建物。その軒下へ無造作に置かれた茶色い塊。
「……………?」
そこまで確認して、気付いた。
茶色?……さっき見た時、そんな色彩があっただろうか。
見たと言っても、適当に視線を流しただけだ。そんなまじまじと観察した訳では無かった。
それ故に、見逃していたらしい。
……建物の軒下で顔を伏せて蹲った、茶色い服を着た1人の人間の存在を。
「……あぁ?!」
「分かった?」
驚愕の声を上げたジェットに、ジョーのほっとしたような声が重なった。
直後、呆然とした呟きが続く。
「…何…してんだ、あれは?」
人間は、どうやら女らしい。しかもよく見ると、茶色い服はブレザーで、その下に履いているのはスカート。つまり、制服姿なのだ。
制服を着ている → まだ中学生か高校生、という認識の変換の下、女はまだ10代の少女であると判断された。
それにしても、確かに何をしているのだろうか?
軒下に膝を抱えて蹲ったまま、少女は微動だにしない。死んでるのではないか、と錯覚してしまう程に。
すぐ脇にはスポーツバックが置かれていて、今にも破けてしまいそうなくらいに中身がぱんぱんになっているのが見て取れる。
昼の人口密度が極端に多い日本首都・東京。
その大都市の最中で、顔を膝に押し付けたまま自分の荷物を見張ろうとさえしないなど、街中をうろついているであろう物盗りに「どうぞ盗んでいって下さい」と申し出ているのと同義だ。
本当に、何をしているのだろう?
というか、よく考えたら今はまだどこの学校も授業をしている時間のはずだ。平日でもある。
なのに、あの制服を着た少女は学校へも行かずに一体何をしているのだろう?
「………………」
沈黙の中で、3人はそれぞれの顔を見合わせた。
「……どうする?」
「どうするって…」
至極純粋な響きで問題提示したジョーに、ピュンマが半ば呆れたような顔をする。
「…どうするも何も……車を勝手に止めて気付かせたのは君だろ」
「そう、だけど…?」
言葉の意味が分からないらしく、やはり純粋に目を瞬かせるジョー。駄目だ、とピュンマは彼に対する期待を即座に放り捨てた。
「……この状況を作った張本人が、真っ先にそんな“何も分かりません”的な質問をするかい?無責任な言い様にも程があるよ。全くもって羨ましい性格をしているね、君は」
「うっ…」
ぐさりと突き刺さった痛々しい台詞に、ジョーは渋い顔で呻いた。ピュンマは盛大に溜息を吐き、蚊屋の外に出されていたジェットは逆立った赤毛をばりばりと掻いている。
「…んで、本当にどうするよ?」
と、なんとか無理矢理話に割り込む。
「……声、掛けてみようか。一応」
「そうだね…」
ピュンマの判断に、ジョーは金魚の糞の如く素直に追従した。
全く、この少年には“自己主張”の“じ”の字も無いのだろうか。ピュンマに引き続き、ジェットが大きく嘆息する。
ジョーが再びハンドルを握り、車を車道脇に寄せた。
エンジンを止め、3人は車からそれぞれに降りていく。
「………………」
車の停まった気配にすら気付いていないのか、少女はやはり無反応だった。
そんな彼女に、彼らは近付いていく。
傍から見ると無防備な女の子に男性陣が多勢に無勢で何か疚しい事を企んでいる、という風にも取れるかも分からないが、もちろん違う。一応親切でこうして降りてきたのだ。
「………あのー」
控えめに言葉を掛けたのはジョーである。
「……あの、何…してるんだい?」
返ってきたのは、無感動な沈黙。
「…もしもし?聞いてる?」
反応無し。
傍らでピュンマとジェットがどこか険しい顔で互いを見合わせた。
不吉な考えが浮かんだ。
これは────“死んでいる”というのも、あながち冗談では無いかも知れない…
「おい」
胸の内に芽吹いた不穏に耐えられないのか、ジェットがジョーのそれよりも多少大きな声で話し掛ける。
「……おい。何やってんだ、あんた」
そう言いながら、少女の肩に手を置いた。
その拍子に、少女の体がゆっくりと横へ倒れた。
「なんっ……!?」
驚き、慌てて手を放してジェットが後ずさった。
少女はやはり沈黙したまま、軒下の固い地面の上にごろりと横たわっている。丁度、傍に置いていたバックを枕にするような形で。
肩下辺りまでの黒髪が散らばり、ブレザーの厚い布で覆われた華奢な腕が投げ出された。
あまりの生々しさに、ジェットも、ジョーも、そしていつも平静を保つピュンマでさえも、絶句してその場に凍り付いた。
体勢が変わった為に、今まで窺う事の出来なかったその表情が明るみになる。
近頃の女子中高生にしては非常に珍しく、化粧をしていない。それ故に、整った目鼻立ちは自然な感じで、むしろその方が十分しっくりしているという感覚を覚えた。
目蓋は閉じられている。
口が少し開いていて、一見すると眠っているかのような表情だった。
「……………ん…?」
いや、そうではない。
眠っているかのような表情ではなく、そのものの表情だった。
「………あ……」
ピュンマが小さく声を漏らす。同時に、他の2人も気付いていた。
────口元から微かに聞こえる呼吸音が、彼らに語っていた。
少女は、眠っていたのだった。
「………………」
気まずい沈黙が、雨の過ぎ去った軒下に降り落ちる。
「………………」
ひたすらに、降り落ちる。
「…………こいつ」
ジェットが半ばうんざりとした顔で、横たわる少女を指差す。
本人が起きていないからこんな言い方が出来るのだという事は置いといて。
「…こいつ、寝てたのか…こんな所で」
と呟く。
「……寝てたんだね…」
ジョーが相槌を打った。彼も少々拍子抜けした顔をしている。
確かに、意外と言ったら意外であった。
こんな昼間に人目から付くこの場所でうつらうつら睡眠をとると言うのは、かなり常識はずれである。
ホームレスが段ボールの中で昼夜関係なしに野外で寝泊まりしている事ぐらいは知っているが、少女の場合はその段ボールすら無いのだ。
しかも、時間帯とは不釣り合いに眠りは随分と深いらしい。
こうして自分の姿勢が変わっている事にすら気付かないぐらいに、少女はすっかり寝入っていた。
結局は、何て事もなかったのだ。
こういうのを日本語で言うと、確か……『杞国の憂』と表すのか。いや、これは本を正すと中国の言葉になるのだったか?
密かにそう考えていたのはピュンマである。
「………何でもいいけれど」
場違いに穏やかな寝息を立て続ける少女を凝視したまま、彼は口を開いた。
「…どうしようか。このまま放っておいてもいいと思う?」
他の2人に疑問を投げかけると、彼らは困惑した顔で互いを見合わせる。
確かに、そうだった。
今は人がいないのでまだいいが、雨が止んだのでそろそろ人通りも多くなってくる。
そんな中に、こんな無防備な格好でまだうら若い(仮にも学生である)少女を置いてけぼりにしたら、珍道中の痴漢だの何だのに良からぬ事をされる可能性がある。
通常人ならば「別に他人の事だから」と素知らぬ振りをするだろうが、偶然にもお人好しばかりが寄せ集められた彼ら運命共同体・00ナンバーサイボーグ達は、そんな無責任な行為を許せるほど主体性に乏しい訳ではなかった。
だから、こうして考えているのである。
「……起こしてみる?」
「無駄だと思うよ。すごく眠りが深いみたいだ、これは」
賢明にも自分の案を提示したジョーであったが、ピュンマの言で即却下された。
確かに、こうして傍で見知らぬ青年達が平然と言葉を交わしていてもなお、少女の睡眠は緩む気配が全くない。
「じゃあどうすんだよ」
「そういう君だって少しは考えなよ」
苛々と迫るジェットに、ピュンマはやはり正論を返す。
すると、控えめな呟きが割り込んできた。
「………連れて行く、っていうのは?」
声の主はジョーだった。突拍子もない提案内容に2人は一瞬呆気にとられる。
「…………は?」
「僕なりにはそれが一番いいと思うんだ。こんな外で寝ていたら風邪を引くかもしれないし……ギルモア博士の所に連れて帰って、そこで休ませた方がいいんじゃないかな」
「いや、そうだけど」
日本在住の現代人には極端にそぐわぬ台詞を悠々と口にするジョーに、ピュンマいささか慌てた。
複雑な事情から転じた付き合いで、この少年が『優柔不断』『無頓着』『純真』の3語を絵に描いたような人柄であるのは知っているが、いくらなんでも限度を越していた。
見知らぬ少女を本人の許可もなしに連れて行くと言うのだ。無茶苦茶である。
ジェットも同様の意見を持っているらしく、露骨に嫌そうな顔をしながら口を挟んだ。
「…本人が起きたら、何て説明するんだよ」
「『道端で寝ているのを見つけて、このまま放っておくのもどうかと思ったし、それに風邪も引くだろうと思ったから勝手ながら連れて来させてもらいました』……それでいいんじゃない?本当の事だから」
「あのなあ…」
本当の事なら何でもいいという問題ではない。思考が浅いにも程がある。
「…けど、まあ……それしかないかもね」
首の後ろに手をやって軽く黙考していたピュンマが不意にそう言った。
「おい」とジェットは憮然とした声と共にそちらを睨む。
「じゃあ、決定だね」
「ああ」
「はあ?マジかよ?」
勝手に話を締め括る2人にジェットはうんざりと呟く。
そうしている間にも、ジョーが石畳の上で横になっている少女の体を静かに抱き上げた。ピュンマは少し重そうなスポーツバックを手に取る。
少女はやはり目を開こうとはしなかった。
「………『誘拐犯だ』とかって勘違いされて、訴えられたらどうするよ」
その様子を眺めながら、ジェットは密かに思っていた事を口に出した。
「…まあ、そういう可能性も否定出来ないけど」
突き付けられた質問を受けつつ、ジョーは運んで行った少女を停めていた車の後部座席にそっと座らせる。
「その時は、その時だよ」
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