まいくの続『ナースの森』(森ないや、ここには。。)

まいくの続『ナースの森』(森ないや、ここには。。)

~父親の死~



父親は慢性C型肝炎で、毎年のように入院していた。しかもその4年前に『肝臓ガン』の手術までした。本当に俺が物心ついてからずっと『病弱』であった。

電話を兄貴からもらったときは『運良く失業中の身』で(ってホントは全然運良くじゃないんだが)は「じゃ、話できるうちに帰っておこう。次に日本に帰るときはお葬式か。」ってな具合でのん気にかまえてた。その旨を兄に知らせると、俺の即決に驚いてた。

ってな具合で次の日は朝から航空券を取ったり、猫の世話をしてくれる人を探したり、家を掃除したり、請求書等の支払いを済ませたりして慌ただしくした。本当はこの日に失業手当を申し込みに行く予定だったんだが。。

で、成田空港に午後4時に着いて、病院に直行した。8時近くになって病院に着いて、そこでびっくり。もう父『いきなりの意識不明状態』。何度か意識を取り戻したんだけど、どうやら俺の顔を見て一言

「中嶋さんかね?中嶋さんかと思った。わっはっは。」

ってどういうことだ。。。。(ほんとに意味不明)

でまた、唐突にまた意識不明状態に戻った。それから間もなく、父は亡くなった。父の最後を看るって思ってなかったんだが、その瞬間の出来事は鮮明に脳裏に焼き付いてる。その瞬間は実感として無くて、この出来事を自分で理解するのに暫くかかった。麻痺状態だったのかも。。いまだに、思い出しそうになると、あわてて違うことを考えようとしたりするし。。

「死に目に会う」ってはたしていい事なのか。とても辛い、辛い出来事だ。いまだに完全に受け入れられてないのかもしれない。本当に辛くて悲しい瞬間だった。。。「死に目に間に合わない方が良かったかもしれない」って思った。。特に亡くなる数日間、呼吸困難そうで随分苦しそうだったし。だが『父親のためにとっては』いいことだったんだとは思う。

『職探しがあるから』といって通夜だけに出席して、葬式から逃げるようにアメリカに帰ってきた。いまだに日本の母親に電話をかけるとまだ父親がいるんじゃないかとすら思えることがある。

この思いを完全に消化できる日はまだ先のようだ。

この出来事が俺を看護の道に進むきっかけとなった。

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