まいくの続『ナースの森』(森ないや、ここには。。)

まいくの続『ナースの森』(森ないや、ここには。。)

家族・両親について



たまに会話らしきものが聞こえてくるとそれはいつのまにか口論になっていたり。嫁姑問題なんて毎日で、昼にやっていた『嫁姑問題、再現フィルム』なんか見てて


「あんなの、俺の家のに比べたら甘いな。」

という感じだったり、兄貴達が結構『グレて』警察の厄介になったり、父親が兄貴達を殴る、婆ちゃんは母親に『あんたがバカなのと、あんたの育て方が悪いから、こんな出来そこないの子供達ができるんだ。私の息子は学校一頭が良かったんだ!』等の罵声。なんであんなにも争いの絶えない家庭だったのだろうか。。

そんなこともあって、自分が末っ子として育ったからなのか、『周りを以上に気にしながらおっかなびっくり生活していた』というのが俺のポジションだった。とりあえず、誰からも両親に文句を言わせないようになろうと。だから勉強も運動もがんばった。だが自分に自分でプレッシャーをかけ過ぎて、結局辛くなって家を出た(家族のいざこざを見たくないというのも大きな理由の1つだったが)ような形になってしまった。『ともかくあそこから抜け出したい。』という思いで。

『自分は何をしても親のAttentionをもらうことはないんだな~。たとえ家出のような形になっても』と思い続けていたこともあり、ほとんど話をしない時期が数年間続いたりもした。だが、いつでも俺のことを信じていてくれていた。これは後になって母親がおしえてくれたことなのだが。これを知ったのが父親が最初のガンの手術をした直後であった。久々に日本に行って(6年前)、いろんなわだかまりがなくなった時期だった。

父は自分に厳しいというイメージがある。昔から頭がよく、大変努力家で、負ける事をひどく嫌う人だと思う。ガンの手術の後も、つらい時期もがんばっていた。また、慢性の病気を持っていて、年に一度は入院するほどだったが、決して『痛い』とか泣き言を言わなかった。また、看護婦などに対しても気を使っていたし、あれほど自分に厳しい人はすごいと思う。まさに『戦前生まれ』である。

父はまた、15年ほど前には東名高速道路で運転中、脳溢血になり、奇跡的に「死」から免れるという事件があった。右半身が利かなくなり、何とかして自分で車をとめて車の外に出たという。しかも『高速』で。。。話によると、リハビリにも人一倍努力して、驚異的な早さで健康体に近づいていったということだ。久しぶりにあったときも『麻痺があるようには見えない』ところまで回復してたし。強靱的な意志の持ち主で、俺もそんな意志を持っていられたらといつも思っている。 ただ、父親が死んだことで、自分の中の罪の意識と後悔で一杯になることがある。『もっと何かできたんじゃないのか』『親不孝だったんじゃないか』と、考え出すとキリが無い。この想いはず~っと消えることはないんだろうなぁと思う。


それに対して、母親はとにかくのんびり(のん気か?)とした人で、俺に「人の痛みをわかるように」ということを教えてくれた人である。また、誰に対しても「優しく」とも。のんびり屋なんだが、自分のポリシーがあって、それに反することには『絶対に折れない』という頑固さ(もしかして単なるわがままか?)も持っている。今は父親もいなくなったし、もっと母親と話してあげられたらと思うけど、つい、忙しさを理由に電話をしない俺。『後悔先に立たず』をいうことをよーく肝に命じて、親孝行をできるだけしたいと思っている。

非常に真面目なエッセイをかいてしまったか。。。

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