ぱんだの喘息日記

ぱんだの喘息日記

全国大会


身体を鍛えると言いながら、バスケ部に入ったけれど、怪我や何故か走った後にパタッと倒れてしまう事が多くて、マネ-ジャ-的仕事に回されイヤだった。
先輩達からも仮病だと言われボ-ルが顔を目掛けて飛んで来るのだ。
それで、美術部に変わって、絵を書いていた。
でも、活動が少なくてつまらなくて、家庭科部もうろちょろしていた。
そんな時、吹奏楽部の先生から、どうしても入部してほしいと呼ばれたのだ。
音楽も誰もが私は音楽が好きで音楽の道に進むという期待をしていたので、やりたくはなかったのだ。
悩みに悩んだあげく、吹奏楽部に入部する事にした。
吹奏楽の練習は本当に大変だった。
朝練、昼練、放課後は7時まで。休みは三が日のみ。
おまけに、吹奏楽部の人は、成績もそれなりによくなければいけないという
ノルマのようなものもあった。
何故なら、練習が多いので、それで勉強が出来なかったというのを理由にしない為だった。
上下関係もとても厳しく、先輩の言う事は絶対的に所もあった。
それでも、東海では、とても強い学校だっただけに、目標も高かったのだ。
そして、全国大会。
鈴鹿で全国大会だったので、鈴鹿サ-キットのある所のホテルに泊まる予定だった。
ところが、レ-スがあるという事で、私達は、とても汚い、地下のようなところに泊まる事になった。
汚いベッドに汚い布団、廊下に出ればゴキブリが歩いてる。
ほんとに、とんでもない所だったのだ。
私の調子はどんどん下り、会話も動きも危うい。
苦しい・・・
友達が全て薬を準備してくれ、背中を叩いてくれたり、お水を持って来てくれたり看病してくれた。
「一人で大丈夫だから」と半泣き状態な私に「ほっとけないじゃん。どうせ寝れないから大丈夫だよ」と皆、起きていてくれました。
小学校から、ずっと一緒の学校だった仲間達。
喧嘩した事だってあったのに・・・
いつも辛い時、悲しい時は、手を差し伸べてくれる。
そんな友達をほこりにも大切にも思った。
そして、一晩が何とかあけ、大会に望んだ。
私の顔はドス黒く変色し始めていて、喉はペコンとへこんだままだった。
お願い!こけが終わるまで。
これが終わるまで、どうにかして。。。
無我夢中で演奏した。
結果は・・・
見事、金賞!!
泣いた。とにかく泣いた。
声も出せない。涙を流すのがやっと。
でも、ありがとう・・・そう心で思った。
その後、地元に戻り、即入院となった。
医師達は、演奏したという私を唖然として見ながら怒鳴りまくった。
ですよね(^^;)
血液ガス50で楽器吹けちゃってたんですから(笑)

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