milkyの心のままに独り言

パンドラの箱 第三章




開いてしまった心の中のパンドラの箱、私にとって何だったのか?まだその答えは

解らない。何の為に綴るのか、まだ解らない。でも、その答えを求める為に、今日

も綴る事にしよう。あの頃の事を‥

小学校に通う様になり、学校は私にとって家庭からの現実逃避の場所になっていっ

た。緊迫感と恐怖から逃れられる場所。

パパやママに見せない私の顔がそこにはあった。担任の先生はベテランの、女の先

生。ランドセルは思ったより重く、入学してからすぐの健康診断。私は16,4キロ、

身長120センチ弱。ごぼうというあだ名をつけられたりもした。この頃から、毎日で

はないにしても、お風呂へ行ける様になっていた。1人でもお風呂行けていた。でも

髪の長い私はシャンプーが大変だった気がする。活発で男の子の遊びが好きだっ

た。高鬼や、缶けり、メンコ、大好きだった。落ち着きが無く、協調性には欠けて

いた気がするけど。ストレスなんていう言葉は知る筈もなかったが、私は学校で開

放感に満たされていた。祝日と日曜日は嫌いだった。そして学期事の休みも。家に

居る時の暮らしは、この頃になると、益々虐待はエスカレートしていた。夜中に父

が仕事から帰ってくると、足の裏をくすぐられ起きていたら、半殺しにしてやると

言いながら、私は二人のおもちゃにされていた。息を殺し寝たふりをする。そんな

事の繰り返し、寝る前に口に入れたガムを捨てさせてもらえず、髪の毛にガムがく

っつき、取れなくなり、ハサミを持ってママが追いかけて来て、ばっさり切られた

のもこの頃だった。悲しくはなかったけど、ガムを捨てたいとママに言えず、呑み

込む事もできなかった事の方が苦痛だった気がした。金太郎みたいな髪型。相変わ

らず何で怒られているのか解らないまま、私は逃げ惑っていた。ピアノを弾く手が

傷ついたら、どうしてくれるんだよ・・パパは決して素手で私を叩かなくなった。

この頃、パパはジャズバンドで、ピアノを弾いていたらしい。足が腫れて、足腰が

立たなくなる程叩かれた。時々、皮のバンドはビューンと音を立てて、私を襲う。

給食費よPTAの会費。積み立て金。我が家は苦しかったのか知れない。俺は払っ

てもらえなかったんだよ。払ってもらえるだけ、有りがたいと思いな!パパが、私

を馬鹿と呼ぶのも変わってはいなかった。馬鹿はすっかり定着していた。或る日、

路上に止めて有った車を足で蹴った。私に悪意はなかったけど、確かに蹴った。翌

日学校へ行くと、大変な騒ぎになっていた。その車はへ込んで傷ついていたらし

く、持ち主が学校へ怒鳴り込んできたのだ。それは当然な事だと思う。でも、車は

蹴ったらへ込むと云う事にも驚いた。勿論の事だけど、ママが学校に呼び出され

た。そして弁償。その頃から頻繁にママは呼び出される様になった。家で私は叱ら

れる度、学校で何かしら問題を起こした。気がつけばクラスの問題児。クラスメー

トからも無視られていた。でも、学校は変わる事なく好きだった。痣の理由を聞か

れたりさえしなければ、担任の先生から聞かれると、答えに詰まった。でも、悪い

子のレッテルが貼られると、それも聞かれる事は無くなった。二年生も終わる頃、

こいつさえ居なければ、家の中でもそう言われる回数が増えていた気もする。そし

て間もなく三年生にるべく春休みを迎えた。







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