Blue kiss

Blue kiss

「好き」の領域

「好き」の領域



その日はかなり疲労困憊していた。
前の晩に飲み過ぎた冷酒がまだ血管の中を彷徨っていて
だらんとした四肢にいまひとつ力が入らない。

「うわ・・・休みたい・・」
最高にコンディションの良くなっている温もりの中へ
頭を突っ込んで体を丸める。
寝ぼけているはずの脳みそが今日の予定を検索し始めた。

午前中は平常業務・・・
午後に特別な会議もアポもない・・・
夕方は・・・
「あっ!」
一瞬で体が跳ね起きた。

「キタミさんが来るんだっけ!」
奇跡のような復活。
絶好調のフットワークで着替えを済ませ
浮腫んだ顔に念入りにローションを叩く。

会いたい。
ただそれだけの理由がわたしにあったおかげで
会社はズル休みするはずだった社員を出社させる事が出来た。
しかも、二日酔いの疲労困憊のわたしを
その日一日有能な人材に仕立て上げた。

好かれる男は偉大である。



キタミさんは、営業部のドアの向こうに来ていた。
嫌味でキモイ同僚のアキヤマと挨拶を交わしている。

「なんていい声。」

わたしは、突然鳴り出した心臓の振動に
息切れを起こしそうになっていた。
ドアを開ける音、キタミさんの足音が近づいてくる。
用事はわたしにあるのだ。

キタミさんの会社とウチの会社の協賛イベントで
わたしが担当になった。

営業部のフロアの一番奥にあるわたしのデスク。
キタミさんがこちらへ来る間にも
顔見知りのスタッフが、機嫌よくキタミさんに声をかける。
彼はウチの営業部で評判がいいのだ。

わたしはデスクに座ったまま、見てもいないパソコンを
凝視して、右手のボールペンをトントンと小さく叩く。
いかにも仕事に没頭している様子に見せる。

計画的ではないのだが、自動的に体がそうなってしまうのだ。
鼓動の振動は内側から胸を殴られているようだ。

「まいど。朝香さん。」
キタミさんは満面の笑みでわたしを覗き込んだ。

「あっごめんなさい、気が付かなくて。」
嬉しすぎて口角が上がりすぎないように
必死で顔の筋肉をコントロールする。

それから、にっこりと優雅に微笑む。
改心のスマイルでキタミさんを迎えるわたし。

ろくに気配りも出来ず、気性の荒い、短気な女を
この様に変えるのだ。

好かれる男はやっぱり偉大である。


© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: