花夢島

花夢島

第一章~movement~


 夜10時。粛清を保っていた水希家に、突然インターホンが鳴り響いた。
「誰だ?こんな時間に……」
 今日買ったばかりの小説を読んでいた澪は軽い苛立ちに目を細めながら、手元に置いておいたその小説のキャラクターが描かれた栞を挟み、本をベッドに放り玄関へ向かった。
 念のため、チェーンロックをかけてからドアを開く。
 ドアの隙間から外を覗くと、見知った顔がそこにあった。
「あ、今チェーンロック外しますんで」
 一言断ってからドアを閉め、チェーンロックを外しもう一度ドアを開く。
 そこにいたのは、夏だと言うのに黒いスーツをしっかりと着こなしている男性だった。
「ホントに、夜遅くすみませんね。先ほど和洋さまから会社の方にこれが送られて来て、今日中に澪さまに届けるようにと言われたものですから」
 そう言って足元の大きな箱を指差した。
 因みに、和洋というのは俺の親父の名前だ。前に興味からどんな仕事をしているのか聞いたことがあったが、適当にはぐらかされてしまい結局今も親父が何をしているのか知らない。ただ、海外を飛び回っていて普段家どころか日本に殆どいないらしい。
 蒐集家としての面もあるらしく、時々家に変なものを送ってくる。中でも特異なものは通常の宅配業者ではなく会社の人を使っている。
「また、ですか……」
 今までは会社の人が来るのは多くても3ヶ月に1回程度だったのに――まあ宅配便は1ヶ月に1回程度はくるのだが――先月と今月で2回も来るなんて。
「ええ。それにしても今回はやけに大きいですよね。それに結構重かったですし、一体何が入ってるんでしょうか」
 2人してその箱を見下ろす。
 だいたい1メートル四方。紙でラッピングしてあって箱の材質とかは分からない。サイズ的には膝を折れば人間でも入りそうだな。人間なんて入ってるはずないだろうけど――

 ガタガタッ

「「……………」」
 2人して顔を見合わせる。今絶対動いたよな、これ。
 目を擦り、再び箱を見下ろす。

 ガタッガタッ

 さっきよりも激しく動いた、
「あの――」
「すみません。面倒ごとに巻き込まれたくないので後はお願いします」
「あ、ちょっ!」
 引き止める間もなくスーツの男は逃げていった。外から車のエンジン音が聞こえる。
「……………」
 どーすんだよ、これ。
 でも、生き物とかだったら放っとく訳にも行かないし……仕方ないか。
 ビリビリ、とラッピングされた紙を破っていく。その下から箱の表面が覗く。一面平らで色は真っ白。中は確認する事は出来ない。
 箱の上面が蓋になっていたので、恐る恐るそこを開いてみる。
「……………」
 箱の中を覗き込んだ澪は、その体勢のまま硬直した。
 な、ななななななッ!マジで人間!?
 中にいた青紫色の髪と瞳をした女の子と目が合う。上目遣いで見つめてくる彼女に澪の心臓はバクバクである。
「―――あなたは?」
 澪に名前を尋ねたその声には、何故か不安とか疑問とかそんなものは感じられなかった。
「え、えと……水希澪だけど」
 箱の中で女の子座りをしている少女から目が離せない。その青紫の瞳に呑まれていく。
 その少女は、普段俺は二次の女の子にしか興味がないんだといい続けている澪ですら見惚れてしまうほど可愛かった。
「澪、さん……」
 そんな美少女が何を思ったか、不意に立ち上がり、目を瞑って俺の方に顔を近づけてきた。
 徐々に接近してくる少女に、澪の心臓は血液循環の速度が通常の3倍になるんじゃないかと思わせるくらい早く脈打つ。
 何かを言おうとするも口が開閉するだけで言葉が出てこない。脳の奥のほうが痺れて正常に動作していない。
 澪はもう何も考えずただ雰囲気に身を任せ、少女の方に両手を乗せて、そして唇と唇が今触れ合おうと――

 ヒュンッ、ドスッ

 目の前を庖丁が通った。あまりの衝撃に言葉も出ない。ぎこちない動きで庖丁が飛んでいった方を見ると、壁に庖丁が突き刺さっていた。しかも、明らかに刃が半分位刺さっていた。
「???」
 目を瞑っていた少女はどうやら今目の前に通過したものが何か分かっていないようで目を見開いて硬直する澪を不思議そうに見つめた後。
 また唇をキスの形にして顔を近づけてきた。
「いや、俺たちに向けられてるこのドス黒い空気ぐらいは読み取って!?」
 今彼女に触れると今度は庖丁が直撃しそうな気がしたので、澪は高速でバックステップを行い距離を取ることにした。
 そして、その黒い気を放っている人物に視線を移す。
 寝巻き姿の小柄な少女がそこにいた。
 澪の妹で名を湊という。
 幼い顔付きをしているが、その紅色の目は僅かに吊り上がっていてどことなく小悪魔を連想させる。
 瞳の色もさながら、髪の毛の色も綺麗なメロン色をしていて日本人らしからぬ容貌だが、これでも生粋の日本人だったりする。
 普通に笑っていれば抜群に可愛い事間違い無いのだが、湊は普通ではなかった。
「ねぇ、お兄ちゃん。その子だぁれ?そして今何をしようとしてたのかな?」
 確かに湊は笑っていた。
 笑っているかいないかで問えば、前者に分類される表情だろう。
 だが、目だけは笑っていなかった。
 そして、それ故にその笑顔は澪にとって恐怖を煽ぐもの以外の何者でもなかった――ついでに言えばそんな表情に加えて甘い猫撫で声まで加えられ、澪の恐怖心は結構限界に近づいていた。
「だ、誰って、俺も知らね―よ。さっき届いたその箱からでてきたんだ」
 それでも、妹に本気で恐怖するなど兄として情けないので必至に耐える事にした。
「……箱?」
 玄関に無造作に置かれた箱の方を見ると、青髪少女が丁度箱の中を漁っている最中だった。
 中に何か入ってるのだろうか。
 しばらく見守っていると、少女は一着の制服を箱から取り出し、自らにあてがった。
 どうですか?と目が訴えている。いや、そんな目で見られてもこっちとしてはただ驚くしかないんだが。
「あれ、うちの学校の制服だよな。どう見ても」
 同じように茫然としている湊に一応確認を取った。毎日見てる制服だから間違えようなんてないのだが。
 うん、と湊も頷く。それにしても、コイツはコイツで先ほどまでの怒りは何処へいったんだ。
 尚も、少女は制服をあてがったまま澪を見ていた。何故かその瞳が潤んで来た。睫が震えている。
 ――このまま放置したら絶対に泣くよな、これ……
「え、えと……似合ってるよ、制服」
 泣かれても困るのでとりあえず褒めることにした。少女が顔を少し赤らめて喜ぶのと対称に湊が不機嫌になっていたが気にしないことにしよう。話が進まない。
「で、何でうちの学校の制服持ってるんだ?鳴桜(メイオウ)生?」
 鳴桜、と言うのは澪と湊の通う学院の名前だ。鳴桜学院は私立の高等学校なのだが、学院長が余程のお金持ちなのか学費などの生徒が負担する費用が普通の公立高校と対して変わらなく、さらには校内の施設がそこらの公立高校よりも遥かに整っていて競争率もかなり高い学院だ。
「ううん。これ――」
 ふるふると首を横に振ると、制服を置いてまた箱の中を漁る。今度はA4サイズの茶色い封筒を取り出してきた。
 封筒には鳴桜学院、という文字が書かれている。
 中に入っているプリントを取り出す。
 1枚目のプリントには、A4の紙を満遍なく使い手書きの相合傘が書かれていた。傘の中には、左側に【澪】。右側に【ルル】と書かれていた。ルル、と言うのはこの箱から出て来た少女の事だろう。
「………」
 ビリビリ
 無言で紙を破った。
 1秒も掛からないうちにその紙を16分割した後、丸めて後ろに放り投げる。
「「――?」」
 2人が首をかしげている。湊が「どうしたの?」と目で訴えてくるが無視することにする。
 2枚目のプリントは、今度こそ学校からの書類だった。
 その書類には、編入手続き終了の旨が書かれている。
「へー、この子、明日から鳴桜生なんだー」
 声に抑揚がない。てか無感情すぎて怖い。
「みたいだなー」
 湊から黒いオーラが出てきたのでそれもスルーしていくことにする。
 3枚目以降何枚か学校からの書類が続いたので、読み飛ばす。
 転校したことないから知らないけどどうせ必要なものとかそこら辺が書いてあるだけだろう。
 そう言うわけで最後の書類を見る。
 そこには1枚目と同じ筆跡の文字が書かれていた。
『澪へ。誕生日家に帰れなくてすまなかった。代わりに取っておきのプレゼントを用意してやったぞ。これを読んでいるならばもう出会っているだろう。その箱の中に入っていた少女がお前へのプレゼントだ。名前はルルという。大事にしてやれよ』
「―――何考えてんだ!あの親父ッ!!」
 あまりの衝撃に脳が理解するまで3秒くらいは掛かった気がする。
 そんなことより、人間をプレゼントにするとか何考えてんだ!!この子の親とか知ってんのかよ!?
『P.S. 彼女の両親も了承してるから何も心配しなくていいぞ。まあ当の本人は記憶喪失で親の顔すら覚えてないわけだが。そんなわけだから、彼女を受け容れる以外の選択肢はないからな。まあこんな可愛い子が好意を寄せてくれてるんだからお前なら泣いて喜びそうなものだし、構わないだろ』
 構うわッ!!親父は俺を何だと思ってるんだ!と心の中でツッコんだ後、疑問を憶えた。
 まてよ。何でコイツは初対面の俺にそんな好意を抱いてるんだ?一目惚れ、ならまあ納得できない事はないが、親父がそれを知ってるってことは会う前に既に好意を抱いてたってことだろ?別に向こうはもともと知ってたって可能性はあるけど、それだって記憶喪失じゃ覚えてるわけがない。
 しかし此処で澪が混乱してしまうと湊とルルだけじゃ間違いなく話は進まないので一先ず考えることを止めた。
「何叫んでるの?」
 湊が親父の手記を覗き込もうとしている。
 見られてはいけないと悟ったのか、澪は再び紙を16分割する。1秒も立たない間に1枚のシートが16枚のピースに変わった。
「………」
 じー
 湊が澪をジト目で見る。
「そんな目で見るな。ちゃんと説明するから」
 ホントはしたくないんだが。何だこの修羅場。選択肢誤ったら俺、実の妹に殺されるっていう最悪のEND向かえるんじゃ……俺何もしてないのに……
「ええとだな――」
 言葉を選びながら慎重に言葉を紡ぐ。簡単に事情を説明し終える頃には、もう俺の心はボロボロだった。
「お父さん、何考えてるのよ……こんな女送り込んで……今度帰って来たら絶対に刺してやる」
 湊が小声でブツブツ言っている。何を言っているのか澪には聞こえていなかったが、どうせ碌でもないことなので無視する。というより、相手にする気力がない。
「という訳で、ルルさんは今日から家に住む、ってことでいいの?」
「ええ」
 こくり、と頷いた。もう超展開すぎて訳がわからない。超展開って言葉をリアルで使う日が来るとは思わなかったが。
「取り敢えず家の中一通り案内するよ。あ、それとアレは湊って言って俺の妹だから」
 親指で湊を指差し、紹介する。背中にどす黒い龍を携え明後日の方向を向いて念仏のようにブツブツと何かを呟いている姿は中々に近寄りがたい。というか本能が近寄ってはいけないと警鐘を鳴らしている。
 そんな湊を見て、ルルはちょっと退いていた。
「少し、怖いです……」
 うん。俺もそう思う。今すぐ此処から離れたい。
「まあ普通にしてれば害はないと思うからさ、気にしなくていいよ。じゃあ着いてきて」
 澪がやや早足に歩き出す。彼を追いかけながら一度だけ後ろを振り向く。
「………」
 目が合った。
 2人の間にバチバチと火花が散る。
(お兄ちゃんは、絶対に渡さない!)
(澪さんは、必ず私が手に入れるんだから!)
 避けては通れない闘いが、待っている様な気がした。
「どうしたの?ルルさん。早く行こうぜ」
 この緊迫とした空気など然も知らず澪が空気を読まないコメントをしてきた。
「はいっ」
 それまで険しい顔で湊を睨んでいたルルは、満面の笑みを浮かべて返事をし、踵を返し澪の元へと向かう。
 湊が、悔しそうに、そして怨めしそうにそんな2人を眺めていた。



 やがて2人の姿が見えなくなる。
 少しだけ寂しさを感じた。
 だけどそれ以上にあの女が憎かった。
 突然現れてお兄ちゃんを誑かそうとした上、家に住むなんて絶対に許せない。
 ……ルルをどう料理するか考えながら、今は自分の部屋に戻る。
 部屋に戻るとまず、机の引き出しを開いた。
 そこに仕舞ってあるのは、1台の携帯電話。
 それを手にとり8桁の暗証番号を入力し、メールを確認する。
 1通の新着メールが届いているのを確認すると、湊は真剣な眼差しになってそのメールを開いた。
「………」
 だが、そのメールを見るや否や、その表情は嗜虐のものに変わっていった。
 同時に零れた狂ったような大きな笑い声は、しかし彼女の部屋の防音設備によって
澪たちに聞こえることはなかった。
 先ほどまでの理性の下での怒りなどとは比べ物にならない程の感情がそこに渦巻いていた。
 湊のリミッターを外したそのメールには、ただ一言こう書かれていた。


『MISSION ルルを殺害乃至再起不能にせよ』




 ――闘いは、避けられない。 

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: