misty247

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2007.10.13
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カテゴリ: 私の歩いた山と道
 町石道と書いて「ちょういしみち」と重箱読みをする。町石の町(ちょう)は尺貫法の単位で一町は約109m(1.82m×60)。町石道は、町ごとに石の建つ道である。石は細い墓石のようなもので、正しくは卒塔婆(そとば)と呼び、いわゆる供養塔である。最初は木製で、のちに石造になった。

高野山町石道_町石
▲右に建つのが町石

 高野山へは、鉄道、それに大型バスでも難渋しない道幅をもったドライブウェイが通じている。たいていの参詣者はこのどちらかを利用する。町石道は山道であるから、使うのは歩く人、それも「町石道を歩いてみよう」という意思をもって歩く人たちである。というのも町石道は、傾斜はさほど急でもないが距離は延べ24kmあり、片道歩くだけで半日を要する長い道だからである。
 電車・車のない昔は七つの街道が高野山へ通じていて、そのなかで町石道は、高野山への表参道であった。信仰の道を歩む者は、町石を道標とし、一町ごとに建つ町石の前で手を合わせて高野山へ登った。

 町石道は、紀ノ川沿いといってもよい位置にある慈尊院(じそんいん)から始まる。

高野山町石道_慈尊院
▲高野山町石道登山口

 町石の「0出発点」であるみろく菩薩さまにお参りして、境内奥の石段を少し登ると、もうひとつめの町石がある。これが180町石で、ここから山頂に建つ根本大塔と呼ばれる伽藍まで、180をカウントダウンしていくのである。根本大塔に達すると、次は1から数え上げる。金剛峯寺の手前に4町石、一の橋を渡る手前に17町石。千年杉の並ぶ奥ノ院参道では、墓石に混じって建つ18、19から26までを数えて中の橋に。34町石を越して御廟橋を渡ると香華の彩りいよいよ神々しく映る奥ノ院で、弘法大師御廟の横の36町石で完となる。
 さらに因縁を追うと、慈尊院から根本大塔までが胎蔵界一八〇尊、根本大塔から奥ノ院までが金剛界三七尊を表したもので、各塔に仏を表す梵字の一文字が彫られている。石は五輪塔で、上から空・風・火・水・土で宇宙を表し、全体で24kmの参道にわたって描いた壮大な曼荼羅となっている。

 高野山への交通機関が発達すると多く踏まれた信仰の道は廃れた。災害などで町石のいくつかは損傷し、埋没し、喪失した。やがて先人の遺産を守ろうとする運動もおこり、町石は修復され、発掘され、再建された。
 現在、登山道と一部離れてはいるものの、慈尊院から続く道の見えやすいところに町石は並んで、歩くトレッカーたちの標になっている。
 かつての高野山への表参道。一町ごとに石塔のたつ道。歴史ある道。それがいまの町石道である。  <つづく>





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Last updated  2007.10.18 14:36:29
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