しあわせに生きよう

しあわせに生きよう

行動と行為


〈行動〉とは
あなたのあなた自身からの逃避にほかならない
〈行為〉の中にはあなたが在る
〈行動〉の中では
あなたは自分自身から逃避してしまっている

それはドラッグだ
〈行動〉の中では、あなたは自分自身を忘れる
そうすれば、そこにはどんな心配も
どんな悩みも
どんな不安もない
あなたが絶え間なく活動的であり
何か、かにか、していなければ気が済まないということはあっても
決して〈無為〉というものがあなたの中で花開き咲きほこる
そういう境地がやって来ないのはそのためなのだ


〈行為〉はいい
〈行動〉はまずい
自分自身の内側で、何が〈行動〉であり
何が〈行為〉であるかという違いを見きわめてごらん
それが第一歩だ
第二歩は
もっと〈行為〉のほうに身を呈することによって
エネルギーが〈行為〉のほうに移るように図ること
そして〈行動〉が姿を見せたときには
それに関してもっと目を見張り
もっと注意深くなることだ
もしあなたが醒めていたら行動は止む
そしてエネルギーが保存され
その同じエネルギーが〈行為〉となる


〈行為〉は即時的だ
それは既製品なんかじゃない
それはプレハブじゃない
それはあなたに、準備を整えたり
リハーサルを取り行ったりする機会など与えはしない
〈行為〉はいつも朝霧のように新しく新鮮だ
そして行為の人でもある人間もまた

つねに新鮮で若い
からだは都市を歳を取るかもしれない
だが、彼の新鮮さは持続する
からだは消え失せるかもしれない
だが、彼は残る
なぜならば
神は新鮮さを愛するからだ
神はつねに新しいもの、新鮮なものの側につく


もっともっと〈行動〉を落としてゆきなさい
しかし、どうしたらそれを落とせるだろう?
あなたは落とすというそのこと自体を
ひとつの強迫観念にしてしまうこともできる
それが僧院におわす坊さんたちの身の上だ
〈行動〉を落とすというこが
彼らの強迫観念になってしまっている
彼らは休む間もなく〈行動〉を落とすために何かしらやっている
祈祷
瞑想
ヨーガ
あれやこれやー
いまやそれもまた〈行動〉だ
そんなやり方で〈行動〉を落とすことはできない
そんなことをしてもきっと裏口から帰って来るだろう


醒めていなさい
〈行為〉と〈行動〉の違いを感じとるのだ
そして〈行動〉があなたをとらえたとき
・・・実際のところ、それは憑依と呼ばれるべきだ
〈行動〉が幽霊のようにあなたに取り憑いたとき

・・・行動というのは実に幽霊だ
それは過去からやって来る
それは死んでいるのだ
その〈行動〉に取り憑かれて
あなたが熱病的になってしまうそのとき
もっと醒めること
それがあなたの為し得るすべてだ
それを見守ること

たとえもし
あなたがそのことをやらずにいられないとしても
最大限の覚醒のもとにやること


たとえもし
あなたがそのことをやらずにいられないとしても
最大限の覚醒のもとにやること

(中 略)


見守り
気を引き締め
意識的でありなさい
するとあなたは
とてもとても奇跡的な現象に行きあたるだろう


もし本当に理解したら
ものごとは落ちてゆくものだ
そしてそのときにはあなたは
自分がそれを落としたのだという手柄を誇ることはできない
それはひとりでに落ちたのだ
あなたが落としたんじゃない
自我はそれを通じて強められたりしない
そうなれば、もっともっと多くの〈行為〉が可能となる
そして、全面的に行為する機会がるときには
決してそれを逃さないこと
決してためらわないこと
〈行為〉するのだ


もっと〈行為〉し
そして〈行動〉をひとりでに落ちてゆかせなさい
だんだんとひとつの変化があなたに訪れるだろう
それには時間がかかる
それには機というものが必要だ
しかしまた急ぐこともない


                「存在の詩」 和尚



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