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自分の中がいっぱいだったので、まゆみさんのコーチングを受けている。それで、今度久しぶりにカウンセリングをすることにした。16日卒業式の日 4時半から・・・。自分がいっぱいいっぱいなときは、話すことなんだろうな。と 思う。話すことは、離すことともつながる気がする。いろいろ思うことがあって ダメ元で異動希望した。かなうかもしれない。ダメかもしれない。それも、まだわからない。来年度、仕事、最後の年になるかもしれない。自分の心を整理しながら、前に進みたい。
2012.03.10
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相変わらず、バタバタしています。脳梗塞の父の退院も5月半ばを予定しています。それまで、いろんなことがありそうです。
2012.03.04
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この冬は、とても寒かったので、息子が「ネックウォーマーを買ってほしい。」といい、近所のお店を見回ったのですが、どこも売り切れでした。 そこで、楽天で買ったのですが、黒いのを買ったのですが とてもよかったです。 【KICKS/キックス】メンズ&レディース フリース ネックウォーマー(KN-377)スノーボードやスキーの防寒やおしゃれアクセントに
2012.03.03
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仕事関係で、指導を受ける機会をいただいた。カウンセリングやコーチングを受けたいと思いながらも、時間が取れない私にとって、今日の指導はカウンセリングやコーチングのようなものだった。先生の温かい言葉に涙が出た。少し泣いたから、また頑張れそうな気がした。
2012.02.09
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今日は、短大時代の友達と飲み会だった。介護の仕事をしている友達とは、ちょっとはやく待ち合わせをして彼女にいろいろなことを教えてもらって、少し元気になった。みんなといっても4人、私を入れて5人なんだけど会って話すと、みんないろんなことを抱えていていろんなふうにそれぞれに やっぱり大変なんだな、と思った。ある意味、自分だけじゃない。いろんなことがあって いい年なんだね。改めて思う。そして、最寄駅でママ友に会う。おしゃべりしながら、うちまで歩く。友達はやっぱりありがたい。また、頑張ろう・・・という気持ちになった。
2012.01.28
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新しい年になりました。アメブロに書いてますが、時々こっちにも書いています。いろんなことのあった昨年、いつも小さな苦しみがある感じでした。でも、大切なことは、幸せを感じる心だと改めて思っています。幸せを感じる心を持って生きていきたい。心からそう思っています。ミオマーマさん、年末ゴメンネ。5日から友達と韓国に行くからお土産買ってきて送るね。実家のことがいろいろで、もう旅行に行けないかもと思い、企画してしまいました。
2012.01.04
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終わらない仕事、実家のこと久しぶりに泣きたくなった木曜日。金曜日、残業して、それなりに仕事はめどがついたということにしようか・・・。仕事上の今のポジション、もう離れたい。でも、離れるとすると異動するしかない。実家のあんなごたごたを抱えて、異動してやっていけるのか、まさに「いっぱい、いっぱい」これ以上、もう頑張れない。
2011.12.11
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実家に行って、ケアーマネージャーさんと相談をしてとりあえず、父は、ディケアーを体験することになった。一回でイヤになるか、どうかはわからないけれど、まず、やってみるしかない。ただ、そんな中で気になっていたのは、母の物忘れだった。ケアーマネージャーさんが見える約束も、母は忘れていた。私は、数日前にそう聞いていたから実家に行ったのに、その日には忘れている。ほかにも様々なやり取りがあり、こちらが頭がおかしくなりそう。と思うような感じだった。その点も、ケアーマネさんにお聞きした。「先日お話をした時に、二三分前にお話ししたことも 忘れてしまわれている場面もあって、少し私も 気になりました。認知症の初期の段階ですね。 私は、お父様よりもお母様の方が心配です。 お父様はしっかりなさっています。」と 言われた。 メモを取ること、繰り返し確認をすることその日にあったことなど、思い出させる場面を作ることなど。脳のMRIでは異常なし。ということなので、病的ではないけれど、年相応の認知症ということなのか。まともにとりあってはいけない。そう思った。まともにとりあっていては、けんかになってしまう。自宅に帰る車の中で、少し涙が出た。でも、ケアマネさんに相談できるし、そういう意味では心強い方がついてくれた。とも 思った。
2011.11.27
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今日は、学生時代の友達が生け花を出品する会があるというので、それを娘と見に行った。数年前に会った時も、もうすでに先生の資格を持っているとは言っていたが・・・。配布されたプリントを見ると教室の先生のところに名前があった。その展示場所には小学生の生け花もあり、娘は「やってみたいな。」と またしても言っていた。ビーズを教わった時みたいに、また教えてもらえたらいいな。と 娘は思っていたようだ。生け花も、私は全くわからないが、これもまた奥が深そうだった。きっかけは、趣味で始めたことであっても、先生になるまでやるというのはすごいことだと思う。私もあと3年半で仕事をやめたら、何をしようかぁ。ABCクッキングに行ったり、ヨガはもっとしたいけれど、とても先生になれるまでのものは見つけられないかな。
2011.11.20
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私の父は、87歳。パーキンソン病と言われて7年になるが、それなりに日常生活を送れているので、それはありがたいことなのだろう。ただ、一緒に暮らしている母が限界になり、母のほうが、少し気が変になってきている。父は、朝起きて、食事をして、寝ながらテレビを見て、昼、夜と食事をして一日を終える。ただ、テレビを見るだけで、一日を終える。今日は、母が体調が悪かったのだが、また例により「お父さんは何もできないし・・。私がよくなったら起き上がって。」と また始まったので「お父さんに行ってもらいなよ。」と 私。父は、「行ってあげるよ。」といい、出かけて転んで 救急車で運ばれることとなる。転んで顔面をぶつけただけで、大したことはないのだが鼻血は出血がひどいので、見かけたご近所の方が救急車を呼んでくれる。母は、例により「行かせなきゃよかった。」と パニック状態で 私に電話をしてきた。「でも、自分が何ができて、何ができないか、わからないとダメだから 一ヶ月に二度も転んで救急車で運ばれれば、少しはわかるよ。 お父さんにとっての学びだったんだよ。 今から行くから。」と 話す。私だって、具合が悪くて午前中は寝ていたし、やっとよくなってヨガに行こうとしたら電話がかかってきたのだ。父は頑固で、人の話なんて聞きはしない。自分で実感しないとダメなのだ。鼻に張られた大きなガーゼも自宅に戻った途端に、はがしていた。私は、父に言う。「食事をして、テレビを見て、寝る。それだけの生活でいいの? 生きているんだから、何かしようよ。 どこか、行こうよ。家族以外の人と時には話し、時にはイヤな思いもし でも、それでも、それが生きているということじゃないの?」と 伝えた。 改めて調べたら、介護認定は、要介護1だった。介護をしている友達に聞くと、ケアマネージャーに相談できる段階だという。時には、どこかにでディケアーでいいから行ってほしい。
2011.11.13
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アメブロにお引っ越しと思ったけど、時々、こっちにも書こうかなぁ。なんて思いました。(笑)土曜日に行事だったので、今日は私だけがお休みでした。家族のそれぞれが休みの時、みんなは朝寝をするのですが、私だけは仕事が休みでも関係ないのですねぇ。息子の部活のこともあり、5時半に起きました。けど、今日は チョー眠かった。あのものすごく眠い時と、そうでもないときとあるよね。今日はすごく眠かった。うちは、息子か私が一番に起き、夫と娘がかなり時間がたってから起きてくるのです。「もう仕事も勘弁してほしい。」と 家族に話をしています。
2011.11.07
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今まで、ここで書いてきたブログですが、本格的にアメブロのほうにお引っ越ししようと思います。今までありがとうございました。また、これからもよろしくお願いします。http://ameblo.jp/miyaki2010/どうしてクリックして そのページにいけないものなのか?わかんない。アメブロでもみーやママのブログでやっています。
2011.10.03
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明日は、勤務先で運動会がある。若い男の方と「明日、運動会だって言うのに実感わかないですね。」と言われて「たしかにそうですね。」と 答えた。身体は、かなり疲れていて、運動会なんだろうな、と思うけれど気持ちの上では、組体も、あと3回は練習したいな、と思ったりする。自分も、まだ動きがわかっていない。息子の中学でも体育祭がある。ということで、息子の体育祭には行けない。運動オンチの息子なので、別に来てほしいと言わないし、もう来てほしくないだろうな、でも、息子が中学になったら、行けると思っていた。息子とは、なぜか勤務先の行事が重なることが多い。「体育祭、いけないんだ。」と 言った時「いつものことでしょ。」と 息子に言われた。まぁ、いいか。
2011.09.30
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結婚したら、男友達っていないのだろうか?たまたま、高校時代の男友達から、銀行のノルマの関係でカードを作ってほしい、と言われて作ることにした。昨日、近くのファミレスで会って、しゃべって、書類を書いた。「おごるから。」と言ってもらって、支払ってもらった。考えてみたら、結婚してから、夫以外の男性と二人でファミレスにさえも入ることはなかったな、と なんとなく思った。「書いてもらう紙を間違えたから。 訂正してもらわなくちゃならない。」と 今日、書類を書きなおすことになった。そして、またお茶を飲みながら、書類を書いた。彼は、独身で、私は、夫とうまく言っていないといいながら離婚するつもりもない。お互いにそういう対象では 全くもってない。そうであっても、結婚すると、男友達と二人で飲みにいくなんてやっぱりできないことなんだろうな、なんとなくそんなことを思う。
2011.09.26
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ついに 夫のクレアチニンの数値が4を超え、医者からも「次回、5を超えていたら、透析準備だね。」と 言われたらしい。本人も弟さんにいろいろ言われて低たんぱく食をちょっととってみることにした。弟さんは、腎臓をあげてもいいけれど、努力がないのに・・。と かなり強く言ってくださったらしい。私も簡単に腎臓をもらわないほうがいいな、と思う。移植だって、そんなに簡単なことではないものね。お義母さんからは「そんなに悪かったの?みーやママさん、力になってあげて。」と 涙で頼まれてしまい・・・。私も・・。「私が、何か言っても聞きませんからね。 本人ですからねぇ。本人が食事療法もやると言うなら 協力しますけど・・・。」と 口をにごした・・・。が、まぁ、とにかく 平日の夕飯だけでも宅配サービス宅配1.2.3でとることとした。そんな電話くらい 自分でしてよ。と言いたいところだがお義母さんに頼まれているので、電話や低たんぱく米の手配は私がした。宅配1.2.3に電話を入れ「低たんぱく食をお願いします。」と言うと 相手は驚いて おそらく栄養士さんに電話を代わり、「食事制限は言われていますか?」「ずっと前から言われていたんですが、ずっと無視し続けてきたんです。」と言う話になり・・・。そうそう、ずいぶん昔にレトルトなどたくさん買ったのだけど「まずい。」の一言で、すべて捨てたことがあったが、まぁ、この数年で こういった患者さんも増えて味の方もよくなってきたらしい。腎臓病だけなら、低たんぱく高カロリーだが、別で糖尿もあるので、低たんぱく低カロリーだろう。塩分はもちろんだけど、「野菜中心食だよね。」と 私が言うと 野菜嫌いの本人は カリウムも考えると「ほうれんそうや小松菜はダメだし・・。」などと えらそうに言っている。糖尿からくる腎不全の食事療法なんだろうけれど、私も詳しくないので、宅配食にゆだねながら透析にならないで、あと何年頑張れるかな、と 思います。ちょっと安い楽天の 春陽のお米は売り切れでした。残念。
2011.09.23
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夏の終わりのイベントのことをいまさらながら、ちょっと日記にしておこうと。夏の終わりに韓国に行った。朝 5時半にはうちを出て、成田まで車で・・・。空港にははやくついた。以前、暇さえあれば旅をしていたころがあった。一人でコーヒーを飲んでいると、そんな頃を思い出した。韓国は近い国。飛行機に乗ってしまえば、すぐに着く。初日は、買い物して、おいしいものを食べて、あかすりをして・・・。再び、ホテルに着いたのは 10時を過ぎていたように思う。翌日も朝から、ビビンバを食べて、買い物して、お風呂に入って、マッサージをして・・・。夜のツアーにも行く。ソウル、ミョンドンは、新宿みたいな都会。街中を人工?の川が流れている。それによって、少しは気温が下がっているらしい。東京もしたほうがいいかも?ソウルタワーからの夜景は、とってもきれいでした。ホテルに戻ったのは、12時を回る。最終日は、ホテルを6時40分発ということで、さすがに安いツアーだと大変。成田にはお昼ごろにつき、自宅には3時ごろには着く。職場への大量の海苔のおみやげでいっぱいのスーツケースを持って歩くことを思うとやっぱり車はいいね・・でした。そして、翌日は、娘にせがまれていたディズニーランドに・・・。ともくにちゃんにチケットをもらったことがあって出かけたのだった。夏休み最後の日曜日で、やっぱり混んでた。それでも、いくつか乗り物に乗り、パレードも見てお土産も買って、帰ったのでした。
2011.09.18
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夏休みの最後に韓国に行った時のことや娘とディスにーランドに行った時のこともブログにアップしようと思っていたけど、過ぎていってしまった。先週の土曜日、短大時代の友達と飲み会をした。いつも、夏と冬に私がメールして、飲み会をしていたんだけど、何となく私も忙しく連絡しないでいたら、「体調悪いの?」と心配のメールをもらい、飲み会をすることになった。五人全員集まるのは、一年ぶりかな?みんな、それぞれおばちゃんだけど、会えば昔のまま。うちが子どもが一番小さくて、まだだけど子どもの話題は、受験とか大学の授業料、就職などの話。「将来、どういう方向にといっても、18くらいのときに わからないよね。」と言う話を私がしたと思う。「夫を見ていて、夫はこの仕事があっていると思う。でも、私は、ここまで来て 改めて自分に合わない仕事をここまでしてきたんだな。と思う。」と言うようなことを言ったと思う。一人の友達が「みーやママは、この五人の中でも一番落ち込みやすくて だから、よく教師って思ったよ。」と。 そっかぁ。自分に自信を持っていて、ある程度強く人に対応するくらいの人のほうがこの仕事にあっていると思う。私は、全くそうではないから、友達いわく「苦しそうだったよね。」ということになる。たぶん、今学期も苦しみながら・・なんだろうな。30年をめどに仕事もおしまいにしたいな。心から・・・。
2011.09.04
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8月14日から17日までキャンプに行きました。また、今年も山形県、月山あさひサンチュアパーク。東北道が混んでいるというので、ちょっと迷ったのですが、やっぱり いつものキャンプ場というわけで、行きました。前日まで子どもたちは、2泊で私設学童ママサポの合宿に行っていたので特に娘は、朝、なかなか起きず、10時ごろからのゆっくりの出発になりました。思ったほど、東北道は混んでいませんでした。それでも、到着は夕方。15日は、山に泊まりながらも、海に行く。日本海で、海水浴。酒田の海かな。娘いわく「ママサポ合宿の千葉の海よりも あったかいの。あったかい海って変なの。」夕方は、キャンプ場での「いわなのつかみどり」と「巻き巻きパン作り」娘は、「いわなつかみ」が大好き。キャンプ場の小さな川にいわなを放してつかみどりするのだけど、息子よりも娘のほうがたくさんとるのね。一人一匹焼いてくれて 食べるのね。「巻き巻きパンづくり」は、パン生地を棒につけて50分くらいかけて焼くのね。私もやりました。それぞれ一人、五百円。大好きで、毎年やってます。16日は、また、山に泊まりながら海に行く。酒田から、フェリーで、飛島と言うところに行きました。娘が、船によって、吐いちゃって、船の方にもご迷惑をおかけしました。息子いわく「すごかった。あちこちで いろんな人がはきまくっていた。」けっこう揺れました。その飛島で、釣り。お父さんのリサーチ不足で、餌など準備が足りず、全然釣れなかったです。残念。少し、娘と島を自転車で走り・・・。1年生の時のキャンプで、自転車を私が押して練習したことを思えばビックリするように、今では上手に乗れるようになっていたのね。1年の夏に、北海道の焼尻島に行った時は、私の後ろに乗せていたんだから・・。そして、17日、最終日。松島の水族館に。夫の仕事の関係の方の娘さんが働いているということで・・・。また、今回の震災で 被害を受けたのだけど、もう営業を始めて、復興のシンボルなどと言う話も聞き・・。入口には娘の身長くらいのところに、「ここまで津波がきました」「椅子や机は、駅まで流されていて、こんなふうにまた営業できるなんて。」逃げてしまっていた生き物もいたり・・・だったそうです。その日行った時には、そんなことがあったのか、と思うような感じです。たくさん、お土産を買いました。アシカと握手。私も初めて、握手。少し硬い手?ひれ? なんだか感激。心がなごむ感じ。なんだか気にいったアナゴ。翌日、夫婦で人間ドックもあるし・・みたいのもあって、6時半くらいにはうちに着きました。いつもながら、キャンプの時は、「お父さんありがとう」と思うほど、よく働いてくれます。普段から・・・と思うのはやめましょう。年に一度のキャンプの時だけは、人が違います。私だけでは、子連れキャンプはできないな。
2011.08.21
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朝、だいたい7時半には息子は部活をしに学校に行く。もう真っ黒になっている。ただ、今日は、練習試合で最寄駅6時55分出発だったので、6時半にはうちを出たが 顧問の先生から 電話。「もう、うちは出てますよね。他の子、全員そろっているので 電話したんです。」「はい、すみません。」うちから駅までは 15分かからないと思うのだけどみんな来ていたらしい。申し訳ない。母は、お弁当を作って持たせた。頑張った。お父さんは、7時過ぎに起きてきて、何もなかったかのように・・・。先日も娘とABCクッキングに行った。和風オムレットを作った。甘くておいしかった。そのときに、ABCの先生から「お弁当を作ってみれば。」と言われて本人もその気になって、お弁当を作った。(たまごやきは母が作った。)娘初めてのお弁当そして、なんといっても気の重い息子の感想文。大変だった。歴史新聞も大変だったけど、もっと大変だった。でも、本はすごくおもしろかった。久しぶりに、集中して読んでしまった。「生きる」ということについて私も考えた。「ぼくは普段の生活で幸せなことがあっても怒った時のことばかり考えて 自分で怒りを選んでいたと思いました。 これからは怒りばかりに目を向けるのではなく 少しずつ幸せなことや 感謝することなどにも目を向けていきたい。」そうです。今週末は、私にとってのこの夏最大のイベントの地域のお祭りがある。それが終われば、ホントにホッとします。
2011.08.05
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先週の土曜日だったか、職場の関係で 劇団四季の「美女と野獣」を見に行く企画があった。私と同列の女性の先輩諸氏は、みなさんが、部分部分でかなり寝ている状態で私も寝てしまうか、と心配したが、私が一番起きている状態で、観劇観賞をしました。その前に、品川水族館にちょこっと行きました。昔、こんなのあったのかな?その昔、当時付き合っていた人とスケートをしたことはあったけれど、こういうのはなかった。そこに夏らしい水槽がありました。そして、今日は、娘とABCクッキングでハートのミルクプリンづくり。ほとんど娘がつくって、私は見守り隊状態でした。楽しかったんだけど、疲れが出て、最後は頭痛になりましたがとってもおいしかったです。その後、1人でヨガに行き、復活しました。やっぱり、料理よりヨガのほうが好きなんだな、と思いました。でも、娘が喜ぶので、また、一緒に行きたい、と思います。ちょっとぶれてます。
2011.07.29
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職場の人間関係が、うまくいかない状態で、やっと終わった1学期。すっかり自分に自信をなくしていた。休みになって、少し友達と会って、元気をもらった。少しずつ元気になっていけた。やっぱり、友達はありがたい。頭もよくないし、仕事もパキパキとできるわけでもないのだけれど自分はここにいてもいいんだ。と ふっと 昨日 思った。生きていることがすばらしい。なんとなく思えた。私がしている特別支援の仕事もそんなものかもしれない。自分はここにいていい。存在していていい。そんな風に子どもたちが思えたらいい。娘の喘息がひどい。保育園の頃、以来かな。と思うような・・・。咳がひどいというか、気管支が狭まってしまっているのだろうか?突然、息ができなくなり、夜中にも起き上がる。そんな娘を見ていて、つらくなる。どうにかしてやりたいのだが・・・そして、今日も医者に行く。薬が増える。普通に寝て、起きて、過ごす。当たり前のことがありがたい。薬も増えたから、今夜は大丈夫だろうか?生きていることがかけがえがない。彼女もここにいていい。だから、私もここにいてもいい。
2011.07.28
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今日は、tiru-tiruさんのコーチングを受けた。職場の人間関係に悩んでいるので、何か答えが見つかればいいな、と 思ったので、受けました。tiru-tiruさんの笑顔を見て、おしゃべりできて、嬉しかったです。ありがたいな、と思いました。ホントに・・・。自分のせいだとか 相手のせいだとか 言うつもりはなくてどうしたら、よりよい関係で仕事ができるのか・・。ということ。簡単なようでいて、やっぱり難しい。仕事は、人に始まり、人に終わるのかな。改めて・・・。正直、人に疲れました。気持ちは、伝えなければ伝わらない。どうやって伝えていくか・・・。相手をやる気にできない自分に情けなさを感じていましたがそんなこと思ってもしょうがないものね。前を向いていきます。まじめすぎるんだろうな、でも、そんな自分とつきあっていくしかないんだものね。自分は自分のままで、それでいいんだよね。自分ひとりで考えるより、気持ちが整理されたと思います。tiru-tiruさん、ありがとう。おいしいランチを食べました。tiru-tiruさんからプレゼント少しでも快適に仕事ができるようになれればいいな、と思います。ところで、娘が育てていたかぼちゃ、大きくなりました。けっこう立派だわ、と思ってます。
2011.07.18
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4月から怒涛のような日々が過ぎて、ここまでやってきた。いろんなことを思いながら、ここまでやってきた。考え方を変えたい。と 思い始めてもう何年もたっている。この3カ月はかなりきつかったので、自分にヨガがあってよかった。と 思うことも多かった。先週のヨガで、先生が「ヨガの考え方で ありのままでいい。というのがあります。」そうおっしゃった。ありのまま、自分が自分のままでそれでいい。そこから、物事はスタートしていくのだろう。そう思う。自分を受け入れることから始まる。tiru-tiruさんのブログに 子どもに要求しない。というのがあったが、私は、子どもにはあまり要求していない気がする。要求しているのは、自分。自分に要求しても、自分もこたえきれない。自分は自分のままでそれでいい。そう思ってあげようと心から・・・。ずっと昔よりほんの少しは前に進むことができたのだろか。明日は、午前中は夏祭りの子供会の買い出しで、午後から職場に行き、終わっていない仕事の整理をし、夕方から歯医者に行き、夜は飲み会に行く。いろいろあって、ヨガはお休み。
2011.07.08
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誕生日でした。48歳になりました。昨日、娘とABCクッキングに行った後、ケーキを買って帰りました。そんなんで昨日、ケーキを食べました。こんな年になっても、教員をしているとは思わなかった。決して自分に合う仕事でもないのに ここまで働いてきてしまった。頑張ったね。これからも、自分なりの歩みでしか進むことはできないけれど前を向いて歩いていきたいな、と思います。
2011.06.27
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料理が、何よりも嫌い。友達に「夕飯を作るのと所見を書くのとどっちがイヤだ?」と聞かれても「夕飯作りかな。」と 言ってしまうかもしれない。そんな私なので、娘には料理嫌いになってほしくない、と心から思っている。ABCクッキングのちらしをもらったことでやってみようかぁ、の話になった。そんなんで、今日は 初めて二人で行った。作ったのは「手ごねクルミパンと焼きパスタ」焼きパスタは、少し酸っぱいかな?でも、スパゲッティをあんなふうにするなんてね。と・・。ちょっと前にテレビを見て作った 「ツナマヨパン」これは、ホットケーキミックスを使うので、簡単だった。まだまだ、だけど、これからも時々 ABCクッキングに行ったり、テレビで見たのを作ってみたり、頑張るかなぁ。
2011.06.26
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仕事の関係で、水曜日に老人施設を訪問することがあった。とても暑い日だった。最初に、一通り施設を案内してもらい、働いていらっしゃる方のお話を少し聞き、あとはそこに来ていらっしゃるお年寄りの方と話をさせていただいた。最後は、簡単な合奏を発表させていただいた。車いすに座ったまま入れるお風呂などを見て、私にとっても他人事でないな。と 改めて思う。私の父は、もう86になるのだろうか?大正13年生まれだから?87になるのかな?息子が小1の秋の運動会に来てくれた頃、「お父さん、歩くのが遅くなって・・・医者に連れて行こうと思う。」と 母が言っていた。パーキンソン病・・・でも、あれから7年たって日常生活はそれなりに送れていて、なんとかなっている。でも、時間の問題なのかな。と 思う今日この頃。こんな施設にたまにでかけるような人だったらな。また、違うんだけれど・・・・。働いていらっしゃる方々は、とても忙しそうで、お年寄りにとっては、時間がとてもゆっくり過ぎていた。
2011.06.25
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今日もヨガに行った。最近、一ヶ月フリーパスにしたので、元はとりたいと思って頑張って行っている。ヨガの先生が、こうおっしゃった。「楽しいとき、うれしいときには幸せと思いますね。」「難しいかもしれませんが、イライラすることも、イヤなことも含めて でも、幸せなんだな。って思えるようになるような ヨガってそんなものなんだと思います。」奥の深い言葉だと思った。イライラすることや、いやなことも含めて幸せ そう思えるようになれば、日々を穏やかな気持ちで過ごすことがホントにできる。と思う。自分の体や心をいたわって、大事にして、幸せを味わって人にもやさしくなれるのかもしれない。娘の育てているベランダの花たちを見ながら・・・そんなことを思う。ちょっと写真が大きすぎたかも。
2011.06.19
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金曜の夜、10時ごろに 高校時代の男友達I君からメールが来た。私は、そんなに男友達がいるわけでなく、その人くらい。金曜日は、なんだか私もめげていた。仕事のことなどで、うつうつとしていた。「今、Tというお店で O君と飲んでいます。 今度、前に飲んだ5人で飲みませんか?」お父さんは、風邪で寝てしまったし、娘も寝てしまった。息子がゲームをしていた。「お母さん、今から飲みにいってもいいかな?」「いいよ。」と息子。「今から、Tに行くわ。」友達の携帯に電話を入れると「マジ? いろんなものにぶつかりながら来てよ。」とのこと。あわてて、出かける。30分くらいでついたかな。「主婦なのによく来たなぁ。」「息子もいい息子だなぁ。」「明日は部活も休みだし、お母さんが出かければ ゲームをできるし・・・。と 思っただろうね。」と 私。銀行員のI君は、この春の異動ですっかりめげていて、「銀行もあきたよ。」「たしかにそりゃそうだね。」私の仕事の悩みは oくんに「みんな、同じだよ。そういう年だよ。」と 励まされ、少し元気になれた週末だった。高校の頃、30年後にこんな風に飲んでいるなんてね。思わなかったな。また、次回を約束して・・・。
2011.06.19
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夫も娘も、日曜から林間に行った。夫が日曜に出かけてくれて、とてもホッとした。午前中に行ったヨガでも、先生に「何かいいことありましたか。」と 言われて「娘が林間に行って、それはそうでもないけど、 夫が出張に言ってくれてホントに嬉しいです。」そう言ってしまった。平日に出かけてしまうと、それほどでもないけれど日曜日に出かけると よけい嬉しい。夫は、朝5時半ごろうちを出た。娘は、学校集合7時で、一緒に歩いて出かけた。日曜出発だったので、いちおう見送りをした。荷物も用意も「足りないものがあったらお母さんに言ってね。一緒に買い物に行ってあげるよ。でも、自分で用意してね。」と言って、ほったらかしで、何も手伝わなかった。わざとというより、自分が自分の仕事などで目いっぱいで子どもに関わっていられなかった・・・といえる。いちおう帰宅の日の今日は、1時間年休をとって私も早く帰ってきた。「何ではやかったのかな。」娘はそう思っていたようだ。楽しく行けたようだ。思ったより天気も良かったのかな。よかった。よかった。夫はまだ帰宅していない。今夜は飲み会だろう。これまた、よかった。よかった。
2011.06.14
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夫は、腎臓病である。IGA腎症だったので、わかりやすく言えば腎臓に穴があいていることになるのだろうか。クレアチニンは、腎機能を表す数値だが、1.3くらいまでなら正常値と言えると思う。病気になってから20年近く、正常値を保っていて・・。大量の薬を飲んでいたおかげだったと思う。(そのために薬害にあい、全身発疹の入院もしたけどね。)が、昨年あたりから そのクレアチニンが2を超えてしまった。土曜日の検査結果では ついに 3を超えていた。2を超えるとはやいよ。とずっと前の職場の同僚の人がはなしをしていたことを思い出す。クレアチニン8を超えたら透析になる。1年で 1ずつ上がっているからあと5年か。完全に無視している食事制限もそのときはするのかな。前は、そういうこと一つ一つにとてもイライラしたが、今はなるようにしかならないな。と 思っている。そんな自分の成長が心から嬉しいと思う。人のことはどうにもできない。なるようにしかならない。自分ができることとできないことがあるのだから自分のできないことでいらつかないようになれてホントによかったと思う。
2011.06.13
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昨日の朝のニュースの芸能コーナーでさだまさしが被災地を訪れた・・ということをやっていた。それを見ていた娘が「この人、誰? 全然、知らないわ。」そう言った。そっかぁ。一時期、私がCDやコンサート代でおそらく一番お金を使った人なんだけどと 思い、「あとで、聞かせてあげるね。」と。夜 You tubeで 「奇跡~大きな愛のように」を聞かせた。「渋いねぇ。」娘は、そう言い、全く興味ないわ。というふうにその場から去った。「トイレの神様」は真剣に涙しながら聞いていた娘だったが・・。たしかに今の時代にあっていないかもしれないね。さださん、ゴメン。その後、You tubeにはまったように・・いろいろな曲を聞いた。「主人公」「つゆのあとさき」は、もちろんだけれど「夕凪」とか「最終案内」「交響楽 シンフォニー」などもう忘れていたような曲も・・・・。考えてもみれば中学の頃から聞いていたわけで、もう息子がそんな年になっている。今年になって、聞く機会が増えた。疲れているから?そんな気もする。
2011.06.11
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今年になって、とても忙しく、いつもバタバタとしていた。少しは余裕ができるか、と思うと、次々に いろんなことが起こり正直、疲れきっていた。職員室で仕事をしているときに 笑う気になれなかった。うちに帰ると もっとひどくて ぐったりとして生きていく気力がないようにも感じていた。誰かに何かを強く責められたわけではない。「戸じまり、忘れてます。」くらいは 言われたけれど・・・。運動会ではないけれど、4日に一つ行事が終わり、ちょっとホッとした。そして、その夜、映画を見に行った。「ブラックスワン」アカデミー賞の映画は、暗い映画が多いから、今の私の精神状態でどうかな、と 思ったけれど、4日に一つイベントも終わったのでまだ、大丈夫かな、と 思って見に行った。同僚の若い子が、「自分で自分を苦しめてしまうところは、共感できるところがあります。」と言っていた。「みーやママさんもわかると思います。」そう言っていた。私は、白鳥の湖の主役のような大きな役を受けているわけではないけれど、自分で自分を苦しめてしまうことはよくある。仕事を処理していく自分の力のなさに苦しくなることはよくある。一歩離れてみれば 大したことがないことなのにそのことだけが心を占めてしまう。仕事は仕事であり、人生でない。だけど、人生のすべてが仕事なのか、と思ってしまうほど心が仕事に占められてしまうこともある。幸い、そういうときには夫のいやさも気にならなくなるほど仕事の辛さが心を占める。でも、そういう流れを作っているのは、おそらく自分自身。自分で自分を苦しめないように 物の見方を変えながらまた 日々を過ごしていきたいと 心から思う。
2011.06.05
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昨日の夜、一人で映画を見に行くことができた。「岳」30の頃、山によく登っていた。山の会で登っていたので、一人で登ることはなかった。いちおう冬山にも連れて行ってもらった。5月の連休に涸沢に行ったとき、山の美しさに感動した。まだ、雪が残る道は、涸沢小屋のこいのぼりがすぐ間近に見えるのになかなかつかなくて、体力のない私にとっては、ついたときの感動。「雪のある山が、一番きれいだと思う。」当時、山の会の方もそんなふうに言っていらしたのを思い出す。私もそう思う。その年の夏に、涸沢から奥穂高に登った時、同じ山なのに違うと思った。美しさは、やっぱり雪があるときなんだな。そう思う。フリークライミングも、私は、久美さんよりもずっとずっと下手なので山の才能はないんだけど、山はとっても好きだった。「山もつらいことが半分、楽しいことが半分。」授業参観の時の子どもの作文。「生きていくっていうことも・・・・。」でも、「楽しいことを多くしていくのも自分自身なんだね。」
2011.05.22
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娘の運動会だった。おととし、昨年は息子が応援団になったりしたから、ホントにいけないことが残念だったが・・・。今年は、娘だけだし、仕事の疲れもあり、私も力が入っていなかった。だけど、運動会に行けたことはありがたい。そんな・・先日、夫が「3万円貸してくれる?」と 言った。「あぁ・・・(深いため息をつきながら)そう言われて お金を渡せるのも私が働いているから。と 一瞬だけでも考えてほしいんだけど・・。」と 答えた。貸して・・と言われて 半額帰ってきたら、いいくらいで、貸して・・で、踏み倒されるのが、いつものことだ。貸して・・で、貸さないで、カードで借金を作られて1か月分の給料くらいとんでしまったこともあるから、出さないわけにはいかない。そんなことがあったもので、夫も申し訳ないと思ったのだろう。「運動会のお弁当のおかずは、作るから。」と 言った。朝、5時に起きて、私は、おにぎり担当になり、ひたすらおにぎりを作り夫は、おかずをそれなりに作った。そして、私がつめて、お弁当はできた。制作料3万円のお弁当だと思うと、しみじみした。娘は、嫌がっていた100m走は、ビリ。なるほど・・・これなら嫌がるわけだ。息子は、毎年ビリだったけど、娘のビリは初めてかな。悲しそうに戻る娘を見た。「頑張ったからいいんだよ。」声をかけた。私も、いつもビリだった。これも家系か。一番、見たかったのは組体操。娘がどこにいるか、最後までわからなかった。一生懸命 目を凝らして探しすぎて、涙が出た。暑い、暑い日・・・。若い先生方が多くなり、現場が変わっていくんだな。とも 思った。先生方、ありがとうございました。
2011.05.14
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なんだかんだいって 連休が終わってしまう。友達としゃべり、それなりに楽しい時間を過ごした。月曜日からは、現実だ。そんな今日は、母の日だった。私は、朝、宣言をした。「今日は、母の日だわぁ。」息子には、何の関係もなく、娘は、私がヨガに行っている間に友達から「母の日のプレゼントを買いに行こうよ。」と電話があったらしく、帰ると、「イオンに母の日のプレゼントを買いに行ってもいい?」と言う。これが、娘からの母の日のプレゼントでした。
2011.05.08
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2日の日、連休前だし、映画でも行こうと職場の若い子と話して映画に行った。ずっと前に 彼女とGANZを見た。見ようと思っていなかったんだけど、その頃、人気の映画だったし時間的にもちょうどよかったんだろうな。それで、見た。なんだか消化不良の映画で、そのときも残酷なシーンが確かに多かったのだけど、次回作はもう少しマシなんじゃないか。ということで、今回も見た。あまりにも、今回も残酷なシーンが多くて、私は目をそむけたくなってしまった。今回は、特に地下鉄の殺害のシーン?は、なんでこんな映画を見てしまったのか。と思ってしまうような・・・。また、同時に 今の日本だったら こんなことがホントに起こってしまうんではないか。というような恐ろしさを感じた。殺されたり、死んだ人が生き返ったり、簡単であってはいけないことが簡単に行われる。たかが映画、されど映画なのだろう。出演者は悪くはない。かっこいい。でも、こんな映画がはやる世の中が、もう私には理解できないものになっているんだろうな。そう感じた。時代が動いていて、私はもう時代の外の人間なのかもしれない。
2011.05.06
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中学生になった息子が、サッカー部に入った。学年でも、おそらく短距離も長距離も走るのはビリにほど近いのに・・。なぜか、サッカー部に入った。科学部にもだいぶひかれていたようだが、サッカー部に入る決心をなぜかした。赤ちゃんの時、10ヶ月でも、ハイハイができなかった。1歳6ヶ月の時に歩くことができなかった。育児書には、1歳6ヶ月で歩かなかったら、医者に行ったほうがいい。と書いてある。私も仕事が忙しくなかったら、きっと医者に行っただろう。1歳7ヶ月で、息子は歩いたような気がする。生まれながらの まさに運動オンチなのだ。短距離も長距離もタイムは、おそらく6年間ずっと学級で一番遅い。小学校に入学した時に校庭に遊べる遊具がなかった。そんな息子が選んだサッカー部なので、レギュラーになんてなれるはずがない。「下手」と言われて、切れて、人をけがさせないか心配している。そういうタイプなので・・・。小学校低学年では、いつも人と喧嘩ばかりしていたので。とても3年間やりな。とは言えない。1年でもやったら、すごいと思う。ヨガのように、人と比べることなく、自分のペースでいいのだけれどそれができるだろうか。
2011.04.26
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金曜日、定時を過ぎて、職場の若い子と世間話をしていたら「小雪、結婚しましたよね。」と 彼女。「そうね。」と 私。私は、元キャンディーズのスーちゃんが、なくなってしまったことのほうがショックだった。世代が違うんだな。と 改めて思いながら・・・・。震災のこともあり、友達の死の命日も近づき、改めて「生きる」ということをふっと考えた。金曜日、特別に何があったわけでもないのだけど、仕事でホントに疲れてしまって、ぼんやりとしていたら、職場の人に言われた。「みーやママさんは、まじめすぎるから。もっと割り切っていいんだよ。 じゃないと もたないよ。」そうかもしれない。仕事は、生活の一部だけど、すべてではない。「生きる」ことは、仕事だけではないんだよね。わかっているんだけど、仕事が生活の大半を占めてしまう。時間的にも、心的にも、大半を占めてしまう。気がつくと、「生きる」ことにも面倒くささを感じてしまう。もっと余裕を持って生活していきたい。と 毎年のように繰り返す。「生きる」ことは、仕事だけではない。
2011.04.23
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職場で、特に何があったというわけではないけれど、孤独を感じていた。昨年2担任でやっていたが、また1担任に戻ったせいか・・・。泣きそうなほどの忙しさのせいか・・・。小学校の中の特別支援の立場になって、特別支援は担任も子どもも、さびしいんだな。と 思う。居場所がないのは、子どもも担任も同じ。受け入れてもらうのは、大変なこと。でも、受け入れ態勢ができたら、ホントの意味での バリアフリーなんだろうな、そう思う。私は、あと数年でやめるけど、これからの人たちのために特別支援の立場・・・作っていきたいな。最近はそう思っている。でも、今は、ちょっとさびしい。学生時代の友達のお墓参りに5月の連休に行こうか、と言う話を昨年もしたことを思い出し、学生時代の友達にメールした。そんな中で、一人の友達が電話をくれた。ちょっと話をしながら、笑い、やっぱり、友だちだな・・と思った。あんなふうにここのところ、笑ってなかったかな。笑っているうちに、また、変わっていけるかな。
2011.04.17
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7日の日、息子の入学式があった。前日、職場を出たのが8時を過ぎていたもので、それから、ママ友に電話をして持ち物などを聞いていた。そうしたところ、靴を買っていない。と言うことに気が付きあわてて、イオンに行ったのは9時を過ぎていた。朝は、買っておいたはずの靴下がない。ということで、これまた、バタバタしてなんとか見つかって、息子を出した。そして、式に行ったら、親が持っていくべきはがきを忘れた。成長したな、と思うものの、中学はなんだか殺伐とした雰囲気を感じ・・・。その反面、在校生代表も、新入生代表も、立派なあいさつであんな子もいるんだな・・・うちはまったくもって無理だわ。などとも感じながら・・・・。祝電披露では、なんと30年前の高校3年のクラスメイトが、祝電を読んでいた。30年前の高校の教室が心に浮かんだ。30年後、こんな再会をあのときは思いもしなかった。彼女は、3年の担任だそうだ。まだ、仕事辞めないで、頑張っているんだな。私も、頑張らないと・・かな。お昼をまた、前回の卒業式の時の友達とランチして、私は職場へ。頭が働かないまま、自分の学級の入学式準備。8日、無事にこちらも終わった。そして、週末。まだ、終わっていない仕事がある。出勤しようか、迷っている。
2011.04.09
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前から受けてみたいと思っていた tiru-tiruさんのコーチングを受けることにした。http://ameblo.jp/hidamari-coach/おいしいランチの後、コーチング。頭でわかっていても、忙しくて余裕がなくなるとやさしいことばを家族にかけることもなくなってしまう。仕事では、アピールが必要。と改めて・・・。もともと「ひいてしまう」性格の自分。でも、「前に出る強い」タイプのほうが、ある部分ではむいているような仕事。長くやってきたから、それなりにはこなしているけれど天性の仕事ではないんだろうな。でも、よさも含めた自分を受け入れて、いい意味で「アピール」していこう。今年度のテーマは「アピール」かな。家族や職場の人間関係の中では「伝える」かな。心が軽くなった気がしました。心を重くしているのも自分。軽くしていくのも自分なのですよね。改めて・・・。tiru-tiruさん、ありがとう。
2011.04.03
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韓国は、活気があった。行ったのは、ソウルだけだったから、なおさらかな。2年前に行った時よりも、発展しているイメージがあった。ブロードバンド環境は、日本よりも進んでいる。ロッテ百貨店は、日本のデパートよりも元気だった。心に残ったのは、いろいろなところで「がんばれ!日本」を 見たこと。帰りの金浦空港で義捐金の募金箱とともに、パソコンが置かれてネットにつながっていて日本の状況を知ろう・・みたいなコーナーがあって・・・・。ハートのモニュメントの下には、たくさんの付箋の書き込みがはってあった。ハングル語だったり、日本語だったり日本語の多くは「ありがとう」というもの「がんばれ」が「がばれ」になっているのは、韓国の方が書いてくれたのかな。初めてのネイルアート。元気になりそうな サムゲタン。こんなこともありました。昨日は、息子の6年間使ったランドセルを・・・。協和の千葉工場に送りました。直して、被災地に送ってくださるそうです。今日のニュースでやっていました。全国から1万個、届いているそうです。「ぼくのもあるかな。」と 息子。「明日、届くって。」と 私。自分のできることは何だろう?
2011.03.29
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今年度も、終わりました。最後の最後は、仕事もミスが続き・・・・。今日なんて 年休をとるために押すはんこも、隣のハンコを押してしまい、要するに人のハンコを押してしまって・・。そうとうきてるなぁ。と 思いました。一緒に仕事をしてきた方も、今日で最後で「つめちゃうところあるから、 もっとゆったりと・・・でいいよ。」というアドバイスをもらい、「言っていること、わかる?」って何回も聞かれながら・・・。「もちろん、わかるよ。マジメなんだよね。 でも、自分で自分の首を絞めることになるよね。」がんばることは大事だけど、頑張りすぎは心身によくない。隣の席の若い女の子と明日から韓国に2泊で行きます。彼女いわく「来年度は、がんばりすぎないをテーマにしようか。」彼女とは 18歳位、年が違うんですが・・・。私も、来年度は、余裕を持って・・・。いきたいな。と 改めて思っています。
2011.03.24
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昨日は、息子の体操教室の最後の日だった。ママ友が、先生にプレゼントも用意してくれて、最後見に行こうよ。と 誘ってくれて、出かけた。息子は、元来の運動オンチで、小学校に入学した時に遊べる遊具がなかった。ジャングルジムものぼりぼうものぼれない。鉄棒もできない。タイヤだってとべない。ブランコだけはこげたかな。人とも関われず、休み時間もただ、ぼんやりと過ごしていた。心配した私に、ママ友が 体操教室に誘ってくれた。1年の7月から、入り、毎週土曜日1時間程度やってきた。今の若い先生は、昨年から頑張ってくださった。それまで、5年間、お世話になったY先生は、すごい先生だった。たとえば、ボールをとって、先生に投げ返すのでも運動のできる子には、強いボールを投げてとらせてうちの子のように、ダメな子には、やさしいボールを投げてとらせる。子どもを見て、課題を変えて与えてくださった。もちろん、今でも、息子はクラスで一番、長距離も短距離も走るのが遅く、決して体育は得意でない。でも、「体を動かすことは嫌いじゃないよ。」と言えるのはこの体操教室のおかげもあると思う。楯をもらった。うらに先生からのメッセージがあった。今の若い先生と 5年お世話になったY先生からのメッセージだった。うまくできないときでも、あきらめず 努力していたことを思い出します。これからも、目標を持って・・・・。と あった。Y先生にメールを送ったら、返信を下さった。スポーツクラブ、長い間よくがんばりました。上手く出来ないと自信もなくなり、やる気もなくなるものです。でも、辛抱して通い続けた事で心がたくましく成長した事と思います。これまで、続けてこれたのは自分の頑張りも有りますが、通わせてくれたご両親のお陰でもあります。感謝しましょう!ありがたい。
2011.03.20
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18日は、卒業式だった。いろいろあって、初めてはかまをはいた。職場の方がはかまを貸してくださって、それを使わせていただいた。式が終わって、写真撮影が終わって あわてて帰宅。帰りに息子の学校によった。息子の学校も式が終わっていた。息子の担任の先生にあいさつ。先生と二人で写真を・・・。はかまレンタルのような写真ですが・・・。赤っぽいほうが、息子の担任の先生です。20代だもの。明るい色がステキね。白っぽい方が、私です。着物を着るのは、大人になって、2回目です。その後、ママ友と息子の友達とランチ。一つ終わりました。
2011.03.19
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14日に息子の学校で卒業式の予行練習をすると聞いていた。朝から、子育て休暇をもらって、直接息子の学校に行こうと思っていた。ところが、あの地震で、朝7時半に子どもの登校前のパトロールをすることになった。そこで、職場に顔を出して、それで、息子の学校に行くことにしようと思った。14日の朝は、大変な渋滞だった。普段から7時半には職場についているが、普段より、ほんの少しは、はやく出たのにとんでもなく道は混んでいた。電車が、走っていないせいで 車を使う人が多かったせいだろうか?東京に向かう国道はとんでもないことで、そこにつながる道もものすごく混んでいた。でも、なんとか職場に着き、いろんなことを済ませ、9時10分には職場を出た。ホントはもっと早く職場を出たかったが、計画停電のことなどで予定といろんなことが変わり、それを学級の子どもたちに話をしたりしていて遅くなってしまった。息子の学校の予行練習は、25分に卒業生入場と聞いていた。普段なら、15分あれば、息子の学校には行ける。でも、今日はそうはいかないかな。少し思った。でも、渋滞も少しは解消しているかな。とも思った。しかし、しかし、またまた混んでいた。息子は 3組だから、1組じゃなくてよかった。とかなんで、今日 私は職場に行ってしまったのか。とかいろんなことを考えながら・・・。通ったこともない狭い道に入って、「バックしろ!!」とか怒鳴られてほんの少し、どこかの家の門に 車の後ろをぶつけたりしながら・・・。息子の学校の体育館に着いたのは、9時50分だった。「証書授与、終わりましたか?」若い先生にお聞きすると「これからです。」の返事。「あぁ、よかった。」ちょうど証書授与が始まった。保育園から一緒の子や低学年の時にけんかしておうちの方に怒鳴られた子など大きくなったね、立派になったね。そう思って、少し涙が出た。証書授与の途中で地震が起こった。先生たちは用意していたヘルメットをかぶり、子どもたちも防災ずきんをかぶった。こんな卒業も、また忘れられないものになるだろう。呼びかけは、息子は「お母さんが来れないから、卒業式では呼びかけはしないよ。」そう言っていたので、息子は言わなかったけど、やっぱり心に伝わるものは感じられた。もっと口をあけて歌ってほしい。とか そんなことは思ったけれど・・・。卒業生退場…子どもたちの姿を見て、また、ほんの少し涙が出た。全員が退場するのを見送って、走って職場に帰った。地震の計画停電で下校がはやかったのだが、朝よりは渋滞が少しは解消していた。職場に着き、明日の連絡くらいは話すことができた。夜、うちに戻ると、息子が「お母さん、泣いていたんだって。」そう言った。
2011.03.15
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かなり大きい地震があったのは、金曜日の3時前だっただろうか?私は、職場で仕事をしていた。年度末ということで、その日は子どもたちも早く下校させていた。最初は「地震だぁ。」という声にも、私は気にすることもなかったけれど、最後には机の下にもぐった。長い時間揺れた気がした。ただ、私の職場は大きな被害もなかった。その後、部活の子供たちを下校させることになり、職員が総出で、下校に付き添った。その時も、また、かなり大きな揺れが来た。ご自分から学校に来てくださった保護者の方もいらした。でも、その時、自分の子どもを迎えに行くということは気がつかなかった。学童の子どもたちも最初は校庭に集まり保護者がお迎えに来た子から、帰っていく。私は、携帯で何度か自宅に電話をしたが、携帯は全くつながらなかった。考えてみれば、わが子は平常日課だったのでちょうど帰りの会の頃だったのだろう。あとで、わが子に聞いたら、校庭に避難し、保護者の迎えがあった子から帰っていき、迎えのなかった子どもたちは集団で帰ってきたそうだ。「うちは迎えに来なかったね。」と 翌日息子に言われた。「ゴメンネ。」翌朝に、学校からのメールが来た。全員無事です。迎えに来れる方は来てください。このメールが来ていたら、私はやっぱり迎えに行ったと思う。すぐに行けないにしても行こうとはしただろうな。でも、自分から行かなきゃいけなかったな。でも、まったくそんなことは考えられなかった。終わらない仕事のことばかり・・・考えていた。今回の地震は、かなり大きかったものの建物が倒壊するギリギリだった気がする。だから、この地域では、大きな被害が出ることなくなんとかなった。多くの方がなくなった、家の倒壊などのあった地域の方は、ホントに大変だと思う。いろんなことを考えさせられた地震だった。
2011.03.13
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高校時代のクラスメイトと土曜日に2回ほど連チャンで飲んだ。一回目は、男2人と女3人で・・・。前回は、男1人と女2人で・・・。飲んで、しゃべって楽しかった・・・。男1人は二回とも参加している。あとは、別メンバー。1回目は、1.2年のクラスメイト2回目は、3年のクラスメイトと言うことになる。その中で、いろんなことを感じた。仕事や子どものことがなかったら、自分って何だろうなぁ。って やっぱり漠然と考えた。普段は、そんなことを思うこともない。高校時代は、仕事も子どももなかった。高校の頃の私は、ギターを弾いて歌ってばかりいた。今は、声の出しすぎで、声帯がおかしくなったのか。全く歌えなくなってしまった。でも、あんまり昔ほど音楽は聞かないかな。子どものことと仕事のことがなければ崩壊寸前の夫婦関係くらいしかないな。素の自分って何だろう?そう考えた時間だった。
2011.02.27
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明日は、4年の娘の授業参観。10歳という節目を考えるようで、ここまで育ってきた10年でも10年後の自分でも、どちらを発表してもいいようで、娘は、10年後の自分を言うんだという。「お母さん、前は保育園の先生になりたかったけど お父さんも、お母さんも先生だから、 私も小学校の先生になりたい。って授業参観で言うの。」と 言った。 「あぁ、やめたほうがいいよ。 あなたは、発表の声も小さいし、大変だよ。」 「たしかに お金持ちの人と結婚して主婦が一番だけど・・。」 「そんな人はそうそういないし・・ね。」 昨日は、ひとしきり、いろいろ言うと 「お母さん、もうそういう話はいいから。」 と言われてしまった。 「いじめとか 学校に来れない子を助けたいから。 お母さんみたいな明るい先生になりたいです。って言うの。 お母さん、嬉しい?」 「でもねぇ・・・。」 「だけど、10年後だから、変わっているかもしれないよ。」 と続けた。 一瞬でもそう思ってくれたことは、やっぱり嬉しいのか。 私にもわからなかった。 たしかに 私は、20歳からこの仕事をしている。
2011.02.17
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先日の日記に 元気であること なんて 書いたのもこの映画を見たせいじゃないかな。と思ったりする。この間の日曜日、娘と映画を見に行った。私は、一人で見たいと思っていたのだが、娘が見に行く。というので一緒に見に行った。「神様、私に子どもをくれてありがとう。」というセリフは心に残った。これからも、子どもはどんな苦労を私にくれるか、わからないけれど子どもがいてくれることは 私の人生にとって やっぱりよかったことなんだろうな。と 思う。毎日かあさんのように ちょっとのことには動じない、夫が血を吐いても 「しょうがないね。医者行くかぁ。」みたいなのりで生きていけたらいいな。と ホントに思った。
2011.02.11
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