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台風17号が過ぎ去りました。そして10月1日を迎えました。
平家にあらずんば人にあらずと豪語して
奢れれる平家久しからずとなりました。
此処嵐山にも「女性の哀話」が平家物語で語られています。
【嵐山】
京都観光の「嵯峨野巡り」は、最も女性に人気が有ります。その入り
口が【渡月橋】を含む此処「嵐山」です。「山紫水明の景勝地」として
訪れる人々の心を遺憾なく癒してくれます。
嵐山・渡月橋
大堰
保津川
渡月橋より上流の景色
保津川下りの船
「角倉了以」が「保津峡」を開削、豊かな渓谷は、JR「亀岡駅」からの
「保津川下り」でも、スリル満点で、此処嵐山が「終着船着場」となっ
ています。その船着場から、少し川上に、丘に登る階段が有り、少し
上ったところに中国の「周恩来総理記念詩碑」が建っていますが、
有名な【雨中嵐山】の詩の表現は、嵐山の表現を遍く伝えて下さって
います。
中国の要人が来日の際は、どんなに忙しい日程でも、此処を
表敬訪問されます。
最近では、「温家宝首相」が訪れられました。
現在、折角「日中国交化40周年」の節目の年に両国の間で紛争が
不幸にも起こり残念なことです。
周恩来の碑
「雨中嵐山」の詩 が書かれています。
更に「亀山公園」を
登りますと、「角倉了以」そして「津崎村岡局」の銅像あります。
特に村岡局は、嵯峨野「直指庵の創設者」で、幕末の影の立役者
でNHK大河ドラマ「篤姫」の味方・理解者でも有りました。
角倉了以の銅像
保津川の開拓者
津崎村岡の銅像
戻って、「渡月橋」は南北に架かっています。見所はブロの写真家
が佇む、京都市内から訪れた、渡月橋の手前から嵐山を背景に、
シャツターチャンスです。そして渡月橋を南に渡った所から、川べり
に降りて、堰を含めて背景に、お饅頭の様に、丸く構えている
「小倉山」(小倉山百人一首)そのバックに「「愛宕山」が見える場所も
一服の絵に成ります。
真ん中丸い山「小倉山」
此処から更に、南へそして石段を登りますと、「虚空蔵菩薩」
(こくうぞうぼさつ)(知恵の仏)を祀る、【法輪寺】があります。
地元での言い伝えですが、子供さんたちの「七五三」のお祝いで、
智恵を授かる為に、法輪寺で祈祷して、渡月橋を南から北へ、
「振り向かないで、渡り切ると、その子に智恵が授かる」ということで
、子供たちは真剣な様子で前を見つめて渡る姿は、とても微笑
ましいです。
川の名が渡月橋の上流・下流で堰と堰とで変わります。上から
「保津川」「大堰川」そして「桂川」と
嵐山の景勝を求めて、多くの観光客がお見えですが、その殆どの
方が、目にとまらないのが、渡月橋の北東詰に在る【琴きき橋跡碑】
です。
渡月橋の北詰に碑が建って今す。
此処で源仲国が小督の琴の音を聴いたと偲ばれます。
小督寓居跡
渡月橋から直ぐの所にあります。
此処には、嵯峨野の女性悲話の一つが静かに潜んでいます。
あの有名な「黒田節」の二節に
「 峰の嵐か松風か、尋ぬるひとの琴の音か、
駒引き止めて立ち寄れば、爪(つま)音高き【想夫恋】(そうふれん)」
宮中一の美人でお琴の名手であった【小督局】(こごうのつぼね )は、
高倉天皇の寵愛を受けていましたが、中宮であった【徳子】
(建礼門院)の父である「平清盛」は「わが娘をおいて何ごとぞ」と
烈火のごとく怒り、小督を宮中から追い出してしまいました。
高倉天皇は、愛しさのあまり部下の【源仲国】に命じて嵯峨野に
身を隠していました小督局を探しに行かせました。嵯峨野の
此処嵐山を訪れたころ、高倉天皇を恋い慕う想いを込めた
【想夫恋】の琴の激しい曲が聞えてきました。そして出会って事情を
話し、宮中へ連れ戻されました。今でも「国道1号線東山トンネル」
西出口のそばにある、高倉天皇の御陵の側に天皇の遺言により
、眠っています。
小督局の屋敷跡が、渡月橋の少し川上の「局茶屋」の北側に碑が
建てられています。馬を止めて琴の音を聴き入る仲国の姿が
まぶたに浮かびそうです。
平家物語の一つです。