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今朝も秋晴れの良い天気になりました。
臨時国会のゆくへはどのように展開するのでしょうか。民意不在の
政治の駆け引きに、日本の国難をどう考えているのでしょうか。
豊臣秀吉と千利休、本日の大仙院でお茶をかわしたとされる部屋が
ありました。美しい枯山水の庭園を眺めながら、然し秀吉には自分
より秀でる者をもうとみました。離宮の弟子が「金毛閣」の二階に
師匠を崇める木像を安置、その門を秀吉に潜らしたと難癖を付け
怒って切腹を命じてしまいました。利休が誤ってくれると信じての
たわごと、でも理は通らず、「お前が頭さえ下げてくれればそれで
済むのじゃ。頼む」としても利休は切腹を選びました。
【大徳寺2】
【大仙院】
塔頭で公開している中で最も大きく、見所も多いです。
入り口の隣に一休禅師の住持された【真珠庵】が有ります。非公開で
特別公開の時は、七五三の石組みの庭園などが観られます。
この11月2日から11日まで 特別公開
取材してきます。
大仙院
臨済宗(禅宗)の寺院を訪問するときに、掃除の行き届いている
姿に、驚き且つ気持ちよく拝観が出来ることに、幸せを感じます。
禅宗では、座禅を主としますが、日常の「作務」(さむ)として特に
掃除する事を大切にされます。
「大仙院」の入り口を入ると、お釈迦さんに関係する樹が植わって
います。一つは「菩提樹」で、お釈迦さんが、こ樹の下でよく
お説教なさったそうで、他の一つは「沙羅双樹」で、お釈迦さんが、
亡くなられたときに回りに有った樹とされています。
「涅槃図」(ねはんず)に良く出てきます。更に門をくぐると、
十二支に因んだ石が、各方向に並べて有ります。
庫裏の入り口に【何妨】(かほう)の額が掛っていました。
禅宗では来訪者は、どなたでもさまたげないの意味だそうです。
受付を済ますと、直ぐに【庭園】に遭遇します。
【特別名勝・史跡】 ですから国宝級です。
院内庭園も含め撮影禁止でみなさまにご紹介できず残念です。
渡り廊下の【花頭窓】から【透渡殿】(すいわたどの)が庭園の
中心にあり、それを通して、枯山水の絵が美しく、瀧の滔々と
流れる姿を想像させます。そして下流には、船石が有り、
何れは、【方丈庭園】の白川砂で広がる、大海へとそそぐ形式を
採っています。
庭園の中程の茶室は、過って「豊臣秀吉」と「千利休」が対峙した
場所で、当時何を語り合ったのか、考えさせられます。
「鶴島」「亀島」そして「石橋」もあり。庭園の要素を全て整っています。
方丈の北側には、【拾雲軒】(しょううんけん)が有り。「沢庵禅師」
の書院で、「宮本武蔵」とも対面したことでしょう。
【方丈】(本堂)は【国宝】で、襖絵 【四季花鳥の図】狩野元信筆
【四季耕作の図】狩野之信筆
【四季山水の図】相阿弥 筆
広々した方丈庭園も、座して暫し眺めますと、心が静まります。
右奥に【沙羅双樹】が配置されています。
芳春院
【芳春院】 加賀前田家の菩提寺 非公開
【呑湖閣】(どんこかく)
加賀藩から琵琶湖を眺めながら都へ上洛するために付けられたようです。
金閣・銀閣・西本願寺の飛雲閣と呑湖閣で 京の四閣と呼ばれています。
わが国の歴史では、「踏み絵」等でキリスト教徒への、弾圧が厳しく
、公には信仰を保てなかった中で、此処大徳寺の塔頭で
、2箇所公に信仰を守っこうた人物の菩提寺が有ります。
一つは
【高桐院】(こうとういん)【細川ガラシャ夫人】です。公開しています
。明智光秀の娘で、千利休の七哲の一人細川忠興の正室【玉】でした。
石田三成の「人質政策」に反抗して死を選ぶ際に、キリスト教徒は、
自殺は禁じられていますので、家臣の刃で亡くなりました。
【欠灯篭】豊臣秀吉の名石狩りをさけるためと、銘に「無双」と印し
、完全を忌(い)む公自身が一部を欠いたそうです。茶室【松向軒】
(しょうこうけん)は、黒壁で質素に造られています。
高桐院の入り口
参道・玄関
庭園
細川忠興とガラシャ夫人の墓所
次回に続きます。