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葵祭りの上賀茂神社と下鴨神社が共に世界文化遺産に
登録されています。国宝の建物があるからでしょう。
歴史を感じる神社で、勅祭とされ、勅使の使わされる伝統行事
でもあります。 賀茂と鴨と 字を変えています
【下鴨神社・賀茂御祖神社】 (かもみおやじんじゃ)
世界文化遺産に登録
本殿
【東本殿】【国宝】祭神【玉依姫命】(たまよりひめのみこと)娘
【西本殿】【国宝】祭神【賀茂建角身命】(かもたてつぬのみのみこと)
玉依姫の父
京都の街を高台から眺めますと、京都御苑と賀茂川と高野川とが
Y字型に挟まれたところにこんもりした森が目立ちます。
糺の森
【糺の森】 (ただすのもり)と称して、参道がとても自然界の様に
親しまれます。隣接地に「家庭裁判所」があります。神様の時代
でも「糺された事」があったのでしょうか?今一つ川の「三角州」
の事を「只洲」とも言うそうです。
さざれ石
【さざれ石】 国歌「君が代」に歌われています。
【連理の榊】2本の榊の木が上部で1本に繋がる不思議な木が
【相生社】の横に見られます。
参道鳥居
楼門
神楽殿
御手洗社
【御手洗社】 (みたらししゃ)
葵祭りの前に【斉王代】(さいおうだい)が【禊の儀】(みそぎのぎ)を
されます。また土用の日には【足つけの儀】が行われ、無病息災を
祈ります。常には水が流れていないのですが、土用が近付きますと、
自然に水泡がこんこんと湧きでるところから、
その形から【御手洗団子】(みたらしだんご)の発祥の地としたそう
です。
立秋の前夜【矢取り神事】が行われます。
お判りの様に、上賀茂と下鴨は(かも)の字を変えています。
上賀茂の祭神は、「天神の子」として、雷即ち農耕の神様の様で、
「賀茂別雷命」そして下鴨神社の祭神は、母上「玉依姫命」と
「祖父の賀茂建角身命」と言われています。賀茂建角身命は、
【松尾大社】の祭神でもあります。
5月15日の葵祭りには、京都御苑から下鴨神社経由、
上賀茂神社へと行列が、その年の未婚の
斎王代の輿
【斎王代】が選ばれ、のどかに牛車の輿に乗られて進まれます。
頭に葵の葉を装う
【葵の葉】が象徴しています、雨乞いの祭りでもあり、何れ梅雨季を
迎えることに成ります。
【玉依姫丹塗りの矢】の伝承
玉依姫が「瀬見の小川」で川遊びされていたときに、「丹塗りの矢」
(にぬりのや)が川上から流れてきました。貴重な品として
、持ち帰られ、床に就かれるとき、床の側に置かれたそうです。
その後、孕(はら)まれて立派な「男の子」を産まれました。
「別雷の神」です。
男、不用で神の子誕生とされているようです。
キリストのマリアさまからこの世に神の子として遣わされたように。
【賀茂建角身命】
玉依姫の父にあたります。農耕を広め民生の安定に努められ
ました。「五穀豊穣」「古事記」「日本書紀」には、「金鵄八咫烏」
(きんしやたのからす)として神武天皇に使え、御功績が多く
「導きの神」とも崇められ、厄除け・学問・旅行・方除け祈願に
訪れる参詣者も多いです。私たちタクシーの乗務員の為にも、
交通安全を祈願したいです。【加茂族】山背(山城)の古代氏族で、
朝鮮からの渡来人とされています。賀茂と地名にも成りました。
太秦の「秦族」も渡来人の一族です。京都の丹後は、日本海に
面し朝鮮に近く、琵琶湖又は、山越えで、京都に移り住んだとも
考えられます。とても博学多識、努力家で「治山・治水・農耕・
絹織物」等、現在の京都の有り方に貢献されたものと、
改めて敬意を表したいです。
明日は、京の都を決められた将軍塚に参ります