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2017.09.19
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カテゴリ: カテゴリ未分類

三十三間堂は、仏像の設置の常識が解る、仏像鑑賞に役立つお寺でした。

右                 本尊          左(上位)

雷神・ 帝釈天(太陽)・吽形仁王  風神・梵天(宇宙)・阿形仁王

NHK大河ドラマ平清盛がありましたが、後白河上皇の壮大な離宮

【法住寺殿】の一角に上皇は勅命により清盛に三十三間堂を

1164年創建したと伝えられています。

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柳と三十三間堂

P1030268.jpg

法住寺殿跡地

三十三間堂外の向いに位置し、そのお隣に75代 後白河天皇の

御陵 そして、 養源院 が並んでありました。恐らくどなとも知られず

ひっそりとしていました。

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後白河天皇陵

豊臣秀吉は、一旦、その広大な法住寺の跡地を我がものとしましたが

後に徳川家康によって採り上げられてしまいました。

栄枯盛衰の歴史が感じられます。

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養源院門 

【養源院】   浅井長政と徳川の菩提寺

当初、淀君が秀吉に頼んで、父の菩提のため建てられました。

秀吉亡きあと、豊臣に関係ある建物は太閤屏の一部を残して

壊されましたが、妹【江】(ごう) の願いで、長政の菩提寺は残され、

徳川の菩提寺ともなりました。

伏見城の【血天井】としても忠臣鳥居氏たちの供養もされています。

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参道

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徳川の三つ葉葵

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参道の現在の紅葉

P1030269.jpg

三十三間堂外側から

この向かいに養源院があります。

修学旅行生がタクシーでそして外人の方も多く見かけます。

殆どの方は、日本一細長いお堂の中を1001体の観音像に驚き

そのまま退散される方が多いですが、往時火災で持ち出されたのは、

観音さんの前に並んだ鎌倉時代の国宝二十八部衆と風神・雷神に

観賞されるゆとりも無いようです。

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タクシー利用の修学旅行生

時代は代わり、桃山時代には豊臣秀吉がこの周辺を広く確保し

方広寺では高さ19mの木造大仏(奈良の大仏14.9m)を建てた

とされています。秀吉死後、墓地を背後の阿弥陀が峰に葬り

徳川家康によって、秀吉の所縁のものは、ねねさんの願いで

太閤塀と南大門だけが、現代遺されています。

P1030267.jpg

南大門と築地塀 瓦に五七の桐紋

歴史の流れを推し量りながら、明日から順次寺社の説明に

はいりたいです。

後白河上皇も、平清盛も、権力を持たれて三っつの事が

できないと言われた(加茂川の水・賽の目・比叡の僧兵)

72代白河天皇に縁があり、後白河天皇は、鳥羽天皇と待賢門院さんとの

子で、平清盛は、父平忠盛だが、祇園八坂神社境内にある忠盛灯篭

のゆわれで、白河天皇のご褒美として、白河院の

女房祇園女御(妹の説?) 与えられた母とも言われています。

そしてその清盛の母は呪われているとして白河院の目の前で

家来の槍で突かれて惨殺されました

あれだけ歴史上の有名人物でも

仔細が判然としていません。いずれにしても両者

後白河天皇も平清盛も気性は激しかった ようです。

平忠盛は、一介の北面武士でしたが、冷静に思慮の深さで社僧の

命を落とさずに救った手柄が、歴史を変えました。

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平忠盛燈篭 八坂神社の社殿の側

明日は歴史上名高い方広寺に参ります。










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Last updated  2017.09.19 05:00:15
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