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法然上人が説かれた、 【浄土宗総本山】 です。
弟子の親鸞上人も同じく【浄土真宗】として、本願寺があります。
全国から法要のため多くの信者さんたちが、お参りにこられます。
鐘楼
【知恩院の除夜の鐘】大晦日と言いますと、テレビでも表題の
シーンが放映される事が多いですね。108つの煩悩を振り払う、
僧侶十数人掛かりで、撞かれます。【重さ70トン】
御影堂(みえいどう)
大瓦の頂上の真ん中に瓦が三枚ほどくくられてあります 何故?
建物は未完成のままで永久に
人も控えめにとの僧侶のお話しでした。
【知恩院】
法然上人が開祖で、一般大衆でも難しいお経を唱えなくっても、
ただ 【南無阿弥陀仏】 と唱えるだけで阿弥陀さまの世界
【西国極楽浄土】 に召されるということで、日本全国信者さんが
大勢信仰を持って居られます。
御影堂(みえいどう)は法然上人が祀られ、大きい建物です。
何でも、 【左甚五郎】 の作と言われています。
過日、疑問にずっと感じていましたが、信仰の対象と成るはずの
【阿弥陀堂】が西側に小さくって、聖人とはいえ【御影堂】がとても
大きいことに、和尚さんの説明では、阿弥陀堂は【礼拝堂】であり
御影堂は、【説法堂】として広く多くの人達が法話を聞くお堂と。
やっと納得できました。
長い竹の棒で位置を説明します。
有名な 【忘れ傘】 が正面向かって右側の軒下に見上げると
ひなびて居ますが、見られます。実は忘れたのでなく、木製の
建物として、最も恐ろしいのは、【火災】です。それに対応して、
水に関係する【傘】を置いたのでしょうね。
屋根の頂上の中央に【瓦三枚】が縛られて置かれています。
和尚さんのお話では、作者は半永久的に残したい意味で、「この
建物はまだ未完成ですよ」の意図と考えられます。人間も慢心
しないで未だまだ足らない事が多々あります謙虚さを説かれて
いました。寺社では、隠れた為になる教訓が気付かない所に
有るようですね。
西側に阿弥陀如来の祀る阿弥陀堂があります。
更に奥に行きますと、廊下が【鴬張り】になっています。そして
更に進みますと、大柄杓(ひしゃく)が手の届かない、梁(はり)
に掛けられ、【シャクに触るな】につながります。又、柄杓は、
多くの人を救いとるの意。
あまり上手に画けて、【抜け雀】【三方正面真向の猫】観る者が
位置を変えても、親子の猫の目がこちらを見ている。
日本一大きい三門
一度は観られると良い豪華な【三門】は日本一大きいとされて
います。その上層部には、建築の責任者寺社奉行
【五味金右衛門夫婦】の【白木の棺】と像が置かれています。
予算超過でその責めを採り自刃。
三門は、 徳川二代将軍秀忠公 によって建てられ、楼上には、
お釈迦さんが、祀られて居ます。
お釈迦さんは両手の指を伸ばしておられます。(仏像の観方)
三門から御影堂まで、急な石段【男坂】となだらかな【女坂】
があります。
七不思議のひとつ【瓜生石】
二条城に通ずるミステリ地下道の出入り口される【瓜生石】
この石の上に祇園の牛頭(ごず)天皇が降り大石から瓜が実った。
以上を【知恩院の七不思議】とされています。知恩院は、
徳川のお城でも有ったようです。
御殿の東北には、東照宮があり、家康・秀忠を祀って居ます。
庭薗も観られます。
知恩院境内の最も聖なる地
法然上人御廟所
石段を登りつめた場所
御影堂の東に急な石段を登り詰めますと、【勢至堂】(せいし)
即ち法然上人のご幼名でありそして、【御廟】が有ります。
その勢至堂の裏側即ち北側に、NHK大河ドラマ天地人で話題
となった、徳川家康の孫、豊臣秀頼に嫁がされた
【千姫の墓】 があり、後に
【東福門院】京都の市街が、美しく見渡せます。
千姫の墓
千姫も。父秀忠公と静かに京都を見守ってくれていましょう。
東照宮への庭園
御影堂の東側から
勢至堂・御廟への石段登り口
次回はそのお隣にある青蓮院に参ります
こうして東山歴史街道を辿りますと豊臣あり坂の上田村麻呂
そいて明治維新 ねねさん 平清盛そして徳川と
メジロ路押しでした