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勝林院に、隣接して此処も見どころが多いです
【三千院その3.】
【
宝泉院】
天台宗
開基 円仁(慈覚大師)
富士の形した五葉の松
法然上人 衣掛けの石
入口の小庭
奥の間への庭園 門の正面に樹齢500年余の「富士山型の五葉の松」が
どっしり構えています。受付で備え付けの「木魚」を叩くと係りの
方が案内して下さいます。
額縁の竹林
【額縁の庭】 として、広いガラス戸の間から、片や
「近江八景図の庭園」が片や「竹林」が額縁の中で鑑賞出来
ます。「抹茶と菓子」が出され、三千院の鑑賞の疲れに、
一服落ち着いて外の景色をゆっくり味わわれるのに最適です。
竹林の背景には、翠黛山(すいたいざん)(阿波内侍の眠れる山)
ほか大原の里が望まれます。
【血天井】
が京都に数箇所有り、その一箇所が此処「宝泉院」
でも弔っています。
伏見城で豊臣秀吉は亡くなりましたが、その跡は、徳川家
が護っていました。天下分け目の一戦で、石田三成に攻められ
伏見城で徳川の忠臣「鳥居元忠(とりいもとただ)一党が、
篭城で死守して、援軍の届かぬ内に自刃して果てた、
血染めの廊下を、天井に上げて、菩提を弔ったと言う。
宝泉院別の庭園
宝泉院庭園
【実光院】
天台宗 開基 円仁(慈覚大師)
「声明」の音階・音律を味わえる場所でもあります。楽器は四国
の自然石で自由に鳴らして体験が出来ます此処も、抹茶と菓子
で庭園を眺めながら憩う事が出来ます。
又、庭を散策するための履物も、用意され冬でも花を付ける
「不断桜」も楽しめます。
滝の流れと小規模の庭園形式の「契心園」も落ち着きます。
女性のみが、「宿坊」として利用も出来るそうです。
三千院の北隣り 呂川を挟んで在ります
後鳥羽天皇・順徳天皇大原陵
【大原御陵】 「実光院」の真向かいに位置します。
「承久の乱」 (じょうきゅうのらん) (1221年)
武士から政権を取り戻そうとして北条義時追放の院宣を下され
戦われましたが、敢え無く、鎌倉幕府に破れ「武家政権」が際立つ
ように成りました。82代後鳥羽上皇は、隠岐に、84代順徳上皇
は佐渡に配流されました。
女官 鈴虫・松虫の安楽寺事件 法然・親鸞上人法難も関係しています
大原の里で御霊は、静かに安らいで
居られる様です。遠く歴史を偲びつつ礼拝。
【来迎院】
(らいごういん)天台宗 開基 円仁(慈覚大師) 山号 魚山
余程、時間の赦せる方しか望めませんが、「呂川」(南谷川)
の上流に位置し、慈覚大師円仁の「声明」の根拠地とも言われて
います。平安時代の末期に「融通念仏の開祖・聖応大師良忍」
によって、再興されました。
本堂には創建当時の作と言われる薬師・釈迦・阿弥陀三如来
の坐像が安置されています。
更に「来迎院」を過ぎて、「律川」(北谷川)の上流かなり
山道を辿りますと、【音無しの滝】に出会いました。感無量でした。
白糸をたらしたような美しい滝で、巨岩に落下する「水音」は
山肌にすいこまれように静けさを深めました。
聖応大師が「滝の音」と「声明」が相乱れるのを恐れられ、
「呪文」で「水音」を止められたと言う伝説が伝わっています。
近くに聖応大師の墓が有ります。今でも仏教音楽「声明」に
心して居られる事でしょう。
大原紀行も、此処まで訪れられれば、悔いは残りません。
紅葉のころ又賑わうでし
ょう。雑踏の中でも静かな三千院の奥も
愉しんでみて下さい。
次回は蓮華寺に参ります