<昔はいろいろと関係もあったようなのですが…>
映画「ウォール・ストリート」が流行ったこともあり、兜町を「日本のウォール街」と呼ぼうとするようなこともありましたが、私の知る限り、それはあまりに違うものという感じでした。米国にもきっとそれなりにドロドロしたものはあるのだろうと思いますが、日本のそれはちょっと異質だと思います。兜町には政治や政治家が絡んだ噂話というのは枚挙に暇がないほどあり、そのくらい政治と株式市場は密接に関わっていたように思います。
<政治離れ>
それがいつの頃からか、株式市場は政治との関わり合いを薄めていきます。記憶の限りをたどって、今この時ほどに株式市場が政治への関わりを失った、というよりは興味を失った時はないだろうと思います。確かに表面上は「政府は追加の経済対策を打ち出すべきだ」とか、「首相と日銀総裁の会談が簡単な電話での話し合いで終わってしまったから市場は失望したんだ」とか言います(私自身もそうコメントさせていただきました)が、実際にそれらが実現する可能性をどの程度まで本気で期待して言っているのかといえば、極めて低いだろうと言うのが偽らざるところです。
“催促相場”というような言い方も市場では使いますが、どの程度本気で催促しているかと言えば、ほとんど本気ではないと言えるような気がします。本当はこれって、もの凄い我が国の将来にとっては危険なことであり、私も相当な皮肉のつもりで言っているのですが、恐らくそれも伝わらないでしょう。
日々の売買代金をみるといかに市場が本気でそれを期待していないか、より強く思わされます。午前と午後の市場取引を通じて、売買代金が1兆円に満たない日が続くことの恐ろしさです。市場が本気でもっと期待しているのだとすれば、当てが外れた時の失望売りはもっと大きいはずです。そもそも期待するものが何もないから、市場の反応としては「やっぱり」ということだけで、淡々と薄く薄く商いを作って市場を下げていくという感じになっているのでしょう。国内要因に期待するのはこの1年、ほぼ無理と言っていい時が過ぎています。
<政治が市場を気にしないから、市場も政治を気にしない>
少なくとも以前はもう少し、政治が市場の声を聞いていたように思います。時々とんちんかんな事を言ったり、したりする政治家もいましたが、もっと市場の動きにビビッドに反応してくれていたように思います。相手がこちらを意識していると、自然とこちらも相手を意識するようになるのが人間の心理だと思いますが、相手がこちらに無関心でいると、こちらも相手に無関心になるというのも真理だと思います。きっと昔の政治家は、自分自身の資産が株価変動にさらされていることが多かったので、ある意味では市場動向を気にすることは、自らのためでもあったのでしょう。“金権政治”などというのは良い話ではありませんが、政治と市場の利害関係が一致しているというのは、その意味においては良いことかも知れません。
<株も為替も国民生活に影響するものです>
株を持っている人は株価変動に敏感です。外貨預金をしている人やFX取引をしている人は為替の動きに一喜一憂したりします。ただ、もし株式投資も為替関係の取引も何もなかったとしたら…。
よく聞く台詞に「株が下がろうが、円高になろうが、私には関係ありません」というものがあります。確かにそうした資産クラスに直接的に投資をしていないと実感はないのかも知れません。資産運用をするのはお金持ちだけ、庶民には関係ない話というようなトーンで経済を語る評論家然とした人もいますが、それは大きな間違いです。
株式は資本市場の最も重要な構成要因であり、為替もしかりです。それが経済の血液と言われる金融の根幹にあるのです。古い話では、間接金融から直接金融へと言われたのが1980年代、その直接金融の基本が株式市場です。そこが滞るということは、すなわち経済の血流が滞ることであり、経済自体が動きを止めます。
89年末に日経平均株価が史上最高値をつけてバブル崩壊が始まった当初も同じことをよく聞きました。街頭インタビューなどの街の声を拾うニュースなどを観ていても「私は株を持っていませんから」というものや、「当社のように街の小さな零細企業は財テクなどとは無関係だから」というようなものがたくさんありました。だからよく証券税制改正を「富裕層優遇」といい、法人税減税を「大企業優遇」といった発想にまで発展してしまうのです。ただ実際はどうだったかということは、それはくどくど今更申し上げるまでもありません。
1990年以降、日本経済全体が沈没する羽目になり、やがて四大証券の一角であった山一證券が潰れ、最下位であったとはいえ都市銀行の北海道拓殖銀行がなくなりました。そのあたりまでくると、やっと誰しもが事の重大さに気がついたということですがすでに遅すぎました。そして私たちは10年、いえ最近では20年と言われる時を失いました。直接に株式投資などをしていなくても、市場の動きは経済全体の動きを象徴しており、それがとても大きく関係しているということは見事に証明されたのです。
同じことが今起きているように思うのですが、我が国の政治はその過去をすでに忘れてしまったのかもしれません。米国や欧州では、ドルやユーロを安くすることによって外需で稼ぎ、何とか自国の景気を回復させようと躍起になっています。その煽りを受けて円高になっているのが日本ですが、政治は動こうとしません。
「重大な関心を持って、市場の動きを見守っていく」というようなコメントも永田町界隈からようやく少し聞こえるようになってきましたが、8月24日午後8時現在、それ以上に踏み込んだ発言はありません。重大な関心を持っていようが、注意深くであろうが、基本は“ただ見ているだけ”です。具体的なアクションを早く起こして欲しい。
<党利・私利と国益>
市場関係者のフラストレーションはピークに達している感じもありますが、この状況は残念ながら9月14日までは変わらないでしょう。正直、半ば諦めにも似た気持ちで見ています。これが危惧に過ぎないことを本心では切に願う限りですが、政府与党の組織としては別でも、個々の政治家の最大関心事は次の民主党総裁が誰になるかであり、その結果として党利・私利がどうなるかに掛っているように見えてなりません。
今すべきことは、国益を最優先することではないでしょうか? 人間に与えられた時間は1日24時間しかないというのは、生まれたての赤ちゃんから内閣総理大臣まで一緒です。その限られた時間を何にどう使うのか、時々「今、株(為替)はいくらになっているの?」と思い出したように側近に聞いて「注視している」とコメントするだけの時間配分ではなくあって欲しい人がたくさんいます。
NHKの大河ドラマ「龍馬伝」が流行るのは、彼が維新政府樹立までの道筋をつけるまで命懸けで東奔西走し、そしてそれがなるや「わしはここまでや」と自らが明治政府の重鎮になることを拒絶したことにあるように思います。すなわち私利はなく、国益のためだけに動いたという美談になっているからです。今の時代に、坂本龍馬はいませんが、せめて政治がもっと市場に関心を持ってくれることを、それも国益のために最大の英知を生かしてくれることを、市場参加者の一人として切望する限りです。