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元MONOZUKIマスターの独白
第一篇第一章~二章
第一篇 剰余価値率の利潤への転化と
剰余価値率の利潤率への転化
第一章 費用価格と利潤
P33 L1
第一部では、それ自体として見られた資本主義的生産過程が直接的生産過程として示している諸現象が研究されたのであって、この直接的生産過程ではそれにとって外的な諸事情からの二次的な影響はすべてまだ無視されていたのである。しかし、このような直接的生産過程で資本の生涯は終わるのではない。それは現実の世界では流通過程によって補われるのであって、この流通過程は第二部の研究対象だった。第二部では、ことに第三篇で、社会的再生産過程の媒介としての流通過程の考察にさいして、資本主義的生産過程を全体として見ればそれは生産過程と流通過程との統一だということが明らかになった。この第三部で行なわれることは、この統一について一般的な反省を試みることではありえない。そこでなされなければならないのは、むしろ、全体として見た資本の運動過程から出てくる具体的な諸形態を見いだして叙述することである。現実に運動している諸資本は具体的な諸形態で相対しているのであって、この具体的な形態にとっては直接的生産過程にある資本の姿も流通過程にある資本の姿もただ特殊な諸契機として現われるにすぎないのである。だから、われわれがこの第三部で展開するような資本のいろいろな姿は、社会の表面でいろいろな資本の相互作用としての競争のなかに現われる生産当事者自身の日常の意識に現われるときの資本の形態に、一歩ごとに近づいて行くのである。
―――――――――――――
資本主義的に生産される各商品の価値Wは、定式W=c+v+mで表わされる。この生産物価値から剰余価値mを引き去れば、生産要素に支出された資本価値c+vにたいする商品での単なる等価または補填価値が残る。
たとえば、ある物品の生産に500ポンドの資本支出が必要だとし、そのうち20ポンドは労働手段の磨滅のために、380ポンドは生産材料のために、100ポンドは労働力のために必要だとし、剰余価値率は100%だとすれば、生産物の価値は、400c+100v+100m=600ポンドである。・・・・・費用価格をkと名づければ、定式W=c+V+mは、定式W=k+mに、すなわち商品価値=費用価格+剰余価値に転化するのである。
それゆえ、商品の価値のうちただその商品の生産に支出された資本価値を補填するだけのいろいろな部分を費用価格という範疇のもとに総括することは、一面では資本主義的生産の独自な性格を表わしているのである。商品の資本家的費用は資本の支出によって計られ、商品の現実の費用は労働に支出によって計られる。だから、商品の資本家的費用価格は商品の価値または商品の現実の費用価格とは量的に違うのである。それは商品価値よりも小さい。なぜならば、W=k+mだからk=W―mとなるからである。
P36 L15
・・・・・だから、費用価格のこの要素は二つの意味をもっているのである。一面では、それが商品の費用価格にはいるのは、それが商品価値のうち支出された資本を補填する成分だからである。そして、他面では、商品価値の一成分をなすのは、ただ、それが支出された資本の価値だからであり、言い換えれば、ただ、生産手段にそれだけの費用がかかるからである。
費用価格のもう一つの成分についてはまったく逆である。商品の生産中に支出される6662/3日の労働は200ポンドの新価値を形成する。この新価値のうちの一部分はただ前貸可変資本100ポンドすなわち充用労働力の価格を補填するだけである。ところが、この前貸資本価値はけっして新価値の形成にははいらないのである。前貸資本のなかでは労働力は価値として数えられるが、生産過程ではそれは価値形成者として機能するのである。前貸資本のなかに現われる労働力の価値に代わって、現実に機能している生産資本のなかでは、生きている、価値形成する労働力そのものが現われるのである。
P40 L18
この商品の生産には1200ポンドという価値のある労働手段が充用されるのであるが、しかしこの前貸資本価値のうちからたった20ポンドだけが生産中になくなるのである。それゆえ、充用された固定資本はただ一部分が商品の費用価格にはいるだけである。なぜならば、それはただ一部分が商品の生産中に支出されるだけだからである。充用された流動資本は全部商品の費用価格にはいる。なぜならば、それは商品の生産中に全部支出されるからである。しかし、このことが証明しているのは、消費された固定資本部分も流動資本部分もそれぞれの価値量に比例して一様にその商品の費用価格にはいるということ、また、商品のこの価値成分は一般にただ商品の生産中に支出された資本だけから生ずるということにほかならないのではないだろうか?もしそうでないとすれば、なぜ、1200ポンドの前貸固定資本は、それが生産過程で失う20ポンドを生産物価値につけ加えるだけではなく、それが生産過程で失わない1180ポンドをもつけ加えないのかということは、わからないであろう。
P44 L7
・・・・・それゆえ、剰余価値は、前貸資本中の商品の費用価格にはいる部分からも、費用価格にはいらない部分からも生ずるのであり、ひと言で言えば充用資本の固定成分からも流動成分からも一様に生ずるのである。素材的には総資本が生産物形成者として役だつのであり、労働手段も生産材料や労働もみなそうである。価値増殖過程には総資本の一部分しかはいらないとはいえ、素材的は総資本が現実の労働過程にはいるのである。おそらく、これこそは、費用価格の形成に役だつのは総資本の一部分にすぎないが、剰余価値の形成にはその全体が役だつということの理由なのであろう。それはとにかくとして、結果は、やはり、剰余価値は充用資本のすべての部分から同時に生ずるということである。この推論は、マルサスとともに露骨にかつ簡単に次のように言えば、もっとずっと短縮することができる。
「資本家は自分が前貸しする資本のどの部分についても等しい利益を期待する。」
(マルサス『経済学原理』)
このような前貸総資本の所産と観念されたものとして、剰余価値は、利潤という転化形態を受け取る。そこで、ある価値額が資本であるのは、それが利潤を生むために投ぜられるからだ、ということになり、あるいはまた、利潤が出てくるのは、ある価値額が資本として充用されるからだ、ということになる。利潤をpと名づければ、定式W=c+v+m=k+m
は定式W=k+pすなわち商品価値=費用価格+利潤に転化する。
だから、ここでさしあたりわれわれの前にある利潤は、剰余価値と同じものであり、ただ、それが、神秘化された形態、といっても資本主義的生産様式から必然的に生まれてくる形態をとっているだけである。費用価格の外観上の形成では不変資本と可変資本との区別は認められないので、生産過程で起きる価値変化の根源は可変資本部分から総資本に移されざるをえないのである。一方の極で労働力の価格が労賃という転化形態で現われるので、反対の極で剰余価値が利潤という転化形態で現われるのである。
P46 L17
・・・・・それだから、商品の販売によって実現される価値超過分または剰余価値は、資本家にとっては、商品の価値が商品の費用価格を越える超過分としてではなく、商品の販売価格が商品の価値を越える超過分として現われるのであり、したがって、商品に含まれている剰余価値は、商品の販売によって実現されるのではなくて、販売そのものから発生するのだということになるのである。この幻想をわれわれはすでに第一部第四章第二節(資本の一般的定式の矛盾)で詳しく検討したが、ここではしばらく、この幻想がトレンズその他によってリカードを越える経済学の進歩として再び主張されたその形態を振り返ってみよう。
第二章 利潤率
P53L2
・・・・・資本家の利潤は、自分が対価を支払っていないものを売ることができるということから生ずる。剰余価値または利潤は、まさに商品価値が商品の費用価格を越える超過分なのである。すなわち、商品に含まれている総労働量が商品に含まれている支払労働量を越える超過分なのである。だから、剰余価値は、それがどこから生まれるにせよ、とにかく前貸総資本を越える超過分である。だから、この超過分は総資本にたいしてm/Cという分数で表わされる割合をなしているのである。このCは総資本を意味するものである。こうして、われわれは剰余価値率m/Vとは別ものである利潤率m/C=m/C+Vを得るのである。可変資本で計られた剰余価値の率は剰余価値率と呼ばれ、総資本で計られた剰余価値の率は利潤率と呼ばれる。この二つの率は、同じ量を二つの違った仕方で計ったものであって、尺度が違っているために同時に同じ量の違った割合または関係を表わすのである。
剰余価値率の利潤率への転化から剰余価値の利潤への転化が導き刺されるべきであって、その逆ではない。そして、実際にも利潤率が歴史的な出発点になるのである。剰余価値と剰余価値率とは、相対的に、目に見えないものであって、探求されなければならない本質的なものであるが、利潤率は、したがってまた利潤としての剰余価値の形態は、現象の表面に現われているものである。
個々の資本家について言えば、彼が関心を持つ唯一のものは、商品の生産のために前貸しした総資本にたいする剰余価値の、または自分の商品を売って得られる価値超過分の、割合だということは明らかである。他方、資本の特殊な諸成分にたいするこの超過分の特定の割合にも、またその諸成分とこの超過分との内的な関連にも、彼はただ関心をもたないだけではなく、むしろ、この特定の割合やこの内的な関連については自分の目をくらますことのほうが彼の関心事なのである。
商品の費用価格を超える商品価値の超過分は直接的生産過程で生ずるのではあるが、それは流通過程ではじめて実現されるのであって、それが流通過程から生ずるかのような外観をますますもちやすくなるのは、この超過分が実現されるかどうか、またどの程度実現されるかは、現実には、競争のなかでは、現実の市場では、市場の状況にかかっているからである。ここで論ずる必要もないことであるが、ある商品がその価値よりも高く売られたり安く売られたりしても、ただ剰余価値の分配の変化が生ずるだけであり、また、このような分配の変化、すなわちいろいろな人々が剰余価値を分け取る割合の変化は、剰余価値の量やその性質を少しも変えるものではないのである。
P55L5
・・・・・しかし、(1)直接的生産過程そのものも一つの消滅して行く契機でしかないのであって、それは絶えず流通過程に移って行き、また流通過程も生産過程に移って行くのであり、したがって、生産過程で明瞭または不明瞭に浮かび上がってくるところの、そこで得られる利得の源泉すなわち剰余価値の性質に関する予感も、せいぜい次のような観念と並んで同権の一契機として現われるにすぎないのである。その観念というのは、実現された超過分の源泉は、生産過程からは独立な、流通そのものから生ずる、したがって労働にたいする資本の関係にはかかわりなく資本に属する運動だという観念である。しかも、このような流通上の現象は、ラムジやマルサスやシーニアやトレンズなどのような現代の経済学者たちによってさえも、ただちに次のようなことの証拠としてあげられるのである。すなわち、資本は、その単に物的な存在において、まさに資本を資本とするところの労働にたいする社会的関係からは独立に、労働と並んで、労働から独立に、剰余価値の独立な源泉である、ということの証拠としてあげられるのである。――(2)原料の価格や機械の摩滅分などとともに労賃をも含んでいる費用という項目のもとでは、不払労働の搾取は、ただ、費用のなかにはいるいろいろな品目のうちの一つにたいする支払の節約として、すなわち、ただ、一定量の労働にたいするより少ない支払として、現われるだけである。この節約は、原料をより安く買い入れたり機械の摩滅分を減らしたりするのとまったく同じなのである。こうして剰余労働の搾取はその独自な性格をなくしてしまう。剰余価値にたいする剰余労働の独自な関係はわからなくなる。そして、このことは、第一部第六篇で明らかにしたように、労働力の価値が労賃という形態で表わされることによって、いっそう助長され容易にされるのである。
資本のすべての部分が一様に超過価値(利潤)の源泉として現われるということによって、資本関係は不可解にされる。
とはいえ、利潤率をつうじての移行によって剰余価値が利潤という形態に転化させられる仕方は、すでに生産過程で起きている主体と客体との転倒がいっそう発展したものであるにすぎない。すでに生産過程でわれわれは労働のすべての主体的な生産力が資本の生産力として現われるのを見た。一方では、価値が、すなわち生きている労働を支配する過去の労働が、資本家において人格化される。他方では、逆に、労働者が、単に対象的な労働力として、商品として、現われる。このような転倒された関係からは、必然的に、すでに単純な生産関係そのもののなかでも、それに対応する転倒された観念、移調された意識が生ずるのであって、この意識は本来の流通過程の諸転化や諸変形によっていっそう発展させられるのである。
P59L15
それゆえ、利潤率は剰余価値とは数的に違っており、他方剰余価値と利潤とは事実上同じであり数的にも等しいのであるが、それにもかかわらず、利潤は剰余価値の転化形態なのであって、この形態では剰余価値の源泉もその存在の秘密もおおい隠され消し去られているのである。じっさい、利潤は剰余価値の現象形態であって、剰余価値は分析によってはじめて利潤からむきだされなければならないのである。剰余価値では資本と労働との関係はむきだしになっている。資本と利潤との、すなわち資本と剰余価値――といっても一方では流通過程で実現される商品の費用価格を越える超過分として現われ、他方では総資本にたいする割合によってより詳しく規定された超過部員として現われる剰余価値――との関係のなかでは、資本は自分自身にたいする関係として現われるのであり、この関係のなかでは資本は本源的価値額としてそれ自身が生みだした新価値から区別されるのである。資本はこの新価値を生産過程と流通過程を通るそれ自身の運動なかで生みだすということ、これは意識されている。しかし、どのようにしてそれが行なわれるのかは、今では不可解にされていて、資本そのものにそなわる隠れた性質から出てくることのように見えるのである。
われわれが資本の価値増殖過程を追跡して行けば行くほど、ますます資本関係は不可解になるであろうし、ますますその内部組織の秘密をむきだしにしなくなってゆくであろう。
この篇では利潤率は数的に剰余価値率とは違っている。これに反して、利潤と剰余価値とは、ただ形態だけが違っている同じ数量として取り扱われている。次の編では、どのように外面化が進んで利潤が数的にも剰余価値とは違う量として現われるようになるかを見るであろう。
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