P465 L1 とはいえ、社会のなかでの分業と一つの作業場のなかでの分業とのあいだには多くの類似や関連がるにもかかわらず、この二つのものは、ただ程度が違うだけではなく、本質的に違っている。・・・・・マニュファクチュア的分業は、一人の資本家の手中での生産手段の集積を前提していおり、社会的分業は、互いに独立した多数の商品生産者のあいだへの生産手段の分散を前提している。・・・・・作業場のなかでの分業ではア・プリオリに[はじめから]計画的に守られる規則が、社会のなかでの分業では、ただア・ポステリオリに[あとから]内的な、無言の、市場価格の晴雨計的変動によって知覚される。商品生産者たちの無規律な恣意を圧倒する自然必然性として、作用するだけである。マニュファクチュア的分業は、資本家のものである全体機構のただの手足でしかない人々にたいして資本家のもつ無条件的な権威を前提する。社会的分業は独立の商品生産者たちを互いに対立させ、彼らは、競争という権威のほかには、すなわち彼らの相互の利害関係の圧迫が彼らに加える強制のほかには、どんな権威も認めないのであって、それは、ちょうど、動物界でも万人にたいする万人の戦い(bellum omnium contra omenes)がすべての種の生存条件を多かれ少なかれ維持しているのと同様である。