全160件 (160件中 1-50件目)
モット早く更新しようと思っていたのに・・・・金曜に教えた事の無いプログラムを担当する事になった。いつもは幼稚園生とかのチビちゃんだから、それほど知識の無い私でも、教師経験があって、子供の扱いが出来るので妖精でも大丈夫だったんだけど・・・今度は6年生に、動物について教えるプログラムを担当。別の先生がやっている授業を見学して、言っていることをメモして、覚えて自分のものにして、授業をする というプロセスの、今は、先生たちの授業を見て、メモして・・・の所まで行っている。あとは、其れをマトメテ、自分のものにしないといけない。6年生ともなると、ボキャブラリーも大きくなり、実際知らない専門の単語も沢山出ていた。これから其れを音で拾ってきたので、調べて、発音等も治してもらって、舞台にたっても大丈夫にしないといけない!!さーて、頑張るぞ!! こういう機会があってこそ、世界も広がるし、英語力も伸びるし、嬉しいお仕事だ!って思う。さてさて、旅の続きです。サイプレスを見てノリノリになった私たち、益々車を南に走らせて・・・・ビーチタウンまで行った。以前、ズーット前の日記に書いたんだけど、大好きなファンキーなビーチタウンが、コマーシャル化してしまい、2泊する予定だったホテルを、夜中に出て帰ってきた事があったので、今回は、そういうコマーシャル的な、ビーチタウンは避けて、もう少し品のいい、静かなビーチを選んだ。と言っても、そのコマーシャルビーチから程近いデューイービーチ。たったの10分車で走れば、その賑やかなコマーシャル一杯のビーチにいけるのだけど、ほんのその10分で、カナリの違いがある。町自体も小さくて、ダウンタウンも2ブロックくらい。町の真ん中には、ホーランド(だったかなあ??)に在る建物をまねして作ったビルが建っている。(現在は博物館になっています)ホーランドからの移民が多く来たという証し。ひっそりとしているけれど、活気はあって、品のあるカフェが立ち並ぶこの町が私たちは大好きなんです。其処の海は湾になる。だから、ビーチに座っていると、大きなフェリーが行ったり来たり、遠くのほうでしているのが見える。いつも泊まるモーテルの横には、小さなハーバーがあって、個人のヨットやボートが止まっている。今回もそのモーテルにお泊り。私は嬉しくてご機嫌だったけど、自然児の旦那は、”箱の中にいるみたい”と寝れないらしく、夜中に出て行った。私は眠りの中にいたので、知らなかったけど、ビーチまで歩いて、ズット波を見ていたらしい。夜中の海に月が映って、とっても綺麗だったらしい。そのころ私は夢の中・・・・・そんなコンナで私たちのビーチの旅は終った。さし当たってそれほどのイベントがあったわけでもないので、退屈な日記になりました。ごめんなさい。写真は綺麗だと思うので・・・載せておきます。ビーチをあとに・・・・・カヌーが出来ずにいた私たち、なんか消化不良を起こしたようで・・・・・”ヤッパリ、かえる前にカヌーだよねえ~!!”と意見が一致。家には帰らず、カヌーの出来る州立公園まで・・・・・・GO!GO!さてさて、続きは次までお楽しみ!お花が綺麗なハーバー。いつも泊まるモーテルの横にあるハーバー今は博物館になっている、ホーランドの建物を模造した建築物。町の真ん中にあります。
2005年09月21日
コメント(60)
皆さんにご心配をおかけしましたが、旦那は薬も効き、とっても元気になりました。ご心配をしてくださった方がた、メッセージを下さった皆さん、ありがとうございました。実は、旦那がライムディジーズにかかって、薬を飲みだしたころから、彼の長期2週間休暇が始まっていた。病気になる前は、カナダのプリンスエドワード島に行こうとか、アメリカの北部メイン州やニューイングランドまで行こう!とか、二人でワイワイと盛り上がっていた。けれど・・・旦那がライムディジーズにかかり、私はもう諦めていました。ドッコもいけなくても、この辺でブラブラしてたって静養になるし、其れはそれで良いな~!って・・・・薬が効き始め、まだ疲労感はあるものの、普通の生活が出来るようになって、旦那はむずむずしてきたらしく、どこかいけるところは無いか?私たちに簡単に出来そうな遊びはないか??と探し始めていた。彼のお休みもあと5日となったとき、彼から ”キャンプ行かない?”って聞かれて、私は ”えええ?”と思いながらも、速攻で ”行く!!”私たちはパッキングをして、出かけていった。計画はキッチリ立てなかった。彼が疲れて帰りたいときが帰るときだと言う事で、あえて、日程はたてずに出かけた。私たちの目的は、サイプレスと呼ばれる、南部の湿地帯に生えている木を見ること!!私たちの住んでいるペンシルベニア州は、アメリカ北部の中部地方くらいにあたる。湿地帯が合っても、サイプレスは寒さのために生える事が出来ない。南部に行くと、其のサイプレスが沢山生えた沼地が沢山あり、そこをカヌーやカヤックやボートでいけるトレイルが沢山ある。そんなワクワク探検みたいなカヌーの旅を味わいたい!って言うのが・・・・私たちの今回の一バンのメインイベントだった。サイプレスの生息できる最北州は、デルエア州。ここからだったら、車で6時間くらい。 私たちは車に乗り込み、其の際プレスの生えている州立公園まで出かけていった。州立公園に到着して、直ぐにキャンプ地を確保。テントを張る。中々いい感じのキャンプ地で満足。最近はRV(キャンピングカーの事)も一緒くたんにキャンプをさせるところがおおく、テント派のキャンパーには大変に迷惑なことになっている。RVは電気も使うし、トイレも車内に設置されており、キッチンもあって、おまけに冷房もついている。だったらなんでキャンプに来るの??って思うような、キャンプ。そのRVからは、冷房の音やら、ジェネレーターの音が常に漏れ、横で寝ている人間にとっては、かなーーーーーりの迷惑。だから、そういうキャンプ地には私たちは行かない。必ず、RVとテントが別れているキャンプ地を探す。この公園は、キチンと其れを分けてあり、おまけに設備もとっても綺麗だった。着いた日はもう日も傾いていたので、サイプレスの池を歩いて床について・・・次の日! カヌーではなく、ボートによるサイプレス湖ツアーに参加した。残念な事に、周りにある農場の農薬のおかげで、水がカナリ汚染されている事を知り、カヌーは諦めた。写真はボートから撮ったサイプレス。水の中に生えていてかなりドラマティック!!ミズが濁っているのは、汚染のためではなく、サイプレスの木から出るエキスが水に浸透したからです。この湖の周りも歩けるようになっていて、素敵なハイキングコースでした!!こうして私たちは楽しくテントにて一泊した後、サイプレス湖を満喫!!旦那は楽しくてノリノリ状態になり・・・・じゃあ~次は・・・・”海でも行っちゃう??”な~んてなって、私たちは、海へ車を走らせました!!続きは次回へ!!もうかな~~~~~り前に、みいさんから 良いことバトンをまわしてもらったのに・・・・バトンをまわす事なくコンナに時間がたってしまいました。みいさん!ごめんね。今更だけど、お答えです!!1:今日あったいい事天気予報ではアメだったのに、午後から晴れてお日様が出ていた事。2:ここ数か月あったいい事楽しいーって思える日々を送っていること。新しい友達にも一杯出会えたし、色々と経験の出来る環境におかせてもらっているし、毎日が楽しい。これが一バンの嬉しい事かな?3:あったらいいなと思ういい事 世界中の苦しんでいる人たちが、あっと言う間に楽しくてハッピーな日々を送れるようになる魔法の力。もう遅くなってしまったので、あえてバトンはまわしませんが、もしもこれを読んでバトンを引き継いで下さる方がいましたら、是非!!妖精からのバトンを引き継いでやってください!!
2005年09月17日
コメント(10)
兎に角、最近とっても忙しい。 物作りの発注もノロノロで・・・・教える方は、ちょっと落ち着いたんだけど、友達との計画も毎日、物凄い満載で、家に全然いやしなーい。この主婦、全く家事しないで、出てばっかり。遊んでばっかり。。。。そんな呑気な私の大切な旦那様が、ライムディジーズに掛かってしまった。日本では、なじみのない病気だと思いますが、(日本でも存在する病気です。掛かった人もいると言う事)この病気、ティック(又はチック)と呼ばれる、虫にかまれて感染してしまう。ティックとは、ダニとは違うけれど、ダニのように小さくて、動物に寄生し、血を吸い生きている虫のこと。何種類ものティックが存在するのだけど、どのティックも草むらが大好き。ちょっと草が生えていたら、そこにはティックがいて、其処を歩いた動物や人間に飛び移る。そして、体にぺたっと張り付き、血を吸う。血を吸ったティックは体を血で大きくし、8本ある足を体に埋め込んで暫くの間、その体の上で過ごす。大抵のティックは2-3mmの体で、足を肌に埋めた時点で、かゆみやチクっとした感覚を覚え、駆除できる。其れを感じないで、暫く放っておくと、ティックの手足は、益々食い込み、病院でカットしないといけない羽目になったりする。現に、家の旦那が、まだ子供だったころ、頭の髪の毛の中にティックが入り込み、血を吸った。毛があって、見えなかったために、暫く放っておいて、自分では取りきれず、(手足を残して取ると、其処から又病気になるため)病院で切って削除したらしい。そのあとなん針か縫ったあとは今でもある。これだけでも怖いのに、このライムディジーズをもたらすティックは、殺人的な怖さなんだ。このティックは、目で見えない位の小さな体。鹿に寄生するため、ディアティックと呼ばれる。このティックにかまれ、ほんの少しでも放って置くと、ライムディジーズと言うトテモ恐ろしい病気に感染してしまう。症状は其々個人で違うらしいが、一般的にまず、悪寒、節々の痛みを伴い、高熱が出る。けれど、この次点では、ライムディジーズは、体の中には十分に回っておらず、病院で検査をしても発見できない。そして、この高熱が終って、2週間くらいの間、だるくて、常にカナリの疲れを感じる。この2週間の間に、毒は体に回り、次のステップになる、症状が現れる。家の旦那の場合は、まず、背中が痛くなった。痛みで寝れないというので、心配していたら、次には、胸が痛くなった。ヨガのやりすぎなんじゃないの?なんて呑気に思っていたら、次には、体中の皮膚が、やけどをしたように痛くなり、何も着用できないくらいまで酷い症状が出た。ファミリードクターにいったが、テストをして、1週間待てと言う指示。その待っている間にも、カナリ症状は進行し、悪化をたどり、旦那は3日間寝ることも出来ない、痛みとの戦いだった。友達の医者にこの話をしたら、一刻も早く薬を飲まないといけないということで、医者に電話をして、処方箋を出してもらう。そして、2日前から強い抗生物質を呑みだした。1ヶ月間飲む。そのおかげで、痛みは引き、今では、なんとか普通の暮らしが出来るまでになった。ライムディジーズの恐ろしい所は、発見が遅く、薬を飲み始めるのが遅いと脳に回る。そして、記憶を消したりするらしい。そして、血液検査をしても、50%の割合でしか、結果が出ないと言う事だ。だから、医者によっては、血液検査の結果次第で、薬も出さず、そのため、手遅れになってしまうパターンもある。このディアティック、旦那のようないつも森や自然の中にいる人がなる病気ではなく、家にいても感染することがある。と言うのも、鹿は家の庭にもやってくる。鹿が来てティックが、庭に飛び降り、自宅の庭で、ティックが体についてきて、ライムディジーズに感染するパターンもある。はたまた、鹿からねずみに飛び移り、そのネズミと一緒に家の中に入り込み、そのティックから感染した人もいる。だから、外にいるから感染してしまう病気ではない。大抵の場合、ティックにかまれた場所は、赤くなり、その周りを赤い円が出来る。これが出たら100%ライムディジーズに感染している。でも、これが出ない人もいる。そういう場合、発見が遅れ、大変な事になるらしい。コンナに酷い病気にかかってしまった旦那ちゃんですが、彼の責任感の強さに、今回脱帽。ふらふらで、寝ていることしか出来ない彼だったのに、猫の世話、鳥(野生の)の世話などは、絶対に欠かさなかった。”私がやってあげる”って言っているのに、”いや、俺がやる”ってふらふらの体で、頑張っていた。山になった仕事をこなしに、仕事も一日何時間かオフィスに行っていた。医者に話したら、”考えられない。あの痛みで、それだけのことをこなすなんて、強人だ”って。本と、偉いなーって今回思いました。鹿が回りにいる暮らしをしている方、是非、いつも自分の体のチェックは欠かさないで下さいね。小さな小さな、くろいプチって言うのがあったら・・・・其れはティック・・・私も気をつけます。
2005年08月27日
コメント(12)
最近、日本語が億劫になってきたの。日本語を読むのも書くのも億劫。言っておくけど、私は書くことが大好きだった。何時でもノートと鉛筆を持ち歩いて、長い飛行機の中だって、混んだ歯医者の待ち合わせだって、彼氏とデートの待ち合わせ中、渋滞だから遅くなるって言われて一時間くらい待つときだって、何か書ければ、楽しくて時間のたつのなんてあっという間だった。日本語で、詩も一杯書いていたし、小説もどきも書いていた。手紙にいたっては、何枚にも裏と表、びっしりとイラスト入りで、書きまくっていたものだった。日記も毎日記していたし、書くことは大好きだったのに・・・・最近、日本語が兎に角億劫なんだ。 だから・・・日記の更新もさぼりがちなのかも・・・まず単語が出てこなくなった。 言いたい単語が出てこない。それから、前のような切れが感じられない。日本語はまだ話せるし、使えるけど(当たり前だ)、前みたいに板の上を流れる水のような・・・そういう気の利いた日本語が中々出てこなくなってきている。(だからと言って、英語力がぐーーーんと伸びたって言うわけでもないんですよ)本を読んで、日本語を忘れないようにしよう・・・と思ってはいるものの、中々ページも進まない現状。はあ~そんな中、私はヤフージャパンのオークションで、70年代に出ていたスヌーピーのビンテージの本を出品した。其れはトアル男性に落札され、何事なく、メールのやり取りが始まり、取引が始まった。彼のメールによると、夜、何気なくネットを見ていたら、私の本が目に入り、衝動的に欲しくなり、その場でオークションのIDを取得し、オークション初参加という形で、入札、そして落札をしてくれたということだった。私はそういういきさつを聞かされ、嬉しくなって、手持ちのスヌーピーのビンテージの本を2冊、おまけにプレゼントした。本って、喜んで読んでもらえる人に渡って、初めて命が吹き込まれる。彼は、まさにその本に命を吹き込んでくれる人だったから、持っていた本を一緒に同封し、送った。本が届き、丁寧なお礼のメールを受け取った。その中に、彼が作家さんだったと言う事実が書かれていた。彼のホームページのアドレスもあり、其処を見てみると、興味深い作品が沢山連なっていた。そして、メールの最後に、彼の最新作を送りますと書かれていた。本をプレゼントする場合いつも、裏表紙にイラストを描くので、どんな絵が良いですか?と質問があった。”私のイメージで、何でもいいので描いてください”と私は答えた。暫くして、本が届いた。斬新でトテモ個性的なデザインの表紙。一目で好きになった。中を開けると、裏表紙に、可愛い花の絵が描かれ、私の名前が其処に添えてあった。中には一枚のメモ。”8月中旬にNYの紀伊野国屋書店で、本のレクチャーをします。その時、妖精サンのことを思い出しますね”と書かれていた。なんて素敵なプレゼントだろう。本のタイトルは「ポーの話」いしいしんじ さんと言う作家さんのお話でした。億劫になっていた日本語だけど、このお話は、吸い込まれるように読んでいます。感想はまだ書きません。読み終わるまでは・・・・・・サボっていたから、もう一個書きたいことがあるの。先週、教えた生徒の中に、東洋人らしき子供が一人いた。私はいつも授業に入る前、必ず自己紹介をする。その時、”I AM FROM JAPAN” って言ったら、その子が飛び上がった。他の子も、一緒に飛び上がった。森の中に入り、色々見たり聞こえたりするものを、教えている間も、彼のことを見ていたが、彼はとても大人しくって、引っ込み思案だということがわかった。1時間半の授業の中、彼に質問をしても、笑ってはいたけれど、口を開くことは一回もなかった。授業が終わり、別のクラスと合流。そして、アニマルショーが始まる。 其処では、蛇や亀などを、子供に見せ、自然界において蛇や、一般に怖がられている動物の大切な存在を教えてたり、周りにいる動物を守っていこうという精神やら、色々を込めて教えていく。合流したクラスの中に、もう一人の東洋人の子供がいた。私を見るなり、”日本人ですか?”と日本語で聞いてきた。”そうよ。”と言った途端、嬉しそうな満面の笑顔になり、私にハグをした。(抱いてくれた)其処にいた、引率の先生が”彼女達は(私の受け持った男の子と二人のこと)、まだ英語が分からないので、カナリのストレスのアル生活をしている。日本語の分かる人がいて、嬉しいに違いない”(変な訳ですね。すみません)と言った。聞けば、彼らは姉弟で、去年、日本の大阪からアメリカに両親の仕事でわたってきたという。英語は、まだ話せないし、聞き取れないらしく、私に訳してくれと頼んできた。”おねえちゃんは、どうしてそんなに英語が上手なの?””私は、発音も出来ないタンゴが一杯あるよ。お姉ちゃんはどうやって練習したの?”と涙の出るような質問を、私に浴びせた。彼女達の、引っ込み思案になってしまっている理由は、語学だったんだ。話せない、発音できないって言う気持ちがあって、中々、輪に入っていけないのかな・・・と思ったら、涙が出そうだった。都会と違い、日本人が回りにいるわけでもなく、彼女達、姉弟は、アメリカ人の中で、頑張って生きている。”来年になったら、私の英語なんか越えてるよ。頑張ってね”そういう私を、不思議そうに見上げていた子供達だった。”ランチはおねえちゃんの横で食べる”って手をつないでくれた二人の子供だったけど、私は次の仕事があり、ランチタイムが取れなくて、その場でサヨウナラだった。*旦那を見て、”あの人、お姉ちゃんのお父さん?”って聞いてきたときには、笑いました。旦那さんだよ~!ッて言ったら、きょとんとしていた。私はもう、お姉ちゃんって呼ばれる年は越えてるのに、そんな風に言ってくれる子供って、可愛いワー。。。はっはは。語学は奥が深い。生活をしていれば、取得できると思われがちだけど、、でもそのための努力は必ず必要になる。子供だからって、簡単にネイティブみたいに話せるようになるんだって思っていたけれど、それも、時間が必要なんだな・・・・・って今回、頑張る姉弟の姿を見て、 私も頑張らないとな・・・・強くならなきゃな・・・・って教えてもらいました。さてー明日も頑張るぞ。
2005年08月16日
コメント(10)
今日は朝まで旦那と決めかねていた。 フィラデルフィアで、ラジオ局主催のコンサートが開かれ、そこにパティスミスやインディゴガールが、メインのラインアップとして呼ばれていた。私は高校生のころ、ニューウエーブを知り、パンクを知り、怒涛のように入り込み、自分もバンドを組んで、ニューウエーブのボーカルをやっていた。そんなニューウエーブやパンクの大御所中の大御所である、パティスミス。ロックンロールニガー や BECAUSE THE NIGHTで知っている人もおおいはず。彼女の音楽に憧れ、夢の中の人の存在だったパティスミスの生の音楽が、フィラデルフィアで聞けるはずなので。インディゴガールも、フォークの中の大御所で、大好きなバンド。この二つが同時に見れるなんて・・・・夢のようなお話だったのだ。そして、バルティモアでは、アートスケープと呼ばれる、ビジュアルアートだったら、もう全てが楽しめる、大きなイベントが2日に渡って開かれていた。コンサート会場も4つくらい設けられ、コレマタ色々なジャンルの音楽が繰り広げられる。音楽だけでなく、ダンスも、アフリカンドラムや、大道芸も、その他色んなパフォーマンスが楽しめる2日間。色々な芸術家達が、自分の作品を売るブースが、カナリ長く続き、その中にオべラの宣伝のブースがあったり、新聞社のブースがあったり、兎に角、アートに関するものなら、全て!!が大結集するのが、このアートスケープの凄いところ。子供が楽しめるブースも、物凄い沢山あって、子供達に色んなアートを教えている。今年の、コンサートのラインアップは、妖精の大好きなファンク、ブルース、サンバ、ラテンロック、レゲエなどなど・・・・・・このフィラデルフィアのパティスミスに行くか、バルティモアに行くか・・・・でもめたのだ。私はパティスミスが見たかった。 (旦那もパティスミスの大ファンなのですが)デモ旦那曰く、その会場が最悪の場所で、炎天下のなか日陰も全くない、街中。其れも、カナリ治安の悪い場所に設置されている。バルティモアの場合、音楽だけでなく、モット幅の広いアートが楽しめるし、こういう企画はフィラデルフィアでは全くないことなので、バルティモアが良い!と旦那は主張。パティスミスは見たかったけど、マアーいいかと思って、バルティモアに行った。バルティモアに住む友達に、”レゲエ見るところであいましょう”ってメールをしてから、私たちは出かけた!!一バンに見たのは、すっごい可愛い黒人ボーカルにとってもお洒落な3人の黒人女の子ダンサーを率いた、ファンクバンド。う~~~~~~~~ん。いいぞいいぞ!! 黒人特有のあの声量のアル歌声。見とれちゃうダンス。ファンクミュージックってどうして、コンナに血が騒ぐのでしょう!ぽってり太ったボーカルの女の子、でも髪の毛はクルクルでロング。おまけに凄いお洒落な格好で、とってもファンク音楽とちょっと不釣合いなくらい可愛くって、デモ其れが新鮮で、とっても妖精の心キャッチ!!ジェイムスブラウンだけがファンクじゃないぞ!!って思いっきり、ファンキーな音楽に踊りまくった妖精でした。ステージのあと、私はボーカルに走りより話しかけ、感動を伝えました!!”凄い嬉しいほめ言葉だわ。ありがとう~”ってにっこり笑う彼女。近くで見ても、かわいーー!自ら、メールアドレスを渡して握手して!兎に角、ファンクの音楽。女の子の可愛さいっぱいのステージ。妖精は超気に入りました!!その後もとってもいいバンドが続き、私たちは、ステージのはしごをしては、楽しみました。。。。。。さてさて、友達と会えるかな?と思っていたレゲエ。先々週の週末に見たレゲエバンドがステージに立つ。ちょっと目を離していたら、友達が旦那を見つけて、合流してくれていた。バルティモア地元人気バンドなので、会場はノリノリ。皆が踊り、唄い!!私も2回目のステージなので、覚えていた歌ばかりで、一緒に歌いながら踊り、ピョンピョン飛び上がり、一体感を感じた楽しいステージだった。そして、そのステージも終わり、私たち4人は(旦那と友達と友達の旦那様と私)その場で、べちゃべちゃ喋っていた。すると、又別のコンサートが始まった。私と友達の ヒロミチャンは、ステージの見える場所に移動して・・・・二人で”誰だろうね~!”なんて言いながら見ていました。会場は一曲目から大盛り上がりで、皆総立ち状態で踊っている。”誰?誰?”と思いつつ・・・・歌が進んでく。誰かが”シャギー”って声を掛けた。。。。”ええ?シャギーなの????”アレがシャギー??まさかねーーー”って思いつつ、流れてきた曲は、ラジオでいつも流れているあの曲だった。”you are my angel my only baby" (だったかな?)おーーーーーーーーーーーーー!シャギーだよ、シャギー!!!私もヒロミチャンも、思いっきり踊りまくりました!!シャギーは、ヤッパリ凄いエンターテイナー。 観客を上手に巻き込み、皆で歌って踊るステージ。あ~~~~~~楽しかった。レゲエっていつも思うんだけど、お客さんもフレンドリーになる。踊りながら肩や腕があたっても、皆、にっこ~り。隣で踊っていた綺麗な金髪のお姉ちゃんが一緒に写真撮ろう!と肩を抱いてきた!!そんなことも起こっちゃうのがレゲエ。レゲエって、黒人の悲痛な叫び・願いを託した音楽からスタートしたけど、ほのぼのとしたリズムや、今ではダンスホール系(レゲエは、ダンスホールと呼ばれる、イワユル踊れ楽しめ的なものと、ルーツというボブマーレーのような、メッセージをこめたものに別れています)のレゲエがおおいから、皆が楽しめて、会場が一体になって、素晴らしい空間ができる。バルティモアの凄いのは、これが全部、タダ。全部タダなのです。今回で24回目。毎年、有名なバンドやら芸術家が来て、ぜーんぶタダで、見せてくれる。芸術に対する意識のトテモ高い町。素晴らしいこのイベント、来年は、芸術家のブースに挑戦してみようかな?と思いつつ、かえってきました。帰りの車の中、旦那が ”フィリーに行っていたら、狭い会場で熱くって、あんなにご機嫌ノリノリに踊ってなんかいれなかったね。こっちに来て、良かったね”といった。そうです。私もそう思っていたところだったのです。やっぱりバルティモアにいってよかったな。。って。久しぶりにヒロミチャン夫婦にも会えたし!ほんと、楽しい一日でした!!!楽しかったね。ヒロミチャン!!パティスミスは凄い惜しかったけど。 又機会がキットあるといいな。
2005年07月25日
コメント(8)
あら・・・もう3週間くらい経ってしまったみたい・・・コノ前日記をつけてから。月日の過ぎるのって早いですね。特に色々なイベントや楽しい夏の日を過ごしていると、あっと言ってる間なんてないのに、一ヶ月なんて直ぐに過ぎちゃいます。そうこう言っている月日の間に、いっぱいいっぱい楽しい事ありました。妖精企画、サマープログラム、日本を体験しちゃおう!! も 妖精宅にて、一日のみ企画で開校。子供クッキング教室やら、折り紙教室、ママに日本語でメッセージカードを作っちゃおう!教室やら、日本語で自己紹介!!教室やら・・・・そういう色んな企画を一日に詰め込んで、サマーキャンプと銘打ってやってみた。そこそこに子供も集まり、ワーワー言いながら、子供達と一緒に一日サマーキャンプだった。子供にとって見ると、日本文化は遠い遠い異国の文化。不思議な気持ちで接しているのが良く分かった。私は仕事上(着物をつぶして色々作ります)、子供の着物なんかを沢山持っているので、つぶす前の着物を子供に着せてあげて、写真を撮ってみた。どの子も喜びいっぱいの顔で、にっこり撮影。一日ワイワイと過ごし、子供達が迎えに来たお母さん達に、日本語で自己紹介を見せている姿を見て・・・・ヤッパリ教える仕事っていいなあ~~って思った私でした。デモ、第二段も!ってお願いされたけど・・・・・う~ん、一年に一回でいいかな・・・・って思った。(だって~!結構大変なんだもん)お母さん対象の、大人向け、日本文化教室をやってくれというリクエストがはいったので、其れはやってみようかな??って今、考えています!!大人向けなら・・・モット深いことまで出来るし、ワビサビのお話や、茶道のお話なんかを妖精的見解からしちゃったり、(デモンストレーションを見せてあげたり)、クラフトで何か一緒に作ってもいいし、お料理も手巻き寿司かなんか、教えたり・・・・・考えると楽しくなってきた!!よし!!やってみよう。今日は、毎週日曜に行われる、野外コンサートに行こうかどうしようか?迷っているの。今まで大雨で物凄い雷だった。 今、一瞬やんだけど。。。まだ予想では、雷注意報が出ているから・・・・・毎週、違うジャンルのミュージシャンが来て、野外でコンサートをする。大人も子供も犬も!!皆が芝生の上で、持ち寄ったものを食べながら、楽しんでいる。踊りたい人たちは、ステージ前にある踊れるスペースへ!先週は、凄いのりのりのレゲエバンドで、妖精、いい汗かきました!!最後の曲なんて、お客さん、ピョンピョン飛び上がってジャンプしながら踊っていて!!私もジャンプしながら、昔よく聞いたパンクバンドを思い出したりした・・・・・(ワッシー!CDありがとう!!)なんか全く、まとまりのない今日の日記でごめんなさい。次回は、チャントした日記を書けるように・・・・もう少し日記更新率を上げるように・・・心がけます。さて、今日私たちは、コンサートに行くでしょうか??今日は、プログレロック。これも私の大好きなジャンル!!捨てがたい!しかし、雷は怖い!!ではでは!!あとから時間あったら子供の写真(着物はおった所)を入れておきます。入れなかったらごめんチャイ。
2005年07月18日
コメント(8)
週末はとってもお天気もよくって、妖精夫婦は土曜・日曜と二日間、別の場所にハイキングに出かけました。土曜日には、ここから少し先にある、アパラチャントレイルの一部へ。このアパラチアントレイル(英語的には此方の言い方のほうが近いのですが、日本語ではどっちでしょう?)、アメリカ東海岸のメイン州から南のジョージアまで続くトレイル。かつて留学していたころ、私はスリーピングバックをかつぎ、1週間そのトレイルをハイクした経験があるけれど、それ以来、テントアウトするハイクはしていない。(肩とかこって大変なんだよねーーこれが・・)そのアパラチアン トレイルのペンシルベニア州の一部を二人でドンドン行って見た。森の中をドンドン道が続く。 ブルーベリーが実り始め、花が咲き鳥が歌うなか、私たちは、木々の精たちと語らいながら、歩いていった。日曜には、私たちの大好きな町、ハーパースフェリーへ。この町は、大きな二つの川が交差する真ん中に存在し、その川づたいに、ハイキング・自転車用の長い長い道が続く。皆さん、想像してください。人と自転車が通れる位の道の周りには、木立が並び、やはりここでも鳥がさえずり、大河の良く肥えた土壌に様々な野草の花が咲き誇っている。お天気のいい日には、亀や蛇、トカゲや蝶々など、色んな生き物も目にする。舗装なんてされてない土の道を歩く、心地よさ・・・・見渡す川の広大さ・・・・・道は続く。 すれ違う人々は、皆笑顔で挨拶をしながら進んでいく。そんな、ノンビリした美しい空間・・・・歩いてく・・歩いていく・・・・・・・・その時、ブーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンと巨大なとてつもなく恐ろしい音が鳴り響いた。ブーーーーーーーーーーーン、ブーーーーーーーーーーーーーーーーンエンジン音のようなその音は、大河のほうからやってくる。ブーーーーーーーーーーーーーーン、ブーーーーーーーーーブーーージェットスキーの音だった。川を見ると、若い二人の男性が、其々にジェットスキーを楽しんでいた。ブーーーーーン、ブーーーーーーーーブーーーーン今まで聞こえていた鳥の声など、もはや耳に入るよしもなく、不快なその強烈な音が、ところ狭しと鳴り響く。。。。。。。。旦那が言った。”ジェットスキーは違法にすべきだ。コンナに酷いものは地球上から廃止するべきだ”私も同感だ。ジェットスキーは、簡単に、免許も必要なく、誰でも乗れる娯楽の機械。速さを求めるために、車体は軽く、エンジンも2ストライクエンジン(日本語分かりません。すみません)を使っている。この2ストライクエンジンというものが、最高の環境破壊をしてくれる。普通のボートであれば、エンジンは4ストライク。 ガソリンを燃焼して、その残りが水の中にこぼれていく。しかしこの2ストライクエンジンは、ガソリンを本来の形で燃やすことなく、其のままの形で海や川に流れ落ちる。ということは、ガソリンを垂れ流しにしているのと同様だ。おまけに、大量のガソリンを必要とするこのジェットスキー。 車で160キロ行くのと必要なガソリンが、ジェットスキーでは10分とかの短時間の間に使われている。(確かな時間を忘れてしまいましたが、驚異の短時間でした)ガソリンを使い、そして垂れ流し。それだけではない。川に泳ぐ魚や微生物が、沢山犠牲になり、モーターや車体に押しつぶされ死んでいる。直接事故にあわない生物も、巨大なエンジン音で、ストレスを感じ、そのストレスから命を落とす。人間は、必要のないものまで、ドンドン開発し、それが自然破壊につながっていくのも平気顔だ。新しいものを売り出すときに、その使用によってどんなことが起こっていくのかもも、キチンと消費者に伝える義務があると思う。海やリゾートに行った時、ジェットスキーを見て、やってみたい!って思ったら、どうか、この日記を思い出してください。騒音の中、私たちは、”帰ろう”とUターンをした。
2005年06月23日
コメント(17)
妖精の誕生会が11日に行われました。約25人のお友達が来てくれました。大きすぎず、小さすぎずのパーティで、和気藹々と、楽しい時間を過ごしました。会場は庭に設定した。いつも使っているご飯を食べるテントに沢山の花を飾り、大きなテーブルを入れ、料理を飾った。そのテントの周りには、円形テーブルやモザイクのテーブルなどなど持っているテーブル全部、 ベンチや椅子を置き、会場設定 終了!!と思った途端・・・・空からざーーーーーーーとアメが振り出し、雷までがらがらーー!!!!!!!!!!!! アメは振りやまず、設定したものは全てずぶ濡れ・・・食器もテーブルクロスも全部びしょびしょ!これは悪夢だーーー!!泣いちゃうよ!って本当に思った2時間。会場を家の中に移そう・・・と決心しかけた時、雨がやみ、お日様が出てきた・・・・其れからは忙しい時間が到来。食事をテーブルのセッティングしたり、会場を作ったり・・・そうこうしているうちに友達はドンドン到着する。”ねえ、今ここって雨振ったの?” なんて呑気に質問する友達に、一部始終、”もう最悪ー!!悪夢だ!て大騒ぎだったんだよ”って説明。友達は皆 ”私たちのところでは振らなかったわよ・・・でもここはぬれてるから・・・フッタかな?と思って・・・・”2時間のあの雨は、うちの周りだけだったらしい。 けど、アメと雷で、私を御祝いしてくれたのね・・・って思い込んじゃう。こんな感じでスタートしたパーティでしたが、私の作った料理に加え、友達も色々と運んでくれたので、とっても素晴らしい美味しい美味しい食べ物で一杯のテーブルになりました。食べて、飲んで・・・・そして、計画していた、子供達とのアクティビティを!まずは、シャボン玉吹き!色んなシャボン玉のセットを用意して、皆でシャボン玉を吹いて順番にその中で入っていく・・・・シャボンの中に入ると、おとぎの国みたい。。。キラキラした光と、ほわんってしたシャボン玉の皮膚に当たる感覚が、みんなを笑顔にしていました。そして、妖精本つくり。 ビンテージストアで買ってあった、50年代の妖精の塗り絵をコピーして、子供達に配り、其々が色を塗り、そして最後には一冊の本を作ると言うもの。子供は塗り絵が大好き。皆夢中になって色塗りしていた。そして、妖精村への散歩。 うちの庭の奥にある森の中に、作っておいた妖精村へ行き、何人の妖精、小人を見つけられるか競争する・・・・子供達は森の中を、とっても嬉しそうにハシャギながら探していく・・・妖精のお話コーナー。これはやろうかどうしようか考えていたのですが、子供が一人”ねえ、コノ前やったお話は今日はやらないの?”と聞いてきた。 だったらやってやろうジャン!!って事でとり急いで、使えそうなものを森から探し、木の枝などを使ってお話を少し・・・・・子供は、お話を聞くことも大好きだから、話しかけながら、彼らを巻き込みながら・・・私は御伽噺を作りながら話した。そして、ナチュラリストの旦那ガイドの森のツアー。これは、大人も子供も皆で出かけました。森の中を歩き、旦那が色々と説明をしてくれると言うもの・・・・夜まで残ってくれた友達とは、バーベキューでグリルをしてワインでマッタリタイム。こんな感じでイベントも用意した、私の誕生会。忙しくって、写真を撮るのをスッカリ忘れていた馬鹿な私・・・・・集合写真くらい撮って置きたいって思ったのに、それすらありません。とりあえず、一枚全然よくない写真が一枚あるので、それとあと庭に作った妖精村の一部の写真を載せておきます。時間が無くて全然チャント撮れてないですが・・・雰囲気だけ伝わってくれたら・・嬉しいです。さてさて、終ってみて・・・こんな感じのイベントフルな誕生会もいいかも・・・って思ってしまった妖精でした。お誕生日おめでとう!私!!(来てくれた友達の中には小学校の先生もいて、これは絶対に仕事にすべしというコメントを頂き、夏にサマーキャンプと銘打って、妖精サマースクールを開催するイキサツになりました。ルン♪)全員で撮ればよかったのに・・忘れていた写真。こちら、ほんの一部の人たちと撮りました。子供達と友達のキャンダス。(彼女も妖精の格好していますよ)
2005年06月13日
コメント(16)
土曜(6月4日)には、旦那のネイチャーセンターでのオープンハウスがあった。このオープンハウスと言うものは、一年に一回、このセンターで行われているプログラムを一般の方たちに、無料で体験してもらい、私たちがどんな仕事をこの地域の中で行っているかを理解してもらうと言うもの。そのオープンハウスのイベントの中で、地元の小学生から自然を描いたポスターを募り、アートショーも行った。 此方は私のアイディアで運営されたので、私が責任者となり、作品を小学校で集めたり、その作品を審査し、賞を与え、そしてディスプレーして、看板を作ったり・・・・とバタバタと用意におわれた。オープンハウスでは、このアートショー以外に、妖精の散歩ツアーが組み込まれていたので、そちらの用意もしないといけなくて、前日から猛烈に忙しくコチョコチョと妖精は動いていました。今回は、先週買ったばかりの、大きな紫の蝶々の羽をつけ登場。前回日記に書いたように、妖精の道を作り、魔法のボウを渡し、日本の昔話を皆で楽しみ・・・・楽しく行われました。私のプログラムが終っても、次から次へとプログラムが続くので、家族で一日皆で楽しめる。ベンダー(アーティストや他の機関でじこPRしたいもの)も沢山いて、会場はトテモ華やかな雰囲気に包まれていた。そして、本日7日火曜日には、ここから一時間くらい行った場所にて行われたイベントに参加した。こちらは、ボーイスカウトのためのイベントで、ボーイスカウトが行うアクティビティ探しの為に、色んな機関が招待され、其々が自己PRをしていく。良く分かっていないので、上手く説明できなくてすみません。兎に角、ボーイスカウトに所属する色んな人々が、私たちのセッティングしたテーブルに訪れる。そこで私はニコニコしながら、ネイチャーセンターの説明をし、ニコニコしながら、パンフレットを渡す。。。。。。其れが私の仕事。”PLEASE COME TO SEE US!”これが私の最後の決め文句!!こんなこともボランティアでしている妖精でございます。日本にいたら経験できないようなことも、ここにいて出来ることは、とっても幸せだなーーーって思います。さてさて、明日は一日オフになる。明後日からは又忙しいので、明日には11日のパーティの買出しなどなどをしないといけない・・・・楽しみはこれから。。。。これから・・・・・・
2005年06月08日
コメント(8)
6月2日は妖精の誕生日です。Flower years old お花才になりました。今日は、旦那ちゃんと大好きなタイフードを食べに行き御祝いしました。土曜には、大イベントオープンハウスがあるので (又日記に書きますね)、パーティは 来週末までお預けですが、 来週11日土曜に、妖精のお誕生会をやります。皆さんに招待状です。よろしかったら、羽や妖精のお花やフェアリーダストを持って、パーティに参加してください。お待ちしてますね。
2005年06月03日
コメント(7)
アメリカでは 本日、夏の始まりを告げる祝日、メモリアルデイでした。家族がこぞって、ビーチへ行って海開きをして、夜はクックアウト(外でバーベキュー)って言うのが、典型的なこの日の過ごし方。妖精夫婦は・・・・ウエストバージニア州にある、バークリースプリングと言う小さな街へ行ってきました。この町は大好きで、一年に何回か遊びに行く。スプリングと呼ばれる町の中心には、スプリングウォーターのこんこんと湧き出る公園がある。その公園の中には、その水を使って、お湯につかったりできる、イワユル日本で呼ぶお風呂が体験できる。(でもとっても高い) スパとは又違って、お湯につかるだけの、本当の日本のお風呂みたいなもの。その後、マッサージなんかも追加できるし、温泉みたいな感覚で、アメリカ人のお金持ち達が集っている。そこでは、かつでジョージワシントンが、お湯につかったというバスタブもまだ残っている。水が澄み、山の緑も輝くこの町には、沢山のアーティストが集まり、一年に2回、自分達の家または、スタジオ(アトリエ)を開放してみせると言うイベントがある。今日がその日だった。町の中心にあるギャラリーで、町に住むアーティストの家の地図をもらって、自分達で車を走らせて、其々のアーティストのアトリエに行く。私たちも、地図を見て、面白そうなアーティストのアトリエに行って来た。最近、ステンドグラスにとっても興味津々の私は、まずグラスアートのアトリエへ。そこで作られるステンドグラスの工程を見せてもらった。美しいステンドグラスの出来上がるまでの長いプロセス。愛と時間が掛けられて作品が仕上がる。その後も、絵描きさんや、ジュエリー、ワイヤーアート、陶芸などなど色んなアーティストを訪れた。中でも一バン面白かったのが、アーティスト達で村を作り、そこに住み込んで、皆でアート一色の暮らしをしていた人々。(こういう暮らしをする場所は、コミューンと呼ばれ、アート以外でも、ヒッピー達なんかが、集団で暮らし、村を作って生活している人たちがいる。60年代アメリカでは、物凄い数のコミューンがあったそうだ。今でも存在しているが、カツテの勢いはもう無い。ある意味、オウムのような、カルト集団が村を作ってみんなで暮らしていたのは、そういうところから得たアイディアだと思う)ヒッピーアーティストが、ピースを掲げて、アートをしながら集団生活をしている様は、少し時代を逆行して、60年にタイムスリップした感じがした。彼らと暫く話しこんで、私たちはその町を去った。楽しい一日だった。明日から又、物凄い忙しい日が始まる。明後日には、小学校にゲストスピーカーとして、招待されている。日本のことを話しに行く。 40分と言う短い時間で、何が話せるかはわからないけど、一杯色んなことを話して、子供達に日本という国を少しでもわかってもらえたら嬉しい。スピーチは2回するらしい。今度の日曜には、旦那の仕事場でイベントがあり、その中で、妖精ツアーをやり、そして又、小学生対象のアートコンテストが行われる。 その主催と審査を私が仕切る。その打ち合わせとスピーチのほうで、明日から目の回る日々が来る。でも、こんなに楽しいお仕事で日々が過ごせて、私って本当にラッキだなーって思うんです。
2005年05月31日
コメント(6)
鳥達が南から戻り、花が咲き始め、虫や動物、色々な生き物が生活を見せてくれるようになって・・・森に春がやってきました。春は素晴らしい! 時の始まり、命の始まり。全てがキラキラと美しく光っている。でも、花粉もとんでいる。。。。私は日本では花粉は平気だったのに・・・ここにきて、どうやら、メイプルの花粉にやられています。朝起きると、目がパンパンで開きません。痒くて痛くて・・・・ もうどうにかしてくれ~~~~!!旦那曰く、ピークはもう直ぐ終るから頑張って!そして、春が来て・・・私の生活も一辺し、今では旦那のセンターのお手伝いと、外に出て色々な探検の日々。中々PCの前に座る時間も取れなくて・・・・日記もお久しぶりになってしまいました。それでも皆さんに報告したい事があって・・・・一月くらいの間、ずっとお母さん鳥が卵を温めていました。その卵がかえって、3日前に、5匹の雛が生まれました。可愛い可愛い雛鳥です。(此方の写真は生後2日目です)ピヨピヨ・・・・・言いながら、お母さんの後を追う子供達。まだ、近寄ると警戒心で、猫のように”シーーー”って怖い声を出すお父さん。家族を守る愛情で一杯。おおきくな~れ。英語で言うとグースですが、日本語では? ガチョウでしょうか?こちら、北アメリカに生きる鳥の中で、唯一、つがいとして一生、パートナーとともに生きている鳥。他の鳥は、一緒のパートナーとはいないそうです。子供達のこの可愛い姿、 毎日見ては、喜んでいる妖精です。さ~明日も朝一で、授業が入っています!!子供達に自然を教えます。皆さんの日記めぐり、そして、前回のメッセージのお返事など、次回までお待ち下さい。すみません。。。それでは。ピヨピヨ・・・・・
2005年05月19日
コメント(13)
前回の日記の続きイベントのような素敵なメイデイセレブレーション 春の祭典に行ってきました。毎年五月の第一土曜になると、ここ、ウエストバージニア州シェパードタウンでは、メイデイのお祝いをする。暦の上での春は3月に来るけれど、3月は雪が降っているしマダマダ寒い。暦では春でも、心は冬。4月になると雪も解け、段々と暖かくなってきて・・・・5月になると、お日様は強くなり、花は咲き始め、頬に当たる空気も優しくなる。心と体で春をお祝いしたくなる。そんなお祝いがこの小さな街で行われる。(去年の分も、フリーページにあります)先日行って来た妖精祭りにもかいたけれど、こういう季節をお祝いするのは、ペイガンの人々のりチュアル(儀式)だった。妖精もコロボックルも、彼らが生活の中から生んだもの。自然を愛し、自然を友に行きていた彼らにとって、このメイデイのお祝いも、大切な行事であった。お祝いは、パレードから始まる。彼らの信仰の中で、とっても重要な役割をしているスプリングマン。このスプリングマンは、永遠の命を持ち、木や花と精通し、春を運び、自然の命を再び吹き込む。そのスプリングマンが、先頭に立って、皆に挨拶をしながら歩く。WELCOME, EACH OF YOU!皆さん、春の祭典にようこそ。 HAPPY SPRING! 春よおめでとう!と叫びながら彼は春をみんなに分け与えてくれる。そして、真っ白のドレスに身をまとった女性達が、ピュアな精神で花たちにお祝いをささげながら登場。地球の幸せを! 地球に春を! そういう気持ちで地球もパレードに参加。こちらの木は、毎年、春を運んでくると信じられている木。大切に運ばれていく。ムラサキの花の精たちがダンスをしながら歩く。春の見張り番の叔父さんたちも旗を持ってダンス。そして、子供達が花に感謝の意味を込めて、花の精に扮して・・・春をお祝いする人々たちでパレードは続く。地元の住人が、自分達のトラックに花を一杯つけ、そのうえでバンド演奏して登場。自然にちなんだことをすれば、誰でも参加できるこのパレード。私も来年は、参加しようかな??気持ちの中がお花で一杯になったパレードの後には、 町の中心の メイプルの木が何本も生えている広場に集合する。そして、そこでメイプルの木の精たちにお祝いを見せていく。まず行われるのが、白いドレスの女性と、ムラサキの花の精が 繰り広げる、メイデイダンス。一人一人が、花のポールについているリボンを持ち、音楽にあわせて、踊りながらステップを踏んでいく。時には交互になりながら、時には反対に歩きながら・・・・そうしてリボンを編み上げて、春の精に感謝。男性だって春のダンスを見せてくれる。この人たち以外にも、沢山の男性ダンサーが春を祝っていた。そして、子供達の花の精。音楽にあわせて、春の花が美しく舞う。こんな風に春をお祝いするメイデイセレブレーション。私たちの手で、この美しい地球を守って行きたい。。。。そう強く感じられるイベント。 何時までも、こんな素敵な春のお祝いができますように。HAPPY SRPING!
2005年05月10日
コメント(12)
フェアリーフェスティバル2005年が、先週の週末、金土日と開かれた。あいにく土曜は大雨で、私たちは行くのを取りやめ。その分、日曜の朝早くから起きて、私たちは妖精まつりへと車を飛ばしたFAIRIE FESTIVAL 妖精まつり。 (普通FAIRYとスペルのだか、ココは何故かスペルを変えてあります)大人も子供も、ベイビーも。ペットのワンちゃんも・・・みんなが妖精や小人のコロボックルになって、そして、マザーアースに感謝をするお祝い。キリスト教が始まる前のヨーロッパには、ぺイガンと呼ばれる宗教が一般的で、殆どの人たちはそのペイガンと呼ばれる信仰を持っていた。(ココからは、私のフリーページのメイデイダンスの中と、少し重複しますがすみません)このペイガン、木や石、川、空、花や風・・・自然のものなら何でも!そのなかに精霊を感じ、その精霊と共に季節を祝い、美しい地球と共にセレブレーションをしながら、生きている・・・・そういう、自然とトテモ近い生活をしている人々だった。人々には、妖精や小人はファンタジーの世界ではなく、彼らの生活の一部だった。クリスマスもハロウィーンも、彼らのお祝いであったのを、キリスト教がパクって、いとも自分達のお祝いという顔をして、今祝っている。デモ、本来は、この二つの大きなイベントもペイガンのお祝いで、 モットモット、自然を愛する心から地球をセレブレイトするための儀式だった。そういうペイガンの人々が、このペンシルベニアに移民してきたからか・・・どうなのか・・・・ここペンシルベニアでは、毎年一回、大きな有機栽培農場を借り切って、そこを妖精村にしたてあげ、 妖精まつりが催される。音楽あり、おとぎ話のお話会があり、ワークショップあり、ベンダー(屋台で自分達の作品を売っているアーティスト達)あり、そこにいるだけで、ワクワク・・・そこにいるだけで、魔法を掛けられてしまうような・・・・そんな3日間。今年は、お友達のヒロミチャンも参加してくれ、私たちは3人は、妖精村を一日中楽しんだ。後姿で分かりにくいかもしれませんが、ヨーク見てください。みんな其々・・・羽をつけ、妖精になっています。ステージも、妖精の羽の舞台に・・・・ココでは、色んなアコースティック音楽が一日中奏でられる。他にも3つほどのステージがあり、インド音楽、アイリッシュ・ケルト音楽(勿論です!そちらのほうから妖精たちはやってきたのですから・・・)、スコットランドバグパイプ音楽などなど 心まで染み込む音が一日演奏されています。こちらは、二人の妖精が、御伽噺を聞かせてくれる。このお話は、王様がしたおやすみなさいのキスが、お姫様の頬から逃げて、森に行ってしまった。そこで、勇敢な騎士がそのキスを探しに行くというもの。だから、右の妖精の手には、キス(唇)があるのです。お話を終ったあと、子供達に妖精の粉を分ける。この粉は、英語ではFAIRY DUSTといいます。この羽は・・・ワンちゃんについているの。よーく見て・・・これ、ワンちゃんだって分かりますか??こんな素敵な妖精村で一日を過ごし、一年分のエネルギーを貰ってきました。沢山笑って、沢山食べて(へへ) 妖精は元気になって、羽もぴーーんと張ってもう大丈夫です。明日はまた子供達に自然を教えます。貰った魔法を一杯子供達に撒いてあげるつもりです。妖精まつり、ウェッブサイトがあります。 どうぞ見てください。とっても素敵ですよ。
2005年05月04日
コメント(12)
前回の日記を書いてから、もう凄い時間がたってしまいました。その間に色んなことがあった。お友達が バルティモアから遊びに来てくれて、久々にまった~りと楽しいときを送ったり、ミュージックのダウンロードしようとして、ウイルスまでダウンロードしてしまい、PCが元の元までやられてしまい、立ち上げすら出来なくなってしまったり、(もう絶対にやりません!) 姪っ子が、熱が出すぎて、一週間入院したり(これは日本のお話)、旦那の仕事も、春が来て頂点の忙しさ、毎日12時間働く日々をこなしていたり、旦那はユダヤ系アメリカ人なので、そのユダヤ人のお祝いのパスオーバーがあって、実家に行っていたり、色々な事が一杯あった。パスオーバーの事も書こうと、写真も沢山撮って来て合ったんだ。デモ、気持ちがダウンしているので、日記はお休みしていた。私の友達の一人が、 末期がんを発見し、 私に精神的な支えを求めてきました。彼は、遠いオーストラリアにいるので、(Mちゃん、アンドリューじゃないから安心して!)私に出来る事は限られている。何処までしてあげたら十分なのか。どうしてあげたら、良いのか・・・・死に行く友達にしてあげられる事。友達として、 後悔の無い、私の役目って、なんだろう?数人の人に話しを聞いてもらい、 私は私の形でやっていくことにしました。彼は死ぬという事は分かっていても、誰かに”大丈夫。まだ生きるから。元気だして。生きるから”って言う言葉を求めていると思う。だから、私は言い続けます。”絶対に大丈夫。生きて!” って。”君はいつも前向きで、いつもポジティブなエネルギーを放っている。僕の知っている人間の中でイチバン輝いているのは君だから、君に話を聞いて欲しかったんだ”って言われました。私が前向きで、彼に良い風を送ってあげられるなら、 送ってあげよう。”生きるって、素晴らしいよね”って言い続けます。こんな感じで、少し凹んでいたので、日記も皆さんの訪問も、カナリ遠ざかってしまいました。ごめんなさい。今週は、私のイチバン大好きなイベント、妖精まつりが行われます。勿論、妖精の私は参加します!!妖精まつりに行って、魔法の粉を振り撒かれて・・・・いつもの元気になると思います。そうしたら、妖精まつり FAIRY FESTIVALのこと、日記に書きますね。
2005年04月30日
コメント(9)
以前、旦那のネイチャーセンターのプログラム用のパンフレットが、新規でアレンジされると言うことを聞いたとき、私は自分の中に持っていたイメージだけを 手練手管のように、上手い事言って いかにも素敵なプログラムになります!みたいに説明し、なんとGOサインを貰ってしまった。そしてそのプログラムは、公に彼の仕事場のホームページにも、パンフレットにも載せられた。そして、本日、そのプログラムに2つの幼稚園のクラスが予約を入れ 私が企画した私運営のプログラムが 行われる事になっていた。何せ、私はやたらにイメージとかアイディアとかが浮かぶ人間で、そのアイディアの数と言ったら物凄く、寝ていてもふと気付いて、おきだして、何かを始めたりすることも多い。元々、日本では教えることを仕事にしていたし、物つくりもしているから、そういう、何もない状態のところから、何かを作ることは、どっちかと言うと得意。でも、今回のは、イメージだけが進行して・・・・いざやってみるか!となって、初めて、これって、結構大変かも・・・・と気付いた。プログラムのタイトルは、”妖精のお散歩”幼稚園児対象の一時間もの。私妖精が、キチンと妖精の格好をして(コスプレって呼ばないで~!)森の中を散歩する。 散歩をする道には、勿論、沢山の妖精やら小人やら、はたまた妖精のお家やら、お昼ねする場所などなどを作って、子供達に 夢を与える!散歩するだけではなく、その中に、日本の昔話を導入。座って本を読んでお話を聞かせるのでは、脳がないので、動いて、子供達を巻き込んで、 皆で歌を歌いながら、皆で演じながら、昔話の中に入り込んでいく・・・そして、目にする自然にも触れ、五感も研ぎ澄ませる。そんなプログラム。自分の中で持っていた こんなイメージを膨らめて、旦那にもアドバイスを一杯もらい、そのイメージを実現させて、私のプログラムは形になった。昔話を演じるときの小道具も、全部手作りで、簡単なものだけど頑張った。今日は、幼稚園生20人の1クラスを2つ教えた。園児20人に、普段ならば先生と生徒と言う形になるのだが、何故か本日、楽しみにしてくれ、父兄が其々着いて来た。と言う事で1クラス40人。 団体!!!デモ、私はオーディエンスがいればいるほど、乗っちゃうタイプの人なんで、のりのりで 最初の挨拶から 皆さんの心をキャッチ!!森に入って 童話の一シーン一シーンを、順番に展開して行った。皆、大人も一緒に 妖精ワールドにどっぶり浸かってくれて。。。お話が終って直ぐに、私は皆に聞いた。”妖精信じる人?”大人も子供も全員が手を挙げる。”じゃあ、みた事ある人は?”数人の子供が手を挙げた・・・・(ココでアナタよ!って言った子供もいた。かわいい)”じゃ、今日は私の特別な宝物を貸してあげるわ。 これをもってると、普段見れないものもみれるんだよ。もしも、妖精や小人を見たら、コレを振ってあげて。皆ね、このキラキラが大好きなんだよ”そういって、キラキラ光るマドラーを渡した。子供にとって見ると、其れは魔法のボウ。嬉しそうに其れを手にして、ずっと振っていた。そして、私たちは、私のセッティングした妖精の道に入る。入る前に ”みんな~外に出て。 私の大切なお客様を連れてきたの。皆に会いたいんだよ~!”と一言、森に叫び 妖精たちが外に出ている事を確かめる。小人達がお昼ねをしていたり、 こちらを見ていたり、妖精がキノコの下で笑っていたり・・・・”ア~みてみて” ”ア、アソコにも” ”あああ~~凄いよ””いたる所だ~~!”そんな喜ぶ声が森の中一杯に広がった。子供達を見ると、皆、マドラーを振っている・・・・妖精の森を抜け、 橋を渡り、 私たちは森の奥の 苔の絨毯の上に座る。そこで、桃太郎の紹介。子供達が桃太郎を日本語で言えるようになった所で、も~も太郎さん♪の歌の練習をして・・・そして、私たち一行は、鬼が島まで鬼を・・・退治しにいく・・・のではなく、鬼と友達になりに行きました。と言うのも、鬼を退治したりするのは、一寸暴力的だという旦那のアドバイスで、桃太郎の話を変更。鬼が島について、鬼と友達になろうと桃太郎が説得をするが、聞き耳もたない鬼。そこで、サルが面白いダンスを見せ、鳥が綺麗な羽を見せ、そして、犬は鬼に飛び乗り、顔を舐めまわした・・・・すると、怖かった鬼も・・・心を開き改心して、最後には友達になって おしまい。(旦那作の桃太郎)こちらも、皆で歌あり、演技あり、最後まで 皆で作り上げていく桃太郎だった。どのアクティビティーも大喜びしてもらい、やってよかった~!と本気で感じた今日のお仕事でした。プログラムを終了した子供が、お母さんに”ねえねえ、あの人、本当の妖精だよね?”って言っていたのを旦那が聞いたそう・・・イチバン嬉しいコメントだった。これからモットモットこのプログラムが予約で一杯になりますように・・・毎回、プログラムを終了すると、引率の先生に 評価表を言うのを渡す。そして、プロフェッショナルな先生から 自分を批評してもらう。其れが来るまで、未だ終っていない私のプログラムです。ドキドキなんだよなーコレが・・・来るまで。アメリカ滞在の方、ご興味ありましたら、妖精までお知らせ下さい。学校行事や スクールトリップなんかで、本当にぴったりのプログラムですよ。勿論、このほかにももっと沢山、旦那のやっている、エコツアーやら自然についてのプログラムもあります。よろしかったら・・・どうぞ。
2005年04月14日
コメント(22)
昨日と今日は、妖精夫婦 ハイキングに両日出かけておりました。天気も最高! ハイキングには持って来い!ってな2日間でした。昨日は、ウエストバージニア州にある ハーパースフェリーと言う町まで出かけ、そこにあるハイキングコースを回ってきた。この町は私たちの大好きな町で、日記にもしょっちゅう登場しているので、今日は割愛させて頂きますが、ここにある山をドンドン登っていくと、絶景かな絶景かな・・・大きな川を2つ合流している真ん中にあるこの街を、岸壁から見下ろせちゃう。息も止まる美しさです。川は広く、流れは豊かに・・・・往復たったの3マイル(4.8km)のハイキングコース。 けれども2時間かかる。それは・・・傾斜 約45度。 このきっつーい 坂道を ドンドンドンドン登っていく。だから、どんなに頑張って登っていっても、往復2時間もかかってしまう。でも、この景色を見たら・・・・疲れも吹っ飛び、あー良かったよー! 汗もさわやかーって気持ちになれる。こちら、旦那の後姿。右の遠くに見える赤い屋根の建物は、ヒルトップホテルと呼ばれる1800年からある、とっても雰囲気の素敵なホテル。そして、コレが、そのヒルトップホテルから見た、ココの景色。岩肌が見える、そのイチバン上に、私たちは行った。このハイキングは、毎年一回は必ず行っている私たちのお気に入りのコース。日本から来たお客様には、必ずこの町にはご招待をしますが・・・まだこのハイキングに挑戦したのは、家の両親だけ・・・・(おっと、Mさん・・・ごめんなさい。この町連れて行かなかったね・・・その代わりフィりー行ったから・・・でも次回は連れて行くからねー)そして、本日。 私たちの森にあるイチバン長いトレイルに出かけていった。こちらは約6マイル。(9.6km) 約2時間のコース。小川あり、花あり、傾斜あり、平地あり・・・といろいろバラエティのあるコースで 飽きる事なく楽しめるコース。道なき道を行くところもあったりして、とってもいい感じ。でも、これでも一応 トレイルになってるんですよ!こんな感じの素敵なトレイルを歩いていて、今日私たちは色んな春の花を発見し、春の訪れを肌で感じた。水溜りの中に、沢山の卵を見つけた。かえるの卵? と思った二人だったけど、よく見ると・・・其れは、サラメンダーの卵だった。(サンショウウオ)卵の中で動いているサラメンダーたちを見て、妖精は感動いたしました。命の始まりって、どんな形であろうと、美しくて尊い。そんな感動を感じながら、私たちは歩いた・・・・暫く行くと、旦那が”ここが 売られた土地だよ”とそのトレイルと全く隔てのない 直ぐそこの土地を指差した。以前の日記にも書いたが、この近くのリンゴ農家が売りに出され、リアルエステーターが買い上げた。そのリンゴ農家の持ち土地と、彼の働くネイチャーセンターの土地との境界線が、このトレイルの真ん中になっていた。写真を良く見ないと分からないと思いますが、売られた土地の分だけ、木が切り落とされている。ここには500軒分の住宅が建つそうです。其れと同時にゴルフコースも。人間とは、浅はかで愚かな動物に簡単になってしまえる。目先の儲けと、便利な生活。 外見上だけの、質の高いような錯覚の生活。どれも自然をおろそかにして、出来上がった エゴの世界。ココまで来て どうして まだ?何時になったら、 気付いてくれる?引き返すことは出来ないのに・・・先進国の おごった気持ちが 時として 本当に嫌になる。そんなことを思って、楽しかったハイキングも悲しい気持ち一杯になってしまった。PS妖精は水曜に、大きな仕事を抱えており、その用意で今日記をつけている時間は本当はないのですが、マーいいかと日記を更新中。と言うわけで、皆さんの日記めぐりは、次回、お仕事終了後になります。すみません。又水曜にお会いしましょう。
2005年04月12日
コメント(12)
昨日は、ビックリするくらいの天気のよさ。 温度もなんと20度まで行くと言う驚異の暖かさ。朝起きて外を見ると、庭にご飯を食べる用のテーブルと、そこのテーブルには日よけ用のアンブレラが立っており、テーブル周りには、2つの椅子が置かれてあった。おいおい。旦那ちゃん、余りの天気のよさに嬉しくなって、朝仕事行く前に庭のテーブルセッティングか??? と少し 笑った。昼に帰ってきて、ランチもそこで食べると言う。彼は春から秋にかけて、室内にいる事は殆どありません。ご飯も外、読書も外。そして睡眠も外。外でランチを食べ終わり、彼は早々に,忙しそうに外に出て行った。私はその間、別のことをして彼の行動には監視せず。いつもの様に彼は仕事に戻って行った。暫くして、余りの天気のよさに、私も散歩をしようと心を決め、テクテクと裏の森を歩き出した。5分でいける池まで歩いて、そこで少しぼーーっとしてようかな?なんて思いながら、森の中を歩く。 小川の橋を渡ると、家の庭の奥の部分が見えてくる。そこは結構奥なので、家の中からは見えない。だから、小川を挟んで反対岸の方から見たほうが、良く見えちゃう。そこには、春から秋にかけて、旦那の住みか 兼 寝床となるテントが張られていた。そして、その横には、ちゃっかりとブランコまで・・・・テントのために、急いでランチも食べてたんだなーーと納得すると同時に笑いがこみ上げてきた。私の散歩もとっても気持ち良く、池にうつる森の景色も、トテモ綺麗だった。又今度写真載せますね。そんなノンビリした日を過ごした妖精ですが、顔が日に焼けちゃって、少しひりひり痛い・・・・チャント帽子かぶってたのになーー日本の美白の方たちからしたら、私の生き方、とことん間違っているんだろうけど・・・・そんなこと言っていたら、ココの生活が楽しめないから、私はソッチを選んだ。旦那も家に戻り、夕飯を終えると、未だこの天気のいい日を楽しみたい彼は”ねえねえ。ドライブ行こうよ”といったところは、このカバードブリッジ。カナリ昔にイーストウッドの作った、マジソン群の橋って言うのにも出ていたけれど、 アメリカの得に北部にあるこのカバードブリッジ。未だ橋が木で作られていた時代、雨やら雪で橋が壊れやすくならないように、カバーをかけた。その名残がこのペンシルベニアには、結構ある。そして、典型的なペンシルベニア カバードブリッジは、いつもこの色。鈍い赤・・・サビ色って言うのか、表現しにくいですが、茶色に限りなく近い赤。何故その色がペンシルベニアで流行ったのかは、分からないけれど、コレマタ ペンシルベニア州のいたる所で見られる、農家の小屋も同じ色なんだ。ペンシルベニアには、大きな都市が少なく、ピッツバーグとフィラデルフィアしかない。だからこの州の殆どはこういう田舎。山も川も在り、トテモ美しい州。そういう点からも農業に頼っていた州であった。(変化しつつありますが)車で走っていると、こういう小屋が、頻繁に目に入る。美しい農場。。。其のままに残して欲しい。けれど、競い合ったように、農場はリアルエステートに売られ、美しかったこの景色は、ショッピングモールになったり、住宅街になったりしている。近くの農場2つも最近売られました。こういう景色が見られるのも、秒読みです。ペンシルベニアのこの美しい景色が、長く遠い未来まで続きますように・・・
2005年04月08日
コメント(12)
今日は、私がとっても楽しみに待っていた日。 吉田兄弟の、DCのケネディーセンターでの三味線コンサート。少し前、旦那が "Do you know Yoshida brothers?"と唐突に聞いてきた。ヨシダブラザーズ・・・・う~ん。聞いた事あるような・・・・日本語に直してみると、吉田兄弟!!!知ってるよ~~!!!勿論ジャン!!ワシントンDCでは、毎年、桜の花の美しさをお祝いするべく、日本の色々な伝統や文化を披露している。和太鼓やお琴、歌舞伎、着物の展示やら着付け、茶道などなど・・・兎に角日本の文化と思い当たるものが、色々と経験できることになる。今年は3月27日から4月10日まで、日本文化を楽しむイベント目白押し!!(フィラデルフィアでも、その縮小版みたいのが、行われます)その中の一環で、吉田兄弟が招かれ、演奏をしてくれた。入場料はタダ!! そういうところ、アメリカは太っ腹!!家からDCまでは、車で渋滞に引っかからないと、1時間半。フィラデルフィアに行く、半分くらいでいける。ただ、フィラデルフィアに比べて、交通渋滞が激しいので、モット長く掛かることも・・・会場には、吉田兄弟を見に来た、アメリカ人やらアメリカ滞在の日本人が、ところ狭しと待ち受けていた。はかまを身にまとった、兄弟が、舞台に上がった。その姿を見ただけで、私は、日本を思い、少し涙が出てきた。兄弟の奏でる、三味線の音が建物の中一杯に響き、観客も酔いしれ聞いていた。約一時間くらいの演奏。津軽ジョンガラ節が最後の曲。(アンコール曲の前)日本にいたときには、本当に気付けなかった、日本の音の美しさを 魂で感じた。日本海の激しく荒れ狂う海に、痛いほどの雪を 彼らの音の中に見た。美しい四季のあるわが国で、生まれた美しい音楽。そして三味線と言う楽器。日本人でよかったな・・・・って本当に思えるコンサートだった。コンサート後、買ったCDにサインをしてもらいました。写真撮影にも、気軽にこたえてくれて、お人柄もとっても素敵な吉田兄弟。笑顔がとっても素敵です。やっぱり、一つの事を極めている人は美しい。それも、自分のルーツである伝統を、こうやって、世界中に紹介していく若い才能ある兄弟。刺激と共に、何が大切かを見せてもらった気がした。
2005年04月06日
コメント(17)
今日は、昨日とはマタマタ打って変わった、良いお天気でした。 風はまだ少し冷たかったけど、お日様は優しく笑っていました。今週は月・火とお休みのある旦那、お天気が良かれば黙っちゃいません。以前にも、書いたけど、彼の密かな楽しみ ”ペンシルベニア州にあるトレイル全制覇”と言う目標を達成すべき、今朝も早くから、又 トレイルの載っている本を片手に ”ねえーねえ ココよさそうだよ。行ってみよう!” と行く気満々の彼であった。そして、私たちは車に乗り込んで!! 運転する事約2時間半。田舎道をドンドン行く。 山波が綺麗な道をドンドン真っ直ぐ・・・・そしてついたのが、トラフクリーク ペンシルベニア州立公園。クリークとは小川と言う意味であるが、名前の通り ついた途端に目に入った景色には綺麗な小川が流れていた。歩き初めて20分もすれば、さっきまで寒かった私の体も、ポカポカしてきて、汗をかく。雪ガ解けた地面の上には、沢山のマツボックリやらドングリが秋の残り香を感じさせる。日本にあるか分からないけど、人差し指の爪くらいの大きさの小さな小さなマツボックリが 一杯落ちていて、嬉しくなって、ポッケ一杯になるまで拾いながら・・・このマツボックリ、結構何処でも落ちているけれど、かわいくて見るたびに、拾っている私です。そうこうしながら、私たちは歩いた。30分くらい行ったら、つり橋。 其れを渡ると、其れは綺麗な滝が。レインボー フォール (虹の滝) と呼ばれるこの滝は、豊富な水と緑で一杯だった。滝の横を上がっていくと・・・そこには大きな岩。 バランスロックと呼ばれている。この写真からでは分からないけど、この岩の半分は絶壁にそそり出ている。だからバランスをとっている・・・と言う意味らしい。大きな岩。そして、私たちはドンドンと山を上がった。山々の緑が美しい。こんな景色を見ながらのハイキング。 ペンシルベニアは美しいです。 おにぎり持ってくれば良かったね!と旦那が言った場所。次回は、絶対におにぎり持参でやってきます。ココで食べたら・・おいしいだろうなー・・・・こちらのハイク、約3.5マイルほど。(5・6km)それほど歩くわけでもないのに、コレだけ楽しませてくれる公園は絶対にお勧めです。ペンシルベニアを訪れることがある方は、是非・・・ビバ ネイチャー!!
2005年04月05日
コメント(4)
わ~ん、寒いヨーー!! 今日は又雪が降ったよ。。雪。。。おまけに昨日から大風で、台風かと思うくらいの強風が、ビュービュー吹いていた。昨日の夜も、さ~て日記でもつけるかな?と思いPCを立ち上げた途端・・・プツン・・・・と情けない音がして、pcが落ち、電気が消えた。 停電でした。強風で、木が倒れ、電気が切れた。仕方なく、私は眠くない自分をだまし騙し、ベッドに行った。今日も、朝から凄い風で、とても出かけられる様子ではないので、PCでDVDに入れてもらった音楽を聴きながら、針を動かしていた。すると、突然、又あの プツンと情けない音が・・・電気も消え、またしても停電だった。お隣さんから、 ”停電だけど、家だけじゃないよね?”って言う確かめ電話が入った。アメリカでは、停電になると、生活が全く出来なくなる。ヒーターも家はガスだけど、そのヒーターを動かすのは、電気。だから、雪降る寒い日、ヒーターが止まるのは、大変に困る。水も出なくなる。 水に電気?と思うのは当然。でも、水を出すためのポンプは電気を使っている。と言う事はトイレも使えなくなる。お湯を沸かすのも全部電気だから、お茶を飲むことも出来ない。電気にスッカリ頼り切っているこの生活・・・・・・強風が吹いて、木が倒れたら、私たちの生活はストップしちゃう。夕飯を作れそうもないから、外で食べようか?と支度をしていると、ヤット電気が戻った。今回は2時間で戻ったから、早い方である。前回なんて1日待ったよ。 よかった。よかった。今夜、真っ暗の中で過ごすのかと・・・・思っていたんだ。風は修まった様子。 明日はどうぞ暖かい日になりますように・・・・・強風に雪は・・・4月にはいただけないよ~~!<おまけ>先日書いた、今年見てなくて心配していたウッドコックですが、おとつい旦那が、彼が踊っている所を確認いたしました。無事に戻ってきたようです。安心しました。それにしても、この寒さ、鳥達が大丈夫でありますように・・・
2005年04月04日
コメント(3)
今日は又、とってもいいお天気でした。ポカポカ陽気に戻って、嬉しい妖精でした。さて、私が新年に立てた抱負の一つに、語学の向上と言うものがあったのですが・・・新年も開けもう3ヶ月が過ぎ・・・何をしたかといえば・・・何もせず・・・コレではいけない!と本日、英語のテストを受けに行ってきました。って言うのも、アメリカ全土に似たような機関が在るのだと思いますが、ここ妖精の住むアダムス群は、リンゴの産地であり、その他にも農業がトテモ盛んな地域。その大変な仕事は、現在ではアメリカ人はやりません。では誰が?って・・・それは、呼び寄せられてやって来た 又は 自分からやって来たメキシコ人たちです。中には違法行為で入国している人たちも多く、 其れを支援している農家の人たち・・・・マー其れはまた別の問題なので、今回は深く追求せず・・そのメキシコ人は、英語を全く話せず生活をしている事が多い。そういう人たちや、私のように外国から来て生活をしている外国人を対象に、英語を無料で、一対一で、その人のレベルに合ったレッスンをしてもらえると言う機関がありました。ココに住み始め早3年が過ぎ、英語に困る事もなく、 其のまま日々は過ぎていた。けれど、語学と言うのは、生き物と同じで、えさを与えると、必ず成長してくれる。その代わり、サボっていると、ドンドン衰えていく。私の英語力、何の努力もなく 一定の所でストップしていると思うんだよねーーと言うわけで、もう一つ上のレベルを目指し、妖精はこちらに電話をかけて、今日のアポを取った。今日は軽いインタビューと、テストだった。電話で、”英語力の低い人には4時以上掛かるテストだけど、あなたなら1時間半くらいね”と言われたので、簡単なテストなのねって思って受けてみた・・・・が出されたテストは、1ページ目から目がテンになるほど、結構難しかった。裁判の記録が書かれていて、其れについて質問だったり、病気や経済のことなど、真剣に脳みそを使わない解けない問題ばかり。。。。簡単なテスト では全くなかった。(後から分かったのですが、レベルによって受けるテストは違っていたそうです)50分すると、”ハイ、ジャ終って”とテストの終了を告げられる・・・え? まだ全部出来てませんけど・・・”いいのよ。実力テストだから、どの程度できてるか見るだけだから・・・”全部って言うか半分位しか終ってなかったのに・・・いいのか?こんなアバウトで・・その後、凄い古びたテープレコーダーを持ち出し、ヒアリングのテストが続いた。こちらは25問で、全部楽らくだった・・・・でも、集中力が欠けてしまい、3問落としたな・・・って思う。長い文、覚えて入れなくて、質問来たとき・・・え??なんだっけ? まーいいか、この答えにしておこって言うのが3問あった。。。ってことは1割以上落としてるってことじゃないか~~!情けない。。。このテストで、機関のほうが、私に合ったテューター(家庭教師?)を見つけてくれて、その人が私にかけている部分を伸ばしてくれるレッスンをしてくれるのだそう。その先生が見つかるまで、1週間くらいなんだって・・・・さてさて、英語を磨いて、スキルアップできたら、又別の目標を達成するぞ。まだ今はその前の段階だけど。。。。頑張ります!帰ってきたら、久々に使った脳が疲れて、へとへと・・・・お昼ねしたら、起きたら9時過ぎ。。。まだ夕飯も作ってないヨーーと言うわけで、皆さんの日記訪問は明日になってしまうと思います。すみません。英語やるより、ご飯食べろって感じですが・・・・はは。。。では皆さん。Thanks for reading and have a nice day!!
2005年04月02日
コメント(8)
今日は又寒さが戻って来ちゃったペンシルベニア。 温度は5度まで落ちて、曇り空からは、もう直ぐ雨が落ちてくる。でもでも、 春の勢いはそんなものじゃないはず。雨が降ったら、又気持ちの良い春晴れが見られると・・・待っている。こんなに温度さがあるこの土地だけど、春を待って、帰って来た渡り鳥たちが森の中で歌を歌っているのが聞こえる。昨日は、気持ちの良い夕方で、旦那と私は、バトルフィールドにドライブに出かけた。 綺麗な夕焼けに広いフィールドが綺麗だった。旦那が急に車を止めて、”いた、いた”と嬉しそう。見てみると、そこには、渡り鳥の中の一つである、ウッドコックと言う鳥が春恒例の愛のダンスを披露していた。このウッドコック、手のひらくらいの小さい鳥。 長いクチバシ。一寸こっけいな、でも可愛い、愛嬌一杯の姿。この鳥が、南から戻って直ぐに、雌鳥に、”見てみて! 僕のこと好きになって!”そういうメッセージをこめて、とっても素敵な愛のダンスを見せてくれる。始めてみたのは、おととし。余りの可愛いダンスに、私も息するのも忘れて、見入ったことを覚えている。彼らは、ある程度の開けた場所を選び、そこを自分のダンスの場所と決める。するとそこに毎年帰ってきて、同じ場所でダンスをするらしい。その少し開けた地(平地)で、まずは、歌を歌う。その歌も、ぴーぴーみたいな鳥らしい声では全くなく、 ♪ジージージージー♪と低くて太い音を出す。 ミミズが出す音って知っていたら、それに近い音。それか蝉が死んじゃうとき、余りの苦しさにジージー言っているときがある・・・その音にも近いかも。そんな奇妙な歌を、1-2分歌う。 全く動かないで、その平地の真ん中で、じっとして、ジージー ジージー って。そして、急に、本当に急に、飛び立つ。飛び立って、空で円を描きながら、猛烈な勢いで飛ぶ。その時は歌は歌わない。。。でも猛烈な勢いで飛ぶために、羽から音がでる。その音がまるで、雀のチュンチュンって言うような音が出る。初め、彼が歌っているのかと思ったけれど、後からそれは羽の音だと教えてもらった。ぐる~~~~~~っと大きな円を何回か描いて 素早く飛んだら、又平地の真ん中に戻って、何事もなかったように、ジージーと始める。そして、又チュンチュンって音をさせながら、円を描く。。。夕暮れからそのダンスは始まり、日没まで、踊り続ける。彼らは、自分の場所に毎年戻って、そこで雌に気に入ってもらえるように、自分の子孫を残せるように・・・・夢中で踊っている。けれど、全ての鳥が雌を見つけられるわけではないそうで、可愛そうな鳥は、一生歌い続け、踊り続けても・・・雌に出会えないと言う事も沢山あるそうだ。この森の横にある山の中の一つに、毎年このウッドコックがダンスをしている場所がある。旦那が発見し、毎年楽しみにしていたけど、今年はまだ彼の姿を見ていない。どうぞ、彼が無事でありますように・・・・そう祈らずにはいられない私たち。ウッドコックは、アメリカ東海岸 ミシシッピー川東より上はメイン州まで、春のみ限定で見られます。愛の踊りを見られる 私はラッキーだね。寒い寒いって文句ばっかり言うのはやめようっと・・・・
2005年03月31日
コメント(4)
今日は打って変わって、暖かい一日だった。温度も15度も行って、風はまだ少し冷たいけど、お日様の中に入れば、春だーーって叫びたくなっちゃうような、嬉しい日でした。旦那の毎日行く、夕方のお散歩も、今日は参加してみた。今までは、寒さに負けて、「外になんて出たくなーい」って・・・全然、森の中に出て行かなかった。だから、凄い久しぶりのお散歩・・・・・バーケンスタック(日本語ではビルケン)のいつも履いてるサンダルで行こうとする私に旦那が”道が凄いぬかるんでるから、チャントしたハイキングブーツはいて行ったほうがいいよ”と言うわけで、滅茶苦茶久しぶりに、ハイキングブーツまで履いて、私たちは散歩に出かけた。言われたように、道はぐちゃぐちゃ。昨日までの雨でって言う事もあるけれど、 まだ森の木々が起きていないので、水を飲んでいない。 だから、雨が降ったりして、水がいつもよりも森に多く集まると、それが余っちゃう。春になって、木々が起き出すと、小川の水かさもグンと減る。そして、大雨の後ですら、道もこんなにぐちゃぐちゃになることはない。私たちは、今日は少し森抜けて、広場みたいになっている場所へ行ってみた。そこには、小さな池があって、その周りには、大きな水溜りもあり、そこで色んな生物が小さな命を育んでいる。暖かくなったことを喜んで、色んな生き物が、起きていた。小さなサンショウウオみたいな ニュートと呼ばれる 生物。池の中で子孫を増やすべく、雄が雌を探して、元気に池の中で泳いでいた。ピーピーと大きな声が聞こえる。コレはスプリングピーパーと呼ばれる、小さなカエル。親指の爪くらいの大きさの茶色い、とっても可愛いカエル。15度以上にならないと起きない スプリングピーパー。今日初めて、目を覚ましたみたい。彼らの ピーピーって声を聞くと、春だなーって感じがする。そーっと側によってみた・・・・・普段なら、振動で恐れ、彼らは鳴くのをやめる。でも今日は起き立てで、合唱カーニバル。ヤッパリ、雌を探して彼らは、声を張り上げる。。。だから、私たちが側に行っても、彼らの合唱は途切れる事なく春の歌を歌い続けていた。近くでいると、大きな音にビックリするくらい。そうして、素敵な相手を見つけると、彼らは、水溜りに沢山の卵を産み付ける。命の始まる春。悲しいニュースも沢山あるけれど、 今日はこの始まりをお祝いしよう。HAPPY SPRING!! 春よ、おめでとう!!この暖かい日々は、今週一杯続くそうです。
2005年03月30日
コメント(8)
旦那も段々と調子が良くなり・・・そうすると、ジッとしていられない人。どっか行きたい!病が今度は発生し、 大雨の中、ダッチカントリーへ行って来ました。大雨も大雨。 ワイパー利かないんじゃない? 位の凄い土砂降りの中、ユックリ運転してダッチカントリーへ。。。。バケツを ひっくり返した様な大雨だったのに、 いつも以上に 馬車が道を走っている。ひっきりなしに、次から次へと、馬車が行ったり来たりしている。スーパーマーケットに入ってみると、そこには、今まで見たことも無い大勢のアーミッシュの人々が買い物をしている。(ダッチカントリーは、ここら辺に比べてお値段も半分くらいで、新鮮な美味しい地元農家によって作られた野菜が買えるので、行くときは必ず寄って野菜を買い込みます)老若男女、 凄い人数の アーミッシュ、ミニナイ(アーミッシュの枝分かれの宗派で、女性はボンネットをかぶり、洋服はアーミッシュに比べると明るい色物を着ているが、スタイルは似ている) の人々が買い物をしている・・・なんだろう?? 私と旦那の頭の中には大きなハテナマーク?が・・・・・”どっかで読んだけど、確かアーミッシュの人たちは、イースターを2日祝うって書いてあった。だから、教会の帰りなのか、それとも何かお祝い事でどこかに行くついでか??”と 旦那が言っていたが、 真相は分からないまま・・・大雨だったけど、ユックリとパカパカと走る馬車に混じって、広がる台地を見て。。。。ふうーっと大きく深呼吸してきました。
2005年03月29日
コメント(6)
コレだけ世界が注目しているニュースが、日本で起こっていたのに、日本では わりと認知度が低いようで・・・・世界のチェスチャンピオンのボビーフィッシャー。私は将棋ですら、余り興味が無く、ましてやチェスなどとは、ルールも知らないし、チャンピオンが誰だろうが、全然知らなかった。けれどもボビーと言うチャンピオンは、映画が出来てしまうくらい、チェス界では大御所中の大御所らしい。そんなボビーさん、ボスニアの紛争の間に開かれた、ユーゴスラビアでのチェスの試合に参加し、大金を賞品として受け取った。アメリカ政府は、当時ユーゴスラビアに対し、アメリカ人の経済活動を禁止していた。そんな中での勝利で、賞金。 彼はアメリカから起訴された。そして彼は、行方をくらます。 (その前からくらましていたらしいですが、私は良くわかりません)そして、去年の7月、そのボビーさん、日本に入国。空港にて、拘束。アメリカは、即ボビーさんを引き渡すように日本に言い渡し、日本側としても、強制送還をして、アメリカに引き渡したい所みたいだったけれど・・・それに対して、ボビーさんは、日本に対して訴訟を起こした。アメリカからは、ボビーさんを渡せと詰め寄られ、 ボビーさんからは、裁判沙汰を受け・・・日本は板ばさみ。 まさに大ピンチ!!!! と言うより、面倒が又一つふえちゃったよ~みたいな状況だったんだと思う。そして、いよいよ手に負えなくなった日本は、 世界のほかの国に 問いた。”どなたか、ボビーサンを請け負ってくださる国ありませんか?”アイスランドが手を挙げ、 彼は昨日、成田空港より、アイスランドに飛んだ。日本のチェス界の女性と婚約しているらしく、一緒に行ったらしい。ボビーさん、日本を去る際の言動が痛快なのであった。ズボンのチャックを下ろし、”小泉とブッシュは戦争犯罪者だ。 処刑すべきだ”と小泉とブッシュに対してコメント。小泉は戦争犯罪者とは思わないけど、でも処刑されても仕方ないなーって思ってるので、彼の発言には、ブラボーと拍手を送った。ブッシュについても書きたいことは一杯あるけれど、それより、わが国日本の首相さん。彼のしている政策は、ドレも国民泣かせ。 弱い国民から金を搾り出させて、 年寄りや弱気立場に対して厳しい世の中を作ってくれている。郵便局の民営化・・・・そんな意味のない政策に目をつり上げ、中国や韓国にはやりたい放題され、それでも何も言えない彼。”話し合いで” って・・・・具体的なことは全く言えない首相。それでも、まだ支持率が6割近いって言うから・・・・わからない。そういう首相に対して、処刑されるべき!なーんて、言ってくれて、一寸すっきりいたしました。本当は、国際的な問題で、こんな事で書くなんて失礼なですが・・・・よく言ってくれました。 ボビーさん。アイスランドで、市民権を取ったら、ユックリとお過ごし下さいね。
2005年03月26日
コメント(6)
春の匂いが空気に乗ってきています・・・そう、そこまで。もう、そこまできていますね。日本では花粉で大変な様子。 こちらは、寒くて花粉は、マダマダ準備の段階の様です。日中の外温5度。 私的にはマダマダ冬。けれど、住民達にとっては、春が来た!!もうすでに、夏と勘違いした薄着で外を歩く人々を、私は驚異の目で見ている。半そでのTシャツで歩く温度では、決して無い。うーん。わからない。そんな中、旦那は私の風邪菌をうつされ、カナリしんどい状態。うつした私は、もうすっきり~!鼻歌も出ちゃうゴキゲン。熱が出て、食欲も落ち、筋肉の痛み、悪寒・・・・ と最悪の旦那。けれど、コーポレーションではない団体で働く旦那には、旦那の仕事を代わって代講できる人材がいない。彼への依頼のスピーチやら、エコツアーなど、彼しか出来ない。だから、熱があろうが、しんどかろうが、予定が入っていたら、こちらからはキャンセルが出来ない。しんどい体を押して、彼は、働いております。そんな旦那の姿を見て、”えらいなあーー”と呑気に思う、妻、妖精。今日は1時間くらい行った所に出張に出かけていた。つらそう。熱を測った。。。。℃でみたら、8度一寸。”まだあるなーーー” と私が言うのと同時に”熱あんまり無いじゃん” と彼が言った。白人の平均気温は、私たちアジア人より、カナリ高いみたい。以前私が高熱が出て、医者に行って ”熱が高くてしんどいんです”涙目に訴えたけれど、その時、8度4分だった私の体温計を見て、”平均気温より、少し高いだけだから、大丈夫”と薬も出してくれなかった医者を思い出す。コノ温度差があるから、コノ寒い中、半そででも平気なのか?私は気になって仕方が無い。誰か知っている方いましたら、教えてください!! ここで一句春といえ 5度じゃ 冬だよ 静岡じゃ 失礼しました~!
2005年03月25日
コメント(10)
妖精、PAの寒さにうっかり風邪にかかり・・・体調を崩しておりました。ずっとダラダラした日々を送っていたのですが、やっとここ2-3日、人間らしい生活をする事が出来るようになりました!!皆さんもお風邪には、十分お気をつけ下さい。気分が良くなり・・・今日は旦那ちゃんと、映画に行ってきました。コーラスというタイトルの、フランス映画。問題児を扱う学校に就職をする音楽教師。合唱をを子供達にさせていくことで、子供達との心も解け合い子供達の生活にも、光をともす。お話はそんな感じだったけれど、本当に美しい映画だった。歌って、本当に人の心に響くんだなあ・・・・と天使の声のような、子供達の合唱のシーン。心にぐっと来て、涙が止まらなかった。ハリウッド映画のように、お金を沢山かけて有名な俳優を沢山使って、特殊効果があるわけでもない。素朴な映画。その分、もっと心に深く刻まれた。美しい、芸術作品だった。心が洗われた。見る機会があったら、是非。 本当にお勧めです。皆さんへのお返事は、又おって書かせていただきます。本日は、自分の日記のみで失礼します。又これからもう少し、ボチボチ日記書いていきますね。
2005年03月21日
コメント(6)
お久しぶりです。温かな心もほのぼの静岡から、雪積もるペンシルベニアに戻ってまいりました。日本での遊びすぎで、極度に疲れていたことと・・・(寝不足がカナリ続いた)温度差の攻撃に・・・まんまと風邪にかかってしまいました。凄い咳に悩まされ、明日、医者に会いに行く予約を入れさせられました。日本の一ヶ月のお里帰りは、あっという間でした。温泉にも3回も連れて行ってもらったし、美味しいすき焼きも、好物と言うもの全て、全部食べさせてもらった。友達との再会も、涙が出ちゃうほど嬉しくて、ああ・・・こんなに楽しい日々だったら、帰りたくないなあ・・・・と思ってしまったことも事実。でも、旦那は待っていましたよ。 飛行機に乗る日の電話で ”驚かせることあるよ”って言ってたから、”なんだろう?”って思っていたら・・・日本に帰る前に、雑貨やで見つけた、アイロンとモザイクのテーブルと椅子のセットとアンティーク屋で欲しがっていた、一個の椅子が、これまた私が”こうやって置いたら部屋が素敵になるよね”って言っていた通りに飾られていたんです。嬉しくなりました。 そして、今日外を見てみると・・・雪の中から赤いものがちらり・・・・”あれ何??”と聞くと、”雪が溶けたときのお楽しみ””それまで待てないよ!!” と風邪の体に鞭打って、外に出てみた。雪をかきかきしてみると・・・・そこには。。。。小人のお爺さんの置物がチョコンと置かれていました。これも彼からのサプライズ。 カナリ歓迎されてる様子に私は、嬉しくなりました。ただね、タマが、怒ってる。一ヶ月も放っておいた事に対して怒ってる。それで今無視するんだーーー!!まあーそのうち直ると思うけどね・・・・と・・・・喜び報告はココまで。後はセントレア空港について、一言書かせてもらいます。私の感想は、”あれじゃ目的意識が全然分からない、旅行者には使いにくい最低の空港”私が空港を使ったのは、ピーク時を過ぎた時間で、渋滞にも巻き込まれなかったものの、新聞によると、60%の飛行機がオープン時には出発が遅くなったのだそう。それも、全て、買い物客のために。風呂に入りに来た客のために。アミューズメント性を持った空港を とふざけた案で出来上がった空港らしいけど、 それだったら、別の場所にアミューズメントの場所は作って欲しい。空港の目的は、飛行機の使用者が、いかに便利に快適に旅が出来るかって言う事だ。それを、買い物を目的に来る人々と、大きなスーツケースを持った人々が、一つの場所でごちゃごちゃになっている空港なんて、使いにくくて仕方がない。私は、飛行機に乗る前、母と一緒に簡単な何かを食べたかった。それが、横丁と名打った、レストラン街?は、どのレストランも長蛇の列。待っていたら、飛行機に乗れなくなるところだ。だったら、雑誌を買って持っていこうと思い、本屋を探すが、物凄い人ごみで私の荷物が邪魔をして(勿論チェックインした後ですが、まだ持ち込みようの荷物があったので)、人ごみを抜けていく事が出来ずに断念。本当にそのくらい凄い人だかりだった。のどが渇いて、からからで・・・だったら自販機を探そうと・・・見つからない。凄い人で、自販機は何処にあるのか分からない。諦めて、出国する事にした。母と一緒に出国の前の セキュリティーの前まで行く途中で廊下の奥、くぼんだ場所に一つ、自販機を発見。そこでお茶を買って飲んだ。お茶一つ買うのですら大変な空港だった。おまけに、空港使用料が2500円になった。名古屋空港では、750円だった。今回、私のチケットは旧名古屋空港での離発着で買っていた。だから、チケットを買った際に、その750円も払っていた。なのに、あちらの勝手でセントレアに回されて、おまけに2500円の空港使用料も請求された。(750円との差額)”クレジットカードでも良いですか?”との問いに、”現金のみです”との返事。私は、日本円、最後3000円しか持っていなくて、きりきり払うことが出来た。それならそうと、モット早くに教えて欲しかった。 知らせるべきだと思う。日本人、沢山現金持っているから良いと思うけど、アメリカ人、現金持って歩いていませんよ。 (って私がもたな過ぎだと思うけど)兎に角、空港とは、旅行者が快適に安全に、飛行機を使用できることを、イチバンに考えるべきである。安全面だって、あれじゃあ、怪しいものだと思う。買い物客装って、何か危ないもの持っていたって、誰も分からない。なにかが起きても、全くおかしくない環境だと思う。セキュリティーの人たちもいなかった。アミューズメント性と合体させるなんて、馬鹿もいい加減にして欲しい。どうしてもそうしたいなら、入り口を変えるとか、旅行客しか使えない道を作るべきだ。コレが私の感想。イキナリ辛口の日記でスタートしてしまいました、妖精の日記ですが・・・又ボチボチ書き綴っていきます。宜しくお願いします。≪メールマガジン紹介のお知らせ≫楽天でお友達のよしさんが、読者1000部を目指す幸せなメルマガ発行者さんになる為のメールマガジンを創刊しました。実際に、無料で発行部数1330部を集めたメルマガ読者を持つよしさんのノウハウですので、無料で部数を集めたい人には有効なメルマガとなると思います。メールマガジン発行に興味がある方は、是非とも、登録しましょう。「メルマガ読者増75倍☆必見の相互紹介と発行ノウハウ」登録はこちらから⇒ http://www.mag2.com/m/0000148940.htm
2005年03月09日
コメント(7)
おっと、もう夜中の2時過ぎだ。寝ないと!!でも、pcの前に座れるのって、こーんな遅い時間になってしまいガチ。楽しい日本の滞在、色々やることあって、本とにPCの前に座っている時間がなかなか取れない!と言う訳で、日記もこんな遅くに書いているわけです。私は、アメリカにいる頃から何となく感じていた。ジーンズがきついなあ・・・・とかTシャツを着ている腕の太さが全然違う・・・とかブーツ履いた時の足が違う・・・とかでも全然気づいていなかった。10kgも太っていた事を!そうなんです。私は、10kgも太っていました。それも去年の秋から、この短い期間で・・・・病的な太り方に,私もびっくり。でも、人間ドックに入って,健康チェックもした。胃カメラも飲んだ。健康 きわまり無い体。 お花〇。だから、病気で太ったわけじゃない。でも・・・・・デブになっちゃった。それなのに、今迄気づかなかった,私も大馬鹿だ。回りが大きくて、皆から”小さいね,小さいね”と言われていたから、 もう全く、全然、デブだなんて・・・・思ってもいなかったんだ。でも、今の私は紛れも無く、デブだ。日本に帰ってからも,毎日,お腹一杯、大好物が出され、私の大好きな、ストロベリー関係の生菓子やら、和菓子やら焼き芋やら・・・・・を一日中,口に入れご飯も、カロりーなんて全く気にせず、 今しか食べれない!!何て脅迫観念に負け、食べたいものを,お腹一杯食べさせてもらっている。毎日、盆と正月が一緒に来た様な、贅沢な日々を暮らさせてもらっている。だから、もっと余計に太った。持ってきたジーンズの・・・・ボタンが閉じれない。人生で一番のデブになってしまいました。あああああ・・・・・・・・けれど、日本にいる間は,食べます。もっとデブになります。恥ずかしいけど,みっともないです。でも、美味しいものは食べれなくなるアメリカに帰るまで私は毎日食べます。こんなみっともない、食いしん坊の私を許してください。《アメリカに戻ったら、絶対に沢山沢山エクササイズして、カロりー計算もして、元に戻します。絶対に!!!)デブと言えば、妖精。妖精といえばデブ。これが今の私の合言葉。
2005年02月15日
コメント(6)
皆さん、お久しぶりでございます。妖精,楽しく日本の滞在を、大満喫しております。美味しいご馳走を毎日,お腹一杯に食べさせてもらい、温泉に連れて行ってもらい、沢山の友達と再会し、本当に本当に、私の帰りを皆がお祝いしてくれている様に,毎日、とてもとても充実した、夢の様な楽しい日々を過ごしています。よしサンのレスにもありましたが、日本の政治や色んな事、頭に来ちゃう事は一杯ですが、とりあえず1ヶ月のお里帰りですと、そんな事はメをつぶって,楽しい楽しいお時間だけが、流れていくものでありまする。帰国すると、本当に家族の愛や、友達の友情を,ひしひしと感じます。遠くから会いに来てくれた友達に、とても感謝しているし、私との時間を本当に大切に思ってくれている,親や友達にも、本当に涙が出るほど、ありがたいと思っています。色々イベント続きの妖精ですが、今回の連休,名古屋に行って来ました。大学時代の友達が集まってくれたので、元気な顔を見せに行って来ました。卒業して,もう何十年? 数えて本人達が、一番びっくりしていますが、そのくらいずっと前からのお友達。不思議な物で、その頃何時も遊んでいた友達とは、会えば直ぐ、その頃の気持ち、その頃の自分達が、無条件で戻って来る。だからそれぞれに違う人生を歩いていても、会っている間は,その時と同じ,昔の私達に戻る。その頃の思いで話しで、大笑いして自分達のルーツを再確認したりする。本当に友達って、すごい。人生って、友達がいるから、楽しい。前回,デイビットたちと会った時にも同じような気持ちになったけど、本当に,本とに友達に感謝です。私の帰省も、おり返し地点に来てしまいました。でもまた半分あります。アメリカに帰った時、旦那ちゃんに沢山の楽しいお話が出きる様に、一日一日を大切に過ごしていきたいと思っています。これから会う,お友達たちも,楽しみです!お世話になった,お友達たち、本当にありがとう。妖精は、本当に幸せ者です。とりあえず、元気報告でした。(久し振りの日記なのに、ぼんくら日記になってしまい、すみません。前回の日記のコメントのレス、次回書きます。今日は日記のみで失礼しますが、ごめんなさい!)PS日本は相変わらず,温かいです!! マフラー,手袋,全く必要ありません!!
2005年02月13日
コメント(10)
昨日の夜、無事に日本に到着しました。日本には大寒波が、私と一緒に到来し、静岡ですら,雪が降る昨日、今日。私が空港に着いたときは、名古屋には雪がすごい降っていて、目が明けられないくらいでした。でも、空気が暖かい。あの,針で刺すみたいな,寒さが無い。手袋もマフラーもしなくても平気なほど、私も成長いたしました。PAに感謝かしら?ある意味。無事に着きましたが、本当に色々あった旅でした。私のフライトは、朝の9時半だったので、朝しっかり時間をとり、旦那に送ってもらい空港へ向かった。アメリカから飛ぶ飛行機は、ドメスティック《国内線)なので,1時間前に空港につけば良いので、朝7時半に家を出た。空港につくと、空港が真っ暗だった。何時も車を止める駐車場も、閉鎖されていた。雪で? なんで_??と一寸仰天。そこには,全くの説明も無く、空港閉鎖と書かれた紙が張ってあるだけで、理由を知ることもない。少し先に行くと、新しくなった 空港が開いていた事に気づく。旦那が、前から空港の工事をしているのは知っていたけど、なんの前触れも無く,サインも無く、空港移動をするなんて・・・・と怒りだした。その移動は、私達の推測では、その日に始まったのか、それともその前日に始まったのか、兎に角、まだ移動して間も無いという事が一目両全だった。 中はまだ、インテリアの工事をしていたし、行き先を告げるサインが一切無かった。ここが新しいターミナルだと言う事は分かったが、困ったのが駐車場。 乗客を降ろす為にその間車を止めるスペースはあるのだが、見送りをするために駐車するパーキングが見つからなかった。私達は相当グルグル回って、やっとの思いで、止まっていたポリスに駐車場を聞いた。私は、チェックインをする所で降ろしてもらい,彼が駐車している間に、カウンターへ行った。一時間は切っていたけど、ドメスティックだったので、問題無く,チェックインを済ませ、旦那と涙のお別れをして(私は大丈夫だったんだけど、旦那は泣いてました..可愛そうでした。本とに・・・・)、ゲートまで行く。ボーディングが始まり、私は飛行機に乗りこもうとした途端,呼びとめられる。”貴方の荷物が、まだ飛行機に到着していないから、乗せて上げられない。荷物が来るまで待っていて”と冷たく言われ、私は座って待っていた。最期の客になり、一人で椅子に座って、暫く雑誌を読んでいたけど、まだ名前は呼ばれない。 やっとのことで呼ばれたが、”荷物がまだ来ないから、(チェックインしたカウンターから)貴方,今回フライトできないわ。 カウンターに行って、別便をとり直して”と言い残し,彼女達は 私の乗るはずだった飛行機にのって、行ってしまった。。。。あらら・・・・仕方ないので、言われたとおりに、カウンターに行って,チェックインし直し。運良くもう一便、乗り換えする飛行機に間に合うのがあるということで、私はそこでひたすら待った。ただ気になったのが、乗り換えの時間が30分しかないと言う事。デトロイト空港は、移動が結構長く 《面白いトンネルみたいな道を行きます)走っていかないと行けなかった。4時間半待って、やっと飛行機に乗り、デトロイトについた途端、私は矢のように走った。もう何回も使っている空港なので、地図をみなくても、次に何処に行ったら良いかは知っていた。でも、遠いのである。 ひたすら走った。ぜーぜー言いながら、そのコンコースに到着すると、”〇〇便をご利用のお客様、最終アナウンスです。搭乗口に至急お越し下さい”と言うアナウンスが聞こえる。 げげげ!! 私は,スクリーンで搭乗ゲートを探し(ゲートは毎回変わります)又走った.走った.走った。ぜーぜーどころではなく、もう死にそうなくらい・・・・頑張った。マラソン大会よりも頑張った。ゲートに到着すると、私はどうやら、最後の乗客らしく、係員が待ち構えていた。そして、”YOU MADE IT!”《乗れたのね)と嬉しそうにコメントをくれた。”ぜーぜーはーはー”言いながら,私は飛行機に乗り込む。暫くして、ラジオを聞こうと・・・・ヘッドフォンを耳につける。音がしない。 ガチャガチャ色々やってみたが、番組を変更する事も、何も出来ない様子。ラジオがこわれていた。すぐさま,そこを通ったスチュワーデスに、その旨を告げる。すると、席移動を進められ、私は彼女の引率に従い,席を代わった。その席は、非常口の直ぐ横で、スチュワーデスが座る椅子が、向かえにある、ちょっとスペースが普通よりずっととってある席だった。ラッキーと嬉しく思った私・・・・横には、坊主頭のがたいの大きな、オヤジアメリカ人と、まだ若いとっても気の強そうな小柄な日本人のカップルが座っていた。私はすぐさま、笑顔で挨拶。じろじろと人を見る旦那、全く無視。奥さんは、普通に応えてくれた。食事の時間がやってきた。私はベジタリアン用のお食事を頼んであるので、皆の食事が回ってくるよりも,早く食事が貰える。さっき話したステュワーデスとは別のスッチーが、私の前座っていた座席に、食事を運んでいる姿を見たので、私は,彼女の所に行き、もしもそれは私用のものかを聞きに行った。彼女は、かなりイラついた様子で、”席を替わるなら,言わなければいけないし、荷物もはみ出ている”とすごいきつい言い方をして、私にその食事を渡した。ラジオが壊れていたから・・・・と言いかけたが,彼女は、聞く耳なしと言った様子で、背中を向ける。悲しい気持ちデ,席につくと・・・・そのデブオヤジアメリカ人が,じろじろと私を見てきた。目があったので、笑いかけるが、オヤジ,全くの無視。ますますイヤな気持ちになった。寂しい気持ちだったけど、ご飯も無事に食べ終わり、映画が始まった。CAT WOMAN. 旦那と一緒だったら絶対,見ないような映画だったので、とっても嬉しくて夢中で見ていた・・・・映画半ば。 私の前で、一人の男性が倒れる。めまいかなんかで,立ちくらみをした様だ。そこで、沢山のスッチーが、彼をその,スッチー用の席に寝かしつけた。それを見た途端、横の奥さんが,立ち上がり、その男性に近寄った。”私は看護婦ですから,お助け致しましょう”と言い,彼女は脈拍を測ったり、スッチーの持ってきた機械で血圧を測ったり、滅茶苦茶その場をしきっていた。その横では、そのデブオヤジも立ち上がり、彼女の横で色々と見守っている。”機内にドクターがいらしたら、来てください。病人が出ました”とアナウンスをいれると、ドクターが4人も名乗りでた。そして、ドクターたちは、彼に点滴をやったり、アスピリンを飲ませたりと,色んな事をしていた。その間、そのカップルは、シャカリキに動き、又その場をしきりたがっているのが、良く分かった。私は、邪魔になってはいけないので、その席から動きたいと思っていたのだが、そのオヤジが私の直ぐ前に立ち,身動きが全然取れなかった。前も見えないし、直ぐ目の前には、オヤジのお尻だし・・・私もお手伝いできるのならしたかったけれど,全く何も出来ないと分かっていた。それならせめて、その場所を去り、ドクター達にもう少し多くのスペースを与えて上げたいと思い、オヤジが少し動いた隙に,その席を立ち、元の席に戻った。それからは、良いフライトだった。隣のフィリピン人の奥さんも優しくて、気持ち良く時間を過ごせた。そして、私達を乗せた、便は13時間半のフライトの後,無事に日本に到着したのでした。いつもよりも、もっと色んなアクシデントが続き、なんだか何時もよりも疲れちゃった感じですが・・・・日本に無事つき、お風呂に入り,美味しいご飯を食べて・・・・幸せ.幸せ。明日から、計画が入りまくっております。月中まで、ノンストップでイベントが続きます。楽しい日本滞在は、体力勝負。又次回の日記でお会いしましょう。日記が長くなってしまいました・・・・ごめんなさい。妖精,楽しくやってますよ!!
2005年02月02日
コメント(14)
外では氷点下の日々が続きます。冷蔵庫のほうが暖かい、マイナス15度から20度の世界です。2月になるともっと寒くなるという天気予報。そんな寒い中、妖精は温暖な日本、お茶の美味しい静岡県にお里帰りいたします。旦那ちゃんがチケットを安く買ってくれたので、こんかいは単身で、独身気分で帰りますう!一年ぶりの日本ですが、親も友達も楽しみにしてくれてるみたい。温泉に連れて行くとか、かにを食べさせるとか親は大盛り上がり。日本中ばらばらに住んでいる友達も、これを機に集まろうって盛り上がってくれてるらしく・・・勿論、地元の友達とも久々に顔が見れることも嬉しいし、凄い凄い楽しみです。あと3日です。アメリカ時間1月31日に こちらを発ちます。そして、3月2日に戻ってきます。まだ何にも用意していません。 ずーと座って、物作りなんかしちゃってます。この呑気な私・・・とてもコレから日本に行く人とは思えないよ・・・というわけで、コレから用意を初め、日本に飛んで、それからは大忙しの毎日になると思います。日記のほう、益々 書き込み率が低下しちゃうと思うけど、皆、わすれないでね~!!残される旦那ちゃんは、帰ってきなって自分から言ったのに、寂しくて、涙だしてます。”一ヶ月もいないなんて、さみしいよ~・・・でも両親も、友達も会えるのを楽しみにしてくれてるみたいだから、我慢するよ。強くなるよ。”と涙を流しながら言っている・・・・それを見ると、かわいそうになる。でも妖精はいく。行っちゃうぞ~!ちなみにね、よしさん、デトロイトで4時間半もあるんだ。よしさんの家に遊びに行っちゃいたい気分だよ~~本とに。 お知らせでした。
2005年01月28日
コメント(18)
遠くまで見渡せるアーミッシュ農場。 こんなに積もりました。今日は旦那ちゃんのお誕生日。 派手なパーティなどが嫌いな彼は、二人でユックリ過ごしたいというリクエストを頂きましたので、本日は 二人で”おめでとう”の一日を過ごします。朝ご飯は彼が作ってくれ、そのあと、雪の中 森のお散歩に出かけました。今彼は、又お昼ご飯を作ってくれています。 お誕生日だから私やるよ~!って言いましたが、それでも作る!と言うので、お言葉に甘えて私はその間に日記を書いておりまする。お誕生日おめでとう。旦那ちゃん~!昨日の夜、遅くに私たちは、旦那の休日最後の旅から帰って来た。行った場所は、私たちの大好きな、ダッチカントリー、ランケスター。沢山のアーミッシュが住む地域だ。 (前の日記にも書いたので、同じようなことを書いていたらすみません)今この雪の中、何処に行ってもオフシーズンで、観光客なんて全然いない。 観光客相手のお店やレストランも全部閉まっている。だから、本当に静かなユックリした時を過ごす事が出来ました。アーミッシュ。現代文明を取り入れず、いまだにシンプルな生活をしている人々。当時1700年代のドイツは、プロテスタント以外を信じる者は、皆命を落としていた。(同じジーザス=キリストを信じているのに、おかしいなあ~って思うのは私だけかしら?キリスト教って、ほんとに、不可思議です)そんな中、彼らはドイツから アメリカ に信仰の自由を求めてやってきた。色んな土地を其々が選び、アメリカ国内に散らばったが、ここペンシルベニア州 ランケスターは、土地が肥えているということと、気候がドイツに似ているということから、沢山のアーミッシュの人たちが そこに地を構えた。信仰の自由を求めてやってきた彼らは、今現在もその信仰を大切に守っている。彼らにとって、宗教が生活の全て。けれども、その生活はシンプルで美しい。車や電気などを取り入れない生活は、誰もが知っているけれど、それは、宗教を守るからではなく、彼らの住んでいるコミュニティー(ご近所)を守るために、そうしているのだということを知った。馬車でいける距離は知れているが、車があれば、遠くまで行ける。そうすれば、遠くにあるお店やさんから色々、もっと安いものを買い込んで、近くにあるお店屋さんから買わなくなったりする。 車があったら、遠くにドライブに出かけられるようになり、人々は別の土地に住みたくなるかもしれない。電気があれば、テレビやラジオを生活に取り入れることも可能になる。そうしたら、知らなかった世界が分かるようになり、それがコミュニティーを破壊する要因になるかもしれない。そういう コミュニティーを守るという理由から彼らは 古い当時のままの生活を 守っている。以外に知られていないのが、 アーミッシュの枝分かれのミニナイの存在。彼らも又同じように、コミュニティーを守るべく、現代文化を、全て取り入れてはいない。しかし、アーミッシュほど厳しい規則がなく、車を運転するものもいるし、(色はクロで、光るものは厳禁)電気も生活に取り入れているものもいる。同じように、頭にはボンネットをかぶり、エプロンドレスのような服装でいるが、生地には模様が入っているものをきる事もできる。(アーミッシュは無地のみ)男性の中には、普通の洋服を着る者も沢山いる。私も最初、来たばかりのころは、区別が付けられなくて、全員アーミッシュだと思い込んでいた。信じるところは同じでも、そこから枝分かれが始まり生活の中に取り入れるものも、全てそのコミュニティーによって違ってくる。夜になると、ランプの灯がともる アーミッシュの家。私たちは、雪の中、散歩をしてみた。遠くまで広がる農場に雪が深く積もり家族が団欒する一つの部屋から、ランプの灯が暖かく映って見えた。家族の絆も重んじる彼らの家からは、暖かい空気が流れていた。農場の中にぽつんとある家からは、ソレホドの光ももれず私と旦那は”まるでシベリアかどっかに来たみたいだな”なんて言いながら、真っ直ぐの白い道をドンドン行った。今、物や情報が溢れすぎているこの世の中。何が一番大切なのかが 見えにくくなっているような気がしてならない。何を信じて、なにを求めて行ったらいいのか 分からず、物を得ることによって、幸せを感じようとしている。物質的な幸せしか分からない・・・そんな人たちが増えているような気もする。与えすぎられている世界の私たち。彼らのシンプルな生活が、ある意味、とても うらやましく感じた。
2005年01月26日
コメント(8)
♪ゆ~きやこんこん♪積もりましたねえ~! 雪。雪。雪。サラサラのパウダースノー。 キラキラ光る スノークリスタルが雪の上一面で・・・・外はまるで絵画の世界。お家にいるには、素敵な雪 でしたが、 外出しているのには、大変に危険な雪でした。私たちは、4泊の旅行をするはずだったのですが、 昨日でた、大雪警報を聞き、一泊早く帰って来た。今回行った街は、 マッチ箱の中に 古い町並みを閉じ込めたみたいな・・・・とっても可愛くて、風情のある街でした。ジムソープと呼ばれるこの街は、山に囲まれ、川が流れ、その景観から アメリカのスイスと 呼ばれている。行く前は、炭鉱で盛んだったその町に、スイスというのは少し可笑しい様な気がしていた。炭鉱街というと、少し薄汚くて、労働者階級の・・・・・そんな街を想像していた。旦那が、”妖精が絶対、気に入ると思うから、連れて行きたい街の一つ”と ずっと言っていたので、そんなことを思いながらも・・・行って見た。かつては川を境界に、二つの街だったこの町が、(ハンガリーのブタペストみたいな感じ)1950年代のこれをきっかけに、一つの街になった。1912年、初めてネイティブアメリカン(インディアン)の陸上選手が、金メダルを採るというニュースで、アメリカ中が大騒ぎだった。 当時はまだ、肌の色での差別も多い中、インディアンの選手が金メダルを採ったのだ。大いに盛り上がり、国中がお祝いをした。そして、彼はヒーローとなる。そのヒーローに、クレームがつく。当時のオリンピックは、今のものより、かなり厳しく、プロの出場は禁止。過去に、金銭を受け取るスポーツを行った選手は、オリンピックには出場できないという、厳しい決まりがあった。(今なんて、アメリカのバスケチームなんて、全員プロばっかりですよね)そのインディアンの選手、過去に野球の試合に出ていた事があり、優勝賞金として 金銭を受けていたという事実を、オリンピック協会が発見した。草野球の賞金で・・・・彼の金メダルは剥奪。それからの彼の人生は、輝かしい金メダルアスリートの人生とは程遠い、暗い道になっていく。彼はアルコールにおぼれ、 悲しい一生を終える。彼が死んだ時、 彼の出身地である、オクラホマ州は 彼を一般市民として埋葬する事を、彼の奥さんに告げる。奥さんとしては、死んだときくらい、花を持たせてあげたいと・・・・新聞広告をだしたのだそうだ。”特別な場所に埋葬してくださる街を求めます”そこで、名乗りを上げたのが、この街だった。彼の遺体はこの街に運ばれ、山の頂上付近の静かな素晴らしい環境の中、彼のお墓が特別に置かれた。そして、街の名前も、彼の名前を継ぎ、ジムソープと変えられ、それを機に、二つの街も一つに合併した。こんなユニークな話のある街。街は小さくて、一本のダウンタウンがあるだけだけど、その街並も、古いビクトリア調の建物が立ち並び、すごい可愛い静かな街だった。山に囲まれ、小さなその町は、今でも、昔ながらの古い空気が流れていた。スゴイ情緒があって、本当に素敵。私のお気に入りの街、5本の指に入るくらい、お気に入りになりました!!私たちは、1840年代に建てられたホテルにお泊り。古い格式高い建物。 素晴らしい家具。本当に、タイムスリップしたかのような・・・・そんな時間でした。私たちがチェックアウトするとき、 グレッグ アールモンド(発音的にコレで正しいと思うのですが・・)という、70年代にアメリカで売れまくっていた、ロックスターがチェックインしていました。そこには一泊だけして、(ちょっと私たちには高いホテルだったので) 雪がふぶく中、旦那のパパママのお家に2泊して、帰って来ました。旦那パパママと、お芝居を見に行ったり、暖炉の火の前でマッタリしたり、お買い物に行ったり・・・・楽しい楽しい時間でした。暖炉の火の前で、お茶を飲みながら、旦那ママが ふと”○○(旦那の名前)にとって、彼の人生で一番素晴らしいことは、アナタに出会ったことね”と 私に言った。なんて嬉しいほめ言葉なんでしょう。本当に、彼にとっての一番素晴らしいといえるように私、いい奥さんにならなきゃ・・・・って思いました。こうして私たちの3泊の旅は楽しく終了したのでした。チャンチャン。又明日から1泊でお出かけです!!遊んでばっかりですみません。
2005年01月24日
コメント(10)
土曜に8年ぶりに会うジェイミーが来るはずだったんだけど、今日月曜に延期された。理由は・・・・別の友達、デイビッドも一緒に来たいということで、彼の到着を待って、それで2日会う日が延びた。デイビッドの飛行機が、DCに着くのを待って、ジェイミーが向かえをして、ココに一緒に来るということになったんだ。デイビッドとは、私がアメリカ留学を終え、日本に帰ってから一回も会っていなかったので、10年振りの再会。電話やメールでは交流はしていたものの、中々会うチャンスって、ありそうで無くって、同じアメリカにいるものの、会わないまま年月は過ぎていった。留学していた4年間、ジェイミーとデイビット が一番の仲良しのバディだった。毎日毎日、ランチタイムには待ち合わせをして、一緒に図書館に行って勉強したり、グローサリーを買いに一緒にスーパーへ行ったり。。。。兎に角、当時付き合っていた彼氏も嫉妬するくらい、私たち3人は仲が良かった。祝日になると、デイビッドの家族に招待され、私は毎年彼らの家族と一緒に色々な祝日を過ごした。長期の休みになると、一緒に旅行に行ったり、其々の家族に御呼ばれして、何週間か一緒に滞在させてもらったり・・・・兎に角、私の留学は、彼らがいたから、楽しくて充実したものになったと言っても良い。留学したてのコロは、まだ英語に耳も慣れていず、ソレホド語彙もなく、コミュニケーションも今のように、すらすらといっていなかった。それでも、デイビッドはいつも”あの本持ってきて”と私の辞書を持ち出し、自分の使っている単語を引いてくれ、”これだよ。今言ってるのは”と一々教えてくれた。私は、その単語をメモし、覚えて行き・・・・そして、彼らと、もっと時間を過ごし・・・・・英語が何とか話せるようになって行った。だから、彼らの存在は私にとっては、友達 ッてだけじゃなくて、もっとそれ以上の、本当の大切な大切な存在だったんだ。彼氏が出来ても、それは変わらなくって、ズットズット仲良くしていた。そんな大切な友達だったけど、ず~~っと会わないで、もう10年なんて月日が過ぎちゃった。(ジェイミーとは8年だけど)彼らもこの10年の間に、其々色々な生き方をし、色々な経験をしていた。それでも、会った途端、会わなかった10年間はどこかに消え去り、又仲良しの3人組みに、直ぐに戻った。そこに私の旦那が加わって・・・・・10年会ってなかったなんて、嘘みたい。会話は以前と同じ。 弾む弾む。旦那とも意気投合してくれて、本とに、いつもつるんでいる友達みたいに、食っちゃべって、げらげら笑って、 あっという間に一日が過ぎ去った。本当にいい時間だった。”これからは、もっと頻繁に連絡して次は10年後なんてならない様にしようね”って約束をして別れた。本当の友達って、いいな。何年会わなくっても、何年連絡取らなくっても無条件で迎えてくれる。無条件で受け止めてくれる。そんな友達、本当に大切だな・・・・って思うことの出来た一日でした。ジェイミーも、デイビッドも・・・ありがとう~!PS明日から又出かけます。今回は4泊の予定ですので、暫く日記はお休みです。皆さん、次回まで・・・お元気で。PPS 暖冬だった冬も終わり、今日から寒さは厳しくなりました。雪も積もり、外はマイナス18℃の世界です。
2005年01月18日
コメント(10)
日記書こう・・・書こうと思いつつ・・日は流れ・・・でも、この日記を書かないでいた数日間、私はとっても、今までにないくらい、クリエイティブ&プロダクティブ な毎日を送っていた。私の場合、PCの前に座ると、作るぞ~!って言う気持ちが、コンピュータースクリーンに吸い取られていくようで・・・pcつけないでいたら、やたらにやる気が出てきた。やっぱりバランスが大切なんだな。ギャラリーから出ていた宿題 (オーダーが入っていた)スカーフ3個、ヘアピン15個、 バッグ数点、 カフェエプロン一点 も作っちゃい、もうすでにギャラリーへ送った。もうすぐやってくる旦那のお誕生日プレゼントに、なが~~~いマフラーとお揃いの帽子を編み、おまけに、財布まで作ってみた。 旦那の両親にも、余り毛糸で マフラーを編んであげた。 (合計マフラー3本、帽子1個)私は、本を見て作ったりするのが大の苦手で、なんでも思いついたものを、布を見て・・・イメージ浮かべて・・・こんなかなあ???とか思いつつ切って縫って・・・・とやっては形にしていく人。だから、財布が出来たときは一寸嬉しかった。へへ。財布って、見てないようで、結構見てるんだなって実感。だって、手元にないのに、昔使ってた財布のイメージで作ってみたら、出来たから・・・私の 手作りのやる気はここで止まらず、 キルトまで始めた。本を見ながらやるのが苦手でも、やり方がわからないから、とりあえず母に電話で少し教えてもらい、図書館に行って、古~いキルトの本を一杯借りてきた。新しい本だと、新しいキルトばっかり載っていて、心の響くものがアンマリなかった。それが・・・古い60-70年代に出ていた、キルトの本を見た途端・・・・血が騒いだ。こりゃ可愛いし、ファンキーにも作れるし、ナチュラルっぽくも出来ちゃうし・・・・スゴイいいもの見つけたよ~!アップリケの図案も、滅茶苦茶可愛いし・・・・大好きな蝶々や花が一杯!!動物ものも沢山!!ボンをかぶった女の子のデザインなんて(名前あるんですよね?? すうちゃん?どなたか教えて~)売ってるのは良く見るけど、自分で作るなんて・・・思ってもいなかった~~!とりあえず、初心者には ログキャビンとヘシゴサンかな?と思い、アンマリ大切じゃない生地をかき集め、チョキチョキ切って、縫い合わせた。アイロン当てて、縫い代広げて。。。(母に電話で教えてもらった)又縫っていく。これが。。。。たのしい~~~!!もう病みつきになって、ひたすら作ってます。以前、先生に個人レッスンで教えてもらった キルトはマシーン(ミシン)キルトだったので、スッゴイつまらなかったんだけど、今回は・・・・一寸はまりそうですよ!!ってもう虜になってるけどね・・・画像載せれたら又載せます!でも、皆さんプロなので、恥ずかしくて・・・見せられません。おまけに、いらない生地だし。。。。へへ。でも記念初キルトなので、載せようかな・??皆載せても怒らないでね。下手糞~!!って・・・と言うわけで、 作って作って、又作って。。と日々を過ごしておりました。今日、本当はジェイミーが来るはずだったんだけど、訳あって、月曜に変更。訳は、又月曜に書きます!!会えるのが楽しみ♪ ルン。
2005年01月16日
コメント(10)
先日予告いたしましたように、妖精夫婦は ”芸術家の集まる 芸術を自然で一杯” と 沢山の人から聞いた、 ここから片道約6時間もかけて2州も越えて 小さなその町に 出かけました。朝9時半出発。 曇り空。途中霧が濃く、全く先が見えない状態にもなりながら、私は進んだ。”どんな街だろう???”とワクワクしながら、 ドンドン行った。途中、山を越え、丘を越え、川を越えて もっとドンドン行くと、その町まであと35マイルと看板が出てきた。そこに着くまで、2-3の小さな街を越えて行ったのだが、ドレも美しいとは呼べない 環境の悪そうな街だった・・・・嫌な予感だ・・・でも、私たちは ”着くまで分からないよね。 あれだけ皆が噂してるし・・・・芸術で一杯か・・私の名刺、どっかのギャラリーにおいてこよう”なんて言いながら、ドンドン行った。家を出てから、しつこいようだが6時間。運転の旦那も少しお疲れ気味。。。。でも、 街が見えてきたら、そんな疲れたなんて忘れたように二人は ハイファイをした。”つきました~!”。。。。。。。。。。。あれれ?ギャラリーは? あれ?芸術家達は???あれれ???個性溢れるお店は????マクドナルドやケンタッキーフライドチキン、 ウォールマート、などなどがひしめく通り。ここじゃないよね? 街の中でも違う場所だよ。探してみよう!!と二人で探しました。確かに、一分くらいのストリートがあった。でも・・・・全然 アートっぽくないし、やっぱり他の街と同じ 環境の悪そうな街だった。私たち二人は、さっさと車に乗り込み、退散。”あの噂は・・・・・”全く狐につままれたような、私たち二人でした。ガックリ来て、他の場所に行くという気にもなれず、私たちは、トンボ帰り。半分まで帰って来て(3時間来たところ)、休憩をしようとコーフィーハウスを見つけて入ってみた。すると・・・そこには、パレスチナの旗が・・・何気に座ってみると、そこには、沢山の 政治的な本が・・・紅茶を飲みながら、 読んでみるとその本たちは全部 ”パレスチナにイスラエルを返そう!”と言うものばかり。ぺらぺらと見ていると、オーナーがやってきて、”今度コンサートやるんだけど、来たい?”と話しかけられる。その質問の後、すぐにそのミュージシャンの音楽を掛けてくれたけど、それもコテコテの左翼の歌ばっかりだった。リベラルで、ああいうコーフィーハウスをサポートできるコミュニティーは素晴らしいけど、リラックスしようと思って入った喫茶店だったけど、リラックスは出来なかったなあ・・・オーナーと旦那が,色々話しを始めた。”私に話しを振らないで”と祈る思いでお茶を飲む私。迫害を受け続けたユダヤ人に、国を与えようと言う事になって、アメリカが中心になってイスラエルを彼らに渡した。元々、遠い昔イスラエルにはユダヤ人が住んでいたので、まだユダヤ人が作った寺院などが存在し、ユダヤ人にとってはセンチメンタルな部分でイスラエルに帰れることが、正当だと決定されたらしい。しかし、そこに住んでいた人々、パレスチナ人にとってはたまらないことだ。おいおい、勘弁してくれよ。てなわけで、アラファトさんが中心になりテロリストが イスラエルに攻撃を始めました。しかし、武力ではかなわない現実に気付いたアラファト。国を二つに分けて仲良くしましょうと言うリクエストに、首を横に振ってばかりいた彼だったけど、(最初のころは、全部くれなきゃいやとか言ってたみたいですね)段々弱気になりかけてきたところで・・・・お亡くなりになった。新しい後継者になったら、こちらの 和解がもう少しスムースに行くのでは???と期待もある。本当に、今でも続く、イスラエルの危険な毎日。子供達が本当にかわいそうだと思う。和解すればいいのに・・・・って呑気に私は思うけど、 そうは簡単にはいかないのかなあ?そういう関係の資料で一杯だった喫茶店でお茶を飲みましたわ。外からは全然分かりませんでした~!しかし、祈る心は皆同じ。世界に平和が訪れますように。その後、私たちはドンドン又運転し、13時間後に家に着きました。お疲れマンボウ。もう寝ます! おやすみなさい。(なんだか政治的な日記になってしまって、ごめんなさいね。)
2005年01月13日
コメント(8)
昨日登った山の上から見えた空。 今にも降りそうな灰色の空の合間から 光が差し込みまるで天使が降りてきそうな 空でした。空ばかりを眺めて そこに ずっと たたずんでいました。写真では伝わりきれない、美しい 空間が 人間の手では 絶対に 作り出せない 芸術がそこにはありました。明日から、また出かけます。 2泊ほどしてくる予定です。家の旦那は、自然を相手の仕事なので、(ナチュラリストです) 森の寝ている冬には、 仕事が少なくなります。そして、 動物も森も起きる 春・夏 と忙しくなり、一日12時間労働で、週末も出かけていくことが多くなります。こちらでは、大手の企業ではどうなっているかわかりませんが、(よしさん、教えてください)残業手当というものはつかず、超過労働をしすぎると、その分の時間を休みに変えてくれる。旦那のツモリ積もった超過労働が、合計すると3週間一寸の時間になり、 仕事の暇なこの時期に、その分お休みを取っている。だから、私たちは、こんなに出歩いてばかりいるのです。ご納得? (って誰も何も言ってないよね・・はは)明日からは、ウエストバージニアにある、芸術家の集まる小さな街へ行って見ます。何があるのか、どんな街なのか 全然わかりませんが、芸術家の人たちからは、色々と話を聞くこの街。行って見ます。行ってみて・・・楽しければ、お泊り。ゥ~ん・・・・つまらない・・・って事だったら日帰りになります。片道 約6時間かかるから、もしも日帰りだったら・・・・辛いかも。。。土曜に留学時代の大学の友達、ジェイミーが8年依頼に遊びに来る。だから、それまでには、帰ってきます。皆様、寒い毎日。風邪など引かないで、元気で過ごしてくださいね。それでは、又次回の日記でお会いしましょう。行って来ます。
2005年01月12日
コメント(15)
冷蔵庫が空っぽ。 朝起きたら、旦那が朝ご飯を食べていた。彼はいつもグラノーラーに豆乳を掛ける。彼の食べているボールを見ると、ほんの一寸だけしか豆乳が入っていない。もう豆乳もなくなってしまったらしい。最近出がちだったので、食料品を買ってなかったんだ。と言うわけで、野菜や豆乳、チャイやらヨーグルトなどなど、いつも常備しているものを買いにスーパーマーケットに、久しぶりに出かけた。暫く久しブリの スーパー。早めに切り上げようと思っていても、いつも 相当長い事居座ってしまうスーパーです。買い物終っても、雑誌読んだりして・・・時々コーフィーも飲んじゃったりしてね。。。(結構楽しいんですよね。)レジの女の子に”今日は素敵なスカーフしてないの?”って聞かれた。”え?”って顔してたら、”ほら、着物の生地で作ったスカーフ。あれ、すごい素敵だなあ・・・って思っていたの。いつも、あなたの来るのが楽しみなのよ”とっても嬉しいほめ言葉を言われた。今度彼女にも、古布でスカーフ作ってあげようかな??な~んて、思っちゃいました。その後、 真っ直ぐおうちに帰るのもなあ・・・と思いながら運転していると、アンティーク屋が目に入った。日曜日は駐車料金がタダになるので、安心して何時間でも駐車が出来る。と言う事もあって、私は車を止めて、アンティーク屋に入ってみた。見ごたえバッチリの店内。見てると全部欲しくなる。でも、欲しくても買えないなあ・・・・見てるだけでも、目のコヤシになって 楽しいからいいんです。古いレースに、古いボタンが無造作に付けられて古いフレームに入れて 売られていました。ああ、あんなふうに飾ったら素敵だなあ・・・・アイディアだけ頂いちゃえ!見るのはただですもんね。でもどうしても、買わずにいれないものを発見しました。フィードサックのハギレセットです。私の好きな、激しいビンテージとは全然違うけど、やっぱり、フィードサックも好き。キルトでもやってみるかな・・・って、思い出したら、ヤッパリどうしても欲しくなった。欲しいものに出会うのは縁だから。。。。コレで又作品の枠を広げていこう。そう思って、お小遣いを又使い果たした。(いつも、すぐ使い果たします)キルト、全然やったことないけど、まずは普通の安い布で 練習してみよう。皆さん、キルトのアドバイスなど、宜しくお願いします。
2005年01月10日
コメント(8)
”ファイディング ネバーランド” を見てきた。感動して、涙・・・・だ~だ~でした。ピーターパンが生まれるまでのイキサツを描いた映画。日本でも上映しているかな?1900年代初期のイギリスが舞台。上流階級の人たちの間で、劇見物は なくてはならない娯楽だったわけで、 皆、 着飾って、 劇場にやってくる。そこが又、社交場ともなり、 娯楽の少なかった時代、 劇見学は、人々の生活の中で、重要な一部を占めていた。ドレスがドレも素敵。家のインテリアも素敵。カメラも素晴らしく、 本当に 絵本を読んでいるような・・・美しい映画でした。見ていない方たちには、是非お勧めです。タダ問題は、ブリティッシュの英語。私はコテコテのアメリカ英語なので、ブリティッシュの英語を理解するのに、大変な困難を持つ。ジョニーディップの扮する役は、ブリティッシュっと言っても スコットランド人。訛りの得に重い英語を話す。おまけに彼はアメリカ人だ。その彼が、特訓を受け、スコットランドの訛りを映画の中で使っている・・・そういうフェイク(作り物)な英語が一番、聞き取りにくい。映画の最中、何回も”今なんて言った?”って旦那に聞いて、とってもイヤ~な顔をされた。ジョニーディップ以外、ダスティンホフマンも出ているのだが、彼はアメリカ人の役で出ているので、アメリカ英語を話しいており、彼が喋るときだけ、ゆったりとして気分で見ていた。子供の英語も コテコテのブリティッシュで・・・・慣れるのに10分は掛かった。 最初のシーンなんて、半分くらいしか分からなかった・・・ブリティッシュの英語で困ったときに、いつも思い出すのが、友達のキャシー。もう10年以上の付き合いになる友達だ。彼女と一緒に旅行したとき、イギリス人から話しかけられた。”げげ、何言ってるの?分からんねえ~!”と思いつつも、私は 笑顔を浮かべ、合づちを打つタイミングを逃さなかった。そのイギリス人が去った途端、キャシーが私に聞いた。”ねえ。今、あの人、何て言ってたの?全然わかんなかったよ”アメリカ人の君でもそうかい~!??って その時、驚いた。けど、そのくらいアメリカの英語とブリティッシュの英語は違うから、私も分からなくっても、仕方ないか??なんて慰めたりして・・・でも旦那は、全然困っていない。どんな英語でも分かるって。。。う~ん。それって、私の滅茶苦茶な英語に慣れてるから、どんな英語でも分かるって事かしら?本と、どなたかブリティッシュ英語の理解力を上げる方法、知っていたら、教えてください。
2005年01月09日
コメント(10)
グリーンカードは、その日に発行ではなく、パスポートにプルーフ(証明)になるスタンプを押され、一年ほど待つと、手元に本物のグリーンカードが送られてくる と言うシステムだった。セキュリティーが厳しくて、メタルディテクターで体中をチェックされ、空港みたいなピーって鳴っちゃうゲートを越えて入った部屋には、沢山の移民がいた。全く問題なく、指紋を取られ、ハンコを押して貰って、終わり。今までの苦労に比べると、本とに楽な手続きだった。ホッと肩をなでおろし、私たちはフィらデルフィアを楽しんだ。彼のパパママにも、その晩は 滅茶苦茶美味しいお寿司をご馳走してもらい、(この日のお寿司は美味しかったです)お祝い。2泊した後、ニュージャージー州まで足を伸ばした。そこには、ビクトリア建築の家が立ち並ぶビーチタウンがある。ニュージャージー州には、2-3のビクトリア建築の立ち並ぶ街がある。その一つにケープメイがある。ここにも、ビクトリア建築の家が並び、歩いていると、おとぎの国に紛れ込んできたような錯覚に陥る それは美しい街。この街は、フィラデルフィアの人たちでごった返すビーチタウンで、旦那のパパママも大好き。お城みたいな ホテルにいつもお泊りしている。(私はいつもそのホテルを見て、前を通っていました)そのケープメイとは反対方向にあるのが、私たちの行った、オーシャングローブである。シーズンになると、ニューヨーカーでごった返すこの小さな街には、アメリカで一番沢山、ビクトリア建築の家が存在する。元々は、キリスト教のサマーキャンプ場みたいな感じで、スタートしたこの街。今でも、そういうしきたりが残ってか、街にはお酒を出すレストランがない。バーもない。家族で安心して遊びに行ける、美しいビーチタウンだ。ケープメイの大好きな私を、このオーシャングローブに連れて行ってあげたいと、いつも旦那が言っていた。そして、今回せっかくの休みだから・・・と言う事で初めて行ってみた。街の中心には、大きなレクチャーセンターがあり、シーズンになると、ジャズコンサートやコメディアンショー、色んな企画が満載で、毎日沢山の人が訪れているらしい。 私たちの行った日は、どんよりと曇り、シーズンオフで街は静かだった。ウッディアレンの映画の舞台にもなったこの町なので、もしかしたら、どなたか、見たことがある・・・と感じる方もいるかも・・・映画の名前が・・・忘れてしまい、今ココに書けないのですが、又分かったら書きますね。ある写真家が、”アメリカで一番美しい町並みだ”と言ったというストリートです。中心に、このオードトリアン(レクチャーセンター)を持ち、周りにはビクトリアン建築の家が立ち並びます。 どの家も1800年に建てられたもの。 コレは私のお気に入りのお家。可愛いお菓子の家みたい。そして、その反対側には、海が広がる。私たちはその日1860年代に建てられた家のベッド&ブレックファーストに泊まった。(アメリカでは、素敵な家を、得にこういうアンティークな家を、宿に泊まれるところが沢山ある。朝ごはんも出してくれると言う事から、ベッドと朝食 BED&BREAKFAST と呼ばれる。普通のホテルに比べると、宿代はカナリ高いけど、夢一杯の宿です) シーズンオフで、カナリお得価格で泊まれた!!(ジャなかったら、泊まれないよ~~!!)私たちの泊まった部屋にはバルコニーがあり、そこから海が見下ろせ、波の音が一晩中聞こえていました。でも、2泊3日、ズット雨と曇りだったので。。。お天気には恵まれなかったけど、でも、何もせず、雑誌を読んだり、編み物したり、街を散歩したり・・・・そんなゆったりとした時間を過ごしました。
2005年01月08日
コメント(10)
あけましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しくお願いします。あけましたね、2005年。いやいや~ つい最近2000年だ、新世紀だといっていたと思ったのに、その2000年も中間地点まで来てしまいました。本当に一年の経つのは早い。早いからこそ、今年は 抱負をチャント掲げて一年を過ごしていきたいなって思っています。1 去年は手抜きだらけの主婦だったので、今年はもう少し気合を入れて、掃除やら家のことを得に生理整頓を頑張ろう!2 朝チャント起きて、午前中に何か一つの事を片付ける3 もっと社会に出て行き、バイトかボランティアを増やす(旦那以外のところでボランティアをしてみようかな?)4 お稽古事を始める(せっかくアメリカにいるのだから、アメリカで学べるものを学ぶ)5 英語上達のための努力(今まで、もうコレで良いや~って思っていたけれど、努力すれば、もっと良くなるぞということで、一寸やってみようかな?)6 ダラダラしない7 エクササイズも怠けないこんな、7つの誓いを立ててみました。 2005年は、これが守れれば、もっと魅力のあるキラキラ女性になれるでしょう。(ははは)っと抱負は置いておきまして・・・本日は、お正月でおめでたく、そして何より 私と旦那の結婚記念日でありました。おめでとう。。。旦那と私。これで3回目の結婚記念日です。あっと言う間の3年でした。私は本当に、まだ独身と一緒くらいの身軽な生活をさせてもらっているので、全く主婦らしい事をしていませんが、そんな私と一緒にいてくれる旦那様に感謝です。今日は、ビックリするくらい天気も良く暖かい日でした。天からもお祝いしてもらっているような・・・そんなポカポカの一日。二人で、ハイキングに出かけました。 一寸急斜だったけど、汗をかきかき上った先には、遠く続く地平線が見えました。末広がりで、よろしい。その後一寸遠くの寿司やまで行って、二人でお祝い。 お寿司とお刺身、天ぷらを食べました。普段食べれない大ご馳走です。(パパママからお祝いのお金もらったし、クリスマスで日本の叔父さんからお小使いもらったのでそのお金で、今日は大盤振る舞い・・ありがたい)味は・・・・あえて言わない。 でも、ここらじゃ、無理なんだよね。。都会に行かないと、日本人いないから、美味しい和食は食べれない。でも、お正月と結婚記念日で、二人で和食を食べられる幸せは、本とに何にも変えられないな・・・って思いました。ダブルのお祝いで、お腹も一杯の妖精夫婦。写真の正月飾りは、まだ日本に住んでいたコロに、作ったもの。その時アメリカに住むなんて思ってもいなかったな。毎年、こうやって作ろうと思っていたのに、結局、コレを作って暫く忘れていました。今年は、思い出して・・・・”あ、あれあったじゃん”って、がさがさ探してみたら・・・ありました。紙の部分(これも名前あるんですよね?忘れちゃいました。どなたかご存知の方教えて下さい)も、折れてよれよれ・・でも、日本から大事に持ってきた私の手作りの正月飾り。。。愛着を感じます。どうぞ皆様にも、幸の多い一年になりますようにと、祈りを込めて・・・飾っています。PS明日より、フィラデルフィアに出かけます。グリーンカードを取りに行くのです!!(詳しくは日記をごらん遊ばせ)グリーンカード取得までの日記です続きです。良かったら!ついでに、小旅行もかねてどこかに行くかもしれません。帰ってきたら報告日記を書きますので、それまで日記なくても心配しないでね!!
2005年01月02日
コメント(14)
お久しぶりの日記です。 年の暮れ、皆さんお忙しくお過ごしの事と思います。こちらアメリカでは、お正月は、クリスマスのついで。特別何をするでもなく、飲みに行って、カウントダウンをする~!くらいの乗りなので、クリスマス飾りも年が明けるまで其のままだし、街のツリーも勿論、其のままの状態なので、年の瀬って言う、日本で感じる ”ああ。。。もうじき新年がやってくる”って言う気持ちが全然感じられない。大掃除している主婦なんていないし、皆普通の日と同じ様に、普通に過ごしている。だから・・・私も、なんだかマッタリしながら・・・ダラダラと過ごしちゃってます。。反省反省。旦那も昨日ぽつんと言ったけど、”やっぱりお正月は日本が最高だよね”本とにそう思う。 ご~~~~~ん と鳴り響く 除夜の鐘で、年が開け、皆で神社に初詣。母が台所で、何日も掛けて作った御節料理が、綺麗な重箱に並び、お屠蘇でご挨拶。なんだろう?気が引き締まるって言うか、お茶のお点前しているときみたいな、背筋がシャンって伸びるような・・・そういうお正月がこちらには、全くないのである。そんな寂しいアメリカの年の暮れに、ミヤコさん親子から、日本チック満載のプレゼントが届いたの。おみくじ付き 交通安全 飾り(わらで出来ているやつ)それにアジア結びの可愛いストラップとっても日本の匂いがして、スゴイ嬉しかった。おみくじって、本当に日本の文化の一つになっているけど、(っていうより、シントウですね)無宗教的日本人も、おみくじの前に出ると、神妙な気持ちになり、拝む気持ちで読んだりする。結構ドキドキしたりするのだ。私のおみくじは小吉。一歩一歩確実に前進しているさなかの運気です。ここで身につけたことは、必ず役立ちます。将来を楽しみに、今はひたすら努力のときです。旦那が吉。難しい問題や困難に立ち向かうときは心理的に不安な状態が続くものだが、あなたは大丈夫。たとえ虎の尾を踏むような危険を冒しても必ず目的を達することができるようになります。なんだか、本当に神様っているような気がしたおみくじでした。今、聞きたかった言葉、勇気をくれる言葉がそこにありました。おみくじを読み終わり、私たち二人は手を合わせました。今年お世話になりました皆様。日記を読んでくれている皆様。そしてお友達。本当に色々ありがとうございました。楽天でも、色んな方と知り合うことが出来、毎日日記を通して交流させていただき、本当に思わぬ出会いがあったこと、感謝の気持ちで一杯です。たくさんの感謝の気持ちを込めて、皆さん、どうぞ、良いお年を!
2004年12月30日
コメント(12)
今、歯医者から戻りました。無事に2本の虫歯の治療も終え、腫れたところのレントゲンも撮ってもらい、お薬もだしてもらい、へとへとになりながらも、戻ってまいりました。歯医者ってどうして、あんなに疲れるんだろう?歯医者の事は、又明日にでも書きます。 書かなきゃならないことが又ありまする。。。その前に・・・昨日、 日記を書き終え、ベッドに入り、私は ふと 思った。あれ? 確か、私、グリーンカードもらうために、もう一回日本に帰ったよなあ・・・記憶は、もう薄っすらとしてしまい、たったの3年前のことなのに、遠い昔の事のようで、はっきり思い出せなかった。。。ぼけ、始まってますよ。私。カナリヤバイ。考えているうちに、頭は冴えて来て、 もっと考えているうちに・・・・・思い出した。昨日書いたことは、間違いだったのです。あほ・・・自分のことなのに、 忘れてどうするよ~~!アメリカに、入国を無事に終え、グリーンカードの申請をアメリカ版に移行したと・・・・昨日は思い込んで書いていましたが、それが出来なかったのでした。移民局でも、簡単に出来ると太鼓判を押され、それから旦那パパの友達の、なんとか議員さんにも太鼓判をもらい、簡単に申請移行をするつもりでいた。しかし、フタをあけてみたら、それは不可能。色んな所に行き、色んな所に尋ねた。しかし日本で始めたものは、日本でしか終了できなかった。いい加減な情報に流されてしまった私たちだったのである。あれだけ、危険?な目にあい、アメリカ入国を果たしたものの、 私は、もう一回、日本に戻らなくてはいけなくなった。それも、グリーンカードを受け取りに行くためだけに。申請はしてあったので、あとは、簡単な質問と面接、健康チェック、写真撮影等で、グリーンカード、第一号テンポラリー が貰えることになっていた。けれども、それは東京にあるアメリカ大使館。仕方が無い。 ココまで来たもの、もう、 ドウにでもなれ!!!日本にフライトするわよ。日本の、大使館に行く前に、もって行かなければならないものの一つに、大使館の指定した病院・クリニックでの健康検査の結果があった。その病院に、私はアメリカから電話をした。出来れば、東京に行く回数を1回か2回で済ませたかったので、出来る事はこちらで用意しておこうと思ったのだ。事情を説明すると、受付の女性は、気持ちよく私の待遇を理解してくれ、病院にいくのも、一回で済ませられるようにと、アドバイスをくれた。ここら辺の記憶が薄っすらとしているのであるが、確か、天然痘・おたふくともう一つの病気(なんだったか忘れてしまいました)の予防注射の証明、又は病院にいって、簡単な血液検査をすると、すぐにその免疫が体にあるかが分かるので、その証明書を書いて持ってきて欲しいといわれた。ただし、生まれたての予防接種は、カウントされず、(何十年も経つと、免疫がなくなるらしい)、母子手帳の記録は使えないと言われた。と言う事は、こちらの医者に行って、 血液検査をしてもらって、免疫を見つけるしかない。そのとき、私たちはまだファミリードクターを持っていなかった。それも、また別に、長い長いお話が出来るので、今回は 省きますが、 旦那両親の親友の子供が、たまたま この街で開業医をしていると言う事で、彼にファミリードクターになってもらい、血液検査の依頼を書いてもらった。注意アメリカでは、検査をしたいからと、勝手に、自分の意思で病院に行くと、保険が降りません。ですので、ファミリードクターに言って、その旨、依頼書を書いてもらってから、病院にいきます。そして、その結果が出ると、病院はファミリードクターに送り、患者は、ファミリードクターから、結果をもらうことになる。私は、すぐに、病院にいき血液検査をした。結果次第で、もしも免疫がないのだったら、予防接種をココでして行けば済む話しである。2-3日したら、留守録が入っていて、新しいファミリードクターだった。明るい声で”妖精さん、君の免疫は3つともOK!! 大丈夫ですから、証明書を書きました。取りに来てください”私はその証明書を持って、日本へ飛んだ。東京の大使館指定のクリニックに、その結果を持って私は出かけていった。”免疫の結果を見せてください”と言われ、差し出すと、看護婦さんがやってきて、その結果にさっと目を通した。そして、それを持って、中に入っていく。座って待っていると、”妖精さん、 すみません。この病気の免疫なんですけど・・・・・体にないって結果が出ているんですけど。。。”えええええ???そんなはずは無い。だって、ファミリードクターが、明るく、大丈夫!行ってらっしゃい~!って笑顔で送ってくれたよ。おかしい・・・・けれども、説明を受けてみると、彼女の言っている事は正しく、アメリカのファミリードクターの言っていたことが間違いだった事は一目瞭然だった。げげげ・・・・私の大使館のアポは 次の日だった。その結果を持って、健康診断表を書いてもらって、大使館に行けば、私はもう、グリーンカードが手に入るはずだったのだ。でも、それは無理な事になってしまった。立ち尽くす私に、看護婦さんは優しく、手はありますよ。 今から、予防接種をすればいいんです。とアドバイス。勿論、そうするしか手はなかった。でも、又これも記憶が定かではないのであるが、その注射をしてから、何日間は免疫力がまだ着かないとかなんとか・・・それとも、予防接種をすると、他の検査が出来なくなるとか・・・それとも、予防接種の菌がその日なかったのか、一寸詳しい事は忘れてしまったが、その日は静岡の実家に戻った。と言うことは、次の日の大使館行きは、不可能と言う事になってしまったのだ。即効、アメリカの ぼんくらファミリードクターに電話をかけ、苦情を告げる。(ヤッパリ、私は苦情ががりだわ・・・)日本でも、医療ミスなどで、医者が訴えられるケースはあるけれど、アメリカの数に比べると比ではない。こちらアメリカでは、本当に些細な間違いでも、やたらと訴訟を起こされるため、医師もカナリぴりぴりしている。訴訟を起こされた時のための、医者用の保険もあり、カナリの掛け金を、殆どの医者が毎月払っている。そういう事情もあり、ぼんくら君は、すぐに謝ってくれ、これから掛かる払わなくてもよった費用(予防接種など)は、負担するから・・・・と弱弱しく言った。彼からしたら、”やちまったよ~!訴訟起こされたら、えらいこっちゃ~!”なんて、感じだったと思う。私も結構頭にきていたけれど、 注射のお金を出してくれると言う事で、気が治まってしまった。東京も又いけちゃうし・・・どっかで美味しいランチでも食べちゃお!なんて、一寸ワクワクしたりして。。。それから、もう一度、東京のクリニックに予約を入れ、そして、大使館の予約も入れなおした。それ以降は、全て上手く行った。肺炎にもエイズにもかかっておらず、健康診断は良好。無事にクリニックでの事は終った。大使館のほうは、午前中のみの予約だったので、又で直し。忘れ物が無いか、念に念を押したあと、大使館へと出かけていった。午前中には、書類提出。午後まで待たされる。その待っている間に、審査が行われるらしい。午後戻ってくる時間を告げられたので、それにあわせて戻ってみると、そこには、私と同じように、グリーンカードを待つ、日本人の女性が2人と、アメリカ人男性と日本人女性のカップルが一組 座っていた。私は、その女性二人の近くに座り、自己紹介をした。名前を交換したあと、他の二人も、旦那様は皆、其々アメリカにいて、仕事をしているので、一緒に来ることが出来なかった と 其々に言った。午後に待っていたのは、簡単な面接。 それにパスすれば、そのグリーンカード第一号がその日のうちに手に入るはずだった。3人で、”どんな質問だろうねえ”なんて話しながら、待っていると、イチバン最初に、そのカップルの女性が呼ばれた。面接といっても、ガラス張りの向こうに座るアメリカ人の男性と、同じ部屋の中でQ&Aをするだけなので、そんなに緊張するものではなかった。どんなこと聞かれるのかなあ??? 3人とも耳をダンボに、聞こうとするが、全然聞こえない。ただ、彼女は余り英語が達者でないらしく、たどたどしい英語の聞こえた後、大使館の男性が日本語に質問を切り替えたのが分かった。2-3分すると、女性が男性に助けを求めた。どうやら、彼の職業について聞かれたらしい。彼が定職に就いていなかったみたいで、それだと、グリーンカードを出すことが出来ないと言われていた。(アメリカに来て、旦那さんが奥さんを扶養できないとみなされるので)怒って、彼のほうは抗議をしていたが、 なにやら言われ、彼らは、去っていった。”。。。。。 一寸やな感じじゃない~?”私たちは顔を見合わせた。 次は、私たちの中の一人。質問をされれいるが、ヤッパリ聞こえない。でも、順調に進んでいる様子。5分くらいしたあとで、彼女は笑顔で戻ってくる。”OKだって~!”よかった~~!その後はもう一人。 私はイチバン最後。私の番が来た。 ガラス張りの男性の前に立つと、彼が宣誓を求めてきた。誰に宣誓だろう?とか思いながら、私は適当に彼の言ったことをオウム返しする。そのあと、軽い質問。今旦那はどこにいるか。 仕事は何をしているか。何処に住むのか。 何時結婚したのか?そのくらいしか覚えていないが、本当に、これだけ?? って拍子抜けするくらい簡単な質問だった。淡々と質問をし終わり、その人に”じゃ、座って待っていてください”と言われ 待つこと 20分。グリーンカード発行!別になんて事無いように、事務的に、カードをくれた。そして、私たち3人は、お茶で乾杯 して、それぞれの道へ。こうして、私のグリーンカード第一号を手に入れた。一年後に、そのカードも有効期限が切れ、新たに書類を提出し(旦那がやってくれたので、私は何もしていません)新しい テンポラリー2号がやってきた。こちらは、期限2年。その後、正真証明 無期限 グリーンカードが 手に入ると言うことだった。そして・・・・・そのグリーンカードが・・・・今私を 待っている~!発行されたので、 あとは取りに行くだけ。今、思い返して見ると、長かったような・・・・一寸なつかしいような・・・そんな気持ち。それにしても、コレだけどたばた劇があったのに忘れていたって・・・・私は一体大丈夫なのかしら?
2004年12月24日
コメント(12)
今日は、グリーンカードの写真を撮りに、写真館まで出かけたんだけど、アポなしでは駄目という事で、明日10時にアポをいれて、帰って来た。グリーンカードの写真という事はですねえ~~!はい。正真正銘、パーマネントの永住権が私の手に入ったということです。今まで結婚して、ココに暮らしだしてから持っていたグリーンカードはテンポラリー(一時しのぎ)のものだった。テロ後、グリーンカードも厳しくなり、結婚を本当にしているのかを見るために、初めのグリーンカードが発行されてから、2年はそのテンポラリー グりーンカードだった。そして、2年が過ぎて、まだ結婚が続いている場合、このように、晴れて・・・本物 グリーンカードが貰えるというシステム。まだ私の本物グリーンカードは、フィラデルフィアのINS(だったかな?) 兎に角、イワユル、アメリカ滞在外国人を扱う機関に置かれている。アポを取り、自分自身で取りに行かないと、受け渡してもらえないので、2週間後にアポを取った。それに使う写真を撮りに行ったというわけ。思えば、長いような・・・・結構大変だったような・・・でもなんともなかったような、グリーンカード獲得への道だった。私達は、1月1日元旦に日本で入籍をした。(その時は、私たちは日本で暮らすつもりでいました)3月に アメリカにて、旦那の両親がこちらでの式と披露宴を用意してくれたので、家族で日本からアメリカへ渡った。この滞在中、旦那には現在の仕事場となる、ネイチャーセンターの面接を受けた。(ココにいたる話は、また機会があったら書きます)滞在中に、仕事のオファーが決まる。4月 日本での式と披露宴が行われた。 私は一足先に日本に戻り、旦那は後から帰って来た。式を済ませ、その後、グリーンカード要請日本で始めた。当時、私は自分で英会話を教える仕事をしていたので、急にやめることになったりして(その節は大変に、ご迷惑をおかけした生徒さんや、保護者の方たち、本当にすみませんでした)式の後、直ぐにアメリカは渡ることは出来なかった。仕事の決まっていた彼は、式の後、直ぐにアメリカへ戻る。引越しを済ませ、色々と片付け、私もアメリカへと渡ることになった。当日、両親に送ってもらい、空港へ。空港でチェックインをする際に、”すみません。コノチケットでは、アメリカにいけませんけど。。。。”とカウンターで言われた。私は、まだグリーンカードの申請中で、何も手元に無かったのだ。だから、片道切符ではアメリカに入国することは出来なかったというわけ。そんな初歩的なことにすら気付かず、私は能天気に空港まで出かけて行ったというわけ。その場でアメリカ⇔日本のもう片道チケットを買ってもって行けば、入国できるから・・・と言われ、値段を聞いたら、なんと40万。そりゃ、なんでも・・・一寸待ってくださいよ~!って感じで、その場を去り、一旦、静岡の実家へ戻る。その前に空港から、いつも使っていたトラベルエージェンシーに電話をかけ、往復の格安チケットを取ってもらうことをお願いし、帰ったら直ぐにチケットを取りにいけるように手配してもらった。(ということで、その時使うはずだった、チケットはオジャン)格安チケットを手に入れ、再度、空港へ。今回は、無事にチェックインを済ませ、私を乗せた飛行機はアメリカ本土 デトロイト空港へ・・・・さて、入国。長い列に着き、私の番がやってきた。いつもの質問。でも・・・今回は、質問が全然終らない。。。。あれれ??????”一寸着いてきてくれます?”たくさん質問された後、私は別室に通された。入ると、一寸人相の悪そうなおじさんや、メキシコから来て、英語の全然分からない人たちヤバイなあ・・・って思う人たちそういう人たちで椅子は埋め尽くされていた。ちょっと異様な空気が流れていた。ニコリともしない、警官みたいな制服を着た、お役所人が上から私たちを見下ろし、その中でもイチバン怖そうなオヤジと、私にたくさん質問をしていた女性が、私を指差して話していた。”げげ!こわっ”と思う間も無く、そのオヤジが、私に来いと指で指示をした。こういう場合は、大人しく、良い子でいたほうが私のためだと、本能で分かった。私はいたって、普通の顔で、挨拶をした。”HELLO”けれども彼は、無視。”君の名前と住所言って”と事情聴取が始まった。”一体、君は、アメリカに何しに来たんだ?””旦那が、仕事が決まって、アメリカにいるんで、会いに来ました”(大切な注意をここでします)★私は、グリーンカード申請中だったので、その時アメリカに住むことは違法だった。日本で申請を始めたら、日本で終了しない限り、アメリカ移住は違法である。だが、私たちはアメリカフィラデルフィアの移民局やら、大使館に電話をかけ、アドバイスを求めた所、アメリカ国内に入ることは出来るから、一旦、旅行者として入国をして、入国を済ませた後、アメリカにて、グリーンカードの要請をトランスファーすれば良いというアドバイスを、何人かにもらった。ということで、私は、アメリカに住むツモリで来ていたのだが、入国のときには、旦那に会いに着ているだけだと言えと、教え込まれていた。”君、3月にもアメリカに来てるよね。なんでそんなに何回も、短期間の間に来るわけ?””えっと、1月に入籍して、3月にアメリカで結婚式をして、それで来たんです。で、一旦戻ったのは、4月に日本で結婚式をしたからで、それで、今旦那は新しい仕事をすることになって、アメリカにいるので、今日は会いに来ました”と自分でも言ってることが良く分からない・・・なんなんだ~~!!って言うような支離滅裂な回答をした。彼はいらだっていた。 カナリ怒っているようで、”なんで結婚を何回もするの?相手は一人なの?”とか、益々混乱するような質問をしてきた。”相手は一人で、一月にしたのは入籍で、3月にしたのは、式だけです。。彼はジューイッシュなので、ジューイッシュの結婚式で、4月には、日本の神社で白無垢を着て、結婚式をしました”と、私も恐ろしくって、チャント説明しなきゃと、あせればあせるほど、訳がドンドン分からなくなっていった。オヤジや、かなり切れた様子で、”どういう式をしたかなんて、全然聞いてないんだ”と私に怒鳴った。私は、いつも、結構度胸のあるほうで、ちっとのことじゃ、びびらない。でも、あの時は、私は自分が犯罪者のような錯覚を覚え、うろたえていた。”君じゃ支離滅裂だから、旦那と話すから、電話番号言って”と怒ったオヤジは旦那に電話を掛けた。私はすぐ横にある椅子に座って、その間を待った。会話は聞こえない。10分くらいしたら、親父が出てきて、”行っても良いよ”と”にこっ”と笑った。???私は、訳が分からなかった。。。でも行っていいなら、行きましょう~!オヤジは、私のカバンまでエスコートしてくれて、カバンを持って歩いてくれた。”一つ約束してくれ。グリーンカードは、日本に戻ってから、取ってくれ”とオヤジは言った。”どっきーん”オヤジわかってたんだな。。私たちのコスイな考えを。。。とドキドキした。オヤジは付け加えた。”僕の仕事は、君を強制送還させないといけないんだ。アメリカに入国させるわけには行かないんだよ。本当だったら、次の名古屋行きの飛行機に乗せて、日本に帰ってもらうはずなんだよ”?????”でも、君は素直でいい子だ。可愛い子だから(ほんとにそういったの)今回は、アメリカに入国させてあげる。でも、本当に、旦那に会ったら日本に帰ってくれよ。こっちでグリーンカード申請を切り替えたりしないでくれよ”と言って、握手をしてきた。私は、”はい。言われたとおりにします。ありがとうございました。”と言って、晴れて入国。乗り遅れた飛行機の別便を予約をしに行った。そして、旦那の待つ、空港へ~!旦那に聞いてみると、どうやら、グリーンカードを申請中は、アメリカに住むどころか、旅行でも、入国は違法だったのだと、あのオヤジは言っていたそうだ。フィラデルフィアの移民局は、間違いだったらしい。”小さくてかわいい子供見たいだから、許してやったって言ってたぜ”だって・・・子供に見えてよかった。そういう、一寸ドキドキ アクシデントを越え、私はアメリカに入国。そして・・・・勿論、オヤジとの約束は速攻破り、グリーンカード申請、アメリカ版へと移動。あれから、2年一寸・・・私の手に、もうすぐ本物のグリーンカードがやってくる。これで、もうあんなに怖い質問は受けないで済むかと思うと何よりも嬉しい。それにつけても、あのオヤジ・・やっぱり・・・約束破りやがって・・・と何時の日かばれるだろうか? ははは。今度日本から帰る際、デトロイト空港で入国するとき、あのオヤジを探してみようと思っている。アメリカ住在の日本人の皆さん、グリーンカード取得は大変でしたか????
2004年12月23日
コメント(6)
昨日の日記にも書きましたが、ハミングバードの巣やら卵から孵る写真が旦那ママから送られてきました。(彼女がとったんじゃないですけど)スゴイ珍しい写真なので、日本の皆様にも、是非見て欲しいと思い、載せています。下↓をクリックして、見てください。一ページ終ったら、NEXT PAGEという所をクリックすると、次ページにいけます。全部で3ページだったかな?(4ページかも。。。)可愛いハミングバードの巣や卵から孵るところです。貴重な写真なので、良かったら見てねお時間のある方は、フリーページのハミングバードと一緒に見てやってください。こちらには、ハミングバードの説明と、私の撮った下手糞な写真があります。こちらは私のハミングバードのフリーページです昨日の日記で、ローズさんとシツママさんに教えてもらったので、一寸トライしてみます。コレで出来てたら、皆拍手して、クリックして、可愛いハミングバード見てやってね。出来てるかなあ???ドキドキ・・・普通の日記は又後から書きます。出来てたよ~~~~スゴイ。スゴイ。自分でもほめたくなるくらい、上手に出来ました。先生方~ありがとうございました。感謝感激です。もっと一杯覚えて、もっと色々使いこなせるようにしたいなあ・・・・さて、本日の本題日記に入ります。昨日クレジットカードの請求書が来た。家の場合、電話やら電気代など、どの請求書が来ても、いつも封も開けずに、旦那に渡し、旦那がTAKE CAREをしてくれる。(私は、駄目主婦どすね・・すみません)旦那は細かいことを一々私に言ったり、私のお金の使い方について質問をしたこともないので、毎月、請求書が来る→旦那の机のに置くで私の用事は終っている。昨日もいつもの様に、だんなの机の上に、来たばかりの請求書を置いて、私は夕飯の支度をしていた。旦那が戻り、遠くから”げ~!”といっているのが聞こえたので、”何々?”と近寄ってみる。。。すると、何時に無く怒っているような様子。”コレ見てよ。”と差し出された請求書には、”制限額より多く使った罰金” とかかれ、 その横に35ドルと書いてあった。げげげ!!私制限額、越えちゃった???と少しうろたえた。私は、このカードを作ったとき、まだアメリカに来たばかりで制限額がたったの1000ドルだった。仕事もクレジットの歴史も無いということで、1000ドルという(約10万ちょっと)最低限度からのスタートだった。だから、日本へ帰る飛行機代などの大きな買い物など出来ることも無く、このカードでは、毎日の生活費に使うものにあてていた。アメリカではカードでの買い物が殆どで、スーパーでも郵便局でも、ガソリンスタンドでも、ちょっとした買い物なら、何でもカードである。小切手みたいなチェックを使うこともあるけれど、それも色々トラブルが増え、最近では使用者がめっきり減っているのだという。こちらではカード社会が、本当に出来上がっている。(といっても、全てのお店で使えるわけでもなく、現金がないと困ることもあります。メンドクサイ国ですね)という事で、私も、食料品やらガソリンや、手芸の材料などなどは、カードで購入していた。でも、1000ドルを越える事なんて一回もなかった。オカシイジョ。それはオカシイ。延長金を取られる覚えは、全然無い。請求書を見ても、700ドル一寸だ。。。なんで????旦那が怒った理由に、カード会社で、一回何かペナルティを起こすと、それ以降、何かにつけてペナルティ費として色んなことを請求される事があるという。私は、訳が良くわからなかったのだが、たかが35ドルの罰金だから・・・と思っていると、次回の請求書にも、何かのバッキンとして又別料金で請求されることがあるのだというのだ。放っておくと、次から次へと・・・そして、その情報は、全カード会社に行き渡り今後のカード使用にも影響を与える。嘘みたい。。。。。でも、確かに、おとついのラジオのニュースで、そういうことを言っていたのを、ふと思い出した。カード会社はアナタが、間違いを犯すのを待っているのですよって、そのニュースは閉めていた。ぞ~~~~っと背筋が寒くなった。でも・・・・1000ドル越えてないもん。。おかしいよ。私は受話器をとり即効 カスタマーズサービスへ電話。機会の声が、やたらと説明をし、何回も番号を押して、選択をさせた後、10分ほど待って、ヤットの事でやる気のなさそうな男が出た。PETERと名乗ったその男に、私は請求書にも700ドル一寸しか使っていないのに、延長金が取られているオカシイと怒りの声を上げた。ピーターは、細々とした声で、全く誠意も減った暮れも見せる事なく言い放った。”そりゃ、あんたの間違いだよ。740ドル使ってて、その後又300ドル使ってるでしょ?合計すれば1000ドル超える。”はあ??????”その300ドルは何処にあるの???””次の請求書だけど、たせば1000ドルになる”はあ??????????????????そりゃ、700タス300は1000になる。そんなの子供だって計算できるよ。でも、なんで、期間外で使った金額までその1000ドル内に入るのよ???オカシイよ~~~~~~!!!!私は怒りでプルプル震えて、ピーターに怒りという怒りを全てぶちまけた。ピーターは、声一つ変えず、それは私の落ち度だから・・と繰り返す。じゃあ、百歩引いて、私の落ち度だとしましょう。でも、私はお金払っているし、一回だって、払いを遅くなった事はない。(いつも旦那がチャントやってくれてるから大丈夫なんだ)”こんなクレジットカード、使えるか”と思い・・・・”じゃあ、もう私のカードキャンセルします。今からキャンセルしてください”と怒鳴った。ピーターは、キャンセルの理由はこの35ドルですか?なんて呑気に聞いてきた。”納得の行かない、バッキンに、誠意のない、サービス。この二つの理由だよ”と大声で言った。。。”上司に代わります”と最期に、音楽が流れた。暫くすると、今度はとっても感じのいいおにいちゃんが出てきた。”キャンセルしたいという事ですが、理由は何ですか”私はピーターに言ったように、延長金を払うなんておかしいし、納得いかないから、もうキャンセルします。と言い放った。すると、今度のお兄ちゃんはトテモ誠意をもって、この35ドルはどうして発生したのかを説明してくれた。なんだか、雲に包まれちゃったような理由だったけど、(だって、今説明しろって言われても、出来ないもん)一寸だけ納得したような気もした。”もう良いや。 払っても仕方ないかな”・・・なんて一寸弱気になってきた。でも言ってみた。”でもね、いつも、気をつけてカード使っていたんですよ。そんなルールがあるんだったら、もっとハッキリポリシー提示しないと、間違う人一杯いると思う。それに、今までカード色々使っていたけど、そんなの聞いた事ないし。でも、いつもクレジット暦が悪くならないように、本当に気をつけているんです”↑と、かわいこブリの声で、思いっきり・・・すると・・・・”MRS妖精、アナタは信用の置けるお客様です。今回のバッキンは無かった事にしましょう。使用額も2500ドルにアップします”と思ってもいなかった言葉が返ってきた。”へ?””払わなくてもいいの??????????”キャ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!制限額も2.5倍だよ~~!!キャンセルやめますね~!(本とは無いと困るの)さようなら~~~~~!!!元気に電話を切った。横にいた旦那・・・・・やっぱり、苦情ががりはお前に限る。そんなにすらすら旨く物が運べるのは、君の才能かも・・・・ま~ね。 でも、これを機に私も、もう少し金銭的なことやら、いろんなことに、責任を持って、主婦としてやっていこうと思いました。来月から、旦那に教わって、私も色々やることに決定。さてさて。本当の主婦になりまする・・・・そして、文句がかりは私の役目。(性格、ドンドン悪くなっていくような。。)↑でも文句言いは元々得意だっけ。
2004年12月22日
コメント(10)
今日の日記を読む前にこちらを紹介したいと思います。世界でも中々、ハミングバードの巣や卵ましてや、ハミングバードが卵からどうやって孵るかなんて、見たこと在る人ってソレホドいないと思います。本日、旦那ママより、メールが来まして・・・こちらにその様子が綺麗に写真入りで見られます。貴重なものですので、皆さん、お時間のあるときにどうぞ見てください。http://community-2.webtv.net/hotmail.com/verle33/HummingBirdNest↑なんで、そこをクリックしたらそのページに飛べるようにできないのかなあ?どなたかやり方分かる方いらしたら教えてください。それでは、本日の日記です。おとつい位から調子が良くなくて、今日も昼まで寝た。体だるくって、頭も重くって、熱もこりゃあるぞ・・・みたいで。 おまけに歯もいたくって、もう三重苦どころか四重苦位で、カナリだるい体を押して、ノロノロと起き出した。熱があると、口の中が気持ちよくないので、痛い歯ぐきを抑えて、歯を磨きながら、外をふと見ると・・・・・・・・庭のむこ~~~~うに在る小川が、白く見えた。アレレ・・・白い・・・・ってことは・・・・・凍ってる~~~~~~~~~~!!!!!去年もおととしも、小川は11月中旬になると凍って動きを止めた。でも今年は暖冬で、雪もまだ積もらず、小川も流れていた。昨日までは・・・・・大急ぎで旦那に、それを告げると、今朝は朝方マイナス18℃まで気温が落ちたらしく、小川も一気に凍りついた ことを教えられる。外は太陽が出ていて、室内からはポカポカ。さほど寒そうには見えていなかったが、温度計を見ると、マイナス10℃だった。今日は、グレッチェンの子供達にクリスマスプレゼントをあげることになっていたので、寒かったけど、出かけていった。(彼女については、カナリ昔に日記に書いたので、覚えてくださっている方もいると思います)約束の時間にドアを叩くと、グレッチェンが窓を開けて、子供達が走ってきた。人目見て、グレッチェンの様子が良くないことに気付いた。ストレスなのか、彼女の表情にも元気がなかった。子供達がプレゼントを広げる間に、彼女が”最近、何も作れなくって・・・創作意欲がわかないのよ”ってブツっと一言。”弟が最近ここに住みだしてね、今車を共有しているの。だから、彼が出かけると、私は何処にもいけなくて、余計にストレス感じるんだと思う”って・・・早口で一気に言った彼女の目には、何故か生気が感じられず、カナリ神経的に参っている事が伺えた。コレでもかって言うくらい、苦労をしている彼女。会わなかった少しの間に、また新しい苦労が彼女の元にやってきたらしい。下の子供は、血だらけのシャツを着ていた。その血も、新しいものだという事が赤い色から伝わってきた。”アレルギーのものがあると、肌という肌から、直ぐに血が出ちゃうのよ”昔、そういっていたことを思い出した。彼女達からしたら、このくらいの血は日常茶飯事なのだろう。取り立てて何事もないように、血痕のたくさんついたシャツを平気で着ていた。グレッチェンのクリスマス。彼女が心から笑えるひと時がありますように・・・そう思って、彼女のアパートをあとにした。外に出ると、空気は肌を切るように冷たく私は車に急いで乗り込んだ。
2004年12月21日
コメント(8)
昨日は、旦那のネイチャーセンターが、クリスマス恒例、”ボランティアさんたち、一年間ありがとうございました”のクリスマスパーティを開いた。センターが朝ごはん&デザートを用意してくれ、一人5ドルのプレゼントを持ち込み、(可愛い金額でしょ?アンマリ何も買えないんですけどね。。。5ドルじゃあ。。はは)ご飯の後プレゼント交換をするというもの。幼稚園のときにやった、ほのぼのクリスマスパーティみたいな そんな感じがするパーティ。アメリカの典型的な、コンチネンタルブレックファーストスクランブルエッグ、キーシュ、ホームフライドポテトマフィン、ビスケット、 フルーツ ドーナツ、クッキー、ケーキ シリアルミルク、コーフィー、ホットチョコレート、紅茶、オレンジジュースなどがテーブルに並び、 其々がすきな物を取っていく。今回は、センターからの依頼があって、味噌汁を作って持っていった。アメリカ人のそれもレッドネック系の人たちが食べられる味噌汁をという依頼のため、1ダシなし。 2豆腐は直径5mmのベイビーキュービック。3一寸濃い目の味噌。を作ってみた。 私はいつも、出汁を濃い目にとって、味噌は薄くって言うのが好き。 (家の母がそうだったので)カツオ節を一杯いれて、出汁をとって、赤みそ、八町味噌(家父が名古屋出身なので)の味噌汁が私のお好み。でも、旦那と結婚してから、家のだしは、昆布だしに変わった。カツオや、魚系のダシは、魚臭くて、嫌なんだそう。という事で、昆布だしを使うようになった。初めのうちは、パンチのない昆布だしに、ちょっと物足りなさを感じていたけれど、今では、なれて美味しく頂いている。けれども、このアメリカの田舎の殆どでは、寿司なんて食べた事もない人たちが多く、その人たちには、昆布ですら、違和感のある味になるという事で、素味噌汁。お湯に豆腐を入れ、味噌を溶かしただけ!!お味は?????星一徹に出したら、絶対にあ膳ひっくり返されるだろうなあ・・・って感じの味だった。でもそれを20人分作って、出してみた。殆どのボランティアは、お年寄りのレッドネックなので、ほんの少しだけ、それもこわごわと、挑戦するだけだったけど、 DCからきたボランティアや、若いボランティアは、大喜びで何杯も飲んで、あまった味噌汁は、タッパーにいれて、お持ち帰りまでしてくれた。都会のアメリカでは、寿司も認知度が高く、味噌汁なんて日常茶飯事だろけど、本当に、田舎のアメリカ人からすると、味噌汁なんて、恐ろしいエイリアンの飲むスープみたいだった。食べ終わったら、プレゼント交換。 其々プレゼントをテーブルの上におき、誰がドレを持ってきたかは不明にする。番号を引き、1から好きなものを取っていく。私は、可愛いスノーマンのお皿と鍋つかみをもらった。クリスマスパーティも終わり、暮れも押し迫ってきた。
2004年12月20日
コメント(16)
今日は車のインスペクション(車検)に出かけていった。日本と違い、アメリカでは、新車であろうが、20年乗っている車であろうが、一年に一回車検を受ける。ディーラーや修理やサンみたいなところや、オイルを変えてくれる所なんかで、車検は簡単に受けられる。大体、ディーラーで受ける車検はイチバン高くつくらしい。私はノホホン主婦で、そうだとは知らず、去年はフォードのディーラーで車検を受けた。そこで、タイヤの変更を求められ、タイヤ屋で直接買えば安く付いたものを、ディーラーで変えたために、結構割高になってしまった。それも友達から、後から教えてもらったんだけど、インスペクションも、地方の修理工みたいな人にやってもらったほうが、仕事も丁寧だし、速いし、安いし。。でそのほうがいいよと、推薦してもらい、それから、そこでオイルチェンジをするようになった。アメリカでは、走行距離が日本に比べて、兎に角多いので、しょっちゅう、オイルチェンジが必要になる。と話が飛んでしまったけれど、今日はそこで、車検を受けた。車検の代金は、約20ドル。以上。もしも、何処も悪くなければ、その20ドルでことは済む。悪い所が見つかると、そこを直してくれて、その分、お金がかかる と言うとっても納得の行くシステム。長くても2時間くらいで終るし、どこか悪いところが見つかっても、その日のうちに直してくれるから、代車を出してもらうっていうシステムが、こちらでは、ないらしい。今日、私は早起きをして、朝一で出かけた。9時半に到着。 インスペクションは1時間から一時間半で終るといわれ、近くの面白くもない店屋を見て、時間をつぶした。11時になり、戻る。さて、帰ったら何をしよう??なんて思いながら、受付に行くと・・・おじさんが”○○と▲▲と◎◎が悪いから、修理しないと行けないけど、どうしますか?”と言う。が~~~~~~~~~~~~ん。○○と▲▲と◎◎って言われても、全然ちんぷんかんぷんで、分からない・・・・う~~~~~~~~~ん。”すみません。。○○と▲▲と◎◎って、何のことなのか、良く分からないのですが、旦那ちゃんに電話してくれます?”とお願いした見た。おっさん、すっと電話とって、”いいよ。電場番号は??”で、話を付けてくれた。おやじが”旦那さんが、やってくださいって言うから、やりますね。2時間くらいかかりますけど・・・・大丈夫ですか?”あ~~。やることないじゃん。ってことで、一人でテコテコ歩いて、近くのレストランにて、ランチを食べた。バッフェで思い切り食べまくり、サラダバーにて、たらふくサラダ。↑大サラ山盛り1杯フライドチキン5個 マッシュドポテト ニンジンのソテーインゲンの煮た奴 トマトスープ グりンピース 野菜のシチュー など↑大サラ山盛り2杯分パイ3種類 とコーフィーを食べて一時間半をつぶす。コレだけ食べると、さすがにお腹パンパンで、はちきれそうになった・・・・レストランを後に、またテコテコ歩いていると・・・”DO YOU NEED A RIDE?”(送りましょうか?)と声がかかる。 アメリカでは、都会は除いて、田舎のアメリカでは、殆どの人が車なので、歩いているとかなり目立つ。歩いていると、本当にこうやって、良く声がかかる。ナンパとかじゃなくて、親切心から声を掛けてくれるんだ。見ると、アーミーのおじさん。迷彩服を着て、ベレー帽なんかかぶってる。”何処から来たの?””日本だよ””そうだと思った。。僕、今まで沖縄にいたんだ。日本は最高だよ。かえりたくなかったよ・・・・”なんて日本の話で盛り上がり、又テコテコ歩いて戻った。2時間くらい経過しているのに、全然出来上がった形跡はなし。仕方ないから、雑誌を読んだり、クリスマスカードを書いたりしていた。待つこと一時間。まだ終りそうもない・・・・・おっさんが、悪いと思ったのか、”モウ直ぐだからね。モウ直ぐ・・・・”と言いに来る。それから待つこと30分。ヤットの事で、終了。どうやら、前回、私がタイヤを穴にはめてしまったときに、カナリの衝撃が車にかかり、ブレーキやら色んなものに支障がかかった模様。そのため、ブレーキのなんとかとか、色んなものを交換したらしい。確かに、一寸調子悪かったかも・・・・合計金額が・・・・350ドルもかかってしまった~~涙・・・この前、ホイール変えて200ドル払ったばかりなのに~~涙でも、日本の車検に比べれば、比べ物にならないくらい、安いけどね。。。。と言うわけで、今日は一日、車検で終ってしまいました。。。待ちくたびれ~~~~~~でもまあ、無事にインスペクションを終え、私の車はカナリいい状態。キラキラ・・・・
2004年12月18日
コメント(12)
全160件 (160件中 1-50件目)