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January 18, 2006
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カテゴリ: 映画
想像していた以上に静謐で、硬質感のある映画でした。

映画を観る前に原作を読んで、あまりにどす黒く、「救い」のない展開に、叫び声を上げそうになりましたが、その部分を映像美で抑え込み、さらっと流すことで、原作の流れを損なわず、映画として愛と祈りのこもった作品に仕上がっていました。



昔からある集落である「浜」と、干拓地である「沖」は、お互いに差別感情を抱いていました。

幼い頃、シュウジは「沖」に住み着いた「鬼ケン」と呼ばれる元ヤクザものとその彼女アカネに出会います。
怖いと思っていた「沖」のヤクザものの意外な優しさに触れた出会いは、アカネを通じてかすかな性の目覚めを感じさせた出会いでもありました。

その「鬼ケン」の壮絶な死の噂に、シュウジは涙を流します。
にんげんのための涙。

主人公の優しさを感じさせるこのエピソードから、物語は始まります。


ある日、「沖」に教会が建ちます。
そこの神父には人を殺したことがある、という噂がありました。

そう、「鬼ケン」の時と同じ。
差別感情は「余所者」を人殺しに仕立てることを、簡単に容認します。

シュウジは、友人とクリスマス会に行き、一人の少女と出会います。
凛として人を寄せ付けない空気をまとったエリ。

エリとの中学での再会は、波乱を含んだものでした。

「ひとり」で生きることを選ぶエリは陸上部で活躍します。
同じく陸上部で走り続けるシュウジ。

エリに誘われて再び行った教会で、シュウジはエリの過去に触れます。
神父の優しさに惹かれて、教会に顔を出すようになるシュウジ。


一方で、バブルを背景に持ち上がるリゾート計画。
「沖」には地上げのヤクザが入り、「補償金」が「沖」の立ち退きを進めます。
それに対する「浜」の嫉妬。そこからくる蔑視。



物語はここから加速していきます。



神父の弟から投げかけられる言葉がシュウジに呪縛をかけます。

大阪でアカネと会うシュウジ。
運命は彼を壮絶な「生き地獄」へと導きます。



エリとの再会。
そして知る、その後の物語。
「誰か私を殺してください」と書くエリの言葉に、シュウジはそっと書き添えます。
「誰か一緒に生きてください」と。

その言葉が誰かに届いたのを聞きながら、シュウジは最後の旅へと出かけます。



「つながりたい」。
その気持ちを持つ、いくつもの孤独な魂が、シュウジによって結ばれる時、新しい物語の扉が開かれることを予告して、疾走した物語はゴールを迎えます。





主人公の2人の、まだ幼さの残る華奢な身体が、物語の壮絶さを際立たせます。

そして、豊川悦司さんの、落ち着いた、慈愛と哀しみに満ちた語りが、心の中に沁み入ります。



「心の闇」「トラウマ」という言葉で、何かを括ってしまうことに対して、有栖川有栖先生は『絶叫城事件』で弾劾します。

そんな薄っぺらい言葉で、何が掘り下げられているのだろうと。
思考停止を促して、問題の本質に向き合うことを忌避しているだけではないかと。

私もこの状況下に置かれたら、同じような人生をたどるかもしれません。

いや、たどるギリギリの所で、踏みとどまってこれたのは、幸運にも両親に恵まれ、友達に恵まれ、先生に、先輩に、後輩に恵まれていたからで、その歯車がどこかで狂ってしまっていたら、私だって、何をするか分かりません。

人は誰しも、それぞれの心の闇を抱え、時に狂気とのギリギリの狭間で、危ういバランスを取っています。



原作の中で、私が最も打たれ、しかし、映画では削られてしまっているエピソードに、神父さんが主人公に「信じる」という言葉で諭すシーンがあります。

「信じる」とは無償の愛であることを、無条件の赦しであることを、重松先生は語ります。

その意味で、人を信じることは本当に難しい。



今、テレビでは、マスコミ自身が時代の寵児と持て囃した人物を、掌を返したように、いや、掌を返して弾劾しています。
「私は前から彼が嫌いだった」「実は私も」の大合唱。
その醜さ。

あるいは、宮崎勤事件の時に聞いたエピソード。
彼が逮捕された後に、彼のお姉さんが婚約を破棄されたという話。

松本サリン事件の時のマスコミの対応。
冤罪の容疑者に浴びせかけた、情け容赦のない罵声。

山形のいじめ事件、女子高生コンクリート詰め事件、母親に毒を与え続けた娘、両親と祖母をバット・電気コード・包丁で殺した事件、人が人の命を奪う事件は毎年のように起きています。



このうちの一部は、私にとってはひとごとではありません。
もしかすると、どこかの歯車が狂えば、私も歩んでいたかも知れない道。
私の周りで起こってもおかしくなかった事件。

ヒトゴトのように語る識者に、「うちの子はそんなことしません」と言い切る「親」に、私は疑問を覚えます。

私だって、あなただって、あなたの子供だって、その隘路に迷い込む可能性はあります。

そこに迷い込んだ時に、抜け出す道を見つけ出すことが、道を示すことが、いや、その前に、迷い込んでいることに気付くことが出来るのか。
そして、その隘路の先で押しつぶされた時、「信じる」ことができるのか。

優しい魂の方が傷つきやすい現実など、私は容認しません。
人をより傷つけた方が勝ち組になるなんて価値観を、私は赦しません。

私はキリスト教徒ではありませんから、「神」の思し召しなどは知る由もありませんが、その行為がか弱い魂を救うのなら、私も祈りを捧げましょう。





それにしても、主人公の彼、演技はまぁ、後半の良さで納得ですけれども、冒頭の朗読が聞くに堪えないのが…。
うーん。最初から田辺さんでも良かったのではないかしら。

最後に響く、厳かな田辺さんの朗読は、本当に聞きほれさせてくれます。
それと比べるにつけ、惜しいなぁ、と。

ま、蛇足な感想です。





『疾走』
2005年 日本 125分

http://www.shissou.com/index_pc.html

監督:SABU
出演:手越祐也 / 韓英恵 / 豊川悦司 / 中谷美紀 / 寺島進 / 大杉漣

★★★★☆


原作:重松清

疾走(上) 疾走(下)






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Last updated  January 29, 2006 09:47:59 AM
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RonaldBus@ Transforming your landscape with gorgeous blue stone slabs. Understanding the Benefits of Choosing …
mrtk@jp @ Re[1]:本と共に~「ぼくらはそれでも肉を食う」(06/19) >そらねこさん コメントありがとうござ…
そらねこ@ Re:本と共に~「ぼくらはそれでも肉を食う」(06/19) はじめまして。本の題名につられてお邪魔…
浅葱斑@ 心のハレっていいですよね? こんにちは。 誕生日の暦から今の自分、未…
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