ひまじんさろん

ひまじんさろん

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

『にっぽんツバメ紀… New! Mドングリさん

母の認知症外来 New! k-nanaさん

モンスター・しいた… New! ♪テツままさん

小田原に行ってきま… New! ひよこ7444さん

図書館の本 New! ぼちぼち7203さん

大人は、子ども達の… みらい0614さん

コメの増産から減産… つるひめ2004さん

宇宙のしっぽ 小林とむぼさん
うるとびーずの ♪MY … うるとびーずさん
五郎のイギリス日記。 scot五郎さん

Comments

ポンボ @ Re:まもなく発刊予定です(04/01) Oh ! My ! Great ! 自費出版! You are α …
msk222@ Re[1]:まもなく発刊予定です(04/01) ポンボさんへ ところが、これは著作と編集…
ポンボ @ Re:まもなく発刊予定です(04/01) いいなぁ ご自分のご商売ですと、実費だけ…
msk222@ Re[1]:被災地支援(01/07) みちのくはじめさんへ ぼくの場合、感情の…
みちのくはじめ @ Re:被災地支援(01/07) こんにちは。みちのくはじめです。 私たち…
aki@ Re:被災地支援(01/07) この様な書込大変失礼致します。日本も当…

Freepage List

2006.07.26
XML
カテゴリ: ほろ酔い日記
はなを

先頃、障害者のためのバリアフリーのペンション「ロッジ吹上」を訪ねたときのことだ。
電動車いすを器用に乗りこなし、不自由な会話ではあるがニコニコと魅力的なことばを発するふしぎな老女とであった。
何となく興味をひかれ、尋ねると木村浩子さんという女性だという。ロッジを経営する倉田さんと友人で、年に1、2度は訪れているという。
木村浩子 、3歳のときに脳性小児マヒにかかり、唯一自由に動かせる左足の親指と人差指を使って、短歌や絵を描いている。現在は加藤登紀子さんらの応援も得て、沖縄とオーストラリアに「土の宿」という民宿を経営している。ちなみに沖縄「土の宿」の宿泊料金は一泊1500円。
おいおい紹介してゆきたいが、今日は彼女の書いた自伝のなかから一部だけ紹介しておきたい。

ほん


障害者の悲しみを知ったのは8歳の時―。
朝、母に背負われて炭山に行く。きのうまで毎日のように遊びに来ていた敏ちゃんが、新しいランドセルを背に、うれしそうに歩いているのに出会う。
「敏ちゃんはどこへ行くの」
言語障害のひどい私は、そのころおそらく母にだけ通じる言葉だったろうが、母にきく。
「学校」と母は答えた。
「どうして私は行かれんの」私は続けて質問する。

  生きるために手のかなわねば足使うを
  当然なるに珍しという

今も両手は使えないが、足は練習のおかげで歩け、左足指に筆をはさんで文字を書き、絵も描く。言葉は今はどうにか人様に通じるようになったが、そのころはダルマさんのように座ったきり、這うことすらできなかったのだ。
「足が悪いからよ、手も」
しばらくしてから苦しそうに母は言う。ああ、私は障害児、人並みのからだではないのだ。
火は消えていた。母は私を枯れ葉の上に座らせて、枯れ本に火をつけ炭ガマにくべる。煙がもうもうと天に昇ってゆく。風に揺れ、乱れたり直線になったりして昇るのを見ながら、私は敏ちゃんを思った。ほかの友だちもぞくぞく校門をくぐるだろう。だが私は行かれぬ。
「母ちゃん、浩子も学校へ行きたい」
なかなか炭木に燃えつかぬ火に、いくたびも、枯れ木をカマ口に突き込む母に、私は声をかける。
母はだまっていた。つらかったのだろう。父が戦死し、親類間の事情で再婚した母は、私をどうにかして正常なからだにしようとする一念から、義父に気がねしながら私を連れて近郊の町医者、もみ医者、指圧師を訪ね、治療を受けさせていたのだ。近くは乳母車、遠くは自転車に乗せて。
ようやく炭木に火がついた。母は私を背負って山をくだる。母の背を涙でくしやくしゃにする私をあやしながら。
その翌日、母は新しいランドセルを買ってくれた。赤い牡丹の絵のあるランドセル。中に筆箱も鉛筆も、下敷も入っていた。
手足がきかず、与えても、どうすることもできぬと知りながら、学校へゆけぬ子のために、せめてランドセルだけでもと買ってくれた母心。その金の一部を調達するために、母は前夜おそくまで川で大根を洗い、翌朝、高森の市場へ自転車で持っていったのだと祖母からあとで聞いた。
その母は、私が十三歳の時、三十六歳でぽっくり死んだ。はかない命だった。臨終の床で、「浩子、浩子、浩子の足が」と、繰り返し言ったという。
母の愛情のランドセルを、私は今も持っている。赤い牡丹は色あせたが「浩子、障害に屈するな、自分の人生は自分の努力と闘志で切り開け。そのなかにも温かい心をもって」、と言っているようだ。

  うつし絵にありし目のごともの言いぬなき母よ
  ひと目われとありませ


ほん


木村浩子 プロフィール
山口県出身1937年10月15日生まれ。世界身体障害芸術家協会会員。
3歳のときに脳性小児マヒにかかり、以後17歳まで寝たきりの状態が続いていたが、ある人の指導で、17歳になって初めて立ち上がることができるようになった。
その後、短歌・絵と積極的に学び、唯一自由に動かせる左足の親指と人差指を使って、土に一番近い野生の草花や、人間の優しさをふっと感じさせる童画、俳画を主に描いている。
また、平和運動や障害者運動に積極的に取り組み、現在にいたっている。

1967年 わが半世紀
1985年 わらべその詩(詩画集)を自費出版。
1975年 山口県で「土の会」および「土の会実生活訓練所」を創設。
1978年 山口県萩市に、障害者の泊まれる民宿「土の宿」を創設。

1990年 オーストラリア・アデレードに「オーストラリア土の宿」を設立。
1995年 おきなわ土の宿物語(小学館)を出版。
1997年 海外での個展のため、わらべその詩英語版("WARABE" VERSES)を自費出版。

現在、沖縄・伊江島に住み、民宿経営のかたわら、海外を含め各地で個展を開いている。









お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2006.07.27 22:32:52 コメント(3) | コメントを書く
[ほろ酔い日記] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: