そういちの平庵∞ceeport∞

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ライシャワー大使刺傷事件



東西対立の激化の結果「ベルリンの壁」が築かれ数年が経ち。

日本はIMF8条国に移行、OECDにも加盟、開放経済体制に。10月、東海道新幹線が開業。アジアで初めてのオリンピックが東京で開かれた。「日本は完全に戦禍から復興した」との意識が。池田首相は病気で辞任、第1次佐藤栄作内閣が発足。無線タクシー登場。切手ブーム。マンションブーム。カギっ子。働く女性の呼称がBGからOLへ。

トンキン湾事件が発生、米軍はこれを口実に北ベトナムを報復爆撃し、ベトナム戦争はエスカレート。ソ連ではブレジネフが実権を握った。

巷には 「柔」 美空ひばり 「東京五輪音頭」 三波春男「アンコ椿は恋の花」 都はるみなどが流れ♪

「おれについてこい」「ウルトラC」「東京サバク」「トップレス」「シェー」なんていう言葉たちが流行り。

国中がオリンピック一色で塗りつぶされた時代。

そんな時代に独りの精神障害者がアメリカ大使館に進入

昭和39年・1964年3月24日 ライシャワー米大使刺される

ハーバード大学のライシャワー教授が、ケネデイ大統領の要請で駐日大使として着任したのが前年昭和38年・1963年4月19日。

時の日本大使ライシャワー大使の太ももを刺し怪我をさせた事件があった。

その後、何者かがアメリカ大使館に侵入るという事件が起きた。

警察により真っ先に疑われたのが上記障害者

彼は当時都立松沢病院に入院していたのだが・・・事件当日外出中であった

外出先の古本屋の店主が彼のアリバイを証明した為逮捕は逃れるものの

彼は、その後松沢病院内で自殺した。

ライシャワー大使のほうは。手術の時の輸血がもとで肝炎になった。



アメリカに怯え顔色を伺う日本人をヒステリックにさせた象徴的な事件

マスコミは魔女狩りのようにキャンペーンを張り「危険な精神障害者を隔離しろ!!」と連呼する

国は、お金を出して隔離収容政策が強化する。

この事によって莫大な利益をあげた業者がいる精神病院経営者だ

お金になるからと商店街の自営業者までが精神病院の経営に乗り出した。

精神病院の乱立の時代だ。

そんな時代があった。

独りの精神障害者が歴史を変えた。

精神衛生法改正、輸血用血液の売血廃止という事態になったのだ。

この国の精神障害者施策が遅々として進まず精神障害者が人間扱いされない理由

何か大きな事件が起きると社会防衛を理由に隔離政策が叫ばれる。

例外的な触法精神障害者が精神障害者の真実であるかのような報道がなされる。

そんなこの国の精神障害者に関する事件でもかなり象徴的な事件。


現存する隔離収容型の精神病院

僕は実際この目で幾つか見たし

何人もの人からその家畜場の様な実態を聞いてきた

姉も短い期間だが20年近く昔に入院した

何回も何回も鉄の扉を開けやっと辿り付いた病棟

そこにいる人は

「何で入院してるかわからない」

「出たいけど、行く所が無い」

「社会が怖い」

僕が始めて見聞した精神病院は大阪の箕面にあった

今でも似たような状況は山程ある

10年、20年、30年と長期入院を余儀なくされ薬漬けにされ・・・・

これらの人々の社会復帰もこれまた大変で買い物の仕方や乗り物の乗り方そんなことから始めるのだ。

家族の側にも言及するなら、偏見や差別の中で精神病になった家族を捨てるのは、その昔の結核やライ=ハンセン氏病と非常に酷似した経過を辿る。

このような事象の連続的な連鎖の結果が「社会的入院」と呼ばれる現象や問題なのだが・・・・

さて、昭和36年ライシャワー大使刺傷事件後精神障害者に対し何を残して来たのか、

法の強化と収容政策と医療の実験と精神病院大増設などがあげられる。

これが日本の精神医療の歴史的実態である。

国は病院に対し補助金を出し経営が出来るように援助し、

その結果病院の建設ラッシュが始まり病院が見る見るうちに大増設した結果となった。

同じ頃アメリカはケネディ大統領が精神障害者をノーマライゼーションで地域へと念頭演説でアポロ計画ともに演説した。

日本は反対に法律強化へ進んだことにより、社会防衛策として強制入院、長期入院化し、現在でも34万人の患者が入院している。

また、平均在院日数を見ても日本では460日であるが、先進国アメリカでは7日と短期である。

イタリアの国では精神病院は10年以上前に廃止された。

日本は精神医療に関して後進国である。

医療費は国民の税金から捻出されている。

精神障害者を地域へ戻していくことになれば国民の税金が軽減されるのではないだろうか?

そしてその中から福祉充実をはかり精神障害者の社会参加が望ましいと思う。

そのような自立に向かった社会復帰のシステムが他の先進国より遅れている。

また、法律では精神障害者に対し欠格条項などおびただしい規制がある。

医療法特例があり内科病院よりも精神病院は医師の数が3対1で良いと特例で決めてる。

この法律が長期にわたる精神障害者収容時代が続いた。

32万人を超える精神科の入院患者をどうやって減らすかは、障害者が健常者と分け隔てなく暮らせる社会にするうえで、大きな課題だ。

政府が2002年末に閣議決定した「新障害者プラン」は、入院中心から地域生活中心への政策転換を打ち出した。とくに、行き場がないために退院できない「社会的入院」の7万2000人については、10年以内の解消を掲げた。

この問題の最大の功労者は「やどかりの里」を創設し現北海道医療大学の教授谷中さん。

谷中さんは、この国の精神障害者の制度そのものを作り上げた功労者でもある。

作業所を筆頭に生活支援センターや福祉工場を「やどかりの里」で立ち上げ行政を動かしてきた。

その谷中さんが長い時間をかけて有識者と共に計画や予算を練り上げ閣議決定までされた予算案がその後大幅に削減されたと聞き。「憤りのあまり持病の腰痛が再発した」と谷中さん。

これらの問題に関し厚生労働省は24日、精神科病院の一部を「退院支援施設」に転用することを認める方針を決め、自治体の担当課長会議で示した。グループホームと並ぶ社会復帰に向けた福祉施設と位置づけている。

病院敷地外に建てる場合は20~30人規模で個室が条件だが、病棟の転用なら20~60人規模で4人部屋でも認める。その工事には1件1億円前後の補助金が予定され、運営の財源は、医療から障害者自立支援法によるものに移される。

受け皿として想定されたグループホームは、自立支援法の悪影響で単価が嘘のように安く。

グループホームに常勤職員が置けない。やむなくパート雇用で切り盛りするところも増えた。

社会的入院患者の社会復帰には様々な事柄が必要で福祉の分野だけでこれを推し進めればおそらく潰れる精神病院も出てくる。

これらの問題を考えていくと厚生労働省官僚と精神医療関係者の癒着や談合がすぐさま思い浮かぶ。

まあ、癒着や談合なら福祉分野の面々も。。。なのだろうが。

医療と福祉が協力できればなあとは思うのだが現実面では難しい。

利益を求めず良心的な人々の苦労が報われないのはなぜだろうか?

官僚の側にもそういう人はいるのだ。

そしていつも囲われ保護され言いなりになる当事者。

あきらめ、絶望し、無関心になり、蚊帳の外。

一部の当事者が頑張ってるだけじゃどうしようもないだろうし。

行政サイドの精神科医にこの辺りの話を聞けば

若い世代の入院は激減。

入院期間も減少している。

そして長期入院患者=社会的入院患者の問題は高齢者の問題に移行している。

福祉サイドの専門家によれば。

退院出来そうな人は退院した。

後に残るのは、あんまり出たがらない。或いは出れない人々ではないだろうか?

そんな言葉も思い出す。

とまあ、知りうる限りのことを書き連ねてみた。

この辺りのことを考えるとライシャワー事件を僕はおもいだすのだ。

もうひとつ思い出すのが「わが国十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸のほかに、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」呉秀三が1918年に唱えた言葉

この国に生まれたことが不幸だと言わせる状態は果たして終わりを告げることが出来るのだろうか?


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