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寮担当のH氏から電話があった。「M君のコートが、1~2日和室に置いておいたのが無くなっているが、処分してしまったのでしょうか?」と言う戯けた問い合わせ。「は~~ぁ?何のことですか??」「いやぁ~~M君が聞いてくれという物ですから?」「今朝 会いましたが・・何も仰っていませんでしたけど・・・・ ど~~ゆう意味ですか?第一私に直接言わずにHさんからの問い合わせ?」「え~~ぇ 私も困っているんですが~ 聞いてくれというもんで・・・」「まず最初に言っておきますが、他人の物はたとえ規約違反をしていても、決して 勝手には捨てません。可笑しいですよね。何故 Hさんを通しての問い合わせなんですか?直接 私に聞けばいいことなのに。この際だから言っておきますけど、彼のだらしなさには閉口しているんですよ。洗濯物はいつまでも放置してあるは、靴下・シャッは食堂へ脱ぎっぱなし、お風呂で着替えた下着はそのまま、注意はショッチュウですよ!Hさん メッセンジャーボーイじゃ~ぁないんだから、いちいち・・貴方が聞くことじゃ~ぁないでしょう。本人から直接管理室に電話ください。」(規約違反:寮生会議で、彼等が決めた約束事)「捨ててませんですよね~~」「Hさん!いい加減 子供の使いは止めてください。捨ててませんっ!」「スミマセンデシタ」「なんで謝るんですか?貴方の事でもないのに。も~ぅ いい加減・・・彼等に・・・自覚させては・・・いかがです?」「オメガ紛失」以来。未解決のまま、相変わらずのダラシナサ・・「酔っ払って忘れて来た、コートなんて知るか~~ッ!」今年寮を出て行く「M君!しっかりしろよっ!」仕事が半人前と言われた上に 尾鰭がつくよ!!話題の少ない会社では。
2006年01月31日
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休み明けは、毎度のことながら・・寮はゴミの山。月曜日は「燃えるゴミ」の日。いつものことながら、ゴミ袋は10個をクダラナイ。 何時日か近所では、「ゴミ出し屋敷」と呼ばれている? 雨が降っているせいか、歳のせいか・・・今日の掃除は堪えた。ブログを書くのも・・面倒になって眠い。「昼寝じゃ~・昼寝じゃ~・昼寝じゃ~。」 微かな音色に目覚めると、大正琴の調べは・・・寒風吹きすさぶ利尻の便り。 「野崎参り」・「人生劇場」・「古城」・「王将」・「ん~~~~♪」が続く。題名までは分からないけれど、確かに聴き覚えのあるメロディーばかり。はこフグの母さんの趣味“大正琴”。故郷の便りが、 「母さんの味」と一緒に 送られてきた。
2006年01月30日
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昨日 私は「墓掃除」。はこフグは映画「フライトプラン」に行くはずだったが、寮に帰ってみると、彼女は昼寝をしていた。「ど~~したぁ?」と訊いたら、部屋の模様替えをしているうちに、疲れてしまって、面倒臭くなったらしい。 今日は私の予定では、中国映画「単騎 千里を走る」を観に行くつもりだったが、彼女が昨日行けなかった映画「フライトプラン」を、付き合えと言う。彼女の「奢り」では、異存があるわけがないので「OK!」。 これで今年は2作目の映画になる。今年の1作目の映画は、三谷 幸喜の「THE 有頂天ホテル」だった。○古屋まで行って観た映画だったが、私の知る限り最近にはない「大入り」大盛況に釣られてか、面白さもなかなかなもの。(暫らくぶりで観た「邦画」も、捨てたもんじゃない) 今日観た、ジョディ・フォスターの「フライトプラン」。映画評論家でもない私が、トヤカク書くことでもない。 ただ・・想うのは・・ 「予告編は全てすばらしい!!」
2006年01月29日
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今年はじめての墓掃除に行く。さよりが亡くなったのは、平成10年10月31日享年53歳だった。昼食のあと片付けが終って、(当時、飲食店をしていた)夫婦で遅めの昼食を摂っていた時に“事”は起こった。 以下の顛末は、ブログを始めた最初の頃書いたような気もするので、(確かめる気にならないし、今はそれ以上書く気も起きない。) 兎に角 処置の仕様がなくて、救急車を呼び、45分かかって病院に搬送され、蘇生が試みられたが・・・・息を吹き返したものの、医者から“脳死”を宣告された。すぐさま、娘・息子・親戚に連絡を入れたが・・・・ さよりは、そのまま緊急医療室に運ばれて、翌朝 8:??に息を引き取った。偶然にもその時間は、娘の誕生した時間と1~2分の違いだった。彼女の死因は、「窒息死」 あれから7年と3ヶ月が経った。その間 息子は卒業・就職し、娘は嫁いで・・私は店を辞めて・・・縁あって(?)はこフグと一緒になって・・・・・この寮のお世話になって2年が過ぎた。 想いが昂じて、何かを書きとめようと思ってPCを起こしたのだが、フラッシュバックが前頭葉を刺激するのだが、「語彙不足」は否めなく、色んな場面が、「浮かんでは消え・浮かんでは消え」するのだが、連続性と一貫(環)性がない。(想い出は決して、“走馬灯”ではない)
2006年01月28日
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「簡易浄化槽清掃に掛かる年間費用」 「汲み取り料」 年間4回×50.000円=200.000円 「黄金塊除去費用」年2回×10.000円=20.000円 「点検費用」 年3回× 3.000円= 9.000円 ここにお世話になってから2年が過ぎ去ったわけだが、赴任当初から気になっていた「簡易浄化槽清掃の件」の回答が、今日 担当者から、2年が過ぎて漸く届いた。担当者の感想。「年間に・・・これだけ必要なんでしょうかね~~?」私。「・・・・・・・・・・・んっ?」2年も放っておいて「何をか言わんや!」である。「さぁ~~?・・ねぇ~~??」と私。「どー思います?」と彼。 2年も前に不審に思って「調査依頼」を出しているのに、(おとといきやがれ!!)の言い草。「二年前に話してあったでしょう!?」「ん~~~~・・忙しくって・・・」「寮管理の他に・・何があるの~~」(いかん、いかん・・ついつい声が大きくなって) 「ところで・・今頃 何の為に・・」と言い掛けた私の言葉を遮って、「経費の見直しです。寮の総経費どの位かご存知ですか?」「2.200万でしたよね!」「ど・ど~~して知ってるんですか~~?」「寮生会議の資料が、食堂に放置されていましたから」「・・・・・・・・・・」「取りあえず関係業者に聞いて見ますわ~~。」「へ~~ぇっ」と私。「それから・・・耐震工事の件・・いま・・見積もりしてますから」「それも一年前から聞いていましたけど」「・・・ん~~?よろしく!!」「何を~ッ??」で終った。
2006年01月27日
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新入社員の内定者がほぼ決まって、総合職・一般職ふくめて34名。東京組(関東の大卒見込み)の、総合職研修会が金・土と名古屋本社で行われる。よって、今夜寮に到着予定。5名と聞いていたので、会社のHPを開いてチェック。4名の内定者が分かった。が一人は不明。 KS君 M大政治経済学部・(クラブ&サークル)サッカー部。 「座右の銘」 大切なのは努力すること でももっと大切なのは夢をみること。 SH君 C大法学部・(クラブ&サークル)DJサークル・ボーリングサークル。 「座右の銘」 努力すれば報われる。 KW君 A学院大経済学部・(クラブ&サークル)サッカー愛好会 「座右の銘」 最大の敵は自分なり。 NW君 M大政治経済学部・(クラブ&サークル)ラグビーサークル。 「座右の銘」 ONE FOR ALL ALL FOR ONE 入社から3年しての離職者は、30%にも及ぶといわれている。希望と不安抱え込みながら入社を迎えようとしている。“座右の銘を忘れずに”(しか~~し!!此処に来て本社から、 “研修社員用の布団のレンタル忘れた~”ってか!!)
2006年01月26日
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四六時中ほとんど毎日、私等夫婦は一緒である。来る日も来る日も、始終顔をつき合わせていることになる。今日も午前中の仕事が終って、管理室に戻ってコーヒータイム。上さんの服装を見ると、しょうちゃん帽を被って上下のスウェットで全部赤。片膝を崩してチョコンと座ってコーヒーを飲んでいる。「か~~ぁちゃん! 胡坐かいてご覧」「デキナイかもシンナイ・・こ~~ぉ?」かくにはかいたが・・・重心が安定しないでづっこける。(おぉ~~ぅ!「七転び八起き」!!)まるで・・“達磨大・・いやいや・・だるま女師!”「七転び八起き」じゃ~ぁなくて・・「七顛八倒」 上さん観ながら思わず!!“合掌”なんまいだ・ナンマイダ。“ナンマイダ!人の振り見て 吾が振り直せ!!”である。
2006年01月25日
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「ライブドア」の堀江某が逮捕されて、マスコミが一斉にその悪行を報道し始める。「ナニヲカイワンヤ!チャンチャラ可笑しい、臍でチャを沸かす!」である。 取り分け堀江某が好きではないが、相変わらずのマスコミの正義観(面)には胸糞が悪くなるだけで、その真意の希薄さには反吐がでる。「真摯な気持ちで不正を暴く!」なんて、使い古された言葉を声高に叫び壊れたレコード盤の上をなぞる針のように、同じような論旨を繰り返すだけ。テレビにしてもラジオにしても、新聞にしても、何処も代わり映えのしない論評。「報道の自由と正義の代弁者?」を気取り。「正義の鉄槌を下す?」とは笑止千万!!「少なくとも俺は、 過去から現在に至るまでの、 お前達のペンを信じていない!」
2006年01月24日
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小学校の或る時期に、「渾名」を付けることが流行ってたことがあった。思い出した「渾名」の最初は、3年生の担任教諭の「ガニ子」。いつも怒りを顔中に出していて、平家蟹の甲羅のような顔で、おまけに歩く姿はがに股。よって「ガニ子」と命名した。4年の担任は「さぽり」。体が弱かったせいか?よく授業を中断して、「自習」に切り替えて保健室で休んでいた先生。(授業を自習に切り替える時、いつもアタマをポリポリ掻いていて、付けた渾名が「サボり」ではなく「サポリ」)5~6年は同じ先生で、歳も若くて張り切りフレシュマンだったので、「ベゴ若丸」。(注:「ベゴ」は標準語で「牛」)因みに校長は「ハッタギ」で教頭は「ホッチャレ」。(注:「ハッタギ」は標準語で「バッタ」 「ホッチャレ」は受精後の鮭。誰も喰わない。) 当然 先輩や同級生にも渾名は付けられていた。当時 大概の子供達(親達も?)は、腹の中に寄生虫を飼っていた?そのため・・学校で定期的に渡された、寄生虫駆除のための薬「サントニン」飲んで暫くすると、間違いなく副作用で周囲が黄色に見え出す代物。しかし・・その効果は覿面で、2~3時間のうちに「便」と一緒に出て来た。中には下からだけでは間に合わず、口から出て来る奴もいて、其処から付いた渾名が「ファーブル」。ついでに・・顔色が悪く、黄疸色をした奴は「サントニン」で、青色をした奴は、栄養補助剤として配られていた「肝油」が、そのまま渾名。手癖の悪い先輩に付いた渾名は、「バチアタリ」。新興宗教を信じている家族の子が、「おしらさま」。白雲たかりの子は「ホヤ」で、田虫たかりは「粉ふきイモ」。家にばかりいて、外で遊ばない子は「座敷ワラシ」初め「ガイコツ」と付けられていた子が、「シャレコーベ」。「シャレコーベ」が、「シャリ」にちじめられて、やがて「きよひら」に。よく泣く子が「お泣きさん」で、「三角岩」や「遠野物語」も居た。「トンボ」・「青大将」・「昆虫牧場」・「蝦蟇」やエトセトラ・エトセトラ思い出したら限がない。ちなみに当時の私の渾名は、「コエタゴ」だった。
2006年01月23日
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一ヶ月に一回の、はこフグの気分転換とも言える美容院。上さんの美容院が終る時間を見計らって、いつものところで待ち合わせ。昼食を食べた後に、予定していた写真展に向う。 予定では徒歩で行くつもりだったが・・あまりの寒さに耐え切れずに、急遽地下鉄での移動となった。日本写真家協会主催の、「日本の子供60年」終戦(S20)~現在までを、子供を被写体にして写真で綴った戦後史。この世に「生」を受けて60年。まさに私自身の成長を物語る「写真展」にもなる。 原爆投下後。包帯も痛々しい、おにぎりを握り締めて写っている母と娘。浮浪児(戦争孤児をそう呼んでいた)が、芸をして食べ物を貰っている写真。怪我の不安に苛まれながら、衣・食・住”もままならず、明日の保障は誰にもわからない筈なのに、その目の輝きは死んではいない。「母と娘」は、じ~ぃとレンズを見据えているし、戦争孤児の「芸」を見て・・「食べ物」を貰っている人の輪の中には、屈託のない笑顔が渦巻いてさえいる。「戦争」という極限の状態からの解放が、明日をも知れない不安を押しのけて、喜びをあらわしている写真。 いくら言葉で語りつくしても、語りつくせない現実が・・・・たった一枚の写真が、その全てを物語ってくれている。 「戦後60年」右往左往して歩んで来た日本のあり様が、子供を被写体にして物語って・・・・くれている。 「東京」(終了)「名古屋」・「京都」・「横浜」で開催。 特に・・名古屋の開催(1月29日まで)は、入場・無料。 「写真展」の余韻に浸りながら、帰りは徒歩で名古屋駅方面へ。途中、建設中の「トヨタ本社」を観てみると、外装工事は完成済みだった。 そのビルの外装は、どこまでも「名古屋らしく」・・・・・ 「豪華絢爛」からは、ほど遠い。それもまた「よし!」である。
2006年01月22日
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弟の奥さんから思いがけない贈り物が届いた。早速 お礼の電話を入れると、弟が電話口にでた。話を聞くと・・商売上の付き合いで仙台方面へ接待だとか、新年に送ったデパートの初売りの「福袋」のお礼だろうということだった。「仙台のお土産」といえば・・数々あるだろうが、パ~ぁッと浮かぶのは、今は「牛タン」が一番?なのだろうか。昔は・・今日贈って貰った「笹かま」も、人気があったお土産だったが、今ではそこらへんのスーパーでも扱うようになって来て、お土産としての有り難味は薄くなった物だが、私には懐かしいお土産だ。 昔はこんなに洒落た包装などなかったが・・まして今日贈ってもらったのは、季節限定の「お土産品」。時の移り変わりはこんな物にも現れてくる。 (季節限定品:笹かま) 思わず、思いがけない懐かしい味に舌鼓!!感謝!感謝!! 弟の近況報告の中に、親父の話も出て来た。「認知症」で長期入院をしている親父さま。先日 医者の方から電話が有って、「そろそろ・・・覚悟しておいて」とのこと。休み明けに病院の方に行ってくると言ったが、「何かあったら・・一人で抱え込まないで、電話をくれ!」と言っておいた。男やもめを通して三十年。万感が胸を突く。 前から予定していた↓の写真展に昼からいく。日本写真家協会(日本の子供の60年) 「ALWAYS 三丁目の夕日」が放映中のこの企画?ハナタレ小僧の自分探しの後には、「貧乏こそが美徳」だった時代に浸ってこよう!「親父に想いをこめて」
2006年01月21日
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年末。全国紙の地方版に、小さく載った記事。「愛宕山跡発掘調査へ!」この城跡は、寮の南側に位置する小高い林の中にあり、先日来、「作業所」と「囲い」が設置されたが、まだ 本格的な調査は為されていない。 早速、郷土史を調べようと思って、市のホームページを検索してみたが、それらしい記事も資料もなかった。それではと思って、図書館の郷土史を調べて来たが大したことは解らなかった。 【愛宕山城】「別名」 走井山北辺城「遺構等」曲輪・土塁「現状」 山林「築城」 室町時代「築城者」矢田市郎左衛門「歴代城主」矢田「場所」 長禅寺すぐ南。永禄年間。織田信長の攻撃によって滅ぼされた。この城跡の西に位置するところに、同年代に建てられた、「矢田城跡」があるが、同族が築城した城で、永禄年間に信長によって滅ぼされた。 「走井城跡」 【走井城】「遺構等」 三段の壇「現状」 観学寺 走井公園「建築者」 矢田半右衛門俊元「歴代城主」矢田「形式」 平山城「資料」 ※ 室町時代、毛利氏家臣 山内俊行の子・俊元が北畠氏に属して築城。その際、姓を「矢田」に改めたが、永禄年間織田信長によって滅ぼされた。その後「矢田城」は滝川一益に与えられて、「長島一向一揆」鎮圧の前線基地になった。 今日のところはこんな事ぐらいしか解らなかったが、「郷土史家」がいるとのことで、先方の都合を聞いてお会いしたいと思っている。
2006年01月20日
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今・・台湾在住の同級生・Y君に年賀状を書いています。台湾のお正月は、今月の29日からということなので、今年は台湾の正月にあわせて年賀状を書いています。 国内にいても日頃のご無沙汰は、多々あることで、そういう意味からしても、年賀状は楽しい便りの一つになっている。凝ったデザインでも、そうでなくても、「手書きの一筆が欲しい」と思うのは、私だけだろうか? 彼との親交は、彼が小学校5年の春に転校したときから、小学校6年の春に東京に転校していった、約一年間だった。その後、彼は台湾へ移住する諸手続きが終るまで、東京大田区第○小学校に留まり、それから間もなく、台湾へ移住していった。 以来三十数年の間、音信は途絶えて・・彼の存在は私の記憶の中から、消え去っていった。 彼の存在が再び私の記憶に蘇って来たのは、彼の一本の電話からだった。 去年の暮れ。知多在住の同級生S君から電話があった。日頃のご無沙汰を詫び、(お互いなのだが・・)近況報告があり、その中にY君の話も出て来た。 現在 Y君は病院に入院していて、コバルト療法を受けているらしい。 詳細はわからないのでなんともいえないが、年賀状に手紙を付けて・・・確かめるしかない。
2006年01月19日
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いつものように身支度を整えて、○ヶ丘駅始発AM5:30の地下鉄に乗って、電車が千○駅に滑り込んだところで停まってしまった。30秒位の停車で発車するはずの電車が、ドアを開けたまま動かない。「何でだろう?」と訝っていると・・・・・・小走りでドアを入って来た乗客が、口々に「大きな地震だったな~」と囁いてる。まもなく車掌の社内放送で「地震あったため緊急停車をしています」と。やがて何事もなかったかのように電車は走り出し×見駅に6分遅れで着いた。駅を降りた私は、小走りに階段を駆け上り、店に着くなりテレビをつけた。テレビには、「関西地方で大きな地震があった」というテロップが流れていた。もどかしさに堪らずラジオをつけると、「関西地方に大きな揺れを感じる地震が発生した」とアナウンサーが報道していた。 朝の仕込を続けながら、テレビとラジオをつけっぱなしにして置いたら、ラジオから「奈良地方に大きな地震が発生したらしい?」とアナウンス。(この時点では、神戸の状況は一切報道されていなかった。) これが・・私が聞いた「淡路・阪神大地震」の第一報だった。 それから・・間なしで神戸の大惨状が、テレビに映し出されていった。 あれから11年がたった。・・・国会では・・・「耐震強度偽装事件」で、マンション販売会社「ヒューザー」の小嶋進の、衆院委で証人喚問が行われている。 その裏には相変わらずの、政治家と大手ゼネコンとの暗躍が見え隠れして(何十年経っても、この構図は変る事がない現実であって、やがて三ヶ月もしたら「闇の中?」だろう。)大震災があるたびに「建築基準」が見直されたり、改正されたり。取り沙汰される一方で、経済設計(?)という名目が罷り通り、鉄筋を異常に減らしたホテルやマンションが、審査基準を満たして(?)、建てられていた。(建てられている。) 喚問まえは、あれほど雄弁だった小嶋某は、「ロッキード事件」喚問以来の伝統を踏襲してか、寡黙で、言葉を選び、弁護士の補佐を受けての答弁だった。 11年経った地震名も、今や「阪神大震災」に落ち着いた(?)多くの死傷者と罹災者を出したこの災害!!果たして!?「自然災害なのか?人災なのか?」死傷者の冥福を祈って“合掌”(犠牲者のためにも、忘れてならないことがある)
2006年01月18日
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テーマを「赤ちゃんが欲しい!」に入れたのが的確だったのか疑問だが、かといって、新しいテーマを書き込むのも面倒だったので、このテーマの項に書き始めたわけだが・・・(ちょっと、この項のテーマから外れているかもしれない) 話を進める。 第一子は女の子だった。最初からお互いの両親に名前を付けて貰うつもりはなかったが、・・・・・・が・・・・・とりあえずは・・・・・夫々の親にお伺いは立ててみた。「子供の将来にも責任をもてる名前を付けてくれ!」と、二の句もつかずに「自分達の子供は、自分達が責任を持って付けるべきだ」と、お互いの両親から言われた。 最初の子。まして・・「女の子」という事で、「名前」を付ける事には、それなりに緊張感を覚えたものだった。とりあえず・・すぐに・・「姓名判断」の本は買って来た。・・当時 テレビタレント(?)として、人気のあった(??)ちょっと眉唾ものの学者(???)、野末陳平著の「姓名判断」の本。 親の欲でも、取り分け「玉の輿」など願っているわけではなし、ごくごく・・平凡でもいいから健康的な青春時代がすごして、適齢期になったら、恋愛でもして身の丈の結婚をしてくれればいいと思って、そんな「名前」を考え始めた。 苗字 ○○にあう名前。なお且つ「子」が付く名前。(世間では名前に「子」が付くことが廃れ始めていて、水商売の源氏名のような名前が流行っていた) 基本的には天・地・人と総画が、格別悪くなかったら良かったし、以前 なんかの本で読んだ、春夏秋冬に纏わる字や「静」という字など、「付けないほうが良い」というぐらいの知識で、後は買って来た本だけが頼り。 「命名字典」を引っ張り出してきて、「姓名判断」の本で画数調べ。「子」を付けることを前提に考えて、漢字を使う名前ならば、その漢字は一字か二字の攻防になる。ココまで来ると・・・(【注1】ある程度画数がある字がいいな~~と思ったり、【注2】難しくて先生が読めない字も困るな~~と考えたりもする。・・した。) いろいろ考えた末に、○子にすることに決めた後は・・・・たった一字の検討になる。なった。・・・あ~~でもない、こ~~でもないと、字の正しい原義まで調べていくと、なかなか決めるべき漢字に迷いが出て来る。(ものだ!) 長女が生まれて三日目の面会日に、妻(亡妻)に決めて来た名前を提示したら、書いてきた命名書をジ~~ィと見ていた妻が一言。「この名前・・・どこから・・とった?」「う~~ん、昔付き合っていた、 ・・・・・・彼女の名前」透かさず彼女「総体運はど~~なの?」「まぁ~~まぁ!!いいほうかな?」「そ~おっ!よかったね! ごくろうさま」 そうやって・・・娘の名前は決まった。(後日そのことは娘の知ることになる)【注1】字画が極端に少ないと、書く時字のバランスが取り難い。【注2】友人が難しい名前であったため、そのたびに先生に嫌味をいわれていた。
2006年01月17日
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-人名でも社名でも、あらたに命名するとすれば、 やはりそれなりの注意をはらうべきであろう。漢字をもちいるなら、字づらより字の正しい原義を踏まえて名づけたいもだー姓名に関することで、↑の文章を読んだ事がある。 子供が産まれて来たとき、子供に命名するという事は、それはそれは・・親の一大事業となる(?)。もし 自分が命名した名が、その子の一生を左右することになったり、いやいや・・そんなことがある訳はないと思っていても、自分自身(親)の自然な心の流れに従えば、少しでも幸せが多く、皆に好かれる・健康な子になるような、「名前をつけたい!」と思うものである。 そのために親は、姓名判断の本を買って来て字画を調べたり、双方の両親に相談したり、挙句の果てには神主や坊主にまで相談する?・・・七転八倒・艱難辛苦(?)歯噛みする思いで・・・・・ “我が子に幸多かれ!”という思いを込めて、自分の子供に命名する。(間違いなく、私もそうだった・・・) 名前に関する私のエピソードは後日書くとして、名前にもちいてならないものとして、「春秋左氏伝」に書いてあること。 (1)国名 (2)山川名 (3)病名 (4)六畜名( 牛・馬・羊・鶏・犬・豚) (5)器物・玉帛(ぎょくはく)名 「玉」は山でとれる宝石。海でとれる珠(しゅ)と違う。 「帛」は白いねり絹。(祭礼に関係する) 「美」は「羊」と「大」が組み合わさって出来た漢字。 「羊」」は六畜名に入っているので、「美」は避けたほうがいい。 【今回はここまでとする】
2006年01月16日
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久しぶりの暖かい日差しに誘われるように、爺は慣れないデジカメ抱えて、ごくごく近所の散歩へ出る。 (寮の前の公園)(緊急避難場所) (城跡公園)(春には桜が満開) (赤字路線) (殿様の水) {かって殿様の水は、ここより毎日運ばれていた“御殿水”今は汲む人もない?} (旧道に並ぶ町並み) (町並みにある地蔵尊) (春待ちの桜の蕾) (調査が始まった城跡・1) (城跡の目印の石碑) (この町の旧上水場)
2006年01月15日
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「漏れている事は確かなんですけど?? しか~し?それが・・・何処からなのかは解りませんな~ぁ」 皮を捲って、懐中電灯を突っ込んでみたが・・・・「解らない?」 捲った皮の辺りは、湿っている様子もない。 猶・・・慎重に表や裏を、嘗め回すように調べてみたが、「解らない!」(人間、首を横に振ったら・・「ロク」なことがないが・・・〔この人、首を横に振った〕) そして・・・その人が出した結論は、・・・・・・ 「暫く・・捲ったまんまで様子を観ましょう」 「・・んんむむむむっ・・はい?」 往診(?)に来た、その人は帰っていった。取り残された私(?)は・・(ただ・・・天井を見上げるだけだった。) だから。。だから・・・・・ “老朽化したマンションは・・”早急なメンテナンスが、 必要なのに~~~~~~~~~~ぃっ。 (チャンチャン。)
2006年01月14日
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「平成」の元号を『書経(尚書)』の「大禹謨」から典拠して、小渕氏が晴れやかに国民に発表してから17年。氏はその後首相になったが、「事半ばにして、流通もしない2.000円札と大きな赤字国債を残して、急逝した。」「平成」の文の意味するところは、「地平らぎ天成り、六府三事、允(まこと)に治まる。」(地の大洪水がたいらぎ、天の五行も完成して、六府三事とがほんとうによくととのった)※(六府) 五行の元素(土・木・金・火・水)に「穀」を加えたもの)※(三事) 人としてやらねばならぬこと(正徳・利用・厚生)をさす。) また「平成」の元号には『史記』の「五帝本記」の中の、「父は義、母は慈、兄は恭、子は孝、内平らかに外成る」の文章も引かれていて、 内平外成とは、家の中が平和になり、世の中も良く治まったと言う意味。 平成も17年が過ぎて18年目に入っているが・・・・ この大雪は、何を意味するのだろう?
2006年01月13日
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中国人・研修社員の蔡さんは、現在 上海に残してきている奥さんの、出産を前にして一時帰国をしている。最初 中国から来た時の自己紹介で、「ガンダムフリーク」だと言っていた。 先日 寮生が出したゴミの中に、「機動戦士 ガンダム」のコミックが、あったので・・・蔡さんのためにとって置いたが?・・・・ 私等が子供の頃もマンガの月刊誌はあった。思い出して書き出してみた「おもしろブック」「冒険王」「少年キング」「少年ブック」「少年画報」他正月のお年玉で、3~4ヶ月は買うのだが・・継続購読は1年とは続かない。ひとえにその理由は、小遣い不足になるからに他ならない。 貧しさのために・・・「マンガの弊害」(?)に遭わなかった。(“弊害”という事自体わからないが) だから・・・今でも字数の多いマンガは苦手である。 マンガは「絵」だけで解るのがいい!!(私にとっては・・)
2006年01月12日
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「孫子の兵法」と言っても今更・・・ その解説をするつもりはサラサラ“ない!!”第一 このブログ中に、その手の専門家諸氏が犇いていて、解説の類は、枚挙にいとまがないほどである。なまじ生兵法の付け焼刃で屁理屈を並べ立てて、非難・批判・異論があっても、 それを論破するほどの理論構築を私は持ち合わせてはいない。 “事”は、 「女房と寮生の攻防戦で如何に対処するか?」 食堂・娯楽室(和室)・各階の廊下・便所の共益部分の使用方法の節操欠如と、ゴミの分別方法のいい加減差で、女房と寮生の「冷戦」が続いている。女房の繰り出す「罵声と貼紙爆弾」に対して、彼等は「無視・回避作戦」を展開する。女房も負けじと本社人事部へ、「讒言の方」で臨むも、「多勢に無勢」で、「讒言」には「讒言」で対抗されて、「戦況」は、彼女の思惑とは違って捗々しくない。 餓鬼と小人との戦いと高を括っていたものの、「寮生30対女房1」の戦いは、ますます険悪な物になっていっている。そろそろ女房に極意を授けずばなるまい! 簡単確実効果覿面策!!それは・・・・・偏に・・・・ “糧道を絶て!!” たんに糧道を絶つは、その奥は深い・深い・ふかい・
2006年01月11日
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寮生の各部屋は、プライベートな領域なので私達はタッチしていない。だから部屋のレイアウトや掃除は、彼等個人個人の裁量に任されている。各個人の部屋は、入寮時に案内するだけで、その後は覗いた事もないし、覗きたいと思ったこともない。しかし 例外が年に一回だけあって、各部屋を覗く事になる。それが・・火災通報システムと各部屋の熱感知器の点検の時だ。 点検時期が分かるとかなり前から、掲示板に点検日を掲示して置くのだが、今日 その点検のために契約業者が訪れた。 その日は私にとって、 「恐怖の大王が降臨する日」。 最初に断わっておくが・・・一部ほんの一部に「大王は降りない!」。 けれど・・大概の部屋に、大王は降りてくる、いや・棲んでいる。 私も過去に・・寮生活の経験者で、潔癖症な人間とはいえないが・・・・・ いまや物質文明に犯されている若者達の部屋は・・・・・・・あらゆる電化製品と衣類と化粧品とゴミとETCが、渾然一体となっていかなる形容詞を駆使しようが、私の拙い文章力では伝えようがない。「恐怖の大王だけが ほくそ笑む」。 「一度でいいから見に来て下さい!おとうさん・おかあさん」(私は業者と一緒に各部屋を回りながら、必死に心で叫ぶだけ)
2006年01月10日
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はこフグは、名古屋で唯一の親戚の叔母さんのところへ「新年の挨拶」。私は、郊外にある天然温泉「お達者クラブ」へ命の洗濯。(今日の運勢)(2006年 1月9日 )〔酉年〕 白雪は蘆花より勝る清浄の象あり。心落ち着き泰平。〔一白水星〕(全体運) 集中力を発揮すると思わぬ成果を上げられそう、何か一つ目標を決めて取り組もう。〔水星人〕(四柱推命) 自信・プライド・人に頼らずバリバリ行動しそう。身勝手な行動を取ってしまいそう。周りの様子を把握して行動するよう。〔おうし座〕 公共的な場所であなたの頑張りが評価される日のようです。尊敬できると思っている人から褒められたり、優しい言葉をかけられるかもしれません。これをきっかけに親しくなろういう野心はいだかないことです。欲を出すと幸運が逃げていってしまいます。 よって・・・「お達者クラブ」に行くことは「大吉」風呂でも入ってのんびり「命の洗濯」でもしよう。だいぶ・・汚れているだろうから??
2006年01月09日
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ー日本人はいつも思想はそとからくるものだと思っている。ー この書き出しで始まる司馬遼太郎著「この国かたち」は、長年の著作活動を裏付ける数々の思索の真髄が網羅されている「名著」である。氏の歴史小説も然ることながら、随筆・随想・講演集に秀逸な作品も多い。 そんな訳で今はこの本を読み返している。その中に「鉄」に触れている項目に出合った。「鉄」といえば・・私の故郷は日本で初めての洋式高炉の出銑に成功した処。その項目を読み勧めていくと、「日本刀」の話にいきついた。 岐阜の関市は、言わずと知れた「刃物の町」である。その町に「森七組」という舗装業者があった。その会社に・・金子孫六氏という人が番頭をしていた。当時 NHK(高橋圭三司会)で「私の秘密」という番組があって話題になり、また 同じ頃、世間を騒然とさせた、三島由紀夫の「陸上自衛隊・市谷駐屯地」占拠事件があった。(市谷駐屯地内東部方隊総監部総監室を、森田必勝等「楯の会」メンバーと共に訪れた氏は、益田兼利総監を人質に取り籠城。バルコニーで「自衛隊決起」の檄文を撒き・演説をした後、受け入れられないと知ると割腹自殺をした。) 満を持してか?・・・・それから・・・半年後。一通の「招待状」が、岐阜担当者の先輩と私のもとに届いた。差出人の宛名は「関の孫六直系 第27代兼房」前々から聞いてはいたのだが・・「刀鍛治・道場開所式」の案内状。道場の「火入れ式」に気楽に参列したが、有力者?や関係者?の多さに圧倒されて、挨拶もそこそこに退散してから・・約35年。人のいい田舎のおっちゃんという風貌は、今はなく・・・今や「関の孫六・三本杉」である。
2006年01月08日
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「仕事始め」も早々に、今日から三日間の連休である。相変わらず寮生は、マイペースで近所の迷惑も顧みず「ワイワイガヤガヤ」。当然 はこフグの血圧は上がりっぱなし。よって・・・血圧を下げる事を第一目的にして、業務スーパーへ買出しという口実で、○日市へ映画に行く事にする。(実際のところ、食材も少なくなってはいるのだが・・・) 映画は「クレールの刺繍」フランス映画?。これで・・はこフグの「怒り」が、少しでも収まれば・・・・こちらも「助かる~」というものだ。“寮生の諸君!私にも安息を!”(笑・・厳しい~~っ)
2006年01月07日
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関の孫六27代目兼房氏のことを書くつもりで、グーグルで、「三島由紀夫」を検索してしていたら・・・「阿部譲治のofficil Web」「大人気ないオトナ」に行き着いた。何気なく読んでいったら、さすが作家で、・・・「面白い!!」 書くつもりだった「27代目 兼房」の話がつまらなくなってしまって、書くのは後にして、もう少し彼の(阿部氏)のブログを読んでからにしよう。
2006年01月06日
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寮生も昨日で大体揃い、今日から仕事始め。去年に比べて今年は、寮生の出入りが少なかったせいか、のんびりした正月を過す事が出来た。が、中国人の斯さんが帰省しなかった為、それなりに食事の心配などしたので、寮を空けての外出は出来なかった。この寮に雇われた時には、ある程度覚悟はしていたものの、2年間の間・・・「有給休暇」などない。一応土・日・祝日は休みなのだが、寮にいると野暮用がついて回る。 私は出不精で、寮にいる事が苦にはならないのだが、上さんはそうはいかない。「気分転換」と称して外出したがる。5回の内1回は付き合うのだが・・・私は続かない。だから・・・今年も協力して「試写会」に応募して、上さんの出る機会をつくってやらねばならないだろう。 「仕事始め」の今日。早速・大浴場の修理に業者が来ている。こんな調子で年が始まり、一年は過ぎて行くのだろう。
2006年01月05日
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私の略礼服(ダブル)は34年前、先妻(享年53)の親父さん(享年78)が、作ってくれた物だ。(義父は紳士オーダー服店を営んでいた。)娘婿のためにと・・当時としては国産最高級のカシミヤドスキンでの真心のダブル。 私の身体も34年も経つと・・世の風説と暴飲暴食に苛まれて、かなりの変形を来たしてしまった。将来の体型を予測して、ちょっと大きめに作ってもらった略礼服も、ダブルのボタンの位置が、今やシングル(?)になってしまっている。それなりに大事に着ていた(というよりも・・余り着る事もなかった。)(昔 新年の初出社には、ダブルの略礼服で、そのあと、お得意様の「挨拶回り」をしたものだったが・・・・)そういう訳だから・・洋服は少しもヘタッテいない。親父の行為を考えると、捨てるには忍びなくて・・・・そのまま・・・箪笥の肥やしになってしまっていた。 二日の日 娘と息子が、新年の挨拶に来たとき、息子にダブルを着せてみた。・・・・・“驚いた!!”驚くほど・・・・・ピッタリだった。 今更ながら、職人の技量の高さに驚嘆する。こうして・・・・・思い出の略礼服は、親子二代に渡って着ることになった。 「親父さん!ありがとう!!」改めて・・・・“感謝・感謝”「息子!大事に着ろよ!!」
2006年01月04日
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「箱根駅伝 復路レース」 1位 順天堂大学(難波君)が意識朦朧で苦戦。2位 駒澤大学迫る! そんなテレビ中継を観ているうちに、ブログを始めた頃書いた、「期待はずれ??」を思い出して・・続きを書くことにした。「第二中学校(全校三人一組) 8キロ マラソン大会」 一年“期待の新星”として走り出した、俺たちの組。(塩分補給として、国鉄機関手が常備している錠剤を貰って飲んだ俺たち三人。)並み居る2年・3年のチームを尻目に奮闘して、トップグループを形成していった。・・・・3キロを越えた所まで快調に飛ばして行った俺たちの組だったが、((俺は先ほどから・・咽喉に渇きを覚えてきていた。)スタート前に飲んだ錠剤のせいか?・・・いよいよ我慢出来なくなった俺は、二人に先に行く事を促がして、水を探しにコースを外れた。(コースから少し離れた所に、当時、製鉄所の棟割長屋があって、そこには井戸があった。)井戸に辿り着いた俺は、夢中で水を飲んで渇きを癒して・・・・・・・二人の後を追った。・・・漸く 折り返し地点で彼らに追いついた。「全校三人一組 マラソン大会」 距離8キロ 「折り返し地点」で追いついた俺。三人は快調にトップグループを走り続けた。(二人は中継点で水を補給していた。)1・2 1・2 1・2・3のリズムで走り続けた。(イチ・ニィ~。。イチ・ニィ~。。イチ・ニィ~・サ~ン。 イチ・ニィ~・サ~ン。イチ・ニィ~・サ~ン。 イチ・ニィ~・サ~ン。イチ・ニィ~・サ~ン。)残り2キロを過ぎたあたりから・・・リズムが微妙に・・・微妙に・・・ (イチ・ニィ~・サ~ン。イチ・ニィ~・サ~ン。 イチ・ニィ~・サ~ン。イチ・ニィ~・サ~ン。 イチ・ニィ~・サ~ン。イチ・ニィ~・サ~ン。イチ・ニィ~・サ~~ン。イチ・ニィ~~・サ~~ン。・・・・・・)(イチ・ニィ~~・サ~~ン。イチ・ニィ~~・サ~~ン。・・・・・・・・イチ・ニィ~~・サ~~ン。・・・・イチ・ニィ~~・ウンコ。イチ・ウンコ・サ~~ン。ウンコ・ニィ~~・サ~~ン。・・・)(ウンコ・ウンコ・ウンコ。ウンコ・ウンコ・ウンコ。ウンコ・ウンコ・ウンコ・運古・運古・運古・運コ・運コ・運古・運古・・) (いまや・・イチ・ニィ~・サ~ンのリズムは、ウンコ・運コ・運古で・・埋め尽くされていった。)(ウンコ・運コ・運古。ウンコ・ウンコ・ガマン。ウンコ・ガマン・ガマン・・・ガマ~ン・ガマ~~ン・ガマ~~ン。・・ガマ~~ン・ガマ~~ンデキナイ。ガマ~ン・ガマ~ン・ガマ~~ン。ガマ~~ン!ガマ~~ン!デキナイ。デキナ~~イ・ガマン・デキナ~~イ。デキナイ・デキナイ・デキナ~~イ!)ふたたび・・二人に先に行くことを・・頼んで・・・・・・・排泄を余儀なくされた「運古」を処理するために、林に消えた。「結果」は言うまでもない!! 以後・・・俺は・・暫くの間・・「糞ながし」と呼ばれることになった。
2006年01月03日
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「慶春」 “新しい年が一層お幸せで あります様にお祈り致します。” 「たんたんと・・・」とひらがなで書くと、漢字を当て込むと、全く正反対の意味になることがあるが・・・・そんなことは、その時々の気分で使い分ければいいだけで、非常に都合のいい言葉だ!・・・・・と思う。 最初に新春を飾る俳句を二首。 「ことさらに いきがりもなし 初日の出」 「初釜を もらい水する 岩(若)清水」 去年の暮れ「楽天ポイント」を見たら、3.500点ばかりあったので、「司馬遼太郎全集 54」(草原の記・「明治」という国家)を購入。買ったついでに来年の目標として、「全集」全巻購入を決めた。「全集・第68巻」金額的にも、私にとっては大目標になる。 司馬遼太郎は、読み始めて20年位しか経っていないが、ひと頃は夢中で読んだ時期があったので、かなり・・読んだ?小説も然ることながら、彼の「講演集」や「評論・随筆集」が・・またいい。この歳になると・・・新しい事柄を考えるヒントや纏めたりすることが苦痛になる。(飽く迄も、私はそうである・・・のだが?・・)そんな時・・・彼のそれらの著書が、非常に役に立ってくれる。(私に) 私の場合の読書は、「乗り物移動のとき」「便所」「台所」で・・・今までは「文庫本」を持ち歩いていたのだが、ここに来て厚本のしかも、「全集」が欲しくなった。「司馬遼太郎全集 全68巻」相手にとって不足はない。 「節約して!買うぞ~~!!」 「一年の計は 元旦にあり!!」である。皆様には、今年もよろしくお願い致します!!
2006年01月01日
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