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「ブロークン・フラワーズ」 冴えないおっちゃんが 怠惰な・変化に乏しい生活に流されている現在に(目的意識のない時の 私に非常に似ている!)突然 降って沸いて出たきた 遠い昔に巻き散らかして来た過去の女を探り当てながらの「自分探しへの旅」。言われるままに「過去の栄光??」を拾い出して旅に出る・・が 「あれなら俺の過去の方がズ~~ッと深い?」・・・と皆に 思わせる「映画」 「あんな映画の 何処がい~~ぃの?」底の浅い無味乾燥な映画だった!
2006年04月30日
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先日から私に「NYみやげは何がいいか?」と言っていた友へ!今日 NIKKEIープラス1を見ていたら ↓が掲載されていたので参考にして よろしく頼む!<追伸>くれぐれも高価な物を買ってこないで欲しい。お返しが大変だから「在住者おすすめのNYみやげ」友よ!旅行へ行く前に↓をチェックして見給え!ストレス度チェック旅行中は“上さんの指示に従え!それが長い人生の凌ぎだから。
2006年04月29日
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「今日から連休。」とは言っても当方はカレンダー通りで 寮には思った以上の寮生が残っている。(会社の本決算が6月なので)ま~~ぁ今日の天気は 何とか持ちそうだが 予報では夕方から「雨」とか?寮にいるのもシャクなので ここは上さんの誘いに乗って映画へ!題名は・・・・・・「ブロークン・フラワーズ」
2006年04月29日
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「黄砂」(昨日・今日と天気がいいせいか?適度に「黄砂」が舞い、寮生の車に縞模様を・・・)「五月つつじ」(やせ細った寮の土地にも、五月つつじが・・・)「山椒」(「花市場で買って来た@180円の「山椒」) ブログでも書こうかな?と思っていたらAM11:00から上さんがPCに張り付いて 今日から発売される「期間限定稚内得々切符・予約」のために 無我夢中に・・・・結局 頑張って見たが予約に失敗に終ってしまった。(一気に機嫌が悪く・・・?)通常料金では往復@80.000の所が @26.000に割り引かれるのだから 直に売り切れるのも頷ける話。 寮生も 明日からの連休を控えて全開モードか?天気予報では 連休初日は「雨」から始まるらしい。
2006年04月28日
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小学1年生の時 突然始まった給食は 2~3ヶ月続いただけで その後中止になってしまってそして再び再開されることはなかった。 寧ろ 保育園で飲んでいたGHQ・援助の「脱脂粉乳」(本当のところは “援助”だったかは大いに疑問なのだが?)その思い出の方が印象深い。大概の思い出で語られる「脱脂粉乳」の評価は その大半が「美味しくなかった」「不味くて飲めんかった」というのに対して私は「美味しかった!」と言う記憶しかない。(この私の評価を指して “お前の味覚は狂っているんじゃ~ないか?”という突っ込みを入れる人がありそうだが?その後 約四半世紀を「人に食を提供して」生きて来たので 断じて味覚音痴ではない。) 給食がなくなったお蔭で 小学校時代は お母さんが作る手弁当。弁当の形は 主食と副食が一緒に入る「弁当箱」だった。好き・嫌いが一切ない私が 後日 大の弁当嫌いになったのはこの時期の「食憶体験」?から来ている。 当時 副食のメインを飾るのは「肉」ではなく「魚」だった。決して魚が嫌いではなかったのだが 手順の手抜きから主食のご飯に魚の臭いが移ってしまい いざ食べようと思う頃は弁当全体が 魚の臭いを主体にした混合臭に包まれてしまい 一気に食欲が無くなってしまっていた。 中学時代になって 昼食時にパン屋さんが学校でパンの販売をするようになってからは 母の弁当を断ってズ~~ッと「昼飯」は パン食に変えた。「結果」 今でも 「駅弁」(割り子弁当)が嫌い!!です。
2006年04月27日
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娘と息子が小さい頃は 商売の関係上 日頃の会話はポチ(雑種犬)の散歩の1~2時間に限られていた。ほぼ毎日ポチがなくなる7年間の間それは続いた。もう一つのスキンシップは土・日・祝日の「お風呂タイム」 それは私と子供達を結ぶ「絆」だった。(「親子の意思疎通は 一緒にいる時間の長さでなく濃密さである。」と決め込んでいた。) それまで一緒に入っていたお風呂がある日を境に拒否された? それは紛れもなく娘が 大人の兆しを受けたときから・・・そのまま彼女は 中学生になってしまった。 その時分 娘さんを持っている常連客等が話していることを聞いていると?????“最近 娘が俺を無視するんだ”とか“話しかけても返事もしないで 自分の部屋に退散してしまう”とか“なんか欲しい物はないのか?と聴くと「な~~んも」と言って無視。”挙句の果てには「おかあさん!お父さんの洗濯物と一緒にしないで!!」 (お客さんの話を聞いていて思った。)取り分け娘に好かれようとは思わないけれど 訳も分からずに嫌われるのも“何かな~~”釈然としない。 或る日 突然「お父さん嫌い!」なんて言われるのも耐えられん。分からん娘の心理を邪推しても埒が明かないという事でバイトの久実ちゃん(仮称・短大生)に聞いてみた。(久実ちゃんは、小さい頃 大のお父さん子だったのだが?ある時を境にして「父嫌い」に?? 夜の仕込が終って まだお客さんが見えないのを見計らって「久実ちゃん。 ど~してお父さんが嫌いになった・・の?」「ウ~~~ン!?どうしてだろう?ど~~してかな~?」「・・・・・嫌いになった原因。。あるんだろ~~ぅ?」「。。。・五月蝿いんだよねっ!鬱陶しい~・・・」「何が~~ッ?なにが五月蝿いの~~っ?」「いちいち五月蝿いんだわ~~!こんまいことまで!・・・そのくせ こっちが怒ると 信用しとるで~だって信用しとるなら文句いうな!信用してないくせにっ」「・・・大将もあんまり亜~~チャン(娘の名前)にクドクド言わんほうがいいよ!信用してやってねっ!」 後日 犬の散歩をしながら娘と ある約束をした。(1)門限はPM7:00(万が一遅れる場合は電話 その場合はPM8:00まではOK)(2)電話代は5.000円までOK(5.000円の通話料を超えたら自腹)(3)電話の通話時間はPM11:00まで。(4)友達の電話対応が悪い場合は、掛け直しを要求する。(5)如何なる理由でも 「お泊り勉強会」は厳禁。これだけの約束を 双方の合意で決めた。「結果」私は 娘の友達から 「掛け直しオジサン」と呼ばれるようになって行った。 ひとまず・・思春期の「親父嫌い」からは回避できたが、今 嫁いだ娘と私の関係は 「ちょっと歯車」が狂っている?が その話は後日に譲るとしよう・・・・・・・・?(でも 所詮はお・や・こ・じゃ~ぁ)
2006年04月26日
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(「愛のカタチ、話しませんか?」のテーマを読んでいて「夫婦愛」や「不倫」だけじゃ~なく 「愛」にはいろいろな形があったほうがいい!) 酒飲み親父は・・・「旦那達者で 留守がいい!」と言われ続け始めた頃から家族からは疎まれ 会社の部下からも嫌われ始めてくる?嫌われる第一の原因は 一緒に飲みに来て 発した最初の「言葉」にある。「今日は 無礼講!会社の話は無しにしょうなっ!」 (ここまでは最高に好かれているのだが・・・・・・・)そして「乾杯!」が始まり?・・・十分も経たない内に・・・ (仕事の話が始まっている。それも彼が口火を切って・・・)「この頃ど~~だ!元気で遣ってるか? 会社に何か言いたいことあるか?」(このあたりまではいい~としょうか?無理っきり) そのうち・・・いつの間にか自分の自慢話にかわっている。「あの頃は あれもしてコレもして ア~~なってこ~~なって頑張った!」酔いと共に 過去の栄光話は続く。栄光話と共に愚痴も出る?(※あのころ「営業職」に担当が決まった人間は 一生懸命遣りさえすればそれなりに「ノルマ」は達成できたし 勿論「利益」も上げることができた。)(ある年代の親父達は 「男の値打ちは 働いて経常利益を上げてなんぼ!!」と企業教育を知らず知らずのうちに植え付けられていた。)万が一当初設定の営業成績を上げる事が出来なかったら それは・・・よっぽど「営業」に向いていないか 天性の「怠け者」でしかなかった。当時男の評価は 「働いて何ぼ!」だった。 そして・・・テーマ「愛のカタチ、話しませんか?」の は・じ・ま・り。
2006年04月25日
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此処二・三日「スポーツジム」に 通っていると 矢鱈入会者が多い?。 夫婦者?小母さん連れ?女性連?男連れはいない。不思議なもので 必ず複数で見学・入会に来ているみたい。 トレーニングを終えて 家に帰ってその由を上さん言うと私と知り合う前まで そういう関係の電話営業をしていた彼女が説明してくれた話では 「習い事・資格etc」の勧誘の狙い時は年の初めか?四月の木の芽時なのだそうだ!そういえば、こんところ・・朝刊に・・・矢鱈広告が多いな~!
2006年04月24日
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一昨日は折角当たった試写会「明日の記憶」のペアー招待券を寮の内装工事の残業のために 上さん一人が行く破目になり 明くる昨日は名古屋へ外出するつもりが 上さんの「偏頭痛」でぱー!!!! 仕方がない?ので「フィトネスクラブ」へGO!着替えもそこそこにバイクをこぎはじめた。バイクが置いてある場所の下には 全面ガラスでプールが見える。今や ちびっ子達の「スイミングスクール」が真っ最中!!!ペダルを踏みしめながら 息子のことが頭を過ぎりだす 娘が小3になった頃 俄かに「スイミングスクール」の話が我が家で持ち上がった。〈一発目の〉神さんは「スクールへ入れよー」と お伺いを立てて来たのを 即座に「却下!」して水泳には些か自信のあった私が・・「息子も一緒に教える!」と高々と宣言した。・・・そして・・・早速翌週から「市民プール」での特訓が始まった。 その指導方法は 前世紀の遺物とまで言われていた「スパルタ教育」曲がりなりにも「娘」は 喰らい付いて来たのだが惜しむらく「息子」は 年長児だったのでその辺が幼く 後年 「娘」はダイビングを趣味に持つようになったが、「息子」は 単なる水嫌いな男にしてしまった。 これは偏に 私の「生兵法」のなせる技であった。子供達の「達者な泳ぎ」を観ているうちに 思わず・・・“息子!すまん!!”
2006年04月23日
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今の所 天気が下り坂だが「雨」には まだまだか?昼から「雨」だと言うので 予定していた「事」は 後日にして・・・「ジム」にでも行こうかと思っている。(上さんは朝から「偏頭痛」で唸っている) 或る事から思い出してしまった「殿山 泰司さん」??「楽天ブック」で検索したら 彼の著書が まだ有った!行き掛かり上買う破目になってしまったが 本当の・・・お目当ての「本」は絶版だった?「三文役者の待ち時間」と「三文役者 あなあきい伝1・2」未だ読み始めたばかりだから 読後感は書けないがこんな文章を見つけ出した(おらの濫読は 適当なところを捲って読み始めるのだ!だからひょんな時にひょんな文章にぶち当たる) 今回も こんなケースになるのだが・・・・「映画評論家 井沢 淳氏は、戦後の日本映画に関して、敗戦直後より二十三年前半ごろまでが〈混乱期〉であり、二十三年後期より二十七年ごろまでが〈上昇期〉であり、二十八年から三十一年までが〈黄金期〉、三十三年から三十七年に至る間が〈下降期〉と、」 こんなことは・・・どうでもいいのだが・・・おらにとって・・・最高に忘れられない邦画は 木下 恵介監督主演:佐田啓二 共演:高峰 秀子 「喜びも悲しみも幾年つき」
2006年04月22日
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親父が亡くなって 今日で丁度60日目。取り分けて深く感慨に浸ってる訳ではないが 時々 想像していたより 小さくなってしまっていた親父の体躯が一瞬 頭を過ぎる事はある。 “朝刊”に 第二次大戦後行方不明となり ウクライナで生存が確認され日本へ一時帰国している 元日本陸軍兵士で岩手県出身の上野(うわの)石之助さん(83)が20日岩手県に帰郷。県庁で弟・左舘 丑太郎さん(81)と63年ぶりに再会した写真が掲載されていた。昭和31年の「厚生白書」に於いて「最早 戦後は終った」と報告されてからでも40数年。戦争の傷跡はまたも頭を擡げる。それにしても 再会を喜び合う兄弟の頭は 二人とも・・・あまりにも白かった! 頭と言えば・・・ 一昨日もう16~7年以上使っているN社製のバリカンで 今の女房に頭を刈って貰った。因みに私の頭は 常に五厘刈りである。 頭髪は30を過ぎてから薄くなっていったが自分自身それほど気にしていなかったし(亡妻も何も言わなかった。) 40を越えたある日。(多分43歳ゴロだったと思うが)入浴後 タオルで頭を拭きながら「ふっ」と 何気なく三面鏡を見ると 映っている頭髪部分を見て「四六の蝦蟇」状態になってしまった。確かに・・・前頭葉は 多少の後退は見られていたが まさか頭部の頂上付近が かなりの後退が進んでいるとは・・・・・(そういえば最近 汗を掻くと頭の天辺に薄っすら汗が溜まって「カルデラ湖」が出来ていた?)(“何時からだったんだろう?”頭の天辺にカルデラ湖を頂いて生きていたのは・・・勿論一気にカルデラ湖になる筈はなく 何度もの頭髪の脱毛を繰り返して 今日に至っている訳だが・・・?) 次の日に「家電チェーン店」に赴いて N社製の「電気バリカン」を買い求めた。以来私の散髪屋さんは 先妻(亡)~娘~現妻と替わっていった。
2006年04月21日
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19日の夕刊に「名古屋城の重文2ヶ所に落書き」の記事が載った今日 何気なく朝刊を読んでいたら 今度は※国宝柱に落書き。(※ 世界遺産に登録されている奈良県斑鳩町の法隆寺の東大門(国宝)の柱に落書きを発見) この二つに記事を読んでいたら 唐突に1960年「広隆寺」で「木造弥勒菩薩半跏像」の指を折ってしまった(美しさに魅せられて触ろうとして、当時の新聞では接吻しようとしてとあったが) 京大学生のことを思い出していた。この事件のお蔭で・・・・高校の修学旅行で「広隆寺の弥勒菩薩」は 拝観出来なかった。 この修学旅行には後日談があって 旅行のスナップ写真に「落書き」をする輩達がいて? 学校中で大問題になり 校長陣頭指揮の「犯人探し」の結果一人の「退学者」を出す破目(羽目)になった。 どう贔屓目に見てもあの落書きが 一人の男が遣った行動とは思えないのだが・・・・ (☆ 先年の「還暦小中同窓会」にも出席がなく、彼の実家にも連絡が・・・・) (日本の教育の実態とは今も昔も、所詮こんなもんさ。クソッタレ!!)
2006年04月20日
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ジムから今帰って来た。根が貧乏性のせいか「くたくたである」?ジムに入った以上は元を取ろうと頑張りすぎて 些か疲れ気味!歳も歳だが その間ぜんぜんスポーツらしき物など遣っていなかったのでこの10日ばかりの頑張りでへたばってきた。※食事制限とバイク・ルームランナー&水泳・ジャグジー・サウナ書き込むと盛りだくさんだが 他の人が見たら?????か?(※ 食事制限と言っても寮生が残した朝食のおかずをセーブする。間食を止める。) デブは楽なもので? 出だしのダイエットは順調に進行中!見る間に0.1tあった体重が 95.2キロ体脂肪率も20パーセント台へ(☆ 勿論コレからが本番なのは百も承知のこと)泳いでいて 大分水をキャッチできるようにはなってきたがまだまだ・・・暫らく体力的に辛いのは続くだろう。 そんなことを書いていたら 上さんの実家から差し入れ写真に出ているおしゃぶり昆布やするめイカのほかに「水蛸の頭」「ホッケのすり身」「鰊の切り込み」(塩辛)「ホクレンのラムロース」(抜群においしい!試食済み)等など 此処に来て 上さんが郷土愛に目覚めてあふりえいとを貼り出した。タコ天宗八カレイ生ラムロースANZCO※此処を開くとラム料理のページがあります。
2006年04月19日
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「オマケ」 昨日 ランダム遊びをしていたら 面白いのにぶち当たった。早速 昨日のブログに入れたのだが 何せ時間が遅かった。だから・・・今日はブログを書く前に まずサービス。「面白い!!」と思っているのは 自分だけなのかもしれないが日本地図の地名 果たして全部間違いなく入れられるのだろうか?・・・(怪しい?) そこで つまらない柵で悩んでいる貴方!ちょっと開いて休憩するのも 強ち「無駄な事!」ではない。“借力”「バカ日本地図」 海山 勝さん 私と違って「山派」・〔趣味〕も多い! 私にはない趣味なので「リンク」して 吸収・吸収?“なにを?!”そしてブログ歴も長い。彼の長年の経験では・・・・・ブログ仲間が挫折していくのは この連休の前後らしい?なんだかんだと言ってはじめた「ブログ」。折角一年も越えた事だし自分としては・・・・・もう少し続けたい物だが?・・・・
2006年04月18日
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上さんが気を利かしてか 「司馬遼太郎記念館」を最初に入れた連休の旅行予定表を作ってきて 旅行嫌いの私の機先を制した。(※ 元々「旅行嫌い」だった訳ではない。店をやっていた自分は、店名を冠した「××会」なるものがあって、年二回の旅行会があった。この「会」が 私を旅行嫌いにしていった。訳は追々ブログに書くこともあるかも?) ときどき・・司馬遼太郎氏の時代小説の中で 「誰が 好き?」と聞かれる事がある。・・・・そんなとき「だれだろう?」思うのだが今以って「誰かな?」と極めかねている。 誰とは特定できては居ないが 俺の性格からいっても「回天事業の・・・」主人公達ではない。勝気な姉の「お仁王様こと乙女さん」か「寺田屋のお登勢さん」かな?それとも全く違って「ポンペ先生」かな?「オマケ」 暇に任せてランダム訪問をしていたら 下の「面白HP」発見俺の日本地図は 大丈夫かな?早速 フリーだったので掲示。“借力”「バカ日本地図」
2006年04月17日
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最初に テーマを何故「愛のかたち、話しませんか?」に入れたかというと単純に「親子の躾」に他ならないからであり 子供に対する親の愛情の初歩であり義務だと思うからである。 ブログを創める最初の頃にも書いたことだが 要は「食事マナー」それも基本中の基本の 「箸使い」のことである。 私は「食事処」を28年経営して来て 三年前に店を閉め(後継者がいなかったため 見切りをつけて)現在 この独身寮に勤めている。寮生にも言えることなのだが・・何人かの寮生は 怪しげな箸使いで食事をしている。 先日 映画「寝ずの番」の事を書いた折 ブログ仲間として懇意にしていただいているりゅうLONGさんからのコメントで こんなコメントを頂いた。 「家並み家柄語ってみても 河原こじきの箸使い・・・・・」 批評を受けた監督は 本業は「俳優」(評判では名優部類らしい)役によって「箸使い」の違いを使い分けているかと言うとどうも そうでもないらしく 根っからの「箸使い」が悪いらしい。 世は相変わらずのグルメ時代。芸能人の推薦する「お店紹介」に始まって 挙句の果てには・・・料理評論家紛いの芸能人まで出る始末。 そういえば・・・今は消息さえ定かでない「白馬童子」彼が旬だった20数年前 今で言えば「薀蓄」なるものをノタマイその絶頂期には 歴史ある「御園座」で座長を務めたこともあった。 京都生まれの医者の息子と言う触れ込みで 調子に乗って・・・料理屋紹介までなら許せるものを そのうち料理評論まで遣り始めた。一つ一つの料理を食べて感想を述べるのだがギッチョは致し方ないのだが その「箸使い」が 空前絶後!。あんな人を料理キャスターに使う 真意が解らなかったが程なく“消えた?” 最近目障りになる奴が一人居る。「中尾 彬」その人だ!「料理の通」ぶって あちこちの料理番組に出ては講釈をたれているが 彼の「箸使い」を看て見るがいい!何処か喋り口も「白馬童子」に良く似ている。少なくても役者なのだから 役によって使い分けて欲しい・・・あの箸使いでは「板前」の役も出来まい。解ったように料理の講釈を述べる前に 「基本・基本・きほん」 そういえば「でぶや」の石塚くんも 限りなく怪しい。林家 こぶ平師匠も 「噺家」にしてはお粗末な「箸使い」だったが「林家 正蔵」の名跡継ぐに至って見事な箸使いになっていた。 “努力すれば直せる”
2006年04月16日
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訪問してくれた人達の「ブログ」を覗くのが 楽しみの一つでもある。前は覗いた記しにBBSに 「ご訪問ありがとう・・」と 書いたものだが余りにも通り一辺の言葉に思えて来たので 止めてしまった。訪問頂くのは大変嬉しいのだが 取り分けて来訪者の数を競って「何とかブログランキング」に登録するつもりもないので自分なりのスタンスで続けて来たし 今後も続けて行きたい。 今日たまたま覗いて頂いたマインド・クリエイトさんの処を訪問してみたら ↓の教室があったが 興味のある方は 「どうぞ!!」「役に立つ催眠」スクール
2006年04月15日
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昨日・今日・明日と三日連続で「スポーツ・ジム」に通うつもりだったがのっけから 残っている「耐震工事」の作業だと言って「孫受け」だか「曾孫受け」だか知らないが 塗装工事業者のお兄ちゃんが二人も来たので 結局 出掛ける事も出来ずに挫折。今日は「休日」という事で 満を持して「ジム」に向った。 「ジム」に着くなり 着替えも早々に「バイク」を漕ぎ出す。 ペダルを踏んでいると・・・昔 ラジオの講和かなんかで? 名前は度忘れしたがだぶん それなりに高名な禅僧が出演した折 話の中で・・・次のようなことを述べていた?・・・・「人間 一日に一回 5分でも10分でもいいから“自分の呼吸を意識してみなさい!”」 自分の呼吸を意識する所から「悟り」の入り口が始まるのだとか? 同じ様なことを 当時家に来ていた(家=店)ヨーガの先生に言われたことがあった。 ヨーガの先生には ↓のようなことも言われた。「吸う息より吐く息を意識しなさい!!」(鼻から吸って 鼻から出す 吸う息の倍を 吐く息に使う)と・・・ 何度遣っても巧くいかないが・・・水泳なら比較的巧くいく。プールに移って そんな練習を一時間半もやっていた?
2006年04月15日
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「歌奴だ!」「三平だ!」「正蔵だ!」「円生だ!」「小さん・志ん生だ!」「金馬だ!」「三木助だ!」「その他沢山だ~っ!!」(※ 書いたらきりがないから「その他」。その他に「ピン」もいる。「沢山!」) ここまで名前を挙げると 「何代目の話だ!」ということになるが「そんなことは当方としては 知っちゃ~ぁことではない!」還暦過ぎたばかりのジジイが書いていることなのだから・・・六十引くところの四十で 二十代・昭和35~6年のことだと「考えてくんね~~!」????? (※ それでも解んなかったら 「検索機能でお勉強!お勉強!」)“三遊亭円生" 言わずと知れた「円楽」(現「笑点」司会者)のお師匠さん。(ここから独断と偏見の書き殴り)※(円楽は何故か今でも円生には成れていない?) 「間」の取り方が 文章の行間が見えるほどのしゃべり口。密かに 私だけが思っていたことだけれど この「間」の取り方は・・戦時中に慰問で戦地を 古今亭 しん生と回ったときに「しん生師匠」から学び盗った物に間違いない! 後年 「落語協会脱退騒動」やテレビドラマの出演が続き ときどき“大丈夫か~~?”と 思ったりする位の語りで間延びのした高座が続き ちょっと頂けない舞台も観たけれども全体としては素晴らしい「しゃべり」で 特に私は円生師匠の「鰍沢」が大好きで 聴くたびに身の毛もよだつほどの感動を覚えたものだった。“古今亭 しん生” 数ある中の演目で 特に「火焔太鼓」は 圧巻だったらしいが・・・惜しむらく 私達のころには アルコールが大分過ぎていて呂律がちょいと・・・怪しくなっていたが 「間」一つで客を笑いの渦へ!それに 師匠には二人の宝があって その評価は絶大だった。 「宝」の一つは長男の金原亭 馬生。(大器晩成型 嘱望されるも早死に) もう一つの「宝」は努力家天才の古今亭 志ん朝。(名人と持て囃されるも 肝臓がんで死亡) きりがないのでもう一人だけ!!“三遊亭 小さん” 言わずもがなの立川流宗家 立川 談志のお師匠さん。その風貌は まさに生まれながらの咄家で長屋の大家さん風情。師匠の上さんが これまた面白い人だった。「ガラッパチ」で ときどきテレビに出ては 師匠の「あることないこと」を 面白おかしく脚色して披露するから自称「剣道 7段」も形無しになってしまっていた。しかし・・・後日 小さんが高座に上がった時には 上さんの喋りが相乗効果になっていて より楽しい落語になっていた。 この項終り。
2006年04月14日
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「書き出すための練習で!」 最近国産の牛肉は、地方地方の名称を冠したブランド牛が流行りだ!今朝も 皿洗いをしながらラジオを聴いていると“大阪 梅ビーフ”なるものが 今 話題を呼んでいるらしい。大手・果実酒メーカー「ちょーや」の [ゴミ0ミッション」と大阪食肉協会がタイアップして「梅酒」を漬けた後の「梅」が「産廃扱い」になるのでなんとか利用方法がないかと検討した結果一つの方法として「肉牛」に試験的に与えて見たところ・・・・・“涎を流さんばかりの食欲を示し” なお且つ・・・・牛肉自体にも「ほんのりと梅の香りがついた牛肉」が生産される運びになって 好調な売れ行きを呼んでいるとか?こうして また一つ「松阪牛」の対抗馬?が生まれた。 「寝ずの番」を観て以来 昔 よく聞いていた「落語家達」を思い出し始めていた。 先代「三遊亭 歌奴」 元国鉄職員で「新大久保」に勤務していたことをまくらに使い駅名「しんおおくぼ~~・しんおおくぼ~~」とアナウンスしながらカール・ブッセの「やまのあなたのそらとおく さいわいひとのすむという・・・・・」を引っ提げて 繰り広げる演題・「授業中」! 当時 田舎から出て来て知り合いもなく同級生の会話にも入れず(東北弁が恥ずかしくて)下宿に帰ってラジオにしがみ付いているのが日課になっていた。 そんな中で聴く「歌奴の落語」は ひと時でもホームシックを忘れ笑いと共に望郷の念を呼び起こす 私にとっては“いっぷくの清涼剤”に等しいものだった。 この項続く! ところで・・・お好きな落語家は・・・?
2006年04月13日
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「徹子の部屋」に出演した津川雅彦が 映画の宣伝の序でに一人娘のことを話し始めているのを 何気なく見ているうちにむかし むかしの・・店の客の事を思い出していた。 適齢期の年子の娘を二人も持ったTさんが 上の娘さんに彼氏が出来て 紆余曲折があった末 無事結納が終った頃から 酔う度に「娘二人持って 損した!損した!!」と言うのが口癖になってしまった。「ど~ぅして? 損なの~?」と聞くと・・・「手塩にかけて育てて それなりの大学を出して・習い物をさせて 下げたくもない頭を下げ そこそこの会社に就職させたら ある日ある時・どこの馬の骨か分からん奴が 突然現れて(娘さんを大事に幸せにします。だから・・・娘さんを下さい)で“ちょん”!!」「損した気分にならんか~?」「・・・・・・」 それから数日が経って・・ Tさんのいつもの愚痴が始まったらそれまで静かに聴いていたSさんが 静かに口を開いた。 「女はい~ぃよ!その点男は詰らん!!」「なんで~~っ?!」とTさん。暫らく想いに耽っていた(?)Sさんが徐に・・・「結婚したら男は女の実家に取られたも同然。自分の実家に来るより上さんの実家に行くほうが 断然多いよ!・・・うちの上さんが言ってるんだから・・(間違いない!)」「へ~~ぇ?そんなもんですか?」と神妙にTさん。反対側のカウンターに座っていたBさんが・・・・もそもそと吐き出すように言葉を差し込んだ。「三人いる息子 精々帰って来るのは盆と正月ぐらい 今年の正月なんか ついに跡取りの長男が来れないって電話があって・・・上さんがもうワヤヤですわ!」「へ~~~ぇ」と私。そう相槌を打つしかない。「男三人・・・三敗ですわ。大将!子供は?」「は~~ぁ 二人ですが?其れで言えば一勝一敗です!」「お客さんなんて二勝じゃ~ないですか?羨ましい」 変に元気付けられたTさんがSさんとBさんに・・・「ま~ぁどうぞ!」と言って一杯ついだ。
2006年04月12日
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今日は朝から雨脚も強く 昼からは風も強くなるという事で 寮の掃除もそこそこにして 「スポーツクラブ」に向った。今日は先日やった体力検定の結果報告と今後の方針。 検定よって得られた資料を基に 体力に併せたメニューを作成するために どうしても行かなければならなかった。打ち合わせ時間まで・・2時間ほど余裕があったので バイク30分→ストレッチ7分→プールへプールで水中歩行30分→ジョッグでクロールとブレストを(最初の日よりキックが水を?んできた)休憩をおり込んで35分→バイブラバス10分→打ち合わせ。 話し合いの結果で メニューは明日貰うことになったが「一週間何日来るつもりか? 練習時間は?」と聞かれたので「三日遣って一日休み・練習時間は休憩を入れて2時間」と答えたらインストラクターが「出来れば毎日・練習時間は3時間は・・・?」と「継続は力なり」(非常に在り来たりの言葉か浮がんだ!) 「寝ずの番」を観た時に気になっていた「言葉=そそ」「そそ=おちゃこ」(四国の女性器の名称らしい)(※ 関西落語では「前座」「二つ目」という地位がないので、題目めくりや座布団返しなどの雑用をする人を“おちゃこ”と呼んでいた) 「殿山泰司」という役者がいた。映画監督新藤兼人の秘蔵っ子。めいバイプレイヤーだった。女とジャズが好きで筆も立った。(「殿山泰司」を 詳しく知りたい人は検索機能でどうぞ!) むかしむかし・・そのむかし。彼の著作「日本女地図」ちくま文庫(絶版) (自然は肉体にどんな影響を与えるか?)を買って読んだことがある。(この本の中に 全国の女性器の呼び名が網羅されていた) “止まれ!” 大学二年のとき 静岡・焼津の同級生の所へ遊びに行った時のこと。夕食が終って近くの居酒屋に飲みにいった。店は結構混んでいて地元の人や船員が10人ばかりいた。40がらみのおかみさんが「いらっしゃいっ!何にします?」と聞いてきたので「さけ・・酒下さい!熱燗で2本!」「何で飲みます?」「おちょこ・・・オチョコ下さい二つ!」「おちょこ??」「はい!!ふたつ」「私の貸してやろ~かね?でも一つしか・・」「さっちゃ~ん!!あんたのひとつ貸してやんなよっ」とおかみが50がらみの女性客に話しかけると そのおばさんが・・「私のでい~ぃのかね?ちょつと欠けてるけどね!」そこまで言うと・・・店中の客が一斉に「ぎゃ~ぁはははははは」 隣に座っていた同級生が真っ赤な顔をして・・・・小声で・・「焼津では、(おちょこ)は女性の・・・・」 お馬鹿ちゃんでも全て解かった!!
2006年04月11日
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津川雅彦は言わずと知れた芸能一族で 若い頃は演技より艶技で売り?インドネシアのS大統領婦人と 浮名を流しもしたがその血筋のよさに助けられてか? 若い時の「遊び」が芸の肥やしになったのか?今では・・・「演技者」として一廉の評価を受けている。 彼の親戚筋をザット拾って見ると↓(これ以上の経歴はクィックリサーチで)父は沢村国太郎、母はマキノ智子、実兄に長門裕之を持つ。祖父は牧野省三。叔父に加東大介、叔母に沢村貞子、母方の叔父はマキノ雅弘、叔母は宝塚歌劇団出身の轟夕起子。沖縄アクターズスクール校長マキノ正幸は母方の従弟。妻は、朝丘雪路。娘は真由子(女優)。* 1954年までは本名である加藤雅彦として活動。* 石原慎太郎が津川と命名。 その彼が監督「マキノ雅彦」として初デビュー! 話が関西の 況してや「落語家」の話なら どう間違っても「不(駄)作」はないものと決め込んで映画館に向った。 2~3日前の「徹子の部屋」で ゲスト出演したおり・・・「渋谷のプレーガイド」の切符の売れ行きが「好調」だと言う触れ込みでは 益々興味を誘う。 「寝ずの番」(あらすじ・監督インタビューはこちらから) 「脳溢血」で倒れた老落語家の最後の望みで「そとがみたい!」をど~う間違えたのか「そそがみたい!」ここから始まる・・・「葬式狂想曲」か「猥歌競演会」か? 映画の内容はさて置いて 無償に懐かしい「猥歌」(昔 学生の頃 「貧乏学生の飲み会」には「猥談&猥歌」が付物だった) ついつい懐かしさに釣られて 小声で口ずさむ「うた・うた」映画はいまいちだったけど映画のバックグラウンドの「Don't worry be happy!」のメロデー自棄(やけ)に気に入った 親父がそこにはいた。(この親父は俺のことで~す!)
2006年04月10日
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マキノ雅彦監督「寝ずの番」 今日もピーカン! 素晴らしい映画日和になった。考えてみると 今の上さんと一緒になってからよく映画を観る様になった。(上さんは「大」の映画マニア) そんな訳で 今日も映画「寝ずの番」に行くことに・・・・・・・映画の論評も 上さんの方が数段上なのでかくつもりはないが・・・なんか感じるものがあったら?? あとでつけたすかもしれない。皆さんへのコメントは あ・と・で~!
2006年04月09日
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歩くオレンジさんの所へお邪魔したら、「いま流行りの成分解析 」を友達から見つけ出し貼り付けていたので私も 夫婦で遣る事をやった後?貼り付ける成分解析 on WEB(でぶじゅぺ理の解析結果)でぶじゅぺ理の71%はやさしさで出来ていますでぶじゅぺ理の18%はミスリルで出来ていますでぶじゅぺ理の7%は理論で出来ていますでぶじゅぺ理の3%は心の壁で出来ていますでぶじゅぺ理の1%は濃硫酸で出来ています自分の本質を見抜かれたみたいで、思わず“恐~~! 昨日の天気予報では 今日の天気はまさに「春の嵐」だとか当寮は 昨日が「寮生会議」でシッチャカメッチャカ今朝は 上さんと寮長が「お謝り」の近所回り。“天気が大荒れになって雷もなるとか?” スポーツクラブ2日目から休むのも癪なので ジムへ行く。血圧・体重を量って→バイク30分→ストレッチ→プールへ プールへ入って 早速自由形で「スタート」(レレレッ??)身体が・・・「進まない(なんだっ!こりゃ~ぁっ!!)」200メートル泳ぐつもりが・・・75メートルで「ダウン」すぐさま得意のブレストへ泳法変更・・・やっぱり「進まない!」これまた50メートルで「ダウン」(トホホ??)すごすごと「水中歩行」に変更。300メートル歩いて・・・トットとジャグジーへ。15分入浴の後サウナへ12分入ってシャワーを浴びて今日のトレーニング終了。(トレーニングの内容は インストラクターへ任せよう)(ショック?)表に出ると「曇り空」 (雨は?雷は?風は?・・・・・)“静か?・・” 寮に帰って来てPCの前に 上さんは「名古屋」へ・・・・歩くオレンジさんからせしめて来た「成分解析」の続きを再開!本名でやってみると・・・・(解析結果)「本名」の64%はツンデレで出来ています>「本名」の22%はミスリルで出来ています「本名」の6%は言葉で出来ています「本名」の5%は心の壁で出来ています「本名」の3%はお菓子で出来ています(むさくの解析結果)むさくの74%は魔法で出来ていますむさくの12%は睡眠薬で出来ていますむさくの7%はミスリルで出来ていますむさくの4%はお菓子で出来ていますむさくの3%は言葉で出来ています 因みに ミスリルとは・・・ ツンデレとは・・・穏やかな日暮れに 皆さんもお試しに・・
2006年04月08日
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取り合えず写真だけ入力しておく!(その1) 今日はスポーツクラブの「入会式」である?レッスンを受ける前にチョイッと「九華公園」(この町ではお奨めスポット?)に行く!流石!それなりに相変わらず綺麗だ!「かっ・かぁ~・亀~っ!!」お堀端で“亀の甲羅干し!”「柿安」(国産牛としゃぶしゃぶで有名な店)?「枝垂れ桜も狂喜乱舞す!」スポーツクラブ・デビュー顛末記は、また後で、まずは・・・「寮生会議」の準備・準備? 説明を聞いて 「体力測定」からバイクを漕いで15分→ストレッチをやって・・・・・その後ルームランナーで25分→バイク30分。初日なので無理せず サウナへ入ってシャワーを浴びて今日のところは終わりにした。
2006年04月07日
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花冷えのする朝だったが 昼前から寒暖計の水銀も上がり始め此処に来て風もすっかり止んでしまって 一気に桜が満開になった。[ 寮の玄関から見た公園・1の桜 ][ 公園・2の桜 ] 暖かさに誘われて「花見の客」もチラホラ。フゥッと上空を見上げると 「飛行機雲」が・・・桜の向こうに寮の「管理室」が・・・ 明日の「寮生会議」を前にして 癒しの「桜」を見ながら今日は暫し休憩タイム。これが終ってから 「連休準備」
2006年04月06日
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遊び心で「主治医に、自分的には決定か?」と書き出してはみたものの やっぱりぶっ飛び変な日本語になってしまっいてる。 それはさておき 「スポーツクラブ」に入ることに決めて手続きにいったのだが受付で 55歳以上は「健康診断書」の提出が義務づけられると言われた。仕方がないので 入会の仮手続きを済まして帰宅し 「健康診断」を受ける病院を探しかけたがこの町に来て二年2ヶ月になるのだが 心当たりの病院がない。 (改めて両親に感謝・感謝) こちらに来て一度 「人間ドック」で利用した病院は受付の対応が 「慇懃無礼」だったので 「パス!」どうしょうか迷っていると 上さんがかかりつけの病院に「聞いてみてやろうか?」と 言って電話で予約してくれた。 PM4:00の予約が取れて 「行くことになった」「T・レディース ケア クリニック」〈婦人科〉「心電図・血液検査・検尿・問診」が終って 「診断書」が出た。所定の金額を払って 「健康保険証」を返して貰うとき受付嬢が一言“診察券で~す!”って。「え~~っ!!いぃんですか~~っ?」「構いませんよっ」と彼女。コレで決まりかな!私の「主治医」
2006年04月05日
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明日からテーマを 「暮らしを楽しむ」にするために今日 スポーツクラブに入って来た。(実際は 健康診断と写真を提出しないと 正式な入会とは認められないのだが) 15年間ほど「スポーツクラブ」に入っていたが・・・ ほとんど 仕込みの後に「風呂」を利用しているだけだった。 「身長=176.8cm 体重=78.5kg」(2003・12月調べ)「身長=174.8cm 体重=0.1t」(2006.3月調べ) 身長が2センチ縮んで 体重が三桁になってしまった。ヤバイ! 単調な仕事の毎日は 「不満」まで消化して体重に反映して身だけを縮ませしまうらしい。(冗談じゃ~ぁないっ!) 一念発起して 「スイミング」を中心にした体力維持に努めよう
2006年04月04日
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「今日のブログ予告?」 「宣戦布告なき戦い」乞うご期待を!! 期待を煽っておいて悪いのだが 私のブログは尻切れトンボ?「叡智を懸けた戦い」 その兆候は この寮へ来てから一週間ばかり経った頃・・・屋上に上がって行った時 分かったことだったのだが・・・ 「ダスト・シューター」の投入口をロックする事でそれ以上の問題点は発生しなかった。やがて 忘れてしまっていた。私達は もう一つの「問題点」を解決する為に翻弄されていった。 ここ二年間は しつこい位のトラップを仕掛け・撒餌をまき時には 奇襲噴霧作戦を展開して 彼等に攻撃を敢行した。その結果 著しい戦果を挙げた。しかし 今朝。 朝食の準備をするために(AM;4.30) 食堂に入って行くとテーブルの上に一枚の貼紙があり その紙には 次のように書いてあった。「警告!4Fトイレで大物発見」※ 恐怖を覚えるほどの大物です。早急に対処願います。 「寮母さまへ」 「寮生.Tより」 この寮に来た時から こんな日が「いつかは来るだろう」と覚悟はしていたものの・・・・・・ 一つの大物を駆除した安心感に つい平和を貪ってしまい警戒の手を緩めてしまっていた。 もともときゃつ等は 家に忍び込んだ最初の頃は静かに「ゲリラ作戦」を進め 隠密行動をとっているものだが今回のように 突然の「補強工事」に動転して自分達の「生活圏」を脅かされたと勘違いして逆襲に転じて来たものだった。(?) いよいよ 二大外敵のもう一つの雄。鼠との戦闘である。何の「宣戦布告」もないままに 「威嚇攻撃」に敏感に反応して“局地戦”で終るのか “全面戦争」に発展するのかは今の処 なんとも予想は出来ないが とりあえず 「ダスト・シューター」を綿テープで塞いで各階便所付近に「殺鼠剤」を仕掛けて 「危険度・1」の第一警戒態勢に突入した。(暫らくは偵察戦になる)
2006年04月03日
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このところ四日ばかり立て続け様に使っている「テーマ」“ひねもす「ぐだら・ぐだら」思うこと”が 毎日微妙に違う。多少でも人に読んでもらうために ブログを作っているのだから少なくとも(拙い文章は 我慢してもらうとして)「テーマ」の統一は必要最小限の文章を読んでいただくための「ルール」だと思う。 何となく惰性で文章を打ち続けるのは頂けない行為だ。 反省して 次へ進む! 今日は朝から小寒くて 折角咲きかけた「桜」も蕾を再び固く閉じて春の風情は何処へやら? しけた雨が降り続いています。 「ブログでもやろうかな~~?」と思ってPCの前に座りかけると静かさに取り紛れて「雷」が 「ごろごろごろごろ・・・・」慌ててPCを切って 先日来上さんが買って来てくれた「パズル」「数独」を遣り始めました。(私の呆け防止のために買って来たパズル)「数独の説明」はこちらから もともと「商売上の数字以外」は 苦手な私だが「ボケ防止」の為に一念発起で遣りはじめて三ヶ月 何とか☆二つまではクリアーしたが☆三っつは まだ完全クリアーとはいえない状態だ。☆4っつ・5っつは、今の所至難の業! 「努力に勝る 精進なし!」・・・・がんばんべ~~?
2006年04月02日
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明日は「雨」という事で、今日は名古屋へ出かけて「かもめ食堂」を観に行く事になってしまった?(あくまでも上さんがたてた計画に便乗しただけ)寮にいると、何かと「野暮用」を頼まれることになるので、勢いで・・・「よいしょ!」 「名演小劇場」へ「かもめ食堂」を、観に行って来た。客席が100席しかない小劇場なので、寮を早めに出て 劇場に着いたのはAM10:00頃。 並ぶことはなかったものの 次から次へと客は引っ切り無し。同劇場の下の階で「放映」されている 「ホテル ルワンダ」は「満員御礼」で 2回目の上映の予約を受け付けていた。「かもめ食堂」も上映時間10分前には 入場制限をして「満員」。 「ストーリーはリンクを参考にして下さい。」 「何でヘルシンキまで来ておにぎり食堂?」・・・・・・・でも・・・食堂を遣っていた時(今から16~7年前の話)・・・韓国から来ていた「金さん」と言う女性留学生を雇っていた時の話。彼女が「おにぎり」を非常に気に入って 「韓国へ帰ったら おにぎり屋を遣りたい!」と言い出したことがあった。その後韓国の両親に「同棲」がばれて学業半ばにして 韓国に連れ戻されたっきり 音信不通・・・日本では「コンビニ」をはじめにして いたるところで「おにぎり」売っているが 韓国では??「しらない?」 そんなことを思い出しながら観ていた映画は 淡々とすすむ。三人の個性派女優とフィンランド人の絡みが大袈裟でなくて私には丁度いい流れで受け取れる。(女優三人のバランスもGOOD)第一 映画の出だしの「かもめの下りのナレーションがいい~!」(前に自分のブログに書いた「都会の(東京の)鳩は大きい」のフレーズ重なる。)惜しむらくは・・「終りの場面」。フィンランド観光協会の協力を得たといってもあれはお粗末。プールで拍手の終わりはない!まだ・・・冒頭部の太ったかもめを撮って終っていったほうがいいっ!(でぶじゅぺ理が 久々の演出への難癖・・・が影響は薄い。自分の頭よりも) 映画館を後にして 暖かい日差しに誘われるように 昼食もそこそこに名古屋の数ある「花見の名所のひとつ、 鶴舞公園へ」> 名古屋在住三十猶予年になるが 「鶴舞公園の花見」は 今日がはじめて!爺も浮かれて久々に見参!見参!!「今は伊賀へ忍者修行!」(どろ~ん)
2006年04月01日
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