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2005年11月17日
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テーマ: ニュース(95821)
カテゴリ: ヒトリゴト



 大黒屋光太夫は宝暦元年(1751年)伊勢国南若松村(現鈴鹿市)で生まれ、白子で伊勢と江戸の行き来する船で船頭として働いていた。
天明2年江戸へ出航した船が途中で暴風雨に遭い漂流。
アリューシャン列島の孤島・アムチトカ島に漂着した。
その後、カムチャッカ半島、シベリアのイルクーツクと移動した。

 フィンランド出身の植物学者キリル・ラスクマンと知り合い、
彼の助言によりロシアの首府ペテルブルグに行き、女帝エカリーナ2世に謁見。

女帝はラスクマンの息子、アダム・ラスクマンを通商要求のための遣日大使に任命して、光太夫らと共に日本に行くように命じた。


当時鎖国を引いていた日本は、通商の要求を受け入れるわけはなく、光太夫も江戸に「軟禁」されて生涯を終えた。 


市民の要望で「大黒屋光太夫記念館」が出身地の鈴鹿市若松中に13日に開館。
所蔵品には「漂流人帰国松前堅之図」(ラスクマン一行と光太夫の帰国絵図)。
新たな資料として晩年の「光太夫の墨書」などの貴重な展示物がある。


同館の開館時間 午前10時~午後4時まで。
休館日 月曜・金曜と第3火曜日 入館無料。

ホームページ http://www.edu.city.suzuka.mie.jp/kodayu/



このあとの鎖国時代の日露交流は、司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」
高田屋嘉兵衛(1769年~1827年)の物語へとつづく。





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最終更新日  2005年11月17日 16時03分35秒
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