夢の世界へ

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履歴書

以前に父が死んだとき、
あんなに可愛がってくれて心配してくれて話してくれたのに
それ以外の事はあまり知らなくて
もっと知っておけば良かったと思ったことがありました。
そこで私はというと
やはり旦那にも子供にも
今の自分以外の事は話したことが無いのですが
改めて話すことでもないので、
ここのページに書き留めておこうと思います。



☆誕生☆

品川区の総合病院にて産まれる。
父、飲み屋に自慢するため連れて行き、お酒を飲んですっかり良い気分になって飲み屋に忘れ去られる。(オイオイ…)店のママさんに家まで届けられる。

☆1才☆

目黒区にお引っ越し。
宇須救命丸愛用。夜中のおぶられてのお散歩好きでした。言い換えれば疳の強い夜泣き専門児。

☆2才☆

川崎市にお引っ越し。

☆3才☆

母、弟を妊娠。お酒を飲むと分からなくなる父から避難するため実家へ帰ってしまう。が何故かパパ大好きの私は父のもとに置いていかれる。勿論、父一人では育てられず知り合いのうちに預けられるが馴染めず施設(孤児院?)に預けられる。
私が覚えているのは父の知り合いの家の入り口のバラのアーチが綺麗だったこと(馴染めなっかたのは食事等あまり満足に与えられなかったりしていたかららしいが覚えてない)・施設は周りが林の中に塀で囲まれてる赤っぽい木造の平屋と受付とピアノが置いてあるプレイルームという環境。キリスト教系の施設でおやつや食事の度にお祈りをしてた。
そこの施設で何が辛かったかというと
1.布団を押入にしまうこと
2.おねしょした時、同室(3人1部屋だったと思う)のお姉さんに密告されて雪が降る庭に立たされて怒られた時に同施設の子達にガラス窓からみんなして覗かれてるのが悔しかったこと
3.引き取りに来たわけでもないのに父が様子を見に会いに来る度に家に連れて帰ってもらえない悲しさを味わうこと
くらいかな~。あとは覚えてない。

☆4才☆

母が弟を連れて帰ってきた。勿論、施設から出所したぞ~。出所祝い。。。もとい弟の出産祝いの席でビールをコップ1杯飲んだ夜中、急性アルコール中毒で病院に運ばれた。父、すごく医師に怒られたらしい。
また施設に入れた罪悪感からか、あちこち遊びに連れて行って貰った。
といっても遊園地とかではなく競馬・競輪・パチンコ・スナック等々。
すごく面白かった。
競馬場では予想屋が札びらをセンスを開くが如く看板に貼り付け、2階席
からはハズレ馬券が陽の光を反射してキラキラ輝き舞って夢のよう。
パチンコはスマートボールにはまっていた。スナックでは歌って踊れる子供
だった。ミラーボールがすごく欲しかった。


☆5才☆

幼稚園入園
よく母に怒られたのを覚えている。
2階から片足を持って宙づりで布団たたきで叩かれたりもした。
今なら虐待なんだろうが、今の私はそんなことを出来る自信がない。絶対私なら
子供を墜落させている。母が力持ちだったのか、愛情だったのか、
私は墜落しなかった。

☆6才☆

立川市にお引っ越し
小学校入学

☆小学生☆

3年生の時に検査提出物を出さなかった事で、担任の先生から『何か
やましいことがあるから出せないんじゃないの?』という一言から
いじめられっ子になる。
机に触れるだけで筆箱や物差しで叩かれること、しばしば。
ホームルームの議題が『○○さんの服装が何故同じ様な物を毎日着てくる
のか。改善方法は?』なんて言うのもあった。
悔しくてよく泣いたっけ。
でも、ここで得た事。
『勇気を持って嫌な奴の中に笑顔で飛び込めば、みんながみんな嫌な奴
じゃない』ということ。
『いじめっ子は3割、見ているだけの子は5割、知らない子は2割』
泣きながら、自己主張を頑張ったよ。
卒業するまでいじめっ子はいたけど、私を分かってくれる子も出来てきた。

家庭では結構大変だった。
母は父の暴力で黒アザが絶えなかったし、しょっちゅう離婚問題が持ち上がってた。
その度に『お前達(子供)がいるから離婚も出来ない。お前達の為に苦労してるんだ』と言われ続けていると申し訳ない気持ちで一杯になり、でも存在することはもう変えられないので、せめてそれ以上心配を掛けないように良い子でいることに気を遣った。
それでも何度か、酔っぱらった父と母の喧嘩に止めに入ったりもしたけど反対に子供の癖にと叩かれたり髪の毛を捕まれ引きずり回されたり、ひどい時は包丁で刺されそうになったり(母が突き飛ばしてくれたので助かりました)した。警察にも助けを呼んだことがあったけど『家庭内のことなので注意するくらいしかできませんので、何かあったら又伺います』とのことで、あまり役に立たなかった。しかし母も考えあぐねて、父が酔っぱらって帰ってくる時は子供達を連れて父が寝てしまうまで近くの公園で何時間も過ごしていたらしい。
お陰様で弟はチック症状を現し、無意識のうちに始終首を揺すっていた。神経科にも行ったが原因が無くならない限り治療の仕様が無いとのことで帰らせられた。
父の暴力がどうにか収まったのは、私が高学年の時に『神様』に宛てて書いていた手紙を父が机の奥から見つけて読んだだろう後だったと思う。
お酒もあまり飲んで帰らなくなったが、いつもしかめ面で、箸の持ち方から歩き方等々急に躾が厳しくなり、友人と遊ぶことも制限されるようになった。
でも、私は父のことは大好きだった。
母のことは可愛そうにとは思ったが、父ほどには好きではなかったと思う。
今考えるとその違いはきっと子供との接し方なのだと思う。
母からは楽しいことを話して貰った記憶がない。いつも悲しくなるような愚痴の様な話ばかりだったと思う。
父には小学校になってもよく遊びに連れて行って貰った。勿論、行き先は魚釣りやらパチンコやら仕事関係の展示会や飲み屋等であったが、それはそれで面白かった。
よく遊びに行く途中で質屋に寄った。遊び賃作りの為、父は時計を質に出しそのお金で遊びに行った。
簡単なパンケーキの作り方を教えて貰ったのも父である。        
お酒を飲まなければ、(厳しいこともあったが)気っ風が良く、世話好きでお人好しで人間味豊かな誰からも好かれる父だった。上司であれ悪いことは悪いと言い、自分の部下を庇うために社長にまで喧嘩を売る人だった。引っ越した回数は多いが会社を辞めた回数と比例しているはずである。
人一倍寂しがりのところもあり、母の田舎にお盆に父を独り置いて行くときには心配でよく泣いた。父が寂しさのあまりお酒の飲み過ぎで死んでしまうような気がして嫌だった。以前怪我で入院していたときも抜け出して赤提灯に行き酒を飲んで怒られていた。世の中の枠に収まるのが嫌いなくせに独りになるのが嫌なのである。
それを冷ややかに見る母。父がどんな気持ちで喧嘩になってしまうか分かる気がする。冷ややかに見ざるを得ない母の気持ちも分かるので、この喧嘩は仕方がないことなのである。ただ、途轍もないことが起きないように二人が喧嘩しているときには神経を尖らせていた。
そんな小学生時代であった。

☆中学生☆

今の実家のある街へ引っ越した。
学校も転校し、全く新しい環境は私たち家族を優しく受け入れてくれた。
父は飲んできても独りで朝方までくだを巻いているだけで、煩いのさえ我慢すれば良くなったし、新しい学校では色々な友達が出来た。
1度だけ父に拳骨で思いっきり殴られた事があった。
それは、私の気を惹こうとボンナイフで背中をなぞったら切れるとは思っていなかったのに制服のブラウスまでスッと綺麗に切れてしまった事があった。双方の両親が学校に呼ばれて行った日、父はカンカンに怒り相手の子が
悪気があろうが無かろうが謝っただけでは済ませられないと、あまりに興奮しているので『相手も泣いて謝ったんだし怪我もなかったのだから』と言った途端、『そんな変な奴に好かれるお前もお前だ』と顔面をボカリ。白目のところに黒アザが出来てしまった。腫れなかったので友達には分からないかなとそのまま通学したのに意外と不良の子達にはばれてしまった。
『その目の傷、殴られたんだろう』って、流石は不良名高い中学校だわ。

☆高校生☆

高校生の時って、あまりこれといって記憶がない。
親友なる者はいなかったけど
適当に友達はいたし、部活とかで家にいる時間が少なかったし、
そうそう、クラブは和文タイプ部に入っていて
三役(会計)をやっていたよ。毎月各人250円の部費を管理してた。
卒業するまでに部費を10万円以上貯めた。
今なら、歓送迎会でカラオケにでも行くんだろうけど
その頃は高校生入店否だったから、部室でお菓子とジュースでやったけど
流石に使い切れなかった。未だに悔やまれます。返金すれば良かったなあ。
卒業校のホムぺ見たけど、今は無い和文タイプ部です。

☆社会人☆

家庭の事情もあって
いつまでもチンタラ学生をやってる気は無かったので
高卒したら即就職したよ。
初めてのお給料は、酔っぱらって喧嘩して腰の骨を折った父が
働きに行けないので生活費が無いという事で
給料袋ごと取られた~。
一応、通勤着が買いたかったのですが。。。それも初めての給料だし。
こちとらも最初が肝心の付き合いというものがあるのに。

☆結婚☆

今の旦那との結婚は超スピードだったなあ。
2月に合コンで顔を合わせて
4月に友人を通して初めて会う約束をして
6月には結納を済ませて
11月には結婚した。
結婚理由は父に
『弟も大きくなって家が手狭だから、そろそろ出ていってくれ』と
言われたこと(はいはい、一人暮らしが出来るようであれば直ぐにでも)と
何よりも旦那の経済力。(薄給で経済力がなかった。)
デートは近場をドライブ、食事はマクド○ルドでそれも割り勘。
何もプレゼントはくれないし、求婚の言葉は
『幸せにしてあげられないかもしれないけど、結婚して欲しい』だし~。
でも、その時は”真面目で誠実で自分の財布の大きさをちゃんと理解して
生活が出来る奴”に見えてしまったんだなあ。
恋愛と結婚は違うと思ってたし、父が借金してででも遊ぶ姿を見ていたし、
それまで付き合った彼氏’sにも贅沢させて貰っていたので
旦那が妙に新鮮で、結婚する相手には、もってこいの相手に見えたんだな。
で、結婚しました。
でも結婚するに当たって、心配事が1つ。
私が出ていくことで、適当に夫婦喧嘩の状況を流す役目が居なくなって
母が酔っぱらいの父に殺されてしまったらどうしよう、ということ。
父を信じるしかないと後ろ髪を引かれる気がしました。弟よ、頼むよ。
殺傷沙汰だけは勘弁してよ。見張ってて上手く納めてよ。


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