せいちゃんのへや

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観光ガイドへの道…ナッチの場合!



礼文島 澄海岬 2003.夏 なっちの撮影よぉ~♪



ガイドになるための、スッテプ


これは、大変でした。
憧れて入った○○バス 理想と現実の違いのギャップの大きかった事…
私の場合は、中学3年生の時すでにガイドになリたいと思っていた…
動悸は、今でも思い出せない…

高校2年生の時の修学旅行でその決意は、いっそう強くなった…
私の乗ったバスのガイドさん… ベテランの方だった…
下車案内になれば、一緒にくっついて行って色々な事を質問した…。

ガイドになろうと言う決意を固めさせたのは、この内容だった…
「ガイドさんお給料は、どのくらい頂いてるんですかぁ~?」
すると
左手を下げたまま、私の方に大きなOKサイン… の形のひっくりかえったマーク!
その、ひっくりかえった形を私に見せながら…
「 これは、いいわよぉーー! 」と言った…
「 えぇーーそんなに好いの? 」と返事をした後の事は、覚えていない…

そんな単純な…かつ おいしい話…でナッチのガイドへの夢は、大空を仰ぐように広がっていったのです!



就職試験

私の頃のガイドへの就職試験は、あって無かったようなもの…
なんせガイドが不足していて誰でも入れた…(容姿がよくなければいけない…ヘヘ)
筆記試験もないしかと言って、唄の試験もなかった…(唄には自身がある…)
面接は、あったがその時の話しは、是非ウチにきて欲しいと言う内容だったのを覚えている…

ここまでガイドへの道のステップは、順調だった…のように思えた…
この後、苦悩の日々が待っているとは、夢にも思っていなかった…

採用決定の知らせと同時に教習の知らせがあった…
内容は、ガイドになるためのお勉強…

私の住んでいる街から車で1時間ぐらいの所に営業所がある…
そこで2ヶ月間寮でみっちり勉強させられた…

教修
生花… (なんでガイドに必要なんだ?精神統一?)

民謡…  昔々「花街の母」という演歌がヒットしたことがあった…
その演歌を歌っていた人の母親が民謡の先生で娘のPRをしていたのを覚えてる…

マナー… 挨拶の仕方…頭を下げた時の角度などうるさかった



それから本題!

暗記教修…  広い観光地を一変に覚えるのは大変…
最初は、南の方から…暗記と言っても広い広い北海道!
四国と九州を合わせたぐらい…または、東北6県に新潟県を合わせたほど…
と、お客さんには、いつも御案内する…

南だけでもぶ厚い原稿(教本)が4冊…
今思えば良くやったもんだ~ あの頃のナッチは偉かったぁ~

暗記の苦手なナッチは、かなり苦労した…
覚えた者から先生の前で発表… 何度忘れてやり直ししたか分からないほど…

その段階で30人以上いた同期が 一人減り二人減り…一年後の教習の時は、半分に減ってた…。

そんな大変な教習から 5月…いよいよデビュー!!
2ヶ月間が目まぐるしく過ぎて5月まであっという間だった。

現地学習・暗記教習・非常事態の非難の誘導・バックする時のホイスルの練習・バス車内の掃除の仕方…などなど!


今思えばあの短期間に良くそこまで出来たもんだと感心する!
…と言っても実戦に入ってからそれわソレワ泣かされた…(お客さんに運転手)


デビュー は、3年生の先輩のバスに同行して中学生の修学旅行の3泊4日から…


先輩の案内を聞きながら居眠りをしたのを覚えてる
所々自分が案内…原稿を見ながら…
あまりの緊張に読んでいてもスラスラ読めないし 行がズレて、ちんぷんかぷんな案内…さんざんだった!


先輩の白い手袋が、まぶしかった!
私も、早く手袋して案内したいと思った…(だいぶ後のこと)


だって読んでるウチは、原稿がめくれない…。
全コースまぶしい白い手袋して案内が出来るようになるまで3年以上かかった!

こちらの方のガイド教習は、1年目は、道南 2年目は、道東 3年目は、道北 4年目は、東北(東北は、実車で2回しか行ったことが無かった…)


色々大変な事が多いが(今でも…)
若い時に覚えた原稿は、絶対忘れない!
今でも、御案内してる時は頭の中に原稿が出てきてチャンとページめくってる!
これってスゴイ! 今は、もう無理!サッキ聞いたこと 読んだこと もう忘れてる…(/_;)


ステップ一段階何とか踏み出した…



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