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対馬放火殺人事件の裁判員裁判では、3人いる検察官のうち1人が東大法学部卒の女性検事Oさん(当時34歳)でした。(既述した、新聞記者と冤罪論者曰く)有罪論者ですら庇いようのない創作話の幾つかを法廷で力説したのは、彼女です。ヤッケの話もそうです。 彼女は悪びれることなく、すらすらと主張を述べ、被告人と被告人にくみする証人を徹底的に言い負かしました。それはそれは強い責めの口調で。 ところが、その被告人を死刑にするための彼女の主張のかなりの部分は判決理由では認められませんでした。 彼女自身も、自分の主張に自信があった訳ではなかったのだろうと傍聴していた新聞記者も感じていました。 傍聴席からはO検事が主張を展開するたびに、その合間に、裁判官と裁判員の表情を確認する様子が見えていました。裁判官と裁判員の反応を気にしているような印象を受けたそうです。 僕は補充裁判員だったので、直接、証人には質問できませんでした。 質問内容を書いたメモを渡して、それを裁判長がチェックして可と判断された場合のみ、そのメモを左陪席判事が読み上げていたことは既述しました。 その僕のメモによる質問にO検事は一喜一憂しました。検察に不利になるような証言を証人にさせるような質問をされるのではないかと。 検察側と弁護側の尋問の後、裁判官の質問も終わって、最後、裁判長が「裁判員の方は質問はありませんか」と振ってくるので、僕が「あります」と言った瞬間、O検事は僕を見つめました。 何度も質問するうちに、O検事は、僕が「あります」という前に、僕を見るようになりました。 僕には、O検事を苦しめようというような意図はありませんでした。 ただ「真実を知りたい」「疑問に感じたことを説明してもらいたい」という一念で検察側証人弁護側証人に関係なく、いろいろな証人に質問をしたのです。 僕が質問した中には、検察官と弁護士と職業裁判官という本職の法曹が誰も気づかなかった盲点に触れたものがあって、僕が質問をしたために真実が暴露されたということが幾つかありました。 証人は嘘を言うと偽証罪に問われるので、僕の質問に本当のことを答えるしかありません。 検察側鑑定証人のN大学法医学I教授もそうでした。 僕の質問が端緒となって、職業裁判官からも追及され、実はFさんの受傷時刻は検察側主張の時間帯を外れる場合があると、I教授は真実を述べられました。 検察が主張するような1,2時間程度の誤差ではなく、5時間以上の誤差がある場合があるとI教授は言われたのです。 その際、I教授は、僕に向かって、「なかなかいい質問をしますね」と学者らしく言われました。不利な立場に追い込まれたというのに、賢い質問をする裁判員を評価する余裕があるとは、ご立派でした。 ところが、このやり取りを見ていたO検事は表情が曇り、時折、僕を睨みつけました。 検察は法医学教授に明らかな偽証をさせた訳ではありません。誤差が大きく不正確な鑑定意見を法廷で述べさせたのです。 I教授の鑑定手法(好中球が受傷部位に集まる時間的特性を利用した受傷時期の特定手法)は現在世界的に刑事裁判で認められている手法ではありません。誤差が大きいので刑事裁判では認めていない国の方が圧倒的に多いのです。 O検事もこのことを知らなかったはずはないと、新聞記者と冤罪論者は言っています。 被害者遺族が涙ながらに、被告人を極刑に処して下さいと訴える際には、O検事は裁判員に眼差しを何度も向けていたと新聞記者は言いました。 論告求刑の際もO検事は、裁判員席に目をやることを忘れなかったそうです。 僕には、それらは、哀願の眼差しに見えました。何としてでも被告人を死刑にしてやろうとするための。 ところで、福岡高検は福岡高裁の無期懲役を相当とする判断を受け入れて、死刑を求めて上告することを断念しました。 この点について、新聞記者と冤罪論者は、福岡高検の検事たちの内心にも冤罪の考えがよぎったからだと言っています。 しかし、哀願が得意なO検事は、裁判員にお願いしたように、福岡高検の検事たちにも「死刑を求めて上告して下さい」とお願いの直訴をしたのでしょうか。 実際、O検事がそんなお願いの直訴をやっていたとすれば、被害者遺族は少しは救われると言う人がいるのです。 O検事が度々裁判員席に目をやるので、おじさん裁判員たちは彼女のことに興味を持ちました。 O検事は、毎日毎日、法廷に同じ髪留めをしてくるので、「ちゃんと髪を洗っているのか」と心配する裁判員がいました。 結審後、評議だけのために裁判所に通うようになってから、裁判員の何人かは、昼食休憩で、裁判所近くにある検察庁の前を通って飲食店に向かう際、道端でO検事と遭遇しました。 O検事はソフトクリームを食べながら、道路を歩いていたそうです。 最後に。 O検事は、小学生向けのメディアから取材を受けて、検察官の仕事のやりがいは、次の2つであると答えています。小学生相手の回答に、つい無邪気になって本音が出たようです。 ・犯罪(はんざい)を犯(おか)した人(ひと)が会(あ)いに来(き)てくれて、更生(こうせい)したのを見(み)られるとき ・犯罪(はんざい)を立証(りっしょう)できたときに得(え)られる、問題(もんだい)を解決(かいけつ)できたという安堵感(あんどかん) あれれのれえ、犯罪者視点とO検事視点だけのようですが。まあ、かつて担当した犯罪者と会いたいと思われても、死刑になれば、もう会うことはできませんがね。 それと、弁護側がでっち上げられた可能性があって確度が低いと主張する間接証拠の寄せ集めで、犯罪を立証できていると運よく裁判所から評価されたとしても、そのような場合は、問題を解決できたという安堵感は生じないと思うのですが。 控訴審、上告審、再審と将来に渡って何十年も不安が続くのではないでしょうか。 そして、重要なことはお忘れのようで。 被害者や被害者遺族のことは? 何が何でも被害者の無念を晴らしてやろうという視点は? 小学生だって、犯罪の加害者と被害者のことは理解できるんですよ。 こんな回答で小学生本人とその保護者が納得できればいいんですがね。 それと、もし、この回答をFさんとS子さんの遺族が見るようなことになって、「やっぱりO検事は被害者とその遺族のことは親身に考えない検事だったのね」と思われなければいいのですが。
2020.05.30
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傍聴した新聞記者たちが驚いた話です。 対馬放火殺人事件の裁判員裁判の法廷では、多くの創作話が検察によって主張されました。 創作話と言うのは、確かな証拠による裏付けのある話ではなくて、検察官が想像で作出した話であるということです。 その最たるものは、殺されたFさんが、受刑者が経営する鉄工所の敷地内で半殺しにされたという主張でしたが、そのような証拠はなく、公判廷終盤になると、検察はその主張を取り下げました。 新聞記者と冤罪論者は、裁判所の訴因変更命令に検察が応じたものだと言っています。 また検察は、Fさんが妻の携帯に送ったメールは、受刑者がFさんになりすまして送ったものであって、そのメールを送信した時点ではすでにFさんは半殺しにされていて意識はなかったと主張しました。 ところが、裁判所は判決理由でこの検察主張を認めていないのである。 さらには検察は、Fさんはユッケを着たまま殺されていたから、受刑者の鉄工所で作業を手伝っている際、受刑者と口論になり、被害に遭ったものだと主張しました。 Fさんがユッケを着る場面は、①イカ釣り漁をしている時、②生け簀の魚に餌をやる時、③受刑者の鉄工所で作業を手伝う時の3つの場面しかない。殺害された当時は、イカ釣り漁は休業しており、生け簀の魚にも餌をやっていなかったから、消去法で鉄工所で作業を手伝っている場面しかない。だから、Fさんは、受刑者の経営する鉄工所で被害に遭ったと、検察は主張したのである。 この主張について、検察は、弁護側と冤罪論者からだけでなく、有罪論者からもダメ出しを受けた。 なぜなら、ユッケというのは、漁師にとって、いわばユニフォームのようなものである。漁に出る時、生け簀の仕事をする時以外でも、着用する機会はいろいろと考えられるからだそうだ。 実は、殺されたFさんは受刑者の鉄工所にエンジン換装工事に出していた漁船以外にも漁船を持っていたそうだ。その船は自宅前に係留していたそうだ。 例えば、係留中の船を手入れしたり、係留のロープに絡まった海藻などの異物を取り除いたりするためにユッケを着た状態で作業した可能性が考えられると言う。 家事の汚れ作業をする時もユッケを着用していたかも知れないとも言う。 検察は、受刑者が経営する鉄工所でFさんが暴行を受けたことを裁判所に認めてもらおうと躍起になった。 それで無理に話を作ろうとしたと新聞記者と冤罪論者は言う。 もし、それが認められないと、Fさん殺害だけでなく、娘のS子さんの殺害と家屋への放火も、一連の犯行すべてが、受刑者によるものでないと評価されても仕方がないと検察内部では判断していたからだ、と有罪論者ですら言っている。 つまり、検察は、弁護側が言う所の「でっち上げられた可能性のあるような胡散臭い間接証拠ばかり」では、有罪判決に持って行くのは無理だと、実は、自分達自身も考えていたということだ、と言うのである。 既述したことだが、警察と検察は、捜査と公判廷対策で、被害者遺族をとことん利用して、その遺族全員の心を踏みにじった。 新聞記者と冤罪論者は、警察と検察は、被害者遺族にも法廷で主張したような作り話を聞かせたのだろうと言っている。 仮に有罪説に立ったとしても、被害者遺族からすると、家族を2人も惨殺されて、家屋が全焼して、思い出のアルバムなども全部燃えてしまって、無期懲役の判決では、警察と検察は何をやってるんだ、ということになると新聞記者と冤罪論者は憤慨する。 検察官の法廷での作り話が災いして、裁判官と裁判員の心に無罪の可能性がよぎり、死刑判決が出なかったと、被害者遺族が思ったとしても仕方がないそうである。 そして、受刑者が真実は無罪であるのであれば、どうして真犯人を野放しにしているのかと、これはこれで警察と検察に対する怒りは抑えきれないだろうと、新聞記者と冤罪論者は被害者遺族の心中を思いやるのである。 受刑者が犯人であろうがあるまいが、どっちにしても、被害者遺族は救済されないでのある。 被害者遺族は判決直後は、裁判官と裁判員を恨み、冷静に考えるようになってからは警察と検察を恨んだであろうと、新聞記者と冤罪論者は想像するのである。
2020.05.30
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今回は、個人的な話で恐縮ですが、僕の個人的な恐怖譚をお話したいと思います。 それは10代の頃、地元警察の刑事数名から、あわや連続放火犯に仕立てあげられかかった話です。 僕は10代の頃、受験浪人を経験しました。その時、僕は、予備校生になるのではなく、自宅で勉強をして、模擬試験だけを予備校に受験しに行くという生活をしていました。 アルバイトもせず、毎日、ほぼ1日中、勉強していましたが、勉強ばかりでは運動不足になるので、勉強の合間には、腕立て伏せやスクワットなどを自宅でやり、屋外でランニングなどもやっていました。 僕の家があるところは田舎ですが、それでも昼間は、自動車、トラック、バイクなど、そこそこの交通量があるので、安全な時間にランニングをやっていました。 ランニングするのは、夜8時から9時30分くらいの時間でした。10時を過ぎることはありませんでした。 ある夜、たまたま、職務質問を受けたので、素直に氏名、住所、浪人生であることなどを答えました。 すると、その数日後から、何日も続けて、自宅前に不審な男が立つようになりました。 僕は、「Z会」や「大学への数学」の学力コンテストなどの答案を、ほぼ毎日、自宅外200メートル先にあるポストに出しに行っていたので、その不審な男とは頻繁に顔を合わせました。 何度も顔を合わせるうちに、気持ちが悪くなったので、ついに「どちら様ですか。なにか用があるんですか」と訊ねました。 そうしたら、その男は、刑事であることを明らかにして、「連続放火事件の捜査をしている」と言いました。 同じ頃、別の刑事も、僕の父の職場を訪ねて、同じく「連続放火事件の捜査をしている」と言って、僕のことを根掘り葉掘り、父に訊ねたそうです。 どうやら、僕は、その「連続放火事件」の犯人であると所轄署から疑われていたようでした。 実は、警察が僕に目を付け、僕の家の様子を伺っていた最中も、放火事件は2件起こっていました。 僕は、疑われていると知って以降は夜外出していないので、警察が僕のアリバイを証明したはずでした。 ところが、僕の家の前にいた捜査員は、僕に対して、「お前がホシだ」とぬけぬけと言い放ったのです。 僕は、若気の至りもありましたが、堪忍袋の緒が切れて、その捜査員に猛抗議しました。そして、それでも納得できなかったので、所轄署に乗り込み、刑事課長に噛み付きました。 警察が24時間、僕を見張っている間に、同一犯によるものと思われる放火事件が2件起きた。この時点で、僕はホシじゃないだろう。そう認めろよと、抗議したのです。 すると、刑事課長もまた、ぬけぬけと言いました。「ホンボシは他にいるかも知れない」と。 『わっはっはっはっは、あんた達は馬鹿じゃねえか。こんなことだから、連続放火犯がなかなか逮捕できないんだよ』 僕は笑い叫びました。 10代の僕の放言に、50代の所轄署刑事課長は反論できませんでした。 この連続放火事件は、夜、人がいない木造の建物を狙って、火が付けられるという事件でした。 それらの放火現場はすべて、僕のランニングコースからは遠い所にありました。その何れの放火場所にも、僕は行ったことがありません。 結局、警察が僕へのマークを解いて、しばらくして、その連続放火犯は逮捕されました。 僕をマークしていた捜査員と、僕の家族や知人に僕のことを訊いて回っていた捜査員が、僕たちから離れたから、人海戦術で犯人が逮捕できたのです。 田舎の所轄署には、「少ない捜査員」しかいません。 その「少ない捜査員」を効率的に使い、的確な指示を出さないと、このように、狭い田舎の連続放火事件ですら、犯人逮捕に時間がかかるのです。 夜、ランニングしている浪人生が、ひょっとすると、むしゃくしゃして、放火したかも知れない、と考えた刑事課長の着想は悪くはありません。それでビンゴする事もあると思います。 しかし、僕にアリバイがある中、2件も同様の手口の放火事件が起きているから、その時点で、刑事課長は、捜査員に、僕から離れて、他をあたれと指示しなければならなかった。 刑事課長が僕に拘ったために、捜査員の割り振りに失敗して、犯人に、余計な放火事件を数件も起こさせてしまった。 連続放火犯の最後の数件の犯行は、間抜けな刑事課長のアシストがあったから成し遂げられたと思われても仕方がないのです。 この捜査の実態を知れば、被害に遭った建物の所有者と一般市民の皆さん方は、どう思ったでしょうかね? 僕は、僕の家を張り込んでいた刑事とそうするように指示した刑事課長に謝罪を求めました。 証拠もないのに、「お前がホシだ」と言われて、僕は心を痛めたからです。 そして、同時に、僕は、ぞっとしました。 アリバイがあるのに疑いを持ち続けられました。 知らない間に、警察の中では、僕は「ホシ」と呼ばれていた。 もし、犯人が逮捕されなかったら、僕はアリバイがあっても、強引に犯人に仕立て上げられたのではないか。張り込んでいた捜査員が「家から出た」と嘘を言えば、僕は犯人にされてしまいます。 僕の生殺与奪の権利を、その捜査員が握っている。僕や一般市民にとっては正当な抗議でも、その捜査員から逆恨みされれば、大変な事になったかも知れない。 そう考えると、夜も眠れませんでした。 たまたま、雨が降れば、濡れた傘は家の中に持ち込まず、玄関外の傘立てに置きます。 また、洗濯物は普通、庭の物干し竿に干します。 もし、その家の外にある、傘なり、洗濯物なりを、誰かが持ちだして、放火現場に置いたら、僕は、犯人でもないのに、犯人にされたのではないか、などと、この出来事があった、10代当時、僕は考えることがありました。
2020.05.22
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実は、対馬放火殺人事件では、朝7時50分より前の時間、犯行現場と受刑者宅の間の道路沿いにある免税店の防犯カメラに、犯人と思われる男が軽トラに乗っている映像と時間が記録されていた。 ただ、この映像はぼやけていて、その男が受刑者であると特定できる代物ではなかった。 警察と検察は、この免税店前から、普通自動車を運転して受刑者宅に通じる細い道の入り口まで、どのくらいの時間がかかるかについてのみ実証実験をした。そして、その結果、朝7時50分頃までに受刑者が自宅に戻ることが「何とか可能だ」と法廷で説明した。 この点について、現地の交通事情に精通している冤罪論者は、「何とか可能」どころか、絶対に不可能であると断定するのである。 以下に、冤罪論者がそう断定する根拠を述べる。 まず、冤罪論者が指摘するのは、警察と検察の実証実験は、がらがらに道路がすいている時に行なったものである点である。 放火殺人事件が起きた朝は、火事のために消防などの緊急車両や野次馬の車が往来していたのだから、交通量が多く、警察や検察が主張するほどスムーズに車を走らせることは出来ない、と言う。 そして、次に冤罪論者が指摘しているのは、警察と検察の実証実験は、靴を履いた警察官が普通自動車を運転するものであって、犯行時の状況とは違っている点である。犯人はサンダル履きで軽トラを運転したわけであるから、実証実験でもその通りにやらないと信頼度に欠けると言っているわけである。 さらには、警察と検察が法廷に出した検証映像では赤信号にひっかかり止まる場面が少ないから、どうせ、何度も何度も検証実験をして、その中で一番、スムーズに車を走らせることが出来た映像を持ってきたんだろうと、冤罪論者は言うのである。 そして、最後に、この実証実験は所詮、防犯映像に記録されていた免税店前から、受刑者宅のある小道に通じる入り口までに限った実験であるところに、そもそも欠陥があると冤罪論者は言う。 警察と検察は、受刑者は自宅に戻る前、軽トラを家族や近所の人達の目の届かない所に隠して、自宅に戻ったと主張した。なぜなら、家族や近所の人達は、その軽トラに乗ってFさんが受刑者宅の隣接鉄工所にやって来ていたことを知っていたから、絶対に見られてはならなかった。 そして自宅の自部屋に戻る際も、玄関から入ったのではなくて自宅外階段から2階の自部屋へ戻ったと、警察と検察は主張した。 つまり、警察と検察は、実証実験でも、受刑者宅に通じる小道まで入り込み、軽トラを隠し、外階段から2階の部屋に戻る所までやっていないから、受刑者に犯行が「なんとか可能だ」なんて言えないと冤罪論者は呆れるのである。 その上、冤罪論者が「絶対に不可能」と言うのには、科学的根拠がある。 受刑者宅近所には軽トラを隠せるような場所はそう沢山はない。それらの隠し場所は何処をとっても受刑者の自宅からは徒歩で数分はかかる。 その何れの隠し場所からでも、サンダル履きでは、自宅までの結構な距離を走って戻ることはできない上、自宅外に辿りついたとしても、最後は外階段で時間を取られることになる。 実は、受刑者の家の外階段は長年の雨露で至る所が浸食または腐食、陥没していて、家族は誰も、普段、使っていない。仮に受刑者に使用可能であると仮定しても、80キロを超える体重の受刑者が無理してその階段を登ろうとすると、急ぎ足では不可能である。 結局、防犯映像の記録のある免税店前から、受刑者が、サンダル履きで軽トラを運転して、朝7時50分頃までに自宅2階の自部屋へ戻ることは不可能である。だから、警察と検察は全区間での実証実験ができなかったのだと冤罪論者は断定するのである。
2020.05.21
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一定割合の新聞記者と冤罪論者は、受刑者の姉が裁判員裁判の法廷で述べた受刑者のアリバイ証言は信ぴょう性があり、事実を述べているとしか思えないと言う。 対馬放火殺人事件が起きた日の朝7時50分頃、受刑者の姉は出勤のため、自宅玄関を出て行こうとしたら、階段から降りてくる弟(受刑者)の足音を聞いた。 受刑者の姉は、それより前の時間から、弟(受刑者)の部屋の中から、物音がするのを聞いていたが、弟(受刑者)がなかなか起きてこないことに意識があったので、出勤の際、ドスドスと重量感のある、いつもの弟(受刑者)の2階から降りてくる足音を聴いて、「やっと起きてきたか。寝坊助の弟め」と内心で思っていた。 ちなみに、受刑者の家庭は、受刑者本人と姉、母の3人家族で、2階には受刑者と姉の部屋があるが、普段、母は2階には行かない。対馬放火殺人事件が起きた日の朝も、母は2階に行っていない。(仮に2階に行ったとしても、母の足音は「ドスドス」という重量感のある音ではない) そして、出勤後、受刑者の姉は職場の同僚と、放火殺人事件のことを話した。 と言っても、この時点ではまだ、惨殺された遺体が発見される前だったので、職場の同僚たちは、単なる火災という認識だった。「早朝から火災が起きて騒がしかったよね」という話で盛り上がったのだ。 その際、受刑者の姉は次のように語ったのである。これを複数の同僚が聴いていた。「朝っぱらから火事で騒がしかったよね。外はそんなに大変だと言うのに、今日は私が出勤する頃になって、やっと寝坊助の弟(受刑者)が起きてきたのよ」と。 この発言は、受刑者の姉が先々、弟(受刑者)が放火殺人事件の容疑者になることを予期して、前もって、仕組んだ発言などではないことは、誰にだって容易に理解できるだろう。 問題なのは、この事件当日の朝7時50分頃、受刑者が自宅にいたという、この事実なのである。 これは法廷で、裁判長の判決理由の朗読を傍聴していれば分かることだが、裁判官と裁判員の合議体も、この受刑者の姉のアリバイ証言は否定できなかった。 つまり、裁判所は、受刑者姉のアリバイ証言を否定せずに、受刑者が犯行現場から戻って、朝7時50分頃自宅にいることは「何とか可能」だ、という検察の主張を採用した。 ところが、この事件を取材した新聞記者と対馬市内の交通状況に精通した冤罪論者は、受刑者が犯行現場から逃走して、その時間に自宅に戻ることは、「何とか可能」どころか、絶対に不可能であると断言する。 そして、新聞記者と冤罪論者は、犯行現場から自宅に戻る検証をしなかった警察と検察に対して、「不可能だから、出来なかった」と言うのである。 この、新聞記者と冤罪論者が不可能であると言う根拠については次回、述べる。 なお、以降の内容は、対馬放火殺人事件は冤罪事件であると信じる理工系の学位取得者の知人が激高して言ったことだが、ここで紹介しておく。「やってやれないことはない」とか「なんとか可能だ」などといういい加減な根拠から結論を導き出すということは、自然科学の分野ではあってはならないことだが、有罪無罪を決める裁判でも同様にあるべきではない。
2020.05.20
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今、僕が悩んでいることの1つは、今後、対馬放火殺人事件の再審請求を叫ぶ人達が、僕に接触してきたとき、どのような対応をとればいいのだろうかということです。 実は、先々、このようなこともあろうかと、裁判員在任中にK裁判長に被告サイドの弁護士と関わることはアウトなのか否かを確認しました。 すると、K裁判長は「裁判員裁判の評議の秘密を洩らさなければ、被告人サイドと接触しても問題はない」と言いました。 僕は少ない数の新聞記者から個人情報を知られています。 もし、先々、受刑者サイドが記者を通じて接触して来たら、その対応については、世論に問うて、みなさんの良識に従いたいと考えています。 そして、もし、僕が不治の病に侵され、余命いくばくもない状態になった場合、知人に預かってもらっている音声データをどうすべきかということも、そう遠くない将来、結論を出さなければなりません。 その時も、世論に問うて、みなさんの良識に従いたいと考えます。
2020.05.17
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今日は重要な話をさせていただきます。 裁判員制度発足から10年。いまだかつて、このような事を発言する裁判員経験者は誰もいませんでした。僕が初めてでしょう。 その重要な話の前に、僕が置かれていた(置かれている)状況をご理解いただきたいと思うのです。どうして「そうしなければならなくなったか」ということです。 まず、僕は裁判長と書記官から理不尽な仕打ちを受けました。 裁判員に選任されて、宣誓をしぶる裁判員候補者を前に、裁判長は言いました。「今回の裁判は特殊な長期の裁判だから、特別に、本来、支給基準に該当しない人にも宿泊費を出します。だから、裁判員就任を引き受けて下さい」 ところが、翌日になると、書記官がこの約束を覆そうとしました。 結果的に、最初の約束通り、宿泊費は支給されましたが、それは僕が相当に抵抗して、長崎地裁会計課長の決定的なミスを録音したからです。僕が何もしなかったら、地裁は宿泊費を出さなかった。 以上の経緯は本ブログ、3月11日と12日の以下の分で詳述しました。宣誓したくないオーラで重い空気。それを吹き飛ばしたK裁判長の詐術K裁判長が約束した「宿泊費」を出せないと言ったH書記官とU会計課長 揉めに揉めた宿泊費騒動。結局、非を認めて支給するも、謝罪はしない長崎地裁 また、K裁判長からは他のことについても嘘の説明や不適切な発言を繰り返し受けました。4月1日分と4日分で詳述しています。評議室内でのK裁判長の暴言ないし問題発言の数々。 読者の皆さん。僕の被害状況が分かる音声データがあるとすれば、それを聴きたいですか? そして、以上のような「明らかに謝罪すべき場面」でも謝罪をしないばかりか、裁判員業務終了後も、別途起きたトラブルについても責任を取ろうとしません。このことも詳述しました。 裁判所は、何が何でも評議の秘密を裁判員と裁判員経験者に守らせようとします。 それを担保するために罰則付きの守秘義務を押し付けます。違反者は6月以下の懲役か50万円以下の罰金に処せられます。 裁判所は、裁判員と裁判員経験者が秘密を漏らしやすいと考えているようですが、これは、とんでもない誤った認識です。 僕は、秘密の漏洩の危険が大きいのは裁判員と裁判員経験者ではなく、守秘義務違反について何ら罰則で縛りのない裁判官と裁判官経験者の方だと考えます。 裁判官と裁判官経験者の全員ではありません。その危険性があるのは一部の問題がある裁判官と裁判官経験者です。 裁判員と裁判員経験者についても、罰則付きの守秘義務があるからと言って絶対に安心はできません。 もし、事件関係者や、事件に思い入れのある急進的な市民から、問い詰められれば、評議の秘密を漏らしたり、他の裁判員や裁判員経験者の個人情報を教えたりすることが考えられないわけではありません。 例えば、刑務所から出所した元被告人から詰め寄られ、次のようなことを口走る場面が容易に想像できます。「自分は無罪を主張したんだ。恨まれるのは可笑しい。恨むんだったら、強く有罪を主張した○○さんを恨め。○○さんの勤務先を知っているから教えてやるよ」 僕のような補充裁判員は原則、評議と評決には関わらないことになっていますが、話し合いの最中、裁判長から「この点についてどう思いますか」と訊かれるので、自分の考えを述べざるをえなくなりました。 この僕の発言が、被告人を有利にするものか不利にするものなのかは分かりませんが、評議の最中に発言したこと自体、「評議に関わっている」ことになるではありませんか。 仮に、裁判長から質問されて全く発言しない補充裁判員であったとしても、事件関係者や事件に思い入れのある急進的な市民は、そうは理解してくれないと思います。 録音のきっかけは、裁判員就任の宣誓前に裁判長が約束した「宿泊費」を書記官と会計課長が「出せない」と言ったことです。 これで全く、地裁関係者が信用できなくなりました。それで自己防衛のためにやむをえず、始めました。 嘘で騙すような事をされなければ、このようなことはやっていません。 結果的に猛抗議の末、「宿泊費」は出してもらえることになりましたが、ICレコーダーで録取した音声データは消去することが出来ませんでした。虚偽の説明に懲りない裁判長から再度、嘘の説明や不適切な説明を受けたからです。 裁判員業務終了後、一定時間が経過して、音声データを消去しようとも思いましたが、またしても、裁判所が起因することでトラブルが起きて、そのことで人権を蹂躙され、謝罪さえしてもらっていません。それで消去できませんでした。 ICレコーダーで録取するきっかけを作ったのは裁判所。そして、再三、その音声データを消去する機会があったのに、その機会を無くしたのも裁判所なのです。 このICレコーダーで録取した音声データは、ICレコーダー本体ごと、僕が居住する県とは離れた県に在住する信頼できる人に預かってもらっています。 その人は何が録音されているのかは知りません。僕が裁判員経験者であることも知りません。 ただ、僕の身に何かあった時、某新聞記者に渡すように、ICレコーダーを入れた包みに同封した手紙にその旨を書いています。その人は手紙のことも知りません。 僕の身に何もなければ、包みの封も手紙の封も破られることはありません。 僕は今、疑っています。僕が疑うのは、同じ裁判員だった仲間ではなく、裁判員を務めていた当時の一部の地裁関係者です。 つまり、その当時の一部の地裁関係者が、ひょっとすると、先々、嘘をでっち上げて、事件関係者や事件に思い入れのある急進的な市民に、僕のことを悪く吹聴して、その結果、僕の人権がまたもや不当に蹂躙されるかもしれない。 間違ったことをして反省せず謝罪しない人間は、また間違いを仕出かすのではないかと、とても不安に感じています。
2020.05.12
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裁判員を務めたことを全ての人に秘密にすることは不可能です。 単独で仕事をしている人以外、裁判員に選任された段階で、まず職場の関係者に知られてしまいます。地裁では、裁判員拘束期間中に審理されている裁判員裁判は1つしかないので、職場の関係者は具体的な事件名まで容易く把握できてしまいます。 狭い地域社会の裁判員裁判となると、法廷で傍聴席にいる知人に顔を見られるということもあり得ます。 事件を担当する地方検察庁の検事数人は、裁判員選任過程で、被告人を有利にしやすい者が裁判員に選ばれないように目を光らせているので、選ばれた裁判員の氏名も当然把握することになります。 裁判所の書記官ですら、絶対に裁判員経験者の個人情報を漏洩しないとは断言できないと思います。 結局、人の口には戸が立てられないのです。「誰が何の裁判員裁判を担当した」ということを、その裁判員経験者が生存中、完全に秘密にし続けることは出来ません。 どこから裁判員経験者の個人情報が漏れて、事件関係者から報復を受けるか分かったものではありません。 それに、裁判員経験者に危害を及ぼそうとする者は、何も事件関係者だけとは限らないのです。 裁判員裁判の判決に不満を持つ、事件とは直接利害関係のない人達が、それぞれの信念から行動を起こす場合があります。 僕が担当した「対馬放火殺人事件」は、事前に、「死刑論」と「無罪論」が真っ二つに割れていました。 しかし、結果は「無期懲役」の判決だったので、双方の立場の世論からバッシングを受けることになりました。 僕を含む、この事件の裁判員裁判の裁判員経験者は、事件関係者だけからではなく、事件に思い入れのある急進的な一般市民からも、いつ攻撃されても不思議ではないのです。 実は、僕は裁判員任務終了後の2年間に数回、裁判員を務めたことによる報復と思われる攻撃を受けました。事件関係者からではありません。事件に思い入れのあると思われる急進的な一般市民から攻撃を受けたのです。 その攻撃の中には、厳密には軽微ながら犯罪に該当するものもありました。 攻撃を仕掛けてくる人は、僕が対馬放火殺人事件の裁判員だったことを知っている人物ばかりでした。 ただし、彼らは、「お前の関与した裁判員裁判の判決に不満があるから、お前を攻撃するんだ」と明言はしません。 そんなことをすると問題が大きくなることが分かっているので、「つい、うっかりと誤って、攻撃をしました」と話を作るのです。 今の所、軽微な事件ばかりですが、これから先、どうなるのかは分かりません。 僕のように、有罪無罪の判断が難しい事件を担当すると、その裁判員業務に起因する精神的な問題が発生するリスクに晒されるだけでなく、刑事事件の被害者になるリスクも背負うことになることを分かって欲しいのです。 この2つのリスクは一生涯、存在し続けるということなのですよ。
2020.05.09
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本日のツイッターに岡口基一さんが次のツイートをしておられました。 有名な方なので、皆さん、ご存知かとは思いますが、岡口基一さんは仙台高裁に勤務されている現職の裁判官です。 その岡口基一さんのツイートは次の通りです。 どんどん、台湾や韓国に追い越されていくニッポン 「日本には台湾や韓国のように、捜査機関を検証する公的な独立機関はない。日本の裁判所は、再審無罪となった事件の誤判を検証し、結果を公表したことは、過去に一度もない。」 この岡口基一さんのツイートに対して、僕が返信した内容は以下の通りです。「だから、裁判員裁判を仕切る裁判長が傲慢になるんですよ。裁判長は、何をやろうが、絶対に、責任を追及されることがないことが分かっていますからね。」
2020.05.05
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このブログは、もう精神的にどうにもならなくなって、約2か月前の3月7日に始めたのですが、熱心に支持して下さる読者に恵まれることになりました。 アクセス数はまだそんなに多くはありませんが、一部読者のポジティブなリアクションは、ブログを更新しようとする僕の心の支えになります。 悩める裁判員経験者・似蛭田妖のブログ、紹介動画、ぷっち(碇椿太) https://www.youtube.com/watch?v=FVBcD3hv-EY&feature=youtu.be 上のURLは、その一部読者が、僕のブログを論評する動画です。 どうか、ご覧下さいませ。
2020.05.03
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