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【遙かなる紫の物語】若菜の章 その3
ふと見ると、宮の昼のしとねに、何かが挟まっている。
友雅は、何気なく手に取ってみた。
「恋文……?」
誰からのだろう……。もしや、恋敵の……? 友雅は、そっと開いてみた。
「鷹通……! お前が……」
宮に忍んで懐妊させたのは、鷹通だったのだ……! 宮に恋していたのは知っていた。八葉だった頃から、あかねに熱い気持ちを寄せていた。正真のあかねだと気づいたろうか? 気の毒だが、あかねは渡さぬ! 友雅は堅く心に決めていた。相手が誰であろうと、身ごもらせた罪は重い。たとえ鷹通であろうと、許せなかった。
小侍従は、友雅が手にしている文を見て、あわてて宮を起こしに行った。
「宮様、宮様! 鷹通殿からのお文、どこへおしまいになりましたか?」
宮は眠そうにこたえた。
「昼のおしとねの下に。どうかしたの?」
「お殿様が……お持ちでらっしゃいます……」
宮の顔色がさっと青ざめた。知られてしまった……! 友雅にしかられる! もう、ここにいさせてもらえない? どこにも行くところがない……。宮は怖くてたまらなかった。鷹通がどうなるかなど、少しも思い及ばなかった。しかられることだけが怖かった。
しかし、友雅は、宮に何も言わなかった。
今まで以上に大事にしてくれる。宮には、その方がいやだった。しかられた方がましだと思った。友雅が何を考えているのか、さっぱり分からない。
「あかねの君……」
友雅は、宮をこう呼ぶようになった。せめて名前でも呼び続ければ、なくした記憶が戻るかと。それも、宮には不気味だった。「あかね」と呼ばれると、頭の奥の方が気味悪く霞んでくる。思い出したい何かと思い出したくない何かがせめぎ合う感じがする。きっと、なにか悪いことなのだ……。宮は、御所へ戻りたくなった。友雅の傍は苦しい。鷹通の傍にいたかった。文も来なくなって……。小侍従が、知られたことを知らせたから……。
御所では管弦の遊びが行われていた。
友雅も鷹通も、それぞれに楽器が堪能だということで召されていた。
友雅の琵琶、鷹通の鼓、宴はたけなわとなっていた。
鷹通は、気分が悪かった。
友雅の笛の琵琶が、突き刺さるように感じる。
他人から聞けば、いつものあざれた感じの友雅の琵琶。聞く人が聞けば、八葉のつとめを終えてから、何か憂いを含んだ音色に変わったと言うが、鷹通には、友雅が、琵琶を通して自分をかきむしり、責めているように思えてならなかった。
友雅にしても、鷹通の鼓の音が、自分に挑戦しているように感じられた。友雅は、鷹通の顔をじっと見つめた。あかねはやらぬ! 自然と眼光鋭くなり、鷹通に突き刺さったようだった。
鷹通は、友雅の眼に射られる感じがした。座ってもいられないほどくらくらして、その場に倒れそうだった。管弦が終わって酒宴に移るのと同時に、鷹通は中座して館に帰った。
友雅は、そんな鷹通を眼でおいながら、軽い勝利感を感じていた。鷹通のことは、かわいいと思っていたがねえ……。縁あって手にした掌中の珠、私の白雪を手放すわけには行かないのだよ。友雅は、手にした杯をくっと空けた。唇から笑みがこぼれた。
館に戻った鷹通は、今度こそ本当に寝付いてしまった。
友雅の眼に射られ、琵琶に心を引き裂かれたから……。命の灯火を射抜かれたように感じた。何という罪を犯したのか……。宮もお苦しみに違いない。守って差し上げる約束をしたが、果たせそうにない。
(友雅殿にはかなわない……。)
鷹通は悔しかった。が、萎える自分をどうにもしようがなかった。宮はどう思っておられるのか……。宮のお気持ちが自分にあれば、強くなれるだろうのに。鷹通は、宮の気持ちが知りたかった。宮からの文がほしかった。
宮は、夢を見ていた。
桜の咲く、古い神社。傍には、友だちらしい男の子が二人。
目の前には古い井戸がある。神井戸のようで、注連縄で結界がはってある。
突然、井戸が光を放ち、次に宮はどこか知らない屋敷の中にいた。
茜色の細長を着て、頭に冠をかぶった姫君。
「神子様、お気がつかれましたか?」
神子様? 誰のこと?_でも、宮はそう呼ばれていたことがあるような気がした。
「神子殿、心配したよ、気分はどうだね?」
友雅の声がする。今より少し若い感じの友雅。どうして知っているのだろう……。
「あなたがこのまま消えてしまうのではないかと……心配いたしました。」
鷹通もいる。
夢なのに……自分はこれを知っている。宮は不思議でたまらなかった。神子様、神子殿、自分は確かにそう呼ばれていた。次々と思い出すものがあった。四方の札、四神、心のかけら……。
心のかけら!
宮の心に何かがすうっと戻ってくる感じがあった。
(思い出した! 私は、龍神の神子として、京に召喚されたのよ。そして、藤姫と八葉のみんなと出会って、恋をして……。私、天真くんたちと元の世界に帰ったはずなのに、どうしてここにいるんだろう?)
また心がすうっとして、二つ目のかけらが戻ってきた。
(そうだ! 私は、忘れられなかったんだ。京のこと。八葉のみんなのこと。だから、寂しくなって、あの井戸の所へ行ったんだ。)
最後のかけらが戻ってきた。
(友雅さん! 私は、友雅さんの所へ戻ってきたんだ! 私、思い出したわ。友雅さんに知らせないと……)
そのとき、あかねは、自分の中にもう一つ命があることを思い出した。そして、その子ができたいきさつも……。
なんて事をしてしまったのだろう!
藤姫のことも思い出した。自分が帰った後、藤姫は友雅と結婚していたのだ。藤姫から友雅を取ってしまったあげくに、鷹通と浮気をして子どもまでできてしまった! いったい、自分は何をしていたのか。ぼうっとして何も分からないうちに、自分の思わぬ方向へ物事が動いている。あかねはどうしていいか分からなかった。どこから手をつけて解決したらいいのか……。相談するべき相手もいない。あかねはひとりぼっちだった。
小侍従が、鷹通からの文を持って来た。
震える筆跡で、想いがつづられている。命が絶えそうだとも。
あかねは、返事をするのをためらった。自分の気持ちが誰にあるのか、分からなくなってしまったのだ。鷹通とこうなってしまって、しかも、そのために鷹通が死に瀕していること。でも、自分は友雅が忘れられなくて、こっちへ戻ってきたこと。でも、返事をしなければ、鷹通は本当に死んでしまうかもしれない……。
「宮様……鷹通殿がお気の毒でございます……。」
小侍従が声をかけた。あかねは、一言だけ、返事を書くことにした。
「お返事が、いただけたのだね……!」
鷹通は、うれしかった。何が書いてあろうと、宮が自分のために筆をとってくれたことがうれしかった。
(もう、これで思い残すことはない……。)
病は、鷹通を深くむしばんでいた。すでに、宮への思慕だけが、鷹通の生きる気力だったのである。
宮からの文を胸に抱き、鷹通は静かに目を閉じた。心が透き通り、遠くに清らかな光が見えた。鷹通は、光に向かって歩き出した。もう、何も恐れるものはない。あの光の元に、宮を守る力があるのだ。
仕える女房がしばらくして様子を見に来たとき、鷹通は微笑んだまま、息絶えていた。
鷹通がなくなった知らせは、橘の館にも届いた。
あかねの宮は、ふるえが止まらなかった。お返事をあげてもあげなくても、鷹通は自分の為に死ぬのだったなんて! 鷹通の死は自分のせいだ。あかねは苦しかった。
(あんなに震えて……。そんなに鷹通が好きだったのか。こっちへ戻ってきたのも、鷹通の為だったのか?)
お互い口を利かなかった。あかねの事は、小侍従が手をとって休ませに連れて行った。友雅にも、今のあかねの傍にいることは苦痛だった。友雅は土御門へ向かった。
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