Laub🍃

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2017.05.13
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カテゴリ: ●新書
不幸度:

A:ものすごく不幸
B:かなり不幸
C:平凡な日々に不幸の陰が
D:ちょっとだけ幸せ
E:幸せいっぱい

(p34)

この番付が地味にひどい。
なんだか2chまとめの不幸な結婚式とか不幸な同居とかを思い出す。



・畑作りの障害(食糧難)
・材料(金属不足)


で失われてしまったり、

周囲の緑に埋もれてしまったり、人通りが少なかったりという不遇な像、親しみのない像。
作品の置かれる必然性がない場所にあったり作品自体の大きさが小さくて遠くからは見えづらかったり。

そうしたパブリックアートたちは、アートの再生産を難しくするーというのが、この本の問題提起。


だけどそうしたものたちも、
・周辺の住宅街の発達によって「はしっこにある」ものが外部から見るとゲートの役割を果たしたり
・周囲の緑が育ってくることで存在感を大きくしたり

ってことに繋がるかもしれないという希望がある。


必ずなければいけないわけじゃないけど、渋谷のハチ公や静岡の水回りのアートと風車の繋がりのようにそこを象徴したり、心の中になんとなく溶け込んでいたり、子供の時に見たらひどく新鮮だったり、そうしたものを作れたらいいよなあ、という憧れがある。



 もしも曰くつきの像だということが広まっていたのなら、中の素地だけでも生きる形にデザインされていたら、もしかしたら幸福なエンドになってたのかもしれないと考えるとちょっと楽しい。しかしそれだと当時の貧乏と金持ちの権力の境界がぶれぶれになってしまうジレンマ。

 初めに町中に像を作った人は、何を思って、何を願って立てたのだろう。
 権力ある人が頼んだもの、誰か名もなき人が面白いと思ってやったもの…

 宗教や権力の象徴色が弱いものをはじめに作った人、大きなシンボルでなく小さなマークとして作った人、建物の一部でなく街の、道の一部として作った人も、それぞれ乗り越える壁があって今に至っているんだろうなと思う。





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最終更新日  2018.01.08 12:56:27
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