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かれこれ30年くらい前の話。会社に来ていた営業の人に初めての子どもが生まれ、「子どもの名前、”ヤスシ”にしようと思うんだ」と言った。当時20歳くらいだった私は、不躾にも「公園とかで、遠くから子どもの名前を呼んだときのことを考えると、もっと今っぽい名前のほうがいいんじゃないの?」と口走ってしまった。さんざん悩んだ末に決めようとしている名前にケチをつけられたせいか、営業の人は「そんなもんかね」と言って帰っていった。数日後、「子どもの名前ね、”アキラ”にした」と言って笑った。
2016年01月30日
きのうは、3回目の母の命日だった。母は無自覚に、見えない力で物事をコントロールしているような人だった。そして、母を取り巻く人たちも、その影響を受けていたように思う。 3年前のきのう、予定では車検から戻っているはずの私の車が、ディーラーの手違いで納車が遅れた。その日は、次女のトランペットのレッスンに行くために、歩いて1分の実家に車を借りに行かなくてはならなくなった。夜、レッスンが終わって実家に車を返しに行ったとき、勝手口のドアを開けると、母がイスに座ってテレビを観ていた。いつもと変わらぬ様子で 「あら、今帰って来たの?」 と振り向き、近所にいながらあまり顔を合わす時間がない娘たちにも声を掛けていた。 「じゃあ、またね~」 と手を振りながら、いつにも増して機嫌の良い母。 それから3時間後に急死し、二度と言葉を交わすことができなくなるとは思わなかった。もし、車が予定通りに納車されていたら、あの日は私も娘たちも母の顔を見ることはなかったはずだ。 もしかしたら、この世で起きることはすべて、こうした力によってコントロールされているのではないかとさえ思えるのだ。
2016年01月29日
さっきローソンで買い物をしたとき、レジの女性から 「新発売の”和風カレーまん”はいかがですか?」 と聞かれたので 「じゃ、ひとつください」 と言うと 「え!?はい、有難うございます」 と言われた。「結構です」という返事を予想していたに違いないが、私の数少ないモットーの中に「人に勧められたことを断らない」というのがある。以前も、セルフのガソリンスタンドで、スタッフのお兄ちゃんが近づいてきて 「今、タイヤのセールをやってまして、拝見したところかなりタイヤの山が減っているようなので、この機会にどうですか?」 と声を掛けてきたので 「じゃ、お願いします」 と言うと 「え!?・・・有難うございます!!」 まさかいきなりタイヤ4本売れると思ってなかったからだと思うが、モットーに忠実に生きている私としては・・・いや、実を言うと車検が近づいていて、”ディーラーでタイヤ交換すると高くつくだろうな~”と思っていた矢先だったのだ。こんな感じで長年やってきたおかげで、過去に勧められるまま入った生命保険でずいぶん助かった。で先日、某生保の営業が来たので話を聞くことに。おじさんとおねえちゃんの営業ペアは、私の年齢や子供の学齢を聞いて、慣れた感じで端末を操作し、おすすめプランを作成してくれた。 「こんな感じですが、いかがでしょう?」 と聞かれたので 「あいにく他の保険でいっぱいいっぱいなので見送らせていただきます」 と答えた。なぜかというと、端末を操作するおじさんの横で、手持無沙汰のおねえちゃんが、我が家のリビングを舐めまわすように見ていたから。モットーは時に気まぐれだ。
2016年01月28日
今、『あさイチ』で「鼻づまり特集」をやっている。長女が、妊娠中から現在(出産後一年)に至るまで、ずっと鼻づまりに悩まされているので、番組を観るようLINEを送ったところだ。すると間もなく長女から 「ゆうべは布団をかぶって顔周りを温めてみたら、片方だけ通った」 という返信。ちょうどそのとき、番組中で 「鼻を温めたらどうでしょう?」 という話をしてたので、長女に 「”ホットアイマスク”で温めてみたら?」 と送ると、 「”ホット鼻マスク”があればいいのに(笑)」 おお!!それなら私も考えてたところだよ。”難聴は耳を温めるといい”という記事を最近読んだので ”ホット耳マスク”があればいいのに・・・” と思っていたところだ。花王さんよろしく。
2016年01月27日
”自分がいない”という人はいないでも、”自分がない”という人はいるそれは、「私」という意識レベルが極端に低い人だ個人の意識が薄くなると自分と他人との境があいまいになるあいまいになると、目の前から「敵」がいなくなるなぜなら、目の前の人も自分だから目の前の人を変えたいと思ったらやることはひとつしかない自分が変わることだすると、目の前の自分も自然に変わる
2016年01月20日
剣道では、試合で一本取ったあとガッツポーズをしてはいけない。技に関係ない上、相手に対する礼儀に欠ける行為なので、一本取り消しのルールになっている。柔道はそうじゃないよね?一本決まるか決まったか、技をかけたまま審判の旗の色を見るやいなや 「やったー!!」 だもん。”礼に始まり、礼に終わる”の基本理念を掲げる剣道とは一線を画していいのかな?もし、今年のオリンピックで、日本の選手が勝ってもガッツポーズをしなくて、涼しい顔をしていたら、武道としての柔道の価値が再認識されると思うんだけど。
2016年01月20日
30年前、アウトドア用品のショップで企画された「カナダでキャンプ」に行ったときのこと。大きなスーパーマーケットで切手を買おうとして、店員のお兄さんに訊いたところ、しばらく待たされた挙句、言われたのは 「ドン!」 「え!?」 ”Don't” ホッカイロかと思った。
2016年01月17日
東京・福生(ふっさ)市に、アメリカンなサンドウィッチを堪能できるお店がある。行き始めたきっかけは、当時(19歳)付き合っていた元カレが連れて行ってくれたことだったが、別れたあとも一人で行くようにになり、マスター(と呼ぶと怒る長谷見さん)ともバイクや車の話で盛り上がるようになった。結婚してからは、近い場所に住んでいたにもかかわらず足が遠のいていたが、ときどき無性に食べたくなる「もちサンド」を味わいたくて、年一回、いや数年に一回程度通っていた。元夫も一緒に行こうと誘ったことがあったが、渋ったその理由は 「あ~、アンタが直子の旦那(笑)」 って言われるのが嫌だ・・・って、その話をマスター(と呼ぶと怒る)に聞かせたら大ウケ数年前、中古で外車を買ったとき、披露がてら店に見せに言ったら(←ダジャレですよ~) 「白いBMが入って来たからどこのお嬢さんかと思ったら直子おばさんだったか」 あの毒舌を聞きに近いうち行こう。 サンドウィッチハウス チーズアンドオリーブ
2016年01月16日
ふと 「あ~、人間ってみんな神さまなんだな」 と思うことがある。そういうと「わー、こいつアブねー!!」って言われそうだけど、【神】の定義ができない限り、”自分たちは神ではない”という証明もできない。どうもこの世というのは、神々がわざわざ『思い通りにならないゲーム』をやりに来ているらしい。なぜかって、あの世はすべて思いのままで、長くいるうちには退屈するからなんだと思う。とはいえ、中には簡単なレベルを選んで人生を謳歌しに来てる神もいるから、敢えてハイレベルなステージに挑戦している神には 「アイツ、あんな簡単なゲーム(人生)選びやがって」 ということもままある。でも、よりハイレベルなゲームをコンプリートしてあの世に帰ると、この世では味わえないほどの満足感を得られるんじゃないかと・・・私は思いたい。
2016年01月15日
日本語のネイティブスピーカーである我々は、特に難しいと感じないけど、改めて発音してみると難しい単語がある。それは、 「ん」+「母音」 感音半音陰影運営近影圏央(道)婚姻 一度、口の奥で「ん」と発音したあとで、新たに「母音」をはっきり発音しないと、日本語をローマ字読みした外国人みたいになってしまう。 例:圏央道→KENOUDOU→ケノウドウ かのデーブ・スペクターでさえ、いまだに日本語のネイティブスピーカーのようにはいかないのだからかなり難しいんだろう。
2016年01月15日
外国語をぺらぺら話せるようになるというのは、どんな感じなのか?去年、1年間のドイツ留学から帰ってきた大学生の甥が、 「今は英語よりドイツ語のほうが楽に話せる」 と言うので、 「外国語が身に付くってどういう感じ?」 と聞くと、意外なほど明確な答えが返ってきた。 「タイピングを練習していくうちに、徐々に手が慣れていく感じ!」 あ~なるほど甥によると、単語一つ一つをつなぎ合わせていくスピードが、徐々にアップするということなのだ。ドイツ語の場合、名詞に「男性」「女性」「中性」があることから、ネイティブでない人にとっては、いちいちそれを正しく選ぶのが大変なんだそうな。それがだんだん慣れてきて、頭で考える時間が短縮されていくということらしい。 「じゃあ、ひょっとしてドイツに住みたいと思った?」 と聞いてみると 「いや、日本にいたい」 これまた意外な返事が返ってきた。
2016年01月09日
「もちろん10人を助けるべきでしょう!」 と思っていたら、立ち往生の運転手は有能な科学者だとわかった途端・・・ 「いや、この場合はきっと1人のほうが価値があるよね!」 と思っていたら、この科学者のせいで、のちに大量に人が死ぬとわかったら・・・ 「じゃあ、やっぱり10人のほうだ!」 結局、人間の判断力というのはまったく頼りになりません。そもそも人の命に価値の上下も、数量の多寡もないので、「正しい判断」も存在しないことになります。だから、コインでも投げて神様の言う通りにするしかありません。
2016年01月07日
暴走列車に乗客が10人乗っている。その乗客を助けるために軌道を変えると、その先に踏切で立ち往生している車の運転手が!!こんなとき、どちらを助けるか決めてください・・・と言われたら? (つづく)
2016年01月06日
職業というのは、お金を稼ぐことだけを指すのではない気がする。生まれつき持った病気や障害、人生半ばで予期せず得た病気や障害も、それは職業と言っていいのではないだろうか?病気や障害と共に生活するということは、いろいろな人と関わり、自分を見つめ、命の在り方を問わずにはいられない。生きているだけですごい働きをしているということだ。そして、その障害や病気をとおして体験することは、人間が幸せに生きるための”宇宙の真理”に迫る一番近い場所にいるような気がしてならないのだ。真理と言うのを一言で言えば、 自分の力ではどうにもならない これを実感することなのだ。”だったらもうごちゃごちゃ考えるのはやめて、神様の好きなようにしてもらおう”と思うこと。そして”あ~、なんか楽になったかも・・・?”と思えればしめたもの。
2016年01月06日
そもそもの”求めよ、さらば与えられん”の解釈が、かなり間違っているという話だ。求めたら何でも与えられるって、変だとは思ってたんだけどやっぱりね。この一節について、解釈は多岐にわたると思われるけど、結局言いたいことはこれだと思う。与えよ、さらば与えられん え?わけわかんない?でも、この世ではこの法則が成り立つ経験をする人が、徐々に増えつつあるらしい。
2016年01月06日
大晦日恒例のNHK交響楽団による「第九」。今回の指揮は、昨年N響の主任指揮者に就任した、エストニア出身のパーヴォ・ヤルヴィ。はにかむ様な笑顔が印象的な彼は、第九の指揮の最中も、団員とアイコンタクトを取っては微笑んでいた。何が新しかったのか。楽器の編成が従来とは違ったことより、ひとことで言うとテンポ。第一楽章が始まった途端・・・ ちょ、こんな速さで大丈夫!? そう思いながら団員の表情を見ると、案の定皆さん額に汗して演奏している(気がする)。そんな心配をよそに、ヤルヴィったら天使のような笑顔で小さく頷いてるよまったくこの人は・・・ってことはこれが彼の狙い通りの演奏なのか!!第4楽章の合唱も、今まで聞いたことない速さで、ソロの人も国立音楽大学の皆さんも必死(に見える)。そのままのスピードで最終コーナー(クライマックス)に突入し、フルスロットルでゴー――――ル!! スポーツ観戦のような音楽鑑賞だった。どれほどの拍手と歓声だったかはご想像にお任せします。 NHK交響楽団
2016年01月02日
今年のスローガンです。というか、先月ハイアーセルフから送られてきたメッセージのようで、何の前触れもなくこのフレーズが頭の中に浮かびました。これまでも何度かメッセージを送ってもらっていたのに、「気のせいだ」とか「自分に都合がいいことを潜在意識が勝手に思い浮かべているんだろう」と思っていましたが、きのうセラピストに会ったとき「こういうのって信じていいんでしょうか?」と聞いたら 「”信じる”というのは”信じていない”の対局だから、信じちゃダメ。何か聞こえたら”へ~そうなんだ”と思って実践するだけでいい。その結果を体験させてくれるためのメッセージなんだからね」 と言われて納得しました。大晦日にもカウセリングしてると思ったら、元日からやってる ヒーリングオフィス・ルシッド
2016年01月01日
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