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けなされて育つと 子どもは 人をけなすようになるとげとげした家庭で育つと 子どもは 乱暴になる不安な気持ちで育てると 子どもも 不安になる「かわいそうな子だ」と言って育てると 子どもは みじめな気持ちになる」子どもを馬鹿にすると 引っ込みじあんな子になる親が他人を羨んでばかりいると 子どもも 人を羨むようになる叱りつけてばかりいると 子どもは 「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう励ましてあげれば 子どもは 自信を持つようになる広い心で接すれば キレる子にはならない誉めてあげれば 子どもは 明るい子に育つ愛してあげれば 子どもは 人を愛することを学ぶ認めてあげれば 子どもは 自分が好きになる見つめてあげれば 子どもは 頑張り屋になる分かち合うことを教えれば 子どもは 思いやりを学ぶ親が正直であれば 子どもは 正直であることの大切さを知る子どもに公平であれば 子どもは 正義感のある子に育つやさしく、思いやりをもって育てれば 子どもは やさしい子に育つ守ってあげれば 子どもは 強い子に育つ和気あいあいとした家庭で育てば 子どもは この世の中はいいところだとおもえるようになる「子どもが育つ魔法の言葉」<ドロシー・ロー・ノルト著>
2007.05.15
批判ばかりされた子どもは 非難することをおぼえる殴られて大きくなった子どもは 力にたよることをおぼえる笑いものにされた子どもは ものを言わずにいることをおぼえる皮肉にさらされた子どもは 鈍い良心のもちぬしとなるしかし激励をうけた子どもは 自信をおぼえる寛容にであった子どもは忍耐をおぼえる賞賛をうけた子どもは評価することをおぼえるフェアプレーを経験した子どもは 公正をおぼえる友情を知る子どもは親切をおぼえる安心を経験した子どもは信頼をおぼえる可愛がられ抱きしめられた子どもは世界中の愛情を感じとることをおぼえる<ドロシー・ロー・ノルト著>「あなた自身の社会」スウェーデンの中学教科
2007.05.14
仕事を終えて帰宅すると甘い匂いが漂っていた。チーズケーキを、娘が焼いていた。翌日に迎える母の日に備えて3個焼いたらしい。近所の幼なじみの家にも、プレゼントで持っていったとか。小学生の頃、幼なじみと娘はうちでクッキーやケーキを焼いていた。日曜学校も一緒に通っていた。今となってはなつかしいものがたくさんある。一つひとつが、いい思い出になっている。
2007.05.12
母が亡くなった日だ。病気があり、ずっと治療を受けていた。症状の変化を訴えても担当医は取り合ってくれなかった。異変を感じ、病院に行って診察を受けたときも取り合ってくれなかった。帰宅後、母の異変はおさまらず電話で医師に症状を訴えたときも取り合ってくれなかった。私が母と電話を代わり、担当医にどれだけ説明しても取り合ってくれなかった。担当医にどのように訴えても・・・「大げさだ」その一言で終った。その夜、母は吐血し、救急車を呼んだ。午前中に診察を受けた公立病院へ搬送された。当直の医長が、母を診察するなりそばにいた私を怒鳴りつけた。「あんたは、実の娘さんだろ!どうして、こんなになるまで、お母さんをほっておいた!どうして、担当医に連絡しなかった!これほどになるまでに、自覚症状はあったはず。娘のくせに、何をしてたんだ!」深夜の病室に、医師の声が反響した。「異変を感じ、午前中に診察を受けに来ました。帰宅後も、これまでにない症状であることを母も私も電話でも訴えています。それでも、『お母さんは、大げさだ』とそう言われ、取り合ってもらえませんでした。」私がそう話すと、当直医である医長は黙り込んだ。2800mlの輸血量を必要とした。その頃、輸血を受けると血液を返さなければならなかった。1人200mlの献血量で14人分。「付き添いもあるので大変だとは思いますが早急に血液を返してください。輸血の必要になる他の方が困りますので。」輸血をしてもらった直後、看護婦さんに言われた。主人の同僚が献血カードを集めてくれて、早く返すことができた。今では、輸血を受けても返さなくてよくなった。「よかった」と、思う。生きるか死ぬか、それすらわからない状況だった。動くに動けない、そういう状態だった。それでも、「早く返すように」と、催促があった。幸いに、うちの場合は周りの好意で血液を返すことができた。だが、血液を返すことができない人もいるだろう。それからは、1回の献血量が200mlの頃おおよそ2ヶ月ごとに、年に5回は献血していた。最近は、体調も考え、以前ほど多い回数の献血をすることはなくなっている。煙草も吸わないし、お酒も飲まないし薬も服用していない。献血登録もしているが献血できる間は、献血をしたいと思う。
2007.05.11
主人と一緒に、入院している主人の親友のお見舞いに行った。病室のドアを開けると、病人がいない。時を同じくして、奥さんも来られた。「どこに行ったのだろう」と3人で雑談しながら待っていた。しばらくして、病人が戻ってきた。退屈なので、リハビリステーションに行きバーベルを使って、筋力トレーニングをしていたとか。寝ているのが退屈で仕方がないそうだ。個室だから、隣の人と話すこともない。手術でボルトも無事に抜け、経過も良好なようだ。後は退院を待つばかり。奥さんも家にいる2匹の犬とたくさんいる猫の世話をひとりでするのは大変なので、退院を指折り数えている。猫の世話と犬の世話が、いいリハビリになりそうだ。夏には島根である、自転車の大会「石見ライド」に出場するらしい。交流のある「鈍行走記 - DIABETES RIDER totoG - 」のミノルトトGさんも、参加されるかもしれない。応援に行って、ばったりお会いすると、楽しいのに。
2007.05.10
専門的なことで知りたいことがあって主人の親友に電話をかけた。「忙しい時にごめんね」と言うと「今、病室にいて、暇で、困っていたから」と。昨年、ジャイアント・スラロームの大会に出場するために現地に行き直前の練習で足を骨折した。手術でふくらはぎの骨の中に、ボルトを入れていたままだった。ひざと足首の真ん中辺りの骨折は骨がつきにくいと医師に言われたとか。やっと骨折した部分に骨がつき外すことができたのだとか。外す手術でも、2週間の入院になるらしい。すでに1週間は経過しているので個室で寝ているのも退屈なようだ。「お見舞いに行くわね」と言って、電話を切った。
2007.05.09
「久しぶりにワカメを取りに行こうか」と主人が言った。子どもたちが幼い頃、ワカメを取りに何度か海に連れて行っていた。歩いても数分で海まで行ける。10分ほどで、わかめはスーパーの袋にいっぱいになった。帰宅後、すぐにワカメを佃煮風に煮た。夜の食卓にはワカメスープも並んだ。今日は、久しぶりにのんびりとした休日を楽しめた。
2007.05.08
親切で慎み深くありなさいあなたに出会った人がだれでも前よりももっと気持ちよく明るくなって帰れるようになさい親切があなたの表情にまなざしに、ほほえみにあたたかく声をかけることばにあらわれるように子どもにも貧しい人にも苦しんでいる孤独な人すべてにいつでもよろこびにあふれた笑顔をむけなさい世話するだけでなくあなたの心を与えなさい<マザー・テレサの言葉>
2007.05.07
1週早いけれど、母の日の集会があった。昼食をしながらフェローシップをする。食事の準備をする時に、なにかと子どもたちの居場所が制限されるので公園で子ども礼拝を行うことになっていた。雨の時には、わが家を開放してわが家で子ども礼拝をすることにしていた。予報どおり、雨が降っていた。一旦、子供たちは教会で集まりその後、わが家に車で移動した。いつもと様子が違うので子どもたちも楽しそうだ。子ども礼拝を終えた後の子どもたちの昼食にと娘が、カレーライスを準備していた。テーブルの上にはフライドポテトやフランクフルト娘の焼いたクレープも並んでいた。照り焼きチキンやシーチキンとコーンハムやオムレツ、バナナとメロンとパイナップルとホイップクリームとクレープの種類も豊富だった。食べきれないほどの量があり子どもたちのお土産にと、パックに詰めた。こんなにたくさんの量を、ひとりで作ったのは娘にとっては、初めてのことだった。「小学1年生の誕生会にクラスのほとんどの人が来たことがあったね。近所の子どもも入れると45人以上いた。あの時もすごいと思った。」準備をしながら娘が言った。「そうだったね。3部屋を続けてあけて、子どもたちが座っていた。それでも、いっぱいだったね」次男と長女は双子なので誕生会をすると、男女ともに招くことになる。バースデーケーキも、5個は焼いて準備した。クッキーも料理も、すべて作ったものだった。「作るぞ」という、意気込みがあった。若かったからできたとも言える。今は、すべてを手作りでということはない。その分の時間を他に費やしている。費やす時間の使い方を間違えずより良いものを生み出すためのものでありたいと願っている。
2007.05.06
以前に住んでいた所でご近所さんのHANG ZEROさんの4月27日の日記に小野市にあるひまわりの丘公園と隣接する共進牧場のことが書かれていた。主人が小野市に出かける用事があり一緒に出かけることにした。主人の用事がすむ間に子どもたちとひまわりの丘公園と共進牧場に行った。周りは開発されていたが自然が多く残っていた。HANG ZEROさんの日記に書かれていた通り牛が間近で見られる。おすすめのソフトクリームを食べるととてもおいしいと私も思った。ひまわりの丘公園ではこどもの日ということもあって家族で来られている方々が多かった。遊べるものがそろっているので家族連れには、楽しめる所だ。つつじなど、花がたくさん咲いてとてもきれいだった。もう少し近ければ散歩がてら、毎日でも来たい所だった。
2007.05.05
離宮公園に行った。ゴールデンウィークなので家族で予定を立てている方も多かったが思った以上の参加者があり、緑と花の中で1日を楽しむことができた。「子ども冒険の森」にはアスレチックもあり長い滑り台やブランコなどで幼い子どもたちも遊んでいた。11時からお茶会があるということで参加したいとの希望があった。茶室の中では、着物を着た方々が正座し、お茶碗の説明など講師の方から聞かれていた。私たちは茶室には入らず庭園で和菓子とお茶をいただきながら周りの緑を眺めていた。その後、鑑賞植物園に行き温室では、さまざまなランを見た。イタリア庭園を、ゆっくりと散策した。小学生や中学生の頃、離宮公園には遠足で何度か来たことがあった。仲良しグループでも遊びに来たことがある。中学1年生の遠足で来たときに、モデルの写真撮影会をしていた時があった。その時にはみんなで、物珍しげに見ていたものだった。その当時にはあった洋館が震災で倒壊し、今ではなくなっていた。子どもの頃の思い出と重なる部分と、今はないものと・・・懐かしいような、新しい所に訪れたような複雑な気持ちが湧き上がった。
2007.04.30
1ヵ月以上前に風邪をひいていまだにすっきりしない。これほどしんどいと思った風邪は記憶にないほどだった。熱はたいして出たわけではないが咳が続き、身体が痛かった。今は咳も止まり、ずいぶんと楽にはなってきた。完全に治すのに少し、ゆっくりとすることが必要だろうと思った。今週は予定はいれずにのんびりとはいかないにしても家で静かに過ごすことにした。
2007.04.16
午後から映画を見に行った。「ナイトミュージアム」という映画だった。日曜日の午後ということもあり大勢の人で映画館はいっぱいだった。小学生の子どもたちは夜になると動きだす恐竜を大喜びで見ていた。1時間弱で、ハプニングがあり私は途中で映画を見るのを断念した。これまでも、なぜなのか、映画館に行って映画を見ると、途中で、帰ることが多かった。最後まできちんと見たのは主人と一緒に見に行ったいくつかの映画だけだったと思う。今回もまた、途中までだった。これでしばらくは、映画に行くことはないだろう。
2007.04.15
ミーティングを終えてから買い物に行くことになった。明日は有志と子どもたちで、午後から映画を見に行く。そのためのおやつを少し買い明日に備えることにした。私自身は、映画を見るのは数十年ぶりになる。以前に見た映画は「天平の甍」だったと思う。国語の教科書の中に井上靖氏著書の「天平の甍」があった。その中に書かれていることばが印象に残っていた。上映されるのを知って、見に行った。難しい映画だった。これまで、「前に見た映画は?」と聞かれたら「天平の甍」と答えていたがこれからは、違う答えになる。
2007.04.14
仕事が休みで、都合のつくときに知人の家の中の整理を頼まれ、ボランティアで行っていた。自分の家ではないので整理整頓をするにも、限界がある。大まかに、整理のできるものを分類し、収納していった。不用と思われるものはどんどん処分するようにすすめた。あちこちにあるものをそれぞれの決めた所に置くとそれだけでも、ずいぶん、すっきりとする。わざわざ新しく購入しなくても十分にあるものを使って、どんどん整理していく。見違えるようになった。本来は広い部屋だ。物をなるだけ、出さないようにするとそれだけでも広く感じる。必要なものは、多くない。しっかりと手に握っているものの中でいらないものって、多いと思う。さっさと手から離しゆだねていくのは、大切なこと。
2007.04.13
毎朝、食後にコーヒーを飲む。ほとんど、ご飯とお味噌汁なのだが食後にコーヒー飲むのが習慣になっている。いつもは大きなマグカップを使う。今日は仕事が休みなのでたまにはと、来客のある時に使うカップとソーサーを使った。「あっ!お皿がついている」と、主人が言った。「たまにはいいものでしょう」と言いながら、私も笑った。気に入っているカップとソーサーを眺めているのも、私は好きだ。ダイニングボードにお気に入りのカップとソーサーをいくつか並べている。これからは休日の朝には、お気に入りのカップとソーサーを使って飲むことにしよう。割らないように、大切に扱いながら。
2007.04.12
家の近くの公園のそばを通勤時に毎朝通る。片隅に桜の木が数本ある。毎朝、桜の花を見ながら歩いている。すでに散り始めている所もあるというのにまだ、つぼみが残っている。遅咲きの桜なのだろう。満開になるのはいつだろうと楽しみにしながら眺めている。
2007.04.11
主人と待ち合わせをした。仕事が終わって、主人の待つ所に行った。懐かしいステレオが展示されていた。私が偶然見つけ、主人に話した。2人して、改めて見に出かけた。いにしえのステレオだ。家にオーディオがないわけではないのにこういうで、また、聴いてみたいと思う。場所もとり、それが嫌さにだんだんとコンパクトにしていったのに。音の入り口と言われるプレイヤーから音の出口と言われるスピーカーまでずいぶんと凝り、部屋の広い位置を占めていたものだった。わが家のスピーカーは今では神学校で活用していただいている。何度も買い替えやっと落ち着いたスピーカーだった。今では生産されていない。SONYの四文字のロゴマークが付いたスピーカーを見ると懐かしい思い出がよみがえってくる。
2007.04.10
主人と2人で、歩いていた。前から息子がガールフレンドと一緒に歩いて来た。息子も長身だが、ガールフレンドも息子におとらず、長身だ。挨拶を交わし、冗談を言って通りすぎた。「初々しい子だな」と、主人が私に言った。「うん。昔は私も初々しかった」「そうか。やがてはこうなるか」と。「そうそう」と、笑い出した。若いって、いい。輝きがある。私も若さゆえに輝いていた頃があったのだった。
2007.04.09
子どもたちを連れてすぐ近くの公園に出かけた。宝さがしをして遊ぶことにしていた。公園に遊びに来ていたカブスカウトの子どもたちが仲間に入れてほしいと言って参加してくれた。見つけたら、お菓子のプレゼントがある。カブスカウトの子どもたちも宝さがしで、見つけた宝を持って来てくれたらお菓子を渡すからと、話した。見つけた宝を持って、団長が子供に付き添ってこられた。挨拶をしてから子どもたちにお菓子をプレゼントした。参加して、楽しんでくださったことをうれしく思った。
2007.04.08
午後から復活祭のチラシを配布した。小雨が降っていたので桜の花びらが雨に濡れていた。花びらからしずくが落ちる。公園には、桜見物の人が集まっていた。小雨の降る中で、傘をさして、バーベーキューをしている人たちもいた。楽しそうだ。家から近い所にも、桜並木がある。桜を見るために、わざわざ出かけることはなかったが近場で花見もいいかもしれない。チラシを配りながら花見を終えた気分になった。
2007.04.07
選挙事務所の前を、主人と歩いていた。立候補者を乗せた車が選挙運動に出ようとするところだった。車に乗っているスタッフが私の方を見ながら挨拶をする。朝早くから、大変だなと思い、車の方に向かって手をふった。「手を振っての応援、ありがとうございます」とすぐさま、マイクを通して、聞こえてきた。並んで歩いていた主人が私を見て、びっくりしていた。「誰が手を振っているのかと思ったら横で手を振っていたとは・・・」半分、あきれながら言った。「朝早くから選挙運動しているから頑張ってねって、意味をこめてね。」毎回、選挙がはじまると、知人から「応援よろしく」の電話がかかってくる。立候補者は当然としてもバイトではない、スタッフの惜しみない応援にはいつものことながら、驚かされる。
2007.04.05
片付けはじめるとなかなかキリがつかなくなる。息子が友人の結婚式の引き出物に手作りガラスのコップをいただいてきた。全体的には透明なのだが上と底の部分に色がついている。箱の中に入れたまま使わずに置いておくというのは好きではない。食器棚はすでにいっぱいになっている。棚板を一段、増やすと収納きると思い同じサイズの棚板を用意した。棚板を増やすためには、棚板の間隔を狭くしなければならない。棚板を支えているビスを外そうとしたが1箇所、固くて抜けない。時計を見ると、深夜の1時前だったが息子がまだ、起きている音がしていた。「手伝って」と、メールを送った。もう一度、ビスを回すと、抜けた。「できたから、もういいわ」と続けてメールを送った。棚板を増やすと、食器棚の中の配置を換えたくなる。好きなコーヒーカップなどよく見える位置に置き換えたりした。あっちを動かしこっちを動かし・・・ついでに、ここも磨こうなどと思い始めるとついつい、時間の経つのを忘れる。ふと、気がつくと朝の4時5分になっていた。早い時には、起きる時間だ。遅くても5時には起きるのであわてて寝る準備をした。「『手伝って』って、メールが来てから1分も経たないうちに『もういいわ』ってメールが来たけど、何だったの?」翌日、息子に聞かれた。事情を話すと、「あくる日、仕事が休みなら遅くまで起きてするのもわかるけど仕事なのに、早く寝た方がいいよ」と、言われた。もう1枚、棚板を入れたかったのだがビスがなくてできなかった。主人にビスを探してくれるように頼んでいた。「このビスを入れて、棚板を置いといて。お母さんが今夜も遅くまで起きて、寝ないから」主人がビスを探しながら、息子に言った。「わかった。そうする。僕がかわりにしておくから今夜はお母さんを早く寝かそう。」2人が話しているのを聞きながら思わず、吹き出してしまった。
2007.04.04
私の友人夫妻から、主人がパソコンの設定を頼まれたので主人と2人で出かけた。道沿いの桜が、咲き始めているのが見えた。まだ、つぼみが多く、三分咲きぐらいだろうか。桜がきれいに咲く道を選んで走った。知人の家に着くと、早速、主人がパソコンの設定に取り掛かった。「近いうちに皆さんに来ていただく予定になっているが整理が苦手で、どうすればいいかわからない。」私の友人でもあるご主人が言われた。広い書斎だ。部屋中にたくさんの物がある。「お掃除100番に変身!」と、笑いながら言った。「本からまとめていきましょう」と、私が片付けはじめた。部屋の壁の一面に、背の高い本箱が並んでいる。本をまとめ、ファイルをまとめ分類して並べるとすっきり見える。サイドデスクを片付け、収納すると広くなった。「料理に凝る人は整理が下手だと言うけどナオミさん、上手やなぁ。」友人のご主人が、妙に感心しながら私に言われた。一度には片付けきれず友人である奥さんの方に頼まれまた、後日に整理に来るということなった。わが家も不用な物をどんどん処分していかなければ。
2007.04.03
子どもの歌で、私も好きな曲がたくさんある。3歳児が、はじめて歌った曲を一緒に歌おうと、私にせがむ。「イエスさまを信じて」イエスさまを信じて新しく生まれるイエスさまを信じて罪からすくわれる聖書はおしえる神さまの愛をひとり子を おくられた救い主としてイエス様を信じて主のためにはたらくイエス様を信じていつもともに歩む聖書はおしえる神さまの愛をひとり子を おくられた救い主として
2007.03.31
少しずつ、いらないものを処分している。定期的に処分しているつもりでもしらずしらず増えていく。書類用に作ってあるケースがいくつかある。その中のひとつのファイルを手に取った。なつかしい。楽天をはじめた当時の書き込みをプリントアウトしたものだった。はじめの頃は、楽天の掲示板も使っていた。掲示板に書き込みをしてくださったものをすべてプリントアウトしていた。懐かしい名前が並んでいる。今でも交流のある方の名前もあった。楽天ブログ登録を一旦削除する前の1回目の楽天ブログなので2002年8月25日付になっていた。何枚か、目を通した。今は、楽天をやめられた方もいる。楽天をやめられて以降メールでの交流が続いている方もいる。どうされているのだろうと思う方の名前もあった。プリントアウトは、数日間でやめた記憶がある。書き込みをしてくださった文章をそのままコピーして送ったら、書き込みをしてくださった方が驚かれていた。すでに残っていないと思われていた。懐かしさとともに、感慨深いものがあったようだ。私が楽天を始めるきっかけを作ってくださったやまひで牧師の心の窓のやまひで先生の書き込みはハンドルネームではなく、本名が書かれていた。そう言えば、私もプロフィールには本名や年齢など、平気で出していた。そんな懐かしい時代もあったのだと印刷した書き込みを見ながら思いかえした。
2007.03.30
携帯に近所の奥さんからメールが届いた。通夜と葬儀の連絡内容だった。突然の悲しい知らせに驚いた。私が留守だったのでメールで連絡をしてくださった。最近では、回覧の急ぐものは印刷をした、「回覧板」ではなく「電話回覧」なるものができた。不在の時が多い私の場合回覧板や電話よりもメールで連絡をいただく方がとても助かる。さまざまな生活形態があるのでどれがいいとは、一概には言えないだろうが。
2007.03.29
勤務先に行くために、電車を乗り換えた。車内に入ろうとしたとき長身の青年の服に目が行った。息子が同じようなのを着ていたと、思った。最近の若者の間で、流行っているのだろうか。青年は背を向けて、友人と話をしていた。カバンが目に入った。「あれ?同じカバンだ」後姿を見直すと、なんと、息子だった。私の方が早く家を出たので同じ電車になるとは思ってもいなかったのだろう。うちにも泊まりに来る友だちと話し込んでいる。隣に私はいたので、会話もよく聞こえた。「旅行に行ったときに、朝からご飯を3杯食べて驚かれた」と息子の話しているのが聞こえた。「家で食べさせてもらってないの?」と聞かれたそうだ。「いっぱい食べさせているわ」と思わず、言いたくなる。笑い出しそうになるのを我慢した。家中で、1番、よく食べると思うのだがどれだけ食べても太らない体質だ。私が隣にいたことを家に帰ってから話すまでまったく気がついていなかった。
2007.03.28
風邪をひき、体調のすぐれない日が続いていた。インフルエンザではないようだが夜中に、ずいぶん咳き込みがある。何度も目が覚める。朝は早い方なので、睡眠時間が短くなる。いつもなら、メールでご飯ができたと子どもを呼ぶのだが珍しく、部屋まで呼びに行った。台所に降りるときに、足を踏み外した。ドスンと、しりもちをつき、腰を打った。大きな音がしたので、何事かと主人と子どもが飛んできた。「いたた・・・」と、言いながら腰をさすっている私を見て事態がわかった。以前に、主人も、階段を踏み外して上の方から落ちたことがある。「これだけ落ちたのに、大怪我をしなかったのは神様に守られているからだわ」と、主人に言った。今回も腰を打ったが、大きなことにはならずにすんだ。
2007.03.27
通勤電車に乗ろうと駅に着くと階段の下に、教会の青年女子がいた。お互いの目が合った。「あっ!」と、青年女子が声を上げた。私は右手を振った。見ると、青年女子の手には、ビラを持っていた。アルバイトなのだろう。「もらって行くわ」と言って、一部を持って電車に乗った。見ると、私には無用とも言えるエステなど、若い女性を対象にした広告紙だった。流行のヘアスタイルや化粧法が載っていた。最近は、若い女性のアイメークを見るとみんな同じに、私には見えてしまう。自分を磨いて、きれいでいることはいいことだ。内面の美しさもどんどん磨いていってほしい。内面に贅肉をたくさんつけないように。大切なものが、くもって見えなくならないために。若いときこそ、大切に。
2007.03.26
リアルで知り合った青年がクリスチャンホームであること知った。午前と午後の礼拝も毎週、集われているとか。クリスチャンの両親が厳しくされていた時期もあったようだ。今では、自分の意思に任されているとか。厳しさも自由も、どちらも経験し今の、自由さがあるのだろう。さわやかな青年だ。自分からは、ブログがあることをあまり言わないのだがブログのあることを話した。早速、読むと言ってくださった。私のつたない日記を読んでくださっているのだろう。感謝。次はいつお会いできるかわからないがその時まで、更新を続けられるだろうか。
2007.03.24
給湯器が壊れた。阪神淡路大震災前から使っているのでもうそろそろ買い替えの時期にあたるとか。今回、修理をしても、他の箇所が悲鳴を上げる。かえって修理代がかさむことになる。工事費を節約するために主人の親友が取り替えてくれることになった。親友は工務店を経営しているのだが器用な人で、鍵の交換からすべてしてくれる。新しい給湯器になるまで、お水のままで食器洗いは続く。子供たちは、レバーを動かすとお湯が出るのが当たり前の生活をしてきた。冷たい水道水しか出ない生活を経験しておくのもいいものだろう。
2007.03.23
「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。」(詩篇62篇1節)新改訳私にとって、今年のテーマ聖句でもある。朝明けに、ひとり静まり、聖書を開く。みことばの導きを求める。静思の時の必要を覚える。静まって、聖書を読み、祈り、求める。聖句から、与えられたことを適応も含めてノートに記す。書くことによって、目で見て、確認ができる。後日、読み返して、驚くことがたびたびある。
2007.03.22
ベトナムに戻る子どもたちがいる。神戸での思い出を少しでも作ろうとポートタワーと海洋博物館に行った。ポートタワーでは、展望台から外の景色を見た。それほど高い所にいるように感じないのは周りに高層ビルが見えるからだろう。海洋博物館の中には企業ミュージアムがあった。飛行機の操縦の疑似体験などがあり子供たちは、とても喜んでいた。船があり、飛行機があり、新幹線がありオートバイもあった。ロボットのパフォーマンスもあり子供たちは、十分に楽しめたようだ。遊覧船にも乗り、神戸空港を飛び立つ飛行機を海上から見た。朝の8時半に出発し神戸港で1日を過ごした。子供たちは1日中はしゃぎまわり思う存分に楽しめたようだ。今日までの写真を1冊のアルバムにして記念にプレゼントする予定だ。日本での思い出を少しでも多く持っていてほしい。
2007.03.21
高校の合格発表があった。息子が教えている、私の友人の長男が合格した。朝から、息子たちは合格発表の結果を待っていた。「連絡があった?」と、メールで聞いてくる。結果がわからないので息子たちも、落ち着かない様子だった。教えている立場でもあり気にかかるのは当然のこと。「合格しました。よろしく伝えてください。」やっと、母である私の友人からメールが届いた。私もどうなることかと心配していたがこれで安堵した。春からは、高校生だが、続けて家庭教師をすることになっているようだ。今度は、妹の方も教えることになる。わが家の息子たちも、ボランティアで、よく続けてきたものだと感心している。子供たちから、また、その子供たちへと広がっていくとうれしいのだが。
2007.03.20
長男は休日になると軟式テニスのコーチをしている。相手が打ち返しやすい場所を選んでプレーをしている。見ていても、軽々とボールを打っている。小学生時代は、野球に没頭していた。野球で身体を痛めたこともあったがスポーツを野球だけに限定せずテニスも楽しいからと、中学入学時にテニス部の入部をすすめた。当時のテニス部の顧問が熱心だった。テニス部員も100人を超えていた。毎日の早朝からの練習に始まり放課後、遅くまで練習をしていた。休日も練習に明け暮れた毎日の成果でテニス部創部以来の記録を更新し好成績を残してきた。県大会、地方大会と団体や個人で優勝や入賞を残してきた。それからずっと続けているのだが長男がテニスをしているところを私は久しぶりに、見た。私が毎日硬式テニスをしていた頃子供たちは玉拾いをしていたものだった。今では、私の腕では、到底足元にも及ばない。
2007.03.19
日曜学校の教師が引率し戸外で子供礼拝をささげた。朝から気温が低く、みぞれが降ったときがあった。どうなるかと思ったが、みぞれもすぐに止み、実行することができた。子供たちも礼拝の後、公園で元気に遊んでいた。大人は、いつもどおり教会堂で礼拝をささげた。昼食は教会で礼拝を終えた青年会の主催で、バーベーキューをした。その後、3時から主人会と青年会が主催のテニスだった。2面のテニスコートで、軟式と硬式とに分かれた。硬式テニスは、主人会の男性が中心となって試合形式で進められていた。軟式テニスの方は、自由にラリーをしていた。息子たちは2人とも軟式テニスをしていた。長男は、コーチをしているので、相手が打ち返しやすい場所を選んでプレーをしている。次男の方は久しぶりのテニスだったが長男が相手になり、楽しそうにプレーしていた。たまには戸外でのレクレーションも楽しいものだ。
2007.03.18
「いかなご、買えた?」婦人に会うと、決まったように、この会話が出る。ニュースでも伝えられたが今年は漁獲量が少ないらしい。例年と比べ、価格も高騰している。「いくらで買えた?」というのも買えた人との会話の中では続く。いかなごが店頭に並べられているときにいまだに、私の場合は出くわさない。このまま手に入らないようなら今年は釘煮を送れそうにない。
2007.03.17
さまざまな出会いがある。思いもかけない出会いもある。一つひとつの出会いを大切にしていきたいと思っている。その中で、1番大切にすべきなのが主人との出会いだろう。これからの残りの人生もお互いを尊重し、敬ってともに歩むようにしたいと思う。
2007.03.16
あちこちでパソコンを開くことがある。保存するのに、便利だろうからとUSBのフラッシュメモリを主人が買ってきてくれた。私があちこちで資料を作るので簡単に保存できて、かさばらず持ち歩くのに便利だろうからと。小学生の子を持つ友人からがフラッシュメモリを持って学校に行くと聞いていた。私もこれで小学生に追いついた。それにしても便利な優れものだ。
2007.03.15
賛美し、祈り、聖書をひらき交わりの時を持った。クリスチャンのご夫妻のご主人はすでに定年退職されている。以前なら、奥さんだけが我が家に来られた。今ではどこに行くのもご夫婦そろってという風になられている。我が家はおりしも、模様替えの真っ最中。大工仕事が得意のご主人がカーテンレールを付け替えてくださった。いろんな形で助けていただくことが多くある。これも恵みのひとつだ。
2007.03.14
クリスチャンのご夫妻が家庭菜園でできたみず菜を煮て持ってきてくださった。それがとてもおいしく、我が家の夜の食卓にも登場した。上手に味付けされていて主人も「おいしい」と、喜んでいた。海でとって来られたわかめも一緒に持ってきてくださった。これはお味噌汁と酢の物になる。毎年のことだが、わかめをとりに気軽に海に行かれる。そして、私たちにも届けてくださる。今では恒例になり、心待ちにしている。
2007.03.13
ほしいものがあり、息子たちと買い物に行った。新しくできた大型店が並んでいる所に出かけた。1軒目の店では思うように、買いたいものがそろわなかった。時計を見ると、隣の大型店の閉店時間まで15分あった。「行ってみよう」と、私が言った。一方通行なので、車で移動すると時間がかかる。車は長男に任せて、次男と私の二人で大型店を目指して駆け出した。一生懸命、私が走っていると「お母さんが走っているのと僕の早足とかわらないね。」と、次男が言った。次男を見ると、歩いている。その速度と私の走っているのと同じだ。いや、私の走りの方が遅いくらいだ。タイトスカートでは思うように走れない。「先に走って行って、探していて」と、次男に言った。返事をするが早いか、軽々と走って行った。あっという間に店に消えた次男を追って私も店に走りこんだ。次男があらかじめ売り場を探し目指すものをいくつか見つけていた。ほしいと思っていた物がその中にあり迷うことなく買うことができた。長男が荷物運びのために一緒に買い物に行くことは以前からよくあった。次男は友達と遊びに行くことが多く一緒に買い物に行くことは、あまりなかった。今日は買い物記念日かもしれない。
2007.03.12
友人がバイトに行っているパン屋さんの近くまで行く用があった。友人にも会いたいしパンを買いに行こうと思った。友人に今日はバイトの日なのか、メールでたずねると私の都合のいい時間帯と違っていた。残念だが、またの機会にということにした。次男が珍しく一緒だったので、惜しいことをした。久しぶりに会う機会だったのだが。
2007.03.08
朝、夜が明けるのを待つように1通のメールが届いた。絶えず祈り、支えてくれる信仰の友からだった。必要なとき、励ましのメールを送ってくれる。どれだけ、なぐさめられるか。祈りに覚えてくれ、大切なときに力づけてくれる。祈りの友として、私が弱るときに祈って支えてと。あなたが弱るとき、私が祈って支えると。そう言ってお互いを支えあってきた。祈りの友がいること。豊かな恵みの中にいることをあらためて感謝。
2007.03.07
もうすぐ、息子の友人の命日がくる。思いもかけない突然の死だった。同じ時間を共有することが多く息子の受けた悲しみは深いものだった。悲しみとともに、苦しんだとも言える。将来の夢もしっかりともち、着々と実現に向かっていた。そのための努力も惜しまなかったと聞く。家族も仲がよく、友人関係もよく・・・誰もが理由のわからないまま今年も命日を迎える。息子の心の傷はいやされないままだ。どうして親友の自分に話してくれなかったのか。どうして察知できなかったのか。考えれば考えるほど、闇にいるような思いだろう。親友のご両親のために父の日、母の日、年始にと事あるごとに、息子は訪れている。ご両親も息子が来ることを心待ちにしてくださっているようだ。生きたくても病で命の日数を数える人もいる。思いを残して、この世の命を終えた方も多い。死にたい病だと、メールを送ってこられる方がいる。自ら命を絶ってはいけない。残された家族も、周りの人も重い十字架を背負って生きることになる。人間は、神に似せて造られた存在だ。神様は、あなたに言われています。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。 わたしはあなたを愛している。」( 聖書 イザヤ43:4)自害してはいけない。
2007.03.06
主人と次男と3人で話していた。「お母さんがブログに、この間のことを書いていた」と主人が次男に話した。「よほどネタがないみたい」と、主人が笑った。「これ、書くわ」と、私。「また、書くの?」と次男が。「うん」と笑って答えた。日常の些細なことが書けるのも、幸いなことだと思う。
2007.03.05
教会から戻って、しばらくすると「食事に行かない?」と誘いの電話があった。以前なら「いいよ」と答えられたが最近は、時間が取れない。近いうちに食事に行こうと話をしていたのだが・・・彼女も忙しい人なので時間を合わせるのが難しい。以前なら即座にできたことがだんだんとできないことが増えてきた。もっと計画性をもつことが必要だとつくづく思う。
2007.03.03
仕事の時に、ときおり食事に行く店がある。店主は、版画を趣味とされている。休みになると、あちらこちらへ出かけ風景を版画にされているとのこと。個展も開かれ、コンクールでも受賞されている。店主が忙しい仕事の合間をぬって絵に感心のある私の友人と一緒に、アトリエに案内してくださったことがあった。よくこれだけたくさんと驚くほどの版画の作品が並べられていた。版画に混じり、水彩画もあった。友人と2人、感嘆の声を上げ時間を忘れて見せていただいた。1枚1枚、私たちに絵の説明をしてくださった。仕事をされているときとは違う顔があった。その後、病を患い、入院され、退院された。仕事にも復帰されていたが療養を兼ねて暖かい地域に転居されることになった。子どもさんたちが家庭をもちすでにそこを生活の場とされているとか。子どもさんたちの待つ地域で静養を兼ねて暮らすことに喜びを感じているようだと奥さんが話された。きっと、回復も早まることだと思う。版画も続けられるように頑張りたいと言われていた。来年の年賀状は、どんな版画になるのか今から楽しみにしている。
2007.03.02
頼んでいた家具が届いた。私のキリスト教関連の本をひとまとめにするためのものだ。これならかなり収納できると思って選んだが思っていた以上の収納ができた。細やかな工夫が凝らしてありこれほど、優れものだとは思わなかった。本を運ぶのを手伝ってくれていた主人と子どもたちも集めた本の全てが収納できるとは思っていなかったようだ。「収納できない本は売れば?」など言われながらも、とりあえずは、集めた本の収納ができた。本は、さしあげることが多いし貸したまま、戻ってこないことも多くある。本を買ってはいても家には、あるようでないと思っていたがけっこうあるものだと、改めて思った。以前は、江戸川乱歩、横溝正史、西村京太郎が好きで文庫本でほとんどの作品を置いていた。主人も好きで、子どもたちも好きでよく読んでいた。置くスペースもなくなりそれらはほとんど、処分してしまった。本は図書館で借りると決めている方もいるがそれも賢明な選択だと思う。収納場所を考えると、私自身も本を買うことが少なくなってきた。貸し出し図書を利用することが以前より増えてきた。
2007.03.01
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