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本日、人生で2回目の利用となる近鉄田原本線に乗りました。西田原本駅から新王寺駅までの区間、普段は車を運転中に良く見る風景ですが、電車の中でから見るとちょっと新鮮でした。西田原本駅から二駅目が但馬駅となります。ちょうど今から35年程前の晩秋の夕暮れ時、この但馬駅から乗車しました。当時、高校2年生だった私は、内申点がなかったため公立高校を諦め、大阪府内にある私立高校へ通わせてもらっていました。この高校は仏教系だったのですが、2年生の全校生徒が伊勢神宮へ参拝する行事がありました。今であれば喜んで参拝したでしょうが、当時は興味がなかったというか、学校行事そのものに参加するのが億劫だったので、ズル休みをしてしまいました。(因みに修学旅行も行ってません。)しかしこのお伊勢さん参拝行事ですが、なんと休んだ生徒は後日、担任の先生と日曜日に参拝しなければならないという掟があったのです。知らなんだ、知っていたら真面目に参加したのに。不参加は私だけだったようです。ある休みの日、先生に申し訳ないことをしたと反省しつつ、2人での参拝道中が始まりました。先生は岸和田市近辺の方だったように記憶しています。何時頃出発したのか、お昼ご飯はどうしたのか、そんなことは全く覚えていません。おそらく私の最寄駅まで迎えに来てもらい、先生のハイエースで伊勢を目指したように何となく覚えています。今、思い出しても本当に先生は迷惑だったんだと思います。ましてや可愛げなく、出来の悪い生徒でしたからね。それに行く道中の会話の節々から、先生が神道にかなりの拒否反応を持たれていることが伝わってきていました。いよいよ伊勢市内に入り、もうすぐ内宮というところで、私が冗談で「先生、もう行ったことにして帰りましょか」的なことを言ったら、先生はすごく喜んで「えっ、いいか。よし、そうしよ」的な返事の後、本当に進路を変更し、宇治山田駅へ。先生は後日、交通費の精算をする必要があったためか、駅で電車賃の確認をした後、そのまま帰路に。私は流石に嬉しいというより、ええんかな、高校にはどう報告するんやろ、また行ってこいて言われへんかと考えていたように思います。そんなこんなで夕刻、奈良県内に帰ってきました。本当であれば私の最寄駅まで送ってもらう予定でしたが、既に薄暗くなってきており、奈良の道に不慣れな先生のことも考え、「先生、近鉄やったらどこの駅で降ろしてくれてもいいで」と言ったら、ここでも先生は素直にそこから1番近くにあったであろう駅に降ろしてくれました。それが但馬駅だったわけです。とりあえず礼を言って車から降りたものの、近鉄田原本線の存在を知らなかった私は「ここどこやねん」となったわけです。あくまで私の記憶なので実情は異なると思いますが、田圃の中にあるど田舎の駅に降ろされたと感じたんです。今も仕事中、たまに車で但馬駅の近くを通りますが、先生、面倒くさくてここで降ろしよったなあと思い出します。実際、但馬駅から最寄りの忍海駅までは田原本駅、橿原神宮前駅、尺土駅と3ヶ所も乗り換えをしなければなりません。あの当時の先生、おそらく30代半ばくらいやったん違うかな。スキンヘッドで髭面やったけど、今の私から一回り以上も若かったんやな。
2023/09/16
2001年の9月11日、当時、無職だった私はテレビに釘付けになっていました。なぜなら旅客機がワールドトレードセンターのツインビルとペンタゴンに突入したからです。そりゃあ驚きました。大変なことが起こったと。しかしツインビルが土台から崩壊したとき、これは何だかおかしいなと思いました。そしてツインビルの崩壊の7時間後、何故か少し離れた第7ビルも連れ立って崩壊したので、いよいよもってますますおかしいと思いましたわ。※後日、英BBCが第7ビルの崩壊の20分前に、第7ビルが崩壊したとフライング報道していたと知りました。これをキッカケに大量破壊兵器があると米軍などがイラクへ侵攻したわけです。このテロといわれる事件には、様々な不可解な出来事があります。またイラクでは大量破壊兵器が見つからなかったわけですが、日本政府は現在、この件に関しどのような正式見解を持っているのでしょうか。そもそも本当に旅客機が突っ込んだのでしょうか。(私はそうは考えていません。)本来であればこれらをメディアが検証すべきなのですが、今も昔もプロパガンダ機関に過ぎないため、それを期待することが難しいのが現実です。しかし、この事件をきっかけにこの世界のおかしさに気がついた方も多いのではないでしょうか。話は変わりますが、ロシアへ亡命している米国の諜報機関員であったエドワード・スノーデンは、日本が米国に歯向かうことがあれば、米国はボタン一つで日本国中の原発をメルトダウンさせ、ダムを破壊し、日本を崩壊させることができると述べています。勿論、その真偽など田舎侍の私が知る由もありません。因みに国内の原発の警備を担当しているのは、東日本大震災の直前からイスラエルの会社らしいです。このような重要拠点を何故海外の会社に任せているのでしょうか。
2023/09/11
8月下旬に南アでBRICs会議がありましたが、ここにサウジアラビアなどが加入するなど、ますます世界の米ドル離れが起きていますね。また長年フランスに搾取されてきた西アフリカのニジェールでクーデターが起こるなど、世界が大きく変動する予兆があちらこちらに。またイラクやベトナムの通貨はどうなった・・・毎日そんな情勢を調べようとX(Twitter)などで情報の収集を行なっていましたが、ここ最近はそういった情報から少し離れようと、読書をするようにしています。しかしなかなか活字を読むことができません。読むのがつらいというか、頭に内容が入ってこないんです。そこで夜はマンガを読んでいます。今は3年程前に購入したキングダムをまた読んでいます。キングダムは中国の春秋戦国時代を描いたマンガであり、主人公の一人が秦の始皇帝ですね。そして始皇帝といえば兵馬俑であったり、徐福を日本へ派遣した人物として有名ですが、やはり一番有名なのは万里の長城でしょうか。定説では始皇帝が中華統一(前221年)後、北方の匈奴の侵入を防ぐために建設されたとなっています。しかし、1600年代後半以前の地図には万里の長城が見当たらないらしいんです。13世紀から14世紀にかけてアジアに関する詳細な記録を残したマルコポーロも、この巨大な万里の長城については記述していないらしいんです。よって、万里の長城は始皇帝の時代ではなく、1700年代に建設されたものという話もあります。もちろん自分の目で確かめたわけでありませんが、実はその造りも北方からの侵入を防ぐものではなく、逆に中華からの侵入を防ぐ構造になっているとか。では誰がこの巨大な万里の長城を建設したのかですが、それは歴史から消し去られたタルタリア帝国だったということらしいです。私がこの1800年代初めに滅亡したと言われているタルタリア帝国の存在について知ったのは僅か2年程前です。最初はそんなバカなと思いましたが、調べれば調べるほど実際に存在した巨大帝国だったのではないかと今では感じています。この万里の長城以外にも、現在の技術では説明のできない不思議な建造物が日本にも世界にもたくさんあります。このあたりの真実の歴史も、ぜひ私が生きているうちにデクラスしてもらいたいものですね。
2023/09/07
大学卒業後、社会人としてのイロハを教えていただいた会社を不義理にも退職し、その後、無職も経験した後、平成15年9月1日に現職を開業しました。少しばかりの期待と大きな不安を抱えた状況での開業となりましたが、何とか満20年を経過するに至りました。今も将来に対する不安や焦りなどを抱えながらの毎日ですが、21年目もコツコツやっていこうと思います。
2023/09/01
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