おぢさんの覚え書き

おぢさんの覚え書き

2017.02.12
XML
カテゴリ: 歴史/考古学/毛人
弥生時代の高地性集落とされる 中高瀬観音山遺跡 の石鏃と南蛇井増光寺遺跡の石鏃を分析した結果、両遺跡の石鏃の大半は黒曜石製の小型打製石鏃であることが分かった。対人用とされる石鏃は大型鏃であるとされ、中高瀬観音山遺跡の石鏃は弥生時代のものではないともいわれる。

中高瀬観音山遺跡―石鏃分析
南蛇井増光寺遺跡C区―石鏃分析

そうすると中高瀬観音山遺跡で発見された大量の石鏃は、時代も異なり戦闘用でもないのだから、集落の防御的性格を物語るものではないとも思えてくる。鏑川流域の遺跡における石鏃の様相を確認することによって結論を出していきたい。


鏑川流域の弥生後期遺跡

鏑川流域に所在する弥生遺跡の発掘調査報告をめくっていると磨製石鏃が目につく。今回はこのなかでも磨製石鏃の生産をおこなっていたと考えられる白倉下原遺跡C区を見てみたい。磨製石鏃の生産を行っていたと考えられる集落は他にも内匠日影周地遺跡、古立東山遺跡などがある。

白倉下原遺跡C区には弥生後期の住居が16軒あり、そのうち後期1段階に属する住居15軒すべてから磨製石鏃やその未成品あるいはその制作に関わる品が見つかっている [1] 。失敗品や未成品が大量にある割に完成品が少ないのは完成すると使用のためにすぐ持ち去られたためと考えられている。磨製石鏃生産遺跡以外の場合、破損後の再調整されたと考えられるものもあるが、この遺跡の石鏃完成品は完成後の当初の形をしていると考えられている [2] 。


磨製石鏃長さによる分類 [3]

[4] が、図を見ていると長さも肩の張りも漸移的なようにも思える。そう考えると基本形は同じで長さや肩の張りが一定の幅でバラエティを持っていたともとらえられる。

この基本的な形態は東日本の磨製石鏃に共通したもののようだ [5] 。磨製石鏃の原型は金属製鏃と考えられているということをどこかで読み、これらの東日本の磨製石鏃の原型はどういうものだったのかというのが気になっていた。最近、 群馬県立歴史博物館 で見かけた鉄鏃はその原型を示すものかもしれない。孔はなく抉りも深いようだが凹基鏃だ。特に無茎の有馬遺跡出土の鉄鏃の形態は近いと思うがどうだろう。


4⃣ 弥生後期 有馬遺跡 渋川市有馬
3⃣ 弥生後期 三後沢遺跡 利根郡みなかみ町下津

[1] p.132 群馬県埋蔵文化調査事業団 1994『白倉下原・天引向原遺跡Ⅲ』
[2] p.135 群埋文 1994
[3] 図200, 201, 202, 205, 258 群埋文 1994 から石鏃の図を抜粋。
[4] p.137 群埋文 1994
[5] p.137 瀬尾晶太 2014 「兵庫県川西市栄根遺跡出土磨製石鏃の検討」


にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ

にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2017.03.18 22:48:24
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

Keyword Search

▼キーワード検索

Comments

たそたそ@ Re:土器-編年(02/14) こんばんは。 ブログのチェックされてない…
おぢさん@ Re[3]:無(03/15) なんだかねさんへ (続き)昔ある人がお…
おぢさん@ Re[3]:無(03/15) なんだかねさんへ お久しぶりです。永ら…
おぢさん@ Re[1]:土器-編年(02/14) 上毛野形名さんへ 長いこと返信もせず失…
なんだかね@ Re[2]:無(03/15) おぢさんさんへ 遅ればせながら「人新世の…

Calendar

Favorite Blog

花火・仙台七夕前夜… 小野寺秀也さん

友人のマンションに… クマタツ1847さん

再出発日記 KUMA0504さん
格物致知~ゆとり世… さいとうじゅんさん
みゃ。の日記♪ 愛。… ミンちゃん2294さん

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: