ごった煮底辺生活記(凍結中

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なんでも屋神人「殺人鬼」 3



 東の空が赤みをおびてきた。
 鳥たちが朝のあいさつをかわす中、生物の生活リズムを無視して、一人の男が
町を歩いていた。
 不眠による物ではない目の下のくま、やせこけた頬。
 殺人鬼の男だった。
 顔の表情が--もともと表情の無い男ではあるが、蒼白という言葉そのものだ。
 呆然と町を歩く彼をはばむ車や人はない。
 堂々といや、ふらふらと車道の中央を進んでゆく。
 なにが彼をそうしたのか?
「なんだ…これは…」
 うわ言のように呟くこの言葉。
 この原因を知るには、視点を彼の両手に移す必要があった。
 はたして、そこには…両手がなかった。かわりに…二枚の刃が…肘から先が
黒く輝く包丁になっていたのだ。
 両手の肘から先が刃物。
 いかにこの男でも、この悪夢のような怪異に呆然としているのだ。
 誰がやった? 誰が俺の手をこんなにした?あいつだ。
 あの色男だ。

 その時、道の角を曲がってきた自転車があった。
 荷台に多数の牛乳瓶をつんで。
 さわやかな朝をかけ抜けて、家々においしい牛乳とさわやかな笑顔を運ぶ彼女
の名前は咲川みきこ。
 父と離婚した母と共同で家計の為に、学業の暇の時間を仕事についやしてきた。
 今年、小学生になる弟の学費の為でもあった。
 その彼女の首を飛ばしたのは、殺人鬼の刃物と化した右手であった。
 彼の、ほんのうさ晴らしの殺人であったが、彼は至福の表情を顔にうかべていた。
 彼の新しい両手は、彼の趣味に役立つ事がわかったからである。
 思わず、あの憎き色男に感謝した。
 咲川みきこの体に趣味の欲を晴らした後、殺人鬼の男は大喜びで自宅に帰った。
 意外にも、彼の家は…新田伸二の家の…正面おむかいさんだったのである。


 その日の朝は遅かった。
 昨日の葬儀につかれたのか、新田伸二は午前10時をすぎてもまだ夢の中だった。
 鼻をくすぐる味噌汁の匂い。炊きたてのご飯の匂い。
 ああ、母さんか。朝の食事か。
 今頃、父さんが「寝坊したーッ」って大慌てで歯を磨いてるんだ。
 あ…すると姉ちゃんが起こしにくるぞ。「こらーおきろーッ」て。
 ほら…。
「伸二くん? そろそろ10時すぎるんだけど…起きない?」
 夢からさめた。
 目の前にいるのは、かわいい女ではあるが秋子姉ちゃんじゃない。
「…おはよ…相沢さん」
 布団から上半身を起こすと、エプロン姿の相沢章子が中腰で伸二を見つめた。
「なんだよ…なに? なんですか?」
「ね…よく聞いて…また、あいつが殺ったのよ。牛乳配達の女の子を」
「なんだって!? それで…目撃者は?」
 飛び起きてテレビのスイッチをいれる。ニュースは連続猟奇殺人一色。
 ニュースが終わり、連続ドラマの再放送が始まった。
「そうなの。今回も証拠品なし、目撃者なし…まいっちゃうわ」
 伸二は立ち上がった。その両目には復讐の炎が燃えていた。
「相沢さん! 行こう! 殺人鬼をぶっころしに!」
 相沢章子は小学生の「ぶっころす」という言葉に戸惑いをおぼえていた。
 一人の小学生が修羅の道を、復讐の道を歩みだそうとしている。
 店主の行動は正しかったのだろうか? …いや…。
「うん。行きましょう! でも、その前に…朝御飯できてるわよ」
 朝御飯の献立は、なめこの味噌汁と御飯にたまご焼きを加えたもの。
 伸二は夢の続きを見ているような気がした。家族との朝御飯の夢の。


 かたや、なんでも屋の朝ははやかった。
「おい~~神人! はらへったよ~~晩飯はまだなのかよ~~」
 台所口で、手を腹にあてて騒いでいる筋肉質の男は桜間十兵。
「できたよ。晩飯だ」
 青いエプロンをつけた美男子は霧沢神人。
 その手のおぼんにのせられた献立は、めだま焼きと御飯だった。
 普通の朝食といったところか…しかし、晩飯とは?
「おめーよ! 14時間まってこれだけかよ!!」
 目に涙をにじませて文句を言う十兵だった。現在午前10時。
「いや…しろみと卵黄のバランスがきにいらなくて…今、何時だい?」
 十兵の指先を追って、神人の視線は壁掛け時計に移った。
 しばし、沈黙…。
「なんだ、もう夜があけたのか。いや、悪いなあ。朝御飯だね、これ」
 あわせ鏡が終わって、桜間十兵が神人の忘れた買い物袋をとりに行き…
神人が台所に入ったのは昨夜の8時だった。


 バスを待っていた。
 現在、午前11時20分。太陽がほぼ天頂にさしかかり、だれもが昼飯の事を
考える時間になった。
 停留場のベンチに座る二人。
 少々肥満で帽子をかぶった小学5年生、新田伸二と、クリーム色のシャツの上に
藍色の上着を着て、スカートをつけた相沢章子。
「なんの手掛かりもなしにうろつくのは無駄。とりあえず、資料をあつめないと」
 相沢章子が、どこか不満そうな新田伸二に言った。
「…噂に聞いたんだけど…東京のほうの、有名な探偵社かなんかに頼んだほうが
 よかったかな…なんだか、後手にまわりっぱなしでしょ」
 ようするに伸二は苛立ちを覚えているのだった。
「…そんな事言っても…まだ捜査始めて2日もたってないのよ」
「でも…このままじゃ殺人鬼はどんどん人を殺すよ。現に今日も一人…」

 もちろん、昨夜、なんでも屋の店主も殺されそうになった事など、二人が知る
よしもない。

 バスが来た。
 駅に行くバスだ。
 後ろ乗りの後払いなので、車体側面の中央にあるスライド式ドアから、二人は
乗った。
「あ…!? あれ…? この人達…なんで!?」
 伸二の疑問は小学生なら当然のものだった。
 バスの席は女子高生らしき学生で埋められていたのである。
 まだ、学校が終わる時間にしては早すぎる。
「は~。期末テストだったのかな…」
 相沢章子の解説に、なるほど、とうなづく伸二だった。が、次の瞬間だった。
「あ…あの人!!!」
 この停留場から乗ったのは二人だけではなかった。
 もう一人。
 薄茶のコートをきた男だ。
 その男の両手…肘から先がぐるぐるに包帯で巻かれている。ただの棒に見えた。
「変なかっこうした人ね…」

 二人の監視の目の中を、コートの男はゆっくりと運転席に近付いていった。
左右の席では紺の制服を着た女学生達がおしゃべりをしている。
 おしゃべりが悲鳴に変わった。
 運転席の横に立ったコートの男から血飛沫が飛んだのである。

「は、ははは…あの色男に感謝しなければなあ…こんな素晴らしい道具をくれ
てなあ…はははっっはっっっっっっはあ」
 両手の包帯がほどけて…黒光りした刃物が見えた。
 そこに滴る赤い血は運転手のものか!?

「不思議な事にこの両手で切った物は僕の言うとうりに操れるんだ。
 この運転手はもうこのバスを止める事はないんだよ。永久に…はははははああ」
 運転席にいるのは--首がないのに…黙々と運転する運転手であった。

 移動する血の楽園の完成である。
 悲鳴をあげてバス後部に逃げる女学生達。
 だが、逃げずに立ち向かった二人がいた。
 その二人は逃げ固まる女学生とコートの男の間に立つと、
「やっと…やっと会えたな殺人鬼! 俺の姉ちゃんの仇をとらせてもらうぞ!」
 家族の仇に指を指し、怒りに震えていた。
 新田伸二である。
 だが、もう一人の、相沢章子は不安になっていた。
 なによ、あの両手…それに、切った物を操る能力ですって!?
 人間にそんな能力はない。
 殺人鬼はほんとうに鬼--魔人だったのか。
 彼女の頭に一人の顔が浮かんだ。
 比類なき美形の彼なら、どんな魔人だろうとなんとかしてくれるだろう。
 だが、今はいないのだ。霧沢神人は。

 うかつに戦いを挑むのは無謀すぎる。今にも殴りかかりそうな新田伸二の肩を
押さえて相沢章子は叫んだ。
「あなたが最近有名な殺人鬼ね!? 名前はなんていうの?」
 この場にしては意外な質問であった。その証拠に伸二さえあきれ顔で見ている。
「相沢さん!? あいつの名前なんてどーでもいいじゃんか!!」
 騒ぐ伸二を無視して殺人鬼を見つめる相沢章子。

 深いくまができた目をギョロリと動かし、奴は答えた。
「時間稼ぎなど、この移動する血の楽園では無駄な事だよ。
 まあいい。教えてやろう。僕の名前は五月 仁太郎(さつき じんたろう)。」

 五月仁太郎。これが猟奇連続殺人事件の犯人の名か。

「僕はこの両手を持った時から人間ではなくなった。もう名前などに意味は無い」
 言うなり、五月は刃と化した右手を上げた。
 瞬間、二人の背後から悲鳴が聞こえた。
 いつのまにか、五月の右手--刃が伸びて女学生の一人に刺さっていたのだ。
 二人に戦慄が走った。奴の刃は伸びるのか!?
「驚いたか!? この手は無限に伸びるようだ。ははは…もはや、下等な人間
 など僕が楽しむ道具でしかない。はははははははああ!!!」

 殺人鬼の笑い声と乗客の恐怖を乗せて、移動する血の楽園は道路を疾走した。

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